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  • 神の目的とエホバの証者(その35)
    ものみの塔 1962 | 4月1日
    • ベルリンのプリンツ-アルブレヒト-ストリートにあるゲシュタポの地下室に到着したとき,私は物が言えませんでした。ここで,最も残酷な方法の尋問が二日半つづきました。ひとりが私に質問し,二人が私をしっかりつかまえ,もう一人の男は重いゴムの棍棒で私を絶えず打ちました。そのような拷問は,二日半のあいだ休みなしにつづいたのです。それから,彼らは私のところに紙を持ってきて,すべてのことを書くように,また私といっしょに働いていた兄弟たちの名前を書くようにと命じました。彼らがもどって来て,エホバだけに責任を感じているために兄弟たちの名前を書かぬという私の言葉を読んだとき,残酷な仕打がまたつづきました。私は地下室に連れて行かれましたが,ひどい痛みのために休むことができませんでした。また尋問が行なわれました。こんどはひとつの頭蓋骨がへやのテーブルの上に置かれていました。2時間のあいだ彼らは気が狂ったように私を打ち叩きました。ところが,突然彼らは打ち叩くのを中止して,厚さ約4インチもある書類をテーブルの上にほうり出し,われわれはもう知りたいことは知っているのに,おまえがいつまでも打たれているのは愚の骨頂であると言いました。私は大急ぎで頁を繰ってみましたが,私の行動をそんなによく知っていたのにはびっくりしました。……質問は全部で43日つづきました。それから,私はマイン川の流域にあるフランクフルトに連れて行かれ,特別な裁判を受け,5年の入獄を宣告されました。

      2年の後,国家の検事と刑務所の一高官が私を見に来ました。その目的は,私の考えを変えさせて,信仰を否認させるためでした。もしそうしたなら,私は釈放されるでょう。彼らの努力は水泡に帰しました。激怒した彼らは,「あいつのあたまをおので割ってやる」という捨ぜりふを残して行きました。刑務所に5年いて後の私の目方は,わずか105ポンドだけでした。f

      多くの場合,兄弟たちは2年から5年の入獄を宣告されました。しかし,刑期が過ぎると釈放されたわけではありません。特に戦争が始まってからは釈放は望めませんでした。ベルリンは,エホバの証者を釈放してはいけないという命令を出しました。エホバの証者は収容所あるいは破滅の収容所に入れられたのです! エホバの力によってのみ多数のエホバの証者は生きて戻ることができました。

  • 年次総会
    ものみの塔 1962 | 4月1日
    • 年次総会

      1961年10月1日,日曜日の午前10時,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会は,法律および憲章と定款に従い,ペンシルバニア州アレゲニー郡ピッツバーグにおいてメンバーの年次総会を開きました。通常この年次総会はピッツバーグ市ビゲロウ通り4100番地において開かれますが,日曜日の朝の年次総会には大勢の人の出席が予想されたので,講堂はあふれてしまうでしょう。そこでペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会のメンバー403人の一致した投票により,総会は通常の場所ではなくてピッツバークのカーネギー・ミュージック・ホールで開かれることになりました。投票した403人のメンバーには自ら出席していた人と委任投票によった人とがあります。この美しいホールはビゲロウ通り4100番地からわずか2,3の区画をへだてたところにあります。しかしピッツバーグにあるものみの塔協会の本部の御国会館においてもホールにはいりきれなかった人々が電話線によって総会の模様を聞きました。

      歌と祈りのあと,年次総会は協会の会長エヌ・エッチ・ノアによって午前10時,正式に開かれました。ついで協会の理事の一人ライマン・エイ・スイングルが月の主題「新しい世の事のために真心をこめて働きなさい」について話すように求められました。これはきわめて時宜にかなったものです。つづいて議事にうつり,ティ・ジェイ・サリバンとグラント・スーターの任期満了に伴って二人の理事の席が空席となった旨,司会者より発表されました。この二人は次の3年間,理事の任につくよう満場一致で再選されました。

      財政理事は各国からの興味深い経験を語りました。それは遠くの国々に住む協会のメンバーが委任状と共に書き送った手紙の中から読まれ,きわめて興味深いものでした。

      そのあと,協会のメンバーの一人で英国から訪米中のプライス・ヒューズが紹介され,英国におけるエホバの証者の活動について大きな励みを与える報告を行ないました。彼はロンドンの新しいベテルの家に皆が喜んでいることを述べ,一般的なわざの進歩と,ロンドンの家にある御国宣教学校について語りました。次に協会のメンバーでベテルの僕ジョージ・カウチがブルックリン・ベテルの活動について語り,またニューヨーク市を訪れるエホバの証者がだれでもベテルとベテルにあるものみの塔ギレアデ聖書学校を見学するようにと招待しました。次にブルックリンにある協会の印刷工場の監督エム・エッチ・ラーセンが立ち,アダムス街117番地とサンヅ街77番地の工場の30台の印刷機について語りました。そのうち15台は大型の高速度輪転機です。過ぐる年のあいだ聖書と本,冊子の印刷に加えて毎月51の異なった雑誌を準備して印刷することが必要でした,次に御国宣教学校の幹事で御国農場のエイ・ディ・シュロダが,会衆の監督を御国宣教学校に呼んで特別の訓練と教育を授けるわざの成果について語りました。聴衆はこれらの兄弟たちの話に熱心に耳を傾け,大きな励みを受けました。

      次に協会の会長エヌ・エッチ・ノアは「世界のハルマゲドンに面して勇気を待つ」と題する話をしました。詩篇 27篇に基づくこの話の中で今日エホバの証者がエホバに望みを置き,勇気を待たねばならない必要が指摘されました。

      集会のすべては3時間19分で終わりました。出席した人の数はきわめて大きく,カーネギー・ミュージック・ホールの聴衆2093人,隣接の講堂にはいった640人,ド・ビゲロウ通り4100番地の御国会館の1169人を加えて年次総会に出席した人の総計は3902人でした。それはほんとうに楽しい,また熱意にあふれた集りでした。

      1961年10月9日,月曜日の午前8時,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会の理事たちがニューヨーク,ブルックリン1,コロンビアハイツ124番地所在の会長事務所に集まり,次の1年の任期のあいだエヌ・エッチ・ノアを会長,エフ・ダブリュー・フランズを副会長,グラント・スーターを財政理事,エッチ・エッチ・リーマーを財政理事補佐の任にそれぞれ満場一致で再選しました。協会の理事はこのほかにティ・ジェイ・サリバン,エム・ジェイ・ヘンシェル,エル・エイ・スイングルの3人です。協会の理事たちはその栄光ある奉仕の宝を深く認識し,エホバへの祈りの中で忠実なさとい奴隷級,地上における神の油注がれた残れる者の上に与えられた導きに対して感謝を表わしました。またいま全地に集められている大いなる群衆と交わる残れる者の喜びも表明されました。

      神の民のすべてはエホバの言葉,聖霊,エホバの制度に導かれることを望んでいます。そして献身した僕すべての祈りは,どこにいてもエホバの証者が勇気をもって励みつづけ,エホバ神のみこころを永遠に行なうことです。

  • 1962年の聖句
    ものみの塔 1962 | 4月1日
    • 1962年の聖句

      「勇ましくあれ。心を強くせよ。ただエホバを待ちのぞめ」。―詩 27:14,新世。

      勇ましくあれ。この言葉を他の人に言うことは容易ですが,あなた自身にあてはめるならばどうですか。クリスチャンはエホバを待ち望むゆえに勇気があります。この希望は,唯一の真の神とその愛される御子キリスト・イエスを知ることから得られます。それには研究,深く考えること,集会に行くことが必要です。信仰が大きくなるにつれて,エホバにおいた望みも固くなります。

      すべての人は自分をよく見て,自分をしらべ,本当に自分を知らなければなりません。ヤコブは述べました。「おおよそ御言を聞くだけで行わない人は,ちょうど,自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。彼は自分を映して見てそこから立ち去ると,そのとたんに,自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう」。(ヤコブ 1:23,24)あなたはどんな人ですか。聞くだけの人,それとも行なう人ですか。鏡の中にどんな自分を見ますか。あるいはすぐに忘れてしまいますか。良心的な人は御言葉を行なう人です。その人は行いによって勇気を示し,エホバを喜ばせます。そしてエホバを待ち望みます。

      私たちの主人,主イエス・キリストのことを考えてみましょう。イエスはどんな人でしたか。イエスは謙遜な人,親切な人でしかもきわめて多忙な人であったのを私たちは知っています。イエスは聖霊にみちた人でした。彼は自分がそれを必要とすることを知って祈り求めたからです。これによってイエスは天国の近づいたことを伝道する力を得ました。彼は追随者と共に静かに坐って彼らを教えました。イエスはエホバと神の音信にゆるがない信仰と希望をおいたので,そのために命さえも喜んで与えたのです。その住んだところを考えてごらんなさい。帝国の支配を受けた国で,ローマの兵士は無理やりに人々を服従させ,追従する偽善者のユダヤ人宗教家はカイザル以外の王が人々に語ることを望まなかったのです。このような世界に生まれてきたこの若者にとって,新しい政府,そうです,エホバの御国の良い音信を伝道するには勇気がいりました。彼は富める者にも貧しい者にもそれを宣べ伝え,また押えつけられた者と,嘆く者に慰めを与えました。その偉大なわざのはじめにあたって,この悪の世の見えない支配者悪魔はイエスを誘惑しようとしました,悪魔はイエスに多くのものを提供したのです。それを拒絶するには勇気が必要でした。イエスを神に背かせようとしてサタンはイエスを誘惑し,「またたくまに世界のすべての国々を見せて言った,『これらの国々の権威と栄華とをみんな,あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて,だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで,もしあなたがわたしの前にひざまずくなら,これを全部あなたのものにしてあげましょう』」。イエスはこの古い悪しき蛇の策略をよく知っていました。この者は幼児のイエスを殺そうと図った者であり,そのたくらみを持ちつづけていたのです。イエスは勇気のある答えをしました,「『あなたは,あなたの神エホバを崇拝し,彼のみに聖なる奉仕を捧げねばならない』と書かれている」。―ルカ 4:5-8,新世。

      悪魔はイエスを三度,誘惑してのち,イエスの忠実を破ることができないのを知って「一時イエスを離れた」(ルカ 4:13)この時また他の多くの場合,特にゲッセマネの庭で,また宗教指導者やローマの支配者の前で示した勇気を,イエスは忠実な追随者に吹き込みました。あなたもエホバを待ち望むゆえに,このような確信を持ち,このような勇気を示しますか。

      不完全な人間であった他の人々も,このような勇気を持っていました。ステパノを見てごらんなさい。「さて,ステパノは恵みとか力とに満みて,民衆の中で,めざましい奇跡としるしとを行っていた。すると,いわゆる『リベルテン』の会堂に属する人々……が立って…ステパノと議論したが……彼らは人々をそそのかして,『わたしたちは,彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた』と言わせた。……『あのナザレ人イエスは,この聖所を打ちこわし,モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまう』などと,彼が言うのを,わたしたちは聞きました」。(使行 6:8-14,新口)ステパノに対するこのような言葉を語って「彼らは……民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し」ステパノを襲って捕えさせ,議会にひっぱってこさせたのです。議会で人々はステパノの言葉を聞きました。ステパノは少しも恐れを見せませんでした。その心は強く,ひとつだったのです。エホバに望みをおいたステパノには勇気がありました。彼は権威をもってユダヤ人の歴史を語り,栄光の神がアブラハムに現われたこと,またイサク,ヤコブと12支族のかしら,

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