ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 「あなたたちはエルサレム中で教えを広め[た]」
    神の王国について徹底的に教える
    • 人でにぎわう通りでイエスの弟子たちがユダヤ人やユダヤ教に改宗した人たちに伝道している。

      セクション1 • 使徒 1:1–6:7

      「あなたたちはエルサレム中で教えを広め[た]」

      使徒 5:28

      33年のペンテコステで聖なる力を受けてから,イエスの弟子たちは神の王国について教えることに打ち込みました。このセクションでは,クリスチャン会衆がどのようにつくられたか,エルサレムでの伝道がどのように勢いを増していったか,使徒たちが激しい迫害の中どのように信仰を貫いたかを学びます。

      夫婦が道で女性に伝道している。
  • 「会衆に対して激しい迫害が始まった」
    神の王国について徹底的に教える
    • ステファノが穏やかな様子でサンヘドリンの前に立っている。

      セクション2 • 使徒 6:8–9:43

      「会衆に対して激しい迫害が始まった」

      使徒 8:1

      反対がますます強くなって,1世紀のクリスチャンは神の王国について教えるのをやめてしまったでしょうか。いいえ,そんなことはありません。このセクションでは,激しい迫害により,伝道がかえって加速していった様子を見ていきます。

      共産主義の東ドイツで兄弟たちが裁判にかけられている。
  • 「異国の人々も神の言葉を受け入れた」
    神の王国について徹底的に教える
    • ペテロと仲間たちがコルネリオの家に入る。

      セクション3 • 使徒 10:1–12:25

      「異国の人々も神の言葉を受け入れた」

      使徒 11:1

      ユダヤ人のクリスチャンは,割礼を受けていない異国人にも良い知らせを伝えようとするでしょうか。このセクションでは,クリスチャンたちが聖なる力を受けてどのように偏見を乗り越え,全ての国の人々への伝道を始めたかを調べます。

      波止場で夫婦が男性に伝道している。
  • 「聖なる力によって送り出されて」
    神の王国について徹底的に教える
    • ピシデアのアンティオキアで,怒った人たちから町の外に追い出されたバルナバ

      セクション4 • 使徒 13:1–14:28

      「聖なる力によって送り出されて」

      使徒 13:4

      このセクションでは,使徒パウロの1度目の宣教旅行の様子を見ていきます。パウロは,行く先々で迫害に遭いますが,聖なる力に助けられながら伝道を続け,新しい会衆をつくっていきます。その記録について学ぶと,宣教をもっと頑張ろうという気持ちになります。

      1945年のカナダで,怒った群衆に詰め寄られるエホバの証人たち
  • 「使徒や長老たちは……集まった」
    神の王国について徹底的に教える
    • シリアのアンティオキアの会衆の前で,シラスとユダが巻物を読み上げている。

      セクション5 • 使徒 15:1-35

      「使徒や長老たちは……集まった」

      使徒 15:6

      検討すべき点が持ち上がり,兄弟たちの中で意見が対立します。そのままにしておくと会衆がばらばらになってしまいかねません。兄弟たちはこの件を収めるために誰に指示を求めるでしょうか。このセクションでは,1世紀のクリスチャン会衆がどんな手順で決定を下していったかを見ます。現代のクリスチャンも同じ方法を取っています。

      巡回監督が会衆の前で話をしている。
  • 「戻って兄弟たちを訪ね……ましょう」
    神の王国について徹底的に教える
    • 使徒パウロとテモテが船の甲板の上にいる。テモテが遠くを指さしている。船員たちが働いている。

      セクション6 • 使徒 15:36–18:22

      「戻って兄弟たちを訪ね……ましょう」

      使徒 15:36

      クリスチャン会衆で巡回監督はどんな役割を担っているでしょうか。新しい奉仕にチャレンジすると,どんな良い経験ができるでしょうか。どうすれば聖書を使って上手に話せるでしょうか。相手に合わせたアプローチが大切なのはどうしてでしょうか。使徒パウロの2度目の宣教旅行から学びましょう。

      経験を積んだ兄弟が2人の若い兄弟と車の中で話している。
  • 「人々の前で,また家から家へと……教え[る]」
    神の王国について徹底的に教える
    • パウロがエフェソスの市場にいる人たちに伝道している。パウロの話を聞いていない人たちもいる。

      セクション7 • 使徒 18:23–21:17

      「人々の前で,また家から家へと……教え[る]」

      使徒 20:20

      謙虚に自分を見つめ直すことや,融通を利かせることが宣教で大切なのはどうしてでしょうか。良い知らせについて伝道するメインの方法は何でしょうか。自分のしたいことよりも,神の望んでいることをどのように優先できるでしょうか。パウロの3度目の宣教旅行中の出来事から,学びましょう。

      1人の兄弟が,人の多い駅のホームで女性に伝道している。
  • 「妨げられることなく……神の王国について伝え[た]」
    神の王国について徹底的に教える
    • パウロのおいがクラウディウス・ルシアスに話している。

      セクション8 • 使徒 21:18–28:31

      「妨げられることなく……神の王国について伝え[た]」

      使徒 28:31

      このセクションで,パウロは暴徒たちからひどい目に遭わされ,拘禁され,ローマの役人たちの前で何度も弁明します。それでも,パウロは神の王国について語り続けました。クライマックスを迎える「使徒の活動」の記録を調べながら,「勇敢で熱心なパウロにどのように倣えるだろうか」と考えてみてください。

      1940年代の一場面の再現。禁書になっている聖書出版物を自転車で運ぶ少年が,後ろを向いて危険がないか確認している。
  • 「あなたたちは……私の証人となります」
    神の王国について徹底的に教える
    • 2章

      「あなたたちは……私の証人となります」

      伝道に打ち込んで手本となるよう,イエスが使徒たちを励ます

      使徒 1:1-26

      1-3. イエスと使徒たちはどのように別れましたか。これからどんなことを考えますか。

      終わってほしくない,と使徒たちは思います。この数週間は素晴らしい日々でした。いっときは落ち込んでいましたが,イエスが復活し,みんな大きな喜びに包まれました。これまでの40日間,イエスは何度も弟子たちに会いに行き,教え,励ましてきました。でも,それも今日で終わりです。

      2 オリーブ山に集まった使徒たちが,イエスの話を一言も聞き逃さないようにと耳を傾けています。もっと聞いていたいのですが,話は終わってしまいます。イエスは両手を上げ,使徒たちのために神からの祝福を願います。そして何と,地面から空へと昇っていきます。使徒たちが見上げる中,イエスの姿はやがて雲に隠れて見えなくなります。イエスがいなくなっても,使徒たちはまだ空をじっと見ています。(ルカ 24:50。使徒 1:9,10)

      3 使徒たちの人生の新たなページが開かれようとしていました。イエス・キリストが天に昇った今,これからどうしていくとよいでしょうか。前もってイエスからしっかり教えてもらえたので,大丈夫です。イエスはどんなことを伝えてくれたでしょうか。使徒たちはそれを聞いて,どうしたでしょうか。現代の私たちは何を学べるでしょうか。使徒 1章を調べてみましょう。

      使徒たちが見守る中,イエスが昇天する。

      「多くの確かな証拠」(使徒 1:1-5)

      4. ルカはどのように「使徒の活動」を書き始めていますか。

      4 ルカはテオフィロへの言葉で「使徒の活動」を書き始めています。ルカは福音書もテオフィロに宛てて書きました。a 福音書の続きであることが分かるように,ルカはまず福音書の最後に書いた内容を振り返っています。簡潔にまとめつつ,新たな情報を加えています。

      5,6. (ア)ルカは,クリスチャンの信仰を強めるのに役立つどんなものに触れていますか。(イ)今の私たちの信仰も「多くの確かな証拠」に基づいています。どうしてそういえますか。

      5 使徒 1章3節でルカは,クリスチャンの信仰を強めるのに役立つものに触れています。こうあります。「イエスは……自分が生きていることを多くの確かな証拠によって使徒たちに示しました」。ここで「確かな証拠」と訳されている語を聖書中で使っているのは,「医者ルカ」だけです。(コロ 4:14)これは医学書で使われた用語で,明白で決定的で信頼できる証拠という意味があります。イエスが残したのは,まさにそういう証拠でした。弟子たちの前に何度も現れたからです。ある時には1人か2人に,ある時には使徒たち全員に,ある時には500人以上の人たちの前に姿を現しました。(コリ一 15:3-6)

      6 今の私たちの信仰も「多くの確かな証拠」に基づいています。私たちは,イエスが人間として生きたこと,人類を救うために死んだこと,そして復活したことを信じていますが,どれにも証拠があります。実際に目撃した人たちからの情報が聖書に載せられています。神が導いてそれを記録させました。そういう記録を読み,よく祈って研究すると,信仰が強まります。信仰とはただ信じることではありません。証拠があって初めて信仰が生まれます。楽園になった地球でいつまでも幸せに暮らすには,そういう本物の信仰が欠かせません。(ヨハ 3:16)

      7. 伝道のテーマは神の王国です。イエスのどんな手本からそのことが分かりますか。

      7 ルカが言っているように,復活したイエスは「神の王国について話しました」。例えば,預言を説明し,神から選ばれた者は苦しみと死を経験することになっていたと言いました。(ルカ 24:13-32,46,47)イエスは神から選ばれ,将来王になることになっていたので,神の王国について語りました。神の王国はイエスの伝道のテーマでした。クリスチャンも同じテーマを意識して伝道します。(マタ 24:14。ルカ 4:43)

      「地上の最も遠い所にまで」(使徒 1:6-12)

      8,9. (ア)使徒たちはどんな2つの勘違いをしていましたか。(イ)イエスはどのように使徒たちの勘違いを正しましたか。私たちもそこからどんなことを学べますか。

      8 使徒たちがオリーブ山に集まった時は,天に行く前のイエスと話す最後のチャンスでした。こう尋ねます。「主よ,今イスラエルに王国を回復するのですか」。(使徒 1:6)ここから,使徒たちが2つの勘違いをしていたことが分かります。まず,神の王国は当時のイスラエルにつくられると思っていました。さらに,神の王国は「今」その時に統治を始めると思っていました。イエスは何と答えたでしょうか。

      9 1つ目の勘違いはすぐに正されることになっていました。イエスはそれを知っていたはずです。使徒たちはわずか10日後,イスラエル国民とは違う,新しい国民の誕生を目にしました。それは,神に選ばれた人たちから成る国民で,イスラエル人ではない人もたくさん含まれています。もうイスラエル国民は神の特別な国民ではなくなりました。2つ目の勘違いについては,イエスはこう言いました。「天の父の権限で定められた時や時期について,あなたたちが知る必要はありません」。(使徒 1:7)以前にもイエスは,終わりが来る「日と時刻」は自分も知らず,「父だけが」知っていると言いました。エホバは決めたタイミングを必ず守ります。(マタ 24:36)それで私たちも,今の体制が終わるタイミングについて考え過ぎるなら,知る必要のないことを知ろうとしていることになります。

      10. 弟子たちに倣って,どんな姿勢でいたいと思いますか。どうしてですか。

      10 勘違いをしたとはいえ,弟子たちは信仰のあつい人たちでした。イエスに指摘されて,間違いを素直に認めました。それに,勘違いをしたのは,鋭い関心があったからこそでした。イエスから何度も「ずっと見張っていなさい」と言われていたので,エホバが行動するタイミングを見逃さないようにしたいと思っていました。(マタ 24:42; 25:13; 26:41)私たちも同じような姿勢でいたいと思います。今は「終わりの時代」なので,特にそういえます。(テモ二 3:1-5)

      11,12. (ア)イエスはクリスチャンたちにどんな任務を与えましたか。(イ)イエスが聖なる力について話したのはどうしてですか。

      11 イエスは使徒たちに,何に集中すべきかを教えました。こう言いました。「聖なる力があなたたちに働く時,あなたたちは力を受け,エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,また地上の最も遠い所にまで,私の証人となります」。(使徒 1:8)イエスが復活したことはまず,イエスが杭に掛けられたエルサレムで知らされます。そこからユダヤ全域に,そしてサマリアに,さらにはもっと遠くに広められていきます。

      12 イエスはここで,「聖なる力があなたたちに働く」とまず言ってから,伝道する任務に触れています。ここを含め,「使徒の活動」には「聖なる力」という語が60回も出てきます。エホバの望むことを行うには,聖なる力のサポートが絶対に必要だということが伝わってきます。エホバに祈って,「聖なる力を下さい」とお願いすることは,とても大切です。(ルカ 11:13)今は伝道に特に聖なる力が必要です。

      13. 今,「地上の最も遠い所」はどこまで広がっていますか。一生懸命伝道することが大切なのはどうしてですか。

      13 今では,「地上の最も遠い所」は世界中にまで広がっています。エホバは,「あらゆる人」が良い知らせを聞いて救われることを願っています。(テモ一 2:3,4)前の章で見たように,エホバの証人は一生懸命に良い知らせを伝えています。あなたはどうですか。これほどやりがいのある仕事はほかにありません。エホバからのサポートもあります。どうやって伝道すればよいか,どんな心構えが大切か,「使徒の活動」から学べます。

      14,15. (ア)天使たちは,イエスがどのように来ると言いましたか。それはどういう意味ですか。(脚注も参照。)(イ)イエスは天に行った時と「同じ仕方で」再び来た,といえるのはどうしてですか。

      14 この章の初めで取り上げたように,イエスは空へと昇っていき,やがて見えなくなりました。それでも,11人の弟子たちは立ったまま,じっと空を見つめていました。すると,2人の天使が現れ,こう言って考えさせます。「ガリラヤの人たち,なぜ空を眺めて立っているのですか。空へ上げられたこのイエスは,空に入っていくのをあなたたちが見たのと同じ仕方で来ます」。(使徒 1:11)これはイエスが人間の肉体を着けて再び来るという意味だ,と教える人もいます。でも,本当はそういう意味ではありません。どうしてそういえるでしょうか。

      15 天使たちが,「同じ姿で」ではなく「同じ仕方で」と言っていることに注目してください。b イエスはどんな仕方で天に行ったでしょうか。天使たちが現れた時,イエスはすでにいませんでした。限られた数の使徒たちだけが,天へと旅立つイエスを見て,エホバのもとに戻っていったのを理解しました。天使たちによれば,イエスは「同じ仕方で」再びやって来ます。そして,実際にそうなりました。現在,聖なる力に頼って学ぶ人たちだけが,イエスがすでに来ていて,王になっていることを理解しています。(ルカ 17:20)イエスが王位についている証拠を調べて信仰を強め,今がどんな時代かについて伝道することはとても大切です。

      「どちらを選ばれたかをお示しください」(使徒 1:13-26)

      16-18. (ア)使徒 1章13,14節から,クリスチャンの集会についてどんなことが分かりますか。(イ)イエスの母親マリアの手本から何を学べますか。(ウ)集会がとても大切なのはどうしてですか。

      16 その後,使徒たちは「大きな喜びを抱いてエルサレムに帰」りました。(ルカ 24:52)イエスに励ましてもらった彼らはどうしたでしょうか。使徒 1章13,14節によると,「階上の部屋」に集まりました。当時,パレスチナの家の上の階にはよく,外階段から入れる部屋がありました。この「階上の部屋」は,使徒 12章12節に出てくるマルコの母親の家の部屋だったかもしれません。いずれにしても,そこは集まりやすい場所でした。誰が集まり,何をしていたのでしょうか。

      17 集まったのは,使徒たちだけでも,男性たちだけでもありませんでした。「何人かの女性」もいて,その中にはイエスの母親マリアもいました。聖書中でマリアが出てくるのは,ここが最後です。マリアは目立とうとしたりせず,ほかの兄弟姉妹たちと一緒に崇拝のために集まりました。イエスが生きていた頃は信者でなかった4人の息子もその場にいたので,うれしかったはずです。(マタ 13:55。ヨハ 7:5)イエスが亡くなって復活した後,息子たちは信仰を持つようになりました。(コリ一 15:7)

      18 みんなが集まっていたのは,「思いを一つにしてひたすら祈り続け」るためでした。(使徒 1:14)このように,クリスチャンが集まるのは崇拝のためです。もちろん,仲間との絆を強めたり,大事なことを学んだりしますが,何よりエホバを崇拝するために集まります。エホバに喜んでもらうために,心から祈り,賛美の歌を歌います。神を畏れ敬う気持ちで集まり,みんなで励まし合える集会は,本当に大切です。(ヘブ 10:24,25)

      19-21. (ア)ペテロの活躍からどんなことを学べますか。(イ)ユダの代わりが必要だったのはどうしてですか。その選び方からどんなことを学べますか。

      19 さて,使徒たちには,検討しなければいけないことが1つありました。ペテロがみんなをまとめるために発言します。(15-26節)ペテロといえば,数週間前に大きな失敗をし,イエスのことを知らないと3度言ったばかりです。(マル 14:72)でも今は見事に立ち直り,エホバからも仲間からも信頼されています。私たちは誰もが間違いをしますが,心から反省してやり直すなら,エホバは「快く許してくださいます」。(詩 86:5)

      20 ペテロは,イエスを裏切った使徒ユダの代わりを選ばなければいけないと考えます。誰がよいでしょうか。イエスの宣教にずっと付いてきていた人で,復活したイエスに会った人です。(使徒 1:21,22)イエスも以前,こう言っていました。「私に従ってきたあなたたちも12の座に座り,イスラエルの12部族を裁きます」。(マタ 19:28)エホバは,イエスの宣教に付いていった12使徒が新しいエルサレムの「12の土台石」になる,と考えていたようです。(啓 21:2,14)それでペテロに,「監督の職にほかの人が就きますように」という預言がユダに当てはまることに気付かせました。(詩 109:8)

      21 代わりの1人をどうやって選んだでしょうか。くじを引きました。昔,くじを引くのは一般的なことでした。(格 16:33)しかし,聖書にくじを引くことが出てくるのはここが最後です。この後,ペンテコステで聖なる力が注がれてからは必要なくなったようです。ここで注目したいのは,どうしてくじを使ったかです。使徒たちはこう祈りました。「全ての人の心を知っておられるエホバ,この2人のうちどちらを選ばれたかをお示しください」。(使徒 1:23,24)彼らはエホバが選んだ人を選びたいと思っていました。結果,マッテヤが選ばれました。マッテヤは,イエスが伝道に遣わした70人の弟子の1人だったと思われます。こうして,マッテヤが「12人」の1人になりました。c (使徒 6:2)

      22,23. 先頭に立ってくれる監督たちに従い,進んで協力することが大切なのは,どうしてですか。

      22 この記録から,クリスチャンの活動にはまとめ役がいることが分かります。現代でも会衆では,責任を担える兄弟たちが選ばれて,監督として奉仕します。監督たちはそういう兄弟を選ぶ時,聖書に書かれている監督の資格を慎重に検討し,聖なる力に導いてもらえるよう祈ります。それで,選ばれた兄弟たちは聖なる力によって任命されたといえます。先頭に立ってくれる監督たちに従い,進んで協力することが大切です。そうすると,会衆みんなが一つになってエホバに仕えられます。(ヘブ 13:17)

      長老団の集まり

      監督たちに従い,進んで協力する。

      23 使徒たちは,復活したイエスに励ましてもらい,12使徒に新たな人を迎え,今後に向けて準備が整いました。これからどんな展開が待っているでしょうか。次の章で学びましょう。

      a ルカは福音書で,テオフィロを「閣下」と呼んでいます。ここから,テオフィロが著名な人物で,その時は信者ではなかったことがうかがえます。(ルカ 1:3)しかしルカは,「使徒の活動」では「テオフィロ様」と呼び掛けています。学者によると,「閣下」と呼ぶのをやめたのは,テオフィロが福音書を読んだ後に信者になり,クリスチャンの仲間になったからかもしれません。

      b ここで使われているギリシャ語は,「姿」を意味するモルフェーではなく,「仕方」を意味するトロポスです。

      c パウロは「異国の人々への使徒」に選ばれましたが,12使徒の1人ではありませんでした。(ロマ 11:13。コリ一 15:4-8)イエスの宣教に付いていってはいなかったからです。

  • 「聖なる力に満たされ[た]」
    神の王国について徹底的に教える
    • 3章

      「聖なる力に満たされ[た]」

      ペンテコステで聖なる力が注がれた後,どんなことが起きたか

      使徒 2:1-47

      1. ペンテコステの祭りの日,エルサレムはどんな雰囲気ですか。

      エルサレムは活気であふれています。a 神殿の祭壇から煙が上がり,レビ族の人たちがハレル詩編(113-118編)を歌っています。通りは人でいっぱいです。エラム,メソポタミア,カパドキア,ポントス,エジプト,ローマなど遠くから来た人たちです。b 何があるのでしょうか。今日はペンテコステ,「初物の日」です。(民 28:26)ペンテコステは年に1度の祭りで,大麦の収穫が終わり,小麦の収穫が始まる頃に行われます。それでみんな喜んでいます。

      地図: 33年のペンテコステで良い知らせを聞いた人たちはどこから来ていたか。1. 地方: リビア,エジプト,エチオピア,ビチニア,ポントス,カパドキア,ユダヤ,メソポタミア,バビロニア,エラム,メディア,パルチア。2. 町: ローマ,アレクサンドリア,メンフィス,(シリアの)アンティオキア,エルサレム,バビロン。3. 海: 地中海,黒海,紅海,カスピ海,ペルシャ湾。

      エルサレム ユダヤ教の中心地

      「使徒の活動」の初めの数章に出てくる出来事のほとんどは,エルサレムで起きました。エルサレムは,地中海の東約55㌔に位置し,ユダヤの中央山系の丘陵地帯にあります。紀元前1070年,ダビデ王は,エルサレムにあったシオンの山の要塞を攻略しました。そこから拡大していったこの都市は,古代イスラエル国家の首都になりました。

      シオンの山のすぐ近くにはモリヤ山があり,ユダヤ人の伝承によれば,アブラハムはこの山でイサクを捧げようとしました。「使徒の活動」の時代より約1900年前のことです。モリヤ山にソロモンがエホバの最初の神殿を建てた時,モリヤ山はエルサレムの一部になりました。神殿はユダヤ人の社会生活と崇拝にとって重要な場所となりました。

      神殿には,神を畏れるユダヤ人がさまざまな地域から定期的に集まって,犠牲を捧げ,崇拝を行い,季節ごとの祭りを祝いました。「年に3回,全ての男性はエホバ神が選ぶ場所で神の前に出るべきです」という神の指示に従って,そうしました。(申 16:16)また,エルサレムには,ユダヤ人の高等法廷で国家行政評議会だった大サンヘドリンがありました。

      2. 33年のペンテコステの日,どんな出来事がありましたか。

      2 33年の暖かな春のこの日,朝9時ごろに,その後ずっと語り継がれるような出来事が起きます。120人の弟子たちが家に集まっています。突然,「激しい風が吹き付けるような音」,「強大な風あらしのとどろきのような」音が天から起こり,家の中に響き渡ります。(使徒 2:2。国際標準訳[英語])すると何と,炎のような舌が幾つも現れ,一人一人の上に1つずつとどまります。c そして,皆が「聖なる力に満たされ」,外国語を話し始めます。家から通りに出てきた弟子たちに会った旅行者たちは驚きます。弟子たちが,話せないはずの言語で話し掛けてくるからです。ここは異国の地なのに,母国の言語で弟子たちと会話ができます。(使徒 2:1-6)

      3. (ア)33年のペンテコステでどんな進展がありましたか。(イ)この日,ペテロはどんな大切なことをしましたか。

      3 こうして,エホバへの崇拝の歴史に新たな進展がありました。イスラエル国民に代わって,神に選ばれた人たちから成る新しい国民(クリスチャン会衆)が誕生しました。(ガラ 6:16)それだけではありません。この日群衆に語り掛けたペテロは,「王国の鍵」3つのうちの1つを使いました。(マタ 16:18,19)この鍵を使って扉が開くと,良い知らせを聞いて,神の聖なる力によって選ばれて新しい国民になる道が開かれます。1つ目の鍵は,ユダヤ人とユダヤ教に改宗した人に道を開くために使われました。d 続いてサマリア人に,そして異国人にも,鍵が使われることになっていました。神の聖なる力によって選ばれた人は将来,メシア王国で王また祭司になることができます。(啓 5:9,10)33年のペンテコステで起きた出来事から,どんなことを学べるでしょうか。

      「皆一緒に同じ場所にいた」(使徒 2:1-4)

      4. 現代のクリスチャン会衆には,1世紀と同じどんな良いことが見られていますか。

      4 クリスチャン会衆は,120人ほどの弟子で始まりました。「一緒に同じ場所」(階上の部屋)にいた時に,聖なる力によって神から選ばれた人たちです。(使徒 2:1)その日の終わりまでに,クリスチャン会衆はもっと大きくなり,数千人にもなりました。でもそれは始まりにすぎず,現在まで成長が続いています。現代のクリスチャン会衆は「王国の良い知らせ」を「世界中で伝え」ていて,神を畏れる人たちの数が今も増え続けています。(マタ 24:14)

      5. 1世紀も今も,会衆と一緒に働くと,どんな良いことがありますか。

      5 クリスチャンは会衆と一緒に働くことで,頑張る力をもらってきました。天に行くよう選ばれた1世紀の人たちもそうですし,「ほかの羊」が多い現代のクリスチャンもそうです。(ヨハ 10:16)パウロはローマの会衆に宛てた手紙の中で,みんなで支え合えることの素晴らしさについて書いています。「皆さんに会うことを心から願っています。神からの贈り物を与えて,皆さんを力づけるためです。いえ,むしろ,皆さんの信仰と私の信仰によって励まし合うためです」。(ロマ 1:11,12)

      ローマ 帝国の首都

      「使徒の活動」の時代,ローマは当時知られていた世界で最大の都市でした。ローマ帝国の首都で,政治的にとても重要な都市でした。ローマ帝国は最盛期に,ブリテン島から北アフリカまで,大西洋からペルシャ湾までを統治しました。

      ローマは,さまざまな文化・人種・言語が混ざり合った都市で,いろいろな迷信や信条が広まっていました。よく整備された道路網を通って,旅人や商人が帝国各地からやって来ました。近くのオスティア港では,通商航路を行き来する船から食料品やぜいたく品が荷揚げされ,ローマに運ばれました。

      1世紀,ローマ市の人口は優に100万人を超えていました。人口の半分は奴隷だったようです。有罪宣告を受けた犯罪者,親に捨てられたり売られたりした子供,ローマ軍の遠征で捕虜にされた人が奴隷とされました。奴隷の中には,ローマの将軍ポンペイウスが紀元前63年にエルサレムを征服した後に連れてこられたユダヤ人もいました。

      自由民の大半は非常に貧しく,数階建ての住居にひしめき合い,政府の補助金に頼って生活していました。一方,皇帝たちは,かつてなく壮麗な公共建造物で首都を飾り立てました。劇場や大競技場では,演劇や剣闘競技や戦車競走などの見せ物が,大衆の娯楽として全て無料で提供されました。

      6,7. 現代のクリスチャン会衆は,イエスから託された仕事にどのように取り組んでいますか。

      6 1世紀も今も,クリスチャン会衆は同じ仕事に打ち込んでいます。イエスが弟子たちに託した,とてもやりがいのある仕事です。イエスは言いました。「全ての国の人々を弟子としなさい。父と子と聖なる力の名によってバプテスマを施し,私が命令した事柄全てを守るように教えなさい」。(マタ 28:19,20)

      7 エホバの証人はみんなでこの仕事に取り組んでいます。世界にはたくさんの言語があり,伝道するのは簡単ではありませんが,エホバの証人は1000以上の言語で出版物を提供してきました。あなたもクリスチャン会衆と一緒に,神の王国の良い知らせを伝え,教えていますか。世界人口に比べると,そうしている人は決して多くありません。エホバのことを知っていて,エホバのために語れるというのは本当に素晴らしいことです。

      8. 会衆はどのようにクリスチャン一人一人のためになっていますか。

      8 この大変な時代でも前向きにやっていけるよう,エホバは助け合える仲間を与えてくれています。そういう仲間が世界中にいます。パウロはヘブライ人のクリスチャンにこう書きました。「互いのことをよく考えて,愛を表し立派な行いをするよう勧め合いましょう。仲間と集まることを怠ってはなりません。よく欠席する人たちに倣わないようにし,いつも励まし合いましょう。定められた日が近づいているのですから,ますますこうしたことを行っていきましょう」。(ヘブ 10:24,25)クリスチャン会衆があるおかげで,仲間を元気づけられますし,仲間から元気づけてもらうこともできます。家族のような仲間たちといつも支え合いましょう。集会に行くことを欠かさないようにしましょう。

      「誰もが自分の言語で……聞いた」(使徒 2:5-13)

      人でにぎわう通りでイエスの弟子たちがユダヤ人や改宗者たちに伝道している。

      「神の偉大な働きについて彼らが私たちの言語で話すのを聞いているのだ」。使徒 2:11

      9,10. どんな努力をして伝道している人たちがいますか。

      9 想像してみてください。33年のペンテコステの日,集まったユダヤ人とユダヤ教に改宗した人たちが興奮に包まれています。大半の人たちは共通の言語(ギリシャ語かヘブライ語)を話していたはずです。ところが,自分の国の言語が聞こえてきます。弟子たちがその言語で話しています。(使徒 2:6)母語で良い知らせを聞けたことに,きっと感動したでしょう。現代のクリスチャンは,奇跡的に外国語を話せるようにはなりません。でも,外国語で伝道している人たちがたくさんいます。言語を学んで,国内の外国語会衆で奉仕したり,外国に移住したりしています。母語で良い知らせを聞くと,多くの人は心を動かされます。

      10 例えば,クリスティーンがした経験があります。クリスティーンは,エホバの証人のグジャラティー語講座を受講しました。生徒は全部で8人でした。その講座のおかげで,グジャラティー語を話す同僚の若い女性に,学んだ言語であいさつできました。すると女性は驚いて,どうしてこんなに難しい言語を学んでいるのか尋ねてきました。聖書について良い会話ができました。女性はこう言いました。「きっととても大事なことを伝えようとしているのね」。

      11. 外国語を話す人に伝道するためにどんなことができますか。

      11 もちろん,みんなが外国語を勉強できるわけではありません。それでも,できることがあります。JW Language®を活用できます。このアプリを使えば,町でよく聞かれる言語のあいさつを覚えたり,会話を始めるための簡単なフレーズを学んだりできます。また,jw.orgを開いてもらって,相手の言語の動画や記事を紹介することもできます。そのようにすれば,相手の母語で良い知らせを伝えた1世紀のクリスチャンと同じような楽しい伝道ができるかもしれません。

      メソポタミアとエジプトのユダヤ人

      「イエス・キリストの時代のユダヤ人の歴史」(紀元前175年-紀元135年[ドイツ語])という本にはこうあります。「メソポタミア,メディア,バビロニアには,[イスラエルの]十部族王国およびユダ王国の民の末裔が住んでいた。アッシリア人やバビロニア人によるかつての強制移住の結果である」。エズラ 2章64節によると,バビロン捕囚からエルサレムに帰還したのは,わずか4万2360人のイスラエル人でした。紀元前537年のことです。フラウィウス・ヨセフスによれば,西暦1世紀に「バビロニア周辺に住んでいた」ユダヤ人は,数万人に上りました。3世紀から5世紀に,それらユダヤ人の間で,バビロニア・タルムードとして知られる文書が書かれました。

      文献証拠からすると,遅くとも紀元前6世紀にはユダヤ人がエジプトに住んでいました。その時期にエレミヤは,メンフィスをはじめエジプト各地にいたユダヤ人に向けて語りました。(エレ 44:1,脚注)ヘレニズム時代に,大勢の人がエジプトに移住したようです。ヨセフスは,アレクサンドリアの最初の定住者の中にユダヤ人がいたと言っています。やがて,その都市の一地区全体がユダヤ人居住区となりました。1世紀にユダヤ人の著述家フィロンは,100万人の同胞が「リビア側……からエチオピアとの境界まで」エジプト全土に住んでいる,と言いました。

      「ペテロが……立ち上が[った]」(使徒 2:14-37)

      12. (ア)ヨエルはどんなことを預言していましたか。(イ)イエスの弟子たちは,ヨエルの預言の通りのことが起きていると分かりました。どうしてだと考えられますか。

      12 「ペテロが……立ち上がり」,いろんな国から来た人たちに語り掛けます。(使徒 2:14)ペテロは,弟子たちが外国語を話せるようになったのは神による奇跡で,これはヨエルが預言していたことだと説明します。「私は聖なる力をあらゆる人に注ぐ」という預言です。(ヨエ 2:28)イエスも天に行く前,弟子たちに「私は天の父にお願いします。父は別の援助者を与えて……くださいます」と言い,この「援助者」は「聖なる力」だと言っていました。(ヨハ 14:16,17)

      13,14. ペテロはどのように話しましたか。私たちはどのように倣えますか。

      13 ペテロは最後にきっぱりとこう言います。「イスラエル国民は皆,神がその方を主ともキリストともしたことをはっきりと知ってください。そのイエスをあなた方は杭に掛けて処刑したのです」。(使徒 2:36)聞いていたイスラエル国民の大半は,イエスが杭に掛けられた時その場にいなかったはずです。でも1つの国民として共同責任がありました。とはいえ,ペテロは敬意を込めて話し,心に訴え掛けます。責めたいわけではなく,ぜひ心を入れ替えてほしいと思っていました。みんなどう反応したでしょうか。「心を刺され」,「私たちはどうしたらよいのですか」と尋ねました。ペテロが親身になって話し掛けたので,みんな心を入れ替えることができました。(使徒 2:37)

      14 ペテロに倣って,心に訴え掛けるような伝道をしたいと思います。相手が間違ったことを言ってもいちいち指摘したりせず,共感できる点に注目しましょう。同じ視点に立つことができれば,聖書から話すきっかけが見つかり,説明しやすくなります。そうやって相手に寄り添いながら伝えると,きっと心に響くはずです。

      ポントスでのキリスト教

      33年のペンテコステの日にペテロの話を聞いた人たちの中には,小アジア北部のポントスという地域から来たユダヤ人がいました。(使徒 2:9)その中には,聞いた良い知らせを故郷でも伝えた人たちがいたようです。ペテロが,ポントスなど各地に「散っている」クリスチャンに宛てて最初の手紙を書いているからです。g (ペテ一 1:1)その手紙によれば,それらのクリスチャンは信仰を守ったため,「さまざまな試練に悩まされて」いました。(ペテ一 1:6)反対や迫害などに遭ったようです。

      ローマの属州ビチニア・ポントスの総督だった小プリニウスとトラヤヌス帝とが交わした書簡から,ポントスのクリスチャンがさらに試練に遭ったことが読み取れます。112年ごろ,小プリニウスはポントスから手紙を書き,キリスト教という「悪疫」が性別・年齢・身分を問わず,あらゆる人を脅かしている,と報告しています。小プリニウスは,クリスチャンとして告発された人に信仰を捨てる機会を与え,信仰を捨てない人を処刑しました。キリストを侮辱したり,神々あるいはトラヤヌスの像に祈りを唱えたりした人は,釈放されました。こうしたことを「本物のクリスチャンは強制されても行わない」と小プリニウスも認めていたのです。

      g 「散っている」という表現は,「ディアスポラの」という意味のギリシャ語から来ています。この表現はユダヤ人を連想させ,最初にクリスチャンになった人たちの中にユダヤ人コミュニティーの人が多かったということを示唆しています。

      「一人一人,……バプテスマを受けなさい」(使徒 2:38-47)

      15. (ア)ペテロは何と言いましたか。反応はどうでしたか。(イ)ペンテコステの日にバプテスマを受けた人たちが衝動的にそうしたわけではない,といえるのはどうしてですか。

      15 ペテロは続けて,聞いていたユダヤ人とユダヤ教に改宗した人たちにこう言います。「悔い改めなさい。そして一人一人,……バプテスマを受けなさい」。(使徒 2:38)それを聞いて,このペンテコステの日,約3000人がバプテスマを受けました。e エルサレム市内か近郊の池で受けたと思われます。彼らは単に気分が盛り上がったので,そうしたのでしょうか。今聖書を学んでいる大人や子供たちはどうでしょうか。いっときの感情だけでバプテスマを受けてよいのでしょうか。いいえ,そうではありません。この日バプテスマを受けた人たちは,聖書をよく学んでいましたし,国民としてエホバに献身したイスラエル人でした。また,すでに信仰が行動に表れていました。年に1度のこの祭りのために遠くからやって来ていました。そして今回,イエス・キリストには神から与えられた大切な役目があるということを初めて知って,これからはキリストの後に従いつつ神に仕えていきたいと思いました。それでバプテスマを受けました。

      「改宗者」とはどんな人か

      33年のペンテコステの日,「ユダヤ人や改宗者」がペテロの話を聞きました。(使徒 2:10)

      毎日の食料を配るという「必要な仕事」を行うよう任命された資格ある男性の1人は,「アンティオキアの改宗者」ニコラオでした。(使徒 6:3-5)改宗者とは,ユダヤ教に改宗した異国人(ユダヤ人ではない人)のことです。改宗者はあらゆる面でユダヤ人と見なされました。イスラエルの神と律法を受け入れ,ほかの神々を崇拝するのをやめ,男性なら割礼を受け,イスラエル国民の1人になったからです。

      ユダヤ人が紀元前537年にバビロン捕囚から解放された後,多くのユダヤ人はイスラエルから遠く離れた所に定住し,ユダヤ教を実践し続けました。こうして,古代の近東やその周辺地域の人々は,ユダヤ人の宗教を知るようになりました。ホラティウスやセネカといった古代の著述家は,さまざまな地方の大勢の人がユダヤ人とユダヤ教の信条に引き付けられ,ユダヤ人コミュニティーに加わって改宗者になった,と言っています。

      16. 1世紀のクリスチャンはどのように助け合いましたか。

      16 バプテスマを受けた人たちには,エホバからの支えがありました。こう書かれています。「信者となった人は皆一緒にいて全ての物を共有し,所有物や財産を売っては,収益を全ての人にそれぞれの必要に応じて分配した」。f (使徒 2:44,45)こういう助け合いの心に私たちも倣いたいと思います。

      17. バプテスマの前にどんなステップを踏む必要がありますか。

      17 聖書によれば,クリスチャンの献身とバプテスマの前には幾つかのステップがあります。まず,聖書を学んで知識を身に付けます。(ヨハ 17:3)そして信仰を育み,これまでの良くない行いを反省し,心から悔やみます。(使徒 3:19)それから生き方を変え,いつも神に喜ばれる正しいことを行うようにします。(ロマ 12:2。エフェ 4:23,24)こうしたステップの後,祈りの中で「あなたにお仕えします」と神に約束して献身し,バプテスマを受けます。(マタ 16:24。ペテ一 3:21)

      18. キリストの弟子になった人には,どんな大切な仕事が任されていますか。

      18 あなたは,献身してバプテスマを受け,イエス・キリストの弟子になりましたか。もしそうなら,あなたには大切な仕事が任されています。聖なる力に満たされた1世紀のクリスチャンと同じように,神の王国について徹底的に教え,エホバのために働くことができます。

      a 「エルサレム ユダヤ教の中心地」という囲みを参照。

      b 「ローマ 帝国の首都」,「メソポタミアとエジプトのユダヤ人」,「ポントスでのキリスト教」という囲みを参照。

      c この「舌」は「炎のよう」でした。実際の火だったわけではありません。まるで燃える炎のように見えたということと思われます。

      d 「『改宗者』とはどんな人か」という囲みを参照。

      e ちなみに,1993年8月7日,ウクライナのキーウで開かれたエホバの証人の国際大会では,6つのプールで7402人がバプテスマを受けました。全員が受け終わるまでに2時間15分かかりました。

      f これは一時的な取り決めであり,遠くから来ていた人たちがもう少しエルサレムにとどまって,キリストについての教えをさらに学べるようにするためのものでした。みんなが親切心で行っていたことで,共産主義的なことではありません。(使徒 5:1-4)

  • 「教育のない普通の人」
    神の王国について徹底的に教える
    • 4章

      「教育のない普通の人」

      エホバに頼った使徒たちの勇気ある行動が報われる

      使徒 3:1–5:11

      1,2. 神殿の門の近くで,ペテロとヨハネはどんな奇跡を起こしましたか。

      午後の傾いた太陽が,行き交う人たちを照らしています。神を畏れるユダヤ人とキリストの弟子たちが神殿の境内に入っていきます。もう少しで「祈りの時間」です。a (使徒 2:46; 3:1)人混みの中にペテロとヨハネもいて,神殿の「美しい門」に向かっています。すると,大勢の話し声や足音がする中,男性が声を張り上げるのが聞こえます。生まれつき足が不自由な中年の男性が,物乞いをしています。(使徒 3:2; 4:22)

      2 ペテロとヨハネがやって来るのを見て,男性はいつものせりふを叫び,お金を乞います。2人が足を止めると,男性は期待してじっと見つめます。ペテロがこう言います。「銀や金はありませんが,私にあるもの,それを与えます。ナザレ人イエス・キリストの名によって,歩きなさい!」それからペテロは,男性の手をつかんで立ち上がらせます。男性は生まれて初めて真っすぐに立ちました。見ていた群衆はどんなにか驚いたことでしょう。(使徒 3:6,7)男性は治った足を見下ろし,そっと一歩を踏み出します。どんな気持ちだったでしょうか。跳びはねながら神を大声で賛美したのも,不思議ではありません。

      3. ペテロはどのようにして,銀や金よりもはるかに価値のあるものを男性と群衆に与えましたか。

      3 興奮に包まれた群衆が,ソロモンの柱廊にいるペテロとヨハネの所に走り寄ってきます。イエスも以前ここに来て教えたことがあります。(ヨハ 10:23)ペテロは,今起きたことはいったい何だったのかを説明します。そして,癒やしよりももっと大事なことをします。悔い改めてエホバに罪を消し去ってもらい,「命へと導く方」イエスの後に従うよう,勧めました。(使徒 3:15)こうしてペテロは確かに,銀や金よりもはるかに価値のあるものをその男性と群衆に与えました。

      4. (ア)この日の出来事をきっかけに,どんな対立が始まりましたか。(イ)これからどんなことを考えますか。

      4 とても素晴らしい日です。生まれつき歩けなかった人が癒やされ,歩けるようになりました。たくさんの人たちが,「エホバに仕える人にふさわしい歩み方」を教わりました。(コロ 1:9,10)この日の出来事をきっかけに,キリストの後に従うクリスチャンと,伝道を阻もうとする権力者たちとの対立が始まりました。(使徒 1:8)「教育のない普通の人」だったペテロとヨハネの教え方から,どんなことを学べるでしょうか。b (使徒 4:13)反対に遭ったとき,どのように弟子たちに倣えるでしょうか。

      「私たちの力による」のではない(使徒 3:11-26)

      5. ペテロの教え方にどのように倣えますか。

      5 ペテロとヨハネの前にいる群衆の中には,イエスが処刑される時に「杭に掛けろ!」と叫んだ人たちがいたかもしれません。2人はそのことを知っていたはずです。(マル 15:8-15。使徒 3:13-15)それでも,ペテロは恐れずに真実をありのままに語り,イエスの名(権威と力)によって男性は癒やされたと説明しました。かなり勇気があったことが分かります。聞いている人たちにもイエスを殺した責任があることを率直に話しました。でも彼らを憎んではいませんでした。彼らは「よく知らずに行動した」からです。(使徒 3:17)ペテロは「兄弟たち」と呼び掛け,神の王国の良い知らせに注意を引きました。悔い改めてイエスに信仰を持てば,「爽やかにする時期がエホバから来[ます]」。(使徒 3:19)私たちも,神の裁きの日について勇気を持って率直に伝えます。でも,相手を不快にさせるような話し方や厳しい言い方はしません。私たちの兄弟になる見込みのある人だと考えて話します。そして,ペテロのように,神の王国が実現させる良いことに注目してもらうようにします。

      6. ペテロとヨハネが謙虚だったことは,どんなことから分かりますか。

      6 ペテロもヨハネも謙虚な人たちでした。自分たちの力で奇跡を起こしたわけではないことを認めます。ペテロはこう言いました。「なぜこのことにそんなに驚いて私たちを見つめているのですか。この人が歩けるようになったのは,私たちの力によるのでも,私たちが神への専心を示しているからでもありません」。(使徒 3:12)使徒たちは,宣教で達成するどんなことも,自分たちの力ではなく神の力による,ということを分かっていました。それで謙虚に,自分たちではなくエホバとイエスが称賛されるようにしました。

      7,8. (ア)ペテロに倣って,人々をどのように助けることができますか。(イ)預言されていた「全ての事柄の回復」が今どのように起きていますか。

      7 神の王国について伝道するとき,私たちも謙虚でいたいと思います。もちろん,現代のクリスチャンが聖なる力によって癒やしの奇跡を起こすことはありません。それでもペテロに倣って,神とキリストへの信仰を育むよう助けたいと思います。そして,エホバに罪を許してもらって爽やかになるよう勧めましょう。そう勧められ,毎年たくさんの人がバプテスマを受け,キリストの弟子になっています。

      8 今は,ペテロが話した「全ての事柄の回復」の時です。私たちはそういう時代に生きています。「神が昔の聖なる預言者たちを通して語った」言葉の通り,1914年に神の王国が天につくられました。(使徒 3:21。詩 110:1-3。ダニ 4:16,17)王になったキリストは間もなくして,地球に真の崇拝を回復させることに取り掛かりました。そのおかげで,何百万もの人たちが神の王国の国民となり,楽園にいるかのような幸せを味わっています。それまでの望ましくない「古い人格を脱ぎ捨て」,「神の意志に沿って形作られ」た「新しい人格を身に着け」ています。(エフェ 4:22-24)そういう大きな変化は,人間の力ではなく神の聖なる力によるものです。足が不自由な人が癒やされた奇跡と同じです。それでペテロのように,聖書を上手に使い,神が助けてくれることを信じて教えていきましょう。キリストの弟子になるよう助けることは,私たちの力ではなく神の力によってのみ可能です。

      「話すのをやめるわけにはいきません」(使徒 4:1-22)

      9-11. (ア)ユダヤ人の権力者たちは,ペテロとヨハネの話を聞いてどう思いましたか。そしてどうしましたか。(イ)ペテロとヨハネはどんなことを決意していましたか。

      9 足が不自由だった人が跳びはねながら大声を上げたり,ペテロが語ったりしたため,辺りは騒がしくなりました。それで,神殿の指揮官(神殿域の治安維持のための監督)と祭司たちが,これは何事かと様子を見にやって来ます。それらの人たちはサドカイ派だったと思われます。サドカイ派とは,政治権力を持つ裕福な教派で,ローマ政府との友好関係を保とうとしている人たちでした。パリサイ派が好んだ口伝律法を認めず,復活を信じるのはばかげていると考えていました。c ペテロとヨハネが神殿で,イエスが復活したと熱く語っているのを知って,相当いら立ったはずです。

      10 サドカイ派の人たちは怒って,ペテロとヨハネを拘束し,翌日ユダヤ人の高等法廷に連れていきます。特権意識の強い権力者たちに言わせれば,ペテロとヨハネは「教育のない普通の人」で,神殿で教える権限はありません。名の知れた宗教学校で学んだりはしていません。それでも2人が堂々と語るのを見て,法廷にいる人たちは不思議に思います。どうしてそんなに教えるのが上手なのでしょうか。1つには,「2人がイエスと一緒にいた」からです。(使徒 4:13)イエスは「律法学者たちのようにではなく,権威を授かった人のように教えて」いました。(マタ 7:28,29)

      11 法廷は2人に,伝道をやめるようにと命じます。当時,法廷の命令にはかなりの効力がありました。少し前,この法廷はイエスについて「この者は死に値する」と宣告したばかりです。(マタ 26:59-66)それでも,ペテロとヨハネはおじけづいたりしません。裕福で高学歴の権力者たちの前で,恐れずに,でも敬意を込めてこう言います。「神よりもあなた方の言うことを聞く方が,神から見て正しいことなのかどうかは,自分たちで判断してください。しかし,私たちとしては,見聞きしたことについて話すのをやめるわけにはいきません」。(使徒 4:19,20)

      大祭司と祭司長たち

      大祭司は神の前でイスラエル人たちを代表しました。1世紀には,サンヘドリンの長でもありました。大祭司だけでなく祭司長たちも,ユダヤ人の指導者となっていました。その中には,アンナスのような以前の大祭司や,大祭司が選ばれる家族の成人男性がいました。そういう家族は4つか5つだったと思われます。祭司たちの間では,「それら特別の家族の1つに属しているというだけでも,とりわけ名誉なことと見なされたに違いない」と,学者のエミール・シューラーは書いています。

      聖書によれば,大祭司の任期は生涯にわたるものでした。(民 35:25)しかし,「使徒の活動」の時代には,ローマの総督やローマから指名された王が,大祭司の任命と解任を自由に行いました。とはいえ,それら異教の統治者たちもアロンの家系の祭司の中から大祭司を選んだようです。

      12. どうすれば,恐れずに語れるようになりますか。

      12 あなたにも同じような勇気がありますか。富裕層の人,高学歴の人,有名人や有力者に伝道することになったら,どう感じますか。家族や親族,クラスメート,同僚から,「変な宗教をやっている」とばかにされたら,おどおどしてしまいますか。もしそうだとしても,大丈夫です。そういう気持ちは乗り越えられます。イエスは,自分の信仰について敬意を込めながらはっきりと語るためのアドバイスをくれています。(マタ 10:11-18)そして,「私は体制の終結までいつの日もあなたたちと共にいる」と約束しています。(マタ 28:20)イエスの指導の下,「忠実で思慮深い奴隷」もトレーニングしてくれています。(マタ 24:45-47。ペテ一 3:15)「クリスチャンとしての生活と奉仕」などの集会や,jw.orgの「聖書 Q&A」などの記事から,どう話せばよいかを学べます。こういったものを十分に活用すれば,恐れずに語れるようになります。きっとペテロやヨハネと同じように,学んだことについて話すのをやめるわけにはいかない,という気持ちになるはずです。

      休憩中に姉妹が同僚に聖書から話している。

      学んだことを語るのをやめないようにしましょう。

      「神に向かって声を上げ[た]」(使徒 4:23-31)

      13,14. 反対に遭ったときはどうするとよいですか。なぜですか。

      13 ペテロとヨハネは釈放されると,すぐに会衆のみんなに会いに行きます。仲間たちは「神に向かって声を上げ」,大胆に伝道し続けられるようにと祈っていました。(使徒 4:24)ペテロは,自分の力に頼るのがどれほど愚かなことか,痛いほど知っています。少しばかり前,自信たっぷりにイエスにこう言いました。「ほかのみんながあなたを見捨てても,私は決して見捨てません!」しかし,イエスが言った通り,恐れに負けて大切なイエスのことを見捨ててしまいました。それでもペテロは失敗からきちんと学びました。(マタ 26:33,34,69-75)

      14 ただ決意するだけでは,キリストについて語る使命を果たすことはできません。信仰を捨てるよう圧力をかけられたり,伝道をやめるよう言われたりしたときは,ペテロとヨハネの手本を思い出しましょう。力を下さいとエホバに祈りましょう。会衆の人たちにも支えてもらえます。長老や信頼できる仲間に話してください。仲間の祈りは,頑張るための大きな力になります。(エフェ 6:18。ヤコ 5:16)

      15. 伝道をやめてしまったことがあるとしても,心配要りません。どうしてですか。

      15 恐れに負けて伝道をやめてしまったことがあるとしても,心配要りません。イエスの使徒たちも,イエスの死後みんな伝道をやめてしまいました。でも,すぐに再び伝道を始めました。(マタ 26:56; 28:10,16-20)過去にとらわれるのではなく,失敗から学び,仲間を助けるためにその経験を生かしましょう。

      16,17. エルサレムに集まっていた弟子たちの祈りから,どんなことを学べますか。

      16 迫害を受けるとき,何を祈り求めるとよいでしょうか。弟子たちは,迫害から逃れられますようにとは祈りませんでした。彼らはイエスがこう言ったのを覚えていました。「世の人々が私を迫害したのであれば,あなたたちをも迫害します」。(ヨハ 15:20)弟子たちはただ,「彼らの脅しに注意を向け」てくださいとエホバに祈りました。(使徒 4:29)起きている事をもっと大きな視野で見ていました。迫害はあらかじめ預言されていたことで,今まさに自分たちがそれを経験していると考えました。権力者たちが何を言うとしても,神が望んでいることは「地上でも行われ」ます。イエスから教わった通り,弟子たちはそのことを願い,祈りました。(マタ 6:9,10)

      17 エホバの望むことを行えるよう,弟子たちはこう祈りました。「あなたの奴隷たちができる限り大胆にあなたの言葉を語り続けられるようにしてください」。エホバはすぐに答えてくれました。「集まっていた場所は揺れ動いた。そして一人残らず聖なる力に満たされて,神の言葉を大胆に語るのだった」と書かれています。(使徒 4:29-31)神が行うことは誰にも邪魔できません。(イザ 55:11)どんなに追い詰められ,どんなに敵が強くても,祈って助けを求めれば,神は伝道し続ける勇気と力を与えてくれます。

      「人ではなく神に」責任を問われる(使徒 4:32–5:11)

      18. エルサレムの会衆の人たちはどのように助け合いましたか。

      18 エルサレムの新しい会衆はすぐに5000人以上に増えました。d いろいろな場所から来た人たちでしたが,「心と思いを一つ」にしています。同じ思い,同じ考え方でしっかりと団結しています。(使徒 4:32。コリ一 1:10)弟子たちは祈ってエホバに助けを求めるだけでなく,仲間同士で助け合いました。信仰を強め合い,必要なときにはお金や物も分け合いました。(ヨハ一 3:16-18)例えば,ヨセフ(使徒たちからバルナバとも呼ばれた)は持っていた土地を売り,全額を仲間のために寄付しました。遠くからエルサレムに来ていた仲間たちがもう少しとどまって,キリストについての教えをもっと学べるようにするためでした。

      19. アナニアとサッピラがエホバに打たれて死んだのはどうしてですか。

      19 アナニアとサッピラという夫婦も所有地を売り,寄付をしました。でも,全額を寄付したように見せ掛け,「その代金の一部をひそかに取って」おきました。(使徒 5:2)2人はエホバに打たれて死にます。金額が少なかったからではありません。寄付をした動機が悪く,うそをついたからです。「人ではなく神にうそをつきました」。(使徒 5:4)神に認められることよりも,人に称賛されることを求めていました。イエスが非難した偽善者たちのようになっていました。(マタ 6:1-3)

      20. エホバへの奉仕や寄付についてどんなことを学べますか。

      20 1世紀のエルサレムの弟子たちと同じように,現代のエホバの証人も世界的な伝道をサポートするために喜んで寄付しています。伝道のために時間を使ったりお金を寄付したりするよう強制されることはありません。エホバは,私たちが嫌々奉仕したり,誰かに強いられて仕えたりすることを望んでいません。(コリ二 9:7)私たちが寄付するとき,エホバが注目しているのはその額ではなく,どんな気持ちでそうしたかです。(マル 12:41-44)自分の利益のためや人から称賛を受けるためにエホバに仕えるとしたら,アナニアとサッピラのようになってしまいます。私たちがエホバに仕えるのは,神と仲間を心から愛しているからです。いつもそういう気持ちでいたペテロ,ヨハネ,バルナバに倣いましょう。(マタ 22:37-40)

      ペテロ 漁師が熱心な使徒になる

      聖書の中で,ペテロは5つの名前で呼ばれています。ヘブライ語のシメオンとそれに相当するギリシャ語のシモン,またペテロとそれに相当するセム語のケファ,そして2つの名前を組み合わせたシモン・ペテロです。(マタ 10:2。ヨハ 1:42。使徒 15:14)

      使徒ペテロが魚でいっぱいの籠を持っている。

      ペテロは結婚していて,しゅうとめや兄弟と同居していました。(マル 1:29-31)ガリラヤの海の北岸の町ベツサイダ出身の漁師でした。(ヨハ 1:44)カペルナウムの近くに移り,そこに住みました。(ルカ 4:31,38)イエスがガリラヤの海の岸辺に集まった大勢の人に話をした時,腰を下ろしていたのはペテロの舟でした。そのすぐ後,ペテロはイエスの指示通りにして,奇跡的にたくさんの魚を取ります。ペテロが怖くなってひざまずくと,イエスは,「恐れることはありません。今後,あなたは人を生きたまま捕るのです」と言います。(ルカ 5:1-11)ペテロは,兄弟のアンデレ,ヤコブやヨハネと一緒に漁をしていました。4人とも,イエスから「私に付いてきなさい」と言われ,漁業をやめることにします。(マタ 4:18-22。マル 1:16-18)約1年後,イエスは「使徒」(「遣わされた人」という意味)を12人選び,ペテロはその1人になりました。(マル 3:13-16)

      イエスは,大事なときにはよく,ペテロ,ヤコブ,ヨハネを連れていきました。3人は,高い山でイエスの姿が変わって輝いた時,イエスがヤイロの娘を復活させた時,イエスがゲッセマネの庭園で苦悩していた時,その様子を目にしました。(マタ 17:1,2; 26:36-46。マル 5:22-24,35-42。ルカ 22:39-46)イエスの臨在のしるしについて尋ねたのも,この3人とアンデレでした。(マル 13:1-4)

      ペテロは,素直に思ったことを口にする熱い人で,衝動的なところもありました。仲間よりも先に話すことが多かったようです。福音書に載せられているペテロの発言は,ほかの11人の使徒全員の発言の数を上回っています。ペテロは,ほかの人たちが黙っている時でも質問をしました。(マタ 15:15; 18:21; 19:27-29。ルカ 12:41。ヨハ 13:36-38)イエスが足を洗おうとした時には,最初は拒みましたが,ひとたびイエスの気持ちを知ると,手も頭もお願いしますと言いました。(ヨハ 13:5-10)

      ペテロは心配のあまりイエスを説得しようとして,苦しめられて殺されるようなことは決してない,と言いました。しかし,その間違った考えをイエスからはっきり正されました。(マタ 16:21-23)イエスが亡くなる前の晩,ペテロは,ほかの使徒たちがイエスを見捨てても自分はそうしないと言い切りました。イエスが捕まえられた時,勇敢にも剣を振るってイエスを守ろうとし,その後,大祭司の家の中庭まで付いていきました。ところが間もなく,イエスのことは知らないと3度も言い,自分のしたことに気付いて激しく泣きました。(マタ 26:31-35,51,52,69-75)

      イエスが復活後,ガリラヤで最初に使徒たちに姿を見せる少し前,ペテロは漁に行ってくると言い,ほかの使徒たちも一緒に行きました。イエスが浜辺にいるのが分かると,ペテロはすぐさま水に飛び込み,岸まで泳ぎます。イエスは使徒たちのために朝食として魚を焼き,それからペテロに,「これら以上に私を愛していますか」と尋ねます。「これら」とは,目の前にあった,使徒たちが取った魚のことでした。イエスは,漁業に打ち込むのではなく「私の後に従」うことに専念しなさい,とペテロに勧めました。(ヨハ 21:1-22)

      62年から64年ごろ,ペテロは現在のイラクに位置するバビロンで良い知らせを伝えました。そこにはユダヤ人が大勢いました。(ペテ一 5:13)ペテロは,自分の名の付いた第一の手紙をバビロンで書き,第二の手紙もおそらくそこで書きました。イエスが,「割礼を受けた人たちに使徒として仕えるようペテロに力を与え」ました。(ガラ 2:8,9)ペテロは人のことを温かく思いやりながら,熱い心で任務を果たしました。

      ヨハネ イエスの愛する弟子

      使徒ヨハネはゼベダイの子で,使徒ヤコブの兄弟でした。母親の名前はおそらくサロメで,サロメはイエスの母親マリアの姉妹だったと思われます。(マタ 10:2; 27:55,56。マル 15:40。ルカ 5:9,10)ですから,ヨハネはイエスの親戚だったのかもしれません。ヨハネの家族は裕福だったようです。ゼベダイは人を雇うほどの規模で漁業を営んでいました。(マル 1:20)サロメはガリラヤでイエスに同行して仕え,イエスの死後,遺体の処置のために香料を持っていきました。(マル 16:1。ヨハ 19:40)ヨハネは自分の家を持っていたと思われます。(ヨハ 19:26,27)

      使徒ヨハネが巻物を持っている。

      ヨハネはバプテスマを施す人ヨハネの弟子だったようです。バプテスマを施す人ヨハネがイエスを見て,「見なさい,神の子羊です!」と言った時に,ヨハネはアンデレと一緒にそこにいたと思われます。(ヨハ 1:35,36,40)この出来事の後,ゼベダイの子ヨハネはイエスに付いてカナに行き,イエスの最初の奇跡を目にしたようです。(ヨハ 2:1-11)イエスがその後エルサレム,サマリア,ガリラヤで行ったことも,ヨハネは実際に見たと考えられます。福音書に生き生きと詳しく書いているからです。イエスから「私に付いてきなさい」と言われた時,ヤコブ,ペテロ,アンデレと同様,漁網や舟を手放して仕事を辞めたことから,ヨハネが信仰のあつい人だったことが分かります。(マタ 4:18-22)

      ヨハネは福音書の中でペテロほど目立ってはいません。とはいえ,ヨハネも熱い人でした。それでイエスは,ヨハネとその兄弟ヤコブをボアネルゲス(「雷の子たち」という意味)と呼びました。(マル 3:17)ヨハネは最初の頃,野心があり,目立とうとしていました。ある時,ヤコブと一緒に,王国で高い地位に就かせてほしいと,母親を通してイエスに頼みました。自分のことを考え過ぎていたようですが,王国がつくられることを固く信じていたのが分かります。この出来事を受けてイエスは,謙虚になることの大切さを使徒たちみんなに教えました。(マタ 20:20-28)

      強気な一面があったヨハネは,イエスの弟子ではない人がイエスの名によって邪悪な天使を追い出すのをやめさせようとしました。また,イエスと弟子たちを歓迎しようとしなかったサマリア人の村に,天から火を下らせようとしたこともあります。どちらの時も,イエスはヨハネの間違いを正しました。やがてヨハネは,憐れみ深くバランスの取れた人になりました。(ルカ 9:49-56)そういう欠点があっても,ヨハネは「イエスの愛する弟子」で,イエスから母親マリアの世話を頼まれるほどでした。(ヨハ 19:26,27; 21:7,20,24)

      イエスが預言していたように,ヨハネは長生きしました。使徒たちの中で最後に亡くなった人でした。(ヨハ 21:20-22)約70年間エホバに心を込めて仕えました。晩年,ローマ皇帝ドミティアヌスの治世中に,「神について語り,イエスについて証言したために」パトモス島へ流刑にされました。その島で96年ごろ神からの幻を見,それを「啓示」の書に記録しました。(啓 1:1,2,9)伝承によると,ヨハネは釈放後エフェソスに行き,自分の名の付いた福音書と,ヨハネ第一,第二,第三の手紙を書き,そこで100年ごろに亡くなりました。

      a 神殿では,朝と夕方,捧げ物をする時に祈りが捧げられました。夕方の捧げ物の時間は「午後3時」ごろでした。

      b 「ペテロ 漁師が熱心な使徒になる」,「ヨハネ イエスの愛する弟子」という囲みを参照。

      c 「大祭司と祭司長たち」という囲みを参照。

      d 33年当時のエルサレムでは,パリサイ派の人たちの数が6000人ほどで,サドカイ派の人たちの数はもっと少なかったようです。これらの教派の人たちが,イエスの教えが広まっていくのを脅威に感じたのもうなずけます。

  • 「私たちは……神に従わなければなりません」
    神の王国について徹底的に教える
    • 5章

      「私たちは……神に従わなければなりません」

      使徒たちの動じない姿勢は,現代のクリスチャンの手本になっている

      使徒 5:12–6:7

      1-3. (ア)使徒たちが高等法廷に連れてこられたのはどうしてですか。使徒たちはどんな選択を迫られましたか。(イ)使徒たちの例を調べるとよいのはどうしてですか。

      ユダヤ人の高等法廷サンヘドリンの裁判官たちは,ひどく怒っています。a 裁判にかけられているのは,イエスの使徒たちです。何をしたというのでしょう。サンヘドリンの長である大祭司ヨセフ・カヤファは,「もうあの名によって教えてはならないときっぱり命じた」はずだ,と厳しく言います。激怒したカヤファは,イエスの名前すら口にしたくありません。こう続けます。「あなたたちはエルサレム中で教えを広め,あの男が死んだ責任を私たちに負わせようとしている」。(使徒 5:28)つまり,こう言いたいのです。伝道をやめろ,さもないと容赦はしない。

      2 使徒たちはどうするでしょうか。伝道する任務はイエスから託されました。そのイエスは神から権威を与えられています。(マタ 28:18-20)使徒たちは脅しに屈して,語るのをやめてしまうでしょうか。それとも,ひるまずに勇気を出して伝道を続けるでしょうか。これは言ってみれば,神に従うか人に従うかの選択です。ペテロがためらわずに,使徒たちを代表して答えます。それは,一点の曇りもない,きっぱりとした答えでした。

      3 私たちにも伝道する任務が託されています。使徒たちと同じように反対に遭うかもしれません。(マタ 10:22)活動を制限されたり禁止されたりするかもしれません。そうなったら,どうするとよいでしょうか。使徒たちの例から大切なことを学べます。脅された使徒たちはどうしたでしょうか。サンヘドリンでどんなことがあったでしょうか。調べてみましょう。

      サンヘドリン ユダヤ人の高等法廷

      ユダヤはローマ帝国の属州でしたが,ユダヤ人は一定の自治を認められていて,独自の伝統を守ることができました。軽犯罪や民事事件は地方法廷で扱われ,そこで解決できない問題がエルサレムにあった大サンヘドリンに提出されました。サンヘドリンはユダヤ人の最高法廷であり,国家行政評議会でもありました。ユダヤ人の律法の解釈に関する最終決定権も持っていて,各地のユダヤ人から重んじられていました。

      サンヘドリンの議場は,神殿の境内かそのすぐ近くにあったようです。サンヘドリンは71人で構成されていて,その中には,長である大祭司,祭司階級の貴族(サドカイ派を含む),上流階級の信徒,律法学者がいました。サンヘドリンの決定は最終的なもので,覆ることはありませんでした。

      「エホバの天使が牢屋の戸を開[いた]」(使徒 5:12-21前半)

      4,5. サドカイ派のカヤファと仲間たちが「激しく嫉妬し」たのはどうしてですか。

      4 伝道をやめるようにと最初に言われた時,ペテロとヨハネが何と答えたか思い出してください。「私たちとしては,見聞きしたことについて話すのをやめるわけにはいきません」と答えました。(使徒 4:20)サンヘドリンとぶつかっても,この言葉の通り,2人はほかの使徒たちと一緒に神殿で伝道を続けました。そして「ソロモンの柱廊」で多くの奇跡を起こし,病気の人を治したり,邪悪な天使に苦しめられている人を助けたりしました。何とペテロの影が掛かるだけでも病気が治ったようです。「ソロモンの柱廊」は神殿の東側にある屋根付き通路で,多くのユダヤ人が集まる場所でした。体が癒やされた人の多くは,良い知らせを聞いて信仰を持つようになりました。こうして,「主を信じる者が,男性も女性もますます増えて」いきました。(使徒 5:12-15)

      5 サドカイ派のカヤファと仲間たちは「激しく嫉妬して」,使徒たちを牢屋に入れます。(使徒 5:17,18)サドカイ派の人たちが激怒したのはどうしてでしょうか。使徒たちはイエスが復活したと教えていましたが,サドカイ派は復活を信じていませんでした。使徒たちは,救われるためにはイエスを信じなければいけないと教えていましたが,サドカイ派は,民衆がイエスを支持するとローマから罰せられるのではないかと恐れていました。(ヨハ 11:48)それで,使徒たちの口を封じたいと思っていたのです。

      6. どんな人たちがエホバの証人への迫害をあおることがありますか。それが意外なことではないのはどうしてですか。

      6 現代でも,宗教家たちがエホバの証人への迫害をあおることがよくあります。政府やメディアに働きかけて伝道をやめさせようとします。それは意外なことではありません。私たちはいろいろな宗教の教えが間違っていることを指摘しています。その結果,間違った信条や習慣から自由になった人たちがたくさんいます。(ヨハ 8:32)そのため,私たちはねたまれ,憎まれます。

      7,8. 天使から指示を聞いて,使徒たちはどう思ったはずですか。私たちはどんなことを考えさせられますか。

      7 牢屋で裁判を待つ使徒たちは,このまま殉教するのだろうかと思ったかもしれません。(マタ 24:9)しかし,その晩,思いも寄らないことが起きます。「エホバの天使が牢屋の戸を開き」ました。b (使徒 5:19)天使は,「神殿の中に立ち,……人々に語り続けなさい」と指示します。(使徒 5:20)そう言われた使徒たちは,今までやってきたことは正しかったんだ,と思ったことでしょう。そして,どんなことがあっても動じずに伝道を続けようと思ったはずです。勇気をもらった弟子たちは,「夜明けに神殿に入って教え始め」ました。(使徒 5:21)

      8 私たちはどうでしょうか。使徒たちと同じような状況になっても伝道を続ける信仰と勇気があるか,考えさせられます。「神の王国について徹底的に教え」る活動を天使が今も後押ししてくれています。そのことを思い起こすと,力が湧いてきます。(使徒 28:23。啓 14:6,7)

      「私たちは,人ではなく神に従わなければなりません」(使徒 5:21後半-33)

      激怒したカヤファが使徒たちに詰め寄っている。サンヘドリンのほかの裁判官たちがそれを見ている。

      「こうして使徒たちは連れてこられ,サンヘドリンの前に立たされた」。使徒 5:27

      9-11. 伝道をやめるようにと言われ,使徒たちはどうしましたか。現代のクリスチャンはどのように使徒たちに倣いますか。

      9 サンヘドリンの長カヤファとほかの裁判官たちは,法廷で使徒たちを問い詰める用意ができました。牢屋が空っぽになっていることも知らずに,使徒たちを連れてこさせるために下役たちを遣わします。牢屋に着いた下役たちは驚いたことでしょう。「鍵が掛かっていて,戸の所には見張りが立って」いたのに,中には誰もいなかったからです。(使徒 5:23)神殿の指揮官のもとに,使徒たちが神殿に戻ってキリストについて伝道しているという報告が届きます。それが理由で牢屋に入れられたのに,またやっているのです。指揮官は下役たちと神殿に行き,使徒たちをサンヘドリンに連れていきます。

      10 この章の冒頭で見たように,激怒したカヤファたちは,伝道をやめるようにと使徒たちに言います。ペテロが代表して,こうはっきり答えます。「私たちは,人ではなく神に従わなければなりません」。(使徒 5:29)現代のクリスチャンもこの使徒たちに倣います。当局者たちには市民を治める権利がありますが,神が求めていることを禁じたり,神が禁じていることを求めたりする権限まではありません。それで,たとえ「上位の権威」が伝道を禁止するとしても,私たちは良い知らせを伝えるという神から託された仕事をやめることはありません。(ロマ 13:1)手段を工夫しながら,神の王国について徹底的に教えていきます。

      11 一歩も引かない使徒たちを見て,裁判官たちの怒りは頂点に達します。「使徒たちを殺してしま」おうと考えます。(使徒 5:33)使徒たちは殉教することになるのでしょうか。エホバが意外な方法で助けてくれます。

      「阻止することはできません」(使徒 5:34-42)

      12,13. (ア)ガマリエルはどんな提案をしましたか。提案はどう受け止められましたか。(イ)現代でもエホバはどのように助けてくれることがありますか。たとえ「正しいことのために苦しむ」としても,どんなことは確かですか。

      12 「民に重んじられている律法教師」ガマリエルが発言します。c ガマリエルは仲間の裁判官からも尊敬されていたようです。「使徒たちをしばらく外に出すようにと命令」できるほどだったからです。(使徒 5:34)彼は,リーダーが死ぬとすぐに収まった反乱を引き合いに出し,使徒たちもリーダーのイエスを最近失ったのだから,静観するようにと勧めます。そして,もっともなことを指摘します。「この人たちに手出しせず,放っておきなさい。この計画や活動が人間から出たものであれば,それは阻止されます。しかし,それが神からのものであれば,阻止することはできません。手出しするなら,神に対して戦う者となってしまいかねません」。(使徒 5:38,39)裁判官たちは納得します。とはいえ,使徒たちは打ちたたかれ,「イエスの名によって語るのをやめるようにと命じ」られます。(使徒 5:40)

      13 現代でもエホバは,ガマリエルのような影響力のある人を通して助けてくれることがあります。(格 21:1)事を動かすため,裁判官や政治家や役人たちの心に働き掛けるかもしれません。(ネヘ 2:4-8)もちろんいつもそうするわけではなく,私たちが「正しいことのために苦しむ」場合もあります。(ペテ一 3:14)それでも神は忍耐するための力を与えてくれます。(コリ一 10:13)そして,神がしようとすることは誰も「阻止することはできません」。(イザ 54:17)

      14,15. (ア)打ちたたかれた使徒たちはどうしましたか。そうできたのはどうしてですか。(イ)喜びつつ耐えたクリスチャンのどんな例がありますか。

      14 使徒たちは打ちたたかれて,やる気をなくしてしまったでしょうか。そんなことはありません。「喜びつつ,サンヘドリンの前から出て」いきました。(使徒 5:41)どうして喜んだのでしょうか。体を打ちたたかれたこと自体がうれしかったわけではありません。使徒たちはイエスの生き方に見習い,エホバから見て正しいことを貫いたので,迫害されました。そのことがうれしかったのです。(マタ 5:11,12)

      15 私たちも良い知らせのために苦しむことがあります。それでも,1世紀の兄弟たちと同じように,喜びつつ耐えることができます。(ペテ一 4:12-14)もちろん,迫害されたり刑務所に入れられたりするのは,うれしいことではありません。でも,正しいことを行えているという確信があるので喜べます。ヘンリク・ドルニクもそうでした。兄弟は,全体主義体制の下で何年もひどい仕打ちに耐えました。1944年8月,兄弟とお兄さんは強制収容所に送られることになりました。当局者たちは,「どんな脅しも通用しない。彼らは殉教することも喜べる」と言いました。ドルニク兄弟はこう言っています。「殉教したいわけではありませんでしたが,苦しいときも,エホバへの愛を貫いている確信があったので動じることなく,喜んでいられました」。(ヤコ 1:2-4)

      家の前にいる男性に,夫婦が聖書と出版物を使って伝道している。

      使徒たちに倣って,「家から家へと行って」伝道する。

      16. 使徒たちが徹底的に伝道するつもりでいたことは,どんなことから分かりますか。私たちは使徒たちにどのように倣っていますか。

      16 使徒たちはすぐに伝道を再開します。ひるむことなく,「毎日,神殿で,また家から家へと行って教え,キリストであるイエスについての良い知らせを広め続け」ました。d (使徒 5:42)彼らは徹底的に伝道することを固く決意していました。イエス・キリストの指示通り,家を一軒一軒訪ねたことに注目してください。(マタ 10:7,11-14)そうやってエルサレム中に教えを広めていきました。現代のエホバの証人も同じ方法を取っています。徹底的に伝道するために家を一軒一軒訪問し,みんなが良い知らせを聞けるようにしています。エホバもそのことを喜び,成功させてくれています。今の終わりの時代にたくさんの人が聖書を学んでいて,その多くは最初,家を訪ねてきたエホバの証人から話を聞きました。

      「家から家へ」と行って伝道する

      弟子たちはサンヘドリンから禁じられても,引き続き,「毎日,神殿で,また家から家へ」と行って伝道し,教えました。(使徒 5:42)「家から家へ」とはどういう意味でしょうか。

      原語のギリシャ語はカト オイコンで,直訳すると「家ごとに」という意味です。ある翻訳者たちは,カタという語は「配分的な」意味で理解すべきである,と言っています。弟子たちの伝道は,ある家から別の家へといわば配分されたということです。カタの同様の用法がルカ 8章1節にあり,そこには,イエスが「町から町へ,村から村へ」と旅をして伝道したと書かれています。

      使徒 20章20節では,複数形のカト オイクースが使われています。使徒パウロはクリスチャンの監督たちにこう言いました。「ためらうことなく,……人々の前で,また家から家へと,皆さんを教えました」。これはパウロが長老の家で教えていたということだ,と考える人もいますが,そうではないことは次の節から分かります。こうあります。「神に対する悔い改めと私たちの主イエスへの信仰について,ユダヤ人にもギリシャ人にも徹底的に知らせました」。(使徒 20:21)仲間の信者は,すでに悔い改めてイエスに信仰を持っていました。それで,家から家へと行って伝道して教えるというのは,信者ではない人に話すことでした。

      「必要な仕事」に当たった人たち(使徒 6:1-6)

      17-19. どんな問題が起きましたか。使徒たちはどんなことを指示しましたか。

      17 外からの迫害に加え,会衆の中でも,早くも困ったことが起きます。放っておくと大きな問題になりかねないことです。当時,新たにバプテスマを受けた人たちの多くは遠くから来ていて,もう少しエルサレムにとどまってキリストについて学びたいと思っていました。それで,エルサレム在住のクリスチャンたちは,その人たちのために食料など必要な物を寄付していました。(使徒 2:44-46; 4:34-37)こうした中で,慎重に対応しなければいけない問題が起きます。「ギリシャ語を話すやもめたちが毎日の配給を受けていな」いのです。(使徒 6:1)その一方で,ヘブライ語を話すやもめたちは配給を受けています。言語の違いで,差別が見られているようでした。このままにしておくと,会衆がばらばらになってしまいます。

      18 統治体として奉仕する使徒たちは,「食物を配るために[自分]たちが神の言葉を教えることができ」なくなるのはよくないと考えます。(使徒 6:2)それで,「必要な仕事」に当たってもらうため,「聖なる力と知恵に満ちた」男性を7人選ぶよう兄弟たちに指示します。(使徒 6:3)きちんと仕事をする男性たちが求められていました。食料を配るだけでなく,お金を管理し,物を購入し,記録を正確に付けなければいけなかったからです。選ばれた人たちはみんなギリシャ語名を持っていました。ギリシャ語を話すがっかりしていたやもめたちに配慮してのことと思われます。使徒たちは,推薦された兄弟たちについて祈って考えてから,7人を「必要な仕事」のために任命しました。e

      19 食料を配ることになった7人は,その仕事だけに集中して伝道はしなかったのでしょうか。そんなことはありません。7人のうちの1人だったステファノは,恐れず熱心に伝道する人でした。(使徒 6:8-10)フィリポもその1人で,「福音伝道者」と呼ばれています。(使徒 21:8)7人とも,任命された後も一生懸命伝道したと思われます。

      20. 現代のエホバの証人は,使徒たちにどのように倣っていますか。

      20 現代のエホバの証人は使徒たちに倣っています。会衆で責任を担うよう選ばれる人たちは,神の知恵に頼り,聖なる力に導かれた生き方をしていなければいけません。統治体の指導の下,聖書に書かれている資格にかなった男性たちが,会衆で長老や援助奉仕者として働くよう任命されます。f (テモ一 3:1-9,12,13)それで,そういう男性たちは聖なる力によって任命されているといえます。任命された人たちは「必要な仕事」に真剣に取り組みます。例えば,長老たちは年配の人たちがサポートを受けられるように取り計らいます。(ヤコ 1:27)王国会館の建設や大会の運営のために働く長老,医療機関連絡委員会で奉仕する長老もいます。援助奉仕者は,牧羊したり教えたりすることとは直接関係のないいろいろな仕事をします。長老も援助奉仕者もたくさんの責任を担っていますが,神の王国について伝道することとのバランスをきちんと取ります。(コリ一 9:16)

      「神の言葉は広まって」いった(使徒 6:7)

      21,22. 新しい会衆をエホバが確かに導いていた,といえるのはどうしてですか。

      21 こうして,新しい会衆はエホバに支えられながら,外からの迫害に耐え,中で起きた問題も乗り越えることができました。エホバが確かに導いてくれていました。「神の言葉は広まっていき,弟子の数はエルサレムで大幅に増加していった。そして非常に大勢の祭司たちが信じるようになった」と書かれています。(使徒 6:7)「使徒の活動」には,こういう増加の記録が幾つもあります。(使徒 9:31; 12:24; 16:5; 19:20; 28:31)現代の私たちも,世界各地での伝道の成果について聞くと,うれしい気持ちになります。

      22 1世紀の宗教指導者たちはまだ攻撃の手を緩めません。迫害の波がやって来ようとしていました。まずステファノが標的になります。次の章で見てみましょう。

      ガマリエル ラビたちからとても尊敬された人

      「使徒の活動」に出てくるガマリエルは一般に,ヒレルの孫である長老ガマリエルとされています。ヒレルはパリサイ主義の2つの学派のうち穏健派の開祖でした。ガマリエルはサンヘドリンでリーダー的存在でした。ラビたちからとても尊敬されていて,「ラバン」という尊称を受けた最初の人でした。「長老ラバン・ガマリエルが死去すると,律法の栄光は終わり,清さと節制は消えうせた」と,ミシュナ(口伝律法や口頭伝承をまとめたもの)に書かれています。彼は,人情味のあるさまざまな法を制定したとされています。「ユダヤ大百科事典」(英語)にはこう書かれています。「特に重要なのは,女性の再婚は夫の死亡に関するただ一人の証人の証言に基づいて許されるという決定である」。さらに,妻を無節操な夫から,やもめを無節操な子供から守る法を制定し,貧しい異国人にも貧しいユダヤ人と同じ落ち穂拾いの権利が与えられるべきだと論じた,といわれています。

      a 「サンヘドリン ユダヤ人の高等法廷」という囲みを参照。

      b 「使徒の活動」には,善い天使に直接言及している箇所が20以上あり,ここはそのうちの最初です。これより前の使徒 1章10節では,「白い服を着た2人の人」という表現で,暗に天使に言及しています。

      c 「ガマリエル ラビたちからとても尊敬された人」という囲みを参照。

      d 「『家から家へ』と行って伝道する」という囲みを参照。

      e この人たちは,長老の基本的な資格にかなっていたと思われます。「必要な仕事」をするのは大きな責任だったからです。クリスチャン会衆でいつ頃から男性が長老(監督)に任命されるようになったかは,聖書にはっきり書かれていません。

      f 1世紀当時,特別な資格にかなった兄弟が長老を任命する役割を担っていました。(使徒 14:23。テモ一 5:22。テト 1:5)現代でも,統治体が巡回監督を任命し,巡回監督が長老や援助奉仕者を任命する責任を担っています。

  • ステファノ 「神から恵みと力を豊かに受けた」人
    神の王国について徹底的に教える
    • 6章

      ステファノ 「神から恵みと力を豊かに受けた」人

      サンヘドリンの前でステファノがした力強い話から学ぶ

      使徒 6:8–8:3

      1-3. (ア)ステファノはどんな状況に立たされましたか。それでも,どんな気持ちでいられましたか。(イ)これからどんなことを考えますか。

      ステファノが法廷に立っています。エルサレムの神殿の近くにあったとされるサンヘドリンの法廷です。71人の威圧的な裁判官たちが前にいて,半円形に並んでいます。今日,ステファノの裁判が行われるのです。裁判官たちは影響力のある権力者で,ほとんどがイエスのこの弟子を見下しています。法廷を招集した大祭司カヤファは,数カ月前にイエスに死刑を宣告した時もサンヘドリンを取り仕切っていました。ステファノはおびえているでしょうか。

      2 裁判官たちが見たところ,ステファノは全くおびえていません。それどころか,ステファノの顔は「天使の顔のように見え」ます。(使徒 6:15)エホバ神からメッセージを託されている天使たちは,いつも恐れず,穏やかで,落ち着いています。今のステファノはそういう天使たちのようです。憎しみでいっぱいの裁判官たちからも,そう見えます。どうしてそんなに平然としていられるのでしょうか。

      3 その秘訣を私たちもぜひ知りたいと思います。ステファノがどういう経緯で裁判にかけられることになったか,調べてみましょう。ステファノは自分の信仰について堂々と語る人でした。私たちはどのように倣えるでしょうか。

      「民……をあおり立てた」(使徒 6:8-15)

      4,5. (ア)ステファノが会衆の中で貴重な存在だったといえるのはどうしてですか。(イ)ステファノが「神から恵みと力を豊かに受け」ていたというのは,どういうことですか。

      4 発足したばかりの会衆で,ステファノは貴重な存在でした。前の章で見たように,使徒たちをサポートした7人の謙虚な兄弟たちの1人でした。ステファノがいろいろな能力に恵まれていたことを考えると,その謙虚さが際立ちます。使徒 6章8節によると,一部の使徒たちと同じように,「とても不思議なことと奇跡」を行うことができました。「神から恵みと力を豊かに受け」ていた,ともあります。これはどういうことでしょうか。

      5 「神から[の]恵み」と訳されているギリシャ語は「快さ」とも訳せます。ステファノは親切で優しく,親しみやすい人だったようです。ステファノの話には説得力がありました。誠実さがにじみ出ていて,内容に真実の響きがあったからです。そして,「力を豊かに受け」ていました。いつも謙虚で,エホバの聖なる力に頼っていたからです。自分の能力にうぬぼれたりせずに,全てはエホバのおかげであることを認め,愛を込めて伝道し教えました。反対者たちが脅威に感じたのも無理はありません。

      6-8. (ア)反対者たちはどんな2つの罪でステファノを訴えましたか。どうしてですか。(イ)私たちがステファノから学ぶとよいのはどうしてですか。

      6 いろいろな人たちがステファノと議論して打ち負かそうとしますが,「知恵と聖なる力に満ちて語るステファノには対抗でき」ませんでした。a いら立ったその人たちは「ひそかに人々を促し」て,事実無根の罪をでっち上げさせます。そして,「民と長老と律法学者たちをあおり立て」,ステファノがサンヘドリンに連れていかれるようにします。(使徒 6:9-12)彼らは2つの罪でステファノを訴えました。神を冒瀆した罪と,モーセを冒瀆した罪です。どうしてそう言うのでしょうか。

      7 彼らいわく,ステファノは「この聖なる場所」(エルサレムの神殿)のことを悪く言って,神を冒瀆しました。また,モーセが教えた習慣を変え,モーセの律法に逆らうことを語って,モーセのことも冒瀆しました。(使徒 6:13)これが本当なら,重大な罪でした。当時のユダヤ人は,神殿,モーセの律法,律法に加えてきた多くの口頭伝承を非常に重んじていたからです。ステファノは,危険人物なので死刑にされるべきだと訴えられていたわけです。

      8 残念なことに,現代でも宗教家たちが同じ手を使って,私たちを追い詰めようとすることがあります。これまでも度々,政治家たちに働きかけてエホバの証人への迫害をあおってきました。何も悪いことをしていないのに訴えられたときは,どうしたらよいでしょうか。ステファノから大切なことを学べます。

      「栄光の神」について堂々と語る(使徒 7:1-53)

      9,10. 批評家の中には,ステファノの話についてどんなことを言う人がいますか。これから調べるに当たり,ステファノが問われていたどんな罪を覚えておくとよいですか。

      9 冒頭で見たように,告発の内容を聞いても,ステファノの表情は穏やかで天使のようでした。カヤファはステファノを見て,こう言います。「その通りなのか」。(使徒 7:1)自分が話す番になり,ステファノは熱く語ります。

      10 批評家の中には,ステファノの話を批判し,長い割に答えになっていないと言う人もいます。でも,それは違います。ステファノの話は,自分の信じていることを「弁明」する素晴らしい手本です。(ペテ一 3:15)ステファノが問われていた罪は,神殿のことを悪く言って神を冒瀆したことと,律法に逆らうことを語ってモーセを冒瀆したことでした。ステファノはイスラエルの歴史の3つの時代を要約しながら,ポイントを突いた弁明をします。では,3つの時代を1つずつ見てみましょう。

      11,12. (ア)ステファノはどうしてアブラハムのことを話しましたか。(イ)ステファノはどうしてヨセフのことを話しましたか。

      11 族長時代。(使徒 7:1-16)ステファノはまず,聞き手がよく知っている人を取り上げ,相手の視点に立とうとします。ユダヤ人から尊敬されていた信仰のあつい人アブラハムについて話しました。そして,「栄光の神」エホバがアブラハムに最初に語り掛けたのは,メソポタミアでのことだったと指摘します。(使徒 7:2)アブラハムは約束の地では外国人だったわけです。神殿もモーセの律法もありませんでした。であれば,そういうものがなければ神に仕えられない,と言うことはできません。

      12 聞いていたユダヤ人たちは,アブラハムの子孫ヨセフのことも尊敬していました。ステファノが指摘した通り,ヨセフは何も悪いことをしていないのに,兄弟たちに捕まって奴隷として売られてしまいました。やがてはイスラエルの諸部族の父祖になった人たちから,ひどい仕打ちを受けたのです。それでもエホバはヨセフを通して,イスラエルの家族を飢饉から救いました。ステファノは,ヨセフとイエス・キリストの共通点を意識していたはずです。でも,相手の聞く気をそがないために,そのことにはあえて触れません。

      13. ステファノがモーセについて話したことが弁明になったのは,どうしてですか。そうやって,どんな問題点に迫っていきましたか。

      13 モーセの時代。(使徒 7:17-43)ステファノはモーセについて詳しく話します。サンヘドリンの多くはサドカイ派で,聖書のうちモーセが書いたものだけを認めていたからです。それに,ステファノはモーセを冒瀆した罪に問われていたので,モーセと律法への敬意を表すことで,弁明しました。(使徒 7:38)さらに,モーセが,自分が助けようとした人たちから拒絶されたことにも触れました。モーセは40歳の時に仲間から突っぱねられ,40年以上たって指導者になってからも何度も非難されました。b このように,人々はエホバから任命された人たちを繰り返し拒絶してきました。ステファノは話を進めながら,その大きな問題点に迫っていきました。

      14. ステファノはモーセについて話すことにより,どんな大切なポイントを指摘しましたか。

      14 ステファノが続けて話したように,モーセは自分のような預言者がイスラエル国民から生まれると予告しました。それは誰で,どんなふうに迎えられるのでしょうか。ステファノがそのことに触れるのは,話の最後です。その前に別の大切なポイントを指摘します。どんな場所も聖なる場所になり得る,ということです。エホバが,燃え盛るいばらの木の中からモーセに話し掛けた時もそうでした。であれば,エルサレムの神殿のような1つの建物だけでしかエホバを崇拝できないと考えるのは,おかしいのではないでしょうか。

      15,16. (ア)ステファノが幕屋について話したのは,何が言いたかったからですか。(イ)ソロモンの神殿を引き合いに出すことで,ステファノは何を伝えようとしましたか。

      15 幕屋と神殿。(使徒 7:44-50)ステファノは,エルサレムに神殿ができる前に神がモーセに幕屋を造らせたことに言及します。幕屋はテントのようなもので,移動させることができました。モーセが幕屋で崇拝したのであれば,幕屋が神殿より劣っているとはいえないはずです。

      16 後代にソロモンはエルサレムに神殿を建てた時,祈りの中でもっともなことを言いました。ステファノはそれに触れ,「至高者は人が造った家には住みません」と言います。(使徒 7:48。代二 6:18)エホバが物事を進めていく上で,神殿は役に立つかもしれませんが,どうしても必要なわけではありません。そうであれば,神殿のような建物だけでしかエホバを崇拝できない,と考えるのは間違っています。ステファノはイザヤ書から引用して畳み掛けます。「エホバは言う。天は私の王座,地は私の足台である。あなたたちは私のためにどんな家を建てるのか。また,私が休む場所はどこか。私の手がこの全てを造ったのではないか」。(使徒 7:49,50。イザ 66:1,2)

      17. (ア)ステファノの話からすると,裁判官たちはどこが間違っていましたか。(イ)ステファノの弁明が的確だったといえるのはどうしてですか。

      17 こうして見てくると,裁判官たちの間違いをステファノが見事に明らかにしていったことが分かるのではないでしょうか。ステファノの言う通り,エホバのやり方は,決まりきったものでも伝統に縛られたものでもなく,いつも柔軟で臨機応変です。裁判官たちは,いかにも立派な神殿や,モーセの律法に加えられてきた習慣にこだわるあまり,大事なことを見落としていました。神殿や律法だけしか見えておらず,エホバの考えや気持ちが分かっていませんでした。ステファノはこう考えさせたかったのです。「一番重要なのはエホバに従うことではないか。たとえ神殿や律法を重んじていても,エホバに従っていないとしたら,意味がないのではないか」。まさに的確な弁明でした。ステファノは,訴えられるような間違ったことを何もしていませんでした。エホバにずっと従ってきたからです。

      18. ステファノにどのように倣えますか。

      18 ステファノの弁明からどんなことを学べるでしょうか。ステファノは聖書に通じていました。私たちも,「真理の言葉を正しく用いることができ」るよう,聖書をよく学びましょう。(テモ二 2:15)ステファノの話し方は物柔らかで,機転が利いていました。相手は敵対心むき出しでしたが,ステファノは聞き手が大事にしているものを引き合いに出して,同じ視点に立とうとしました。そして,敬意を込めて話し,「年長の方々」と呼び掛けることもしました。(使徒 7:2)私たちも,聖書について「語る時には,温和な態度と深い敬意を示しましょう」。(ペテ一 3:15)

      19. ステファノは最後にどのように核心を突きましたか。

      19 敬意を忘れないようにしますが,相手の反応を恐れて,聖書に書かれている真実を語らないでおく,ということはしません。エホバからの警告を和らげて伝えることもしません。ステファノもそうはしませんでした。どれほど言っても,かたくなな裁判官たちは態度を変えない,ということが分かったのでしょう。聖なる力に動かされ,恐れずに核心を突いて話を締めくくります。あなたたちはヨセフやモーセや預言者たちを迫害した父祖たちと同じだ,と指摘しました。確かにそうです。サンヘドリンの裁判官たちは,モーセや預言者たちがずっと期待を掛けていたメシアを殺しました。一番やってはいけないことをして,モーセの律法を破ったのです。(使徒 7:51-53)

      「主イエス,私の命を受け取ってください」(使徒 7:54–8:3)

      ステファノが穏やかな様子でサンヘドリンの前に立っている。

      「これを聞いた人たちは,心の中で激怒し,ステファノに向かって歯ぎしりし始めた」。使徒 7:54

      20,21. ステファノの話を聞いて,サンヘドリンの人たちはどうしましたか。エホバはどのようにしてステファノを勇気づけましたか。

      20 ステファノの話があまりにも的を射ていたため,裁判官たちは全く反論できず,怒り狂います。理性を失い,ステファノをにらみ付けて歯ぎしりし始めます。ステファノはきっと,イエスと同じ仕打ちを受けると悟ったはずです。

      21 耐えられるよう助けるため,エホバはステファノに幻を見せて勇気づけます。ステファノは神の栄光を目にし,イエスが神の右に立っているのを見ます。ステファノがその様子を話すと,裁判官たちは手で耳をふさぎます。以前,この同じ法廷でイエスが,自分はメシアで,間もなく神の右に座ると言っていました。(マル 14:62)ステファノが見た幻からすると,まさにその通りになっています。そのメシアをサンヘドリンはむごく扱って殺したのです。彼らは一斉に突進し,ステファノを石打ちにして殺しました。c

      22,23. ステファノの最期はイエスとどのように似ていましたか。ステファノと同じく,現代のクリスチャンもどんな確信を持っていますか。

      22 ステファノは穏やかな心で,エホバを全く信頼し,敵たちを許して死んでいきました。尊敬していたイエスとまさに同じでした。おそらく幻でエホバと一緒にいるイエスが見えていたのでしょう。「主イエス,私の命を受け取ってください」と言います。イエスが言った「私は復活であり,命です」という言葉を知っていたはずです。(ヨハ 11:25)最後に神に祈って,大きな声で「エホバ,この罪を彼らに負わせないでください」と言い,息を引き取りました。(使徒 7:59,60)

      23 こうしてステファノは,殉教した最初のクリスチャンになりました。(「ステファノ 殉教者? 証人?」という囲みを参照。)残念ながら,その後にも,殉教したクリスチャンたちがいます。現代でも,狂信的な宗教家や過激な政治家などの手に掛かって亡くなったエホバの証人がいます。それでも,私たちはステファノと同じ確信を持っています。エホバから並外れた力をもらったイエスが今,王として統治しています。そのイエスが,死ぬまで信仰を貫いたクリスチャンたちを必ず復活させてくれます。(ヨハ 5:28,29)

      ステファノ 殉教者? 証人?

      聖書の中でステファノは,「証人」と呼ばれています。(使徒 22:20)そう訳されているギリシャ語はマルテュスです。歴史を見ると分かるように,クリスチャンは反対に遭い,逮捕されて殴打され,命を落とすことさえありました。そのため,このマルテュスという語は,2世紀には,そのように信仰を捨てなかったために亡くなった人,つまり殉教者を指すようにもなりました。この意味で,ステファノは最初のマルテュスと言えます。

      とはいえ,マルテュスの元々の意味を知っておくのは大切なことです。マルテュスには「証人」という意味があり,ある行為や出来事を目にした人を指します。そして,あるギリシャ語辞書によると,それ以上の意味があります。聖書中でマルテュスは,「行動する」人,「自分が見聞きした事を話すよう,また知っている事を告げるよう求められる」人を指しています。マルテュスのこの意味は,クリスチャンの責任を思い起こさせます。私たちみんなには,エホバがどんな方でどんな考えを持っているか,自分が学んだ事を伝える責務があります。ステファノはまさにその責務を立派に果たした人でした。(ルカ 24:48。使徒 1:8)

      24. サウロはステファノの殺害にどのように関わっていましたか。ステファノの殉教は後々どんな影響を与えていきましたか。

      24 この一部始終をサウロという若者が見ていました。サウロはステファノの殺害に賛成し,石を投げる人たちの外衣を見張っていました。そして間もなくして,クリスチャンへの激しい迫害を先導しました。とはいえ,伝道の勢いは弱まるどころか,ステファノの殉教がかえってクリスチャンたちに勇気と力を与えました。多くの人が同じように命を懸けて伝道し,信仰を貫いたのです。やがてパウロと呼ばれるようになったサウロさえ,ステファノの殺害に関わったことを心から悔やむようになります。(使徒 22:20)自分のことを,「以前は神を冒瀆し,神の民を迫害し,横柄だった」と認めるようになります。(テモ一 1:13)きっとパウロは,ステファノのこと,彼がした力強い話をずっと忘れなかったはずです。自分の話や手紙の中で,ステファノの話と似たポイントを取り上げています。(使徒 7:48; 17:24。ヘブ 9:24)パウロは,「神から恵みと力を豊かに受けた」ステファノの信仰と勇気にしっかり見習っていきました。私たちはどうでしょうか。

      a この反対した人の中には,「自由民の会堂」の人たちがいました。これは,ローマ人に捕らえられて後ほど解放された人たちか,ユダヤ教に改宗した解放奴隷かもしれません。ほかに,タルソスのサウロと同じキリキア州出身の人たちもいました。とはいえ,そのキリキア出身の人たちの中にサウロがいたかどうかは書かれていないため,分かりません。

      b ステファノの話には,聖書のほかの箇所には書かれていない情報が含まれています。モーセがエジプトで教育を受けたこと,エジプトから逃げた時の年齢,ミディアンにいた期間などです。

      c ローマ法では,サンヘドリンに死刑を宣告する権限はなかったようです。(ヨハ 18:31)いずれにしても,ステファノの殺害は法的処罰ではなく,暴徒による殺人だったと考えられます。

  • 「イエスについての良い知らせ」を伝える
    神の王国について徹底的に教える
    • 7章

      「イエスについての良い知らせ」を伝える

      フィリポがした福音伝道は私たちの手本になっている

      使徒 8:4-40

      1,2. 1世紀の迫害はどのように逆効果になりましたか。

      激しい迫害の波が押し寄せます。サウロが会衆に「手荒なことをする」ようになります。ギリシャ語でこの表現は,残酷な仕打ちを意味します。(使徒 8:3)弟子たちが散っていったので,サウロの狙い通りキリスト教が根絶されるかに見えたかもしれません。しかし,意外な展開になります。どうなったのでしょう。

      2 追い散らされた人たちは,行った先で「神の言葉の良い知らせを広め」ました。(使徒 8:4)迫害によって,良い知らせは封じ込められるどころか,かえって広まっていきました。すごいことではないでしょうか。反対する人たちは弟子たちを追い散らすことによって,皮肉にも,伝道の範囲を遠方にまで広げてしまいました。後で見ますが,現代でも同じようなことが起きています。

      「散らされた人々」(使徒 8:4-8)

      3. (ア)フィリポはどんな人でしたか。(イ)サマリアではあまり伝道が行われていなかったのはどうしてですか。とはいえイエスは,サマリアについてどんなことを言っていましたか。

      3 「散らされた人々」の中にフィリポがいました。a (使徒 8:4。「『福音伝道者』フィリポ」という囲みを参照。)フィリポはサマリアに行きました。それまでサマリアでは,ほとんど伝道が行われていませんでした。イエスが使徒たちにこう指示していたからです。「サマリア人の町に入ってはなりません。いつも,イスラエル国民の迷い出た羊の所に行きなさい」。(マタ 10:5,6)とはいえイエスは,やがてサマリアでも徹底的な伝道が行われることを知っていました。天に戻る前にこう言っていました。「あなたたちは……エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,また地上の最も遠い所にまで,私の証人となります」。(使徒 1:8)

      4. サマリア人は,フィリポのメッセージについてどう感じましたか。どうしてだと考えられますか。

      4 フィリポがサマリアに着いてみると,そこは「もう色づいて収穫でき」る畑のようでした。(ヨハ 4:35)サマリアの人たちにとって,フィリポが伝える良い知らせは涼しい風のように爽やかでした。彼らはユダヤ人から避けられ,毛嫌いされていました。でも,フィリポから聞くメッセージには,階級差別など全く感じられず,パリサイ派の狭い見方とは全然違っていました。フィリポは偏見から人を下に見たりせず,誠実な心でサマリアの人たちに伝道しました。「群衆は皆,フィリポが言うことにじっと耳を傾け」た,とあるのもうなずけます。(使徒 8:6)

      5-7. クリスチャンが追い散らされたことにより,かえって良い知らせが広まったどんな例がありますか。

      5 現代でも,迫害は功を奏しておらず,伝道の勢いは全く弱まっていません。クリスチャンが刑務所に入れられたり別の国へ避難を余儀なくされたりしても,それによってかえって良い知らせが広まっていきました。例えば,第2次世界大戦中,エホバの証人はナチの強制収容所で神の王国について熱心に語りました。収容所でエホバの証人に会ったあるユダヤ人はこう言っています。「エホバの証人の囚人たちの不屈の精神を目にし,聖書にしっかり基づいた信仰を持っていることがよく分かりました。私もエホバの証人になりました」。

      6 迫害していた人がエホバの証人になった例もあります。フランツ・デッシュ兄弟は,オーストリアのグーゼン強制収容所に移された時,親衛隊の将校に聖書を教えることができました。何年も後,2人はエホバの証人の大会で再び会いました。その将校はクリスチャンになっていました。どんなにかうれしい再会だったことでしょう。

      7 クリスチャンが別の国へ避難を余儀なくされたときもそうです。例えば,1970年代に,モザンビークにマラウイのエホバの証人が避難してきた時,活発な伝道が行われました。その後,モザンビークで迫害が起こった時も,伝道は続けられました。フランシスコ・コアーナはこう話します。「伝道していたために何度も逮捕された人もいます。それでも,多くの人が神の王国について学ぶようになり,私たちは神が助けてくれているんだと確信しました。1世紀のクリスチャンのことを神が助けたのと同じです」。

      8. 政治や経済の影響で人が移動し,伝道にどんな進展が見られていますか。

      8 もちろん,迫害だけをきっかけに良い知らせが国を越えて広まっているわけではありません。近年,政治や経済の影響で人の移動があり,それによって多くの人が神の王国について知るようになっています。紛争地域や貧しい国から別の国に移った人たちが,移住先で聖書を学んでいます。多くの都市や町で,外国語を話す人たちの人口が増えています。あなたは,「全ての国や民族や種族や言語の人々」に伝道することを心掛けていますか。(啓 7:9)

      「私にもその権威を与え……てください」(使徒 8:9-25)

      元魔術師のシモンがお金を手に,使徒に近づいている。使徒はクリスチャンの男性の肩に手を置いている。後ろの方では,別のクリスチャン男性が足が不自由な女の子を癒やし,みんなが喜んでいる。

      「シモンは,使徒たちが手を置いた人に聖なる力が与えられるのを見た時,お金を渡そうとし[た]」。使徒 8:18

      9. シモンはどんな人でしたか。フィリポがしたことに関心を持ったのは,どうしてだと考えられますか。

      9 フィリポはサマリアでたくさんの奇跡を起こし,体が不自由な人を治したり,邪悪な天使を追い出したりしました。(使徒 8:6-8)ある人がフィリポの能力に魅了されます。シモンという名前の魔術師です。この人はみんなから注目され,「神の力……と呼ぶべき人だ」と褒めたたえられていました。シモンはフィリポが起こした奇跡を見て,本物の神の力を目の当たりにし,クリスチャンになりました。(使徒 8:9-13)でも,自分の心を見つめ直さなければいけませんでした。

      10. (ア)ペテロとヨハネはサマリアで何をしましたか。(イ)ペテロとヨハネが手を置いた人たちが聖なる力を受けるのを見て,シモンはどうしましたか。

      10 サマリアでクリスチャンになる人が増えていたため,エルサレムの使徒たちはペテロとヨハネを遣わします。(「ペテロは『王国の鍵』をいつ使ったか」という囲みを参照。)到着した2人は,新しく弟子になった人たちに手を置いていきます。すると,その人たちは聖なる力を受けました。b それを見たシモンは興味をそそられ,「私にもその権威を与え,私が手を置く人が聖なる力を受けられるようにしてください」と言います。その特別な能力をお金で買おうとまでしました。(使徒 8:14-19)

      11. ペテロはシモンにどんなことを言いましたか。それを聞いてシモンはどうしましたか。

      11 ペテロはきっぱりこう言います。「あなたのお金もあなたも消えてしまいなさい。神の無償の贈り物をお金で手に入れられると考えたからです。あなたはこのことに一切関わることができません。神から見て心が真っすぐではないからです」。そして,悔い改めて許しを祈り求めるよう勧めます。「あなたの悪い考えをできれば許してもらえるようエホバに祈願しなさい」。シモンは悪い人ではなく,正しいことをしたいと願っていました。でも,この時は考え方が間違っていました。それに気付いたシモンは,2人にこうお願いします。「あなた方が言ったことが何も私に起きないよう,私のためにエホバに祈願をしてください」。(使徒 8:20-24)

      12. 幾つかの言語にはどんな語がありますか。キリスト教の一般の教派でどんな習慣が見られてきましたか。

      12 ペテロが指摘したことに,現代のクリスチャンも注意しなければいけません。幾つかの言語では,この出来事に由来する語が,聖職売買(宗教組織での地位を売り買いすること)を意味しています。キリスト教の一般の教派には,古くからこの間違った習慣がよく見られてきました。「ブリタニカ百科事典」第9版(1878年[英語])にはこうあります。「教皇選挙会の歴史を調べる人は,聖職売買に汚されない選挙など行われたためしがないことを確信する。選挙会では,ゆゆしくて破廉恥で,あからさまなことこの上ない聖職売買の行われることがきわめて多かった」。

      13. 私たちもどんなことに注意しなければいけませんか。

      13 私たちも注意しなければいけません。例えば,特定の立場に推薦してもらおうとして,監督たちにたくさん贈り物をしたり褒めちぎったりするのは間違っています。反対に,監督たちは,豊かな暮らしをしている人をえこひいきしてはいけません。このどちらもシモンと同じようなことをしていることになります。いつも「より小さな者として行動」し,エホバの聖なる力によって任命される時を待ちましょう。(ルカ 9:48)「自分の栄誉」を決して求めてはいけません。(格 25:27)

      ペテロは「王国の鍵」をいつ使ったか

      イエスはペテロに,「私はあなたに天の王国の鍵を与えます」と言いました。(マタ 16:19)これはどういう意味でしょうか。イエスが使った「鍵」という語は元々複数形になっています。それで,幾つかのグループの人たちのために,鍵が複数あることが分かります。鍵を使うと,その人たちのために新しい道が開けます。良い知らせを学んでメシア王国に入るための道です。ペテロはいつそれらの鍵を使ったのでしょうか。

      • ペテロは33年のペンテコステの日に最初の鍵を使い,ユダヤ人とユダヤ教に改宗した人に,悔い改めてバプテスマを受けるよう勧めました。約3000人がその通りにし,王国で統治する見込みを持つようになりました。(使徒 2:1-41)

      • 2番目の鍵は,ステファノの殉教後,間もなくして使われました。ペテロとヨハネが,新しくクリスチャンになったサマリア人に手を置いていくと,その人たちは聖なる力を受けました。(使徒 8:14-17)

      • ペテロは3番目の鍵を36年に使い,割礼を受けていない異国人も天で統治する見込みを持つようになりました。ペテロがコルネリオに良い知らせを伝え,コルネリオはキリストの弟子になりました。割礼を受けていない異国人としては,最初のクリスチャンでした。(使徒 10:1-48)

      「読んでいる内容が分かりますか」(使徒 8:26-40)

      14,15. (ア)エチオピアの宦官はどんな人でしたか。フィリポはどのようにして宦官と出会いましたか。(イ)フィリポの話を聞いて,宦官はどうしましたか。彼が単に思い付きでバプテスマを受けたわけではない,といえるのはどうしてですか。(脚注を参照。)

      14 フィリポはエホバの天使から,エルサレムからガザに向かう道を行くよう指示されます。出掛けて間もなく,そう指示された理由が分かります。「預言者イザヤの書を朗読している」エチオピアの宦官に出会ったからです。(「エチオピアの宦官はどんな人だったか」という囲みを参照。)エホバの聖なる力に導かれて,フィリポは宦官の兵車に近づきます。並走しながら,「読んでいる内容が分かりますか」と尋ねます。宦官は,「誰かが教えてくれなければ,どうして分かるでしょうか」と答えます。(使徒 8:26-31)

      15 宦官はフィリポに,一緒に兵車に乗るようにと言います。その後の2人の会話を想像してみてください。イザヤの預言に出てくる「羊」つまり「私に仕える……者」が誰なのかは,ずっと謎に包まれていました。(イザ 53:1-12)道を進みながら,フィリポは宦官に,それがイエス・キリストであることを説明します。ペンテコステの日にバプテスマを受けた人たちと同じように,宦官(すでにユダヤ教に改宗していた)はすぐに何をすべきかを悟り,こう言います。「見てください,水があります。私がバプテスマを受けられない理由が何かあるでしょうか」。こうして,宦官はためらうことなくバプテスマを受けました。c (「『水がある所』でバプテスマを受ける」という囲みを参照。)フィリポはその後,聖なる力によってアシュドドへと導かれ,そこでも良い知らせを広めました。(使徒 8:32-40)

      エチオピアの宦官はどんな人だったか

      宦官と訳されるギリシャ語エウヌーコスは,生殖能力を奪われた人を指すこともあれば,単に高位の廷臣を指すこともあります。王のハレム(婦人部屋)を監督する廷臣は去勢されていたかもしれませんが,王の献酌人や宝物庫の監督など,他の役人たちに去勢は要求されていませんでした。フィリポがバプテスマを施したエチオピアの宦官は,そのような役人だったと思われます。王家の宝物庫を監督していたからです。いわば財務大臣でした。

      また,この人は改宗者(ユダヤ人ではないがエホバを崇拝するようになった人)でした。この時も,崇拝のためにエルサレムに行ってきたところでした。(使徒 8:27)そうであれば,この人は去勢されていたわけではないはずです。モーセの律法は,去勢された人がイスラエルの会衆に加わることを禁じていたからです。(申 23:1)

      「水がある所」でバプテスマを受ける

      バプテスマの正しい施し方とはどのようなものでしょうか。頭に水を注いだり振り掛けたりするだけで十分だと考える人もいます。しかし,エチオピアの宦官は「水がある所」でバプテスマを受けました。「フィリポは高官と水の中に下りていき,バプテスマを施した」と書かれています。(使徒 8:36,38)水を注いだり振り掛けたりするだけでよければ,水がある所で兵車を止める必要はありませんでした。皮袋に入っているような,少量の水で十分だったはずです。宦官は「砂漠の道」を旅していたので,水が入った皮袋を持っていたと思われます。(使徒 8:26)

      リデルとスコットの「希英辞典」によれば,ギリシャ語のバプティゾー(日本語のバプテスマはこの語に由来する)は,「浸す,つける」という意味です。バプテスマについてのほかの記録も,この定義に合っています。ヨハネ 3章23節によると,ヨハネは「サリムに近いアイノンでバプテスマを施して」いました。それは,「そこに水がたくさんあったから」です。また,イエスのバプテスマについても,「イエスは水から上がるとすぐ,天が分かれ……るのを見た」と書かれています。(マル 1:9,10)完全に水に浸すのがバプテスマの正しい施し方だと分かります。

      16,17. 私たちの伝道に天使はどのように関わっていますか。

      16 現代のクリスチャンもフィリポに倣えます。移動中などにたまたま会った人たちに神の王国について話せます。時には,出会うべくして出会ったかのように思えるほど,良い人と話せることもあります。それもそのはずです。聖書には,「あらゆる国や民族や言語や種族の人々」に良い知らせが伝わるよう,天使が導いているとはっきり書かれています。(啓 14:6)イエスもそう言っていました。小麦と雑草の例えの中で,収穫の時(体制の終結の時)に「刈り取る者は天使たちです」と言いました。「天使たちは,人に罪を犯させる人たちと不法なことを行う人たちを王国から取り除き」ます。(マタ 13:37-41)さらに天使たちは,神の王国で統治する人たちと,「ほかの羊」の「大群衆」の両方を,エホバのもとに集めます。(ヨハ 6:44,65; 10:16。啓 7:9)

      17 その証拠に,宣教で出会った人が,「ちょうど助けを求めて神に祈っていた」と言うことがあります。こんな例があります。2人のエホバの証人が小さな男の子と一緒に伝道していた時のことです。お昼近くになって伝道を終えようとすると,男の子が次の家にどうしても行きたがりました。ついには自分で歩いていってドアをノックしました。若い女性が出てきたので,2人は近づいて話し掛けました。すると何と,女性は,「聖書を教えてくれる人が家に来るようにしてください,と祈っていたところだった」と言いました。聖書レッスンが始まりました。

      伝道中の夫婦が家のチャイムを鳴らしている。家の中では女性が祈っている。

      「神様,もしおられるなら,助けてください」。

      18. どんなことを考えるとわくわくしますか。

      18 今,クリスチャン会衆が一丸となって,これまでにない規模で伝道をしています。良い知らせを広めるために天使と一緒に働けると思うと,とてもわくわくします。本当に素晴らしいことではないでしょうか。これからも伝道に打ち込み,「イエスについての良い知らせ」を伝えることを楽しんでいきましょう。(使徒 8:35)

      「福音伝道者」フィリポ

      クリスチャンたちが迫害のせいであちこちに追いやられた時,フィリポはサマリアに行きました。彼は統治体に状況を報告しながらサマリアで伝道したようです。「エルサレムにいる使徒たちは,サマリアの人々が神の言葉を受け入れたことを聞くと,ペテロとヨハネを遣わした」とあるからです。サマリアの新しいクリスチャンたちは,こうして聖なる力を受けることができました。(使徒 8:14-17)

      フィリポがエチオピアの宦官と一緒に兵車に座っている。

      使徒 8章より後の記録に,フィリポがもう1回だけ出てきます。サマリアでの伝道から20年ほど後のことです。その頃,使徒パウロが3度目の宣教旅行の終わりに旅仲間と一緒にエルサレムに向かい,プトレマイスに立ち寄ります。ルカはこう書いています。「次の日,そこを出てカエサレアに行き,あの7人の男性の1人である福音伝道者フィリポの家に入って,そこに泊まった。この男性の4人の娘は未婚で,預言をしていた」。(使徒 21:8,9)

      この時フィリポは,伝道のために移り住んだ先のカエサレアに落ち着き,家庭を大切にする人になっていました。興味深いことに,それでもルカはそのフィリポを「福音伝道者」と呼んでいます。聖書中でこの語は,自分の故郷を離れ,まだ奉仕されていない場所で良い知らせを伝える人を指しています。フィリポはその時も宣教への情熱を持っていたことが分かります。4人の娘が預言していたことから,しっかり家族を教え,エホバを愛して奉仕を楽しむよう助けていたことも分かります。

      a これは使徒のフィリポではありません。この本の5章に出てきた「評判の良い男性」7人のうちの1人です。7人は,エルサレムにいるギリシャ語を話すやもめとヘブライ語を話すやもめに食料を配るために任命された人でした。(使徒 6:1-6)

      b 当時,新しい弟子たちは,バプテスマの時に聖なる力を受けたと思われます。そうやって聖なる力で選ばれ,将来,天でイエスと一緒に王また祭司として統治できるようになりました。(コリ二 1:21,22。啓 5:9,10; 20:6)しかし,今回の場合,新しい弟子たちはバプテスマの時に聖なる力を受けていなかったようです。ペテロとヨハネに手を置いてもらって初めて,聖なる力を受け,奇跡的な能力を持つようになりました。

      c 宦官は単に思い付きでバプテスマを受けたわけではありません。すでにユダヤ教に改宗していて,メシアについての預言など聖書の知識がありました。その上で,イエスには神から与えられた大切な役目があることを知り,ためらわずにバプテスマを受けました。

  • 会衆は「平和な時期に入[った]」
    神の王国について徹底的に教える
    • 8章

      会衆は「平和な時期に入[った]」

      迫害の波を起こしていたサウロが熱心なクリスチャンになる

      使徒 9:1-43

      1,2. サウロはダマスカスで何をしようとしていますか。

      道を行く険しい顔をした人たちが,目的地のダマスカスに着こうとしています。悪いことをたくらんでここまでやって来ました。ダマスカスにいるクリスチャンたちを家から引きずり出し,縛り,辱め,エルサレムに連行してサンヘドリンからの処罰を受けさせようとしています。

      2 一団を率いるのは,すでに手を血に染めた男サウロです。a イエスの弟子ステファノが暴徒たちに石打ちにされた時,サウロはそれに賛成して見守っていました。(使徒 7:57–8:1)エルサレムのクリスチャンたちを苦しめることに飽き足らず,迫害の火をあおってさらに広げようとしています。「この道」として知られる危険な一派を根絶したいと思っているのです。(使徒 9:1,2。「ダマスカスでのサウロの権限」という囲みを参照。)

      3,4. (ア)サウロはどんなことを経験しましたか。(イ)これからどんなことを考えますか。

      3 突然,まばゆい光がサウロを包みます。仲間たちはその光景を見て,驚愕のあまり何も言えません。サウロは目が見えなくなり,倒れ込みます。そして天からの声が聞こえます。「サウロ,サウロ,なぜ私を迫害しているのですか」。驚いたサウロは,「主よ,あなたはどなたですか」と尋ねます。「イエスです。あなたは私を迫害しています」という答えに,サウロは衝撃を受けたはずです。(使徒 9:3-5; 22:9)

      4 イエスがサウロに掛けた最初の言葉から,どんなことが分かるでしょうか。サウロがクリスチャンになった時に起きたいろいろな出来事から,何を学べるでしょうか。その後の平和な時期を,会衆はどのように活用したでしょうか。参考になるポイントがあるでしょうか。

      ダマスカスでのサウロの権限

      サウロが遠く離れた町でクリスチャンを逮捕する権限を持っていたのは,どうしてでしょうか。サンヘドリンと大祭司は,各地のユダヤ人の道徳を取り締まる権限を持っていました。大祭司には,犯罪者の引き渡しを求める権限もあったと思われます。それで,大祭司の手紙があれば,ダマスカスの会堂の長老たちからの協力を取り付けられたようです。(使徒 9:1,2)

      さらにユダヤ人は,自分たちの件に関して,司法の権利をローマ人から与えられていました。使徒パウロがユダヤ人たちから「むちで39回打たれた」ことが5度あったのは,そのためです。(コリ二 11:24)また,マカベア第一書によれば,紀元前138年にローマの執政官がエジプトのプトレマイオス8世に宛てた手紙には,こう書かれていました。「彼らの国[ユダヤ]からあなたがたのもとに,害悪を及ぼす者たちが逃げ込んで来たならば,その者たちを大祭司シモンに引き渡し,彼がユダヤ人の律法に従って罰することができるようにしていただきたい」。(マカバイ記一 15:21,「聖書協会共同訳」,日本聖書協会)紀元前47年,ユリウス・カエサルは大祭司にそれまで与えていた特権をあらためて認め,ユダヤ人の習慣についての問題全てを扱う権利も認めました。

      「なぜ私を迫害しているのですか」(使徒 9:1-5)

      5,6. イエスがサウロに掛けた言葉から,どんなことが分かりますか。

      5 ダマスカスに行こうとしていたサウロを止めた時,イエスは何と問い掛けたでしょうか。「なぜ私の弟子たちを迫害しているのですか」とではなく,「なぜ私を迫害しているのですか」と言いました。(使徒 9:4)イエスは,弟子たちが経験していることを自分のことのように感じているのです。(マタ 25:34-40,45)

      6 あなたは今,キリストへの信仰のために,誰かからひどい仕打ちを受けていますか。もしそうなら,忘れないでください。エホバもイエスもあなたが今経験していることを分かっています。(マタ 10:22,28-31)もちろん,苦しいことをすぐになくしてくれるわけではないかもしれません。サウロがステファノの殺害に関わり,クリスチャンたちを家から引きずり出していた時も,イエスは見ていましたが,すぐには止めに入りませんでした。(使徒 8:3)でも,エホバはイエスを通して力を与え,ステファノやほかの弟子たちが信仰を貫けるように助けました。

      7. 迫害に耐えて信仰を貫くために,どんなことができますか。

      7 次のようにすれば,あなたも迫害に耐え,信仰を貫くことができます。(1)何があっても信仰を捨てない決意をする。(2)エホバに助けを求める。(フィリ 4:6,7)(3)自分で復讐しようとせず,エホバにお任せする。(ロマ 12:17-21)(4)エホバを信じて,耐えるための力をもらいながら,試練を終わらせてくれる時をじっと待つ。(フィリ 4:12,13)

      「サウロ,兄弟,……主イエスが私を遣わしました」(使徒 9:6-17)

      8,9. イエスから任務を託され,アナニアはどんな気持ちになったかもしれませんか。

      8 「主よ,あなたはどなたですか」というサウロの質問に答えてから,イエスはこう言います。「起きて町に入りなさい。そうすれば,何をすべきか告げられます」。(使徒 9:6)目が見えなくなったサウロは,ダマスカスの宿に案内され,そこで3日間断食して祈ります。その間,イエスはダマスカスにいた弟子アナニアにサウロのことを話します。アナニアは,その町に住む「全てのユダヤ人から良い評判を得ていました」。(使徒 22:12)

      9 アナニアは複雑な気持ちになったはずです。会衆のリーダーである復活したイエス・キリストに話し掛けられ,特別な任務を任されました。とても名誉なことですが,任務を聞いて怖くなります。あのサウロに会いなさいというのです。アナニアはこう答えます。「主よ,私は多くの人からこの男について聞いています。エルサレムにいる聖なる人たちにいろいろと危害を加えたとのことです。ここでは,あなたの名を呼ぶ人を皆捕らえようとして,祭司長たちから権限を受けています」。(使徒 9:13,14)

      10. イエスの指示の与え方から,どんなことを学べますか。

      10 不安を口にしたアナニアを,イエスは叱ったりしませんでした。はっきり指示を与え,この意外な任務を果たしてほしい理由を話して安心させます。「この人は私が選んだ器であり,異国の人々に,また王たちやイスラエルの民に私の名を知らせるからです。私は彼に,私の名のためにどれほど多くの苦しみを受けなければならないかをはっきり示します」。(使徒 9:15,16)アナニアはすぐに言われた通りにしました。クリスチャンを苦しめてきたサウロを捜し出して,こう言います。「サウロ,兄弟,道中であなたに現れた主イエスが私を遣わしました。あなたが視力を取り戻し,聖なる力に満たされるためです」。(使徒 9:17)

      11,12. サウロにまつわる出来事から,どんなことが分かりますか。

      11 こうした出来事から,いろいろなことが分かります。天に戻る前に約束した通り,イエスは私たちが行っている伝道を指揮しています。(マタ 28:20)今は直接話し掛けることはありませんが,主人イエスは忠実な奴隷を通して指揮を執っています。イエスは,召し使いである私たちのために,その奴隷を任命してくれました。(マタ 24:45-47)キリストについて知りたいと思っている人たちを見つけるために,統治体の指導の下,伝道者や開拓者が遣わされています。前の章で見たように,助けを求めて祈っていた人の所にエホバの証人がやって来た,ということがよくあります。(使徒 9:11)

      12 アナニアは難しい任務を受け入れ,うれしい経験をしました。私たちには,良い知らせを徹底的に伝えるという任務があります。あなたは,難しいと思えるときも,その任務に取り組みますか。家を一軒一軒訪ねて,知らない人と話すのは,緊張するので嫌だと思うかもしれません。会社や店を訪問したり,道で話し掛けたり,電話や手紙で伝道したりするのは,気まずいので苦手だと感じるかもしれません。アナニアは恐れに負けませんでした。その結果,うれしいことにサウロを助けることができ,サウロは聖なる力を受けました。b そうできたのは,イエスを信頼し,サウロを自分の兄弟と見ていたからです。私たちも不安な気持ちを乗り越えられます。アナニアに倣って,イエスが伝道を指揮していることを確信しましょう。人の気持ちに寄り添うようにし,たとえ相手が友好的でなくても,兄弟になるかもしれないと考えて伝道しましょう。(マタ 9:36)

      「イエスについて……伝え始めた」(使徒 9:18-30)

      13,14. 聖書を学んでいてもまだバプテスマを受けていないとしたら,サウロのどんなところに倣えますか。

      13 サウロはすぐに心を入れ替えました。視力を取り戻した後,バプテスマを受け,ダマスカスの弟子たちと一緒に時間を過ごすようになりました。それだけではありません。「すぐに会堂でイエスについて,この方こそ神の子だと伝え始め」ました。(使徒 9:20)

      14 あなたは聖書を学んでいてもまだバプテスマを受けていないでしょうか。もしそうなら,ためらわずに行動したサウロに倣って,大事な一歩を踏み出せますか。もちろん,サウロはキリストが起こした奇跡を体験したので,決断しやすかったでしょう。でも,イエスの奇跡を見た人はほかにもいました。例えば,パリサイ派の人たちは,イエスが片手のまひした男性を癒やしたのを見ましたし,大勢のユダヤ人は,イエスがラザロを復活させたことを知っていました。それなのに,イエスの後に従おうとはせず,むしろ敵対するようになった人までいました。(マル 3:1-6。ヨハ 12:9,10)サウロとは大違いです。この違いは何でしょうか。サウロは誰のことよりも神を畏れていました。それで,人からどう思われるかは問題ではありませんでした。そして,キリストが憐れみ深く許してくれたことに深く感謝していました。(フィリ 3:8)あなたも同じような心を持つようにすれば,伝道したいという気持ちになり,バプテスマのために生き方を変えようと思うでしょう。

      15,16. サウロは会堂で何をするようになりましたか。伝道するサウロから話を聞いて,ダマスカスのユダヤ人はどうしましたか。

      15 サウロが会堂でイエスについて伝道し始めたことが,どれほど衝撃的だったか想像してみてください。非常に驚き,怒りすら感じたかもしれません。人々は,「これは,エルサレムでイエスの名を呼ぶ人たちに手荒なことをした人ではないか」と言いました。(使徒 9:21)サウロはどうして心を入れ替えたのかを説明し,「この方がキリストであることを論証し」ました。(使徒 9:22)でも論理が全てではありません。古い考えに縛られている人やプライドが高い人には,論理が通じないことがあります。それでも,サウロは諦めません。

      16 3年後にも,ダマスカスのユダヤ人はサウロを敵視していて,ついには殺そうとします。(使徒 9:23。コリ二 11:32,33。ガラ 1:13-18)そのたくらみを知ったサウロは,身を守るためにひそかに町を出ることにします。夜の間に籠に乗り,城壁の窓から下ろしてもらいました。そうするのを手伝った人たちを,ルカは「サウロの弟子たち」と呼んでいます。(使徒 9:25)ここから,ダマスカスでのサウロの伝道により,キリストの後に従い始めた人が少なからずいたことがうかがえます。

      17. (ア)聖書の教えを伝えると,どんな反応があるものですか。(イ)どんなことを続けるのが大切ですか。どうしてですか。

      17 あなたは,家族や友達などに,学んだことを初めて伝えた時のことを覚えていますか。聖書の教えは論理的で素晴らしいので,きっと聞いてくれるはずだと思ったかもしれません。でも,みんなが聞いてくれたわけではなかったでしょう。身近な家族からも冷たくあしらわれたかもしれません。(マタ 10:32-38)でも,上手な伝え方を心掛け,イエスのような人格を身に付けていけば,全く聞こうとしない人もやがて態度を変えるかもしれません。(使徒 17:2。ペテ一 2:12; 3:1,2,7)

      18,19. (ア)サウロはバルナバにどのように助けられましたか。(イ)バルナバとサウロにどのように倣えますか。

      18 サウロはエルサレムに入り,自分も弟子になったことを話しますが,信じてもらえません。でも,バルナバが間に入ってくれたおかげで,使徒たちに受け入れてもらうことができ,しばらく一緒に過ごします。(使徒 9:26-28)サウロは慎重に行動しましたが,伝道することを恥ずかしいとは全く思っていませんでした。(ロマ 1:16)エルサレムでも熱心に伝道しました。以前キリストの弟子たちを激しく迫害していたまさにその場所で,人目を気にせずに伝道したのです。ユダヤ人たちはリーダー的存在がクリスチャンの側に付いたのを見て怖くなり,サウロを殺そうとします。その計画に「気付いた兄弟たちはサウロをカエサレアに連れていき,タルソスに送り出し」ました。(使徒 9:30)イエスが兄弟たちを通して物事を導いていました。それに従ったことが,サウロにとっても会衆にとってもプラスになりました。

      19 みんなが不審に思う中,バルナバが進んでサウロを助けたことに注目してください。この親切のおかげで,熱い心を持った兄弟たちの間に絆が生まれました。あなたもバルナバのように,自分から会衆の新しい人たちを助けようとしますか。野外奉仕で一緒に働いたり,信仰を強められるように助けたりできますか。そうすれば,きっと良い経験ができます。あるいは,あなたが伝道を始めて間もないのであれば,サウロのように仲間に喜んで助けてもらいますか。自分より長く奉仕している人たちと一緒に働けば,伝道が上手になって楽しくなり,かけがえのない友達が見つかるはずです。

      「多くの人が主を信じるようになった」(使徒 9:31-43)

      20,21. 1世紀と現代のクリスチャンは「平和な時期」をどのように生かしましたか。

      20 サウロがクリスチャンになり,エルサレムを無事に離れた後,「会衆は,ユダヤ,ガリラヤ,サマリアの全域にわたって平和な時期に入り」ました。(使徒 9:31)クリスチャンたちは,この「順調な時」をどのように生かしたでしょうか。(テモ二 4:2)聖句には,会衆が「強化されていった」とあります。使徒たちや責任を担う兄弟たちが先頭に立って奉仕し,仲間の信仰を強め,会衆のみんなは「エホバを畏れて聖なる力による慰めを受けながら歩み」ました。例えば,ペテロはこの時期に,シャロン平野の町ルダで弟子たちを励ましました。それにより,その辺りの人たちが「主を信じるように」なりました。(使徒 9:32-35)クリスチャンたちは,ほかのことに気を取られたりせず,仲間と助け合うことや良い知らせを伝えることに集中しました。こうして,会衆は「人数が増加して」いきました。

      21 20世紀の終わりごろ,多くの国のエホバの証人が同じような「平和な時期」を経験しました。エホバの証人を何十年も抑圧してきた政権が突然に崩壊し,伝道を禁止する法が緩和されたり解除されたりしました。非常に多くのクリスチャンがその時期を生かして伝道し,大きな成果がありました。

      22. 今,自由があるなら,どのように活用できますか。

      22 あなたはどうですか。今の自由を活用していますか。もし信教の自由がある国にいるなら,お金や物のことばかり考えさせようとするサタンの誘惑に気を付けてください。(マタ 13:22)エホバへの奉仕以外のことに気を取られ過ぎないようにしましょう。せっかくある今の自由を無駄にせず,一番大事なことのために使いましょう。徹底的に伝道し,仲間の信仰を強めることに集中しましょう。今の自由はいつ突然になくなるか分からないからです。

      23,24. (ア)タビタについての心温まる出来事から何を学べますか。(イ)この章を学んで,これからどうしていきたいと思いましたか。

      23 次に,タビタ(別名ドルカス)という弟子に起きたことに注目しましょう。タビタは,ルダに近いヨッパという町に住んでいました。信仰のあつい姉妹で,自分の時間や持っている物をエホバと仲間のために使い,「たくさんの善行と憐れみの施しをする」人でした。しかし,急に病気になり,亡くなってしまいます。c ヨッパの弟子たちは大きな悲しみに包まれました。タビタから親切にしてもらっていたやもめたちは特に悲しみました。遺体が置かれている家に,ペテロが到着します。そこでペテロは,キリストの使徒たちがこれまで一度もしたことのない奇跡を起こします。祈ってから,タビタを生き返らせたのです。やもめやほかの弟子たちを部屋に呼んで,生き返ったタビタを見せた時,みんなどんなにか喜んだことでしょう。信仰が強められ,その後の試練に備えることができたはずです。この奇跡は「ヨッパ中に知られ,多くの人が主を信じるように」なりました。(使徒 9:36-42)

      姉妹が,体が弱くなっている年配の姉妹に花をプレゼントしている。

      どのようにタビタに倣えるか。

      24 この心温まる出来事から,大切なことを2つ学べます。(1)命ははかないものです。命あるうちに,神に喜ばれることを精いっぱい行っていきましょう。(伝 7:1)(2)復活は確実な希望です。エホバはタビタがしたたくさんの親切を忘れず,その頑張りが報われるようにしました。私たちが一生懸命してきたことも全部覚えていて,ハルマゲドンの前に死ぬとしても,必ず復活させてくれます。(ヘブ 6:10)では,私たちにとって今が「困難な時」でも「平和な時期」でも,キリストについて徹底的に伝道していきましょう。(テモ二 4:2)

      パリサイ派のサウロ

      ステファノの石打ちについての「使徒の活動」の記録に,「サウロという若者」が出てきます。彼はタルソス出身でした。タルソスは,現在のトルコ南部に位置する,ローマの属州キリキアの州都でした。(使徒 7:58)その都市には,かなりの数のユダヤ人が住んでいました。本人が書いているように,サウロは「生後8日目に割礼を受けており,イスラエルの子孫,ベニヤミン族の者,ヘブライ人から生まれたヘブライ人」で,「律法に関しては,パリサイ派」でした。ユダヤ人として申し分のない家系だったといえます。(フィリ 3:5)

      パリサイ派のサウロ

      サウロの家は,ギリシャ文化が栄え,貿易で潤った大都市にありました。タルソスで育ったサウロはギリシャ語に通じていました。初等教育はユダヤ人の学校で受けたようです。サウロは地元の産業だった天幕作りの技術を身に付けていました。たぶん子供の頃に父親から教わったのでしょう。(使徒 18:2,3)

      「使徒の活動」によれば,サウロは生まれながらのローマ市民でした。(使徒 22:25-28)つまり,先祖の誰かがローマ市民権を得ていたということです。どのようにして得たかは分かりません。ともかく,その立場のためキリキア州の上流階級に属していました。こうした経歴と教育のあったサウロには,ユダヤ,ギリシャ,ローマという3つの文化で活躍できる十分の土台がありました。

      サウロはおそらく13歳までに,さらに教育を受けるため,840㌔を旅してエルサレムに行ったと思われます。そこでガマリエルから直接教えを受けました。ガマリエルはパリサイ派の伝統を教える教師として非常に尊敬されていました。(使徒 22:3)

      現在の大学教育に当たるそうした教育は,聖書やユダヤ教の口伝律法を学んで記憶することが中心だったと思われます。ガマリエルの優秀な生徒には将来が約束されていました。サウロがまさにそうでした。こう書いています。「[私は]多くの同年代の同胞よりもユダヤ教に打ち込み,はるかに熱心に父祖たちの伝統に従っていました」。(ガラ 1:14)もっともサウロは,ユダヤ教の伝統に深く傾倒していたため,発足したばかりのクリスチャン会衆を迫害し,ひどい目に遭わせました。

      タビタ 「たくさんの善行」をした女性

      困っている人にタビタが贈り物をしている。

      タビタは港町ヨッパにあるクリスチャン会衆の1人でした。「タビタはたくさんの善行と憐れみの施しをする女性だった」ので,仲間から愛されました。(使徒 9:36)ユダヤ人と異国人の両方が住む地域では,ユダヤ人の多くが名前を2つ持っていました。1つはヘブライ語かアラム語の名前,もう1つはギリシャ語かラテン語の名前でした。タビタにも2つの名前があり,「ドルカス」はギリシャ語名で,「タビタ」がアラム語名でした。どちらも「ガゼル」という意味です。

      タビタは病気になって急に亡くなったようです。遺体は葬られる前に習慣通り洗われ,階上の部屋に置かれました。そこは彼女の家だったと思われます。中東は暑いので,亡くなった当日か翌日に葬る必要がありました。ヨッパのクリスチャンは使徒ペテロが近くのルダにいることを聞いていました。ルダはヨッパから18㌔しか離れておらず,歩いて4時間ほどの距離だったので,タビタを葬る前にヨッパに来てもらうだけの時間があります。それで,すぐに来てくれるようペテロに頼むため,会衆は2人の人を派遣します。(使徒 9:37,38)ある学者は次のように言っています。「昔のユダヤ人の間では,使者を2人一組で遣わすのが慣例だった。そうすれば,1人の証言をもう1人が裏づけることもできた」。

      ペテロが到着した時のことについて,こう書かれています。「ペテロは……階上の部屋に案内された。やもめたちが皆出てきて,ドルカスが作った外衣などのたくさんの服を泣きながら見せた」。(使徒 9:39)日頃から仲間のために服を作ってあげていたタビタは,とても慕われていました。タビタは,肌にじかに着るチュニックや,その上に着るマントもしくは長い服を作りました。縫ってあげただけなのか,材料費も負担したのかは書かれていません。いずれにしても,「憐れみの施し」をする親切なタビタを,みんな愛していました。

      ペテロは,階上の部屋で悲しむやもめたちを見て,胸が痛くなったはずです。学者のリチャード・レンスキはこう書いています。「その嘆き悲しみは,雇われた泣き女やフルート吹きがヤイロの家で騒いでいた時とは大きく異なっていた。そうした作り物の嘆き悲しみではなかったのである」。(マタ 9:23)みんな心から悲しんでいました。夫のことが一度も出てこないので,タビタは独身だったのかもしれない,と言う人もいます。

      イエスは使徒たちに任務を託した時,「死んだ人を生き返らせ」る力を与えました。(マタ 10:8)ペテロは,イエスがヤイロの娘などを復活させるのを見ていました。でも,使徒たちが人を生き返らせた記録は,この使徒 9章まで1つもありません。(マル 5:21-24,35-43)ペテロはみんなを階上の部屋から出し,熱烈に祈りました。すると,タビタは目を開け,体を起こします。ペテロはやもめたちやほかの弟子たちを呼んで,生き返ったタビタに会わせます。ヨッパのクリスチャンはみんな,どんなにか喜んだことでしょう。(使徒 9:40-42)

      a 「パリサイ派のサウロ」という囲みを参照。

      b 聖なる力による奇跡的な能力は,基本的に使徒たちを通して与えられました。しかし今回は,イエスがアナニアに権限を授け,その能力をアナニアがサウロに与えられるようにした,と思われます。サウロはクリスチャンになってからしばらく12使徒に会えませんでしたが,その間もずっと活動していたようです。それでサウロの場合は,伝道の任務に必要な力を受けられるよう,イエスが例外的に取り計らったと思われます。

      c 「タビタ 『たくさんの善行』をした女性」という囲みを参照。

  • 「神[は]不公平ではない」
    神の王国について徹底的に教える
    • 9章

      「神[は]不公平ではない」

      割礼を受けていない異国人への伝道が始まる

      使徒 10:1–11:30

      1-3. ペテロはどんな幻を見ましたか。その意味を知ることが大切なのはどうしてですか。

      時は36年。屋上で祈るペテロに秋の日差しが降り注いでいます。ペテロはここしばらく,港町ヨッパの海辺の家に宿泊しています。皮なめし職人シモンの家です。ユダヤ人の中にはこの職業の人の家に泊まろうとしない人もいたので,ペテロにはあまり偏見がなかったことが分かります。a でもペテロは,エホバの公平さについてもっと学ばなければいけませんでした。

      2 ペテロは祈っているうちに恍惚状態になり,幻を見ます。大きな亜麻布が四隅をつるされて下りてきます。その中には,律法で清くないとされている動物が入っています。ペテロは「ほふって食べなさい!」と言われ,こう答えます。「汚れたものや清くないものはこれまで食べたことがありません」。ペテロは3度にわたって拒みますが,3度ともこう言われます。「神が清めたものを,汚れていると言ってはなりません」。(使徒 10:14-16)ユダヤ人なら誰でも嫌な気持ちになるような幻でした。ペテロもとても戸惑いましたが,やがてその意味を知ることになります。

      3 私たちにとってもこの幻の意味はとても重要です。そこから,エホバが人をどう見ているかが分かるからです。私たちも同じ見方をしないと,神の王国について徹底的に教えることはできません。では,幻の意味を知るために,この前後に起きた出来事を調べてみましょう。

      「いつも神に祈願をしていた」(使徒 10:1-8)

      4,5. コルネリオはどんな人でしたか。祈っていると,どんなことがありましたか。

      4 ペテロは知りませんでしたが,幻を見た前の日,約50㌔北のカエサレアでコルネリオという人も幻を見ていました。コルネリオはローマ軍の百人隊長で,「神を畏れる人」でした。b 家族を大事にしていて,「家の人全員と一緒に神を崇拝し」ていました。ユダヤ教に改宗してはおらず,割礼を受けていない異国人でした。それでも,困っているユダヤ人を思いやり,お金や物を分け与えていました。とても誠実で,「いつも神に祈願をして」いました。(使徒 10:2)

      5 午後3時ごろ,コルネリオが祈っていると,幻の中で天使からこう言われます。「神はあなたの祈りと憐れみの施しに注目し,覚えています」。(使徒 10:4)さらに天使から,使徒ペテロを呼ぶよう指示され,その通りにするため人を遣わします。コルネリオのために今,扉が開こうとしていました。割礼を受けていない異国人には,これまで閉ざされていた扉です。その先には救いへの道が続いています。

      6,7. (ア)神について知りたいと願う人の祈りを,神は確かに聞いています。そのことが分かるどんな例がありますか。(イ)そうした例から,どんなことが分かりますか。

      6 現代でも,神について知りたいと願う人の祈りを,神は確かに聞いています。アルバニアの女性の例があります。女性は,伝道にやって来たエホバの証人から,子育てについて書かれた「ものみの塔」誌を受け取り,こう言いました。c 「信じられません。子供の育て方について教えてくださいと祈っていたところでした。神様があなたを遣わしてくださったんですね。本当にありがとうございます。ちょうど知りたかったことなんです」。女性は娘たちと一緒に聖書レッスンを受けるようになり,後から夫も学ぶようになりました。

      7 これは決して珍しい例ではありません。世界中でこうしたことがよくあるので,偶然とはいえません。こういう例から,2つのことが分かります。1つ目に,神について知りたいと願う人の祈りを,エホバは間違いなく聞いています。(王一 8:41-43。詩 65:2)2つ目に,天使が私たちの伝道をサポートしてくれています。(啓 14:6,7)

      「ペテロが……戸惑って」いた(使徒 10:9-23前半)

      8,9. 聖なる力はペテロにどんなことを知らせましたか。ペテロはどうしましたか。

      8 まだ屋上にいるペテロが「幻は何を意味するのだろうと戸惑っていると」,コルネリオから遣わされた人たちが家にやって来ます。(使徒 10:17)ペテロは,清くない動物は食べられないと3度も言うほど,律法を重んじていました。ではそのペテロは,やって来た人たちと一緒に異国人の家を訪ねるでしょうか。神は,どうしてほしいと思っているかを聖なる力によって知らせます。「3人の人が会いに来ています。立って,下に下り,何も疑わないで一緒に行きなさい。私が遣わした人たちです」。(使徒 10:19,20)ペテロは清くない動物の幻を見ていたおかげで,素直に聖なる力に導いてもらうことができました。

      9 遣わされた人たちは,コルネリオが神から指示を受け,ペテロを連れてくるようにと言われたことを話します。ペテロはそれを聞いて,異国人の3人を家に「招き入れてもてなし」ました。(使徒 10:23前半)こうしてペテロは,神が考えている事を感じ取り,新たな展開に自分を合わせていきました。

      10. エホバは私たちをどのように導いていますか。どんなことを考えてみるとよいですか。

      10 現代でも,エホバは自分の考えを少しずつ明らかにし,私たちが良い方向に進めるようにしてくれています。(格 4:18)聖なる力によって「忠実で思慮深い奴隷」を導いています。(マタ 24:45)時々,聖書の理解が変わったり,物事のやり方が変更されたりすることがあります。「そういう進展にどう反応しているだろうか。聖なる力が導いている方向に自分を合わせているだろうか」と考えてみましょう。

      ペテロは「バプテスマを受けるようにと命じた」(使徒 10:23後半-48)

      11,12. カエサレアに着いたペテロはどうしましたか。ペテロは何を学んでいましたか。

      11 幻を見た次の日,ペテロは9人(コルネリオに遣わされた3人とヨッパの「6人の[ユダヤ人の]兄弟たち」)と一緒にカエサレアに向かいます。(使徒 11:12)コルネリオは「親族や親しい友人たちを呼び集めて」,ペテロが来るのを待っていました。みんな異国人だったと思われます。(使徒 10:24)家の前に着いたペテロはどうするでしょうか。ここは割礼を受けていない異国人の家です。以前のペテロなら家に入るなんて考えられません。でも中に入り,こう言います。「よくご存じの通り,ユダヤ人にとって,別の人種の人と交友を持ったりそのもとを訪れたりするのは許されないことです。しかし神は,誰のことも汚れているとか清くないとか言ってはならないことを私に示しました」。(使徒 10:28)ペテロは幻の意味に気付いていました。単に,食べてよい動物について教える幻ではありませんでした。ポイントは,「誰のことも[異国人のことも]汚れていると……言ってはならない」ということです。

      ペテロと仲間たちがコルネリオの家に入る。

      「コルネリオは待ち受けていて,親族や親しい友人たちを呼び集めていた」。使徒 10:24

      12 家に集まっていた人たちは興味津々です。「今,私たちは皆,あなたが話すようにとエホバが命じた事柄を,全て聞くために神の前にいます」とコルネリオが言います。(使徒 10:33)伝道で会った人からこんなふうに言われたら,本当にうれしいのではないでしょうか。ペテロは確信を持ってこう言います。「神が不公平ではないことがよく分かりました。神を畏れて正しいことを行う人はどの国の人でも神に受け入れられるのです」。そう言ってから,イエスの宣教,死,復活について伝えました。(使徒 10:34,35)ペテロはすでに大事なことを学んでいました。神は,人種や国籍,見た目などで人をひいきしたりはしません。

      13,14. (ア)36年に異国人たちがクリスチャンになったのは画期的なことでした。どうしてですか。(イ)人を見た目で判断してはいけないのはどうしてですか。

      13 すると何と,「ペテロが話しているうちに」,そこにいた「異国の人々」に聖なる力が注がれます。(使徒 10:44,45)バプテスマの前に聖なる力が注がれた例が書かれているのは,聖書の中でここだけです。神のサインを感じ取ったペテロは,その異国人たちに「バプテスマを受けるようにと命じ」ます。(使徒 10:48)こうして36年,異国人がクリスチャンになり,ユダヤ人が特別だった時代は終わりを迎えました。(ダニ 9:24-27)ペテロはこのようにして,「王国の鍵」の3つ目,最後の鍵を使いました。(マタ 16:19)扉が開いたことにより,割礼を受けていない異国人にも,聖なる力によって選ばれたクリスチャンになる道が開かれました。

      14 私たちも伝道するとき,「神は不公平ではない」ことを忘れないようにします。(ロマ 2:11)神は「あらゆる人が救われ」ることを望んでいます。(テモ一 2:4)それで,人を見た目で判断しないようにしましょう。私たちの使命は,神の王国について徹底的に教えることです。人種,国籍,外見,何を信じているかに関わりなく,全ての人に伝道します。

      「兄弟たちは……反対をやめ,神をたたえ[た]」(使徒 11:1-18)

      15,16. ユダヤ人のクリスチャンがペテロを批判したのはどうしてですか。ペテロはどう答えましたか。

      15 起きたことを話したくて,ペテロはエルサレムに向かいます。でも,割礼を受けていない「異国の人々も神の言葉を受け入れた」という知らせはすでに伝わっていたようです。「割礼を支持する人々」が,到着したペテロを「批判し始め」ます。「あなたは割礼を受けていない人の家に入って一緒に食事をした」と言ってきます。(使徒 11:1-3)彼らが問題にしたのは,異国人がクリスチャンになるのはおかしいということではありません。エホバを崇拝するには,異国人も律法を守って割礼を受けなければいけない,と考えていました。これまで厳守してきたモーセの律法から離れるのが難しかったのです。

      16 ペテロは何と答えるでしょうか。使徒 11章4-16節で,神が物事を動かしている証拠を4つ挙げています。(1)神からの幻を見たこと(4-10節),(2)聖なる力を通して神から指示があったこと(11,12節),(3)天使がコルネリオを訪ねたこと(13,14節),(4)異国人たちに聖なる力が注がれたこと(15,16節)です。それから,こう言って考えさせます。「それで,神が,主イエス・キリストを信じた私たち[ユダヤ人]に与えたのと同じ無償の贈り物[聖なる力]をその人たち[異国人]に与えた以上,どうしてこの私が神を妨げることなどできたでしょうか」。(使徒 11:17)

      17,18. (ア)ペテロの説明を聞いたユダヤ人のクリスチャンには,どんな葛藤があったかもしれませんか。(イ)会衆の絆を守るのが難しいことがあるのはどうしてですか。自分についてどんなことを考えてみるとよいですか。

      17 ユダヤ人のクリスチャンたちはどうするでしょうか。偏った見方を捨てて,異国人たちを仲間として受け入れるでしょうか。こう書かれています。「兄弟たち[使徒たちとほかのユダヤ人のクリスチャン]はこれらのことを聞くと,反対をやめ,神をたたえてこう言った。『それでは,神は異国の人々が悔い改めて命を得ることも望んでいるのだ』」。(使徒 11:18)こうして,みんなが新たな進展を前向きに受け止め,会衆の絆は守られました。

      18 現代でも,会衆の絆を守るのが難しいことがあります。エホバの証人は「全ての国や民族や種族や言語の人々の中から来[ている]」からです。(啓 7:9)多くの会衆では,いろんな人種,文化,生い立ちの人たちが混ざり合っています。それで,こう考えてみましょう。「自分はちょっとでも偏った見方をしていないだろうか。世の中に見られる国家主義,民族主義,文化的偏見,人種差別などの影響を少しでも受けていないだろうか」。今回エホバの公平さを学んだペテロ(ケファ)も,数年後には失敗してしまいました。周りの偏見の影響を受けて,異国人のクリスチャンから「離れていき」,パウロから間違いを正されました。(ガラ 2:11-14)私たちも気を付けたいものです。

      「大勢の人が信じるようになっ[た]」(使徒 11:19-26前半)

      19. アンティオキアのユダヤ人のクリスチャンは,どんな人たちに伝道し始めましたか。どんな成果がありましたか。

      19 クリスチャンたちは,割礼を受けていない異国人にも伝道し始めるでしょうか。シリアのアンティオキアで起きたことに注目しましょう。d この都市には多くのユダヤ人が住んでいましたが,ユダヤ人と異国人の間に敵対心はほとんどありませんでした。そのため,異国人への伝道がしやすい場所だったといえます。それでこの都市で,ユダヤ人が「ギリシャ語を話す人々」に良い知らせを伝えることが始まりました。(使徒 11:20)ギリシャ語を話すユダヤ人にだけでなく,割礼を受けていない異国人にも伝道しました。エホバが成功させてくださり,「大勢の人が信じるようにな」りました。(使徒 11:21)

      シリアのアンティオキア

      シリアのアンティオキアは,地中海沿岸の港セレウキアからオロンテス川を30㌔ほどさかのぼった所にあり,エルサレムの約550㌔北に位置していました。(使徒 13:4)セレウコス朝の最初の統治者セレウコス1世ニカトールが,紀元前300年にアンティオキアを建てました。アンティオキアはセレウコス朝の首都として,すぐに非常に重要な都市になります。紀元前64年,ローマの将軍ポンペイウスがシリアをローマの属州とし,アンティオキアを州都にしました。西暦1世紀には,アンティオキアはローマ帝国の都市の中で,規模と豊かさの面で,ローマとアレクサンドリアに次ぐ第3の地位にありました。

      アンティオキアは政治だけでなく商業の中心地でもありました。シリア全土の商品はこの都市を経由して地中海沿岸地域に輸出されました。「ギリシャ・ローマ世界と東方地域の境界に近かったので,たいていのヘレニズム都市よりもはるかに国際色豊かだった」とある学者は言っています。アンティオキアには大きなユダヤ人コミュニティーがあり,ユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスによれば,彼らはその都市の「非常に大勢のギリシャ人を改宗者にした」とのことです。

      20,21. バルナバは自分の限界を認めて,どんなことをしましたか。宣教でどのようにバルナバに倣えますか。

      20 アンティオキアでの発展が見込まれたため,エルサレムの会衆はバルナバを遣わします。それでも,関心を持つ人があまりにも多く,バルナバ1人では足りませんでした。ほかに誰がここで奉仕するとよいでしょうか。異国人への使徒になるよう選ばれていたサウロがまさに適任です。(使徒 9:15。ロマ 1:5)バルナバはライバル心を抱いて,サウロを誘うことをためらうでしょうか。そんなことはありません。助けが必要なことを謙虚に認め,タルソスに行ってサウロを捜し,アンティオキアに来てもらいます。2人は丸1年一緒に働き,アンティオキアの会衆の人たちの信仰を強めました。(使徒 11:22-26前半)

      21 私たちも自分の限界を認め,謙虚でいたいと思います。宣教で,みんなそれぞれ違う得意分野を持っています。日常で出会う人に話し掛けたり,家を訪問したりするのが得意でも,再び訪問したり聖書レッスンを始めたりするのは苦手かもしれません。伸ばしたい分野があれば,得意な人に教えてもらうのはどうでしょうか。そうすれば,宣教がもっと楽しくなり,成果もきっと上がるはずです。(コリ一 9:26)

      「兄弟たちを救援する」(使徒 11:26後半-30)

      22,23. アンティオキアの兄弟たちはどのように兄弟愛を表しましたか。現代のエホバの証人はどうですか。

      22 「弟子たちが神の導きによってクリスチャンと呼ばれた」のは,アンティオキアが最初でした。(使徒 11:26後半)神の導きにより,キリストの生き方に倣う人たちにぴったりの名称が生まれました。異国人もクリスチャンになっていましたが,ユダヤ人のクリスチャンとの関係はどのようなものだったのでしょうか。46年ごろ,大飢饉が起きました。e 昔は特に,飢饉になると貧しい人たちが苦しみました。お金や食べ物の蓄えがなかったからです。この大飢饉の時も,ユダヤに住むユダヤ人のクリスチャンの多くは貧しかったため,困窮しました。そのことを知って,アンティオキアの兄弟たち(異国人のクリスチャンも含む)は「ユダヤに住む兄弟たちを救援する」ことにしました。(使徒 11:29)素晴らしい兄弟愛です。クリスチャンたちは固い絆で結ばれていました。

      23 現代のエホバの証人も同じです。近くであれ遠くであれ,兄弟たちが苦しんでいるのを知ると,助けになろうとします。仲間がハリケーン,地震,津波などの自然災害に見舞われると,支部委員会はすぐに災害救援委員会を設けます。私たちは兄弟たちを心から愛しているので,そうした救援活動をします。(ヨハ 13:34,35。ヨハ一 3:17)

      24. ペテロが見た幻の意味を忘れずに,どうしていくことが大切ですか。

      24 では,1世紀にヨッパでペテロが見た幻の意味を忘れないようにしましょう。エホバは公平な方です。私たちが相手の人種,国籍,社会的地位に関わりなく,神の王国について徹底的に教えることを,エホバは願っています。これからも良い知らせをあらゆる人に伝えていきましょう。(ロマ 10:11-13)

      兄弟姉妹が屋根を修理している。

      兄弟たちが困っているときは助けになろうとする。

      コルネリオとローマ軍

      ローマの属州ユダヤの行政・軍事の本拠地はカエサレアでした。総督の指揮下にあった軍隊は,500騎から1000騎の騎兵隊と5つの歩兵隊から成っていました。1つの歩兵隊は総勢600人ほどでした。これらの兵士は通常,ローマ市民ではない人たちの中から徴募されました。大半はカエサレアで軍務に就きましたが,ユダヤ各地に小さな守備隊が駐屯しました。エルサレムでは,アントニアの塔に1つの歩兵隊が常駐し,神殿の丘と都市を警備しました。ユダヤ人の祭りの時期になると,騒動に備えてエルサレムのローマ軍が増強されました。

      百人隊長は約100人の兵士を率いました。使徒 10章1節のギリシャ語本文によれば,コルネリオはイタリア隊という部隊の百人隊長の1人でした。カエサレアを拠点としていたと思われるこの部隊は,「ローマ市民志願兵の第二イタリア歩兵隊」だったかもしれません。f 百人隊長は,社会でも軍隊でもかなり高い地位にあり,裕福でした。給与は普通の兵士の16倍だったともいわれています。

      f この歩兵隊(ラテン語名: Cohors II Italica voluntariorum civium Romanorum)は,69年にシリアに駐屯していたことが知られています。

      a ユダヤ人の中には,皮なめし職人を見下す人がいました。動物の皮や死骸に触れたり,悪臭の伴う作業をしたりする仕事だったからです。皮なめし職人は神殿に行ってはいけないとされていて,作業場は町から約20㍍以上離れていなければなりませんでした。それもあって,シモンの家は「海辺に」あったと考えられます。(使徒 10:6)

      b 「コルネリオとローマ軍」という囲みを参照。

      c これは2006年11月1日号で,4-7ページに「子育てのための信頼できるアドバイス」という記事が載っています。

      d 「シリアのアンティオキア」という囲みを参照。

      e ユダヤ人の歴史家ヨセフスも,クラウディウス帝の治世中(41-54年)に起きたこの「大飢饉」に言及しています。

  • 「エホバの言葉は広まってい[った]」
    神の王国について徹底的に教える
    • 10章

      「エホバの言葉は広まってい[った]」

      ペテロが救い出され,迫害にもかかわらず良い知らせが広まっていく

      使徒 12:1-25

      1-4. ペテロはどのように追い詰められましたか。あなたが同じような目に遭ったら,どんな気持ちになりますか。

      大きな鉄の門が,ガシャーンという音を立ててペテロの後ろで閉まります。ペテロは両脇にいるローマの兵士に鎖でつながれ,監房に連れていかれます。この監房で長い時間,おそらく何日も待ちます。自分がこれからどうなるかは分かりません。目に入るものといえば,牢屋の壁,鉄格子,鎖,見張りの兵士だけです。

      2 ぞっとする知らせが届きます。王のヘロデ・アグリッパ1世がペテロを殺すと決めたというのです。a 王は過ぎ越しの後にペテロを民衆の前に引き出すつもりです。そこで死刑を宣言すれば民衆は喜ぶでしょう。これはただの脅しではありません。ヘロデはついこの間,使徒ヤコブを処刑したばかりです。

      3 処刑の前日の晩,暗い監房の中で,ペテロはどんなことを考えているでしょうか。何年も前にイエスから言われたことを思い出しているでしょうか。拘束されて「望まない所に連れていかれ」る,つまり死ぬことになる,と言われていました。(ヨハ 21:18,19)ついにその時が来たか,とペテロは思ったかもしれません。

      4 あなたがペテロと同じような目に遭ったら,どんな気持ちになりますか。絶望し,もう何もかも終わりだと感じるかもしれません。でも,イエス・キリストの後にしっかり従っている人には,絶望的な状況などありません。迫害に遭ったペテロと仲間たちの姿勢から,どんなことを学べるでしょうか。見てみましょう。

      「会衆は……熱烈に神に祈っていた」(使徒 12:1-5)

      5,6. (ア)ヘロデ王がクリスチャンを攻撃したのはどうしてですか。どんなことをしましたか。(イ)ヤコブが死んで,会衆が大きな喪失感に包まれたのはどうしてですか。

      5 前の章で見たように,異国人コルネリオの家族がクリスチャンになったのは素晴らしい出来事でした。でもこれは,クリスチャンではないユダヤ人にとっては不快なことでした。異国人がユダヤ人のクリスチャンと一緒に神を崇拝するようになったからです。

      6 ずる賢いヘロデ王は,ユダヤ人に気に入られようとして,ここぞとばかりにクリスチャンを攻撃し始めます。使徒ヤコブがイエス・キリストと特に親しかったことを知っていたのでしょう。「[ヘロデ王は]ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」とあります。(使徒 12:2)会衆は大きな喪失感に包まれました。ヤコブは,イエスの姿が変わって輝いたのを見た3人のうちの1人でした。ほかの使徒たちが見ていない奇跡も見ました。(マタ 17:1,2。マル 5:37-42)とても熱い人だったので,ヤコブは兄弟のヨハネと一緒にイエスから「雷の子たち」と呼ばれました。(マル 3:17)会衆は,みんなから愛される,勇敢で信頼できる仲間を失ったのです。

      7,8. ペテロが牢屋に入れられていた時,会衆の人たちは何をしましたか。

      7 ヘロデの思惑通り,ユダヤ人たちはヤコブの処刑を喜びます。いい気になったヘロデは,今度はペテロだと考え,冒頭で見たように牢屋に入れます。しかし,5章で見たように,使徒たちの場合,牢屋に入れるだけでは安心できません。ヘロデはそのことを思い出したのでしょう。念には念を入れて,ペテロを2人の兵士に鎖でつなぎ,16人の兵士に交代で昼も夜も監視させました。ペテロに逃げられたら,兵士たちがペテロの刑を受けます。この危機的な状況で,仲間のクリスチャンには何かできることがあるでしょうか。

      8 仲間たちは何をすべきかをよく分かっていました。使徒 12章5節にはこうあります。「ペテロは牢屋に入れられていたが,会衆はペテロのために熱烈に神に祈っていた」。会衆の人たちは愛する兄弟ペテロのために,心から熱烈に祈っていました。ヤコブが処刑されても絶望しておらず,祈っても無駄だと考えたりもしませんでした。私たちが祈るかどうかは,エホバにとってとても大きなことです。私たちが伝える願いがエホバの望んでいることなら,聞き届けてくれます。(ヘブ 13:18,19。ヤコ 5:16)これはぜひ覚えておきたい大切なことです。

      9. ペテロのために祈った仲間たちから,どんなことを学べますか。

      9 あなたには,苦しい目に遭っている仲間がいますか。迫害を受けていたり,活動が禁止されていたり,自然災害に見舞われていたりするかもしれません。そういう仲間のために,心から祈るのはどうでしょうか。ほかの身近な問題に悩んでいる仲間もいるかもしれません。家族から反対されたり,奉仕を続けていくのが大変だと感じていたりするかもしれません。祈る前に仲間のことを考えてみると,名前を挙げて祈りたい人がたくさん思い浮かぶはずです。「祈りを聞く方」エホバに,その人たちのことを話しましょう。(詩 65:2)自分がつらい時には,仲間に自分のことを祈ってもらいたいと思うのではないでしょうか。そう考えると,ぜひ仲間のために祈ろうという気持ちになります。

      手錠を掛けられた兄弟が看守に監房へ連れていかれる。

      信仰を貫いて刑務所にいる兄弟たちのために祈る。

      「後に付いてきなさい」(使徒 12:6-11)

      10,11. 天使はどのようにペテロを救い出しましたか。

      10 ペテロは最後の夜,自分は死ぬんだという不安でいっぱいだったでしょうか。どう感じていたかは分かりませんが,見張りの兵士2人の間で眠っていました。強い信仰があったので,明日どうなるとしてもエホバが一緒だと思っていたのでしょう。(ロマ 14:7,8)いずれにしても,その晩に起きた,驚くような出来事は予想していなかったはずです。突然,光が監房の中を明るく照らします。天使が現れ,急いでペテロを起こします。兵士たちには天使が見えないようです。そして,両手を縛っていた重い鎖が外れ,するりと落ちます。

      天使に連れられたペテロが見張りの兵士たちの横を過ぎ,町に通じる鉄の門に向かっている。

      「町に通じる鉄の門まで来ると,それがひとりでに開いた」。使徒 12:10

      11 天使はペテロに次々と指示します。「早く立ちなさい!」,「支度をし,サンダルを履きなさい」,「外衣を着[なさい]」。ペテロはすぐ言われた通りにします。そして,天使から「後に付いてきなさい」と言われ,そうします。監房を出て,外に立つ見張りのそばを通り,鉄の門にそっと向かいます。この大きな門をどうやって通り抜けるのでしょうか。心配は要りません。近づくと,門が「ひとりでに開[きました]」。気付いた時には,もう門を抜けて通りに出ていました。天使は消えていなくなります。1人になったペテロは悟ります。「これは幻ではない。現実に起きたことだ」。自由になったのです。(使徒 12:7-11)

      12. エホバの救い出す力について考えると,勇気が湧いてきます。どうしてですか。

      12 エホバには,どんなに危機的な状況からも救い出す力があります。そう考えると,勇気が出てくるのではないでしょうか。ヘロデ王の後ろには史上最強の帝国が付いていました。そのヘロデに牢屋に入れられても,ペテロは軽々と門から出てきました。エホバはみんなにそういう奇跡を起こすわけではありません。ヤコブの時にはしませんでしたし,ペテロについても別の時にはそうせず,イエスが言っていた通りになりました。現代のクリスチャンも,奇跡的な救出は期待しません。それでも,エホバは変わっていないことを忘れないようにしましょう。(マラ 3:6)信仰のために命を落とすかもしれませんが,エホバはもうすぐイエスに命じて,そうやって亡くなった人みんなを生き返らせてくれます。牢屋から助け出すよりもはるかにすごいことをしてくれるのです。そう考えると,闘う力が湧いてきます。(ヨハ 5:28,29)

      「ペテロがいたので非常に驚いた」(使徒 12:12-17)

      13-15. (ア)マリアの家にいた人たちは,ペテロが来た時どうしましたか。(イ)「使徒の活動」にはこの先,主にどんなことが書かれていますか。ペテロはその後もどうしていったと考えられますか。

      13 ペテロは暗い通りに立ち,どこに行くべきか考えます。そして,ふと思い出します。近くにマリアというクリスチャンの女性が住んでいます。余裕のある暮らしをしているやもめだったようで,会衆が集まれるほどの大きな家に住んでいます。息子はヨハネ・マルコで,ペテロからわが子のように愛されるようになった人です。「使徒の活動」ではここで初めて言及されています。(ペテ一 5:13)その夜,遅い時間にもかかわらず,会衆の多くの人がマリアの家に集まり,熱烈に祈っていました。ペテロを助けてくださいと祈っていたはずです。その祈りは期待をはるかに上回る形で聞き届けられます。

      14 マリアの家に着いたペテロは,家の庭に通じる門の戸をたたきます。ロダ(よくあるギリシャ語名で「バラ」という意味)という召し使いの女性が出ていきます。ロダは耳を疑います。ペテロの声です。驚いたロダは門も開けず,ペテロを残したまま家の中に走っていきます。ペテロが来ているとみんなに言いますが,気がおかしくなったと思われ,信じてもらえません。それでもロダは諦めず,間違いないと言い張ります。それに押され,ペテロの代理の天使が来ているんだと言う人も出てきます。(使徒 12:12-15)その間,ペテロはずっと戸をたたいていました。会衆の人たちはようやく,門を開けに出ていきます。

      15 門を開けた人たちは,そこに「ペテロがいたので非常に驚」きました。(使徒 12:16)みんな大喜びです。ペテロはまずみんなを落ち着かせてから,何が起きたかを話します。そして,弟子ヤコブと兄弟たちに知らせるようにと言い,兵士たちに見つからないうちに出ていきます。その後,ペテロはもっと安全な場所で奉仕しました。この先,「使徒の活動」では,割礼の問題が出てくる15章以外にはペテロが出てきません。主に,使徒パウロの活動や宣教旅行について記録されています。とはいえ,ペテロは行った先々で兄弟姉妹の信仰を強めたに違いありません。いずれにしても,旅立つペテロを見送った人たちの心は喜びでいっぱいだったはずです。

      16. 将来の幸せが想像をはるかに超えたものになる,といえるのはどうしてですか。

      16 エホバは時々,信じられないようなうれしい経験をさせてくれます。その夜,ペテロの仲間たちはそういう経験をしました。今でも,エホバはうれしいサプライズを起こしてくれることがあります。(格 10:22)そしてやがて,エホバの約束通り,世界中が平和になり,みんなが幸せに暮らせるようになります。その時の喜びは,今私たちが考えているよりもずっとずっと大きなものになるはずです。エホバに仕え続けていれば,その明るい未来を楽しみにしながら毎日を過ごせます。

      「エホバの天使がヘロデを打った」(使徒 12:18-25)

      17,18. どんないきさつがあって,群衆はヘロデの声を「神の声だ」と言いましたか。

      17 ペテロが牢屋から抜け出したことは,ヘロデにとっても驚きでした。でも,うれしい驚きでは全くありません。ヘロデはすぐにペテロの徹底捜索を命じます。そして,見張りの兵士たちを取り調べ,「処罰のために引いていくようにと命令し」ます。兵士たちは処刑されたと思われます。(使徒 12:19)ヘロデ・アグリッパには同情や憐れみのかけらもありません。この残酷な王はいつか処罰されるでしょうか。

      18 ヘロデにとって,ペテロを処刑できなかった屈辱感をなだめ,プライドを取り戻すチャンスがやってきます。敵対関係にあった町の人たちが和平を求めてきたため,ヘロデはその機会に群衆に向かって演説しようと考えます。ルカの記録にある通り,そのために「王の服をまと[い]」ました。ユダヤ人の歴史家ヨセフスによれば,その服は銀でできていたので,光が当たると,ヘロデが輝いているように見えました。王は自信たっぷりに演説を始めます。聞いている人たちは,王にこびて,こう言います。「神の声だ,人の声ではない!」(使徒 12:20-22)

      19,20. (ア)ヘロデがエホバに処罰されたのはどうしてですか。(イ)ヘロデの死についての記録は,どんな大切なことを思い起こさせますか。

      19 神だけがそういう称賛を受けるべきであり,神は見ていました。ヘロデは反応によっては,災難を逃れられたかもしれません。群衆の発言を正すか,少なくとも否定することはできました。でも,そうしなかったため,格言にある通り,ヘロデの「誇りは崩壊につながり」ました。(格 16:18)「たちまちエホバの天使がヘロデを打」ち,おぞましい最期を迎えます。「虫に食われて死んだ」のです。(使徒 12:23)ヨセフスも,アグリッパが突然に打たれたことを書いています。さらに,同じ記録によれば,王は,こびる群衆の言葉を受け入れたために死ぬということを自覚していたようです。アグリッパは5日間苦しんだ末に息絶えたと記録されています。b

      20 いっときのヘロデのように,悪い人たちが罰せられずに悪いことを続ける場合もあります。「全世界は邪悪な者の支配下にあ[る]」ので,それも意外なことではありません。(ヨハ一 5:19)とはいえ,クリスチャンでも,悪い人たちが放置されているように思えて,心が乱されることがあるかもしれません。そういう時,エホバが行動を起こした記録を振り返ると,穏やかな気持ちになれます。エホバは正義の神で,悪い人をいつまでも放っておくことはしません。(詩 33:5)やがて必ず,悪は正されます。

      21. 使徒 12章から学べる一番大事なことは何ですか。どんなことを確信できますか。

      21 使徒 12章の終わりの部分には,前向きなことが書かれています。「エホバの言葉は広まっていき,さらに多くの人が信じた」。(使徒 12:24)こういう伝道の成果について読むと,現代の活動についても考えさせられます。私たちの伝道もエホバが成功させてくださっています。使徒 12章は,1人の使徒が死んで,もう1人の使徒が難を逃れた,というだけの記録ではありません。エホバについての記録です。エホバは,サタンの攻撃からクリスチャン会衆を守りました。サタンが何をたくらんでも,会衆がつぶされることも伝道が止められることもありませんでした。そういうたくらみは全部失敗します。(イザ 54:17)一方,エホバやイエス・キリストと一緒に行う活動は決して失敗しません。伝道して「エホバの言葉」を広められるというのは本当に素晴らしいことです。

      ヘロデ・アグリッパ1世

      ヤコブを処刑してペテロを牢屋に入れた王,ヘロデ・アグリッパ1世は,ヘロデ大王の孫でした。ヘロデ家はユダヤ人を治めた一族で,イドマヤ人つまりエドム人でした。イドマヤ人は名目上はユダヤ人でした。紀元前125年ごろに割礼を強制されたからです。

      ヘロデ・アグリッパ1世は紀元前10年に生まれ,ローマで教育を受けました。皇帝一族のさまざまな人たちと交友を深めました。友の1人はガイウスで,カリグラという名前でよく知られています。カリグラは37年に皇帝になりました。そして,アグリッパをイツリア,テラコニテ,アビレネの王とし,やがてガリラヤとペレアも領土として与えました。

      アグリッパは41年にカリグラが暗殺された時,ローマにいました。ある記録によると,その後の危機の解決に大きな貢献をしました。有力者だった別の友クラウディウスとローマ元老院との間の緊迫した交渉に加わり,結果としてクラウディウスが皇帝とされ,内戦が回避されました。クラウディウスは,調停役を務めたアグリッパに,褒美としてユダヤとサマリアでの王権を授けます。そこは西暦6年以降,ローマの行政長官が統治していた地域でした。こうして,アグリッパはヘロデ大王が治めていたのとほぼ同じ地域を治めるようになりました。

      アグリッパはエルサレムを中心として統治し,そこで宗教指導者たちからの支持を得ました。ユダヤ人の律法と伝統をきちょうめんに守ったと言われています。例えば,毎日神殿で犠牲を捧げ,人々の前で律法を朗読し,「ユダヤ教の熱心な擁護者」のように振る舞いました。とはいえ,神の崇拝者であると言いながら,劇場で剣闘競技や異教の見せ物を催しました。アグリッパは,「不誠実で,軽薄で,浪費癖のある」人物と評されています。

      a 「ヘロデ・アグリッパ1世」という囲みを参照。

      b ある医師は,ヨセフスとルカが記した症状は,致死的な腸閉塞を引き起こす回虫によるものではないか,と書いています。そうした虫は吐き出されることがあり,患者が死ぬと遺体からはい出てきます。「医師ルカの専門家としての正確な記述は,[ヘロデの]死の恐ろしさを明らかにしている」と,ある文献には書かれています。

  • 「喜びにあふれ,聖なる力に満たされていた」
    神の王国について徹底的に教える
    • 11章

      「喜びにあふれ,聖なる力に満たされていた」

      良い知らせを聞こうとしない人たちにパウロはどう対応したか

      使徒 13:1-52

      1,2. バルナバとサウロの任務は,どんな意味で新しかったといえますか。使徒 1章8節の言葉とどう関係していましたか。

      アンティオキアの会衆は喜びに湧いています。会衆の預言者や教える人たちの中から,バルナバとサウロが聖なる力によって選ばれ,良い知らせを遠くに伝えることになりました。a (使徒 13:1,2)以前にも宣教者として遣わされた人たちがいましたが,派遣先はキリスト教がすでに広まっていた地域でした。(使徒 8:14; 11:22)今回バルナバとサウロは,付き添いのヨハネ・マルコと一緒に,良い知らせがほとんど伝わっていない地方に遣わされます。

      2 14年ほど前,イエスは弟子たちにこう言いました。「あなたたちは……エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,また地上の最も遠い所にまで,私の証人となります」。(使徒 1:8)バルナバとサウロが宣教者として任命されたことにより,ますますこの言葉の通りになっていくのが期待されます。b

      「ある活動を行わせるために……選びました」(使徒 13:1-12)

      3. 1世紀の旅にはどんな苦労がありましたか。

      3 今は自動車や飛行機などのおかげで,1,2時間でかなりの距離を移動できます。でも,1世紀はそうではありませんでした。当時,陸路の旅は主に徒歩で,たいていは,起伏の多い土地を越えていきました。1日歩いても,進める距離は30㌔ほどで,体力を相当消耗しました。c バルナバとサウロは新しい任務をとても楽しみにしていたと思われますが,大変な旅になることを覚悟していたはずです。(マタ 16:24)

      陸路の旅

      1世紀当時,陸路の旅は船旅よりも時間がかかって,かなりの体力を要し,おそらく費用もかかりました。しかし,徒歩でしか行けない場所も多くありました。

      徒歩の場合,1日に進めるのは30㌔ほどでした。雨や強い日差し,暑さや寒さに耐えなければならず,盗賊に襲われる危険もありました。使徒パウロは,「何度も旅をし,川での危険,強盗の危険」に遭ったことを書いています。(コリ二 11:26)

      ローマ帝国には舗装道路が張り巡らされており,主要な街道沿いには,1日で歩ける距離ごとに宿屋がありました。そうした宿屋と宿屋の間には,基本的な物品が手に入る休憩所がありました。当時の著述家によれば,宿屋や休憩所は汚くて人で混み合い,じめじめしていてノミだらけでした。不快な場所で,ならず者のたまり場になっていました。宿屋の主人が旅人の物を盗んだり,売春をあっせんしたりすることも少なくありませんでした。

      クリスチャンは,そのような場所をできるだけ避けたに違いありません。とはいえ,親族や友人のいない地方を旅するときは,選択の余地がなかったでしょう。

      4. (ア)バルナバとサウロが選ばれたことには,何が関わっていましたか。ほかの兄弟たちは,その任命をどう受け止めましたか。(イ)会衆で誰かが責任を担うことになったとき,どのようにサポートできますか。

      4 神が聖なる力によって,バルナバとサウロを「ある活動を行わせるために……選び」なさいと指示したのはどうしてでしょうか。(使徒 13:2)詳しいことは書かれていません。でも,2人が選ばれたことに聖なる力が関わっていたのは確かです。アンティオキアの預言者や教える人たちは反対せず,この任命を心から支持しました。兄弟たちはねたむことなく,「断食をして祈ってから,2人に手を置き,送り出し」ました。(使徒 13:3)兄弟たちがそうしてくれたので,バルナバとサウロは温かい気持ちになったことでしょう。私たちもアンティオキアの兄弟たちのようでありたいと思います。会衆の長老に任命されるなど,誰かが責任を担うことになったとき,ねたむのではなく,「よく働いているその人たちに愛と深い思いやりを示し」ましょう。(テサ一 5:13)

      5. バルナバとサウロはキプロス島でどのように伝道しましたか。

      5 バルナバとサウロはアンティオキアから近くの港セレウキアまで歩いて行き,そこからキプロス島まで200㌔ほど船で旅をします。d キプロス島生まれのバルナバは,故郷の人たちに良い知らせをぜひ伝えたいと思っているはずです。キプロス島の東岸の町サラミスに着くと,2人はすぐに「ユダヤ人の会堂で神の言葉を広め始め」ます。e (使徒 13:5)2人はキプロス島の西岸まで旅をしながら,おそらく主な町で伝道したことでしょう。通ったルートによっては,160㌔も歩いた可能性があります。

      ユダヤ人の会堂

      「会堂」と訳される原語には,「集めること」という意味があります。この語はユダヤ人の集会や会衆を指し,やがて,集会が開かれる場所や建物を意味するようになりました。

      会堂が設けられるようになったのは,ユダヤ人の70年間のバビロン捕囚の期間中か,そのすぐ後だと考えられています。会堂は,教育,崇拝,聖書の朗読,講話のための場所でした。1世紀のパレスチナでは,町ごとに会堂がありました。大きな町には2つ以上あり,エルサレムにはたくさんありました。

      バビロン捕囚の後,全てのユダヤ人がパレスチナに戻ったわけではありません。仕事のために異国に移り住む人も多くいました。紀元前5世紀には,ペルシャ帝国の127の管轄地域全体にユダヤ人コミュニティーがありました。(エス 1:1; 3:8)時たつうちに,地中海周辺の町々にもユダヤ人地区ができました。各地に散っていたユダヤ人は,ディアスポラつまり離散している人たちとして知られるようになり,定住した先で会堂を設けました。

      会堂では,安息日ごとに律法が朗読され,説明されました。朗読は1段高くなった演壇から行われ,その周りの3方向に座席がありました。神を畏れるユダヤ人男性は誰でも,朗読,説教,講話に参加できました。

      6,7. (ア)セルギオ・パウロはどんな人でしたか。セルギオ・パウロが信仰を持つのを,バルイエスが邪魔したのはどうしてですか。(イ)バルイエスに妨害されたサウロはどうしましたか。

      6 1世紀のキプロス島は,間違った崇拝にすっかり染まっていました。バルナバとサウロが着いた西岸の町パフォスもそうでした。2人はそこで「呪術師で偽預言者」のバルイエスに会います。バルイエスは,「執政官代理で知的な人セルギオ・パウロと一緒に」いました。f 1世紀当時,教養のあるローマ人は(セルギオ・パウロのような「知的な人」も),重要な決定をするときに呪術師や占星術師に相談することがよくありました。それでもセルギオ・パウロは,神の王国の良い知らせに興味を引かれ,「神の言葉を聞きたが」りました。バルイエスはそのことが面白くありません。バルイエスには,エルマ(「呪術師」という意味)という別名もありました。(使徒 13:6-8)

      7 バルイエスは,神の王国の良い知らせを聞こうとせず,妨害します。セルギオ・パウロの顧問という地位を守るため,「執政官代理が信仰を持つのを邪魔しようとし」ます。(使徒 13:8)サウロは黙っていません。呪術師のせいで誠実な人の関心が失われるのは許せません。どうするでしょうか。こう書かれています。「パウロとも呼ばれるサウロは聖なる力に満たされ,エルマをじっと見て,こう言った。『ああ,あらゆる詐欺と罪悪に満ちた者,悪魔の子,あらゆる正しいことの敵よ,エホバの正しい道をゆがめるのをやめないのですか。さあ,エホバの手があなたの上にあります。あなたは目が見えなくなり,しばらく日の光を見ません』。たちまちエルマは濃い霧と闇で目が見えなくなり,手を引いてくれる人を探し回った」。g セルギオ・パウロはどうしたでしょうか。「起きたことを見た執政官代理は,エホバの教えにすっかり驚いて信者となった」とあります。(使徒 13:9-12)

      兄弟が裁判官の前で聖書を開き,信じていることを語っている。

      パウロのように,反対に遭っても信じていることを勇敢に語る。

      8. パウロの勇敢さにどう倣えますか。

      8 パウロはバルイエスを恐れたりしませんでした。私たちも同じです。誰かが誠実な人の関心を台無しにしようとしても,おじけづいたりしません。もちろん,「塩で味付けされた快い言葉を語るように心掛け」ます。(コロ 4:6)でも,ただ対立を避けようとして,関心のある人を助けずに終わってしまう,ということがないようにしましょう。また,間違っているものは間違っていると恐れずに言えるようでありたいと思います。バルイエスのように「エホバの正しい道をゆがめ」ている宗教があるからです。(使徒 13:10)パウロのように真実を勇敢に語り,学ぶ意欲のある人を助けましょう。パウロの時のような奇跡は起こらないとはいえ,良い人がクリスチャンになれるよう,エホバは聖なる力で必ず助けてくれます。(ヨハ 6:44)

      「励ましの言葉」(使徒 13:13-43)

      9. 会衆で責任を担う兄弟たちは,パウロとバルナバにどのように倣えますか。

      9 パフォスを出る頃,ちょっとした変化があったようです。次は,小アジアの沿岸部にあるペルガに向かって,250㌔ほど船で旅をします。使徒 13章13節には,「パウロの一行は……船に乗っ[た]」とあり,この頃パウロが中心的な存在になったことがうかがえます。それでも,バルナバが張り合おうとしたという記録はありません。2人は一緒に協力しながら,奉仕を続けました。会衆で責任を担う兄弟たちにとって,とても良い手本です。ライバル心を持たず,「あなたたちは皆,兄弟……です」というイエスの言葉を忘れないようにしましょう。「高慢になる人は低く評価され,謙遜になる人は高く評価され」ます。(マタ 23:8,12)

      10. ペルガからピシデアのアンティオキアへの旅は,どんな旅でしたか。

      10 ペルガに着いた時,ヨハネ・マルコはパウロとバルナバから離れてエルサレムに帰りました。どうして突然帰ったかは書かれていません。パウロとバルナバは旅を続け,ペルガからピシデアのアンティオキア(ガラテア州の町)に向かいます。楽な旅ではありませんでした。ピシデアのアンティオキアは海抜1100㍍ほどの所にあるからです。道中の険しい山道は,盗賊が出ることでも知られていました。しかもこの時,パウロは健康の問題を抱えていたようです。h

      11,12. ピシデアのアンティオキアの会堂で,パウロはどのように聞き手の興味を引こうとしましたか。

      11 ピシデアのアンティオキアで,パウロとバルナバは安息日に会堂に入ります。こう書かれています。「律法と預言者の言葉が朗読された後,会堂の役員たちからこう頼まれた。『兄弟たち,皆に何か励ましの言葉があれば,話してください』」。(使徒 13:15)パウロは立ち上がって話します。

      12 パウロは,「皆さん,イスラエルの方も神を畏れるほかの方も」と言って話し始めます。(使徒 13:16)話を聞いていたのはユダヤ人とユダヤ教に改宗した人たちでした。彼らは,イエスには神から与えられた大切な役目があることをまだ知りません。パウロはどのように教えるでしょうか。まず,ユダヤ国民の歴史を簡単に振り返りました。エホバが「エジプトで外国人として生活する民を強大にし……そこから連れ出し」たこと,その後の40年間「荒野でその民のことを辛抱し」たことを話します。また,イスラエル人が約束の地を征服し,エホバから「その土地を……授け」られたことも話しました。(使徒 13:17-19)パウロは,つい先ほど安息日の習慣で朗読された聖句に触れていたのかもしれない,と言われています。もしそうだとすれば,パウロはこの時も,「あらゆる人に対してあらゆるものにな」ろうとしていたことになります。(コリ一 9:22)

      13. 伝道する時,パウロにどのように倣えますか。

      13 私たちも伝道する時,興味を持ってもらえるような話をしたいと思います。相手に宗教心があるか,どういう考えを持っているかを知るようにし,ぴったりの話題を選びましょう。なるほどと思ってもらえるような聖書のフレーズに触れることもできます。聖書を開いて見せ,読んでもらうことが良い場合もあります。何が相手の心に響くかをいつも考えましょう。

      14. (ア)パウロは,イエスについての良い知らせをどのように伝えましたか。どんなことを警告しましたか。(イ)聞いていた人たちはどうしましたか。

      14 パウロは次に,イスラエルの王の家系から「救い主イエス」が生まれた経緯を話し,イエスが登場する前に,バプテスマを施す人ヨハネが活躍したことに触れます。さらに,イエスが処刑され,復活したことも説明します。(使徒 13:20-37)そしてこう言います。「ですから……このことを知ってください。この方の死による罪の許しが皆さんに広められており,……信じる人は皆,この方によって無罪とされるのです」。それからこう警告します。「預言書で述べられている次のことが皆さんに起きないように注意してください。『あざける者たち,見て,驚き,滅びてしまいなさい。私はあなたたちの時代に1つのことをする。そのことを誰かが詳しく話したとしても,あなたたちは決して信じない』」。聞いていた人たちはどうしたでしょうか。うれしいことに,「人々は,こうしたことを次の安息日にもぜひ話してほしいと頼んだ」とあります。しかも,会堂の集会が終わると,「多くのユダヤ人や神を崇拝する改宗者がパウロとバルナバに付いて」いきました。(使徒 13:38-43)

      「私たちは異国の人々の方に向かいます」(使徒 13:44-52)

      15. 次の安息日にどんなことがありましたか。

      15 次の安息日,「町のほとんどの人」がパウロの話を聞きにやって来ます。ユダヤ人はそれが気に入らず,「パウロが語ることを冒瀆して反論するように」なります。パウロとバルナバは彼らに堂々とこう言います。「神の言葉はまずあなた方に語られることが必要でした。あなた方がそれを退けて,永遠の命に値しない者であることを示すのですから,私たちは異国の人々の方に向かいます。エホバは次のような言葉で私たちに命令しています。『私はあなたを国々の光に任命した。あなたは地の果てにまで救いをもたらすのである』」。(使徒 13:44-47。イザ 49:6)

      ピシデアのアンティオキアで,怒った人たちから町の外に追い出されたパウロとバルナバ

      「ユダヤ人たちは……パウロとバルナバに対して迫害を起こし[た]。弟子たちはその後も喜びにあふれ,聖なる力に満たされていた」。使徒 13:50-52

      16. ユダヤ人たちは,パウロとバルナバの話を聞いてどうしましたか。それに対して,2人はどうしましたか。

      16 2人の話を聞いた異国人たちは喜び,「永遠の命を得るための正しい態度を持つ人は皆,信者とな」りました。(使徒 13:48)エホバの言葉はその地方一帯に広まります。一方,ユダヤ人たちはかたくなです。パウロとバルナバが言ったように,神の言葉はまず彼らに語られたのに,彼らはメシアを拒絶しました。それで,神から処罰されても仕方ありません。ユダヤ人たちは2人の話の後,「著名な女性たちや町の主立った人たちをあおり,パウロとバルナバに対して迫害を起こし,境界の外に追い出し」ます。2人はどうするでしょうか。「その人たちに対して足の土を振り払い,イコニオムに行」きます。ピシデアのアンティオキアでのキリスト教の進展はもう見込めないのでしょうか。そんなことはありません。残された弟子たちは「その後も喜びにあふれ,聖なる力に満たされて」いました。(使徒 13:50-52)

      17-19. パウロとバルナバからどんなことを学べますか。どうすれば喜びながら伝道を続けられますか。

      17 パウロとバルナバの対応から大切なことを学べます。たとえ権力者たちが伝道をやめさせようとしても,私たちはやめません。アンティオキアの人たちからの反対に遭った時,パウロとバルナバは「足の土を振り払い」ました。いら立ってそうしたわけではありません。これは,自分に責任がないことを示す動作でした。2人は,自分の力ではどうにもできないことがあるのを認めていました。その人が良い知らせを聞くかどうかは,その人にしか決められません。でも,私たちにも決められることがあります。伝道を続けるかどうかです。それは私たちが自分で決められます。2人はイコニオムに行って伝道を続けることに決めました。

      18 アンティオキアに残された弟子たちはどうだったでしょうか。反対の中,活動を続けなければいけませんでした。でも喜んでいられました。相手が聞いてくれるかどうかだけに注目していたわけではないからです。イエスが言ったように,「神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です!」(ルカ 11:28)アンティオキアの人たちは,神から言われた通りに働けていることをうれしく思っていました。それで,喜んでいられました。

      19 私たちの責任はあくまで良い知らせを伝えることです。パウロとバルナバに倣って,そのことを忘れないようにしましょう。良い知らせを聞こうとするかどうかは,相手が決めることです。聞いてくれる人が少ないと思えるときは,1世紀の兄弟たちのことを思い出しましょう。良い知らせの素晴らしさを忘れず,聖なる力に導かれるようにすれば,反対に遭っても喜んでいられます。(ガラ 5:18,22)

      バルナバ 「慰めの子」

      初期のエルサレム会衆の主立った人の中に,レビ族でキプロス島生まれのヨセフがいました。ヨセフは使徒たちからバルナバとも呼ばれていました。バルナバは「慰めの子」という意味で,彼の人柄をよく表す名前でした。(使徒 4:36)バルナバは,仲間の信者が困っていることに気付くと,すぐに助けました。

      バルナバがお金の入った袋2つを差し出し,寄付している。

      33年のペンテコステの日に,3000人がバプテスマを受けました。その多くはおそらく,祭りのために遠くからエルサレムに来ていた人たちで,予定より長く滞在することになりました。会衆には,大勢の人を世話するための資金が必要でした。そこでバルナバは土地を売り,得たお金を使徒たちの所に持っていって寄付しました。(使徒 4:32-37)

      バルナバはクリスチャンの立派な監督で,進んで人を助けました。タルソスのサウロがクリスチャンになって間もない頃,弟子たちはみんなサウロを怖がっていましたが,バルナバが仲を取り持ってあげました。(使徒 9:26,27)異国人のクリスチャンとの関係について,ペテロと一緒にパウロからはっきり助言された時,素直に受け入れました。(ガラ 2:9,11-14)このように,バルナバは「慰めの子」という名前の通り,優しい人でした。

      a 「バルナバ 『慰めの子』」という囲みを参照。

      b この時点で各地に会衆があり,エルサレムから遠く550㌔ほど北に位置するシリアのアンティオキアにもありました。

      c 「陸路の旅」という囲みを参照。

      d 1世紀当時,追い風であれば船は1日に160㌔ほど進めました。気象条件が悪いと,もっと時間がかかりました。

      e 「ユダヤ人の会堂」という囲みを参照。

      f キプロス島はローマ元老院の統治下にありました。島の行政のトップは,執政官代理の位にある属州総督でした。

      g これ以降,サウロではなくパウロという名前が使われています。彼はここでローマ名を使ってセルギオ・パウロに敬意を表した,と言う人もいます。しかし,キプロス島を去った後もパウロという名前を使っているので,「異国の人々への使徒」として以後ローマ名を使うことにしたとも考えられます。また,ヘブライ語名サウロをギリシャ語式に発音すると,悪い意味があるギリシャ語によく似てしまうので,パウロという名前を使った,ということかもしれません。(ロマ 11:13)

      h パウロは,数年後に書いた「ガラテアのクリスチャンへの手紙」の中で,「私が皆さんに良い知らせを伝えるきっかけになったのは,私の病気でした」と言っています。(ガラ 4:13)

  • 「エホバの権威の下に大胆に語った」
    神の王国について徹底的に教える
    • 12章

      「エホバの権威の下に大胆に語った」

      パウロとバルナバはいつも謙虚で,反対に遭ってもめげずに語り続けた

      使徒 14:1-28

      1,2. ルステラでパウロとバルナバにどんなことがありましたか。

      ルステラの町は大騒ぎです。生まれつき足が不自由だった男性が,喜びながら跳びはねています。2人の見知らぬ人が癒やしてくれたのです。見ていた人たちは驚いて息をのみ,この2人は神に違いないと思います。ゼウスの祭司が2人のために花輪を持ってきます。そして,犠牲として捧げるために雄牛も数頭連れてきます。雄牛は鼻を鳴らし,大きな鳴き声を上げています。パウロとバルナバは声を張り上げ,その崇拝行為をやめさせようとします。服を引き裂いて群衆の中に入っていき,崇拝しないでほしいと言います。興奮していた民衆はやっと引き下がり,静かになります。

      2 ところが,思わぬ展開になります。ピシデアのアンティオキアやイコニオムから過激なユダヤ人たちがやって来て,パウロたちのことを悪く言い,ルステラの人たちにうそを吹き込みます。一時はパウロたちに敬服していた民衆は,態度を一変させ,パウロを取り囲んで石打ちにし始めます。怒りが収まるまで石を投げ付け,パウロは意識を失います。人々は,傷だらけになったパウロを町の外に引きずり出し,死んだと思って置き去りにします。

      3. この章ではどんなことを考えますか。

      3 どうしてこんなにショッキングな出来事が起きたのでしょうか。伝道する私たちは,この出来事からどんなことを学べるでしょうか。バルナバとパウロはめげずに宣教を続け,「エホバの権威の下に大胆に語」りました。2人の手本に長老たちはどのように倣えるでしょうか。(使徒 14:3)

      「非常に大勢の人が信じるようになった」(使徒 14:1-7)

      4,5. パウロとバルナバがイコニオムに行ったのはどうしてですか。そこでどんなことがありましたか。

      4 少し前,パウロとバルナバはピシデアのアンティオキアでユダヤ人からの反対に遭い,町から追い出されました。それでも2人は弱気にならず,「足の土を振り払」ってアンティオキアから出ていきます。(使徒 13:50-52。マタ 10:14)彼らをどうするかは神にお任せし,事を荒立てずに町を去ります。(使徒 18:5,6; 20:26)2人はその後も喜びを失うことなく宣教旅行を続け,南東に150㌔ほど歩いて,タウロス山脈とスルタン山脈の間の肥沃な高原までやって来ました。

      5 パウロとバルナバはまずイコニオムに行きます。そこはギリシャ文化が色濃く残っている町で,ローマの属州ガラテアの主要な町の1つでした。a ユダヤ人やユダヤ教に改宗した人たちが多く住んでいました。2人はいつも通り,会堂に入って伝道を始めます。(使徒 13:5,14)「パウロとバルナバが……立派に話をすると,ユダヤ人もギリシャ人も非常に大勢の人が信じるようになった」と書かれています。(使徒 14:1)

      イコニオム フリギアの町

      イコニオムは,よく潤った肥沃な高原に位置していました。ローマ,ギリシャ,ローマの属州アジアをシリア地方と結ぶ交易ルートの交差点になっていました。

      イコニオムの宗教は,フリギアの豊饒多産の女神キュベレの崇拝で,ヘレニズム時代にギリシャ人の崇拝から影響を受けたものでした。この町は,紀元前65年にローマの勢力下に入り,西暦1世紀には交易と農業の中心地として栄えていました。ユダヤ人がかなり多く住んでいましたが,ヘレニズム的な文化も残っていたようです。「使徒の活動」は,この町にいたユダヤ人と「ギリシャ人」の両方に言及しています。(使徒 14:1)

      イコニオムは,ガラテア州のルカオニア地方とフリギア地方の境界に位置していました。キケロやストラボンなどの古代の著述家たちは,イコニオムをルカオニアの町と呼んでいて,イコニオムは地理的にもルカオニア地方に属します。ところが,「使徒の活動」はイコニオムを,「ルカオニア語」が話されていたルカオニアの町とは区別しています。(使徒 14:1-6,11)このため批評家は,「使徒の活動」の記録は不正確だと主張していました。しかし,1910年に考古学者たちがイコニオムで幾つかの碑文を発見し,パウロとバルナバが訪れてから2世紀の間,その町でフリギア語が使われていたことが明らかになりました。イコニオムがルカオニアの町と区別されていたのは正確だったことが分かります。

      6. パウロとバルナバが上手に教えられたのはどうしてですか。2人にどのように倣えますか。

      6 パウロとバルナバはどうしてそんなに上手に教えられたのでしょうか。パウロは聖書の知識が豊富でした。イエスが約束のメシアであると確信してもらえるよう,歴史や預言,モーセの律法を見事に引き合いに出しながら論じました。(使徒 13:15-31; 26:22,23)バルナバは相手の気持ちに寄り添う人でした。(使徒 4:36,37; 9:27; 11:23,24)2人とも,自分に頼るのではなく,「エホバの権威の下に」語りました。伝道で2人にどのように倣えるでしょうか。聖書のことをよく知り,相手の心に響く聖句を選びましょう。どうすれば心からの思いやりが伝わるかを考えましょう。自分の考えを話すのではなく,エホバの言葉を使って教えましょう。

      7. (ア)良い知らせによってどんなことが生じるかもしれませんか。(イ)家族から冷たくされるとしたら,どうするとよいですか。

      7 でも,イコニオムの人みんながパウロとバルナバの話を聞いて喜んだわけではありません。「信じないユダヤ人たちは異国の人々をあおり立て,兄弟たちに対して悪感情を抱かせた」と書かれています。2人は,しばらくとどまって良い知らせの素晴らしさを伝えた方がよいと考え,「かなりの時をそこで過ごして……大胆に語」ります。その結果,「町の人々はユダヤ人の側と使徒の側とに分かれ」ました。(使徒 14:2-4)現代でも,同じようなことがよくあります。良い知らせによって固い絆が生まれることもあれば,分裂が生じることもあります。(マタ 10:34-36)聖書を学んでいることで,家族から冷たくされるかもしれません。でも単に,根拠のないうわさや批判を耳にして反対している場合もよくあります。いつも親切にし,誠実であり続ければ,やがて分かってくれる時が来るかもしれません。(ペテ一 2:12; 3:1,2)

      8. パウロとバルナバがイコニオムを去ったのはどうしてですか。2人からどんなことを学べますか。

      8 しばらくして,イコニオムのある人たちは怒って,パウロとバルナバを石打ちにしようとたくらみます。そのことを知った2人は,別の町に行って伝道することにしました。(使徒 14:5-7)現代の私たちも,同じように賢い判断をします。私たちのことを悪く言う人がいても,勇気を出して語り続けます。(フィリ 1:7。ペテ一 3:13-15)でも,暴力を振るわれそうになったら,自分や仲間の命を危険にさらすような無謀なことはしません。(格 22:3)

      「生きている神を崇拝する」(使徒 14:8-19)

      9,10. ルステラはどこにありましたか。住民はどんな人たちでしたか。

      9 パウロとバルナバは,ローマの植民市ルステラに向かいます。イコニオムの南西30㌔ほどの所にあった町です。ルステラは,ピシデアのアンティオキアと関係が深かったものの,アンティオキアのようなユダヤ人コミュニティーはありませんでした。住民はギリシャ語も話したようですが,母語はルカオニア語でした。会堂がなかったためと思われますが,パウロとバルナバは公共の場所で伝道し始めます。以前ペテロがエルサレムで,生まれつき足が不自由な人を癒やしたことがありましたが,今回はパウロがルステラで,生まれつき足が悪い人を癒やします。(使徒 14:8-10)ペテロの時は,奇跡を見た大勢の人がクリスチャンになりましたが,パウロの時の反応は全く異なります。(使徒 3:1-10)

      10 冒頭で見たように,ルステラの人たちは,足が不自由だった人が跳びはねているのを見て,パウロとバルナバを崇拝し始めます。バルナバのことを最高神ゼウス,パウロのことをヘルメス(ゼウスの子で神々の代弁者)と見なしました。(「ルステラとそこでのゼウスとヘルメスの崇拝」という囲みを参照。)2人は,自分たちの力は真の神エホバから来ているのであって,異教の神々とは全く関係がないことを民衆に分かってもらおうとします。(使徒 14:11-14)

      ルステラとそこでのゼウスとヘルメスの崇拝

      ルステラはルカオニア地方の町で,主要な街道から外れた谷あいに位置していました。カエサル・アウグストゥスがこの町をローマの植民市に指定し,ユリア・フェリクス・ジェミナ・ルステラと名付けました。そこには,ガラテア州を山岳民族から守るための守備隊が置かれました。ローマの従来の都市機構が導入され,役人たちの称号はラテン語でした。とはいえ,土着の文化もたくさん残っていました。ローマ的な町というよりルカオニアらしさを残す町で,「使徒の活動」に出てくるルステラの人たちは,ルカオニア語を話しました。

      古代ルステラ付近で考古学者が発見した物の中に,「ゼウスの祭司」に言及した碑文やヘルメス神の像があります。ゼウスとヘルメスに献じられた祭壇も見つかっています。

      ローマの詩人オウィディウス(紀元前43年-紀元17年)が記した伝説から,「使徒の活動」の記録の背景をさらに知ることができます。オウィディウスによると,ローマの神ユピテルとメルクリウス(ギリシャの神ゼウスとヘルメスに当たる)が人間に姿を変えてフリギアの丘陵地帯を訪れました。宿を求めて1000軒の家を訪ねましたが,ことごとく断られました。ようやくフィレモンとバウキスという老夫婦が質素な家に迎え入れてくれました。それでゼウスとヘルメスは,その家を大理石と金の神殿に変え,老夫婦を祭司と女祭司にし,泊めてくれなかった人たちの家を破壊しました。「ギリシャ・ローマ時代を背景とする使徒行伝」(英語)にはこう書かれています。「パウロとバルナバが足のなえた人を癒やした時に,それを見たルステラの人々がこうした伝説を思い出したとすれば,犠牲を捧げて2人を歓迎しようとしたのもうなずける」。

      パウロとバルナバがルステラの人たちに,称賛しないでほしいと言っている。民衆は音楽を奏で,捧げ物を準備し,ひれ伏している。

      「こうした無駄なことをやめて,生きている神を崇拝[してください]。神は天と地と海とその中の全ての物を造りました」。使徒 14:15

      11-13. (ア)パウロとバルナバはルステラの人たちにどんなことを話しましたか。(イ)2人がした話からまず何を学べますか。

      11 ルステラの人たちはとても興奮して大騒ぎになっていますが,パウロとバルナバは何とかして心に訴え掛けようとします。2人は異教の人たちに上手に語り掛けました。こう記録されています。「皆さん,なぜこんなことをするのですか。私たちも,皆さんと同じ弱さを持つ人間です。そして,皆さんに良い知らせを伝えているのは,皆さんがこうした無駄なことをやめて,生きている神を崇拝するためです。神は天と地と海とその中の全ての物を造りました。昔,神は全ての国の人々がそれぞれの道を進むままにしました。それでも,善いことを行って,ご自分のことを明らかにしていました。天からの雨と実りの季節を与え,食物を豊かに供給して人々の心を喜びで満たしたのです」。(使徒 14:15-17)

      12 2人がした話からいろいろなことを学べます。1つ目に何を学べるでしょうか。2人は自分たちが相手よりも上だとは全く思っていませんでした。自分を大きく見せようとはしませんでした。みんなと同じく弱い人間であることを謙虚に認めました。もちろん,2人は聖なる力を受けていましたし,正しい教えを知っていました。キリストと一緒に王になる見込みもありました。それでも,ルステラの人たちもキリストの後に従えば,同じ良いものを受けられる,ということを分かっていました。

      13 私たちはどうでしょうか。伝道するとき,相手と自分は同じ立場だと本当に思っているでしょうか。聖書から正しいことを教えるとき,パウロとバルナバのように自分が称賛を受けないようにしているでしょうか。チャールズ・テイズ・ラッセルは良い手本です。兄弟は教えるのが上手な人で,19世紀後半から20世紀前半にかけて熱心に良い知らせを広めました。こう書いています。「私たちは……自分自身や自分たちの著作に対する賛辞や崇敬を求めてはおらず,師あるいはラビと呼ばれることを望んでいない」。まさにパウロとバルナバと同じ姿勢です。私たちが伝道するのは自分が称賛を受けるためではありません。「生きている神」について知ってもらうためです。

      14-16. パウロとバルナバがルステラの人たちにした話から学べる2つ目と3つ目のことは何ですか。

      14 2つ目に,相手に合わせたアプローチの大切さを学べます。イコニオムのユダヤ人やユダヤ教に改宗した人たちとは違い,ルステラの人たちは聖書についてほとんど知りませんでした。神とイスラエル国民の歴史についても知りませんでした。一方,ルステラは温暖な気候と肥沃な土地に恵まれ,農業が盛んでした。収穫の時期などに,神が造った物の素晴らしさを体験することができました。パウロとバルナバは,相手にとってなじみ深いものを題材にして,説明しました。(ロマ 1:19,20)

      15 私たちも相手に合わせたアプローチをしましょう。農家の人は種をまくとき,畑の状態によって土壌の整え方を変えます。軟らかい土の畑はさほど耕さなくても種をまけますが,土が硬ければまず丁寧に耕します。伝道もそれに似ています。まくのはいつも同じ種,神の王国の良い知らせです。でも,パウロとバルナバに倣って,相手の文化や生い立ち,信じていることを知るようにします。そして,それに合わせたアプローチをして,良い知らせを伝えます。(ルカ 8:11,15)

      16 3つ目に,この出来事から何が学べるでしょうか。たとえベストを尽くしたとしても,まいた種が取り去られてしまったり,岩地に落ちたりすることもあります。(マタ 13:18-21)そうなっても,がっかりし過ぎないようにしましょう。パウロはしばらく後にこう書いています。「私たち一人一人[私たちが伝道した相手も含まれる]は,神に責任を問われることになるのです」。(ロマ 14:12)

      「彼らをエホバに委ねた」(使徒 14:20-28)

      17. デルベの後,パウロとバルナバはどこに行きましたか。どうしてですか。

      17 石打ちにされたパウロは,ルステラの町の外に引きずり出され,置き去りにされました。弟子たちが周りを囲んで見ているとパウロは起き上がり,町の中で一夜を過ごすことにします。次の日,パウロとバルナバはデルベに向けて100㌔ほどの旅に出ます。体を痛めつけられたばかりのパウロにとって,この旅はつらく苦しいものだったに違いありません。しかし,パウロもバルナバも頑張り抜き,デルベに着いてから,「かなり大勢の人々」を「弟子となるよう手助けし」ます。その後,どうしたでしょうか。本拠地のシリアのアンティオキアに真っすぐ帰るのではなく,遠回りをして「ルステラ,イコニオム,[ピシデアの]アンティオキアに戻り」ました。「弟子たちを力づけ,信仰を保つよう励ま」すためです。(使徒 14:20-22)私たちにとって素晴らしい手本です。楽をしたいという気持ちよりも,会衆のことを思う気持ちの方が強かったのです。現代の旅行する監督や宣教者たちも同じようにしています。

      18. 長老はどのようにして任命されますか。

      18 パウロとバルナバは,弟子たちに温かい言葉を掛けたり,一緒に働いたりしただけでなく,「会衆ごとに長老たちを任命」することもしました。2人は宣教者として「聖なる力によって送り出されて」いたものの,祈って断食をしてから,「彼ら[長老たち]をエホバに委ね」ました。(使徒 13:1-4; 14:23)現代でも,同じようにして長老たちが任命されます。長老団は誰かを推薦する時,まず祈ってから,その兄弟が聖書に書かれている資格にかなっているかを検討します。(テモ一 3:1-10,12,13。テト 1:5-9。ヤコ 3:17,18。ペテ一 5:2,3)クリスチャンとして何年奉仕しているかが重要なわけではありません。その兄弟がどれほど聖なる力に導かれた生活を送っているかが大切です。それは兄弟の話すことやすること,周りの人からの評判に表れます。聖書に書かれている監督の条件にかなっていれば,「神の羊の群れ」の牧者になる資格があります。(ガラ 5:22,23)こういう任命をする責任は,巡回監督が担っています。(テモ一 5:22と比較。)

      19. 長老は,神に何と言えるようでなければいけませんか。パウロとバルナバにどのように倣えますか。

      19 長老たちには,会衆の人たちを世話する責任があります。きちんと責任を果たしています,と神に言えるようでなければいけません。(ヘブ 13:17)パウロとバルナバのように,先頭に立って伝道します。兄弟姉妹に温かい言葉を掛けて,元気づけます。楽をしたい気持ちになるときも,会衆のことを思って一生懸命に働きます。(フィリ 2:3,4)

      20. 1世紀の兄弟たちの奉仕について知ると,どんな気持ちになりますか。

      20 やがてパウロとバルナバは,本拠地のシリアのアンティオキアに帰り着きます。そして会衆のみんなに,「神が自分たちを通して行った多くのこと,また,神が信仰への扉を異国の人々に対して開いたことを話し」ました。(使徒 14:27)1世紀の兄弟たちの頑張りが報われたことを知ると,私たちも「エホバの権威の下に大胆に語っ[て]」いこうという気持ちになります。

      a 「イコニオム フリギアの町」という囲みを参照。

  • 「かなりの対立と議論が生じた」
    神の王国について徹底的に教える
    • 13章

      「かなりの対立と議論が生じた」

      エルサレムの統治体の兄弟たちが割礼の件を検討する

      使徒 15:1-12

      1-3. (ア)どんな進展によって,クリスチャン会衆に不穏な空気が漂い始めましたか。(イ)この件についての記録を調べると,どんなことを学べますか。

      パウロとバルナバは意気揚々としています。1度目の宣教旅行を終えて,シリアのアンティオキアに戻ってきました。エホバが「信仰への扉を異国の人々に対して開い」てくれたことをとても喜んでいます。(使徒 14:26,27)アンティオキアの町も良い知らせを聞いて沸き返り,「大勢の」異国人がクリスチャンになっています。(使徒 11:20-26)

      2 多くの異国人がクリスチャンになっているという知らせは,すぐにユダヤに届きます。でも,みんなが喜んだわけではありません。くすぶっていた割礼の問題が表面化します。ユダヤ人のクリスチャンと異国人のクリスチャンは,どう接し合うべきでしょうか。異国人はモーセの律法をどう見るべきでしょうか。意見が分かれて対立が生じ,このままにしておくとクリスチャン会衆がばらばらになりかねません。どうやって解決するとよいでしょうか。

      3 この件についての記録を調べると,大切なことを学べます。何かのことで意見が分かれ,会衆に亀裂が入りそうなとき,どうすればよいかが分かります。

      「割礼を受けない限り」(使徒 15:1)

      4. 一部の兄弟たちはどんなことを主張しましたか。これまでのいきさつを考えると,どんな疑問が浮かびますか。

      4 ルカはこう書いています。「ある人たちがユダヤから[アンティオキアに]下ってきて,兄弟たちに,『モーセの慣例通り割礼を受けない限り,救われない』と教え始めた」。(使徒 15:1)この「ある人たち」は元パリサイ派のクリスチャンだったのでしょうか。それは書かれていません。でも,パリサイ派の厳格で狭い見方に影響されていたようです。しかも,エルサレムの使徒や長老たちも同じ意見であるかのように話したと思われます。(使徒 15:23,24)ペテロが,割礼を受けていない異国人を会衆に迎え入れてから,もう13年もたっていました。それなのに,どうしてユダヤ人のクリスチャンはいまだに割礼を奨励していたのでしょうか。a (使徒 10:24-29,44-48)

      5,6. (ア)割礼にこだわるユダヤ人のクリスチャンがいたのはどうしてだと考えられますか。(イ)割礼の契約はアブラハム契約の一部ではありません。どうしてそういえますか。(脚注を参照。)

      5 いろいろな理由が考えられます。まず,割礼はエホバが制定したものであり,エホバとの特別な関係の印でした。割礼はやがて律法契約の一部になったとはいえ,その前からあり,割礼を最初に受けたのはアブラハムと家の人たちでした。b (レビ 12:2,3)モーセの律法では,外国人も,過ぎ越しの食事などの祝いに参加するには割礼を受けなければいけませんでした。(出 12:43,44,48,49)それで,ユダヤ人にとっては,割礼を受けていない人は汚れていて,嫌悪すべき相手だったわけです。(イザ 52:1)

      6 このように,ユダヤ人のクリスチャンにとって,変化に対応するのは簡単なことではありませんでした。信仰が必要でしたし,自分の考えに固執せず,神の考えに自分を合わせなければいけませんでした。律法契約は新しい契約に取って代わっていたので,ユダヤ人として生まれたとしても自動的に神と特別な関係になれるわけではありません。ユダヤにいたクリスチャンなど,ユダヤ人社会で暮らす人たちにとって,キリストへの信仰を告白し,割礼を受けていない異国人を仲間として受け入れるのは勇気の要ることでした。(エレ 31:31-33。ルカ 22:20)

      7. ユダヤから来た「ある人たち」はどんなことを理解していませんでしたか。

      7 神の基準は変わっていませんでした。モーセの律法の根幹にあるものは新しい契約にも受け継がれていました。(マタ 22:36-40)パウロも割礼についてこう書いています。「内面がユダヤ人である人が真のユダヤ人なのです。真の割礼は聖なる力によって心に施されるものであり,書かれた法典に基づくものではありません」。(ロマ 2:29。申 10:16)大切なのは,進んで従おうとする純粋な心でした。ユダヤから来た「ある人たち」はそのことを理解しておらず,神は割礼の律法を無効にしていないと言い張りました。彼らは考えを変えるでしょうか。

      ユダヤ主義者の考え

      1世紀の統治体が割礼の問題について決定を下した後でも,クリスチャンと自称するある人たちが自分の考えに固執し,問題を蒸し返そうとしていました。使徒パウロは彼らのことを,「キリストについての良い知らせをゆがめようとしている」「偽兄弟たち」と言いました。(ガラ 1:7; 2:4。テト 1:10)

      そういうユダヤ主義者の「偽兄弟たち」の目的は,ユダヤ人をなだめることにありました。ユダヤ人からの迫害を恐れていたのです。(ガラ 6:12,13)ユダヤ主義者は,食事や割礼,ユダヤ人の祭りなど,モーセの律法の習慣を守ることこそが神から見て正しい,と主張しました。(コロ 2:16)

      そういう主義の人たちは,異国人のクリスチャンと一緒にいることを不快に感じました。会衆で責任を担うユダヤ人のクリスチャンの中にさえ,同じような感情を持ってしまう人がいました。例えば,エルサレム会衆の兄弟たちはアンティオキアを訪れた時,異国人の兄弟たちを避けました。それまで異国人と親しくしていたペテロまで距離を置くようになり,一緒に食事をすることもやめました。ペテロは以前,異国人のクリスチャンとも仲良くするようにと言っていたのに,その正反対のことをしてしまいました。そのため,パウロからはっきり指摘されました。(ガラ 2:11-14)

      「対立と議論」(使徒 15:2)

      8. アンティオキアの長老たちが,割礼についてエルサレムの統治体に相談したのはどうしてですか。

      8 記録はこう続いています。「パウロとバルナバと,その人たち[「ユダヤから下って」きた人たち]との間で,かなりの対立と議論が生じた。この件で,パウロとバルナバと何人かが,エルサレムにいる使徒や長老たちのもとに上ることになった」。c (使徒 15:2)「対立と議論」とあるので,どちらの側も自分たちが正しいと強く主張していたことが分かります。アンティオキアの会衆での話し合いでは,答えが出ませんでした。それで,兄弟たちの関係がぎくしゃくしてしまわないよう,「エルサレムにいる使徒や長老たち」(当時の統治体)に相談することにします。このようにしたアンティオキアの長老たちからどんなことを学べるでしょうか。

      1世紀のエルサレム会衆のクリスチャンがパウロとバルナバと議論している。

      何人かが「彼ら[異国人たち]に……モーセの律法を守るよう命じることが必要だ」と言った。

      9,10. アンティオキアの兄弟たちやパウロとバルナバから,どんなことを学べますか。

      9 まず,神が選んだ人たちを信頼することの大切さを学べます。アンティオキアの兄弟たちは,統治体にはユダヤ人のクリスチャンしかいないことを知っていました。それでも,統治体を信頼し,聖書に沿った決定を下してくれると思っていました。エホバが物事を導くはずだと確信していたからです。聖なる力や会衆のリーダー,イエス・キリストを通して導いてくれる,と信じて疑いませんでした。(マタ 28:18,20。エフェ 1:22,23)何か答えが出ないような問題が生じたときは,このアンティオキアの兄弟たちに倣いましょう。神が設けた取り決めや,聖なる力で選ばれている統治体を信頼しましょう。

      10 自分の立場をわきまえ,時を待つことの大切さも学べます。パウロとバルナバは,異国人のために奉仕するよう聖なる力で特別に任命されていました。でも,だからといって,自分たちに割礼の件を判断する権限があると思って,アンティオキアで決定してしまおうとは考えませんでした。(使徒 13:2,3)パウロはしばらく後に,「[エルサレムに]上っていったのは啓示があったから」と書いているので,神に導いてもらおうとしていたことが分かります。(ガラ 2:2)現代の長老たちもこの姿勢に倣います。自分の立場をわきまえ,勝手に性急な判断を下さないようにします。意見が分かれるようなときは,争ったりせず,エホバに頼りましょう。聖書を調べ,「忠実な奴隷」からの指示や指針を確認しましょう。(フィリ 2:2,3)

      11,12. エホバを待つことが大切なのはどうしてですか。

      11 エホバが物事をはっきりさせる時を待たなければいけないことがあります。1世紀の兄弟たちは,エホバが割礼の件をはっきりさせるまで13年待ちました。36年に異国人のコルネリオが聖なる力を受けましたが,この件に決着がついたのは49年ごろのことでした。どうしてそんなに時間が必要だったのでしょうか。ユダヤ人は自分の考えをエホバの考えに合わせなければいけませんでした。エホバはそのための時間を十分にあげたいと思ったのかもしれません。何しろ,彼らが敬愛するアブラハムが結んだ割礼の契約は,それまで1900年間も守られてきていました。(ヨハ 16:12)

      12 エホバは私たちを優しく教え,じっくり時間をかけて内面を整えてくれます。いつでも,私たちのためになることを教えてくれます。(イザ 48:17,18; 64:8)自分が正しいんだと考えて,意見を押し付けてはいけません。何かの取り決めが変更されたり,聖句についての説明が変わったりするとき,批判的にならないようにしましょう。(伝 7:8)少しでもそういう気持ちが湧いてきたら,使徒 15章を読んで,1世紀の兄弟たちの手本を思い返すのはどうでしょうか。d

      13. じっくり時間をかけて教えるエホバにどのように倣えますか。

      13 聖書レッスンを受けている人が,それまで長い間してきた習慣をなかなかやめられないことがあります。今までの宗教の信条を捨てられないこともあります。本人が聖なる力に助けてもらいながら変化していくには,時間がかかるかもしれません。その間,いらいらせずに待ちましょう。(コリ一 3:6,7)その人のために祈ることも大切です。どうしてあげるのが本人にとって一番良いか,エホバがちょうどよい時に教えてくれるはずです。(ヨハ一 5:14)

      エホバの証人は「聖書……で信条と慣行の体系を築いている」

      1世紀のクリスチャンの例からよく分かるように,神に仕える人たちはこれまで,神の考えを徐々によりよく理解できるようになってきました。(格 4:18。ダニ 12:4,9,10。使徒 15:7-9)現代でもエホバの証人は,いったん聖書の理解が深まったなら,それまでの考えを改めます。自分たちの考えに合うよう,聖書を都合良く理解したりはしません。外部の人もそのことを認めています。米国ノーザン・アリゾナ大学の宗教学准教授ジェイスン・デービッド・ベドゥーンは,「翻訳の真実」(英語)という著書の中でエホバの証人についてこう書いています。「素直な気持ちで聖書に向き合っており,こう書いてあるはずだと決めてかかることなく,聖書という原材料で信条と慣行の体系を築いている」。

      伝道の成果について「詳しく話した」(使徒 15:3-5)

      14,15. アンティオキアの兄弟たちは,パウロとバルナバたちを大切に思っていることをどのように伝えましたか。旅をする一行に出会った兄弟たちが喜んだのはどうしてですか。

      14 ルカは次にこう書いています。「この人たちは途中まで会衆に見送られた後,進んでいってフェニキアやサマリアを通り,異国の人々が信者になったことについて詳しく話したので,兄弟たちは皆,非常に喜んだ」。(使徒 15:3)会衆の人たちは,パウロとバルナバの一行を愛し,尊敬していたので,途中まで見送り,神からの支えがあることを願いました。私たちにとってとても良い手本です。会衆の兄弟姉妹に,感謝が伝わるような接し方をしましょう。「とりわけ一生懸命に話したり教えたりしている人[長老]たち」にそうしましょう。(テモ一 5:17)

      15 旅をする一行に出会ったフェニキアやサマリアの兄弟たちは,とても喜びました。異国人への伝道の成果を「詳しく」話してもらったからです。話を聞いた人の中には,ステファノの殉教の後,逃げてきたユダヤ人のクリスチャンもいたかもしれません。現代でも,いろんな報告から,エホバが私たちの宣教を成功させてくれているのを知ると,本当に元気が出ます。大変な目に遭っているときにそういううれしいニュースを聞くと,力がもらえるものです。集会や大会に行けば,良い報告が聞けます。出版物やjw.orgにも経験談やライフ・ストーリーが載せられています。

      16. 割礼の件が大きな問題になっていたことは,どんなことから分かりますか。

      16 パウロとバルナバたちは,南に550㌔ほど旅をして目的地に到着します。こう書かれています。「一行はエルサレムに着くと,会衆および使徒や長老たちに親切に迎えられ,神が自分たちを通して行った多くのことを話した」。(使徒 15:4)どんな反応が返ってきたでしょうか。「以前はパリサイ派だった信者の何人かが席から立ち,『彼らに割礼を施し,モーセの律法を守るよう命じることが必要だ』と言った」とあります。(使徒 15:5)異国人のクリスチャンの割礼の件は,大きな問題になっていました。はっきりさせなければいけません。

      「使徒や長老たちは……集まった」(使徒 15:6-12)

      17. どんな人がエルサレムの統治体として奉仕していましたか。その中に「長老たち」がいたのはどうしてですか。

      17 格言 13章10節には,「助言を求める人たちには知恵がある」とあります。この言葉の通り,「使徒や長老たちは,この件[割礼の問題]について調べるために集ま」りました。(使徒 15:6)「使徒や長老たち」はクリスチャン会衆みんなの代表としてこの件を検討しました。現代の統治体もそうしています。1世紀の統治体の中に,使徒たちだけでなく「長老たち」もいたのはどうしてでしょうか。使徒ヤコブは処刑されていましたし,使徒ペテロは一時期,牢屋に入れられていました。ほかの使徒たちも同じような目に遭うかもしれません。重い責任を担う監督の中に,使徒以外の,聖なる力を受けた信頼できる兄弟たちがいれば,安心です。

      18,19. ペテロは確信を持ってどんなことを話しましたか。聞いていた人はどんなふうに考えることができたはずですか。

      18 「使徒の活動」の記録はこう続きます。「活発な論議が続いた後,ペテロが立ってこう言った。『皆さん,兄弟たち,よくご存じの通り,神は私たちの中から私をまず選んで異国の人々に良い知らせを伝えさせ,その人たちが聞いて信じるようにしました。そして,人の心を知っている神は,私たちと同じようにその人たちにも聖なる力を与え,その人たちを認めていることを示しました。また,私たちとその人たちとの間に何の差別も設けず,彼らの心を信仰のゆえに清めました』」。(使徒 15:7-9)ある文献によれば,「活発な論議」と訳されているギリシャ語には「探し求めること」,「質問すること」という意味もあります。兄弟たちは意見が分かれていましたが,自分の考えを自由に発言したことが分かります。

      19 ペテロの話には説得力がありました。彼は,異国人たちが初めて聖なる力を受けるのを実際に見ていました。それは36年,割礼を受けていないコルネリオと家の人たちに聖なる力が注がれた時のことでした。エホバがユダヤ人と異国人を区別しなくなったのであれば,いったい誰がそうしてよいでしょうか。さらに,エホバに正しいと認めてもらうのに必要なのは,キリストへの信仰であって,モーセの律法を守ることではありません。(ガラ 2:16)

      20. 割礼を奨励するなら,どうして「神を試」すことになりますか。

      20 神の言葉を聞き,聖なる力が働くのを見てきたペテロは,自信を持って最後にこう言います。「ですから,どうして今,父祖も私たちも負えなかった重荷を弟子たちに課して,神を試したりするのですか。今や私たちは,救いは主イエスの惜しみない親切によるという信仰を持っており,その人たちの救いも同じなのです」。割礼を奨励するなら,「神を試」す(別の訳によると「神に辛抱を強い」る)ことになってしまいます。(使徒 15:10,11,フィリップス訳[英語])自分たちもしっかり守れなかった律法を,異国人に守るよう勧めることになるからです。ユダヤ人は,律法を守ると約束しながら守らず,国民として有罪とされました。(ガラ 3:10)それでも神は,イエスを遣わして惜しみない親切を示しました。大切なのは,そのことに感謝して信仰を持つことでした。

      21. バルナバとパウロはどんなことを話しましたか。

      21 聞いていた人たちは,はっとさせられたようです。「一同は黙り」込んでしまいます。その後,バルナバとパウロは「自分たちを通して神が異国の人々の間で行った多くの奇跡や不思議なことについて話し」ます。(使徒 15:12)こうして証拠は全て出そろい,使徒や長老たちが割礼の件について決定を下す時が来ました。神の考えに沿った決定ができるはずです。

      22-24. (ア)現代の統治体は1世紀の統治体にどのように倣っていますか。(イ)長老たちは話し合っても答えが出ないとき,自分の立場をわきまえ,どうしますか。

      22 現代でも,統治体が会合する時には,聖書をよく調べ,真剣に祈って聖なる力を求めます。(詩 119:105。マタ 7:7-11)前もって議題を知らされるので,それぞれが祈りつつよく考えておくことができます。(格 15:28)会合では,敬意を込めながら自由に意見を出し合います。いつも聖書を使いながら話し合います。

      23 会衆の長老たちもその手本に倣います。長老たちが話し合っても答えが出ない重要なことがあれば,長老団は支部事務所か,支部事務所の代表者(巡回監督など)に相談します。支部は必要に応じて統治体に尋ねます。

      24 エホバが愛するのは,自分の立場をわきまえて時を待ち,設けられている取り決めを尊重する人たちです。エホバはそういう人たちを成功させてくださいます。次の章で見るように,1世紀のクリスチャンも,そうやってみんなが心を一つにして平和になり,ますます活気づいていきます。

      a 「ユダヤ主義者の考え」という囲みを参照。

      b 割礼の契約はアブラハム契約の一部ではありません。アブラハム契約は今でも有効であり,紀元前1943年,アブラハム(アブラム)がカナンへ行く途中にユーフラテス川を渡った時に効力を持つようになりました。この時,アブラハムは75歳でした。一方,割礼の契約が結ばれたのは紀元前1919年,アブラハムが99歳の時でした。(創 12:1-8; 17:1,9-14。ガラ 3:17)

      c エルサレムに行った人たちの中に,ギリシャ人のクリスチャンのテトスもいたようです。テトスはこの後,パウロから信頼されて一緒に働き,責任を任されるようにもなりました。(ガラ 2:1。テト 1:4)テトスの例から,割礼を受けていない異国人も聖なる力を注がれることがある,ということがよく分かります。(ガラ 2:3)

      d 「エホバの証人は『聖書……で信条と慣行の体系を築いている』」という囲みを参照。

  • 「全員一致で決定しました」
    神の王国について徹底的に教える
    • 14章

      「全員一致で決定しました」

      統治体が決定を下し,クリスチャンたちの心が一つになる

      使徒 15:13-35

      1,2. (ア)1世紀の統治体はどんな大事な問題を検討していましたか。(イ)結論を出すためにどんなことが役立ちましたか。

      どうやらついに結論が出そうです。集まった使徒や長老たちは顔を見合わせ,いよいよ大きな決定が下されるのを感じます。割礼の件で,大事な問題が浮かび上がっていました。クリスチャンはモーセの律法を守らなければいけないのでしょうか。ユダヤ人と異国人は区別されるべきなのでしょうか。

      2 使徒や長老たちは幾つもの事実を検討しました。神の預言の言葉を確認し,神の力が働いているのを感じた体験談も聞きました。みんなが自由に意見を出し合いました。証拠は十分に出そろっています。エホバの聖なる力が示している方向は明らかです。兄弟たちはそちらに進むでしょうか。

      3. 使徒 15章からどんなことを学べますか。

      3 聖なる力の流れに合わせるには,かなりの信仰と勇気が必要でした。ユダヤ人の宗教指導者からより大きな反感を買うことになります。会衆内のモーセの律法にこだわる人たちからの反発に遭うかもしれません。統治体の兄弟たちはどうするでしょうか。現代の統治体はその兄弟たちの手本に倣っています。クリスチャンみんなにとっても,何かの決定をしたり問題にぶつかったりしたときにぜひ見習いたい手本です。

      「預言者の言葉はこのことと一致しています」(使徒 15:13-21)

      4,5. ヤコブはどんな預言の言葉を引き合いに出しましたか。

      4 イエスの弟ヤコブが話します。a ヤコブはこの会合の司会者だったようです。ヤコブは,話し合いの結論と思われる点を言葉にしていきます。みんなにこう言います。「シメオンは,神が初めて異国の人々に注意を向けて,その中からご自分の名のための民を取り出した次第を十分に話してくれました。預言者の言葉はこのことと一致しています」。(使徒 15:14,15)

      5 シメオン(シモン・ペテロ)の体験談や,バルナバとパウロの話を聞いて,ヤコブは関係のある聖句を思い出したようです。(ヨハ 14:26)「預言者の言葉はこのことと一致しています」と言ってから,アモス 9章11,12節の言葉を引用します。アモス書はヘブライ語聖書中の「預言者」と呼ばれていた部分に含まれています。(マタ 22:40。使徒 15:16-18)ヤコブが引用したアモスの言葉は,今のアモス書の言い回しといくらか異なっています。ヤコブは,セプトゥアギンタ訳(ヘブライ語聖書をギリシャ語に翻訳したもの)から引用したようです。

      6. 聖書によってどんなことがはっきりしましたか。

      6 エホバは預言者アモスを通して,「ダビデの天幕」(ダビデの家系を継いだ王朝)を建てる時が来る,と預言していました。メシア王国の誕生を示唆していたわけです。(エゼ 21:26,27)エホバは再び,ユダヤ国民だけと特別に関わるのでしょうか。いいえ,そうではありません。アモスの預言には,「全ての国の人々」が集められ,「[神]の名で呼ばれる」とありました。ペテロもこう言ったばかりでした。「[神は]私たち[ユダヤ人のクリスチャン]とその人たち[異国人のクリスチャン]との間に何の差別も設けず,彼らの心を信仰のゆえに清めました」。(使徒 15:9)ユダヤ人も異国人も同じく神の王国で王になれると神は考えている,ということです。(ロマ 8:17。エフェ 2:17-19)異国人のクリスチャンは割礼を受けたりユダヤ人と同化したりしなければ王になれない,という預言は聖書のどこにもありませんでした。

      7,8. (ア)ヤコブはどんなことを提案しましたか。(イ)ヤコブは独断で決定しようとしていましたか。

      7 聖句を確認し,説得力のある証言を聞いたヤコブは確信を深め,こう提案します。「ですから,私の決定は,神を崇拝するようになる異国の人々を煩わさず,偶像によって汚された物と性的不道徳と絞め殺された動物と血を避けるよう書き送ることです。モーセの書は安息日ごとに会堂で朗読されていて,それを教える人が昔からどの町にもいます」。(使徒 15:19-21)

      8 「ですから,私の決定は……です」と言ったヤコブは,司会者として勝手に話を進め,独断で決定しようとしていたのでしょうか。そんなことはありません。「私の決定は……です」と訳されるギリシャ語の表現には,「私は……と判断します」や「私は……という意見です」という意味もあります。ヤコブはみんなを威圧して従わせようとしていたわけではありません。挙げられた証拠や聖句に基づいて,どうするとよいかを提案していました。

      9. ヤコブの提案にはどんな利点がありましたか。

      9 ヤコブの提案が妥当なものだったので,使徒や長老たちはそれを採用しました。その提案はまず,異国人のクリスチャンたちを「煩わさ」ない(新国際訳[英語]では,「困らせ」ない)ものでした。モーセの律法に縛られなくてよくなるからです。(使徒 15:19)また,ユダヤ人の気持ちにも配慮した提案でした。ユダヤ人たちは,「モーセの書[が]安息日ごとに会堂で朗読され」るのを長年聞いていたからです。b (使徒 15:21)この提案の通りにすれば,ユダヤ人と異国人のクリスチャンの間に絆が生まれるはずです。何より,エホバの考えと合っていたので,エホバに喜んでもらえる提案でした。いっときは会衆がばらばらになりそうでしたが,見事に問題を乗り越えることができました。現代のクリスチャンも見習いたい素晴らしい手本です。

      1998年の国際大会で話をするアルバート・シュローダー

      10. 現代の統治体は,1世紀の統治体にどのように倣っていますか。

      10 前の章でも見たように,現代のエホバの証人の統治体も,いつでも最高主権者エホバと,会衆のリーダー,イエス・キリストに頼り,導いてもらおうとします。c (コリ一 11:3)どのようにそうするのでしょうか。1974年から統治体で奉仕し,2006年3月に亡くなったアルバート・D・シュローダーはこう言っています。「水曜日の統治体の会合は,エホバの聖なる力に導いてもらえるよう,祈りで始めます。一つ一つの話し合いや決定が神の言葉 聖書に沿っているかどうか,真剣に確かめます」。また,2003年3月に亡くなるまで統治体で長年奉仕したミルトン・G・ヘンシェルは,ものみの塔ギレアデ聖書学校の第101期卒業生に,こう問い掛けました。「統治体は重要な決定をするとき,必ず神の言葉 聖書を確かめます。そういう人たちが物事を決めるグループが果たしてほかにあるでしょうか」。答えは言うまでもありません。

      「選んだ人たちを……遣わす」(使徒 15:22-29)

      11. 統治体の決定はどのように各会衆に伝えられましたか。

      11 エルサレムの統治体は,割礼の件で全員一致の決定をしました。では,その決定を各会衆の兄弟たちにどう伝えるとよいでしょうか。みんなに受け入れてもらえるよう,前向きなトーンで分かりやすく伝えることが大切です。どうしたかがこう記録されています。「使徒や長老たちは会衆全体と共に,自分たちの中から選んだ人たちをパウロとバルナバと一緒にアンティオキアに遣わすことに決めた。バルサバと呼ばれるユダとシラスであり,兄弟たちの中で大きな責任を担っている人たちだった」。さらに,手紙を作成してその人たちに託し,アンティオキア,シリア地方,キリキア地方の全ての会衆で読まれるようにしました。(使徒 15:22-26)

      12,13. (ア)ユダとシラスを遣わしたのが良い判断だったといえるのはどうしてですか。(イ)統治体の手紙によってどんなことが伝えられましたか。

      12 ユダとシラスは「兄弟たちの中で大きな責任を担っている人たち」で,統治体の代わりに決定を伝えるのに適任でした。統治体に遣わされた人がやって来れば,会衆の人たちは,話されることが統治体からの明確な指示だと理解したでしょう。相談した事への回答をただ伝えに来ただけ,とは思わなかったはずです。また,その人たちが現地に赴けば,エルサレムのユダヤ人のクリスチャンと,各会衆の異国人のクリスチャンとの間の距離が縮まるでしょう。これは,配慮の行き届いた,とても親切なやり方でした。きっとクリスチャンたちみんなの心が一つになるはずです。

      統治体と6つの委員会

      1世紀のクリスチャンと同じように,現代のエホバの証人も,統治体が活動全体を見守り,指示を出しています。統治体は,天に行くよう神から選ばれた兄弟たちで構成されています。毎週,全体の会合を開きます。兄弟たちは以下の6つの委員会で奉仕しています。

      • 教育委員会は,巡回大会,地区大会,会衆の集会での教育プログラムを計画し,オーディオやビデオの教材の制作を指揮し,見守ります。ギレアデ学校や開拓奉仕学校などの各種学校のカリキュラムを作り,支部の奉仕者のための信仰を養うプログラムも計画します。

      • 執筆委員会は,エホバの証人向けと一般向けの聖書出版物の制作を指揮し,見守ります。聖書についての質問に答え,世界中の翻訳の仕事を見守り,ドラマの台本や話の筋書きなどを承認します。

      • 出版委員会は,聖書出版物の印刷,発行,発送を統括します。エホバの証人の法人が所有し運営する印刷施設や土地・建物を管理し,支部施設や王国会館や大会ホールの建設を監督します。寄付されて集まった資金をどう活用するかも検討します。

      • 人事委員会は,世界各地のエホバの証人の支部で奉仕するベテル家族の生活をサポートし,信仰が十分に養われるよう見届けます。新しい奉仕者を支部に呼ぶことを承認するのも,この委員会です。

      • 調整者委員会は,法律に関係した事柄や,エホバの証人が信じていることを正確に伝えるためのメディア対応を見届けます。世界各地の災害,迫害などの緊急事態にも対応します。

      • 奉仕委員会は,宣教を監督し,会衆の長老,巡回監督,全時間奉仕者に関係する事柄を扱います。世界中の活動を着実に推進させるため,ギレアデ学校に生徒を呼び,卒業後,必要な場所に遣わすのも,この委員会です。

      統治体はいつも神の聖なる力に導いてもらおうとします。自分たちがエホバの証人のリーダーだとは思っていません。天に行く希望を持つほかのクリスチャンと同じように,「子羊[イエス・キリスト]が行く所にはどこにでも従ってい」きます。(啓 14:4)

      13 手紙によって,異国人のクリスチャンに明確な指示が与えられました。割礼についてだけでなく,エホバに喜ばれるために必要なほかの事柄についても,はっきりとした指示がありました。手紙にはこうありました。「聖なる力によって私たちは,次の必要な事柄以外,皆さんに何の重荷も加えないのがよいと考えたからです。すなわち,偶像に犠牲として捧げられた物,血,絞め殺された動物,性的不道徳を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば,皆さんは穏やかに暮らせます。健やかにお過ごしください」。(使徒 15:28,29)

      14. 分断が進んだ世の中で,エホバの証人が一致団結しているのはどうしてですか。

      14 現在,800万人を超えるエホバの証人が世界各地の10万以上の会衆で奉仕しています。みんなが心を一つにして同じ活動をしています。分断が進んだこの世の中で,どうしてそんなことが可能なのでしょうか。1つには,会衆のリーダー,イエス・キリストが「忠実で思慮深い奴隷」(統治体のこと)を通して,明確な指示を与えているからです。(マタ 24:45-47)また,世界中の兄弟たちが統治体の指示に喜んで協力しているからです。

      「人々は……励ましの言葉を喜んだ」(使徒 15:30-35)

      15,16. 割礼の件はどんな解決を見ましたか。良い結末になったのはどうしてですか。

      15 エルサレムを出発した兄弟たちは,アンティオキアに着くと,「皆を集めて手紙を渡し」ます。アンティオキアの兄弟たちは,統治体の指示をどう受け止めたでしょうか。「人々は[手紙]を読んで,励ましの言葉を喜んだ」とあります。(使徒 15:30,31)それからユダとシラスは,「何度も話をして兄弟たちを励まし,力づけ」ました。2人が「預言者」と呼ばれているのはそのためです。「預言者」は,神の考えを広めたり知らせたりする人を指します。バルナバやパウロなどもそう呼ばれています。(使徒 13:1; 15:32。出 7:1,2)

      16 こうして,エホバからの後押しがあり,順調に物事が進みました。とても気持ちの良い解決でした。良い結末になったのはどうしてでしょうか。統治体がぴったりのタイミングで明確な指示を出しました。その指示は神の言葉に基づいていて,聖なる力に導かれたものでした。そして,配慮の行き届いた方法で指示が各会衆に伝えられました。

      17. 巡回監督がしていることは,1世紀に行われたこととどのように似ていますか。

      17 1世紀のクリスチャンに倣って,エホバの証人の統治体も世界中の兄弟たちに,その時々で必要な指示を与えます。明確な指示をはっきり分かるように各会衆に伝えます。例えば,巡回監督を通してそうします。巡回監督は各会衆を回り,明確な指示を伝え,温かい言葉を掛けます。パウロとバルナバのように宣教にたくさん時間を使い,「ほかの多くの人と一緒にエホバの言葉の良い知らせを広め」ます。(使徒 15:35)ユダとシラスのように,「何度も話をして兄弟たちを励まし,力づけ」ます。

      18. エホバに後押ししてもらうためには何が欠かせませんか。

      18 会衆としてはどうでしょうか。分断が進んだ世の中とは異なり,みんなで心を一つにするために,どんなことを覚えておくとよいでしょうか。ヤコブはしばらく後にこう書いています。「天からの知恵を持つ人は,第一に清く,次いで平和を求め,分別があり,進んで従い[ます]。さらに,正しさの実は,平和をつくり出している人たちのために,平和な状態の中でまかれた種から生じます」。(ヤコ 3:17,18)こう書いたヤコブが,エルサレムでの話し合いのことを思い出していたかどうかは分かりません。でも,使徒 15章の出来事から,みんなが一致協力して初めてエホバからの後押しがある,ということが分かります。ヤコブが書いた通りです。

      19,20. (ア)アンティオキアの会衆の人たちの心が一つになっていたのは,どんなことから分かりますか。(イ)パウロとバルナバは再びどんなことに打ち込めるようになりましたか。

      19 アンティオキアの会衆の人たちの心は一つになっていました。エルサレムから来た兄弟たちに反発したりせず,訪問してくれたことに感謝しました。こう書かれています。「2人はそこでしばらく過ごした後,兄弟たちから温かく見送られ,自分たちを遣わした人々のもと[つまり,エルサレム]に戻っていった」。d (使徒 15:33)エルサレムの兄弟たちも,戻ってきた2人から良い報告を聞いて喜んだはずです。エホバの惜しみない親切のおかげで,全てうまくいきました。

      20 パウロとバルナバはアンティオキアにとどまります。再び,先頭に立って良い知らせの伝道に打ち込めそうです。現代の巡回監督も会衆を訪問する時,そうします。私たちはそういう姿勢を見ると,自分も頑張ろうと思います。(使徒 13:2,3)パウロとバルナバがこの後どのように活躍することをエホバは願っているでしょうか。次の章で見てみましょう。

      大会で,母親と娘が「若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」第2巻を手にしている。

      聖書を深く学べるよう,統治体と統治体が選んだ人たちが助けてくれている。

      ヤコブ 「主の弟」

      ヨセフとマリアの息子ヤコブは,イエスの弟の中で最初に名前が挙げられています。(マタ 13:54,55)そのことからすると,イエスのすぐ下の弟だったのかもしれません。イエスと一緒に育ち,イエスの宣教の様子を目にしました。実際に見たかどうかは分かりませんが,イエスの「強力な行い」を知っていました。それでも,イエスの宣教期間中,ヤコブもほかの弟たちもイエスに「信仰を抱いていなかった」とあります。(ヨハ 7:5)親族の中にはイエスのことを,「頭がおかしくなってしまった」と言う人がいました。ヤコブも同じように感じていたかもしれません。(マル 3:21)

      巻物を読んでいるヤコブ

      ところが,イエスが亡くなって復活した後,ヤコブたちは大きく変わります。ギリシャ語聖書にはヤコブという名前の人がほかにも3人出てきますが,イエスが復活後40日の間に個人的に会ったのは,弟のヤコブだったようです。(コリ一 15:7)ヤコブはその時に,兄のイエスがメシアであることをはっきり理解できたのかもしれません。いずれにしても,イエスが天に行ってから10日もしないうちに,マリア,ヤコブ,ほかの弟たちは,使徒たちと一緒に階上の部屋に集まって祈っていました。(使徒 1:13,14)

      やがてヤコブは,エルサレム会衆の中で尊敬されるようになります。その会衆の使徒つまり「遣わされた人」と見なされたようです。(ガラ 1:18,19)天使がペテロを牢屋から救い出した後に,ペテロが「これらのことをヤコブと兄弟たちに報告してください」と言ったことから,ヤコブが主立った存在だったことが分かります。(使徒 12:12,17)エルサレムの「使徒や長老たち」が割礼の件を検討することになった時,ヤコブは話し合いの司会を務めたようです。(使徒 15:6-21)パウロは,ヤコブとケファ(ペテロ)とヨハネのことをエルサレム会衆の「柱と見なされていた」と言いました。(ガラ 2:9)何年か後に,パウロが3度目の宣教旅行からエルサレムに戻った時,「ヤコブの所に」報告しに行くと,「長老たちが皆そこにい」ました。(使徒 21:17-19)

      パウロから「主の弟」と呼ばれたこのヤコブが,聖書の「ヤコブの手紙」を書いたようです。(ガラ 1:19)その中で自分のことを使徒あるいはイエスの弟と紹介するのではなく,謙虚に,「神と主イエス・キリストの奴隷」と言っています。(ヤコ 1:1)「ヤコブの手紙」を読むと,ヤコブはイエスと同じように,自然界や人間の行動をよく観察していたことが分かります。奥深いことを説明する例えとして,風が吹き付ける海,月や星の光,灼熱の太陽,もろくはかない花,山火事,飼いならされた動物など,自然界の身近なものを使っています。(ヤコ 1:6,11,17; 3:5,7)聖なる力に導かれて人間の態度や行動の本質を見抜き,良い人間関係に役立つアドバイスをしています。(ヤコ 1:19,20; 3:2,8-18)

      コリント第一 9章5節のパウロの言葉からすると,ヤコブは結婚していたと思われます。ヤコブがいつどのようにして亡くなったかは聖書に書かれていません。ユダヤ人の歴史家ヨセフスによれば,62年ごろにローマ総督ポルキオ・フェストが死んで間もなく,後継者のアルビノスが着任する前に,大祭司アナヌス(アナニアス)は,「サンヘドリンの裁判官たちを招集し,キリストと呼ばれたイエスの兄弟ヤコブという男や他の者たちを,裁判官たちの前に引き出し」ました。そして,「律法に違犯したとして彼らを告発し,石打ちにするため彼らを引き渡した」と言われています。

      a 「ヤコブ 『主の弟』」という囲みを参照。

      b ヤコブが「モーセの書」に触れたことには大きな意味がありました。「モーセの書」には律法以外のことも書かれていたからです。律法より前の時代に神がどんなことをしたか,どんな考えを持っていたかをそこから読み取れます。例えば,血,姦淫,偶像崇拝をどう見ていたかが創世記からよく分かります。(創 9:3,4; 20:2-9; 35:2,4)エホバは,ユダヤ人か異国人かを問わず,全ての人に関わる行動指針を明らかにしていたわけです。

      c 「統治体と6つの委員会」という囲みを参照。

      d シラスがアンティオキアにとどまることにしたという趣旨の言葉が34節に入っている聖書翻訳もあります。(ジェームズ王欽定訳[英語])とはいえ,それは後代の加筆と思われます。

  • 「会衆を強くした」
    神の王国について徹底的に教える
    • 15章

      「会衆を強くした」

      旅行する監督の訪問によって会衆の人たちの信仰が強まる

      使徒 15:36–16:5

      1-3. (ア)パウロの宣教旅行に誰が同行することになりましたか。どんな人ですか。(イ)この章ではどんなことを学びますか。

      次の町に向かって起伏の多い道を進みながら,使徒パウロは横を歩く若者に目をやります。若者の名前はテモテです。おそらく10代後半か20代前半で,若くて元気にあふれています。道のりを進むごとに,テモテの故郷からどんどん離れていきます。ルステラとイコニオムが後ろに遠ざかっていきます。どんな旅になるのでしょうか。パウロは1度宣教旅行をしているので,ある程度予想がつきます。きっと危険な目にも遭うでしょう。この若者はやっていけるでしょうか。

      2 テモテなら大丈夫だ,とパウロは思っています。テモテには,本人が思っている以上に可能性があります。パウロはこれまで以上に,信頼できる人に旅行に同行してほしいと感じています。いろいろな会衆を訪問して兄弟たちを力づけるには,こちらの側が気持ちを強く持ち,団結していなければいけません。パウロがそう感じていたのは,最近バルナバと意見がぶつかって,別れることになったからかもしれません。

      3 この章では,人と意見がぶつかったときにどうするとよいかを学べます。また,パウロがどうしてテモテを選んだのかに注目し,現代の巡回監督の役割についても学びます。

      「戻って兄弟たちを訪ね……ましょう」(使徒 15:36)

      4. パウロは2度目の宣教旅行でどんなことをしようと思っていましたか。

      4 前の章で見たように,パウロ,バルナバ,ユダ,シラスの4人は,割礼についての統治体の決定をアンティオキアの会衆に知らせ,励ましました。パウロは次にどうするでしょうか。別の旅行の計画について,バルナバにこう話します。「さあ,エホバの言葉を広めた全ての町に戻って兄弟たちを訪ね,どうしているかを見てみましょう」。(使徒 15:36)パウロは,兄弟たちにただ会いに行っておしゃべりしたかったわけではありません。2度目の宣教旅行の目的が「使徒の活動」にきちんと書かれています。まず,統治体の決定を守るよう会衆に伝えるためです。(使徒 16:4)さらに,旅行する監督として兄弟たちを力づけ,信仰を強めるためです。(ロマ 1:11,12)現代のエホバの証人はこの例にどのように倣っているでしょうか。

      5. 現代の統治体は,どのようにして世界中の会衆に指示を与え,温かく励ましていますか。

      5 現代も,キリストはエホバの証人の統治体を通してクリスチャン会衆を導いています。統治体は,手紙,電子版と印刷版の出版物,集会などの方法で世界中の会衆に指示や指針を与え,温かく励ましています。各会衆のことを知り,コミュニケーションを取りたいとも思っています。そのためにあるのが,旅行する監督たちの訪問です。統治体は,世界各地にいる何千人もの経験を積んだ長老たちを巡回監督に任命しています。

      6,7. 巡回監督はどんなことをしますか。

      6 旅行する監督は会衆を訪問する時,一人一人に気を配り,みんなが楽しく奉仕を続けられるよう助けます。どのようにしてでしょうか。パウロなど1世紀の兄弟たちに倣います。パウロは,同じく監督として働くテモテにこう勧めました。「神の言葉を広めなさい。順調な時にも困難な時にも熱心に伝道しなさい。いつも辛抱強く,教える技術を駆使して,戒め,忠告し,励ましなさい。……福音伝道者として働き……なさい」。(テモ二 4:2,5)

      7 この言葉の通り,巡回監督は(結婚していれば妻も)会衆の人たちと一緒にいろいろなタイプの野外宣教に参加します。宣教への情熱があり,聖書を教えるのが上手なので,一緒に働く兄弟姉妹は自分も頑張ろうという気持ちになります。(ロマ 12:11。テモ二 2:15)巡回監督は自分のしたいことを後回しにして,兄弟姉妹に愛情を注ぎます。天候が悪かったり危険が伴ったりしても会衆を訪ね,兄弟たちのために時間と体力を費やします。(フィリ 2:3,4)聖書に基づく講話をして教え,元気づけ,取り組める点を伝えます。旅行する奉仕をする人たちの姿勢から学び,信仰に倣うと,クリスチャンとして成長できます。(ヘブ 13:7)

      「怒りが激しくぶつかって」(使徒 15:37-41)

      8. パウロの提案を聞いて,バルナバはどうしましたか。どんなことを決めていましたか。

      8 「兄弟たちを訪ね……ましょう」というパウロの提案にバルナバは同意します。(使徒 15:36)2人はこれまで協力し合いながら一緒に旅行したので,行く先の地方や兄弟たちのことをよく知っていました。(使徒 13:2–14:28)再び一緒に出掛ければ,良い宣教旅行になるはずです。でも,あることで話がもつれます。使徒 15章37節にあるように,「バルナバは,マルコと呼ばれるヨハネを連れていくことに決めて」いました。いとこのマルコを連れていくことを提案したわけではありませんでした。「決めて」いました。

      9. パウロが賛成しなかったのはどうしてですか。

      9 パウロは賛成しませんでした。こう書かれています。「しかしパウロは,パンフリアでマルコが一緒に行動するのをやめてしまったことがあるので,彼を連れていくことに賛成できなかった」。(使徒 15:38)1度目の宣教旅行で,マルコはパウロとバルナバに同行しましたが,途中までしか一緒にいませんでした。(使徒 12:25; 13:13)旅の初め頃,パンフリアにいた時に,マルコは宣教旅行をやめてエルサレムに帰ってしまいました。その理由は聖書に書かれていませんが,パウロはマルコが無責任だと感じたようです。マルコを信用できなくなっていたのかもしれません。

      10. 2人がどちらも譲らなかったため,どうなりましたか。

      10 しかしバルナバはマルコを連れていくと言って譲りません。パウロも,連れていかないと言って譲りません。使徒 15章39節には,「そこで怒りが激しくぶつかって,2人は別れることになった」とあります。バルナバはマルコを連れて,船で故郷のキプロス島に向かいます。パウロは予定通り旅に出ます。「パウロはシラスを選び,出発した。出掛ける前に,兄弟たちは,パウロがエホバの惜しみない親切を受けるようにと祈った」と書かれています。(使徒 15:40)旅を始めたパウロとシラスは「シリアとキリキアを通って会衆を強くし」ました。(使徒 15:41)

      11. 友情に亀裂が入ったとき,仲直りするためにどんなことが大切ですか。

      11 人間にはみんな弱いところがある,ということをあらためて感じます。パウロもバルナバも統治体に遣わされ,統治体の代わりにメッセージを伝える人たちでした。パウロはやがて統治体の1人になったようです。そういう人たちでも自分の弱さに負けてしまいました。2人の友情は完全に終わってしまったのでしょうか。2人とも弱さはありましたが,キリストに倣おうとしていました。謙虚になって自分を見つめ直せる人たちでした。やがて友情を取り戻し,許し合ったはずです。(エフェ 4:1-3)しばらくして,パウロとマルコはまた一緒に働きました。a (コロ 4:10)

      12. 長老たちも巡回監督も,どのようにパウロとバルナバに倣えますか。

      12 一度感情をあらわにしたとはいえ,バルナバもパウロももともと怒りっぽい人だったわけではありません。バルナバは優しくて心の広い人でした。本名のヨセフではなく,「慰めの子」を意味するバルナバという名前で呼ばれていたほどです。(使徒 4:36)パウロも物腰が柔らかく,優しい人でした。(テサ一 2:7,8)会衆の長老たちも巡回監督も,パウロとバルナバのように,謙虚になって自分をいつも見つめ直すことが大切です。仲間の長老や会衆の兄弟姉妹に優しく接しましょう。(ペテ一 5:2,3)

      「良い評判を得ていた」(使徒 16:1-3)

      13,14. (ア)テモテはどんな人でしたか。パウロはどのようにしてテモテに会いましたか。(イ)テモテがパウロの目に留まったのはどうしてですか。(ウ)テモテはどんな仕事を任せられましたか。

      13 2度目の宣教旅行でも,パウロはローマの属州ガラテアに行きます。そこには幾つかの会衆がつくられていました。パウロは「デルベに,次いでルステラに着」きます。そして,こう書かれています。「そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人女性の息子で,ギリシャ人の父親を持[っていた]」。(使徒 16:1)b

      14 47年ごろ,パウロは初めてその地方に行った時に,テモテと家族に会っていたようです。それから2,3年たって2度目に訪れた今回,若者テモテが目に留まります。テモテが「兄弟たちから良い評判を得ていた」からです。地元の兄弟たちから高く評価されていただけでなく,ほかの会衆にまで評判が伝わっていました。ルステラでも,30㌔ほど離れたイコニオムでも,テモテのことが知られていました。(使徒 16:2)長老たちは聖なる力に導かれて,責任の重い仕事をテモテに任せます。パウロとシラスの宣教旅行に同行してサポートする仕事です。(使徒 16:3)

      15,16. テモテの評判が良かったのはどうしてですか。

      15 若いテモテがそれほど高く評価されていたのはどうしてでしょうか。容姿が良かったのでしょうか。頭が良く,才能にあふれていたのでしょうか。人間はそういうところに注目しがちです。預言者サムエルもそうでした。それでエホバからこう言われました。「人間の見方と神の見方は違う。人間は目に見えるものを見るが,エホバは心の中を見る」。(サム一 16:7)テモテの評判が良かったのは,生まれつき持っていたものが優れていたからではありません。内面が磨かれていたからです。

      16 使徒パウロはしばらく後に書いた手紙の中で,テモテの内面の美しさに触れています。テモテの気立ての良さ,見返りを求めない愛,奉仕に打ち込む姿勢を褒めています。(フィリ 2:20-22)テモテの「偽善のない信仰を思い出す」とも言っています。(テモ二 1:5)

      17. 現代の会衆の若い人たちは,どのようにテモテに倣っていますか。

      17 現代の会衆の若い人たちも,テモテに倣ってより良い人になろうと頑張っています。そうする姿を見て,エホバも周りの人も喜び,誇らしく思っています。(格 22:1。テモ一 4:15)裏で悪いことをしたりせず,エホバを真っすぐに愛している若者たちは,本当によくやっています。(詩 26:4)テモテのように,会衆にとってとても貴重な存在です。毎年,そういう若い人たちが成長して伝道者になり,エホバのために生きると約束してバプテスマを受けています。とてもうれしいことです。

      「信仰を強められ……た」(使徒 16:4,5)

      18. (ア)パウロとテモテはどんな責任を果たしましたか。(イ)会衆はどのようにして大きくなっていきましたか。

      18 パウロとテモテは何年も一緒に働きました。旅行する奉仕をし,統治体に遣わされていろいろな仕事をしました。こう書かれています。「一行は幾つもの町を通って,エルサレムにいる使徒や長老たちが下した決定を守るように伝えた」。(使徒 16:4)どの会衆も,エルサレムの使徒や長老たちからの指示に協力したようです。その結果,「会衆は信仰を強められ,日々,人数が増えて」いきました。(使徒 16:5)

      19,20. 「教え導いている人たち」の指示に協力することが大切なのはどうしてですか。

      19 現代でも,「教え導いている人たち」の指示に協力すると,物事がうまくいきます。(ヘブ 13:17)今は変化の多い時代なので,「忠実で思慮深い奴隷」が出す最新の情報に付いていくことが大切です。(マタ 24:45。コリ一 7:29-31)そうすれば,悪い影響から身を守り,エホバに喜ばれる生き方を続けられます。(ヤコ 1:27)

      20 クリスチャンの監督たちは,統治体の兄弟たちも含め,完璧ではなく弱さがあります。パウロやバルナバやマルコと同じです。(ロマ 5:12。ヤコ 3:2)それでも,統治体は神の言葉にしっかり従い,1世紀の例に倣っているので,信頼できます。(テモ二 1:13,14)そのおかげで,会衆の兄弟姉妹の信仰は強くなっています。

      テモテ 「一生懸命良い知らせを広め」た人

      使徒パウロは,テモテからのサポートをとても心強く思っていました。11年ほどテモテと一緒に働いた後,こう書いています。「テモテほど皆さんのことを心から気遣える人は,ほかにいません。……皆さんも知っている通り,テモテはこれまで立派にやってきました。父親と一緒に働く子供のように,私と一緒に一生懸命良い知らせを広めてきました」。(フィリ 2:20,22)宣教のために時間と体力を惜しまずに費やしたテモテは,パウロに愛されました。私たちにとって素晴らしい手本です。

      テモテ

      テモテは父親がギリシャ人,母親がユダヤ人で,ルステラで育ったようです。幼い頃から,母親のユニケと祖母のロイスに聖書を教えられました。(使徒 16:1,3。テモ二 1:5; 3:14,15)パウロがルステラを初めて訪れた時に,ユニケとロイスとテモテはクリスチャンになったようです。

      数年後,パウロが戻って来た時,テモテ(10代後半か20代前半だったと思われる)は,「ルステラとイコニオムの兄弟たちから良い評判を得て」いました。(使徒 16:2)神の聖なる力によってテモテについて「預言」が語られ,パウロと地元の長老たちはその預言に基づいて,ある特別な奉仕をするようテモテに勧めました。(テモ一 1:18; 4:14。テモ二 1:6)テモテはパウロの宣教旅行に同行することになりました。家族から離れなければならず,訪問先のユダヤ人の気持ちに配慮して割礼を受けなければなりませんでした。(使徒 16:3)

      テモテはいろいろな所に行って伝道しました。フィリピではパウロやシラスと一緒に,ベレアではシラスと一緒に,テサロニケでは1人で伝道しました。コリントでパウロと再会した時には,テサロニケの人たちが大変な中でもエホバに仕え続け,愛にあふれていることを伝えました。(使徒 16:6–17:14。テサ一 3:2-6)パウロはエフェソスにいた時,コリントのクリスチャンについて気掛かりなことを聞き,テモテをコリントに遣わすことを考えました。(コリ一 4:17)パウロはその後,テモテとエラストをエフェソスからマケドニアに派遣しました。そして,パウロが「ローマのクリスチャンへの手紙」を書いた時,テモテはパウロと一緒にコリントにいました。(使徒 19:22。ロマ 16:21)テモテはほかにも,良い知らせのためにいろいろな旅をしました。

      パウロはテモテに,「あなたが若いからといって,誰にも見下されないようにしなさい」と言っています。大きな責任を任されていましたが,テモテはいくらか弱気なところがあったようです。(テモ一 4:12)でも,パウロは自信を持ってテモテを問題のある会衆に遣わすことができました。「偽りの教理を教えないように」と「命じてほしい」とテモテに言っています。(テモ一 1:3,4)パウロはテモテに,会衆で監督や援助奉仕者を任命する権限も与えました。(テモ一 5:22)

      内面が磨かれていたテモテは,パウロから愛されました。聖書によると,テモテはパウロにとって,かわいい息子のような存在でした。愛情にあふれ,信頼できる人でした。テモテの涙を覚えている,テモテに会いたい,テモテのために祈っている,と書くほどでした。パウロは優しい父親のように,「度々かかる病気」についてもアドバイスしました。これは胃の病気だったようです。(テモ一 5:23。テモ二 1:3,4)

      パウロがローマで最初に拘禁されていた時,テモテはそばにいました。少なくとも幾らかの期間,テモテも拘禁されていました。(フィレ 1。ヘブ 13:23)死が近いことを悟ったパウロの言葉から,2人の絆の強さがうかがえます。テモテにこう言っています。「できるだけ早く私の所に来られるように努力してください」。(テモ二 4:6-9)テモテが愛する恩師パウロに会えたかどうかは聖書に書かれていません。

      マルコ いろいろな仕事を任された人

      マルコの福音書には,イエスが捕まえられた時の記録に,ある若者が出てきます。その「若者」は自分も捕まえられそうになると,「裸のまま逃げてい」きました。(マル 14:51,52)マルコ(ヨハネ・マルコとしても知られる)だけがこの出来事について書いているので,その若者はマルコ本人だったのかもしれません。そうであれば,マルコはイエスと個人的に関わりがあったことになります。

      マルコが年配の男性の話を聞き,メモを取っている。

      11年ほどたった頃,ヘロデ・アグリッパがクリスチャンを迫害していた時,エルサレム会衆の「かなり大勢の人」がマルコの母マリアの家で集まって祈っていました。天使がペテロを牢屋から救い出した後,ペテロが向かったのはその家でした。(使徒 12:12)マルコが育った家で,クリスチャンの集会が開かれるようになっていたのかもしれません。マルコはイエスの初期の弟子たちのことをよく知っていて,良い影響を受けたと思われます。

      マルコは,初期クリスチャン会衆のいろいろな監督たちと一緒に働きました。マルコが最初に特別な奉仕をしたのは,シリアのアンティオキアで,いとこのバルナバやパウロと一緒に働いた時のことだったようです。(使徒 12:25)バルナバとパウロが1度目の宣教旅行に出掛けた時,マルコも同行し,まずキプロスに,そして小アジアに行きました。しかし,何かの理由でそこからエルサレムに帰ってしまいました。(使徒 13:4,13)使徒 15章にある通り,マルコのことでバルナバとパウロの意見が分かれました。マルコとバルナバは,キプロス島に行って宣教しました。(使徒 15:36-39)

      ぎくしゃくした関係がいつまでも続くことはありませんでした。60年か61年には,マルコはローマで再びパウロと一緒に働いていました。ローマで囚人になっていたパウロは,コロサイの会衆にこう書きました。「私と一緒に捕らわれているアリスタルコが皆さんによろしくと言っています。バルナバのいとこマルコもよろしくと言っています。(皆さんは,もしマルコがそちらに行ったら歓迎するようにとの指示を受けています)」。(コロ 4:10)パウロは,自分の代理としてマルコをローマからコロサイに遣わすことを考えていたのです。

      62年から64年の間のどこかのタイミングで,マルコはバビロンでペテロと一緒に働きました。この本の10章で触れた通り,2人は親しい間柄になっていました。ペテロはマルコのことを「私の子」と呼んでいます。(ペテ一 5:13,脚注)

      そして65年ごろ,パウロはローマで2度目に拘禁されていた時,エフェソスにいたテモテにこう書きました。「マルコを連れてきてください。私の奉仕を支えてくれるからです」。(テモ二 4:11)マルコはすぐに応じ,エフェソスからローマに戻ったはずです。マルコは,バルナバ,パウロ,ペテロから大切に思われていました。

      マルコがした最も大きな仕事は,エホバの聖なる力に導かれて福音書を書いたことです。伝承によれば,マルコが書いた内容の多くは,ペテロから聞いた情報に基づいていました。おそらくその通りだと思われます。マルコの記録には,ペテロのような目撃者でなければ分からない詳しいことが含められているからです。とはいえ,マルコが福音書を書いたのは,ペテロと一緒にいたバビロンではなく,ローマでのことのようです。マルコはラテン語の表現をたくさん使うとともに,ユダヤ人ではない人には理解しにくいヘブライ語の言葉の訳を載せています。それで,主に異国人を対象にして書いたと思われます。

      a 「マルコ いろいろな仕事を任された人」という囲みを参照。

      b 「テモテ 『一生懸命良い知らせを広め』た人」という囲みを参照。

  • 「マケドニアへ渡ってきて……ください」
    神の王国について徹底的に教える
    • 16章

      「マケドニアへ渡ってきて……ください」

      必要とされる所に喜んで出掛け,前向きな気持ちで迫害に耐えると,うれしい経験ができる

      使徒 16:6-40

      1-3. (ア)パウロの一行はどのように聖なる力に導かれましたか。(イ)これから何を見ていきますか。

      マケドニアの町フィリピから,女性たちが出ていきます。少し歩くと,ガンギテスという細い川に着きます。いつものように川岸に座り,イスラエルの神に祈ります。エホバは天からその様子を見ています。(代二 16:9。詩 65:2)

      2 そこから800㌔以上東では,男性たちがガラテア南部の町ルステラを出ていきます。数日後,西に延びるローマの街道に着きます。アジア州の人口が多い地域につながる舗装された道です。パウロ,シラス,テモテの3人は,その道を通ってエフェソスなどの町に行こうと考えています。そこの人たちにキリストについて伝えたいと思っています。ところが,旅を始めようとすると,聖なる力によって止められます。どう止められたかは聖書に書かれていませんが,いずれにしてもアジア州での伝道を禁じられました。どうしてでしょうか。イエスには考えがありました。聖なる力によってパウロたちを小アジアの先に導こうとしていました。エーゲ海を越えて,ガンギテスという小川の岸辺にまで行かせたいと思っていたのです。

      3 イエスがパウロたちをどのようにマケドニアに導いたかを調べると,大切なことを学べます。では,49年ごろに始まったパウロの2度目の宣教旅行の様子を見てみましょう。

      「神が私たちを招いた」(使徒 16:6-15)

      4,5. (ア)ビチニアの近くで,パウロたちにどんなことがありましたか。(イ)パウロたちはどうすることにしましたか。それでどうなりましたか。

      4 アジアでの伝道を禁じられたパウロたちは,北に向かうことにし,ビチニアの町々で伝道しようと考えます。そこへ行くために,フリギアとガラテアの人口が少ない地域を通り,舗装されていない小道を何日も歩いたかもしれません。しかし,ビチニアに近づくと,イエスが再び聖なる力によってパウロたちを止めます。(使徒 16:6,7)パウロたちは戸惑ったはずです。何について伝道するか,どのように伝道するかは分かっています。でも,どこで伝道したらよいか分かりません。アジアへの扉をたたきましたが,駄目でした。ビチニアへの扉をたたきましたが,それも駄目でした。それでも,パウロは諦めません。開く扉が見つかるまでたたき続けるつもりです。どうしたでしょうか。パウロたちは一見合理的とは思えないルートを選びます。西に進路を変えて550㌔歩き,次から次へと町を通り過ぎていきます。そしてトロアスの港に着きます。マケドニアへの船が出ている港です。(使徒 16:8)そこでパウロは3つ目の扉をたたきます。扉はついに大きく開きます。

      5 トロアスでパウロの一行に加わったルカは,こう書いています。「パウロは夜に幻を見た。マケドニアの男性が立っていて,『マケドニアへ渡ってきて私たちを助けてください』と頼むのだった。パウロがその幻を見てからすぐ,私たちは,彼らに良い知らせを広めるために神が私たちを招いたのだと結論して,マケドニアへ行こうとした」。a (使徒 16:9,10)ついに,どこで伝道したらよいかが分かりました。パウロは,途中で諦めなくて本当によかったと思ったことでしょう。4人はすぐに出発し,船でマケドニアに向かいます。

      使徒パウロとテモテが船に乗っている。テモテが遠くを指さしている。船員たちが働いている。

      「それで,私たちはトロアスから船に乗っ[た]」。使徒 16:11

      6,7. (ア)パウロの旅からどんなことを学べますか。(イ)パウロが経験したことから,私たちもどんなことを期待できますか。

      6 ここから何を学べるでしょうか。注目したいポイントがあります。聖なる力の働き掛けがあったのは,パウロがアジアに向けて出発した後でした。イエスの考えが分かったのも,パウロがビチニアの近くに行った後でした。イエスがマケドニアに行くよう導いたのも,パウロがトロアスに着いた後でした。会衆のリーダー,イエスは,現代でも私たちを同じように導きます。(コロ 1:18)開拓者になりたい,伝道者が多く必要とされている地域で奉仕したいと願っている人もいます。でも,願っているだけでは目標は達成できません。行動を起こした後に,イエスが聖なる力によって導いてくれます。これは車の運転に似ています。運転手は行きたい方向に車を運転できますが,車が動いていなければ右にも左にも曲がれません。同じように,私たちが動いていなければ,つまり目標に向かって行動していなければ,イエスは私たちを導けません。

      7 行動してもなかなか目標が実現しないとしたら,どうでしょうか。聖なる力に導かれていないと考えて,諦めた方がよいのでしょうか。いいえ,諦めてはいけません。パウロも,何度も壁にぶつかりました。でも,開く扉を探し続け,ついに見つけました。私たちも「活動への大きな扉」を探し続けましょう。そうすれば,パウロのようにきっと見つけられます。(コリ一 16:9)

      8. (ア)フィリピはどんな町でしたか。(イ)パウロが「祈りの場所」で伝道したことにより,どんなうれしいことがありましたか。

      8 マケドニア州に着いたパウロたちはフィリピに向かいます。フィリピの人たちは,ローマ市民であることを誇りに思っていました。フィリピは退役したローマ兵が住むイタリア風の町で,まるで小さなローマでした。パウロたちは,町の外を流れる細い川のそばに「祈りの場所」がありそうだと考えます。b 安息日にそこに行き,神に祈るために集まっている女性たちを見つけます。そこに座って話し掛けます。聞いていた人の中に「ルデアという女性」がいて,「エホバは彼女の心を大きく開」きました。ルデアはパウロたちの話を聞いてとても感動し,ルデアも家の人たちもバプテスマを受けました。その後ルデアは,パウロたちを家に招いて泊めてあげました。c (使徒 16:13-15)

      9. パウロに倣っているどんな人たちがいますか。どんな良い経験をしていますか。

      9 ルデアがバプテスマを受けて,パウロたちはどんなにかうれしかったことでしょう。「マケドニアへ渡ってきて……ください」という呼び掛けに応じて本当によかった,と思ったはずです。信仰のあつい女性たちの祈りに答えるために,エホバが自分たちを遣わしてくれたのです。現代でも,たくさんの兄弟姉妹が,伝道者が多く必要とされている地域に引っ越しています。若い人もいれば,年配の人もいます。独身の人もいれば,結婚している人もいます。そうやって引っ越すには,もちろん苦労が伴います。でも,ルデアのように聖書を学ぼうとする人に出会えると,苦労などなかったかのようにうれしい気持ちになります。あなたも「渡って」いけますか。きっと素晴らしい経験ができます。中央アメリカの国に移住した20代のアーロンは,こう言っています。「外国で奉仕するようになって,クリスチャンとして成長できました。エホバとの絆が強くなりました。ここでの伝道は最高です。8件の聖書レッスンをしています」。アーロン以外にも,同じような経験をしている人がたくさんいます。

      2人の姉妹が道で若い女性に伝道している。2人が何を話しているかを知りたそうに,若い男性が見ている。

      あなたも「マケドニアへ渡って」いけますか。

      「群衆は2人に対していきり立った」(使徒 16:16-24)

      10. パウロたちは,邪悪な天使たちが起こしたどんな出来事に巻き込まれましたか。

      10 サタンは激怒していたでしょう。邪魔者のクリスチャンがこれまでいなかった地域で,良い知らせが広まり始めていたからです。そのため,邪悪な天使たちがある出来事を起こし,パウロたちが巻き込まれます。祈りの場所に通っていたパウロたちはある日,邪悪な天使に取りつかれた召し使いの女性に付きまとわれます。主人たちはこの召し使いに運勢占いをさせて金もうけをしていました。女性はこう叫び続けます。「この人たちは至高の神の奴隷で,救いの道を広めています」。邪悪な天使は,占いをする女性にそう叫ばせて,パウロの教えも彼女の占いと特に変わりがないと人々に思わせたかったのかもしれません。これにより,周りの人たちはクリスチャンたちの話に興味を持たなくなったかもしれません。そこでパウロは,女性から邪悪な天使を追い出して,叫ぶのをやめさせました。(使徒 16:16-18)

      11. パウロが女性から邪悪な天使を追い出した後,どんなことがありましたか。

      11 召し使いの女性の主人たちは金もうけの手段を失い,激しく怒ります。パウロとシラスを捕まえて,広場まで引きずっていきます。行政官(ローマを代表する役人)たちが裁判をする場所です。主人たちは,裁判官たちの愛国心と優越感をくすぐる訴えをします。「このユダヤ人たちは,私たちローマ人には受け入れられない習慣を教えて,騒動を起こしている」というような訴えです。するとすぐに,「[広場にいた]群衆は2人[パウロとシラス]に対していきり立」ち,行政官たちは2人を「棒で打ちたたくようにと命令し」ます。その後,2人は牢屋まで引きずっていかれます。牢番は,傷を負った2人を奥の牢屋に入れ,足かせをはめます。(使徒 16:19-24)牢番が戸を閉めると,監房は真っ暗になり,お互いの顔も見えません。でも,エホバは見ていました。(詩 139:12)

      12. (ア)キリストの弟子たちは迫害されたとき,どう考えますか。どうしてですか。(イ)サタンはどんな手を使って反対をあおりますか。

      12 イエスは弟子たちに,「人々[は]あなたたちをも迫害します」と言っていました。(ヨハ 15:20)パウロたちはマケドニアに来た時,迫害を覚悟していたはずです。迫害に遭ったとき,エホバから見放されていると考えるのではなく,怒り狂ったサタンから攻撃を受けていると考えました。現代でも,サタンにいいように使われている人たちは,フィリピの人たちと同じような手を使います。学校や職場で私たちについて事実ではないことを言って,反感をあおります。国によっては,宗教家たちが裁判でエホバの証人を訴えて,こういうようなことを言います。「このエホバの証人たちは,代々信仰を守ってきた私たちには受け入れられない習慣を教えて,騒動を起こしている」。エホバの証人が捕まり,打ちたたかれて刑務所に入れられている国もあります。でも,エホバは見ています。(ペテ一 3:12)

      「すぐにバプテスマを受けた」(使徒 16:25-34)

      13. どんなことがあって,牢番は「救われるには何をしなければなりませんか」と尋ねましたか。

      13 波乱の一日を終え,パウロとシラスの気持ちはまだ高ぶっています。でも,真夜中になる頃にはいくらか落ち着き,「祈ったり歌で神を賛美したりして」いました。すると突然,地震が起き,監房が揺れます。目を覚ました牢番は,戸が開いていることに気付き,囚人たちが逃げてしまったと思い込みます。責任を問われて処刑されると思った牢番は,「剣を抜いて自殺しようとし」ます。しかしパウロが叫びます。「やめなさい。皆ここにいます!」取り乱した牢番は尋ねます。「先生方,救われるには何をしなければなりませんか」。パウロとシラスには救えません。救えるのはイエスだけです。それでパウロたちはこう答えました。「主イエスを信じなさい。そうすれば救われます」。(使徒 16:25-31)

      14. (ア)パウロとシラスは牢番にどんなことをしてあげましたか。(イ)前向きな気持ちで迫害に耐えた2人に,どんなうれしいことが待っていましたか。

      14 「何をしなければなりませんか」と聞いた牢番は,本当に知りたくてそう尋ねたのでしょうか。パウロは牢番の誠実さを感じ取りました。牢番は異国人で,聖書の知識がありませんでした。クリスチャンになるには,基本的な教えを学び,信じなければいけません。それでパウロとシラスは時間を取って,「牢番……にエホバの言葉を語」りました。熱中して教えるあまり傷の痛みも忘れてしまっていたかもしれません。でも,牢番は2人の背中の深い傷に気付き,手当てしてあげます。その後,牢番と家の人たちは「すぐにバプテスマを受け」ました。前向きな気持ちで迫害に耐えた2人に,こんなにもうれしいことが待っていました。(使徒 16:32-34)

      15. (ア)多くのエホバの証人はどのようにパウロとシラスに倣っていますか。(イ)会衆の区域の人を繰り返し訪問することが大切なのはどうしてですか。

      15 現代でも,パウロとシラスのようにしている兄弟たちがいます。信仰を貫いたために刑務所に入れられた多くのエホバの証人が,そこで良い知らせを伝え,聞いた人たちがクリスチャンになっています。例えば,活動が禁止されていたある国では,刑務所で聖書を学んだ人がエホバの証人全体の40%を占めていた時期があります。(イザ 54:17)ほかにも注目したいポイントがあります。牢番が学ぶ姿勢を示したのは,地震があった後でした。同じように,これまでは良い知らせに関心がなかった人も,生活を揺るがすようなショッキングな事が起きた後,学ぼうとすることがあります。家の人が関心を持った時にいつでも聖書を学べるよう,会衆の区域の人を繰り返し訪ねるのはとても大切なことです。

      「今,ひそかに出そうというのですか」(使徒 16:35-40)

      16. パウロとシラスが打ちたたかれた翌日,どのように形勢が逆転しましたか。

      16 棒で打ちたたかれた日の翌朝,行政官たちはパウロとシラスの釈放を命じます。でもパウロはこう口を挟みます。「あの人たちはローマ市民である私たちを,有罪の宣告もせずに人前で打ちたたき,牢屋に入れました。それを今,ひそかに出そうというのですか。それはなりません! 彼らが出向いてきて,私たちを連れ出すべきです」。行政官たちはパウロたちがローマ市民であることを知って,「恐ろしく」なります。2人の権利を侵害してしまっていたからです。d 形勢逆転です。パウロとシラスは人前で打ちたたかれました。今度は,行政官たちが人前で謝罪しなければいけません。行政官たちは,フィリピから去るようにと2人に懇願します。2人はそれに応じますが,その前にまず,新しくクリスチャンになった人たちを訪ね,励ますことにします。その後,町を出ていきました。

      17. 新しい弟子たちは,パウロとシラスの手本からどんな大事なことを学んだはずですか。

      17 パウロとシラスは,自分たちがローマ市民であることを早めに伝えていれば,打ちたたかれることはなかったかもしれません。(使徒 22:25,26)でもそうすると,フィリピの弟子たちはどう感じたでしょうか。2人がキリストのために苦しまなくて済むよう市民権を利用した,という印象を持ったかもしれません。フィリピのローマ市民ではない弟子たちは,ローマ法で守られてはいません。2人が早めに市民権を行使したら,そういう弟子たちは,2人の信仰を手本にしにくく感じたかもしれません。パウロたちは自ら罰に耐えることで,新しいクリスチャンたちに大事なことを教えました。キリストの後に従う人たちは迫害に遭っても信仰を貫ける,ということです。さらに,その後パウロとシラスは市民権を行使し,行政官たちが違法行為を公に認めざるを得ないようにしました。そうすることで,この先クリスチャンたちはひどい扱いを受けにくくなり,法的に守られやすくなったかもしれません。

      18. (ア)現代の監督たちはどのようにパウロに倣いますか。(イ)エホバの証人は,「良い知らせを……広める法的権利を得るため」にどんなことをしますか。

      18 現代の監督たちも,自ら手本になって教えます。兄弟姉妹にこうしてほしいと思うことがあれば,自分もそれを実践します。さらに,パウロに倣って,いつどのように法的手段を取るかを慎重に判断します。必要であれば,法的な保護を受けるために裁判所に訴えます。国際裁判所に訴えることもあります。目的は,世の中を変えることではありません。パウロが10年ほど後にフィリピの会衆に書いた通り,「良い知らせを擁護し,その知らせを広める法的権利を得るため」に,そうします。(フィリ 1:7)もちろん,裁判の結果がどうであろうと,パウロたちのように,聖なる力が導いてくれる場所で「良い知らせを広め」続けます。(使徒 16:10)

      ルカ 「使徒の活動」を書いた人

      「使徒の活動」は16章9節まで第三者の視点で書かれています。つまり,登場人物の発言や行動が客観的に書かれています。しかし,使徒 16章10,11節から書き方が変わります。11節には,「私たちはトロアスから船に乗ってサモトラケ島に直行し」たとあります。ここで筆者のルカが旅に加わったということが分かります。でも,ルカの名前は「使徒の活動」には出てきません。どうしてルカが書いたと分かるのでしょうか。

      ルカが机に向かって座っている。巻物を書いている。

      「使徒の活動」とルカの福音書の冒頭部分から分かります。両方とも「テオフィロ」という人物に宛てて書かれています。(ルカ 1:1,3。使徒 1:1)「使徒の活動」はこう始まっています。「テオフィロ様,私は最初の記述で,イエスが行い,教え始めた全ての事柄についてまとめました」。「最初の記述」つまり福音書をルカが書いたことは,古代の学者たちも認めています。それで,「使徒の活動」もルカが書いたと考えられます。

      ルカについての情報は少なく,ルカの名前は聖書に3回しか出てきません。使徒パウロはルカのことを,「皆に愛されている医者」とか,「私と共に働く仲間」と呼んでいます。(コロ 4:14。フィレ 24)ルカが「私たち」と書いている箇所を調べると,ルカは50年ごろパウロの旅行に初めて同行し,トロアスからフィリピまで行ったことが分かります。パウロがフィリピを離れた時には,ルカは一緒にいなかったようです。2人は56年ごろにフィリピで再会し,ほかの7人の兄弟と一緒にフィリピからエルサレムへ旅しました。パウロはそこで捕らえられます。2年後,ルカは,鎖につながれたままのパウロに同行し,カエサレアからローマに行きました。(使徒 16:10-17,40; 20:5–21:17; 24:27; 27:1–28:16)パウロはローマで2度目に拘禁されていた時に,処刑される日が近いと感じます。その時,一緒にいたのは「ルカだけ」でした。(テモ二 4:6,11)ルカは各地を旅し,良い知らせのために苦労を惜しみませんでした。

      ルカは,自分がイエスについて書いた内容はどれも実際に見たことだ,とは言っていません。「目撃証人」から話を聞き,「出来事を1つの記述にまとめ」たと言っています。「全てのことを初めから綿密に調べ」,「順序立てて書」きました。(ルカ 1:1-3)ルカが書いたものを見ると,入念に調査したことが分かります。情報を集めるために,エリサベツや,イエスの母マリアなどから話を聞いたかもしれません。ルカは,ほかの福音書にはない情報をたくさん載せています。(ルカ 1:5-80)

      パウロによれば,ルカは医者です。ルカは苦しんでいる人について,医者らしい観点で書いています。例えば,イエスが邪悪な天使に取りつかれた人を癒やした時に,「邪悪な天使はその男性[に]傷を負わせることなく出ていった」と書いています。また,使徒ペテロのしゅうとめが「高い熱」で苦しんでいたことや,イエスが癒やしたある女性が「18年間邪悪な天使に取りつかれて病弱」だったことも書いています。(ルカ 4:35,38; 13:11)

      ルカは「主の活動」に打ち込みました。(コリ一 15:58)医者としての成功や名声を追い求めるのではなく,エホバについて伝道して教えることに集中しました。

      ルデア 紫布を売る人

      ルデアは,マケドニアの大きな町フィリピに住んでいました。出身は小アジア西部のリュディア地方の町テアテラで,紫布の商売をするためにエーゲ海を渡ってきました。敷物,タペストリー,布地,染料など,紫のさまざまな品物を扱っていたようです。フィリピで見つかった碑文によれば,フィリピには紫布を売る人たちの組合があったようです。

      ルデアが生地を見せている。

      ルデアは「神を崇拝」していたと書かれていますが,これはユダヤ教に改宗していたことを意味しているようです。(使徒 16:14)ルデアは,故郷の町でエホバについて知ったのかもしれません。フィリピとは異なり,そこにはユダヤ人の集会場がありました。ルデアという名前は,フィリピで彼女に付けられたあだ名(「リュディアの女性」という意味)だと考える人もいます。でも,ある文献によれば,ルデアは実名としても使われていたようです。

      リュディア地方と周辺の地域は,ホメロスの時代(紀元前9世紀か8世紀)以来,紫の染色技術で有名でした。テアテラの水を使うと「最も鮮やかであせにくい色」が生まれるという評判までありました。

      紫の品物はぜいたく品で,裕福な人にしか買えませんでした。紫の染料はいろいろな物から採れましたが,地中海の貝を原料とするものが最も上質で高価で,上等の亜麻布に使われました。1個の貝から採れる染料はごくわずかで,1㌘採るのに8000個もの貝を処理しなければなりませんでした。そのため,紫色の布はとても高価でした。

      ルデアの商売にはかなりの資金が必要でした。それに,パウロ,シラス,テモテ,ルカの4人を泊められるだけの家を持っていました。そのことからすると,ルデアは商売で成功した裕福な人だったと思われます。「家の人たち」のことが出てくるので,親族と一緒に住んでいたか,奴隷や召し使いがいたのかもしれません。(使徒 16:15)パウロとシラスはフィリピを出る前に,ルデアの家で兄弟たちと会いました。ルデアの家は,フィリピで新しくクリスチャンになった人たちが集まる場所になっていたようです。ルデアは人をよくもてなす女性でした。(使徒 16:40)

      パウロが10年ほど後に書いたフィリピ会衆への手紙には,ルデアのことが出てきません。ルデアについて分かるのは,使徒 16章に書かれていることだけです。

      a 「ルカ 『使徒の活動』を書いた人」という囲みを参照。

      b フィリピには退役軍人が多く住んでいたため,ユダヤ人は町の中に会堂を設けることを禁じられていたのかもしれません。あるいは,この町ではユダヤ人の男性が10人(会堂の設立に必要な最低人数)に満たなかったのかもしれません。

      c 「ルデア 紫布を売る人」という囲みを参照。

      d ローマ法によれば,市民には常に正当な裁判を受ける権利があり,有罪の宣告もせずに市民を人前で処罰するようなことをしてはなりませんでした。

  • 「パウロは……聖書から論じ[た]」
    神の王国について徹底的に教える
    • 17章

      「パウロは……聖書から論じ[た]」

      パウロの上手な教え方とベレアの人たちの学ぶ姿勢

      使徒 17:1-15

      1,2. 誰がフィリピからテサロニケに向かっていますか。どんなことを考えたかもしれませんか。

      ローマの熟練工が建設した道路が,岩だらけの山々を縫うように走っています。往来の多いその道では,いろいろな音が聞こえます。ロバのいななき,石畳を行く馬車の車輪の音,旅をする兵士や商人や職人たちのにぎやかな話し声などです。パウロとシラスとテモテが,この道を通ってフィリピからテサロニケに向かっています。130㌔以上の道のりを行きます。特にパウロとシラスにとってはきつい旅です。フィリピで打ちたたかれた時の傷がまだ痛むからです。(使徒 16:22,23)

      2 長く険しい道のりですが,会話をしているとそれもあまり気になりません。フィリピでとてもうれしいことがありました。牢番と家の人たちがクリスチャンになりました。神の言葉をこれからも広めていきたいという気持ちが強まっています。それでも,港町テサロニケに近づくにつれて,少しの不安がよぎります。そこではユダヤ人からどんな扱いを受けるでしょうか。フィリピでされたように,捕らえられて打ちたたかれるのでしょうか。

      3. 不安を乗り越えたパウロの手本からどんなことを学べますか。

      3 この時の気持ちを,パウロは少し後にテサロニケのクリスチャンに送った手紙の中で書いています。「ご存じのように,私たちはまずフィリピで苦しめられ,侮辱を受けましたが,神の助けにより勇気を奮い起こし,厳しい反対に遭いながらも皆さんに神の良い知らせを伝えました」。(テサ一 2:2)このように,パウロはテサロニケに行く前にいくらか不安があったことを認めています。フィリピでした経験からすれば,それも当然です。あなたもパウロのように感じたことがありますか。良い知らせを伝えるのをちゅうちょしたことがありますか。パウロはエホバを信頼して,自分を奮い立たせました。パウロに倣うと,私たちも勇気を奮い起こせます。(コリ一 4:16)

      「聖書から論じ[た]」(使徒 17:1-3)

      4. パウロはテサロニケに3週間以上いたと考えられます。どうしてですか。

      4 記録によると,テサロニケでパウロは,3週続けて安息日に会堂で伝道しました。テサロニケに3週間しかいなかったのでしょうか。そうとは限りません。テサロニケに到着後どれくらいしてから会堂に行き始めたか分かりません。また,パウロの手紙によると,パウロたちはテサロニケにいた時に,収入を得るために働きました。(テサ一 2:9。テサ二 3:7,8)さらに,パウロはテサロニケにいる間に,フィリピの兄弟たちから物資を2度受け取っています。(フィリ 4:16)それで,パウロはテサロニケに3週間以上いたと考えられます。

      5. パウロはどのように教えましたか。

      5 パウロは勇気を出して,会堂に集まった人たちに話し掛けます。こう書かれています。「パウロは自分の習慣通り……聖書から論じ,キリストが苦しみを受け,そして生き返る必要があったということを説明したり,関連する点を挙げて証明したりして,『私が伝えているこのイエス,この方がキリストです』と言った」。(使徒 17:2,3)パウロは感情に訴えようとはせず,理性的に考えさせようとしました。聞いていた人たちは聖書になじみがあり,聖書を大切にしていました。でも分かっていないことがありました。ナザレのイエスが約束のメシアつまりキリストであるということです。パウロはそのことを「聖書から論じ,……説明し,……証明し」ました。

      6. イエスはどのように聖書を使って教えましたか。教わった弟子たちはどう感じましたか。

      6 パウロはイエスの教え方に倣っていました。イエスはいつも聖書から教えました。例えば,人の子は苦しんでから死に,生き返るということを聖書を基に説明しました。(マタ 16:21)その通りイエスは生き返り,弟子たちの前に姿を現しました。それだけでもイエスが語ったことが正しかった証拠になります。でも,イエスは聖書からの説明も加えました。どんなふうにそうしたか,こう書かれています。「モーセと全ての預言者の書から始めて,聖書全巻にある自分に関連した事柄を2人[の弟子]に解き明かした」。イエスの説明は弟子たちの心に響きました。弟子たちはこう言っています。「あの方が道中,話してくれた時,聖書をはっきり説明してくれた時,私たちの心は燃えていたではないか」。(ルカ 24:13,27,32)

      7. 聖書を使って教えることが大切なのはどうしてですか。

      7 神の言葉には力があります。(ヘブ 4:12)イエス,パウロ,ほかの使徒たちのように,神の言葉 聖書を使って教えましょう。筋道立てて話し,聖書の言葉の意味を説明します。聖書を開いて見せ,根拠を提示します。そもそも私たちは,自分たちの考えを教えているわけではありません。できるだけ聖書を使うようにすれば,神の考えを教えていることを分かってもらえるはずです。それに,聖書を使えば,パウロのように自信を持って語れます。何よりも信頼できる神の言葉を根拠にしているからです。

      「ある人たちは信者となっ[た]」(使徒 17:4-9)

      8-10. (ア)テサロニケの人たちは良い知らせを聞いて,どうしましたか。(イ)ユダヤ人たちがパウロのことを面白く思わなかったのはどうしてですか。(ウ)怒ったユダヤ人たちはどうしましたか。

      8 イエスはこう言ったことがあります。「奴隷は主人より偉く[ありません]。世の人々が私を迫害したのであれば,あなたたちをも迫害します。私の言葉を守ったのであれば,あなたたちの言葉も守ります」。(ヨハ 15:20)パウロはすでにその言葉通りのことを経験していました。テサロニケでもそうなります。パウロの話を聞こうとする人もいれば,はねつける人もいました。パウロから学んでクリスチャンになった人たちについて,こう書かれています。「ある人たち[ユダヤ人]は信者となってパウロとシラスに加わった。神を崇拝する非常に大勢のギリシャ人や,かなりの数の主立った女性たちもそうした」。(使徒 17:4)新しくクリスチャンになった人たちは,聖書を正しく理解できて喜んだことでしょう。

      9 パウロの話に感謝する人がいる一方で,激しく怒る人もいました。ユダヤ人たちは,パウロが「非常に大勢のギリシャ人」の心をつかんだことを面白く思わなかったようです。彼らはこれまで,ギリシャ人たちをユダヤ教に改宗させようとして,ヘブライ語聖書をずっと教えてきました。自分たちの側に付いていると思っていた人たちが,あっという間にパウロに説得されて離れていってしまいました。しかも,よりによってユダヤ教の会堂でそういうことが起きました。ユダヤ人たちの怒りは収まりません。

      暴徒たちに追われているパウロとシラスが家の門の中に避難している。門の所で男性が暴徒と話している。

      「ユダヤ人たちは……パウロとシラスをその暴徒の前に引き出そうとした」。使徒 17:5

      10 記録はこう続いています。「ユダヤ人たちは嫉妬し,広場をぶらつくならず者たちを寄せ集めて,町に騒動を起こし始めた。そして,ヤソンの家を襲撃し,パウロとシラスをその暴徒の前に引き出そうとした。しかし2人が見つからないので,ヤソンと何人かの兄弟たちを町の支配者たちの所に引きずっていき,こう叫んだ。『至る所で騒ぎを起こした男たちがここにまで来ていて,ヤソンが迎え入れました。この男たちは皆カエサルの命令に逆らって行動し,イエスという別の王がいると言っています』」。(使徒 17:5-7)パウロたちはどうなるのでしょうか。

      11. パウロたちはどんなことで訴えられましたか。ユダヤ人が言った皇帝の命令とは,どんなものだったと考えられますか。(脚注を参照。)

      11 暴徒と化した人たちというのは,手が付けられないものです。どんどんエスカレートし,暴力的になっていきます。ユダヤ人がパウロとシラスを追い出そうとして使ったのは,まさにそういう暴徒たちでした。ユダヤ人は「町に騒動を起こし」た後,パウロたちがとんでもないことをしていると,町の支配者たちに訴えを起こします。まず,パウロたちが「至る所で騒ぎを起こした」と言い張ります。騒ぎを起こしたのは当の自分たちなのにです。次に,さらに大きなことを持ち出し,彼らはイエスという王について広めて皇帝の命令に違反している,と主張します。a

      12. パウロたちは,重い処罰を受ける危険にさらされました。どうしてですか。

      12 以前,宗教指導者たちがイエスについて同じようなことを訴えました。「この男は私たちの民を扇動し,……自分が王キリストだと言っていました」とピラトに訴えました。(ルカ 23:2)ピラトは,反逆の罪を大目に見たと皇帝から思われたくなかったためか,イエスに死刑を宣告します。テサロニケでのユダヤ人の訴えも,同じような重い処罰につながりかねません。ある文献にはこうあります。「彼らはこれ以上ないほどの危険にさらされた。『皇帝に対する反逆をほのめかしたというだけでも,告発された者はたいてい命を落とすことになった』からである」。パウロたちはこのひどい策略にはまってしまうのでしょうか。

      13,14. (ア)暴徒たちが伝道を止められなかったのはどうしてですか。(イ)パウロはイエスの助言にどのように従いましたか。私たちはパウロにどのように倣えますか。

      13 結局,暴徒たちはテサロニケでの伝道を止めることはできませんでした。どうしてでしょうか。まず,パウロとシラスを見つけられませんでした。また,町の支配者たちに,訴えが妥当だとは思ってもらえなかったようです。町の支配者たちは,連れてこられていたヤソンなどの兄弟たちを釈放します。「十分な保証を得た」後,そうします。これはおそらく,保釈金を受け取ったということだと思われます。(使徒 17:8,9)「蛇のように用心深く,しかもハトのように純真なことを示しなさい」というイエスの助言通り,パウロは不必要に危険な目に遭わないよう,町を出て別の場所で伝道を続けることにします。(マタ 10:16)パウロは勇敢でしたが,無謀な人ではありませんでした。私たちはどのように倣えるでしょうか。

      14 現代でも,一般のキリスト教の聖職者がエホバの証人への暴動を引き起こすことがあります。エホバの証人が国家に背いていると支配者層に訴え,反対をあおります。1世紀と同じく,そういう人たちを動かしているのは嫉妬心です。私たちは攻撃されても,事を荒立てるようなことはしません。できるだけ取り合わないようにし,事が落ち着くまで,平和に伝道を続ける別の方法を探ります。

      カエサルと「使徒の活動」

      ギリシャ語聖書全体についても言えることですが,「使徒の活動」に書かれている出来事は,全てローマ帝国の領土内で起きました。ローマ帝国の領土内ではどこでも,ローマ皇帝が最高権力者でした。テサロニケのユダヤ人が言った「カエサルの命令」も,ローマ皇帝の命令のことでした。(使徒 17:7)「使徒の活動」が書かれている時期に統治した皇帝は,ティベリウス,ガイウス,クラウディウス1世,ネロの4人です。

      • ティベリウス(14-37年)は,イエスの宣教期間中ずっと,そしてクリスチャン会衆が発足した後の数年間,皇帝でした。イエスの裁判の時,ユダヤ人は,「この男を釈放するなら,あなた[ピラト]はカエサルの友ではありません。……私たちにはカエサルのほかに王はいません」と叫びました。このカエサルとは,ティベリウスのことでした。(ヨハ 19:12,15)

      • ガイウス,別名カリグラ(37-41年)のことは,ギリシャ語聖書には出てきません。

      • クラウディウス1世(41-54年)の名前は,「使徒の活動」に2回出てきます。クリスチャンの預言者アガボが予告していた「大飢饉」が,「クラウディウスの時」に「全土に」生じました。46年ごろのことでした。また,49年か50年初めに,「クラウディウス[は]ユダヤ人全員にローマ退去を命じ」ました。この命令により,アクラとプリスキラはコリントに移り,そこで使徒パウロに会いました。(使徒 11:28; 18:1,2)

      • ネロ(54-68年)は,使徒パウロが上訴した時のカエサルです。(使徒 25:11)この皇帝は64年ごろのローマの大火をクリスチャンのせいにした,と言われています。その後,65年ごろに,パウロはローマで2度目に拘禁され,処刑されました。

      そこの人たちは「心が広[かった]」(使徒 17:10-15)

      15. 良い知らせを聞いたベレアの人たちはどうしましたか。

      15 身の安全のために,パウロとシラスは65㌔ほど離れたベレアに向かいます。到着すると,パウロは会堂に行き,集まっている人たちに話します。とてもうれしい反応がありました。こう書かれています。ベレアのユダヤ人は「テサロニケの人たちより心が広く,神の言葉を非常に意欲的に受け入れ,聞いたことがその通りかどうかと聖書を毎日注意深く調べた」。(使徒 17:10,11)これは,クリスチャンになったテサロニケの人たちを遠回しに批判しているのでしょうか。そうではありません。パウロは少し後でテサロニケの人たちをこう褒めています。「私たちは絶えず神に感謝しています。皆さんが私たちから神の言葉を聞いた時,それを人間の言葉としてではなく,まさしく神の言葉として受け入れたからです。その言葉は,信仰を持つ皆さんに良い感化を与えています」。(テサ一 2:13)では,ベレアのユダヤ人の心が広かったとは,どういうことでしょうか。

      16. ベレアの人たちの「心が広[かった]」とは,どういうことですか。

      16 ベレアの人たちは新しいことを聞きましたが,疑い深いわけでも,批判的なわけでもありませんでした。逆に,何でもうのみにするわけでもありませんでした。まず,パウロが言うことをじっくり聞き,それから,教えてもらった聖句を調べて本当かどうか確かめました。しかも,安息日だけでなく,毎日聖書を学びました。聞いたことが聖書と合っているかどうか,「非常に意欲的に」調べました。その後,これまでの自分の考えにこだわらずに生き方を変え,「多くが信者となり」ました。(使徒 17:12)ベレアの人たちはそういう意味で「心が広[かった]」のです。

      17. ベレアの人たちのどんなところを手本にできますか。クリスチャンになった後も,どのように倣えますか。

      17 ベレアの人たちは,良い知らせを聞いた時のことがこんなふうに聖書に記録されるとは思っていなかったでしょう。心を広くすることの大切さを教える手本になっています。彼らは,先入観を持たずに聖書をじっくり調べました。それが,パウロもエホバも彼らにしてほしいと思っていたことでした。伝道する私たちも,みんなにそうしてほしいと思っています。聖書にしっかり基づいた信仰を持ってほしいからです。では,すでにクリスチャンになった私たちは,もう心を広くしなくてよいのでしょうか。いいえ,むしろますます心を広くしなければいけません。エホバから学び続け,教わった通りにやってみましょう。そうすれば,クリスチャンとして成長できます。エホバは陶芸家のように,私たちをより良い器にしていってくれます。(イザ 64:8)そうやって私たちは,エホバにとって使いやすい人になり,ますます大事にされます。

      18,19. (ア)パウロがベレアに長くはいられなかったのはどうしてですか。パウロは諦めずにどうしましたか。(イ)次にパウロはどこでどんな人たちに話しますか。

      18 パウロはベレアに長くはいられません。こう書かれています。「テサロニケのユダヤ人たちは,神の言葉がパウロによってベレアでも広められていることを知ると,群衆を駆り立てて騒がせようとしてやって来た。それで,兄弟たちはすぐにパウロを港へと送り出した。しかしシラスとテモテはとどまった。パウロに同行した人たちは彼をアテネまで連れてきた。そしてパウロから,シラスとテモテはできるだけ早く自分のもとに来るようにという指示を受けて,去っていった」。(使徒 17:13-15)本当にしつこいユダヤ人たちです。テサロニケから追い出すだけでは満足せず,ベレアにまで来て,前と同じような騒動を起こそうとしています。でもうまくはいきません。パウロは良い知らせを広く伝えなければいけないことを知っていました。別の町に行って伝道することにします。私たちも,反対に遭っても諦めずに伝道し続けましょう。

      19 パウロはテサロニケとベレアのユダヤ人に,神の王国について徹底的に教えました。勇気を出して語ることや聖書から話すことの大切さをあらためて感じたはずです。私たちもそのことを覚えておきたいと思います。パウロは今度,アテネの異国人たちに話すことになります。アテネでは何が待っているでしょうか。次の章で学びましょう。

      a ある学者によれば,当時,「新しい王や王国の到来,特に,現皇帝に取って代わったり裁きを下したりする王や王国の到来」を予告することを禁じるカエサルの命令がありました。ユダヤ人たちは,パウロの話がその命令に違反していると主張していたと考えられます。「カエサルと『使徒の活動』」という囲みを参照。

  • 「神を知ろうと[し],神を探し求めて本当に見つける」
    神の王国について徹底的に教える
    • 18章

      「神を知ろうと[し],神を探し求めて本当に見つける」

      パウロは相手との共通点をベースに,工夫しながら教えた

      使徒 17:16-34

      1-3. (ア)アテネに来たパウロがいら立っていたのはどうしてですか。(イ)パウロの話を分析すると,どんなことを学べますか。

      パウロはいら立ち,気持ちが落ち着きません。今,ギリシャのアテネにいます。かつてソクラテスやプラトンやアリストテレスが教えた学問の中心地です。とても宗教色の強い町で,アテネの人は非常に多くの神を崇拝しています。神殿,広場,通りなど至る所に偶像があります。パウロは,エホバが偶像崇拝をどう思っているかを知っています。(出 20:4,5)エホバもパウロも偶像をひどく嫌っています。

      2 パウロはアゴラつまり広場に入り,さらにショックを受けます。北西の角,正面の入り口の近くに,ヘルメス神の男根像がずらりと並んでいます。広場のあちこちに礼拝堂があります。偶像だらけのこの町で,パウロはどのように伝道するのでしょうか。自分の気持ちを落ち着かせて,相手の視点に立って話すでしょうか。本当の神について知るよう,何人かでも助けられるでしょうか。

      3 パウロがアテネの知識人たちにした話は,使徒 17章22-31節に記録されています。聞き手の身になって考え,いろいろなテクニックを駆使した説得力のある話でした。パウロの話を分析すると,どうすれば相手に寄り添い,一緒に考えながら教えられるかを学べます。

      「広場で」教える(使徒 17:16-21)

      4,5. パウロはアテネのどこで伝道しましたか。聴衆の中にはどんな手ごわい人たちがいましたか。

      4 パウロがアテネを訪れたのは,50年ごろ,2度目の宣教旅行中のことでした。a シラスとテモテがベレアから来るのを待つ間,パウロはいつものように「会堂でユダヤ人……と論じ始め」ます。また,ユダヤ人ではない人たちにも伝道するため,「広場」つまりアゴラに行きます。(使徒 17:17)アテネのアゴラはとても広く(5万平方メートルほど),アクロポリスの北西にありました。そこは物の売り買いをする市場というだけでなく,町の人たちが集う交流の場でした。「都市の経済・政治・文化の中心」だったと,ある文献には書かれています。アテネの人たちはそこに集まって,あれこれと議論するのを楽しんでいました。

      アテネ 古代世界の文化の中心地

      アテネについての歴史記録が残っているのは,紀元前7世紀以降のことです。でも,アテネの丘アクロポリスはそのずっと前から強固な要塞でした。アテネはアッティカ地方の主要な町になり,山と海に囲まれた約2500平方キロの領域に及んでいました。アテネという名前は,町の守護神である女神アテナと関係があるようです。

      紀元前6世紀,アテネの立法者ソロンが町の社会・政治・法律・経済の制度を改革しました。ソロンは貧民の境遇を改善し,民主政の基礎を据えました。とはいえ,それは自由民のためだけの民主主義であり,アテネの人口の大部分は奴隷でした。

      紀元前5世紀にギリシャ人がペルシャ人に何度か勝利した後,アテネは小さな帝国の首都になり,西はイタリアやシチリアから東はキプロスやシリアまで海上貿易を展開しました。全盛期には古代世界の文化の中心地となり,美術,演劇,哲学,弁論術,科学が発展しました。多くの公共建造物や神殿が都市を飾りました。ひときわ目立つのがアクロポリスの丘で,そこにはパルテノン神殿と,金と象牙でできた高さ12㍍のアテナ像がありました。

      アテネは,スパルタ人に,次いでマケドニア人に攻略されました。やがてはローマ人に征服され,都市の富は奪われました。それでもアテネは,使徒パウロが伝道した当時も,輝かしい歴史のために特別な都市と見なされていました。ローマの属州に組み入れられることはなく,市民への独自の司法権を与えられ,ローマの税を免除されました。最盛期を過ぎても学都として存続し,裕福な家の生まれの人が学問のためにやって来ました。

      5 パウロが話す相手は,一筋縄ではいかない人たちです。聴衆の中には,エピクロス派とストア派という哲学の学派の人たちがいました。この2つの派の教えは大きく異なっていました。b エピクロス派は,生命は偶然に存在するようになったと信じていました。彼らの人生観は端的に言うと,「神を畏れる必要はない。死ぬと何も感じない。善は達成できる。悪は耐えられる」というものでした。ストア派は理性と論理を重んじ,神に人格があるとは考えていませんでした。両派とも,クリスチャンが教える復活を信じていませんでした。どちらの派の思想も,パウロが広めていたキリスト教の正しい教えとは真っ向から対立するものでした。

      6,7. ギリシャの知識人たちはパウロの話を聞いて,どう反応しましたか。現代の私たちも,どんなことを言われるかもしれませんか。

      6 ギリシャの知識人たちはパウロの話を聞いて,どう反応したでしょうか。ある人たちはパウロのことを「おしゃべり」(直訳すると,「種をついばむ者」)と呼びました。(スタディー版の使徒 17:18の注釈を参照。)このギリシャ語について,ある学者はこう言っています。「この語は元々,歩き回って穀粒をついばむ小鳥に関して用いられた。後に,市場で食物のかけらや種々雑多な物を拾う人を指して使われた。さらに後には,比喩的に用いられ,雑多な情報を拾い集める人,特に,それをきちんとまとめることのできない人を指すようになった」。パウロは受け売りの知識をひけらかしているだけの愚か者だ,と彼らは言っていたのです。パウロはどうするでしょうか。そうやって悪口を言われても,決して動じません。

      7 現代のエホバの証人も,聖書を信じているために,ばかにされることがあります。教育者の中には,進化論を受け入れない人は愚かだと言う人がいます。生命の進化は紛れもない事実であって,論理的に考える人は疑うはずがない,と言うのです。私たちが聖書の言葉を紹介したり,生命が創造されたといえる証拠を見せたりすると,彼らはそれをあたかも「種をついばんでいる」ようなものだと考えます。でも私たちは動じません。エホバという神が全てのものを造ったことを,自信を持って語っていきます。(啓 4:11)

      8. (ア)パウロの話を聞いて,どんな反応をする人たちもいましたか。(イ)パウロがアレオパゴスに連れていかれた,というのはどういうことだったと考えられますか。(脚注を参照。)

      8 パウロの話を聞いて,別の反応をする人たちもいます。「彼は外国の神々を広める者らしい」と言う人たちがいました。(使徒 17:18)パウロは本当に,新しい神について広めていたのでしょうか。もしそうなら,それは重大なことでした。何世紀も前,ソクラテスが死刑宣告を受けたのも,一つには,別の神を広めたためでした。パウロはアレオパゴスに連れていかれ,その耳なじみがない教えについて説明するようにと言われます。c 相手は聖書について何も知らない人たちです。パウロはどんなことを話すでしょうか。

      エピクロス派とストア派

      エピクロス派とストア派は哲学の学派です。どちらも復活を信じていませんでした。

      エピクロス派は,神々の存在を信じていました。しかし,神々は人間に関心がなく報いも罰も与えないので,祈りや犠牲には意味がない,と考えました。快楽を人生での最高の善と見なしました。彼らの思想や行動には道徳律が全く見られませんでした。とはいえ,度を越えたことをして悪い結果を招かないよう,節制を奨励しました。知識を追求するのは,ただ宗教上の恐れと迷信を除くためでした。

      ストア派は,人格がない神を信じていました。全てのものがその神の一部であり,人間の魂はそこから出ていると考えました。ストア派の中には,魂はやがて宇宙と共に破壊されると考える人もいれば,最後には神に再び吸収されると信じる人もいました。自然の摂理に従うことによって幸福になれるというのが,ストア派の教えでした。

      「アテネの皆さん,私は……見ました」(使徒 17:22,23)

      9-11. (ア)パウロは相手とのどんな共通点をベースに話しましたか。(イ)宣教でパウロにどのように倣えますか。

      9 冒頭で見たように,パウロはたくさんの偶像を見て,いら立っていました。でも,感情に任せて偶像崇拝を批判することはしません。平静を保ちながら,相手との共通点をベースに話し始めます。こう切り出します。「アテネの皆さん,私は皆さんがどんな点でも信心深いのを見ました。神々への畏れを他の人たちよりも抱いています」。(使徒 17:22)パウロは,アテネの人たちの信仰心を褒めました。間違った教えを信じ込んでいる人たちも良い知らせを聞こうとするかもしれない,と思っていました。自分自身も以前は「信仰がなく,よく知らずに行動していた」からです。(テモ一 1:13)

      10 パウロは次に,「知られていない神に」と刻まれた祭壇を引き合いに出します。その祭壇からアテネの人たちの信心深さが分かる,というわけです。そこに「知られていない神に」と刻まれていたのは,どうしてでしょうか。ある資料にはこうあります。「『知られていない神』のために祭壇を作ることは,ギリシャ人その他の習わしだった。ある神を崇拝しそびれたためにその神を怒らせてしまうことがあってはいけない,と考えていたのである」。つまり,アテネの人たちは,自分たちがまだ知らない神が確かにいる,ということを認めていました。パウロはこの祭壇を話の切り口にして,良い知らせについて語り始めました。こう言っています。「皆さんが知らないで崇拝しているもの,それを私は皆さんに伝えているのです」。(使徒 17:23)とても自然な流れだったので,聞いている人たちは話に引き込まれたはずです。パウロは,誰かが言っていたように「外国の神々を広め」ていたわけではありませんでした。彼らがまだよく知らない神,本当の神について語っていました。

      11 宣教でパウロに倣えます。訪問する家や庭にどんなものが置かれているでしょうか。家の人はどんなものを身に着けているでしょうか。そこから,何かを信仰していることが分かることがあります。こう言えるかもしれません。「何かを信じる気持ちって大切ですよね。そういう心をお持ちの方にお会いできてよかったです」。そうやってその人の信仰心を褒めるなら,相手との共通点をベースに話を進められるかもしれません。家の人が宗教を持っているからといって,良い知らせを聞かないと決め付けてはいけません。別の宗教を信じていた人がエホバの証人になったケースはたくさんあります。

      生物の授業で,男の子が先生やクラスメートに話している。

      相手との共通点を探し,それをベースに話す。

      「神は,私たち一人一人から遠く離れてはいません」(使徒 17:24-28)

      12. パウロは相手に合わせてどんな工夫をしましたか。

      12 パウロは相手との共通点をベースに話し始めました。では,その後も相手に合わせて話していったでしょうか。相手はギリシャ哲学を学んでいて,聖書については知らない人たちでした。そのことを踏まえて,パウロは3つの工夫をしました。1つ目に,聖書から引用することはせずに,聖書の教えを伝えました。2つ目に,要所要所で「私たち」と言い,聞き手と同じ視点に立って一緒に考えました。3つ目に,自分が教えているのと同じことがギリシャ文学にも出てくることを指摘しました。では,パウロの説得力のある話を分析してみましょう。アテネの人たちがまだよく知らない神について,パウロはどんなことを伝えたでしょうか。

      13. 宇宙の起源についてパウロはどんなことを話しましたか。パウロが言いたかったのはどんなことでしたか。

      13 神は宇宙の全てを造った。「世界とその中の全ての物を造った神は,天地の主ですから,人が造った神殿などには住[みません]」と,パウロは言いました。d (使徒 17:24)宇宙は偶然に存在するようになったわけではありません。全ての物は神が造りました。(詩 146:6)アテナなどの神々は,神殿や礼拝堂や祭壇があって初めて褒めたたえられますが,天と地を造った神は違います。人間が建てた神殿で暮らすはずがありません。(王一 8:27)本当の神は,人間が建てた神殿にある,人間が作った偶像よりはるかに偉大です。パウロが言いたかったのはそういうことでした。(イザ 40:18-26)

      14. 神は人間に助けてもらう必要がないことを,パウロはどのように説明しましたか。

      14 神は人間に助けてもらう必要はない。偶像を崇拝する人たちは,偶像に派手な衣装を着せ,高価な供え物をし,食べ物や飲み物を捧げました。まるで偶像がそういう物を必要としているかのようでした。でも,聞いていたギリシャの哲学者の中には,神は人間に助けてもらう必要はないと考える人もいたかもしれません。そういう人は,「[神は]人間に世話してもらう必要もありません」というパウロの言葉に同意したはずです。神は全ての物を造ったので,人間から何かをもらう必要がないのは当然です。神が人間に「命と息」を与えています。太陽や雨,豊かな大地など,人間が生きるのに必要な「全ての物」も与えています。(使徒 17:25。創 2:7)人間が神に助けてもらう必要があるのであって,神が人間に助けてもらう必要はありません。

      15. ギリシャ人であることに優越感を持っていた人たちに,パウロはどう話しましたか。パウロにどのように倣えますか。

      15 神は1人の人から全ての人を造った。アテネのギリシャ人たちは,自分たちがほかの人種より優れていると思っていました。でも,聖書によれば,国籍や人種で優越感を持ってよい理由はどこにもありません。(申 10:17)こういう問題は感情が絡みやすいものです。でも,パウロは上手に話します。「[神は]1人の人から全ての国の人を造っ……た」と言い,相手に考えてもらいました。(使徒 17:26)そうやって創世記に出てくるアダムを引き合いに出し,アダムが全ての人間の先祖であることを指摘しました。(創 1:26-28)人類がみんな1人の人の子孫であるなら,どの人種や国籍の人も,別の人種や国籍の人より優れているとは言えません。聞いていた人たちは,パウロの言いたいことがよく分かったはずです。私たちもパウロに倣いたいと思います。相手が受け入れやすいように話しますが,聖書の教えをゆがめたり曖昧にしたりはしません。

      16. 神は人間にどう生きてほしいと思っていますか。

      16 神は人間に,自分のことを知ってもらいたいと思っている。アテネの哲学者たちは長年,人間が生きる意味について議論していました。でも,答えはなかなか見つかりませんでした。そこでパウロは,神が人間にどう生きてほしいと思っているかを話します。神が人間を造ったのは,「人々が神を知ろうとするため」,「神を探し求めて本当に見つけるため」です。「実のところ神は,私たち一人一人から遠く離れてはいません」。(使徒 17:27)アテネの人たちが崇拝していた「知られていない神」は,知ることのできない神では決してありません。本当に知りたいと思ってよく学べば,必ず知ることができます。(詩 145:18)パウロは「私たち」と言いました。自分も「神を知ろうと」し,「神を探し求め」なければいけない,ということを伝えたかったのです。

      17,18. 人間は神と親しくなれるとどうしていえますか。パウロの教え方からどんなことを学べますか。

      17 人間は神と親しくなれる。「私たちは神によって命を持ち,動き,存在しています」とパウロは言いました。ここでパウロはエピメニデスの言葉にそれとなく触れていた,と言う学者もいます。エピメニデスは紀元前6世紀のクレタの詩人で,「アテネの宗教的な伝統における重要人物」でした。パウロは,人間は神と親しくなれるということを分かってもらうため,さらにこう言います。「皆さんの詩人の中にも,『われわれもその子供である』と言っている人たちがいます」。(使徒 17:28)神は1人の人を造り,人間はみんなその人の子孫なので,人間は誰もが神の子供といえます。そのことを納得してもらえるよう,パウロはギリシャの詩人の言葉を引用しました。それは当時の人たちに評価されていた詩だったと思われます。e パウロのように,私たちも時には,歴史書や百科事典など権威のある文献から引用することができます。例えば,間違った宗教的な習慣や祝いの起源について,そういう資料を使って説明できるかもしれません。

      18 このようにしてパウロは,聞き手に合わせて言葉を選びながら,神について大事なことを伝えました。では,それを知った上でどうすることが大切でしょうか。パウロは次にそのことを話します。

      「あらゆる場所の全ての人」が「悔い改めるべき」(使徒 17:29-31)

      19,20. (ア)偶像を崇拝するのは愚かだということを,パウロはどのように説明しましたか。(イ)アテネの人たちは何をしなければいけませんでしたか。

      19 アテネの人たちにはしなければいけないことがあります。パウロはそれを伝えるに当たり,ギリシャの詩に再び触れてこう言います。「従って,私たちは神の子供なのですから,神のことを金や銀や石のように,人間が考え出して作った彫刻のように考えるべきではありません」。(使徒 17:29)人間は神に造られました。偶像は人間に作られた物です。神が人間を造ったのに,その神が人間の作った偶像になるとしたら,とてもおかしなことです。偶像を崇拝するのがいかに愚かなことか,パウロは上手に説明しました。(詩 115:4-8。イザ 44:9-20)パウロは「私たちは……べきではありません」と言っています。相手を批判しているような印象を与えないためにそう言ったのでしょう。

      20 何をしなければいけないか,パウロははっきり言います。「神はそうした無知[偶像崇拝は神に喜ばれると思い込むという無知]の時代を見過ごしてきましたが,今では,悔い改めるべきことをあらゆる場所の全ての人に告げています」。(使徒 17:30)アテネの人たちは,悔い改めなさいと言われ,ショックを受けたかもしれません。でも,パウロがすでに指摘したように,命は神が与えてくれたものなので,その神を無視して生きるのは良くありません。神を知ろうとし,神について本当のことを学び,神の考えに合った生き方をすることが大切です。アテネの人たちは,偶像崇拝が神に喜ばれないことを認め,やめなければいけませんでした。

      21,22. パウロは最後にどんなことを言いましたか。パウロは私たちにとっても大事なことを話していた,といえるのはどうしてですか。

      21 パウロは最後にこう言います。「[神は]自分が任命した者によって世界を公正に裁くために日を定めたからです。そして,その者を復活させて全ての人に保証を与えました」。(使徒 17:31)裁きの日が来ます。そのことを考えると,今のうちに神を知ることが大切です。パウロは,神が裁きのために「任命した者」の名前を挙げていません。その代わりに,神が「復活させ」た方であることに注目させています。

      22 パウロが最後に話したことは,私たちにとっても大事なことです。私たちは,神が裁きのために任命したのはイエス・キリストであることを知っています。(ヨハ 5:22)裁きの日が1000年間にわたること,その時が近いことも知っています。(啓 20:4,6)私たちは裁きの日を恐れていません。裁きの結果,イエスから良いと認められる人たちには,この上なく幸せな毎日が待っています。その輝かしい未来が必ずやって来ると確信できます。神はそのことを保証するために,イエス・キリストを復活させるという素晴らしい奇跡を起こしたからです。

      「信者となった人もいた」(使徒 17:32-34)

      23. パウロの話を聞いた人たちはどんな反応をしましたか。

      23 パウロの話を聞いた人の反応はさまざまでした。復活について聞き,「あざ笑い始める」人もいれば,やんわりと「その話はまた聞こう」と言って聞き流す人もいました。(使徒 17:32)でも,心を動かされた人たちもいました。「パウロに加わって信者となった人もいた。アレオパゴス裁判所の裁判官デオヌシオ,ダマリスという女性などである」と書かれています。(使徒 17:34)私たちも宣教で同じような経験をします。厳しい言葉を浴びせられることもあれば,丁重に断られることもあります。でも,うれしいことに,神の王国の良い知らせを聞いて,クリスチャンになる人もいます。

      24. パウロの話からどんなことを学べますか。

      24 パウロの話から,論理的に話すこと,納得できるよう分かりやすく教えること,相手に合わせて言葉を選ぶことの大切さを学べます。相手が間違った教えを信じている場合には,いらいらせずに,工夫しながらじっくり説明することが必要です。また,ただ相手に受け入れてもらうために聖書の教えをゆがめたりはしません。パウロに見習えば,宣教で上手に教えられるようになります。監督たちも会衆で心に響く教え方ができるようになります。そのようにして,「神を知ろうと[し],神を探し求めて本当に見つけ」られるよう,多くの人を助けていきましょう。(使徒 17:27)

      a 「アテネ 古代世界の文化の中心地」という囲みを参照。

      b 「エピクロス派とストア派」という囲みを参照。

      c アクロポリスの北西にあるアレオパゴスという丘は,アテネの主な評議会の議場として使われていました。「アレオパゴス」という語は,丘そのものだけでなく,その評議会を指すことがあります。それで,パウロがその丘やその近くに連れていかれたとする学者もいれば,別の場所(アゴラかもしれない)で開かれていた評議会に連れていかれたとする学者もいます。

      d 「世界」と訳されているギリシャ語はコスモスで,この語は宇宙を指して使われることがありました。パウロは,聞いていたギリシャ人と同じ視点に立って話そうとしていたので,この語をその意味で使ったのかもしれません。

      e パウロは,ストア派の詩人アラトスの天文詩「ファイノメナ」から引用していました。ストア派の著述家クレアンテスの「ゼウス賛歌」など,他のギリシャの書物にも,同様の表現が見られます。

  • 「語り続けなさい。黙っていてはなりません」
    神の王国について徹底的に教える
    • 19章

      「語り続けなさい。黙っていてはなりません」

      パウロは仕事をして生計を立てながら,宣教に打ち込んだ

      使徒 18:1-22

      1-3. パウロがコリントに来たのはどうしてですか。どんな気掛かりなことがありましたか。

      西暦50年の秋のことです。使徒パウロはコリントにいます。交易の中心地として栄え,ギリシャ人,ローマ人,ユダヤ人が大勢住む町です。a パウロはここに商売や職探しのために来たのではありません。もっと大切な目的があって来ました。神の王国について知らせるためです。もちろん,寝泊まりする場所が必要です。でも,誰かに経済的な負担は掛けたくありません。人のお金で生活しながら宣教している,とは思われたくありません。どうするでしょうか。

      2 パウロは手に職があります。天幕作りです。楽な仕事ではありませんが,自分で働いて生計を立てるつもりです。このせわしない町で働き口はあるでしょうか。宿は見つかるでしょうか。気掛かりなことはありますが,宣教という一番大切な仕事からパウロの気持ちがそれてしまうことはありません。

      3 結局,パウロはコリントにしばらくいることになり,宣教を続けて多くの成果を上げます。コリントでパウロがしたことから,今の私たちの宣教に役立つどんなことを学べるでしょうか。

      コリント 2つの港で栄えた町

      古代コリントは,ギリシャ本土と南のペロポネソス半島をつなぐ地峡(幅が狭くなっている陸地)にありました。その地峡の一番狭い所は幅が6㌔足らずで,コリントの両側には2つの港がありました。コリント湾に面するレカイオン港からは,海路で西方のイタリア,シチリア,スペインに向かうことができました。一方,サロニカ湾に面するケンクレア港では,エーゲ海地域,小アジア,シリア,エジプトへの海上交通を利用できました。

      ペロポネソス半島の南端の岬は風が吹き付け,航行するのが危険だったので,船乗りはたいてい,コリントの2つの港の一方で積み荷を陸揚げし,陸路でもう一方の港まで運んで,再び船に積み込みました。軽い船は,台車に載せてけん引し,地峡を横断させることもできました。台車は,海と海とをつなぐ舗道の溝に沿って動きました。コリントは地理的な条件に恵まれていたため,東西の海上貿易と南北の陸上交易の要衝でした。活発な交易によって富が流入しましたが,港にありがちな犯罪や非行も見られました。

      使徒パウロが伝道した当時,コリントはローマの属州アカイアの州都で,重要な行政中心地でした。さまざまな宗教が奉じられ,町には,皇帝崇拝の神殿,ギリシャやエジプトの神々に献じられた礼拝堂や神殿,ユダヤ教の会堂がありました。(使徒 18:4)

      近くのイストミアで2年ごとに開催された運動競技会は,オリンピア競技会に次いで大きなものでした。パウロは51年の競技会の時,コリントにいたと思われます。それで,「コリントへの手紙で運動競技の比喩を初めて使ったのは,偶然とは思えない」と,ある聖書辞典には書かれています。(コリ一 9:24-27)

      「天幕作りが職業だった」(使徒 18:1-4)

      4,5. (ア)パウロはコリントでどこに滞在しましたか。どんな仕事をしましたか。(イ)パウロが天幕作りの技術を持っていたのはどうしてだと思われますか。

      4 パウロはコリントに着いて間もなく,親切な夫婦に出会います。ユダヤ人のアクラと妻のプリスキラ(プリスカ)です。2人は,クラウディウス帝が「ユダヤ人全員にローマ退去を命じたために」,コリントに移り住んでいました。(使徒 18:1,2)アクラとプリスキラはパウロに宿を提供するだけでなく,仕事もあてがい,一緒に働けるようにしました。こう書かれています。「[パウロは]職業が[2人と]同じだったのでその家に滞在し,一緒に働いた。天幕作りが職業だった」。(使徒 18:3)コリントでの宣教中,パウロはずっと2人の家に住みます。その間に,後で聖書の一部になった手紙を何通か書いたと思われます。b

      5 「ガマリエルから直接教えられ」たパウロが,どうして天幕作りの技術も身に付けていたのでしょうか。(使徒 22:3)1世紀のユダヤ人は,手仕事を子供に教えるのを恥とは考えなかったようです。子供に高い教育を受けさせる場合でも,そうでした。パウロはキリキア地方のタルソス出身で,キリキアは天幕の材料になるキリキウムという布で有名だったので,パウロは子供の頃に天幕作りを覚えたと思われます。どんな作業をする仕事だったのでしょうか。天幕用の布を織ることや,硬くて粗い布を切ったり縫ったりする作業がありました。なかなかきつい仕事でした。

      6,7. (ア)パウロは天幕作りの仕事をどう見なしていましたか。アクラとプリスキラも同じ見方をしていた,といえるのはどうしてですか。(イ)現代のクリスチャンは,パウロ,アクラ,プリスキラにどのように倣っていますか。

      6 パウロは,天幕作りが自分の本業だとは考えていませんでした。その仕事をしたのは,自活しながら宣教し,良い知らせを「無償で伝え」るためです。(コリ二 11:7)アクラとプリスキラはどうだったのでしょうか。パウロと同じように,天幕作りの仕事を本業だとは考えていなかったはずです。52年にパウロがコリントを去る時,2人はコリントでの仕事をやめて家を引き払い,パウロと一緒にエフェソスに行きました。エフェソスでは,自宅を会衆の集会場として提供しました。(コリ一 16:19)その後,ローマに戻り,それから再びエフェソスに行きました。2人はいつも神の王国のために熱心に働き,仲間のためにできることを何でもしたので,「国々の全ての会衆[から]感謝」されました。(ロマ 16:3-5。テモ二 4:19)

      7 現代のクリスチャンは,パウロ,アクラ,プリスキラの手本に倣っています。熱心に伝道しながらも,仲間に「経済的な負担を掛けないよう」にしています。(テサ一 2:9)全時間奉仕者たちが,パートタイムの仕事をしたり短期の仕事をしたりして生計を立てながら,本業の宣教に打ち込んでいます。アクラとプリスキラのように親切な兄弟姉妹が,巡回監督を家に泊めています。そういう人たちは,「人をもてなすことに努め」ると,とても充実した時間を過ごせると感じています。(ロマ 12:13)

      パウロが書いた励ましの手紙

      使徒パウロは,コリントにいた50年から52年ごろの1年半の間に,ギリシャ語聖書の一部になった手紙を少なくとも2通書きました。テサロニケのクリスチャンへの第一と第二の手紙です。「ガラテアのクリスチャンへの手紙」もこの時期に書かれたかもしれませんが,そのすぐ後に書かれた可能性もあります。

      「テサロニケのクリスチャンへの第一の手紙」は,聖書の一部になったパウロの最初の手紙です。パウロは50年ごろ,2度目の宣教旅行の間にテサロニケを訪れました。テサロニケにできた会衆はすぐに反対に遭い,パウロとシラスは町を出ていかなければならなくなりました。(使徒 17:1-10,13)パウロは発足したばかりの会衆のことを気に掛け,戻ろうと2度試みましたが,「サタンに邪魔されました」。それでパウロは,兄弟たちを励まして元気づけるためにテモテを遣わします。おそらく50年の秋に,テモテはコリントでパウロに合流し,テサロニケ会衆について良い報告をします。その後,パウロはこの手紙を書きました。(テサ一 2:17–3:7)

      「テサロニケのクリスチャンへの第二の手紙」は,たぶん最初の手紙のすぐ後,おそらく51年に書かれました。両方の手紙で,パウロと一緒にテモテとシルワノ(「使徒の活動」ではシラス)があいさつを送っていますが,パウロがコリントにいた時期の後には,この3人が再び一緒にいた記録はありません。(使徒 18:5,18。テサ一 1:1。テサ二 1:1)パウロはどうして第二の手紙を書いたのでしょうか。おそらくは最初の手紙を届けた人を通して,テサロニケ会衆のその後の様子を聞いたようです。それでパウロは,テサロニケの兄弟たちの愛と忍耐を褒めるとともに,一部の人たちが持っていた,主の臨在が目前であるという考えを正すことにしました。(テサ二 1:3-12; 2:1,2)

      「ガラテアのクリスチャンへの手紙」によると,パウロはこの手紙を書く前に少なくとも2回ガラテアを訪れていたようです。47年から48年にかけて,バルナバと一緒に,ローマの属州ガラテアにある,ピシデアのアンティオキア,イコニオム,ルステラ,デルベを訪れました。49年には,シラスと一緒に再びその地域に行きました。(使徒 13:1–14:23; 16:1-6)パウロがこの手紙を書いたのは,パウロの後にユダヤ主義者たちがガラテアにやって来たからでした。彼らは,クリスチャンも割礼を受けてモーセの律法を守らなければいけないと教えていました。そう聞いたパウロは,その教えが間違っていたので,すぐにガラテアのクリスチャンに手紙を書いたようです。コリントで書いたと思われますが,シリアのアンティオキアで,あるいはそこに帰る途中で立ち寄ったエフェソスで書いたのかもしれません。(使徒 18:18-23)

      「コリントの多くの人が,信じ[た]」(使徒 18:5-8)

      8,9. ユダヤ人たちからの反対に遭ったパウロは,どうしましたか。その後,どこで伝道することにしましたか。

      8 その後,シラスとテモテがマケドニアから必要な物をたくさん持ってきてくれました。パウロはどうしたでしょうか。(コリ二 11:9)「神の言葉を伝えることに専念」する(「自分の全ての時間を伝道に充て」る)ようになりました。(使徒 18:5,エルサレム聖書[英語])パウロにとって天幕作りの仕事は,あくまで宣教を続けるための手段に過ぎなかったことが分かります。パウロの熱心な伝道を受けて,ユダヤ人たちは激しく反対し,キリストについての命を救うメッセージをはねつけます。パウロは,自分にはもう責任がないことを示すために,服に付いた土を振り払って,こう言います。「あなた方がどうなるとしても,それはあなた方自身の責任です。私は潔白です。これからは異国の人々の所に行きます」。(使徒 18:6。エゼ 3:18,19)

      9 パウロはどこで伝道するのでしょうか。テテオ・ユストという人(ユダヤ教に改宗した人だったと思われる)が,会堂の隣にあった自宅を使わせてくれます。パウロは会堂からその家に移動し,伝道を続けます。(使徒 18:7)コリントにいた間,パウロはその後もアクラとプリスキラの家に住みましたが,伝道の拠点はユストの家になりました。

      10. パウロがもう異国人にしか伝道しないと決めたわけではない,といえるのはどうしてですか。

      10 「これからは異国の人々の所に行きます」と言ったパウロは,ユダヤ人やユダヤ教に改宗した人たちには,もう一切伝道しないと決めたのでしょうか。そうとは思えません。こう書かれているからです。「会堂の役員クリスポが家の人全員と一緒に主の信者となった」。クリスポに続いて,何人もの会堂の関係者がクリスチャンになったようです。「良い知らせを聞いたコリントの多くの人が,信じてバプテスマを受けるようになった」とあります。(使徒 18:8)こうして,テテオ・ユストの家は新しくできたコリントの会衆の集会場になりました。いつものルカの書き方通り,時系列で記録されているとすれば,パウロが服に付いた土を振り払った後に,クリスポたちがバプテスマを受けたことになります。パウロが柔軟で,融通が利く人だったことがよく分かります。

      11. エホバの証人はパウロに倣い,一般のキリスト教の信者たちにどのように伝道していますか。

      11 現在,多くの国では,一般のキリスト教が大きな影響力を持ち,信者がたくさんいます。教会の宣教師が多くの人を改宗させてきた国や島々もあります。1世紀のコリントのユダヤ人のように,信者たちが教会の伝統に縛られていることもよくあります。パウロに倣い,エホバの証人はそういう人たちにも伝道し,聖書を正しく理解できるように助けます。相手からはねつけられたり宗教指導者から迫害されたりしても,諦めません。「正確な知識によるものでは」ない「熱意を持っている」人たちの中にも,神について本当のことを知りたいと思っている人がいるはずだからです。(ロマ 10:2)

      「この町には私の民が大勢います」(使徒 18:9-17)

      12. 幻の中でパウロはどんなことをはっきり伝えられましたか。

      12 パウロがまだコリントにいたある夜,主イエスが幻の中に現れて,こう言います。「恐れないで,語り続けなさい。黙っていてはなりません。私はあなたと共におり,誰もあなたを襲って危害を加えたりはしません。この町には私の民が大勢います」。(使徒 18:9,10)とても心強い言葉です。パウロが仮に,コリントで宣教を続けるべきだろうかと考えていたとしても,この幻を見て,迷いは消えたはずです。危害を加えられることはない,見込みのある人たちがまだたくさんいる,とイエスがはっきり言ってくれました。パウロはどうしたでしょうか。こう書かれています。「パウロはそこに1年6カ月滞在し,神の言葉を教えた」。(使徒 18:11)

      13. 裁きの座の前に連れていかれる時,パウロはどんなことを思い出したかもしれませんか。自分はここで命を落とすことはない,とパウロが思えたのはどうしてですか。

      13 コリントで1年がたった頃,パウロはさらにイエスのサポートを感じる経験をします。ある日,「ユダヤ人は一団となってパウロを襲い,裁きの座の前に引いて」いきます。(使徒 18:12)この裁きの座はベーマと呼ばれる高い演壇で,青と白の大理石で造られ,彫刻がたくさん施されていたようです。コリントの広場の中央部に位置していたと思われます。ベーマの前には大勢の人が集まれるスペースがありました。考古学上の発見からすると,ベーマは会堂のすぐ近く,つまりユストの家のすぐ近くにあったようです。ベーマの前に連れていかれる時,パウロはステファノのことを思い出したかもしれません。ステファノは石打ちにされ,クリスチャンの最初の殉教者になりました。その頃サウロと呼ばれていたパウロは,「ステファノの殺害に賛成して」いました。(使徒 8:1)今度はパウロが同じような目に遭うのでしょうか。いいえ,「誰もあなた[に]危害を加えたりはしません」とイエスから言われていました。(使徒 18:10)

      怒ってパウロを告発したユダヤ人たちの訴えを,ガリオが却下している。暴徒化した人たちをローマの兵士たちが抑え込もうとしている。

      「そして彼らを裁きの座から追い払った」。使徒 18:16

      14,15. (ア)ユダヤ人たちはどんなことでパウロを告発しましたか。ガリオが訴えを却下したのはどうしてですか。(イ)ソステネはどんな目に遭いましたか。ソステネにとってそれが良いきっかけになったかもしれない,といえるのはどうしてですか。

      14 裁きの座の前に来たパウロはどうなるでしょうか。裁きの座に就いていたのは,アカイアの執政官代理ガリオでした。ローマの哲学者セネカの兄です。ユダヤ人たちはパウロを告発し,こう言います。「この男は,法に逆らって神を崇拝するよう人々を説得している」。(使徒 18:13)パウロがやっていることは違法だ,というのが彼らの言い分です。でも,ガリオからすると,パウロは何の「不正」もしておらず,「重大な犯罪」を犯してなどいません。(使徒 18:14)ガリオはユダヤ人たちのいざこざに巻き込まれたくないようです。パウロが一言も弁明しないうちに,ガリオは訴えを却下します。ユダヤ人たちは激怒し,ソステネに怒りの矛先を向けます。ソステネはクリスポの後任として会堂の役員になっていたようです。ソステネは捕まえられて,「裁きの座の前で打ちたた」かれました。(使徒 18:17)

      15 群衆がソステネを打ちたたくのを,ガリオが止めなかったのはどうしてでしょうか。ソステネがパウロを襲った一団のリーダーだと思い,苦しい目に遭っても仕方ないと考えたのかもしれません。いずれにしても,これが良いことにつながった可能性があります。パウロは,数年後に書いたコリント会衆への最初の手紙の中で,ソステネという兄弟に触れています。(コリ一 1:1,2)これは,コリントで打ちたたかれたソステネでしょうか。もしそうなら,大変な思いをしたことがきっかけでクリスチャンになろうと思ったのかもしれません。

      16. 「語り続けなさい。黙っていてはなりません。私はあなたと共に」います,というイエスの言葉を,私たちも覚えておきたいのはどうしてですか。

      16 パウロがイエスから,「恐れないで,語り続けなさい。黙っていてはなりません。私はあなたと共に」います,と言われたのは,ユダヤ人たちから反対に遭った後でした。(使徒 18:9,10)私たちも伝道で冷たくあしらわれることがあるので,この言葉を覚えておきたいと思います。エホバは心の中を見て,心に良いものがある人たちを引き寄せます。(サム一 16:7。ヨハ 6:44)そう考えると,これからも一生懸命に伝道しようという気持ちになります。毎年,十数万から数十万もの人がバプテスマを受けています。1日に数百人のペースです。イエスは「全ての国の人々を弟子としなさい」と命じた後に,こうも言ってくれています。「私は体制の終結までいつの日もあなたたちと共にいるのです」。(マタ 28:19,20)

      「エホバが望まれるなら」(使徒 18:18-22)

      17,18. エフェソスに向かう船の中で,パウロはどんなことを考えたかもしれませんか。

      17 はっきりしたことは分かりませんが,ガリオが訴えを却下したおかげで,コリント会衆はしばらく安心して活動できるようになったかもしれません。いずれにしても,パウロは「さらにかなりの日数滞在し」,それからコリントの兄弟たちに別れを告げます。52年の春,コリントの東11㌔ほどのケンクレア港から船でシリアに向かうことにしました。ケンクレアを出る前に,「髪の毛を短く刈」ります。「誓約をしていた」からです。c (使徒 18:18)その後,アクラとプリスキラと一緒に出発し,エーゲ海を渡って,小アジアのエフェソスに行きました。

      18 ケンクレアから乗った船の中で,パウロはコリントで過ごした日々を思い返したことでしょう。良い思い出がいっぱいで,大きな達成感があります。成果がたくさんあった1年半でした。コリントで最初の会衆ができて,ユストの家で集会を開くようになりました。ユスト,クリスポと家の人たちなど,多くの人がクリスチャンになりました。パウロにとって,とてもいとおしい人たちです。親身になって助けたからです。パウロは後で書いた手紙の中で,その人たちのことを自分の心に書き込まれた「推薦の手紙」だと言っています。私たちも,クリスチャンになるよう助けた人たちに親しみを感じます。いわば自分の推薦状のような,大切な存在です。(コリ二 3:1-3)

      19,20. エフェソスに着いたパウロはどうしましたか。奉仕の目標を立てて取り組むとき,パウロにどのように倣えますか。

      19 パウロはエフェソスに着くと,すぐに伝道し始めます。「会堂に入ってユダヤ人たちと論じた」とあります。(使徒 18:19)この時はエフェソスに長くは滞在しません。もっといてほしいと言われますが,「それには応じず」,別れを告げ,「エホバが望まれるなら,また戻ってきます」と言います。(使徒 18:20,21)パウロは,エフェソスには良い知らせを聞く人がまだまだたくさんいると思っていました。戻ってくるつもりでしたが,今後のことは全部エホバにお任せすることにしました。私たちも見習いたいものです。奉仕の目標を立てて一生懸命に取り組みますが,いつでもエホバに導いてもらい,エホバの考えに合わせたいと思います。(ヤコ 4:15)

      20 エフェソスにアクラとプリスキラを残し,パウロは船でカエサレアに向かいます。そこからエルサレムに「上っていって」,会衆の人たちに会ったようです。(スタディー版の使徒 18:22の注釈を参照。)その後,出発地のシリアのアンティオキアに戻ります。2度目の宣教旅行は大成功でした。次の宣教旅行はどうなるでしょうか。

      パウロの誓約

      使徒 18章18節によれば,パウロはケンクレアにいた時に「髪の毛を短く刈」りました。「誓約をしていた」からです。どんな誓約だったのでしょうか。

      誓約とは一般に,自発的にする,神への厳粛な約束のことです。何かの行為をする,何かの捧げ物をする,何かの特別な奉仕をするといったことを神に約束します。パウロはナジルの誓約を果たしたので髪の毛を切った,と考える人もいます。しかし,聖書によれば,ナジルはエホバへの特別な奉仕の期間を終える時に,「会見の天幕の入り口で」頭をそることになっていました。それができるのはエルサレムだけで,ケンクレアではできなかったと思われます。(民 6:5,18)

      「使徒の活動」には,パウロがいつ誓約をしたかは書かれていません。クリスチャンになる前だったとも考えられます。パウロがエホバに特定の願い事をしたのかどうかも書かれておらず,分かりません。ある文献によれば,パウロが髪の毛を短く刈ったのは,「神の保護のおかげでコリントでの宣教を完遂できたことへの感謝の表明」だったのかもしれません。

      a 「コリント 2つの港で栄えた町」という囲みを参照。

      b 「パウロが書いた励ましの手紙」という囲みを参照。

      c 「パウロの誓約」という囲みを参照。

  • 反対に遭っても,「広まって勢いを増していった」
    神の王国について徹底的に教える
    • 20章

      反対に遭っても,「広まって勢いを増していった」

      アポロとパウロの奮闘により,逆境を乗り越えて良い知らせが広まる

      使徒 18:23–19:41

      1,2. (ア)パウロたちはエフェソスでどんな危険な目に遭いますか。(イ)この章ではどんなことを考えますか。

      エフェソスの通りに怒号が飛び交い,人々が走る音がどどっと響きます。群衆が暴徒と化し,暴動が起きます。パウロに同行していた2人が捕らえられ,引きずっていかれます。町には,2万5000人を収容できる円形劇場があります。群衆は狂ったようにそこになだれ込み,柱の奥に店が立ち並ぶ大通りはすぐに空っぽになります。ほとんどの人はどうして騒動になっているのかも分かっていません。でも,自分たちの神殿と崇敬する女神アルテミスの立場が危うくなっているようだ,と感じます。熱狂して,「偉大なのはエフェソスのアルテミス!」と叫び始めます。(使徒 19:34)

      2 またしても,サタンは暴徒たちを使って,神の王国の良い知らせが広まるのをとどめようとしています。もちろん,サタンの手口は暴力だけではありません。この章では,1世紀のクリスチャンの活動の邪魔をし,会衆をばらばらにさせようとするサタンの手口の幾つかを取り上げます。素晴らしいことに,サタンがどんな手口を使っても,「エホバの言葉は力強く広まって勢いを増して」いきました。(使徒 19:20)クリスチャンたちがサタンの攻撃に負けず,伝道を続けられたのはどうしてでしょうか。今の私たちも同じく,サタンに負けていません。そうできているのはもちろんエホバのおかげですが,私たちにもすべきことがあります。良い宣教ができるよう内面を磨いていくことが大切です。エホバの聖なる力に助けてもらいながら,そうします。では,まずアポロの例から学びましょう。

      「聖書によく通じていた」(使徒 18:24-28)

      3,4. アクラとプリスキラは,アポロについてどんなことに気付きましたか。気付いてどうしましたか。

      3 パウロが3度目の宣教旅行でエフェソスに向かっている間に,アポロというユダヤ人がエフェソスに着きます。エジプトのアレクサンドリアという有名な都市の出身です。アポロには,いろんな優れたところがありました。話がとても上手です。しかも「聖書によく通じて」いて,「聖なる力によって熱意に燃え」ています。アポロは,会堂でユダヤ人たちに熱心に語り始めました。(使徒 18:24,25)

      4 アポロが話すのを,アクラとプリスキラが聞きました。アポロが「イエスに関する事柄を正確に……教え」ているのを聞いて,2人はうれしくなったはずです。アポロはイエスについて正しく教えていました。でも2人は,アポロには分かっていないことがあるのに気付きます。「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」のです。天幕作りを仕事にしている,いつも謙虚なこの夫婦はどうするでしょうか。教育があって雄弁なアポロの前で遠慮してしまい,何も言えないでしょうか。そうではありませんでした。2人はアポロを「連れていって,神の道をより正確に説明し」ました。(使徒 18:25,26)アポロはどうするでしょうか。謙虚な姿勢で2人の話をよく聞き,自分のできていないところを認めました。そうすることは,クリスチャンにとって特に大切です。

      5,6. アポロはどうやって,エホバにとってますます使いやすい人になりましたか。アポロからどんなことを学べますか。

      5 反発せずに2人に助けてもらったおかげで,アポロはますます教えるのが上手になり,エホバにとって使いやすい人になりました。その後,アカイアに行き,クリスチャンたちを「大いに助け」ました。また,イエスについて誤解しているユダヤ人たちにも熱く語り,イエスがメシアであることを教えました。こう書かれています。「[アポロは]熱意を持って……ユダヤ人の誤りを徹底的に証明し,イエスがキリストであることを聖書から示した」。(使徒 18:27,28)本当に大きな活躍です。「エホバの言葉」が広まっていくのに大きく貢献しました。アポロからどんなことを学べるでしょうか。

      6 謙虚に自分を見つめることは,クリスチャンにとって欠かせません。私たちにはみんな,エホバからもらった良いところがあります。才能,経験,知識などです。でも,そのどれよりも,謙虚な姿勢が目立っていなければいけません。そうでないと,せっかくの良いところが悪いところになってしまいかねません。自分の優れたところにうぬぼれ,心の中に傲慢さが雑草のように生え出てしまうかもしれません。(コリ一 4:7。ヤコ 4:6)謙虚さを忘れない人は,周りの人は自分より上だといつも考えます。(フィリ 2:3)何かを指摘された時にいら立ったり,教わるのを嫌がったりしません。自分の考えが聖なる力の流れに合っていないことに気付いたなら,固執せずにすぐ考えを改めます。謙虚な心を持ち続ければ,エホバとイエスにとって使いやすい人でいられます。(ルカ 1:51,52)

      7. パウロとアポロはどのように謙虚な姿勢を示しましたか。

      7 謙虚な心があれば,ライバル意識を捨てやすくなります。サタンは,1世紀のクリスチャンの中に分裂を引き起こしたいと思っていました。もしアポロとパウロという,やる気にあふれた2人がお互いをライバル視し,クリスチャン会衆の中で張り合うとしたら,サタンの思うつぼでした。2人がそうなることは十分にあり得ました。コリントのクリスチャンの中には,「私はパウロに従う」と言う人もいれば,「いや,私はアポロに」と言う人もいました。パウロとアポロは,兄弟たちを自分に付かせようとしたでしょうか。いいえ,そんなことはしませんでした。パウロは謙虚に,アポロが伝道に大きく貢献していることを認め,さらに責任を任せました。アポロは,パウロの指示に従いました。(コリ一 1:10-12; 3:6,9。テト 3:12,13)謙虚な心で協力し合う素晴らしい手本です。

      「神の王国について……人々を説得しようとした」(使徒 18:23; 19:1-10)

      8. パウロはどんなルートでエフェソスに向かいましたか。どうしてですか。

      8 パウロは以前,エフェソスの人たちに「また戻ってきます」と言っていました。その約束を守るため,エフェソスに向かいます。a (使徒 18:20,21)注目したいのは,どういうルートで向かったかです。パウロは,シリアのアンティオキアに戻ってきていました。そこからエフェソスに行くには,近くのセレウキアから船に乗っていくのが手っ取り早いはずです。ところが,パウロは「内陸部を通ってエフェソスに行った」とあります。使徒 18章23節と19章1節のパウロの旅路をたどると,1600㌔にもなるようです。どうしてそんなにきついルートを選んだのでしょうか。「全ての弟子たちを力づけ」るためです。(使徒 18:23)これまでの旅と同じく,3度目の宣教旅行も大変な旅になりそうです。でも,パウロはそうするだけの価値が十分にあると思いました。現代の巡回監督や妻も同じような気持ちで,各地を回っています。心から感謝したいと思います。

      エフェソス アジアの州都

      エフェソスは,小アジア西部で最大の町でした。使徒パウロが伝道した当時,人口は25万人を超えていたと思われます。ローマの属州アジアの州都として,「アジアの最初で最大の主要都市」と呼ばれていました。

      エフェソスは,商業と宗教で莫大な富を得ていました。船が通れる川の河口近くにあり,海港が通商路の交差点に位置していました。エフェソスには,有名なアルテミス神殿だけでなく,ギリシャ・ローマ,エジプト,アナトリアの神々の礼拝堂や神殿もありました。

      アルテミス神殿は,古代世界の七不思議の1つとされました。縦105㍍,横50㍍ほどのこの神殿には,大理石の柱が100本ほどあり,柱の基部の直径は約1.8㍍で,高さは17㍍近くありました。この神殿は,古代の地中海世界で極めて神聖な場所と見なされ,巨額のお金がアルテミスのもとに預けられました。それで,アジアの最も重要な銀行ともなりました。

      エフェソスの他の重要な建造物には,運動競技会用の競技場(剣闘競技も行われたかもしれない),劇場,市民広場や市場,店の立ち並ぶ列柱道路がありました。

      ギリシャの地理学者ストラボンによると,エフェソスの港には泥が堆積するようになりました。そのため,この町はやがて港としての機能を失い,廃れていきました。今はその場所に町はなく,広大な遺跡があるだけです。それで,そこを訪れる人たちは,古代のエフェソスに思いをはせることができます。

      9. 12人ほどの弟子たちが,あらためてバプテスマを受けなければいけなかったのはどうしてですか。彼らの例から,どんなことを学べますか。

      9 パウロはエフェソスに着くと,バプテスマを施す人ヨハネの弟子を12人ほど見つけます。彼らが受けていたのは「ヨハネのバプテスマ」で,今は有効ではないものでした。しかも,聖なる力についてほとんど知らなかったようです。それでパウロは最新の教えを理解できるよう助けます。彼らはアポロのように謙虚な姿勢で真剣に学びました。イエスの名によって(イエスの権威と地位を認めて)バプテスマを受け,その後,聖なる力を受け,奇跡的な能力を持つようになりました。エホバから来る最新の指示に合わせていけば必ずうまくいく,ということが分かります。(使徒 19:1-7)

      10. パウロが会堂から講堂に移ったのはどうしてですか。パウロにどのように倣えますか。

      10 エフェソスでは,さらに別の出来事もありました。パウロは3カ月間,会堂で熱心に伝道しました。「神の王国について……人々を説得しようとし」ましたが,ある人たちは信じようとせず,パウロの話を批判します。パウロは,「この道について悪く言」う人たちに時間を割くのはやめ,学校の講堂で話すことにします。(使徒 19:8,9)神の王国についてもっと学びたい人は,会堂から講堂に移る必要がありました。家の人が聞こうとしないときや,ただ議論をしたいだけのとき,私たちもパウロのように会話を切り上げます。ぜひ良い知らせを聞いてほしい,心のきれいな人たちがまだたくさんいるからです。

      11,12. (ア)パウロはどのように融通を利かせつつ,よく働きましたか。(イ)エホバの証人はどのように融通を利かせつつ,よく働いていますか。

      11 パウロは学校の講堂で毎日,午前11時ごろから午後4時ごろまで話したと思われます。(スタディー版の使徒 19:9の注釈を参照。)それは暑いけれども静かな時間帯で,多くの人が仕事の手を止めて食事をしたり休んだりしていたようです。このスケジュールを丸2年続けたとすれば,パウロは教えることに3000時間以上(1カ月当たり125時間)費やしたことになります。b 「エホバの言葉[が]広まって勢いを増していった」のもうなずけます。パウロは融通を利かせつつ,労を惜しまずに働きました。伝道する時間を,地域の人たちの生活パターンに合わせました。どうなったでしょうか。「アジア州に住む人はユダヤ人もギリシャ人も皆,主の言葉を聞いた」とあります。(使徒 19:10)パウロはまさに,神の王国について徹底的に教えました。

      2人の姉妹が電話で伝道している。

      どうすれば多くの人と話せるかを考えて,伝道する。

      12 現代のエホバの証人も,融通を利かせつつ,労を惜しまずに働いています。人に会える時間と場所をよく考えて,伝道します。道で,商店街で,駐車場で人に話し掛けます。電話や手紙でも伝道します。人がいそうな時間に,家を一軒一軒訪ねます。

      邪悪な天使を打ち負かし,「エホバの言葉は……広まって勢いを増していった」(使徒 19:11-22)

      13,14. (ア)エホバはパウロにどんなことをさせましたか。(イ)スケワの息子たちはどんな間違ったことをしましたか。現代でも,どんな人たちがいますか。

      13 続く記録によれば,エホバはパウロに「並外れた強力な行い」をさせました。パウロの手拭いや前掛けを病気の人たちの所に持っていくだけで,その人たちは癒やされました。人に取りついた邪悪な天使たちも,同じようにして追い出されました。c (使徒 19:11,12)邪悪な天使たちを打ち負かす力が,大きな注目を集めます。でも,そうなったせいで厄介なことも起きました。

      14 その頃,「各地を旅して邪悪な天使を追い出すユダヤ人たち」がいて,パウロが起こす奇跡のまねをしていました。イエスとパウロの名前を使って邪悪な天使を追い出そうとしたりしました。記録によれば,そういういんちきをしていた人の中に,祭司長スケワの7人の息子がいました。邪悪な天使は彼らにこう言います。「イエスを知っているし,パウロもよく知っている。だが,おまえたちは何者だ」。邪悪な天使に取りつかれた男は,野獣のように彼らに飛び掛かって,傷を負わせます。彼らは裸にされ,逃げていきました。(使徒 19:13-16)パウロと彼らの力の差は歴然としていました。エホバがパウロに力を与えていたからです。「エホバの言葉」は本当に強力です。現代でも,イエスの名前を呼ぶだけでいいとか,自分はクリスチャンだと言うだけでいい,と考える人がいます。でも大切なのは,エホバが望んでいることを実行することです。そうする人には,神の王国が実現させる明るい未来が待っています。(マタ 7:21-23)

      15. エフェソスの人たちにどのように倣えますか。

      15 スケワの息子たちが悲惨な目に遭ったことが広く知られ,神を畏れる人が増えていきました。たくさんの人がクリスチャンになり,オカルト的な習慣をやめました。エフェソスの文化には魔術の影響が強く,まじないやお守り,呪文が書かれた書物が広まっていました。そういう中で,多くの人たちが魔術の本を持ってきて,みんなの前で燃やしました。それらの本は,現在の価値で数百万円にもなると思われます。d 「こうして,エホバの言葉は力強く広まって勢いを増してい」きました。(使徒 19:17-20)エホバの教えの前では,間違った教理やオカルトは全く無力でした。エフェソスのように,今の世の中にもオカルトや占いが広まっています。悪魔に関係した物は,エフェソスの人たちに倣って,すぐに処分しましょう。どんなに愛着があるものや高価なものだとしても,処分して,オカルト的なものとは一切関わらないようにしましょう。

      「大きな騒動が起きた」(使徒 19:23-41)

      エフェソスの銀細工人の店で,アルテミスの像を持ったデメテリオが仕事仲間たちに,怒った顔で話している。後ろでは,パウロが市場にいる人たちに伝道している。

      「諸君,ご存じの通り,われわれはこの商売のおかげで成功している」。使徒 19:25

      16,17. (ア)デメテリオはどのようにして騒動を引き起こしましたか。(イ)エフェソスの人たちは宗教に熱狂するあまり,どうしましたか。

      16 ルカは続けて,「この道に関して大きな騒動が起きた」と書いています。これもサタンが使った手口で,パウロたちはとても危険な状況に追い込まれます。e (使徒 19:23)騒動のきっかけになったのは,銀細工人デメテリオです。デメテリオはまず仕事仲間たちに,偶像を買う人がいるおかげで商売が成り立っていることを話します。そして,クリスチャンたちは偶像を崇拝しないので,パウロの伝道は営業妨害だと言います。それから,市民のプライドと愛国心に訴えます。このままだと,女神アルテミスと,エフェソスにある世界的に有名な神殿が「無価値なものと見なされ」てしまう,と言いました。(使徒 19:24-27)

      17 デメテリオの狙い通りになりました。銀細工人たちが「偉大なのはエフェソスのアルテミス!」と叫びだし,町は混乱状態になります。冒頭で取り上げたような,暴動が起きました。f 勇敢なパウロは,劇場に入っていって暴徒たちと話そうとします。でも,危険なことはしないようにと,弟子たちに止められます。アレクサンデルという人が群衆の前に立ち,話そうとします。彼はユダヤ人だったので,ユダヤ人とクリスチャンの違いを説明したかったのかもしれません。そういう説明は,群衆にとってはどうでもいいことでした。彼がユダヤ人だと分かった群衆は,黙らせようとして,「偉大なのはエフェソスのアルテミス!」と叫び,約2時間も続けました。宗教的熱狂の恐ろしさは今も変わっていません。人に常軌を逸した行動を取らせます。(使徒 19:28-34)

      18,19. (ア)町の記録官はどのようにして暴動を鎮めましたか。(イ)権力者たちのおかげで,エホバの証人はどのように守られてきましたか。私たちとしてはどんなことを心掛けますか。

      18 ようやく暴動が収まります。賢くて冷静な,町の記録官が群衆を説得したからです。記録官は次のようなことを話します。クリスチャンたちがいても神殿と女神アルテミスの存在は危うくなりません。パウロたちはアルテミスの神殿に対して何も違法なことをしていません。訴えたいのであれば正規の手順を踏むべきです。しかも,訳もなく騒ぎを起こしたため,暴動の罪でローマから訴えられる恐れがあります。記録官はそう言ってから,群衆を解散させます。群衆はもっともな指摘に説得され,突如巻き起こった暴動は一気に収まります。(使徒 19:35-41)

      19 このように,良識のある権力者たちのおかげでクリスチャンたちが守られるのは珍しいことではありません。使徒ヨハネが見た幻の中で,そうなることが描かれていました。終わりの時代に,穏健な行政・司法機関(幻に出てくる「地」)が,クリスチャンを襲う洪水のような迫害を抑え込むことになっていました。(啓 12:15,16)この預言の通りになってきました。公平な判断をする裁判官のおかげで,崇拝のために集まる権利や伝道する権利が守られたことがあります。もちろん,理解を得られるよう,私たちが良い振る舞いをすることも大切です。エフェソスでも,役人たちがパウロに好感を持っていたので,身の安全を考えてくれたようです。(使徒 19:31)いつも正直でいて,礼儀正しく接すれば,良い印象を持ってもらえます。こちらの誠実さが伝わると,相手の対応も変わってくるものです。

      20. (ア)昔も今もエホバの教えが広まっていることを考えると,あなたはどんな気持ちになりますか。(イ)どのようにして少しでも貢献していきたいと思いますか。

      20 「エホバの言葉[が]広まって勢いを増していった」記録を読むと,元気が湧いてきます。現代でも,エホバの教えが反対をものともせずに広められていっています。それに少しでも貢献できるのであれば,素晴らしいことです。では,謙虚な心を持ち,エホバから来る最新の指示に合わせ,一生懸命に働きましょう。オカルト的なものには一切関わらないようにします。いつも正直でいて,感じ良く人に接するようにしましょう。そのようにして,1世紀の兄弟たちに倣っていきましょう。

      a 「エフェソス アジアの州都」という囲みを参照。

      b パウロはエフェソスで,「コリントのクリスチャンへの第一の手紙」を書くこともしました。

      c 手拭いとは,汗が目に入るのを防ぐために額に巻いた布のことかもしれません。前掛けも着けていたことからすると,パウロは自由な時間,おそらく午前の早い時間に,天幕作りの仕事をしていたのかもしれません。(使徒 20:34,35)

      d ルカの記録によれば,銀5万枚の価値がありました。デナリであれば,当時の賃金の5万日分(週7日働いたとして約137年分)に当たります。

      e パウロはコリントのクリスチャンへの手紙で,「命さえ危うい状況でした」と書いています。これは,このエフェソスでの騒動のことを言っていたのかもしれません。(コリ二 1:8)あるいは,もっと危険だった別の時のことを言っていたのかもしれません。パウロは別の手紙で,「エフェソスで野獣と戦った」と書いています。これは,闘技場でどう猛な動物と戦わされたということかもしれず,人間たちから迫害されたということかもしれません。言葉の通りに理解することも,例えとして解釈することもできます。(コリ一 15:32)

      f こうした職人たちの組合には,かなり力があったようです。この出来事の1世紀ほど後には,パン職人の組合がエフェソスで同様の騒動を起こしました。

  • 「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」
    神の王国について徹底的に教える
    • 21章

      「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」

      パウロは熱心に宣教を続け,長老たちにアドバイスした

      使徒 20:1-38

      1-3. (ア)ユテコはどんなことがあって亡くなりましたか。(イ)パウロはどうしましたか。この出来事からパウロについてどんなことが分かりますか。

      パウロがいるトロアスの階上の部屋は,人でいっぱいです。兄弟たちと過ごす最後の晩なので,パウロの話は長くなり,もう真夜中になりました。かなりの数のランプがともされ,部屋は暖かくなっています。空気がよどんでいる感じもします。窓の所にユテコという若者が座っています。パウロの話の間にユテコは眠り込み,3階の窓から落ちてしまいました。

      2 医者のルカは,真っ先に外に出て,ユテコのそばに駆け寄ったはずです。残念なことに,もう手の施しようがありません。「抱き起こしてみると,死んで」いました。(使徒 20:9)でも,奇跡が起きます。パウロがユテコの上にかがみ込んでから,みんなに向かって言います。「騒ぐのはやめなさい。生きています」。パウロはユテコを生き返らせました。(使徒 20:10)

      3 神の聖なる力のすごさが分かる出来事でした。ユテコが死んだのはパウロのせいではありませんでした。でもパウロは,兄弟たちとの最後のひとときが悲しい思い出になってほしくありません。ユテコが死んだことでみんなの信仰が揺らぐことになってほしくもありません。それで,ユテコを生き返らせることで,宣教を続けられるようみんなを元気づけました。パウロは一人一人の命について責任を感じていました。「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」というパウロの言葉にも,そのことが表れています。(使徒 20:26)私たちも同じ見方ができるよう,パウロから学びましょう。

      「マケドニアへ旅立った」(使徒 20:1,2)

      4. パウロはエフェソスでどんな怖い思いをしましたか。

      4 前の章で見たように,パウロはエフェソスで怖い思いをしました。パウロの宣教が人々の反感を買い,騒動になりました。アルテミスの像を作る銀細工人たちが暴動を起こしたのです。「騒動が収まった後,パウロは弟子たちを呼び寄せて励まし,別れを告げてから,マケドニアへ旅立」ちました。(使徒 20:1)

      5,6. (ア)パウロはマケドニアにどれくらいいたと考えられますか。そこで何をしましたか。(イ)パウロはいつもどんな姿勢で兄弟たちに接しましたか。

      5 マケドニア地方へ行く途中,パウロは港町トロアスに立ち寄ります。コリントに遣わしていたテトスが合流するのを,そこで待つことにしました。(コリ二 2:12,13)でも,テトスはやって来ないことが分かります。それで,マケドニア地方に行き,「人々にたくさんの励ましの言葉を掛け」ました。そこに半年ほどいたと思われます。a (使徒 20:2)マケドニアにいる間にテトスがついにやって来ます。そしてテトスから,コリントのクリスチャンについての良い報告を聞きます。彼らが最初の手紙を前向きに受け止めたことを話してくれたのです。(コリ二 7:5-7)報告を受けて,パウロは第二の手紙を書くことにしました。

      6 ルカは,パウロがエフェソスの兄弟たちのこともマケドニアの兄弟たちのことも「励まし」たと書いています。兄弟たちへのパウロの思いが伝わってきます。パウロは兄弟たちを仲間だと思っていました。人を下に見るパリサイ派の人たちとは大違いです。(ヨハ 7:47-49)パウロははっきり助言しなければいけないときも,そういう姿勢で兄弟たちに接しました。(コリ二 2:4)

      7. 現代の監督たちはどのようにパウロに倣えますか。

      7 現代の会衆の長老や巡回監督は,パウロに倣おうと努力しています。戒めを与える時でも,相手の支えになることを心掛けます。厳しく責めるのではなく,相手の身になって考え,力づけようとします。経験豊かな巡回監督はこう言っています。「兄弟姉妹のほとんどは正しいことをしたいと思っています。でも,いろんなストレスや不安を抱えていたり,何をどうしたらよいかが分からなくなったりしています」。監督たちはそういう仲間に寄り添って,力になろうとします。(ヘブ 12:12,13)

      パウロがマケドニアで書いた手紙

      「コリントのクリスチャンへの第二の手紙」の中で,パウロはマケドニアに着いた時にコリントの兄弟たちのことが気掛かりだったと言っています。でも,コリントから来たテトスが良い報告をしてくれたので,パウロは安心しました。そしてすぐにコリント第二の手紙を書きました。55年ごろのことです。その手紙に書かれている内容から,その時まだマケドニアにいたことが分かります。(コリ二 7:5-7; 9:2-4)この時期,パウロが気に掛けていたのは,ユダヤの兄弟たちのための寄付を集め終えることでした。(コリ二 8:18-21)また,コリントで「偽使徒」が「人を欺」いていることも心配していました。(コリ二 11:5,13,14)

      「テトスへの手紙」もマケドニアで書かれたと思われます。ローマでの最初の拘禁から解放された後,61年から64年の間のどこかのタイミングで,パウロはクレタ島を訪れました。そしてクレタ島にテトスを残します。問題を正し,長老たちを任命してもらうためです。(テト 1:5)パウロはテトスに,ニコポリスで会いたいと伝えています。ニコポリスという町は当時の地中海地域にいくつもありましたが,パウロが言っていたのはギリシャ北西部の町だったと思われます。パウロはテトスに手紙を書いた時,その辺りで奉仕していたようです。(テト 3:12)

      「テモテへの第一の手紙」も,ローマでの最初の拘禁から解放された後,61年から64年の間に書かれました。手紙の冒頭部分によると,パウロはマケドニアに行ったようです。テモテには,エフェソスにとどまるようにと勧めました。(テモ一 1:3)パウロはこの手紙をマケドニアで書いたと思われます。父親のようにテモテにアドバイスし,励まし,会衆での物事の扱い方を指示しています。

      「陰謀を巡らした」(使徒 20:3,4)

      8,9. (ア)パウロが船でシリアに向かう計画を変更せざるを得なくなったのはどうしてですか。(イ)ユダヤ人たちがパウロのことを憎んでいたのは,どうしてだと考えられますか。

      8 パウロはマケドニア地方を出て,コリントに行きます。b そこで3カ月過ごし,その後,ケンクレアに向かおうとします。シリア行きの船に乗るためです。シリア地方に着いたらエルサレムに行って,生活に困っている兄弟たちに寄付金を届けるつもりでした。c (使徒 24:17。ロマ 15:25,26)ところが,思わぬことが起き,計画を変更せざるを得なくなります。パウロに「対してユダヤ人が陰謀を巡らし」たのです。(使徒 20:3)

      9 ユダヤ人たちは,パウロのことが憎くてたまりません。ユダヤ教を捨てた背教者だ,と考えています。すでに以前,コリントの会堂の役員クリスポが,パウロの話を聞いてクリスチャンになりました。(使徒 18:7,8。コリ一 1:14)別の時には,コリントのユダヤ人たちが,アカイアの執政官代理ガリオにパウロについて抗議すると,根拠がないとして訴えが却下されました。ユダヤ人たちは激怒しました。(使徒 18:12-17)コリントのユダヤ人たちは,パウロが間もなく近くのケンクレアから船に乗ると思ったようです。そういう情報を聞いたのかもしれません。パウロをそこで待ち伏せしようと考えます。パウロはどうするでしょうか。

      10. パウロがケンクレアに行くのをやめたのは臆病だったからではありません。どうしてそういえますか。

      10 パウロは,身の安全と託された寄付金のことを考えて,ケンクレアには行かないことにします。来た道を引き返してマケドニア地方を通ることにしました。陸路の旅にも危険はあります。当時の道には盗賊が出没し,宿屋も安全とは言えませんでした。それでもパウロは,ケンクレアに行くよりは危険が少ないと考えました。幸い,一人旅ではありません。この間,パウロの宣教旅行に同行した人たちに,アリスタルコ,ガイオ,セクンド,ソパテロ,テキコ,テモテ,トロフィモがいます。(使徒 20:3,4)

      11. 私たちはどのように安全を意識した行動を取りますか。イエスはどのように身の安全を守りましたか。

      11 現代のクリスチャンも,パウロのように安全を意識しながら伝道します。地域によっては,1人ではなくグループで,少なくとも2人で行動します。迫害されるときはどうでしょうか。迫害は避けて通れないことを私たちは知っています。(ヨハ 15:20。テモ二 3:12)でも,あえて危険な目に遭うようなことはしません。イエスもそうでした。エルサレムで石を投げ付けられそうになった時,「イエスは身を隠し,神殿から出て」いきました。(ヨハ 8:59)ユダヤ人たちがイエスを殺そうとたくらんでいた時も,「イエスはもうユダヤ人の間を表立って歩くことはせず,荒野に近い地方……に行き」ました。(ヨハ 11:54)イエスはいつも神の考えに合わせて行動しつつ,必要なときには身の安全を守りました。私たちもそうします。(マタ 10:16)

      パウロは寄付金を届けた

      33年のペンテコステ以降,エルサレムのクリスチャンたちは,いろいろと大変な目に遭いました。食糧不足を経験し,迫害に遭い,持ち物を奪われました。そのため,生活に困っている人がいました。(使徒 11:27–12:1。ヘブ 10:32-34)49年ごろ,パウロはエルサレムの長老たちから異国人に伝道するよう指示された時,「貧しい人たちのことを忘れないように」とも言われました。それでパウロは各地の会衆から募金を集めました。(ガラ 2:10)

      パウロは55年に,コリントのクリスチャンにこう書き送りました。「私がガラテアの諸会衆に与えた指示に従ってください。毎週の初めの日に,各自が資力に応じて幾らかを取り分けておくべきです。私が到着してから募金することにならないようにしてください。私がそちらに着いたら,皆さんからの手紙の中で推薦されていた人たちに頼んで,皆さんの親切な贈り物をエルサレムに届けてもらいます」。(コリ一 16:1-3)少しして,パウロはコリントのクリスチャンに2通目の手紙を書きます。その手紙の中で,寄付を用意しておくよう勧め,マケドニア地方のクリスチャンも寄付していると言いました。(コリ二 8:1–9:15)

      56年,幾つかの会衆の代表者たちが集まり,パウロと一緒に寄付金を届けることになりました。道中の安全を守り,寄付の扱い方についてパウロが疑われないよう,9人が一緒に旅をしました。(コリ二 8:20)パウロがエルサレムまで旅したのは,主にこの寄付金を届けるためでした。(ロマ 15:25,26)パウロは後で,総督フェリクスにこう話しています。「寄付金を自分の国民に持ってくるため,また捧げ物をするために,何年かぶりにエルサレムに行きました」。(使徒 24:17)

      「大変慰められた」(使徒 20:5-12)

      12,13. (ア)ユテコが生き返り,兄弟たちはどんな気持ちになりましたか。(イ)大切な人を亡くしても,どんな希望があるので慰められますか。

      12 パウロの一行は,マケドニア地方を一緒に旅した後,いったん別れたようです。それからトロアスで落ち合ったと思われます。d 「5日もしないうちにトロアスで彼らに合流した」と書かれています。e (使徒 20:6)この章の冒頭で見たように,パウロが若者ユテコを生き返らせたのは,この町でのことでした。ユテコが生き返ったのを見て,兄弟たちはどんなにか喜んだことでしょう。「大変慰められた」と記録されています。(使徒 20:12)

      13 もちろん,今はそういう奇跡は起きません。でも,亡くなった大切な人たちが将来生き返ることを考えると,「大変慰められ」ます。(ヨハ 5:28,29)復活したユテコは,依然として完全ではなかったので,やがてまた死にました。(ロマ 6:23)でも,神の新しい世界で生き返る人たちは,いつまでもずっと生きられます。復活して天でイエスと一緒に王になる人たちは,不滅性も与えられます。(コリ一 15:51-53)天に行くクリスチャンも「ほかの羊」のクリスチャンも,復活の希望があるので「大変慰められ」ています。(ヨハ 10:16)

      「人々の前で,また家から家へと」(使徒 20:13-24)

      14. ミレトスで会ったエフェソスの長老たちに,パウロはどんなことを言いましたか。

      14 パウロの一行はトロアスからアソスへ,それからミテレネ,キオス,サモス,ミレトスへと進みます。パウロは,ペンテコステの祭りの日までにエルサレムに着きたいと思っています。急いでいたので,エフェソスには寄らない船を選びました。でも,エフェソスの長老たちと話したいと思っていたので,ミレトスに会いに来てほしいと伝えます。(使徒 20:13-17)長老たちがやって来ると,パウロはこう言いました。「アジア州に足を踏み入れた最初の日から私が皆さんの間でどう行動したか,皆さんはよく知っています。涙を流し,ユダヤ人たちの陰謀による試練に遭いながら,ただただ謙遜に主のために一生懸命働きました。ためらうことなく,有益なことを何でも皆さんに話し,人々の前で,また家から家へと,皆さんを教えました。神に対する悔い改めと私たちの主イエスへの信仰について,ユダヤ人にもギリシャ人にも徹底的に知らせました」。(使徒 20:18-21)

      15. 家を一軒一軒訪ねることには,どんな利点がありますか。

      15 現在,良い知らせがいろいろな方法で伝えられています。私たちもパウロのように,人のいる所に出掛けていきます。駅でも,人通りが多い道でも,商店街でも伝道します。でも,エホバの証人が伝道するメインの方法は,家を一軒一軒訪ねることです。どうしてでしょうか。家を一軒一軒訪ねれば,人々に漏れなく,定期的に良い知らせを伝えられるからです。エホバは,全ての人に公平に神の王国について知らせたいと思っています。また,家を訪問すれば,一人一人に寄り添った教え方ができます。私たちとしても信仰が強まり,諦めずに続ける力が身に付きます。「人々の前で,また家から家へと」熱心に伝道するのが,本当のクリスチャンです。

      16,17. パウロはどんな覚悟でいましたか。現代のクリスチャンはどのようにパウロに倣っていますか。

      16 次にパウロはエフェソスの長老たちに,エルサレムでどんな危険が待っているか分からないと話します。そして,こう続けます。「そうだとしても,自分の走路を走り通し,主イエスから受けた奉仕をやり遂げることさえできれば,私は自分の命を少しも惜しいとは思いません。神の惜しみない親切に関する良い知らせを徹底的に伝えます」。(使徒 20:24)パウロは,たとえ病気や迫害のために命を失うことになっても,エホバから与えられた任務を最後までやり遂げるつもりでした。

      17 現代のクリスチャンも,いろいろな逆境に立ち向かっています。政府によって活動を禁じられたり,迫害を受けたりしています。心や体の病気と闘っている人もいます。若い人たちは学校でのいじめや誘惑と闘っています。問題はいろいろでも,みんなパウロのように堂々としていて勇敢です。「良い知らせを徹底的に伝え」ることを決意しています。

      「自分自身と群れ全体に注意を払ってください」(使徒 20:25-38)

      18. パウロが自分は潔白だと言えたのはどうしてですか。エフェソスの長老たちも潔白でいるには,どうすることが大切でしたか。

      18 パウロは続けて,自分がしてきたことについてエフェソスの長老たちに話します。そして,今後注意すべきことについてはっきり伝えます。皆さんに会うのはこれが最後になると言ってから,こう話します。「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]。私はためらうことなく神の意志を全て皆さんに伝えたからです」。エフェソスの長老たちも潔白でいるためには,どうすることが大切でしょうか。パウロは言います。「自分自身と群れ全体に注意を払ってください。神が聖なる力によって皆さんを群れの監督に任命しました。神の会衆を牧者として世話するためであり,その会衆を神は自分の子の血によって買い取ったのです」。(使徒 20:26-28)パウロはそれから,「圧制的なオオカミ」が会衆に入り込み,「弟子たちを引き離して自分に付かせようとして曲がった事柄を言う」と警告します。パウロは長老たちに何とアドバイスするでしょうか。「目覚めていなさい。そして,私が3年間,昼も夜も,涙を流して皆さん一人一人を訓戒し続けたことを忘れないでください」と言いました。(使徒 20:29-31)

      19. 1世紀の終わりにはどのような背教が見られましたか。その後の時代はどうでしたか。

      19 1世紀の終わり頃には,すでに「圧制的なオオカミ」が現れていました。98年ごろ,使徒ヨハネはこう書いています。「今や多くの反キリストが現れました。……彼らは私たちから去っていきましたが,もともと仲間ではありませんでした。もし仲間だったなら,ずっと私たちと一緒にいたはずです」。(ヨハ一 2:18,19)3世紀までには,背教が進んで聖職者階級がつくられ,4世紀には,コンスタンティヌス帝が,腐敗した偽のキリスト教を公式に認可しました。聖職者たちが異教の儀式を次々と取り入れて,あたかもキリスト教のものであるかのように見せ掛けました。「曲がった事柄を言う」とパウロが言っていた通りです。今も一般のキリスト教には,正しくない教えや習慣が受け継がれています。

      20,21. 見返りを求めないパウロの姿勢は,どんなところに表れていますか。現代の長老たちはどのようにパウロに倣っていますか。

      20 聖職者たちは,信者たちを利用して私腹を肥やそうとしましたが,パウロは全く違っていました。自分で働いて生計を立て,会衆に負担を掛けないようにしました。兄弟姉妹のために何かをするときも,金品を要求したりはしませんでした。エフェソスの長老たちに,見返りを求めずに仲間を助けるよう勧めています。こう言いました。「弱い人たちを援助しなければならないこと,また,主イエス自身が述べた『受けるより与える方が幸福である』という言葉を覚えておかなければな[りません]」。(使徒 20:35)

      21 現代の長老たちもパウロと同じようにしています。見返りを求めずに,「神の会衆を牧者として世話」しています。信者たちを都合よく利用する聖職者たちとは全く違います。本当のクリスチャンは,おごり高ぶったり野心を抱いたりしません。「自分の栄誉」を求める人はいずれうまくいかなくなり,「恥をか」きます。(格 11:2; 25:27)

      パウロの一行が船に乗ろうとしている。エフェソスの長老たちがパウロに抱き付いて,泣いている。

      「皆が多くの涙を流し[た]」。使徒 20:37

      22. パウロが兄弟たちから愛されたのはどうしてですか。

      22 パウロは兄弟たちを心から愛していたので,兄弟たちからとても愛されました。パウロが出発する時には,「皆が多くの涙を流し,パウロを抱いて優しく口づけし」ました。(使徒 20:37,38)私たちも,会衆のために見返りを求めずに働く兄弟たちのことを愛し,大切に思っています。パウロがどれほどのことをしたかを考えると,「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」という言葉は決して大げさではなかったことが分かります。(使徒 20:26)

      a 「パウロがマケドニアで書いた手紙」という囲みを参照。

      b パウロはコリントにいたこの期間中に,「ローマのクリスチャンへの手紙」を書いたと思われます。

      c 「パウロは寄付金を届けた」という囲みを参照。

      d 使徒 20章5,6節でルカは,「私たち」という語を使っています。それで,ルカはこの時フィリピから再びパウロの旅に加わったようです。ルカは以前フィリピでパウロと別れ,その後もそこにとどまっていたと思われます。(使徒 16:10-17,40)

      e フィリピからトロアスまで5日かかったのは,向かい風のためかもしれません。以前は,同じ航路をわずか2日で移動しています。(使徒 16:11)

  • 「エホバの望まれることが行われますように」
    神の王国について徹底的に教える
    • 22章

      「エホバの望まれることが行われますように」

      神からの使命を果たす決意で,パウロはエルサレムに行く

      使徒 21:1-17

      1-4. パウロがエルサレムに行くのはどうしてですか。そこでどんなことが待っていますか。

      パウロとルカはミレトスから旅立とうとしています。親しくなったエフェソスの長老たちと別れなければいけません。とてもつらく,後ろ髪を引かれる思いです。船の甲板に立った2人のそばには,旅の荷物が置かれています。生活に困っているユダヤの兄弟たちのために集めたお金も入っています。その寄付金をエルサレムまで確実に届けたいと思っています。

      2 そよ風が吹く中,船は帆を膨らませ,にぎやかな港を離れます。パウロとルカ,同行する7人の兄弟たちは,埠頭で悲しそうな顔をしている兄弟たちを見つめます。(使徒 20:4,14,15)かすんで見えなくなるまで,手を振り続けます。

      3 この3年ほどの間,パウロはエフェソスの長老たちと一緒に働いてきました。でも,聖なる力に導かれて,これからエルサレムに行きます。そこでどんなことが待っているか,ある程度は分かっています。長老たちにこう言っていました。「私は聖なる力に促されて(直訳,「縛られて」)エルサレムに旅をしています。もっとも,そこで自分に起きることを知りません。ただ,どの町でも,聖なる力が繰り返し私に,拘禁と苦難が待っていることを告げるのです」。(使徒 20:22,23,脚注)危険が待っているとはいえ,パウロは「聖なる力に縛られて」いると感じています。「エルサレムに行くようにという聖なる力の導きは絶対だ。それに従いたい」と思っています。命を軽く見てはいませんが,神が望んでいる通りに行動したいと思っています。

      4 私たちも同じように考えています。エホバに祈って献身した時,これからはあなたが望んでいることをするために生きていきます,と約束しました。では,その約束を守れるよう,パウロの生き方から学びましょう。

      「キプロス島」を通り過ぎる(使徒 21:1-3)

      5. パウロたちはどんなルートでティルスに向かいましたか。

      5 パウロたちが乗った船はコスに「直行し」ます。追い風を受けて,タッキングをせずに順調に進み,その日のうちに着きました。(使徒 21:1)船はコスで1晩停泊したようです。その後ロードス,そしてパタラに行きます。小アジアの南岸のパタラで,一行は大型貨物船に乗り換え,直接フェニキアのティルスに向かいます。その途中,「キプロス島……を左にして」通り過ぎました。(使徒 21:3)通り過ぎたキプロス島について,ルカがわざわざ書いたのはどうしてでしょうか。

      6. (ア)パウロはキプロス島を見て元気が出たかもしれません。どうしてですか。(イ)エホバがうれしい経験をさせてくれたことや支えてくれたことを思い返すと,どんな気持ちになりますか。

      6 パウロがキプロス島を指さして,そこで経験したことを話したのかもしれません。9年ほど前,パウロはバルナバやヨハネ・マルコと一緒に1度目の宣教旅行をした時,キプロス島で伝道しました。そこで,呪術師エルマからの妨害に遭いました。(使徒 13:4-12)キプロス島を見たパウロは,エホバがその時に助けてくれたことを思い出し,これからも何があっても大丈夫だと思ったかもしれません。私たちも,エホバがうれしい経験をさせてくれたことや,試練の時に支えてくれたことを思い返すと,元気が出てきます。ダビデが言った通りだと思うはずです。「正しい人は多くの苦難に遭う。しかし,エホバがその全てから助け出してくださる」。(詩 34:19)

      「私たちは弟子たちを捜し当て[た]」(使徒 21:4-9)

      7. ティルスに着いたパウロたちは何をしましたか。

      7 パウロは仲間の大切さを知っていて,一緒にいたいと思っていました。ティルスに着くと「私たちは弟子たちを捜し当て[た]」と,ルカは書いています。(使徒 21:4)一行は,ティルスにもクリスチャンがいることを知っていたので,捜すことにしたわけです。見つけた仲間の家に泊まったと思われます。うれしいことに,私たちクリスチャンには,どこに行っても歓迎してくれる仲間がいます。エホバを愛し,エホバに仕える人には,世界中に友達がいます。

      8. 使徒 21章4節の記録はどういうことですか。

      8 ティルスにいた7日の間にあったことについて,ルカはこう書いています。「弟子たちは聖なる力によって知らせを受け,パウロに,エルサレムに足を踏み入れないようにと繰り返し告げた」。(使徒 21:4)これはいったいどういうことでしょう。エホバは考えを変えたのでしょうか。エルサレムに行くのはやめるように,と指示しているのでしょうか。そうではありません。この時より前に聖なる力は,エルサレムでひどい仕打ちを受けるとパウロに告げていましたが,そこに行ってはいけないとは言っていませんでした。ティルスの兄弟たちも,パウロがエルサレムで危険な目に遭うことを,この時聖なる力によって知ったようです。それで,心配するあまり,行かないように勧めました。パウロに苦しい思いをさせたくなかった兄弟たちの気持ちも分かります。それでもパウロは,エホバの望んでいる通りに行動すると決めていたので,エルサレムへの旅を続けました。(使徒 21:12)

      9,10. (ア)エルサレムに行かないようにと兄弟たちから言われて,パウロはどんなことを思い浮かべたかもしれませんか。(イ)今の世の中でも,どんな考えがよく聞かれますか。それはイエスが言っていることとどのように違いますか。

      9 エルサレムに行かないようにと兄弟たちから言われて,パウロはイエスのことを思い浮かべたかもしれません。イエスも同じようなことを言われました。自分がエルサレムに行き,いろいろな苦しみを味わい,殺されるということを弟子たちに話した時,ペテロが思わずこう言いました。「主よ,自分を大切にしてください。決してそのような目には遭いません」。イエスはこう答えました。「私の後ろに下がれ,サタン! あなたは私の邪魔をしています。神の考えではなく,人間の考えを抱いているからです」。(マタ 16:21-23)イエスは,神からの使命を果たすために命を犠牲にする覚悟でいました。パウロも同じ気持ちでいます。ティルスの兄弟たちはペテロと同じく,相手のことを思っていましたが,神の考えをきちんと理解できていませんでした。

      兄弟が伝道に集中せずに腕時計を見ている。その様子をもう1人の兄弟が見ている。

      イエスの後に従うには,自分のしたいことを後回しにしなければいけないときがある。

      10 今の世の中でも,自分を大切にしようとか,楽に生きようといった考えがよく聞かれます。何かを信仰するとしても,あまり多くのことが求められない楽な宗教が選ばれがちです。でも,そういう考え方はイエスが教えていることとは違います。「誰でも私に付いてきたいと思うなら,自分を捨て,苦しみの杭を持ち上げ,絶えず私の後に従いなさい」。(マタ 16:24)イエスの後に従うのは正しい生き方で,賢い選択ですが,決して楽な道ではありません。

      11. ティルスの弟子たちがパウロを愛していたことは,どんなことから分かりますか。

      11 パウロとルカたちが出発する時間がやって来ました。心温まる別れの場面が記録されています。ティルスの兄弟たちはパウロのことを心から愛し,応援しています。兄弟姉妹や子供たちがパウロとルカたちに浜辺まで付いていきます。そこでみんなでひざまずいて祈り,別れを告げます。それから,一行は船に乗ってプトレマイスに向かいます。プトレマイスに着くと兄弟たちに会い,1日一緒に過ごしました。(使徒 21:5-7)

      12,13. (ア)フィリポはどんな奉仕をしてきましたか。(イ)クリスチャンの父親はフィリポのどんなところに倣えますか。

      12 ルカの記録によると,パウロたちは次にカエサレアに向かいます。そこに着いてから,「福音伝道者フィリポの家に入」りました。a (使徒 21:8)パウロたちはフィリポとの再会を喜んだはずです。20年ほど前,エルサレムでクリスチャン会衆が発足して間もない頃,フィリポは使徒たちから,食料を配る仕事を任されました。フィリポはその頃からずっと熱心に奉仕してきました。迫害によって弟子たちが散り散りになった時には,サマリアに行って伝道しました。その後,エチオピアの宦官に伝道し,バプテスマを施しました。(使徒 6:2-6; 8:4-13,26-38)フィリポは本当によくやってきていました。

      13 今もフィリポは宣教への情熱を持っています。ルカは彼のことを「福音伝道者」と呼んでいます。カエサレアに落ち着いてからも熱心に伝道していたことが分かります。フィリポにはこの時,娘が4人いて,どの娘も預言していました。父親の生き方に倣っていたのです。b (使徒 21:9)フィリポはエホバについて家族によく教えていたことでしょう。現代でも,クリスチャンの父親たちがフィリポに倣っています。進んで伝道に出掛け,宣教を好きになれるよう子供たちを助けています。

      14. パウロたちと各地の兄弟たちは,どんなひとときを過ごしましたか。現代でもどんな機会がありますか。

      14 パウロは行く先々で仲間のクリスチャンを捜し,一緒に時を過ごしました。クリスチャンたちは喜んでパウロたちを迎え,もてなしたことでしょう。そうやってみんなで「励まし合う」ことができました。(ロマ 1:11,12)現代でも,巡回監督と妻が来る時,簡素な家でも泊まれる場所を提供するなら,思い出になるひとときを過ごせます。(ロマ 12:13)

      カエサレア ローマの属州ユダヤの州都

      「使徒の活動」に書かれている時代,カエサレアはローマの属州ユダヤの州都でした。総督がいる町で,駐屯部隊の本拠地でした。ヘロデ大王がこの町を築き,カエサル・アウグストゥスをたたえてカエサレアと名付けました。カエサレアは異教のヘレニズムの町の典型で,カエサルを神とたたえて献じられた神殿,劇場,楕円形競技場,円形劇場などがありました。人口の大半は,ユダヤ人ではない人たちでした。

      カエサレアは,防備された海港都市でした。セバストス(アウグストゥスに相当するギリシャ語)と呼ばれた新しい港湾施設には,船が停泊できるように巨大な防波堤が造られました。ヘロデの野望は,この町をアレクサンドリアに匹敵する地中海東部の交易の中心地とすることでした。カエサレアは,アレクサンドリアをしのぐことはありませんでしたが,主要な交易ルートの要所にあったため,当時の世界で重要な町になりました。

      福音伝道者フィリポは,カエサレアで良い知らせを伝えました。子育てもそこでしたようです。(使徒 8:40; 21:8,9)ローマの百人隊長コルネリオが駐在していて,クリスチャンになったのもこの町でした。(使徒 10:1)

      パウロはカエサレアを何度も訪れています。パウロはクリスチャンになってから少し後,敵たちから命を狙われました。その時,弟子たちはパウロをエルサレムから連れ出し,90㌔離れたカエサレアに連れていきました。船でタルソスに送り出すためです。またパウロは,2度目と3度目の宣教旅行の終わりに,カエサレアの港を経由してエルサレムに向かいました。(使徒 9:28-30; 18:21,22; 21:7,8)さらにパウロは,カエサレアのヘロデの宮殿に2年間拘束され,その間にフェリクス,フェスト,アグリッパと話をし,そこから船でローマに向かいました。(使徒 23:33-35; 24:27–25:4; 27:1)

      女性は会衆の中で教える立場に就けたか

      1世紀のクリスチャン会衆で,女性はどんなことをしていたのでしょうか。女性は会衆の中で教える立場に就けたのでしょうか。

      イエスは弟子たちに,神の王国の良い知らせを伝えて,人々を弟子とするよう指示しました。(マタ 28:19,20。使徒 1:8)良い知らせを伝えるというこの任務は,老若男女を問わず,全てのクリスチャンに与えられています。そのことはヨエル 2章28,29節の預言からも分かります。33年のペンテコステの日,ペテロはその預言が実現したことを指摘して,こう言いました。「神は言う。『終わりの時代に,私は聖なる力をあらゆる人に注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言[する]。その時代に,私は聖なる力を私の男奴隷と女奴隷にも注ぎ,彼らは預言する』」。(使徒 2:17,18)また,すでに見たように,福音伝道者フィリポの4人の娘も預言をしていました。(使徒 21:8,9)

      では,会衆の中で教える立場に就くことについてはどうでしょうか。聖書によれば,監督や援助奉仕者に任命されるのは男性だけです。(テモ一 3:1-13。テト 1:5-9)パウロはこう言っています。「女性が教えたり男性に権威を振るったりすることを,私は許可しません。女性は静かにしているべきです」。(テモ一 2:12)

      「死ぬ覚悟もできています」(使徒 21:10-14)

      15,16. アガボはどんなことを伝えましたか。みんなはそれを聞いてどうしましたか。

      15 パウロがフィリポの家に泊まっている間に,アガボという人が訪ねてきます。フィリポの家に集まっていた人たちは,アガボが預言者だと知っています。アガボは以前,クラウディウスの治世中の大飢饉を予告しました。(使徒 11:27,28)「アガボはどうして来たのだろう。何を話すのだろう」とみんな思ったはずです。みんながじっと見ていると,アガボはパウロの帯を取ります。それは腰に巻いて使う布の帯で,お金などを入れることができました。アガボは帯で自分の両手足を縛り,不穏なことを伝えます。「神が聖なる力によってこう言っています。『ユダヤ人はこの帯の持ち主をエルサレムでこのように縛り,異国の人々に引き渡す』」。(使徒 21:11)

      16 この預言から,パウロがエルサレムに行くことが分かります。そこでユダヤ人たちによって「異国の人々に引き渡」されることも分かります。かなりショッキングな預言です。みんなどうするでしょうか。ルカはこう書いています。「これを聞いて,私たちもそこの人たちも,エルサレムに上らないようにとパウロに頼み始めた。パウロはこう答えた。『どうして泣いたり私の決意を弱めようとしたりするのですか。大丈夫です。私は,縛られることはもちろん,主イエスの名のためにエルサレムで死ぬ覚悟もできています』」。(使徒 21:12,13)

      17,18. パウロの決意はどれほど固いものでしたか。兄弟たちはどうしましたか。

      17 この時の様子を思い浮かべてみてください。兄弟たちがパウロに,どうか行かないでほしいとお願いしています。ルカもそうしています。泣いている人もいます。パウロは,みんなが自分の「決意を弱めようとし」ている(ほかの訳では「心をひどく悲しませ」ている)と言います。もちろん,自分のことを思って言ってくれているのが分かるので,口調は優しかったはずです。それでも,ティルスの時と同じように,パウロの決意は変わりません。どんなに泣いてお願いされても,心は揺らぎません。「主イエスの名のために」どうしても行かなければいけないと言います。何という勇気でしょう。かつてのイエスと同じように,エルサレムに行くと固く心に決めています。(ヘブ 12:2)パウロは死にたかったわけではありませんが,たとえそうなっても,キリスト・イエスの後に従って死ぬのであれば,それは本望でした。

      18 兄弟たちはどうしたでしょうか。パウロの考えを尊重しました。こうあります。「パウロが聞き入れようとしないので,私たちは反対するのをやめ,『エホバの望まれることが行われますように』と言った」。(使徒 21:14)兄弟たちは,それ以上パウロを説得しようとはしませんでした。行ってほしくはありませんでしたが,これはエホバが望んでいることだと認め,止めないことにしました。パウロはすでに,命を懸けて使命を果たすつもりでやってきていました。みんな愛してくれているとはいえ,パウロにとっては止めずにいてくれた方がよかったでしょう。

      19. パウロが経験したことから,どんなことを学べますか。

      19 この出来事から大切なことを学べます。エホバや仲間のために力を尽くそうとする人を思いとどまらせたくはありません。パウロのように命が関わるとき以外でも気を付けたいと思います。例えば,子供が家を離れて,遠い所で奉仕するようなとき,親はさみしいと感じるかもしれません。でも,子供の意気をくじくようなことはしません。イギリスのフィリスは,一人娘がアフリカで宣教者として奉仕することになった時のことをこう話しています。「複雑な気持ちでした。娘がそんなに遠くに行くのは,つらいことでした。誇らしく思うとともに,さみしいと感じました。何度も祈りました。それでも,本人が決めたことなので,帰ってくるようにと言ったことはありません。娘が子供の頃から,神の王国のためにベストを尽くして働くよう教えてきました。娘はこれまで30年,外国で奉仕してきました。そうやって奉仕し続けていることを毎日エホバに感謝しています」。エホバのために何でもしようとする仲間を応援したいと思います。

      宣教者夫婦と両親。1. 両親がうれしそうに電話で話している。2. 外国で奉仕する夫婦がうれしそうに電話で話している。

      エホバのために力を尽くす人たちを応援しましょう。

      「兄弟たちが喜んで迎えてくれた」(使徒 21:15-17)

      20,21. パウロが仲間との時間を大切にしていたことは,どんなことから分かりますか。そういう時間を大切にしていたのはどうしてですか。

      20 パウロは支度を整え,旅を続けます。パウロをサポートするため,カエサレアの兄弟たちも付いていきます。エルサレムへの旅の間,パウロたちはいつも兄弟姉妹に会って,同じ時間を過ごそうとしました。ティルスでは,弟子たちを捜し出し,7日間一緒にいました。プトレマイスでは,兄弟姉妹に会いに行き,1日一緒に過ごしました。カエサレアでは,フィリポの家に何日か滞在しました。その後,カエサレアの兄弟たちに,エルサレムにいる初期の弟子ムナソンの家に連れていってもらい,歓迎されます。「エルサレムに着くと,兄弟たちが喜んで迎えてくれた」と,ルカは書いています。(使徒 21:17)

      21 パウロは仲間と一緒にいたいと思っていました。私たちと同じように,兄弟姉妹から元気をもらいました。そういう仲間の支えのおかげで,パウロは命を狙う敵たちに立ち向かうことができました。

      a 「カエサレア ローマの属州ユダヤの州都」という囲みを参照。

      b 「女性は会衆の中で教える立場に就けたか」という囲みを参照。

  • 「私の弁明をぜひ聞いてください」
    神の王国について徹底的に教える
    • 23章

      「私の弁明をぜひ聞いてください」

      怒った民衆の前,そしてサンヘドリンの前で,パウロが自分の信仰について語る

      使徒 21:18–23:10

      1,2. パウロがエルサレムにやって来たのはどうしてですか。パウロの前にどんな問題が立ちはだかりますか。

      ついにエルサレムに戻ってきました。パウロは人で混み合う路地を歩いています。エルサレムは長年,エホバへの崇拝の中心地になってきました。エルサレムの人たちは,その輝かしい歴史を誇らしく思っています。でも,過去にばかり目を向け,エホバの新しい考えに合わせることができていない,とパウロは感じています。エフェソスにいた時に再びここに来ようと決めたのは,生活に困っている兄弟たちに寄付金を届けるためでしたが,会衆の人たちの信仰を強めたいとも思っています。(使徒 19:21)エルサレムに来るのが危険なのは分かっていましたが,決意は揺らぎませんでした。

      2 エルサレムで,パウロの前にいろんな問題が立ちはだかります。一つは,兄弟たちとの間の問題です。パウロについての間違ったうわさが広まっていました。また,会衆の外からの攻撃もありました。パウロは根拠もなく告発され,打ちたたかれ,殺されそうになります。でも,そういう仕打ちに遭ったことで,かえって自分の信仰について伝えることができました。パウロは追い詰められても勇敢で,謙虚な心を忘れず,信仰を貫きました。素晴らしい手本です。調べてみましょう。

      「皆は神をたたえ始めた」(使徒 21:18-20前半)

      3-5. (ア)エルサレムでどんな集まりがありましたか。どんなことが話されましたか。(イ)パウロと長老たちの集まりで起きたことについて考えると,どんなことをしたくなりますか。

      3 エルサレムに着いた次の日,パウロたちは会衆で責任を担う兄弟たちに会いに行きます。記録に使徒たちの名前が出てこないので,みんなエルサレムを離れて別の場所で奉仕していたと考えられます。でも,イエスの弟ヤコブは残っていました。(ガラ 2:9)「長老たちが皆」パウロたちを迎え,集まりを開いた時,ヤコブが司会をしたようです。(使徒 21:18)

      4 パウロは長老たちに「あいさつし,自分の伝道によって神が異国人の間で行った事柄を詳しく話し始め」ます。(使徒 21:19)素晴らしい報告を聞いて,みんなうれしくなったはずです。現代でも,別の国々での良い報告を聞くと,元気が湧いてきます。(格 25:25)

      5 パウロはどこかのタイミングで,ヨーロッパから持ってきた寄付金について話したはずです。長老たちは,遠くの兄弟たちの優しい心遣いに感動したことでしょう。パウロの話を聞いて,「皆は神をたたえ始め」ました。(使徒 21:20前半)現代でも,被災して困っていたり病気と闘ったりしているときに,仲間に助けられ,温かい言葉を掛けてもらうと,とても爽やかな気持ちになります。

      「皆,律法を守ることに熱心です」(使徒 21:20後半,21)

      6. パウロはどんなことを知らされましたか。

      6 長老たちは続いて,パウロについての心配なうわさがユダヤに広まっていると話します。こう言います。「兄弟,知っていると思いますが,ユダヤ人の中には何万人もの信者がいて,皆,律法を守ることに熱心です。しかし,その人たちは,あなたについてこういううわさを聞いています。異国人の間にいるユダヤ人全てにモーセからの背教を説き,子供に割礼を施すことも昔からの慣行に従うこともしないよう告げている,といううわさです」。a (使徒 21:20後半,21)

      7,8. (ア)ユダヤのクリスチャンの多くは,どんな間違った考え方をしていましたか。(イ)ユダヤ人のクリスチャンたちは背教していたわけではない,とどうしていえますか。

      7 モーセの律法が無効になってから20年以上たっていたのに,いまだに律法を守ることに熱心なクリスチャンがいたのはどうしてでしょうか。(コロ 2:14)49年には,エルサレムで集まった使徒と長老たちが手紙を書いて,各会衆で読まれるようにしました。異国人のクリスチャンに,割礼を受けて律法を守る必要はないことを伝える手紙でした。(使徒 15:23-29)しかし,手紙の中でユダヤ人のクリスチャンについては書かれていませんでした。それで,ユダヤ人の多くは,モーセの律法がもう有効ではないことを理解していませんでした。

      8 そういう間違った考え方をしているユダヤ人たちは,クリスチャンとはいえないのでしょうか。そんなことはありません。古い律法を守り続けることは,異教を崇拝していた人が以前の崇拝を続けているのとは,全く違います。ユダヤ人のクリスチャンが大事にしていた律法は,もともとエホバから与えられたものでした。異教とは無関係で,悪いものではありませんでした。でも,律法は古い契約に伴うもので,クリスチャンたちはすでに神と新しい契約を結んでいます。エホバを崇拝するために,もう律法は必要ではなくなっています。ユダヤ人たちは,エホバをもっと信頼して,新しい取り決めに順応しなければいけませんでした。自分の考えをエホバの今の考えに合わせていかなければいけませんでした。b (エレ 31:31-34。ルカ 22:20)

      「うわさには何の根拠もな[い]」(使徒 21:22-26)

      9. モーセの律法についてパウロはどんなことを教えましたか。

      9 パウロが「異国人の間にいるユダヤ人全てに……子供に割礼を施すことも昔からの慣行に従うこともしないよう告げている」といううわさについてはどうでしょうか。パウロは,異国人に伝道する任務を受けていたので,律法を守る必要はないという決定を異国人に伝えました。また,異国人に割礼を受けさせようとする人たちが間違っていることも指摘しました。(ガラ 5:1-7)行った先のいろいろな町で,ユダヤ人にも伝道しました。イエスの死によって律法が無効になったことを話し,神から正しいと認められるのに必要なのは,律法を守ることではなくイエスに信仰を持つことだ,と説明したはずです。(ロマ 2:28,29; 3:21-26)

      10. 律法や割礼について,パウロはバランスが取れた見方をしていました。どうしてそういえますか。

      10 一方,パウロは,ユダヤ人の習慣を守ると安心するという人たちの気持ちも分かっていました。安息日に仕事を休んだり,特定の食べ物を食べなかったりする人がいましたが,パウロは批判しませんでした。(ロマ 14:1-6)割礼についても規則をつくったりはしませんでした。ユダヤ人がテモテのことを信用しやすくなるよう,テモテに割礼を受けさせることもしました。テモテの父親がギリシャ人だったからです。(使徒 16:3)パウロはガラテアのクリスチャンに,「割礼を受けているかどうかは問題ではありません。価値があるのは信仰であり,信仰は愛によって示されます」と言っています。割礼は個人が自分で決めることでした。(ガラ 5:6)それでも,律法は絶対だと考えて割礼を受けたり,エホバから正しいと認めてもらうには割礼が必要だと言い張ったりするのは,よくありませんでした。イエスへの信仰が欠けていることになってしまいます。

      11. 長老たちはパウロにどんなことを勧めましたか。パウロはどんなことを考慮したと考えられますか。(脚注を参照。)

      11 このように,うわさはかなり歪められたものだったといえます。でも,ユダヤ人たちはうわさに気持ちを乱されていました。それで長老たちはパウロにこう言います。「誓約を立てた4人の人が私たちの所にいます。この人たちを連れていって一緒に儀式上の清めをし,費用を出してやり,彼らが頭をそってもらえるようにしてください。そうすれば,誰もが,あなたについて聞かされているうわさには何の根拠もなく,あなたが正しく行動して律法を守っていることを知るでしょう」。c (使徒 21:23,24)

      12. パウロは反論せず,どのように歩み寄ってエルサレムの長老たちに協力しましたか。

      12 パウロは,うわさは間違っているし,そもそもユダヤ人のクリスチャンがモーセの律法に固執しているのがおかしい,と言うこともできました。でも,神の考えに反しない限り,できるだけ歩み寄ろうとしました。パウロはこう書いたことがありました。「[私は]律法の下にいる人に対しては律法の下にいる人のようになりました。私自身は律法の下にいませんが,律法の下にいる人を引き寄せるためにそうしたのです」。(コリ一 9:20)パウロは,エルサレムの長老たちに協力し,「律法の下にいる人のようになりました」。私たちもパウロに倣って,自分の考えややり方にこだわらず,長老たちに協力したいと思います。(ヘブ 13:17)

      1. パウロがエルサレムの長老たちの指示を聞いている。2. 現代の長老の会合で,ほかの長老たちが挙手する中,1人の長老が真剣に考えている。

      聖書の教えに反しない限り,パウロはできるだけ歩み寄った。あなたはどうですか。

      ローマ法とローマ市民

      ローマ政府は通常,地方政府にほとんど干渉しませんでした。ユダヤ人の事柄には,基本的にユダヤ人の律法が適用されました。ローマ人がパウロの件に関わったのは,あくまでも,パウロが神殿に行ったことで起きた暴動で治安が乱れる恐れがあったためでした。

      ローマ当局は普通の属州民に対してかなりの力を持っていました。とはいえ,ローマ市民を扱う時は事情が異なりました。f 市民権を持つ人には特権が与えられ,それは帝国全土で認められ,尊重されました。例えば,有罪宣告を受けていないローマ人を縛ったり打ちたたいたりするのは違法なことでした。そのような扱いをしてもよいのは奴隷だけでした。ローマ市民には,属州総督の決定について,ローマにいる皇帝に上訴する権利もありました。

      ローマ市民権を得る方法はいろいろありました。1つは相続です。また,個人あるいは町や地域全体の自由民が,ローマのためにした奉仕に応じて,皇帝から市民権を与えられることがありました。ローマ市民から自由を買った奴隷,ローマ人から解放された奴隷,ローマの補助軍を退役した軍人も,ローマ人になりました。市民権を買える場合もあったようです。軍司令官クラウディウス・ルシアスはパウロに,「私はこの市民権を大金を払って得たのだ」と言い,それに対してパウロは,「私は生まれながらのローマ市民です」と言いました。(使徒 22:28)詳しいことは分かりませんが,パウロの先祖の男性の1人が何かの方法でローマ市民権を得ていたようです。

      f 1世紀,ユダヤに住むローマ市民はあまり多くなかったようです。3世紀になって,全ての属州民にローマ市民権が与えられました。

      「生きている値打ちなどない!」(使徒 21:27–22:30)

      13. (ア)ユダヤ人たちが神殿で騒動を起こしたのはどうしてですか。(イ)殺されそうになったパウロはどのようにして生き延びましたか。

      13 神殿に行ったパウロはやがて危険な目に遭います。4人が誓約を終えるための期間が終了する頃,パウロはアジアから来たユダヤ人たちに目を付けられます。彼らは,パウロが異国人を神殿に連れ込んだと訴え,暴動を起こします。パウロは打ちたたかれ,危うく殺されそうになります。ローマの軍司令官がやって来たおかげで,命は落とさずに済みましたが,逮捕され,その後4年以上拘禁されることになりました。パウロが逮捕されても,騒動は収まりません。ユダヤ人たちは,どうしてパウロを襲ったのか軍司令官に尋ねられ,あれこれと叫びます。あまりの騒ぎのため,軍司令官は何も理解できず,結局,兵士たちがパウロを担いで兵営に連れていきます。兵営に入る前,パウロは軍司令官にこう言います。「どうか民に話すことを許可してください」。(使徒 21:39)軍司令官は許可し,パウロは自分が信じていることを堂々と語り始めます。

      14,15. (ア)パウロはユダヤ人たちにどんなことを説明しましたか。(イ)ユダヤ人が憤慨しているのはどうしてかを知るため,軍司令官はどんなことをしましたか。

      14 「私の弁明をぜひ聞いてください」とパウロは切り出します。(使徒 22:1)ヘブライ語で話し始めると,群衆は静かになります。パウロは,聞いているユダヤ人たちがその気になれば確かめられる事柄に触れながら,自分がどうしてクリスチャンになったのかをありのままに語ります。昔,有名な教師ガマリエルから直接教わりました。以前はクリスチャンを迫害していました。そういうことを知っていた人たちもその場にいたかもしれません。でもある時,パウロはダマスカスに向かう途中,幻を見,復活したキリストから話し掛けられました。一緒にいた人たちも明るい光を見て,声を聞きましたが,何を言っているかは分かりませんでした。(スタディー版の使徒 9:7; 22:9の注釈を参照。)パウロは目が見えなくなったため,一緒にいた人たちに手を引いてもらってダマスカスまで行きました。そして,そこのユダヤ人たちに知られていたアナニアに出会い,アナニアのおかげで視力を取り戻しました。

      15 パウロは続けて,エルサレムに戻った時に神殿でイエスの姿を見たことを話しました。すると,ユダヤ人たちは気分を害し,こう叫びます。「こんな男は地上から消してしまえ。生きている値打ちなどない!」(使徒 22:22)パウロが襲われないよう,軍司令官はパウロを兵営の中に連れていくよう命令します。そして,ユダヤ人が憤慨しているのはどうしてかを知るため,パウロをむち打って取り調べるよう命じます。しかしパウロは,自分がローマ市民であることを話し,法的な権利を主張します。現代のエホバの証人も,信仰の生き方を守るため,法的な権利を行使することがあります。(「ローマ法とローマ市民」と「現代の法的な闘い」という囲みを参照。)パウロがローマ市民だと聞いて,軍司令官は別の方法を取らなければいけないと考えます。翌日,ユダヤ人の最高法廷サンヘドリンを集め,そこへパウロを連れていきました。

      現代の法的な闘い

      使徒パウロと同じように,現代のエホバの証人は,伝道への制限が取り除かれるようにするため,できる限りの法的手段を取ってきました。「良い知らせを擁護し,その知らせを広める法的権利を得る」ために闘ってきました。(フィリ 1:7)

      1920年代と1930年代に,聖書出版物を配布したために多くのエホバの証人が逮捕されました。1926年には,ドイツの裁判所で897件が係争中でした。たくさんの訴訟があったため,ドイツ支部に法律部門がつくられました。1930年代,アメリカだけでも,戸別伝道を理由とする逮捕が年に何百件もあり,1936年には1149件に達しました。裁判をサポートするため,アメリカにも法律部門がつくられました。ルーマニアでは,1933年から1939年までの間に,エホバの証人に対する訴訟が530件ありましたが,ルーマニア高等法院への上訴によって,良い判決が多く得られました。他の国や地域でも同じような進展が見られています。

      クリスチャンは政治に関わらないでいつも中立でいます。それで自分の良心を守るために,ある種の活動には参加できないことがあります。そういうとき,法的な問題が生じてきました。(イザ 2:2-4。ヨハ 17:14)エホバの証人が扇動罪で訴えられ,結果として,活動が完全に禁止されることもありました。しかし,これまでに多くの政府が,エホバの証人は危険な存在ではないことを認めています。g

      g 世界各地でのエホバの証人の法的な勝利については,「神の王国は支配している!」の本の15章と「エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々」の本の30章を参照。

      「私はパリサイ派で[す]」(使徒 23:1-10)

      16,17. (ア)パウロがサンヘドリンの前で話し始めると,どんなことが起きましたか。(イ)パウロは打たれた時,どのように謙虚な姿勢を取りましたか。

      16 パウロはサンヘドリンの前でこう話し始めます。「皆さん,兄弟たち,私は今日まで,神の前で良心に全くやましいところなく行動してきました」。(使徒 23:1)しかし,すぐに邪魔が入ります。こう書かれています。「すると大祭司アナニアが,パウロの口を打つようにと,そばに立っている人たちに命じた」。(使徒 23:2)ひどい侮辱です。説明も聞かずに悪いと決め付けるのは明らかにおかしいことです。パウロがこう言ったのも無理はありません。「白く塗った壁よ,あなたは神に打たれます。律法に従って私を裁くために座っていながら,私を打つように命令して律法を破るのですか」。(使徒 23:3)

      17 そばに立っている人たちは驚きます。パウロが打たれたからではありません。パウロが言った言葉に驚きました。そしてこう言います。「おまえは神の大祭司を侮辱するのか」。パウロは謙虚に間違いを認め,次のように言って律法を尊重しました。「兄弟たち,大祭司だとは知りませんでした。確かに,『民の支配者を悪く言ってはならない』と書いてあります」。d (使徒 23:4,5。出 22:28)パウロは別のアプローチを試みることにします。サンヘドリンがパリサイ派とサドカイ派から成っていることを踏まえ,こう言います。「皆さん,兄弟たち,私はパリサイ派で,パリサイ派の人の子です。死者の復活の希望に関して裁かれているのです」。(使徒 23:6)

      兄弟が聖職者に伝道している。聖職者は自分の聖書を真剣に見ている。

      別の宗教の人と話すとき,相手との共通点をベースにする。

      18. パウロが自分はパリサイ派だと言ったのはどうしてですか。私たちもどんなときに同じようなことができますか。

      18 パウロはどうして,自分はパリサイ派だと言ったのでしょうか。「パリサイ派の人の子」つまりパリサイ派の家庭で育った人だったからです。現にパウロのことをパリサイ派の人と見なす人も少なくなかったはずです。e それにしても,自分はパリサイ派だと言って復活の希望に言及したのはどうしてでしょうか。パリサイ派は,死後も魂が生き続け,正しい人の魂は再び人間の体に入って生きると信じていました。パウロはもちろんそういう復活は信じていませんでした。信じていたのは,イエスが教えた復活です。(ヨハ 5:25-29)でも,復活の希望を持っているという点ではパリサイ派と同じで,復活を信じていないサドカイ派とは違っていました。私たちもパウロと同じようにできるかもしれません。神を信じる人と話す時に,自分も神を信じていると言えます。もちろん,私たちが信じているのは聖書の神で,相手が信じている神とは違うかもしれません。それでも,神の存在を信じているという点では同じです。

      19. サンヘドリンの集まりで収拾がつかなくなったのはどうしてですか。

      19 パウロの言葉によって,サンヘドリンは真っ二つに分かれます。こう書かれています。「大きな騒動になり,パリサイ派の律法学者たちが立ち上がって激しく主張し始め,『この人には全く悪いところはない。目に見えない創造物や天使が彼に話したのであれば,―』と言った」。(使徒 23:9)天使がパウロに話したかもしれないという言葉を聞いただけで,サドカイ派はひどく怒ったはずです。天使の存在を信じていなかったからです。(「サドカイ派とパリサイ派」という囲みを参照。)論争が激しくなり,軍司令官はまたもパウロを外に連れ出します。(使徒 23:10)それでも危険がなくなったわけではありません。パウロはこれからどうなるのでしょうか。次の章で続きを見ましょう。

      サドカイ派とパリサイ派

      サンヘドリンは,ユダヤ人の国家行政評議会で,高等法廷でした。対立する2つの派,サドカイ派とパリサイ派が勢力を持っていました。1世紀の歴史家フラウィウス・ヨセフスによれば,両者の大きな違いは,パリサイ派は多くの伝統的な慣行を市民に守らせようとしたのに対し,サドカイ派はモーセの律法にある事柄だけを義務と見なしたことです。この2つの教派はどちらもイエスの教えに否定的でした。

      保守的な傾向があったサドカイ派は,祭司階級の中で幅を利かせており,大祭司経験者のアンナスとカヤファもサドカイ派に属していたと思われます。(使徒 5:17)もっとも,サドカイ派の教えは「裕福な人の支持しか得られなかった」と,ヨセフスは言っています。

      一方,パリサイ派は,民衆に大きな影響力を持っていました。しかし,極端なまでに儀式上の清さを重んじるなど,あまりに厳格だったため,律法を守ることが一般人にとって負担になりました。サドカイ派とは異なり,パリサイ派は運命を信じ,死後も魂が生き続けて美徳や悪徳に応じた報いや罰を受ける,と考えていました。

      a これほど多くのユダヤ人のクリスチャンがいたので,個人の家で集まる会衆がたくさんあったと思われます。

      b 数年後,パウロはヘブライ人のクリスチャンに手紙を書き,新しい契約がどう優れているかを教えました。新しい契約が古い契約に取って代わったことをはっきり説明しています。パウロの説明のおかげで,クリスチャンたちは,反対意見を言うユダヤ人にどう答えるとよいかが分かったはずです。また,モーセの律法に愛着があったクリスチャンたちも,こだわりを捨てて信仰を強めることができたはずです。(ヘブ 8:7-13)

      c 学者たちによれば,この人たちはナジルの誓約をしていたのかもしれません。(民 6:1-21)もちろん,ナジルの誓約について規定したモーセの律法はもう有効ではありませんでした。でもパウロは,その人たちがエホバへの誓約を果たすのは間違ったことではないと考えたのかもしれません。それで,費用を払い,同行することにしたようです。誓約がどんなものだったのか詳しくは分かりません。とはいえ,いずれにしてもパウロは,ナジルがしたように動物の犠牲を捧げることで罪が償われると信じていたわけではないでしょう。すでにキリストの完全な犠牲が捧げられていたので,動物の犠牲で罪を償うことはできませんでした。パウロが何をしたのか具体的には分かりませんが,良心が痛むようなことはしなかったはずです。

      d もしかすると,パウロは目が悪くて,その人が大祭司だと分からなかったのかもしれません。長い間エルサレムを離れていたので,今の大祭司が誰なのかを知らなかった,ということもあり得ます。あるいは,単に人だかりのせいで,誰が命令したのかよく見えなかったのかもしれません。

      e 49年,異国人がモーセの律法を守るべきかについて使徒や長老たちが話し合っていた時にも,その中に,「以前はパリサイ派だった信者」と呼ばれる人たちがいました。(使徒 15:5)

  • 「勇気を出しなさい!」
    神の王国について徹底的に教える
    • 24章

      「勇気を出しなさい!」

      パウロは殺されそうになるが命拾いし,フェリクスの前で弁明した

      使徒 23:11–24:27

      1,2. パウロが,エルサレムで迫害に遭っても驚いていないのはどうしてですか。

      暴徒化した人たちの中から連れ出されたパウロは,またも拘禁されています。でも,こうしてエルサレムで迫害に遭っていることに驚いてはいません。「拘禁と苦難が待っている」とあらかじめ告げられていたからです。(使徒 20:22,23)これから具体的に何が起こるかは分かりませんが,「[イエス]の名のために」苦しむことになるのは知っています。(使徒 9:16)

      2 クリスチャンの預言者も,パウロが縛られて「異国の人々に引き渡」されると予告していました。(使徒 21:4,10,11)パウロは少し前,ユダヤ人の群衆に殺されかけ,そのすぐ後にも,パウロについて議論するサンヘドリンの人たちに「殺されてしま」いそうになりました。今は拘束され,ローマ兵に見張られています。今後,裁判にかけられることになっています。(使徒 21:31; 23:10)温かい励ましが必要です。

      3. 伝道を続けるための力をどこから得られますか。

      3 今の終わりの時代でも,「神への専心を貫き,キリスト・イエスに従って生きようとする人は皆,同じように迫害を受けます」。(テモ二 3:12)それで,伝道を続けるために,私たちも励ましを必要としています。「忠実で思慮深い奴隷」が出版物や集会を通して,いつもちょうど良い時に力づけてくれるのは,本当にありがたいことです。(マタ 24:45)エホバは,誰がどのように伝道を妨害しても決してうまくいかない,と言っています。どんな反対者にも,良い知らせが広まるのを止めたり,エホバの証人が全くいなくなるようにしたりすることはできません。(イザ 54:17。エレ 1:19)パウロの場合はどうだったでしょうか。反対に負けずに伝道を続けられるよう,誰かが励ましの言葉を掛けてくれたでしょうか。それはどのように力になったでしょうか。

      「陰謀」が失敗に終わる(使徒 23:11-34)

      4,5. パウロはどんな励ましの言葉を掛けてもらいましたか。それがちょうど良いタイミングだったといえるのはどうしてですか。

      4 パウロがサンヘドリンから連れ出されたその夜,イエスが励ましの言葉を掛けてくれました。こう書かれています。「主イエスがパウロのそばに立って,言った。『勇気を出しなさい! あなたは私についてエルサレムで徹底的に知らせてきました。同じようにローマでも知らせなければなりません』」。(使徒 23:11)パウロはこの言葉に救われたはずです。生きてローマまで行き,そこでイエスについて伝道できる,と分かったからです。

      パウロのおいがクラウディウス・ルシアスに話している。

      「ユダヤ人が40人以上待ち伏せて……います」。使徒 23:21

      5 イエスからの励ましは,ちょうど良いタイミングだったといえます。まさに次の日,40人以上のユダヤ人たちが「皆で陰謀をたくらみ,パウロを殺すまでは食べたり飲んだりしないと誓った」からです。彼らが「誓った」ことから,その決意の程がうかがえます。パウロを絶対に殺す気です。もし計画が失敗するようなことがあれば自分に災いが降りかかってもよい,と思っています。(使徒 23:12-15)祭司長と長老たちも計画に同意しています。計画はこうです。事実確認の取り調べをしたいふりをして,パウロをサンヘドリンに呼び出します。そして,パウロがやって来る道の途中で待ち伏せし,襲って殺します。

      6. パウロはどのようにして陰謀について知りましたか。若い人たちは,パウロのおいのどんなところに倣えますか。

      6 しかし,パウロのおいがこの陰謀について聞き,パウロに伝えます。パウロは,おいをローマの軍司令官クラウディウス・ルシアスの所に行かせ,陰謀について伝えさせます。(使徒 23:16-22)現代でも,名前が書かれていない,このパウロのおいのような若者たちがいます。危険を承知で仲間のために勇敢に行動し,神の王国のためにできることを何でもする若い人たちです。エホバはそういう若者たちを誇らしく思っています。

      7,8. クラウディウス・ルシアスは,パウロのためにどんなことを取り決めましたか。

      7 1000人を束ねるクラウディウス・ルシアスは,陰謀について知るとすぐに,兵士,槍兵,騎兵から成る470人の部隊をつくらせ,夜のうちにエルサレムを出てパウロをカエサレアまで護衛するよう命じます。到着したら,パウロは総督フェリクスに引き渡される予定です。a カエサレアはユダヤ州の州都で,ユダヤ人もかなり住んでいましたが,人口の大半は異国人でした。秩序が保たれていて,エルサレムのように宗教的に見方が狭い人が多いわけでも,暴動が起こりがちなわけでもありませんでした。カエサレアは,ユダヤでのローマ軍の本拠地でもありました。

      8 ルシアスはローマ法に従い,次のようなことを書いた手紙をフェリクスに送ります。パウロはユダヤ人に「殺されるところ」だったが,ローマ市民だと知って,助け出した。パウロは「死刑や拘禁に値する」罪を何も犯していないが,パウロを殺そうとする陰謀があるので,パウロについての訴えを聞いた上で総督に判断してもらうために身柄を引き渡したい。(使徒 23:25-30)

      9. (ア)パウロのローマ市民権はどのように侵害されましたか。(イ)私たちも法的な権利を行使することがあるのはどうしてですか。

      9 ルシアスが書いたことは全部真実だったでしょうか。そうではありません。ルシアスは自分をできるだけ良く見せようとしたようです。例えば,パウロを助け出したのは,ローマ市民だと分かったからではありませんでした。しかも,本当はパウロを「2本の鎖で縛るよう命じ」,「むち打って取り調べるように」と言って,パウロのローマ市民権を侵害したのに,そのことには触れていません。(使徒 21:30-34; 22:24-29)現代でも,サタンが宗教的熱狂を利用して迫害をあおることがあり,そのため,私たちの自由が侵害されることがあります。でも,パウロのように法的な権利を行使して,保護を得られる場合もあります。

      「自分の弁明のために喜んでお話しいたします」(使徒 23:35–24:21)

      10. パウロはどんな重大な罪で訴えられましたか。

      10 カエサレアでパウロは,「ヘロデ宮殿内で監視」下に置かれ,エルサレムから告訴人たちが到着するのを待ちます。(使徒 23:35)5日後,大祭司アナニア,弁士テルトロ,長老たちがやって来ます。テルトロが話し始めます。テルトロはまず,フェリクスがユダヤ人のためにしている事を称賛します。フェリクスの機嫌を取って,良く思われようとしているのでしょう。b テルトロはそれから本題に入り,パウロについて「この男は厄介者で,世界の至る所でユダヤ人の間に暴動を起こし,ナザレ人一派の先頭に立ち,神殿も汚そうとしましたので,私たちが捕らえました」と言います。すると,「ユダヤ人たちも訴えに同調し,その通りだと主張し」ました。(使徒 24:5,6,9)暴動を起こすこと,危険な一派を率いること,神殿を汚すこと,これらは死刑になりかねない重大な罪でした。

      11,12. パウロは,訴えられた罪状をどのように否定し,反論しましたか。

      11 次にパウロが話します。パウロは,「自分の弁明のために喜んでお話しいたします」と言ってから,訴えられた罪状をきっぱり否定します。神殿を汚してはいませんし,暴動を起こしてもいません。エルサレムに来たのは「何年かぶり」で,飢饉や迫害のせいで生活に困っているクリスチャンに寄付金を届けるためにやって来ました。「儀式上の清めをして」から神殿に入りましたし,「神と人の前で良心にやましいところがないよう,絶えず励んで」きました。(使徒 24:10-13,16-18)

      12 パウロはこう続けます。「私は,このことはあなたの前で認めます。私はこの方たちが一派と呼んでいるやり方に従って,父祖たちの神に神聖な奉仕をしています」。「律法の中で述べられていることと,預言者の書に記されていることを全て信じています」。「この方たちと同じ[ように,]神が正しい人も正しくない人も復活させてくださるという希望[を持っています]」。そう言ってから,こう問い掛けます。「ここにいる方たちが,私がサンヘドリンの前に立った時にどんな悪い点を見つけたのか,自分で述べていただきたいと思います。もっとも,私はそこに立っていた時にこう叫びはしました。『死者の復活に関して今日皆さんの前で裁かれているのです』」。(使徒 24:14,15,20,21)

      13-15. 当局者の前に連れていかれるとき,パウロにどのように倣えますか。

      13 私たちも,信仰の生き方をしたために当局者の前に連れていかれるかもしれません。騒動を起こしているとか,治安を乱しているとか,危険な一派だとか言われるかもしれません。そういうとき,パウロに倣えます。パウロはテルトロとは違い,こびを売って総督に気に入られようとはしませんでした。敬意を込めて,穏やかに話しました。正直にはっきりと語り,真実を上手に伝えました。神殿を汚したとパウロを訴えた「アジア州から……来ていた」ユダヤ人はその場にいませんでした。パウロはそれを指摘し,法的にはその人たちがここに来て話をするべきだということを伝えました。(使徒 24:18,19)

      14 パウロは,自分が信じていることを話すのをためらいませんでした。復活を信じていると何度も堂々と言いました。そのせいで以前サンヘドリンで騒動が起きたことがあっても,そうしました。(使徒 23:6-10)弁明の時に,パウロが復活の希望についてそこまで語ったのはどうしてでしょうか。パウロはイエスについて伝道し,イエスが死んで生き返ったことを教えていたからです。それを信じない人がたくさんいました。(使徒 26:6-8,22,23)論点は,復活を信じるかどうか,特にイエスが復活したことを信じるかどうかでした。

      15 私たちもイエスの言葉から力をもらって,パウロのように勇敢に語れます。イエスは弟子たちにこう言いました。「あなたたちは,私の名のために全ての人から憎まれます。しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われます」。何を語るべきか心配になるかもしれませんが,イエスはこうも言ってくれています。「人々があなたたちを引き渡すために連れていくとき,何を言おうかと心配してはなりません。何でもその時に与えられること,それを言いなさい。話すのは,あなたたちではなく,聖なる力だからです」。(マル 13:9-13)

      「フェリクスは恐れを感じ[た]」(使徒 24:22-27)

      16,17. (ア)フェリクスはパウロの件をどう扱うことにしましたか。(イ)フェリクスが恐れを感じたのはどうしてだと考えられますか。その後もパウロに会い続けたのはどうしてですか。

      16 総督フェリクスがクリスチャンの信条について聞いたのは,これが初めてではありませんでした。こう書かれています。「フェリクスはこの道[初期のキリスト教のこと]に関する事柄をかなりよく知っていたので,この件を先送りにし,『軍司令官ルシアスが下ってきた時に,本件を裁決しよう』と言った。そして士官に命令してパウロを留置させたが,パウロに幾らかの自由を与え,仲間の者が世話をするのを許した」。(使徒 24:22,23)

      17 数日後,フェリクスはパウロを呼び出し,ユダヤ人の妻ドルシラと一緒に,「キリスト・イエスを信じること」について話を聞きます。(使徒 24:24)しかし,「パウロが正しい行いと自制と将来の裁きについて話すと,フェリクスは恐れを感じ」ます。きっと,それまでの人生でしてきた悪い行いを思い出して,心がざわついたのでしょう。フェリクスはパウロを帰らせることにし,こう言います。「もう下がってよい。機会があれば,また呼ぶことにする」。その後もフェリクスはパウロに何度も会いましたが,それは神やキリストについて学ぶためではなく,パウロから賄賂をもらうことを期待してのことでした。(使徒 24:25,26)

      18. パウロがフェリクスとドルシラに,「正しい行いと自制と将来の裁き」について話したのはどうしてですか。

      18 パウロがフェリクスとドルシラに,「正しい行いと自制と将来の裁き」について話したのはどうしてでしょうか。彼らが知りたかったのは,「キリスト・イエスを信じる」とはどういうことかでした。パウロは彼らの不品行,残虐行為,不正について知っていたので,キリストの後に従うには何をしなければいけないかをはっきり伝えました。2人の生き方は,神から見て正しい行いとはかけ離れていました。人は皆,考えたこと,話したこと,行ったことについて神から裁かれます。フェリクスはパウロを裁く立場にあるかもしれませんが,フェリクス自身も神から裁かれることになります。パウロの話によってそういうことに気付かされ,フェリクスは「恐れを感じ」ました。

      19,20. (ア)宣教で,聖書の教えに関心があっても自分のしたいように生きていきたい人に会うことがあります。その人のためにどんなことができますか。(イ)フェリクスがパウロのことを大切には思っていなかったことは,どんなことから分かりますか。

      19 私たちも宣教でフェリクスのような人に会うことがあります。聖書の教えに関心はあっても,自分のしたいように生きていきたい人です。そういう人には慎重に対応しますが,パウロのように神から見て正しい行いとは何かを上手に伝えることができます。そうすれば,心を入れ替えるかもしれません。でも,生き方を変えるつもりがないようであれば,その人との話し合いはいったんやめて,本当に正しい生き方をしたいと思っている人を探します。

      20 フェリクスが本当のところどんな人だったかが,次の記録から分かります。「2年が経過すると,ポルキオ・フェストがフェリクスの後を継いだ。フェリクスはユダヤ人に良く思われたかったので,パウロを拘束しておいた」。(使徒 24:27)フェリクスはパウロのことを大切には思っていませんでした。フェリクスは,「この道」の人たちが暴動や革命を起こしたりするような人たちではない,と分かっていました。(使徒 19:23)パウロがローマ法に違反するようなことを何もしていないことも知っていました。それでも,「ユダヤ人に良く思われたかったので」,パウロを拘束し続けました。

      21. ポルキオ・フェストが総督になってから,パウロはどんなことを経験しましたか。何が支えになっていたはずですか。

      21 使徒 24章の最後の節から分かるように,ポルキオ・フェストがフェリクスに代わって総督になった時も,パウロはまだ拘束されていました。それ以降,役人から役人へと引き渡され,何度も尋問されます。イエスが予告していた通り,「王や総督の前に連れていかれ」ました。(ルカ 21:12)やがてはローマ皇帝にも話すことになります。その間ずっと,信仰が揺らぐことはありませんでした。「勇気を出しなさい!」というイエスの言葉が支えになっていたはずです。

      フェリクス ユダヤの行政長官

      52年ごろ,ローマ皇帝クラウディウスは,気に入っていたアントニウス・フェリクスをユダヤの行政長官つまり総督に任命しました。フェリクスはもともと皇帝一家の奴隷で,解放されて自由民になった人でした。兄のパラスもそうでした。軍事指揮権を持つ行政長官の職に解放奴隷が任命されるのは前例のないことでした。

      フェリクス

      フェリクスは,兄が皇帝に影響力を持っていたので,「どんな悪行を犯しても罰せられないと考えていた」と,ローマの歴史家タキトゥスは言っています。行政長官フェリクスは,「残虐で肉欲を満たすことなら何でも行い,奴隷根性を丸出しにして王の権力を振るった」人物でした。在任中に,ヘロデ・アグリッパ1世の娘ドルシラと結婚しました。夫がいるドルシラに言い寄って,夫と別れさせて結婚しました。また,使徒パウロへの対応は明らかに違法で,パウロから賄賂を取ろうと考えていました。

      フェリクスの政治は非常に腐敗していて圧制的だったので,58年に皇帝ネロに呼び戻されます。ユダヤ人の代表団もローマに行ってフェリクスの悪政を訴えましたが,兄パラスのおかげでフェリクスは処罰を免れたと言われています。

      a 「フェリクス ユダヤの行政長官」という囲みを参照。

      b テルトロは,フェリクスのおかげで「平和を存分に楽し」めていると言って,感謝しました。しかし実際には,ローマへの反乱が起こるまでの期間のうち,フェリクスの総督在任中ほどユダヤが平和でなかった時はありませんでした。フェリクスがした改革にユダヤ人が「この上ない感謝の気持ちを抱いて」いる,というのも全くのうそでした。フェリクスは,ユダヤ人の生活を抑圧し,暴動を強硬な手段で鎮圧したため,ほとんどのユダヤ人からひどく嫌われていました。(使徒 24:2,3)

  • 「カエサルに上訴します!」
    神の王国について徹底的に教える
    • 25章

      「カエサルに上訴します!」

      良い知らせのために闘ったパウロから学ぶ

      使徒 25:1–26:32

      1,2. (ア)パウロは今どんな状況に置かれていますか。(イ)パウロがした上訴について,どんなことを知りたいと思いますか。

      パウロは,まだカエサレアで厳重な監視下に置かれています。2年前にユダヤ地方に戻ってきましたが,戻って何日もたたないうちに少なくとも3回殺されそうになりました。(使徒 21:27-36; 23:10,12-15,27)これまでのところ難を逃れ,生き延びていますが,ユダヤ人たちは諦めていません。彼らが再び訴えてきて,パウロは命を失う恐れがあったので,ローマ総督のフェストに「カエサルに上訴します!」と言います。(使徒 25:11)

      2 ローマ皇帝に上訴するというのは,エホバの考えに合った決定だったでしょうか。それをぜひ知りたいと思います。私たちも今の終わりの時代に,神の王国について徹底的に伝えているからです。「良い知らせを擁護し,その知らせを広める法的権利を得るために」どんなことができるか,パウロの例から学びましょう。(フィリ 1:7)

      「裁きの座の前に立って」(使徒 25:1-12)

      3,4. (ア)パウロをエルサレムに呼んでほしいというユダヤ人たちの要望には,どんな裏がありましたか。どんなことがあって,パウロは難を逃れることができましたか。(イ)パウロを支えたエホバは,私たちのことも支えてくれます。どのようにしてですか。

      3 フェストはユダヤの総督になって3日後,エルサレムに行きます。a そこで,祭司長とユダヤ人の主立った人たちから,ある訴えを聞きます。パウロが重大な罪を犯したと言うのです。彼らは,フェストがローマから,ユダヤ人とうまくやっていくよう指図されているのを知っています。そこで,それに付け込んで相談を持ち掛け,パウロをエルサレムに呼んで,ここで裁判にかけてほしい,と言います。でもその要望には裏がありました。カエサレアからやって来る道の途中でパウロを殺す計画でした。フェストは要望には応じず,こう言います。「その男に悪い点が本当にあるなら,あなた方のうちの有力な人たちが私と一緒に[カエサレアに]来て,彼を訴えなさい」。(使徒 25:5)パウロはまたも難を逃れ,生き延びました。

      4 エホバはイエス・キリストを通して,パウロを試練の間ずっと支えました。例えば,幻の中でイエスがパウロに「勇気を出しなさい!」と言ったことがありました。(使徒 23:11)私たちも大変な目に遭ったり迫害を受けたりすることがあります。エホバは,問題を全部なくしてくれるわけではありませんが,やっていくための知恵や力をくれます。エホバは私たちのことを愛していて,「普通を超えた力」を必ず与えてくれます。(コリ二 4:7)

      5. フェストはパウロの件をどう扱いましたか。

      5 何日かたってから,フェストはカエサレアに戻り,「裁きの座に座」ります。b 前には,パウロと,パウロを訴えた人たちがいます。告訴人たちは根拠のない訴えをし,パウロはこう答えます。「私は,ユダヤ人の律法に対しても,神殿に対しても,カエサルに対しても,何の罪も犯しておりません」。パウロは無実です。釈放されるべきです。フェストはどうするでしょうか。ユダヤ人の機嫌を取ろうとして,パウロにこう尋ねます。「エルサレムに上って,そこでこの件に関して私の前で裁きを受けることを望むか」。(使徒 25:6-9)なんとひどい提案でしょう。もしエルサレムに戻されれば,パウロは,この告訴人たちに裁かれることになります。確実に死刑になるでしょう。フェストにとっては,正しく裁くことよりも,自分の都合の方が大切でした。何年も前,別の総督ポンテオ・ピラトも,イエスに対して同じようなことをしました。(ヨハ 19:12-16)現代でも,裁判官たちが政治的な圧力に屈することがあります。それで,エホバの証人が何の根拠もなく有罪の判決を受けることがあっても,驚くには当たりません。

      6,7. パウロがカエサルに上訴したのはどうしてですか。パウロに倣って,現代のエホバの証人もどんなことをしますか。

      6 フェストがユダヤ人の好きにさせようとしていたので,パウロは命を失う恐れがありました。それで,ローマ市民として持っている権利を行使することにします。フェストにこう言います。「私はカエサルの裁きの座の前に立っており,ここで裁かれるのが当然です。ユダヤ人に悪いことは何もしていません。あなたも十分ご存じの通りです。……カエサルに上訴します!」いったんカエサルに上訴すると,まず取り消せません。それを踏まえてフェストは,「あなたはカエサルに上訴した。カエサルのもとに行くように」と言います。(使徒 25:10-12)パウロが上位の司法機関に訴えたことから,私たちも同じようにできることが分かります。反対者たちが「法の名の下に問題を巻き起こしている」とき,エホバの証人は法制度を活用して,宗教活動の自由を守ろうとします。c (詩 94:20)

      7 こうしてパウロは,事実無根の罪で2年以上拘束された後,ローマに行って弁明することになりました。でも出発前に,別の政治家がパウロに会いたがります。

      法廷で判決を聞いた場面。兄弟や弁護士たち,傍聴席のエホバの証人たちが険しい表情をしている。勝訴した側の,エホバの証人ではない人たちは喜び,法廷に立った人たちをねぎらっている。

      裁判に敗れたとき,上訴する。

      「私は……背くことなく……知らせていきました」(使徒 25:13–26:23)

      8,9. アグリッパ王がカエサレアにやって来たのはどうしてですか。

      8 パウロがカエサルに上訴してから何日か後のことです。総督に就任して間もないフェストを,アグリッパ王と妹のベルニケが「表敬訪問」します。d ローマ時代,役人が新任の総督にそうした訪問をするのは,よくあることでした。アグリッパは,フェストの就任を祝うことで,政治的にも個人的にもパイプをつくっておこうと思ったのでしょう。(使徒 25:13)

      信教の自由のために上訴した現代の例

      エホバの証人は,神の王国の良い知らせについて伝道する自由を求めて,上位の裁判所に上訴することがあります。2つの例を見てみましょう。

      1938年3月28日,アメリカ合衆国最高裁判所は,ジョージア州グリフィンで聖書出版物を配布したことで逮捕されたエホバの証人たちについて,無罪の判決を下しました。州裁判所の判決を覆しての判決でした。この判決以降,良い知らせについて伝道する権利を巡って,幾つもの件がアメリカ合衆国最高裁判所に上訴されました。g

      もう1つの例は,ギリシャのエホバの証人ミノス・コキナキスの件です。兄弟は,「改宗の勧誘」をしたとして48年間に60回以上逮捕され,18回起訴されました。刑務所での服役やエーゲ海の離島への流刑を何年も経験しました。コキナキス兄弟が最後に有罪宣告を受けたのは1986年のことです。その後,兄弟はギリシャの上位の裁判所に訴えますが,認められませんでした。それでヨーロッパ人権裁判所に救済を求めます。1993年5月25日,ヨーロッパ人権裁判所は,ギリシャがコキナキス兄弟の信教の自由を侵害したという判決を下しました。

      エホバの証人は,救済を求めてヨーロッパ人権裁判所に何十件もの申し立てをしてきました。その大半で,エホバの証人の側を支持する判決が下っています。ヨーロッパ人権裁判所で基本的人権を擁護することにこれほど成功しているグループは,宗教以外の団体も含め,ほかにありません。

      学者のチャールズ・C・ヘインズによれば,エホバの証人の法的勝利によって,ほかの人たちにも恩恵が及んでいます。こう書いています。「われわれは皆,エホバの証人に恩義がある。彼らは,何度侮辱されても,町から追い出されても,さらには暴力を振るわれても,自分たちの(ひいてはわれわれの)信教の自由のために闘い続ける。彼らの勝利は,われわれ全ての勝利でもある」。

      g 言論の自由に関するアメリカ合衆国最高裁判所の判決については,「目ざめよ!」2003年1月8日号3-11ページを参照。

      9 アグリッパはフェストからパウロのことを聞き,興味をそそられます。次の日,フェストとアグリッパは裁きの座に着き,パウロが連れてこられます。仰々しく出てきて腰を下ろした2人でしたが,パウロの堂々とした話を聞いて圧倒されることになります。(使徒 25:22-27)

      10,11. パウロはアグリッパにどのように敬意を表しましたか。過去のどんな行いについて,アグリッパに話しましたか。

      10 パウロは敬意を込めて話し始め,弁明させてもらえることをアグリッパ王に感謝します。そして,王がユダヤ人の習慣や論争に通じていることを認めます。それから,自分の以前の生き方について話し,「崇拝に関して最も厳格なパリサイ派として生活していた」と言います。(使徒 26:5)パウロはパリサイ派として,メシアの到来を待ち焦がれていました。今はクリスチャンとして,イエス・キリストがその待望のメシアだと熱心に知らせています。パウロは,これまでユダヤ人みんながずっと信じてきた,メシアに関する神の約束について語ったために,こうして裁判にかけられています。これを聞いてアグリッパはますます興味を持ちます。e

      11 パウロは,自分がクリスチャンたちにしていたひどい仕打ちについて話します。「私自身,どんな手段を使ってでもナザレ人イエスの名に敵対すべきだと確信していました。……彼ら[クリスチャンたち]のことでひどく激怒してほかの町々でも迫害するほどでした」。(使徒 26:9-11)パウロは大げさに言っていたわけではありません。パウロがクリスチャンたちを苦しめていたことは広く知られていました。(ガラ 1:13,23)アグリッパは,「そんな人がどうしてクリスチャンになったのか」と思ったでしょう。

      12,13. (ア)パウロはクリスチャンになった経緯をどのように説明しましたか。(イ)パウロがしていたことは,「突き棒を蹴り返」すことにどう似ていましたか。

      12 パウロが続けて話したのは,まさにそのことでした。「祭司長たちから権限と委任を受けてダマスカスに旅をしていた時,王よ,私は真昼に路上で天からの光を見ました。それは太陽の輝きより明るく,私の周りと,一緒に旅をしていた者たちの周りを照らしました。私たちが皆,地面に倒れてしまった時,ヘブライ語で私にこう言う声が聞こえました。『サウロ,サウロ,なぜ私を迫害しているのですか。あなたは突き棒を蹴り返しては,自分を傷つけています』。私は,『主よ,あなたはどなたですか』と言いました。すると主は言いました。『イエスです。あなたは私を迫害しています』」。f (使徒 26:12-15)

      13 イエスの声を聞く前まで,パウロは「突き棒を蹴り返して」いました。パウロがしていたことは,荷物を運ぶ動物が先のとがった突き棒を蹴り返して,自分の体を傷つけるのに似ていました。神の考えに反発した行動を取って,自分と神との関係を台無しにしていたのです。パウロは真っすぐな人でしたが,間違ったことに力を注いでいました。復活したイエスは,ダマスカスへの道でパウロの前に現れ,考えを正しました。(ヨハ 16:1,2)

      14,15. パウロは,自分の生き方がどう変わったと話しましたか。

      14 パウロは生き方を180度変えました。アグリッパにこう言います。「私は天からのその幻に背くことなく,まずダマスカスの人たちに,次いでエルサレムの人たちに,またユダヤ地方全体に,さらには異国の人々にも,悔い改めるように,そして悔い改めたことを示す行動を取って神を崇拝するようにと知らせていきました」。(使徒 26:19,20)真昼の幻の中でイエス・キリストから与えられた任務に,パウロはこれまで何年も取り組んできました。どんな成果があったでしょうか。良い知らせを聞いて喜んだ人たちは,それまでの良くない行いを反省し,心を入れ替え,神の考えに合わせた生き方をするようになりました。今は,法律を守って穏やかに生活する,善良な市民になっています。

      15 でも,ユダヤ人たちはそういう良い面には見向きもしませんでした。パウロはこう話します。「ですからユダヤ人たちは私を神殿で捕らえ,殺そうとしたのです。しかし,私は神の助けを得てきましたので,今日までずっと,身分が低い人にも高い人にも伝道し続けています」。(使徒 26:21,22)

      16. 裁判官や役人たちに自分の信仰について話すときは,パウロにどのように倣えますか。

      16 私たちも,「いつでも弁明できるよう,準備しておき」たいものです。(ペテ一 3:15)裁判官や役人たちに自分の信仰について話すときは,パウロに倣いたいと思います。パウロがアグリッパとフェストに話した時と同じように,聖書の教えを学んで自分の人生がどう変わったかを話せます。私たちが聖書について教えた人たちの人生がどう良くなったかも話せます。敬意を込めてそうしたことを伝えれば,役人たちの心に訴え掛けられるかもしれません。

      「あなたは……私を説き伏せてクリスチャンにならせようとしている」(使徒 26:24-32)

      17. フェストはパウロの弁明を聞いて,どう反応しましたか。現代でも,どんな反応をする人たちがいますか。

      17 客観的に聞いていたはずの2人も,パウロの話に引き込まれ,黙っていられなくなります。こう記録されています。「パウロがこう弁明していると,フェストが大声で言った。『パウロ,あなたは気が狂っている! 博学のためにおかしくなっているのだ!』」(使徒 26:24)現代でも,フェストと同じような反応をする人がいます。聖書に書かれている通りのことを教えると,狂信的だと思われるかもしれません。例えば,たいていの人は,死んだ人が復活するという教えは信じ難いと感じます。

      18. パウロはフェストにどう答えましたか。アグリッパはどう反応しましたか。

      18 パウロはフェストにこう答えます。「気が狂ってなどいません,フェスト閣下。真実で理にかなった言葉を述べているのです。実際,私が気兼ねなくお話ししております王が,これらのことについてよくご存じです。……アグリッパ王,預言者たちを信じておられますか。信じておられることを知っております」。アグリッパ王はこう答えます。「あなたはわずかな時間で私を説き伏せてクリスチャンにならせようとしている」。(使徒 26:25-28)本心でそう言ったかどうかは分かりませんが,パウロの話が王にかなりのインパクトを与えたのは確かです。

      19. アグリッパとフェストはどんな結論に至りましたか。

      19 その後,アグリッパとフェストは立ち上がり,聴聞が終わります。記録はこう続いています。「[彼らは]そこを去っていき,互いに,『この人は死刑や拘禁に値することは何もしていない』と言うのだった。また,アグリッパはフェストに,『この人はカエサルに上訴していなければ釈放されただろうに』と言った」。(使徒 26:31,32)2人はパウロが無実だということが分かりました。以後,クリスチャンたちにより理解を示すようになったかもしれません。

      20. パウロがアグリッパやフェストと話したことには意味があった,といえるのはどうしてですか。

      20 アグリッパもフェストも,神の王国の良い知らせについて学ぼうとはしなかったようです。パウロが2人と話したことには意味があったのでしょうか。もちろんありました。パウロがユダヤの「王や総督の前に連れていかれ」たことで,普通なら会えなかったローマの役人たちに伝道できました。(ルカ 21:12,13)兄弟姉妹は,大変な中でもパウロが行った先々で奮闘していることを聞いて,自分も頑張ろうと思ったはずです。(フィリ 1:12-14)

      21. 逆境の中でも伝道を続けることで,どんな良いことが起きていますか。

      21 現代でも,同じことが言えます。逆境の中でも伝道を続けることで,いろんな良いことが起きています。普段は会えない役人たちに話せることがあります。兄弟姉妹も仲間の頑張りについて聞いて,元気をもらえます。自分も決して諦めずに,神の王国について徹底的に知らせていこうという気持ちになります。

      ローマの行政長官ポルキオ・フェスト

      ポルキオ・フェストについて書かれている資料として残っているのは,「使徒の活動」とフラウィウス・ヨセフスの著作だけです。フェストは58年ごろ,フェリクスの後を継いでユダヤの行政長官になりました。職務に就いてわずか2,3年後に亡くなったようです。

      ポルキオ・フェスト

      フェストは,前任のフェリクスや後任のアルビノスとは違い,おおむね理性的で有能な行政長官だったようです。フェストが着任した時,ユダヤには無法者が多くいました。「フェストは,その地方で治安を乱す者たちを正すことにした。それで,盗賊の大半を捕らえ,かなりの数の者を処刑した」とヨセフスは書いています。フェストの在任中,ユダヤ人は,神殿域の様子をアグリッパ王に見られないよう壁を建設しました。フェストは当初,それを取り壊すよう命じました。しかし後になってユダヤ人の要望に応じ,壁を残してよいかローマ皇帝ネロに尋ねることを許可しました。

      フェストは,犯罪者や反乱を起こす人たちに断固とした措置を取ったようです。とはいえ,ユダヤ人と良い関係でいようとして,正義に反することもしました。少なくとも使徒パウロへの対応について,そういえます。

      ヘロデ・アグリッパ2世

      使徒 25章に出てくるアグリッパ王はヘロデ・アグリッパ2世です。ヘロデ大王のひ孫で,14年前にエルサレム会衆を迫害したヘロデの息子です。(使徒 12:1)ヘロデ家の最後の王でした。

      ヘロデ・アグリッパ2世

      44年に父親が死んだ時,アグリッパは17歳でした。ローマにいて,ローマ皇帝クラウディウスの宮廷で教育を受けていました。父親の領土を受け継ぐには若すぎると皇帝の顧問官たちが考えたので,代わりにローマ総督が任命され,その領土を治めました。とはいえ,フラウィウス・ヨセフスによれば,アグリッパはローマにいる間も,ユダヤ人のために物事に介入し,ユダヤ人に配慮した発言をしました。

      50年ごろ,クラウディウスはアグリッパをカルキスの王に任命し,53年には,イツリア,テラコニテ,アビレネの統治権も与えました。さらにアグリッパは,エルサレムの神殿の監督を任され,ユダヤ人の大祭司を任命する権限を委ねられました。彼の領土はクラウディウスの後継者ネロによって拡大され,ガリラヤやペレアの一部も含むようになりました。アグリッパは,カエサレアでパウロと会った時,妹のベルニケと一緒でした。ベルニケは,キリキアの王だった夫と離縁していました。(使徒 25:13)

      66年,アグリッパはユダヤ人のローマへの反逆を鎮めようとして失敗します。ユダヤ人たちの怒りの矛先が自分に向けられたため,ローマの側に付くしかありませんでした。ユダヤ人の反乱が鎮圧された後,新皇帝ウェスパシアヌスがアグリッパに褒美としてさらに領土を与えました。

      a 「ローマの行政長官ポルキオ・フェスト」という囲みを参照。

      b 「裁きの座」とは,壇上に置かれた椅子のことでした。裁判官の判決は,高い場所から言い渡されることによって重みが増し,変更できないものであることが印象付けられました。ピラトも,イエスについての訴えを審理した時,裁きの座に着いていました。

      c 「信教の自由のために上訴した現代の例」という囲みを参照。

      d 「ヘロデ・アグリッパ2世」という囲みを参照。

      e クリスチャンになったパウロは,イエスがメシアだと信じていました。イエスを信じないユダヤ人たちは,パウロのことをユダヤ教を捨てた背教者と見ていました。(使徒 21:21,27,28)

      f パウロが「真昼に」旅をしていたことに注目して,ある聖書学者はこう言っています。「旅人はよほど急いでいない限り,真昼の暑い時間は休息を取った。それゆえ,パウロが,迫害するというこの使命にどれほど燃えていたかが分かる」。

  • 「誰も命を失いません」
    神の王国について徹底的に教える
    • 26章

      「誰も命を失いません」

      船が難破しそうになる中,パウロは神が助けてくれることを信じ,みんなを勇気づけた

      使徒 27:1–28:10

      1,2. パウロはこれからどんな旅をしますか。どんなことが心配だったかもしれませんか。

      「カエサルのもとに行くように」。パウロはフェストにそう言われてから,いろんなことを考えたはずです。この先どうなるのでしょうか。これまでの2年,ずっと拘禁されていたので,ローマへの長旅は大きな変化になります。(使徒 25:12)でも,今までの船旅で思い出すのは,爽やかな潮風やきれいな水平線だけではありません。海を越えてカエサルの所に行くまでにどんなことがあるか,心配になったかもしれません。

      2 パウロは何度も「海での危険」に遭ったことがありました。3度難船したことがあり,海の上を一昼夜,漂ったこともあります。(コリ二 11:25,26)しかも,今回の旅はこれまでの宣教旅行とはだいぶ違います。捕らわれの身での旅になりますし,かなりの距離を移動します。カエサレアからローマまでは3000㌔以上あります。無事にたどり着けるでしょうか。たどり着いたとしても,待っているのは死刑判決なのでしょうか。ローマで,当時の世界の最高権力者に裁かれることになっています。

      3. パウロはどんな決意でいましたか。この章ではどんなことを考えますか。

      3 パウロは今後のことを考えて,絶望したり気力を失ったりするでしょうか。これまで私たちが読んできたパウロは,そういう人ではありません。試練が待ち受けていることを知っていましたが,具体的にどんな経験をするかは分かりませんでした。心配してもどうにもならないことを考えても,意味がありません。宣教が楽しめなくなるだけです。(マタ 6:27,34)エホバがパウロに願っているのは,行った先々で神の王国の良い知らせについて語ることでした。そうやって権力者たちにも良い知らせを伝えてほしい,とエホバは思っていました。(使徒 9:15)パウロはそれが分かっていたので,何があっても自分の使命を果たす気でした。私たちもそのつもりではないでしょうか。では,パウロにどのように倣えるかを考えながら,旅の様子を見てみましょう。

      「向かい風だった」(使徒 27:1-7前半)

      4. パウロはどんな船に乗りましたか。誰が一緒でしたか。

      4 ユリウスというローマの士官が,パウロとほかの囚人たちを護送することになります。ユリウスは,カエサレアに来ていた商船に乗ることにします。小アジア西岸の港アドラミティオンから来ていた船です。アドラミティオンは,レスボス島の町ミテレネの向かい側にありました。船は北上してから西に向かい,途中の港に立ち寄って荷物の揚げ降ろしをしながら,進みます。旅行者が乗るのに適した船ではありませんでした。もちろん,囚人にとっても快適な船ではありません。(「船旅と通商航路」という囲みを参照。)幸い,乗っていたクリスチャンはパウロ1人ではありませんでした。仲間が少なくとも2人いました。アリスタルコと,旅の記録を書いたルカです。2人が自費で付いていくことを申し出たのか,パウロの付き添いとして同行することを許可されたのかは分かりません。(使徒 27:1,2)

      船旅と通商航路

      昔,船は主に荷物を運ぶためのもので,客を乗せるためのものではありませんでした。船で旅をしようと思う人は,行きたい方面に向かう商船を探し,運賃の交渉をし,船が出るのを待ちました。

      多くの船が地中海を行き交い,食糧その他の品物を運びました。そういう船の乗客はたいてい甲板で眠らなければいけませんでした。夜になると自分でテントのようなものを立ててそこで眠り,朝にはそれを片付けたと思われます。食料や寝具など,旅に必要な物は全て持参しなければいけませんでした。

      船旅にかかる日数は風次第でした。冬は悪天候だったので,11月半ばから3月半ばまでは,普通,航海には出ませんでした。

      1世紀の船。船首と船尾,4つの各部。1. かじ。2. 主帆。3. いかり。4. 前帆。

      5. パウロはシドンでどんなことを楽しめましたか。そこから,どんなことを学べますか。

      5 船は1日かけて北に110㌔進み,シリア沿岸のシドンに停泊します。ユリウスはパウロを通常の犯罪者のようには扱わなかったようです。有罪とは決まっていないローマ市民だったからでしょう。(使徒 22:27,28; 26:31,32)ユリウスはパウロに,船を下りて仲間たちに会いに行くのを許可しました。兄弟姉妹は,長らく拘禁されていたパウロを喜んでもてなしたはずです。私たちも仲間を積極的にもてなしたいと思います。そうすれば,自分も元気をもらえます。(使徒 27:3)

      6-8. シドンからクニドスまで旅はどのように進みましたか。その間パウロはどのように伝道したと考えられますか。

      6 船はシドンを出て沿岸をさらに進み,キリキア地方のそばを通り過ぎます。パウロの故郷タルソスの近くです。ルカはその間どこかに停泊したとは記録しておらず,「向かい風だった」とだけ書いています。うまく航行できるか少し心配になったかもしれません。(使徒 27:4,5)それでも,きっとパウロはいつでも良い知らせについて話していたことでしょう。船の中で囚人や乗組員たち,兵士たちに話し,停泊した港の人たちにも伝道したはずです。私たちも,出会ういろんな人たちに神の王国について語りたいと思います。

      7 やがて,船は小アジア南岸の港ミラに着きます。パウロたちはそこで,目的地のローマに向かう船に乗り換えます。(使徒 27:6)当時,ローマにはエジプトから穀物が多く運ばれてきていて,エジプトの穀物船がミラに寄港しました。ユリウスはその船を見つけ,兵士と囚人たちを乗せました。最初の船よりもずっと大きい船だったと思われます。小麦を多く積み,乗組員,兵士,囚人,ほかの乗客など276人が乗っています。船を乗り換えたことで,また新たな人たちに良い知らせを伝えられるようになりました。パウロはできるだけ多くの人と話したはずです。

      8 次に寄港したのは,小アジアの南西の端にあるクニドスです。追い風であれば,そこまで1日ほどで行けます。でも,「船は何日もの間ゆっくりと進み,やっとのことでクニドスに着いた」と,ルカは書いています。(使徒 27:7前半)天候が悪くなってきていました。(「地中海の向かい風」という囲みを参照。)船は,激しい風と荒波にもまれながら進んでいきます。

      地中海の向かい風

      昔,商船が地中海(大海)のどこをいつ航行するかは,風と季節に左右されました。東の端の方では,1年の中ごろにはたいてい西から東に風が吹いたので,東に向かう方が楽でした。パウロが3度目の宣教旅行から帰る時もそうでした。パウロたちが乗った船は,ミレトスを出てロードスに向かい,パタラに行って停泊しました。そこからフェニキア沿岸のティルスまではほぼ一直線でした。ルカは,キプロス島を左に見て通り過ぎたと書いています。キプロス島の南側を通ったということです。(使徒 21:1-3)

      逆方向つまり西に向かう航海は,どうだったのでしょうか。風向きが良ければ,同じようなルートで西に行けたかもしれません。しかし,それがほぼ無理なこともありました。「国際標準聖書百科事典」(英語)にはこうあります。「冬は,大気がかなり不安定だった。強力な低気圧が地中海を東に進み,時に強風級にもなる激しい風を伴い,しばしば豪雨を,また雪をさえ降らせた」。こうした天候での航海は,非常に危険でした。

      たいていどの季節でも,船はパレスチナ沿岸を北上してからパンフリアの沿岸を西に向かうことができました。その航路の後半では,本土からの風と西向きの潮流に助けられました。捕らわれの身のパウロがローマへの旅で最初に乗った船がそうでした。でも,向かい風のこともありました。(使徒 27:4)ルカの記録に出てくる穀物船は,エジプトから北上した後,キプロス島と小アジアの間の安全な水域を通ったのかもしれません。船長はミラからさらに西へ行き,ギリシャの先端を回ってイタリアの西岸を進もうとしました。(使徒 27:5,6)しかし,風向きが悪く,航海が難しい季節だったため,そうできませんでした。

      「船が嵐にひどくもまれていた」(使徒 27:7後半-26)

      9,10. クレタ島の近くでどんなことがありましたか。

      9 船はクニドスからさらに西に向かう予定でしたが,「風のせいで進路を阻まれた」と,船に乗っていたルカは書いています。(使徒 27:7後半)船は本土から離れ,沿岸流を利用できなくなり,北西からの強烈な向かい風を受けて,南へ押し流されます。きっとすごい速さだったでしょう。以前にはキプロス島を風よけにして進んだことがありましたが,今回はクレタ島を風よけにすることにします。クレタ島の東端のサルモネ岬を過ぎると,風が少し穏やかになります。船が島の南側に回り,島で風がいくらか遮られたからです。みんなほっとしたことでしょう。でも,いつまでも安心してはいられません。冬が近づいていました。冬の海は非常に危険です。

      10 ルカは,「やっとのことで[クレタ島の]沿岸を進み,良い港と呼ばれる場所に着いた」と書いています。島を風よけにしていても操縦に苦労したことが分かります。でも,ようやく小さな入り江に停泊場所を見つけました。海岸線が北に折れる少し手前だと思われます。ここにいつまでいるのでしょうか。「かなりの時が過ぎ」た,とルカは書いています。でも,待てば待つほど冬に近づき,航海が困難になります。9月や10月の船旅には危険が伴いました。(使徒 27:8,9)

      11. パウロはどんなことを勧めましたか。しかし,どうすることになりましたか。

      11 パウロは地中海を旅した経験があったので,意見を尋ねられたかもしれません。航海を続けないことを勧めます。もし続ければ,「危険な目に遭い,多くが失われます」。人の命も失われかねません。でも,船長や船主は行きたがり,ユリウスを説得します。冬の滞在に適した場所を早く見つけなければいけない,と思ったのかもしれません。大多数の人が,沿岸を進んだ所にあるフォイニクスを目指してみるべきだと考えます。そこは,冬を過ごせそうな,いくらか大きい港町だったのかもしれません。穏やかな南風が吹いてきて,一見,安全そうに思えた時に船を出発させました。(使徒 27:10-13)

      12. 出港後,どんなことが起きましたか。乗組員たちはどのように切り抜けようとしましたか。

      12 ところが出港して間もなく,北東から「暴風」が吹いてきます。それで,「良い港」から65㌔ほど離れた「カウダという小さな島」の近くに行って風をよけようとします。それでも,南に流されてアフリカ沖の砂州に乗り上げる危険があります。そうならないよう,乗組員たちは必死で策を講じます。まず,後ろにつながれていた小舟を引き上げます。小舟に水がたくさん入っているので,大変です。それから,船がばらばらにならないよう綱か鎖を船の下に回し,船体を縛ります。そして,索具類,帆や帆綱を降ろし,力を振り絞って船首を風に向け,嵐を切り抜けようとします。本当に恐ろしかったはずです。どんなに対策をしても,船は「嵐にひどくもまれ」続けます。3日目には,用具を海に投げ捨てます。浮力を得るためにそうしたと思われます。(使徒 27:14-19)

      13. 嵐の間,船の中はどんな様子だったはずですか。

      13 みんな恐怖におびえていたはずです。でもパウロたちは動じていません。パウロはイエスから,ローマで伝道することになるとはっきり言われていました。(使徒 19:21; 23:11)その後,天使も同じことを言いました。猛烈な嵐が2週間,昼も夜も続きます。雨が降り続き,厚い雲に遮られて太陽も星も見えないため,船の位置も方向も確認できません。まともな食事もできません。寒さ,雨,船酔い,恐怖のあまり,何も食べる気になりません。

      14,15. (ア)パウロが,前にしたアドバイスに触れたのはどうしてですか。(イ)命が救われることをパウロがみんなに伝えたことから,私たちはどんなことを学べますか。

      14 パウロは立ち上がって話し始め,出発前に航海を続けないよう勧めたことに触れます。でも,「だから言っただろ」というふうにみんなを責めているわけではありません。とはいえこうなった今,パウロのアドバイスが正しかったことは確かです。パウロが言うことには耳を傾けた方がよいのです。パウロはこう続けます。「勇気を出してください。誰も命を失いません。失われるのは船だけです」。(使徒 27:21,22)そう聞いて,みんなほっとしたことでしょう。パウロは,みんなの命が救われることをエホバから知らされていました。そのことを伝えられてうれしかったはずです。エホバが一人一人の命を大切に見ていることが分かります。「エホバは……一人も滅ぼされることなく,全ての人が悔い改めることを望んでいる」と,使徒ペテロも書いています。(ペテ二 3:9)命が救われるという希望について,私たちができるだけ多くの人に伝えることは本当に大切です。一人一人の大切な命が懸かっているからです。

      15 パウロはこれまで,「神[の]約束の実現を待っている」ことについて,船の中で話してきたはずです。(使徒 26:6。コロ 1:5)船が難破しかけた今,パウロは,命が助かることを神が約束していると話します。「私が崇拝し……ている神から天使が遣わされ,昨夜,私のそばに立って,こう言いました。『パウロ,恐れることはありません。あなたはカエサルの前に立たなければなりません。神はあなたのために,船に乗っている人を皆,救ってくださいます』」。そして,こう勧めます。「それで皆さん,勇気を出してください。神がその通りにしてくださる,と私は信じています。とはいえ,私たちはどこかの島に流れ着くことでしょう」。(使徒 27:23-26)

      「全員が無事に陸にたどり着いた」(使徒 27:27-44)

      人でいっぱいの船倉でパウロが祈っている。頭を垂れている人もいれば,ただ見ている人もいる。みんな疲れ切っている。重ねた木箱の上に,平たいパンが載っている。

      「パウロは……皆の前で神に感謝し[た]」。使徒 27:35

      16,17. (ア)パウロはいつどんな場面で祈りましたか。祈りを聞いて,みんなどう感じましたか。(イ)どのようにして,パウロが言った通りになりましたか。

      16 恐怖におびえた2週間が過ぎ,船が870㌔ほど流された頃,船乗りたちは,陸地に近づいているのではないかと感じます。岸に打ち付ける波の音が聞こえたのかもしれません。それで,船尾からいかりを投じます。漂流を避け,船首を陸の方に向けておくためです。そうすれば,浜辺に着岸するときに備えられます。船乗りたちはそれから,小舟でこっそり逃げようとしますが,兵士たちに阻まれます。パウロが士官と兵士たちに,「あの人たちが船にいなければ,皆さんは助かりません」と言ったからです。船がいくらか安定したので,パウロはみんなに食事を取るよう勧めます。命が助かることをもう一度伝えてから,祈って「皆の前で神に感謝し」ます。(使徒 27:31,35)パウロの心からの祈りを聞いて,ルカとアリスタルコは自分もそういう祈りをしようと思ったはずです。私たちも考えさせられます。代表して祈るとき,心が温かくなるような祈りを捧げているでしょうか。

      17 パウロの祈りが終わると,「皆は勇気づけられ,食べだし」ます。(使徒 27:36)その後,積み荷の小麦を投げ捨て,船をさらに軽くします。岸に近づいた時に,できるだけ浅い所まで行けるようにするためです。夜が明けると,乗組員たちはいかりを断ち切り,船尾のかじの綱をほどき,前方の小さな帆を揚げて,浜辺に近づく時に少しでも操縦できるようにします。やがて,船の前部がおそらく砂州か泥にめり込み,船尾が波に打たれて壊れ始めます。兵士たちは,囚人たちが逃げてしまわないよう殺そうとしますが,ユリウスが止めます。ユリウスはみんなに,泳ぐか何かにつかまるかして岸に向かうよう命じます。こうして,パウロが言った通り,276人全員が生き延びました。「全員が無事に陸にたどり着いた」とあります。でも,どこに着いたのでしょうか。(使徒 27:44)

      「非常に親切にしてくれた」(使徒 28:1-10)

      18-20. マルタ島の人たちはどんなことをしてくれましたか。神はどんな奇跡を起こしましたか。

      18 漂着したのは,シチリアの南にあるマルタ島でした。(「マルタ どの島のことか」という囲みを参照。)外国語を話す島の人たちが「非常に親切にしてくれ」ます。(使徒 28:2)ずぶぬれで震えている見知らぬ人たちのために,浜辺でたき火をしてくれます。雨が降る寒い中でしたが,たき火のおかげで温まることができました。その後,奇跡も起こります。

      19 パウロはみんなのために自分も何かしようとして,小枝を集めて火にくべます。すると,毒蛇が出てきて,パウロの手にかみつきます。それを見たマルタ島の人たちは,神罰だと考えます。a

      20 パウロがかまれたので,「腕が腫れ上がる」だろうと島の人たちは思いました。ある文献によれば,ここで使われているギリシャ語は「医学用語」です。「医者ルカ」らしい表現です。(使徒 28:6。コロ 4:14)結局,パウロは毒蛇を振り払い,全く無事でした。

      21. (ア)ルカの記録が正確であることが,どんな表現から分かりますか。(イ)パウロはどんな奇跡を起こしましたか。奇跡を見て,島の人たちはどうしましたか。

      21 ポプリオという裕福な地主が近くに住んでいました。ポプリオはマルタ島でローマの役人を務めていたのかもしれません。「島の主立った人」とルカは書いています。これは,マルタ島で見つかった2つの碑文にも出てくる称号です。ポプリオはパウロたちを3日間もてなします。あいにくポプリオの父親は病気でした。「熱と赤痢に苦しんで横になっていた」とルカは書き,ここでも病状を詳しく記録しています。パウロが祈ってから手を置くと,父親は癒やされます。島の人たちはいたく感激し,病気の人たちを連れてきて癒やしてもらおうとしました。そして,パウロたちのために必要な物をいろいろと持ってきて,贈り物をしました。(使徒 28:7-10)

      22. (ア)ある教授は,ルカの記録についてどんなことを言っていますか。(イ)次の章ではどんなことを調べますか。

      22 こうして見てきたパウロの船旅についての記録は,とても正確です。「ルカの記述は,聖書全体の中でも特に描写的で生き生きとしている。1世紀の操船術についての詳細はとても的確である上,地中海東部の様子の描写はとても正確なので,……日誌に基づいていると思われる」とある教授は言っています。ルカはパウロと旅をしながら,きっとそういうメモを取っていたのでしょう。旅の続きについて,ルカはどんなことを書いているでしょうか。ローマに着いたパウロはどうなったでしょうか。見てみましょう。

      マルタ どの島のことか

      パウロが漂着した「マルタ」はどの島かについて,いろいろな意見があります。ある説では,ギリシャ西岸沖のコルフ島に近い島とされています。また,「使徒の活動」に出てくる「マルタ」に相当するギリシャ語メリテーに基づいた説もあります。その説によると,現在はムリエト島として知られるメリテ・イリリカ島だとのことです。アドリア海のクロアチア沿岸の島です。

      使徒 27章27節には「アドリアの海」とありますが,当時,「アドリア」は現在のアドリア海よりも広い海域を指しました。イオニア海,シチリアの東の水域,クレタ島の西の水域も含んでいたので,現代のマルタ島付近の海も含まれていました。

      パウロが乗った船は,クニドスから南下してクレタ島の南を通ることになりました。嵐の中,強い風が吹き付けたことを考えると,船がその後,向きを変えて北のムリエト島まで,あるいはコルフ島近くの島まで行ったはずはありません。「マルタ」の位置はもっと西であるはずです。漂着した島は,シチリアの南のマルタ島だと考えられます。

      a マルタ島の人たちがその毒蛇について知っていたことから,当時,島に毒蛇が生息していたことが分かります。現在,マルタ島に毒蛇はいないようです。時の経過により環境が変わったのかもしれませんし,人口が増えたことによりいなくなったのかもしれません。

  • 「徹底的に教え[た]」
    神の王国について徹底的に教える
    • 27章

      「徹底的に教え[た]」

      パウロはローマで,軟禁されていながらも伝道を続けた

      使徒 28:11-31

      1. パウロたちは今後どうなることを確信していますか。

      時は59年ごろ,地中海のマルタ島から出航した船がイタリアに向かっています。大型の穀物輸送船と思われ,「ゼウスの子たち」の船首像が付いています。護送中のパウロと,仲間のルカとアリスタルコが乗っています。(使徒 27:2)乗組員たちとは違い,3人はギリシャの神ゼウスの子たち(双子の兄弟カストルとポリュクス)に守ってもらおうとは思いません。(スタディー版の使徒 28:11の注釈を参照。)パウロたちはエホバ神に頼っています。パウロはエホバから,ローマでも神の王国について語り,カエサルの前に立つことになる,と言われています。(使徒 23:11; 27:24)

      2,3. パウロが乗った船はどんなルートを進みましたか。旅するパウロを誰がずっと支えてきましたか。

      2 船はシチリアの美しい町シラクサ(アテネやローマ並みの大きな町)に3日間停泊した後,レギウムへ向けて出航します。長靴形のイタリア半島のつま先に位置する町です。南風のおかげで320㌔の航路を順調に進み,2日目にはイタリアのポテオリ(現代のナポリの近く)の港に到着します。(使徒 28:12,13)

      3 ローマへの旅も終わりに近づき,パウロは皇帝ネロの前に出ることになっています。「あらゆる慰めの神」エホバがこれまでずっと支えてくれました。(コリ二 1:3)これからもエホバに支えられながら,宣教者のパウロは熱い思いで語り続けます。見てみましょう。

      「パウロは……神に感謝し,勇気づけられた」(使徒 28:14,15)

      4,5. (ア)パウロたちは,ポテオリの兄弟たちにどのように迎えられましたか。パウロが自由に行動できたのはどうしてだと考えられますか。(イ)刑務所でも良い振る舞いをすることが大切なのは,どうしてですか。

      4 パウロたちは,ポテオリで「兄弟たちに出会い,頼まれて7日間一緒に過ごし」ます。(使徒 28:14)ポテオリの兄弟たちは,パウロたちを温かくもてなしました。素晴らしいことです。たくさん与えたかもしれませんが,得られたものはそれよりもずっと多かったはずです。パウロたちの話を聞いて,神への奉仕にますます打ち込もうと思ったことでしょう。とはいえ,護送中のパウロがどうしてそんなに自由に行動できたのでしょうか。ローマの兵士たちに信頼されるようになっていたから,と思われます。

      5 現代でも,刑務所や強制収容所でキリストに倣った振る舞いをして,優遇を受けるケースがあります。ルーマニアでは,強盗罪で75年の刑に服していた男性が聖書を学び始め,とても良い人になりました。すると,刑務所で使う物品を買いに行く仕事を頼まれるようになりました。信頼されていたので,監視なしで町に買い物に行きました。いつも誠実でいることは大切です。そうすれば,エホバが褒めたたえられます。(ペテ一 2:12)

      6,7. ローマの兄弟たちが仲間を心から愛していたことは,どんなことから分かりますか。

      6 ポテオリを出たパウロたちは,アッピア街道をおそらく50㌔ほど歩いてカプアに行きます。アッピア街道はローマへ通じる有名な道で,大きな平たい火山岩が敷き詰められていました。途中,イタリアの美しい田園風景が見渡せ,きれいな地中海が見える場所もあります。ローマから60㌔ぐらい手前にはポンティノ湿地があり,そこにアピウスの市場がありました。ルカの記録によれば,ローマの兄弟たちは「[パウロたち]についての知らせを聞いて」,アピウスの市場まで迎えに来ました。ほかにも,ローマから約50㌔の休憩所,三軒宿まで来て,そこで待つ人たちもいました。パウロたちを本当に愛していたことが分かります。(使徒 28:15)

      7 疲れてやって来た旅人にとって,アピウスの市場は心地よい場所とはとても言えませんでした。ローマの詩人で風刺家のホラティウスは,アピウスの市場は「船乗りや無愛想な宿屋の主人でいっぱいだった」と書いています。さらに,「そこの水は最悪だった」と書いていて,そこで食事もしませんでした。兄弟たちはローマからそんな居心地の悪い場所にやって来て,パウロたちを待ち,ローマまで付き添いました。

      8. パウロが「兄弟たちを見ると」,神に感謝したのはどうしてですか。

      8 「パウロは兄弟たちを見ると,神に感謝し,勇気づけられた」と書かれています。(使徒 28:15)パウロがもともと知っていた人も,兄弟たちの中にいたかもしれません。いずれにしても,パウロは兄弟たちの姿を見ただけで,心強く感じ,元気が出ました。神に感謝したのはどうしてでしょうか。純粋な愛は,神の聖なる力が生み出すものの一面だからです。(ガラ 5:22)現代のクリスチャンも聖なる力に動かされて,困っている仲間を進んで助けています。(テサ一 5:11,14)

      9. ローマの兄弟たちにどのように倣えますか。

      9 巡回監督,宣教者,その他の全時間奉仕者は,エホバへの奉仕のためにとても多くの時間を使っています。聖なる力は,そういう人たちのために何かをしたいという気持ちを起こさせます。「巡回監督の訪問をサポートするために,自分にできることはないだろうか。もっと歓迎したりもてなしたりできるだろうか。一緒に伝道できるだろうか」などと考えてみましょう。思い切って何かをしてみると,楽しい経験ができるものです。ローマの兄弟たちも,パウロたちからこれまでの経験を聞いて喜び,信仰が強まったはずです。(使徒 15:3,4)

      「各地で反対に遭っている」(使徒 28:16-22)

      10. ローマに着いたパウロはどうなりましたか。間もなくして,どんなことをしましたか。

      10 一行がついにローマに入ると,「パウロは兵士の監視の下に1人で暮らすことを許可され」ました。(使徒 28:16)軟禁の場合,囚人はたいてい見張りの兵士に鎖でつながれました。パウロはそうされても,神の王国について語るのをやめませんでした。旅を終えてわずか3日を休息に充てた後,ローマにいるユダヤ人の主立った人たちを家に呼びます。あいさつを交わしてから,伝道を始めました。

      11,12. パウロはどのように話して,ユダヤ人たちの感情に配慮しましたか。

      11 パウロはこう言います。「皆さん,兄弟たち,私は,民に背くことや父祖たちの習慣に反することは何もしていなかったのに,エルサレムで囚人とされ,ローマ人に引き渡されました。ローマ人は私を取り調べましたが,処刑の根拠が何もなかったので,釈放しようと思いました。ところが,ユダヤ人が反対したので,私はカエサルに上訴するしかありませんでした。とはいえ,自分の国民を訴えようとしたのではありません」。(使徒 28:17-19)

      12 パウロは「兄弟たち」と呼び掛けました。そうやって自分も同じユダヤ人であることを伝え,偏見を取り除こうとしました。(コリ一 9:20)そして,ここに来たのはユダヤ人を訴えるためではなく,カエサルに上訴するためだと言います。ところが,ローマのユダヤ人はパウロの上訴について何も聞いていませんでした。(使徒 28:21)ユダヤ地方のユダヤ人から連絡が来ていなかったのはどうしてでしょうか。ある文献にはこうあります。「パウロの船は,冬が終わって間もなくイタリアに着いた船だったに違いない。それで,エルサレムのユダヤ人の権力者たちが派遣した代表者たちはまだ着いておらず,この件に関する手紙もまだ届いていなかったのだろう」。

      13,14. パウロはどのようにして,神の王国について話そうとしましたか。パウロにどのように倣えますか。

      13 パウロは,神の王国に関係したトピックにさりげなく触れ,ユダヤ人たちの興味を引こうとします。こう言います。「それで,皆さんと会って話したい,とお願いした次第です。私はイスラエルの希望のためにこうして鎖につながれているのです」。(使徒 28:20)イスラエルの希望のよりどころはメシアとメシア王国であり,クリスチャン会衆はまさにそのことについて広く伝えていました。ユダヤ人の長老たちはこう答えます。「あなたの考えをあなたから聞くのがいいと思います。この一派については,各地で反対に遭っていることを知っているからです」。(使徒 28:22)

      14 パウロに倣い,良い知らせを伝える時に興味を引くことを言ったり尋ねたりできます。どんなことを話せるかについて,「神権宣教学校の教育から益を得る」,「読むことと教えることに励む」,「生活と奉仕 集会ワークブック」などの出版物からヒントを得られます。ぜひ参考にしてみましょう。

      「徹底的に教え[た]」パウロに倣う(使徒 28:23-29)

      15. パウロの教え方のどんなところに倣えますか。

      15 会う約束をした日,ローマのユダヤ人たちが「もっと大勢で」,パウロの家にやって来ます。パウロは「朝から晩まで,神の王国について徹底的に教えて説明し,イエスについてモーセの律法と預言者の書の両方から説得しようとし」ました。(使徒 28:23)パウロの教え方について,注目したいことが4つあります。(1)神の王国について話しました。(2)納得してもらえるように話しました。(3)聖書を使って説明しました。(4)「朝から晩まで」精力的に教えました。私たちも同じようにしたいと思います。聞いていた人たちはどうしたでしょうか。「信じるようになる人もいれば,信じようとしない人もい」ました。意見が分かれ,「人々が立ち去り始め」た,とルカは記録しています。(使徒 28:24,25前半)

      16-18. ローマのユダヤ人の中に信じない人がいても,パウロが動揺しなかったのはどうしてですか。伝道で冷たくあしらわれるとき,パウロにどのように倣えますか。

      16 信じない人がいても,パウロは別に動揺しませんでした。聖書の預言通りでしたし,これまでもよくあったことでした。(使徒 13:42-47; 18:5,6; 19:8,9)それで,立ち去る人たちにこう言います。「預言者イザヤは聖なる力によって皆さんの父祖たちに適切に語り,こう述べました。『この民の所に行って言いなさい。「あなたたちは確かに聞くが,決して理解せず,確かに目を向けるが,決して見えない。この民は心が鈍くな[って]しまったからである」』」。(使徒 28:25後半-27)「心が鈍くなり」と訳されている部分は,「心が厚くされ」とか「心が太らされ」とも訳すことができ,神の王国の良い知らせが心に入っていかなくなった状態を表しています。そうなってしまうのは,とても残念なことです。(スタディー版の使徒 28:27の脚注を参照。)

      17 ユダヤ人は信じませんでしたが,パウロは,「異国の人々……はきっと耳を傾けます」と最後に言います。(使徒 28:28。詩 67:2。イザ 11:10)パウロは,確信を持ってそう言えました。これまで,たくさんの異国人が良い知らせを聞いて生き方を変えるのを見てきたからです。(使徒 13:48; 14:27)

      18 パウロのように,伝道で冷たくあしらわれてもがっかりしないようにしましょう。「命に至る」生き方をする人は少ない,と聖書に書かれているからです。(マタ 7:13,14)誠実に耳を傾ける人がエホバに喜ばれる生き方を始めるとき,一緒に喜び,温かく迎え入れましょう。(ルカ 15:7)

      「神の王国について伝え[た]」(使徒 28:30,31)

      19. できることが限られていても,パウロはどのようにベストを尽くしましたか。

      19 「使徒の活動」の記録は,前向きなトーンで締めくくられています。「パウロは,借りた家に丸2年とどまり,会いに来る人を皆親切に迎え,妨げられることなく,少しも気後れせずに,神の王国について伝えたり主イエス・キリストについて教えたりした」。(使徒 28:30,31)パウロはやって来る人を歓迎し,信仰を貫き,熱い心で伝道を続けました。

      20,21. 軟禁中のパウロから,どんな人たちが良い感化を受けましたか。

      20 パウロが温かく迎えた人の中に,オネシモがいます。オネシモは逃亡奴隷で,コロサイから逃げてきていました。オネシモはパウロに教えられてクリスチャンになり,「[パウロ]の愛する忠実な兄弟」になりました。パウロは,オネシモは「自分の子のよう」で,自分は「父親も同然」だ,と言っています。(コロ 4:9。フィレ 10-12)パウロは,オネシモがいてくれてとてもうれしかったはずです。a

      21 パウロのめげない姿勢は,オネシモ以外の人たちにも良い感化を与えました。パウロはフィリピのクリスチャンにこう書いています。「私の身に起きたことにより,良い知らせはとどめられるどころか,かえって広まっています。私がキリストのために拘禁されていることが,親衛隊の全員とほかのあらゆる人たちに知られるようになっています。そして,私が拘禁されていることで,主に従う兄弟たちの大半が確信を持ち,恐れることなく,ますます勇敢に神の言葉を語っています」。(フィリ 1:12-14)

      22. パウロは軟禁中にどんなこともしましたか。

      22 パウロは軟禁中に手紙を何通か書きました。現在ギリシャ語聖書の一部になっている手紙です。b 当時のクリスチャンたちは手紙から多くのことを学びました。パウロが聖なる力に導かれて書いた手紙なので,今も役立ち,私たちも多くのことを学べます。(テモ二 3:16,17)

      ローマでの1度目の拘禁の間にパウロが書いた5通の手紙

      使徒パウロの手紙のうち5通は,ローマでの1度目の拘禁の間に書かれました。60年から61年ごろのことです。パウロは,クリスチャンだった「フィレモンへの手紙」の中で,フィレモンの所から逃げ出した奴隷オネシモについて書きました。パウロはオネシモのことをわが子のように思っていました。オネシモは「以前は……役に立」たない奴隷でしたが,今はクリスチャンになっていて,主人のフィレモンにとっても愛すべき兄弟です。パウロは手紙でそのことをフィレモンに伝え,オネシモを送り返しました。(フィレ 10-12,16)

      パウロは「コロサイのクリスチャンへの手紙」の中で,オネシモが「皆さんの所から来た」と言っています。(コロ 4:9)オネシモとテキコは,「フィレモンへの手紙」,「コロサイのクリスチャンへの手紙」,「エフェソスのクリスチャンへの手紙」を届ける役目を果たしました。(エフェ 6:21)

      パウロは「フィリピのクリスチャンへの手紙」の中で,自分が「拘禁されている」と言い,手紙を届ける人についても書いています。手紙を届けるのはエパフロデトです。エパフロデトは,フィリピのクリスチャンたちがパウロをサポートするために送り出した兄弟でした。でも,病気になり,命にかかわるほど悪くなりました。また「自分が病気になったのを……知られたことで」気落ちしていました。それでパウロは,「彼のような人」を大切にするようにと書いています。(フィリ 1:7; 2:25-30)

      「ヘブライ人のクリスチャンへの手紙」は,ユダヤにいるヘブライ人のクリスチャンに宛てて書かれました。誰が書いたかははっきり書かれていませんが,パウロだといえます。パウロらしい論じ方の手紙です。パウロはイタリアからあいさつを伝え,一緒にローマにいたテモテのことに触れています。(フィリ 1:1。コロ 1:1。フィレ 1。ヘブ 13:23,24)

      23,24. 現代のクリスチャンはパウロにどのように倣っていますか。

      23 パウロの釈放については「使徒の活動」に書かれていませんが,合わせて4年ほど拘禁されていたことになります。カエサレアで2年,ローマで2年です。c (使徒 23:35; 24:27)それでも,パウロの心はいつも前向きで,エホバのためにできる限りのことをしました。現代でも,信仰を貫いて刑務所に入れられたエホバの証人たちが,パウロと同じようにしています。スペインのアドルフォは,兵役を拒否したために監房に入れられました。ある士官はこう言いました。「君には全く感心するよ。われわれは君の生活を耐え難いものにしてきた。それなのに,厳しい仕打ちをすればするほど,君はより笑顔になり,優しい話し方をした」。

      24 アドルフォはとても信頼されるようになり,監房の扉が開けっ放しにされました。兵士たちが聖書について尋ねによくやって来ました。見張りの兵士の1人は,監房の中に入って聖書を読むようになりました。その間,アドルフォが見張りをしました。囚人が監房で見張りをしたのです。こういう例を知ると,「恐れることなく,ますます勇敢に神の言葉を語」ろうという気持ちになります。

      25,26. イエスが弟子たちに与えた任務は,30年足らずのうちにどんな進展を見ましたか。現代はどうですか。

      25 軟禁されていても,パウロはやって来る人たちに「神の王国について伝え」ました。「使徒の活動」の締めくくりに何ともふさわしいエピソードです。宣教に打ち込んだ使徒たちの物語は,最後も伝道についての記録で終わっています。この本の1章で,使徒 1章8節を読みました。そこにはイエスが弟子たちに与えた任務が書かれています。「聖なる力があなたたちに働く時,あなたたちは力を受け,エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,また地上の最も遠い所にまで,私の証人となります」と,イエスは言いました。(使徒 1:8)それから30年足らずで,神の王国の良い知らせは「天の下の至る所で伝えられ」ました。d (コロ 1:23)神の聖なる力がいかに強力であるかが分かります。(ゼカ 4:6)

      26 今も聖なる力が働いています。天に行くことになっているキリストの兄弟たちと「ほかの羊」が,聖なる力に助けられながら,世界中で「神の王国について徹底的に教えて」います。240の国や地域で,良い知らせが伝えられています。(ヨハ 10:16。使徒 28:23)あなたも伝道を楽しんでいますか。

      61年以降のパウロ

      61年ごろ,パウロは皇帝ネロの前に出て,無罪を宣告されたようです。その後のパウロについて,あまり多くのことは分かっていません。スペインに行く計画を実行したとすれば,この時期のことと思われます。(ロマ 15:28)パウロは「西の最果てに」行った,とローマのクレメンスは95年ごろに書いています。

      釈放後に書かれた3通の手紙(テモテ第一,テモテ第二,テトス)から,パウロがクレタ島,マケドニア地方,ニコポリス,トロアスを訪れたことが分かります。(テモ一 1:3。テモ二 4:13。テト 1:5; 3:12)パウロが再び逮捕されたのは,おそらくギリシャのニコポリスです。いずれにしても,パウロは65年ごろ,ローマで再び拘禁されていました。ネロは,今度は死刑を宣告したようです。ローマの歴史家タキトゥスによれば,64年のローマ大火の時,ネロは大火をクリスチャンのせいにし,残忍な迫害を始めました。

      パウロは自分の死が近いと感じ,テモテへの2通目の手紙の中で,マルコと一緒にすぐに来てほしいとテモテに言っています。パウロを力づけるために命を懸けたルカとオネシフォロの勇気は注目に値します。クリスチャンであることを明らかにすれば,逮捕されて残酷な方法で処刑されるかもしれなかったからです。(テモ二 1:16,17; 4:6-9,11)パウロは,「テモテへの第二の手紙」を書いて間もなく殉教したようです。65年ごろのことです。伝えられるところによれば,ネロはパウロの殉教から3年ほど後に自殺しました。

      良い知らせが「天の下の至る所で伝えられ[た]」

      61年ごろ,パウロはローマで拘禁されていた時に,良い知らせが「天の下の至る所で伝えられ[た]」と書きました。(コロ 1:23)これはどういう意味だったのでしょうか。

      パウロは,良い知らせが非常に広い範囲に伝わったということを言いたかったようです。もちろん,当時知られていた世界は広く,良い知らせが伝わっていない地域もありました。紀元前4世紀,アレクサンドロス大王がアジアに侵略し,インドとの境界にまで勢力を広げました。紀元前55年にユリウス・カエサルがブリテン島に侵攻し,その後,クラウディウスがその島の南部を征服して,西暦43年にローマ帝国の属州にしました。上質の絹の産地だった極東のことも,当時知られていました。

      良い知らせは,そういったブリテン島や極東でも伝えられていたのでしょうか。そうではなさそうです。パウロは56年ごろ,「手付かずの場所」であるスペインで伝道したいと思っていると言いましたが,「コロサイのクリスチャンへの手紙」を書いた61年ごろには,それがまだ実現していませんでした。(ロマ 15:20,23,24)それでも,その頃には,神の王国のことはすでに広く知られるようになっていました。少なくとも,イエスの使徒たちが訪れた地方や,33年のペンテコステの日にバプテスマを受けたユダヤ人とユダヤ教に改宗した人たちの故国には伝わっていました。(使徒 2:1,8-11,41,42)

      a パウロは,オネシモにずっとそばにいてほしいと思いましたが,それはローマ法に反することでした。オネシモの主人フィレモンの権利を侵害することになります。それで,オネシモはフィレモンの所に戻ることになりました。パウロからの手紙を持って戻りました。パウロは手紙の中で,クリスチャンのフィレモンに,奴隷のオネシモをクリスチャンの兄弟として親切に迎えるよう勧めました。(フィレ 13-19)

      b 「ローマでの1度目の拘禁の間にパウロが書いた5通の手紙」という囲みを参照。

      c 「61年以降のパウロ」という囲みを参照。

      d 「良い知らせが『天の下の至る所で伝えられ[た]』」という囲みを参照。

  • 「地上の最も遠い所にまで」
    神の王国について徹底的に教える
    • 28章

      「地上の最も遠い所にまで」

      エホバの証人は,1世紀のクリスチャンが始めた伝道を今も続けている

      1. 1世紀と現代のクリスチャンについて,どんなことがいえますか。

      1世紀のクリスチャンたちは,熱い心で伝道しました。いつも神の聖なる力に導いてもらおうとしました。迫害に遭っても語り続けました。その頑張りをエホバが後押しし,宣教は大きな成功を収めました。現代のエホバの証人についても同じことがいえます。

      2,3. 「使徒の活動」の魅力はどんなところにありますか。

      2 宣教に情熱を注いだ使徒たちのストーリーを読んで感動し,信仰が強まったのではないでしょうか。神がルカに書かせた「使徒の活動」は,1世紀のクリスチャンについての貴重な歴史記録です。

      3 「使徒の活動」には,95人の人物,32の国や地域,54の町,9つの島が出てきます。そこには,心を揺さぶる多様な人間ドラマが収められています。一般市民,宗教家,政治家,迫害者など,さまざまな人たちが登場します。でもこれは紛れもなく,私たちの兄弟姉妹の活動の記録です。日常の心配事がありながらも宣教に打ち込んだ人たちの熱い生きざまが描かれています。

      4. パウロやタビタなどが身近に感じられるのはどうしてですか。

      4 熱心な使徒のペテロとパウロ,みんなに愛された医者ルカ,心優しいバルナバ,勇敢なステファノ,親切なタビタ,人をよくもてなすルデアなど,信仰のあつい人たちが生きていたのは,今から2000年近くも前のことです。でも,とても身近に感じます。私たちも同じ任務に取り組んでいるからです。クリスチャンになるよう人を助けるという任務です。これは本当に素晴らしい仕事です。(マタ 28:19,20)

      パウロがバルコニーからローマの市街を眺めている。横にいる兵士に鎖でつながれている。

      「地上の最も遠い所にまで……」。使徒 1:8

      5. イエスの弟子たちはどこで伝道しましたか。

      5 イエスが弟子たちに言った言葉をもう一度見てみましょう。こうあります。「聖なる力があなたたちに働く時,あなたたちは力を受け,エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,また地上の最も遠い所にまで,私の証人となります」。(使徒 1:8)聖なる力を受けた弟子たちは,まず「エルサレムで」伝道しました。(使徒 1:1–8:3)それから,「ユダヤとサマリアの全土で」伝道しました。(使徒 8:4–13:3)そして,「地上の最も遠い所にまで」良い知らせを広め始めました。(使徒 13:4–28:31)

      6,7. 今の私たちは1世紀のクリスチャンより,どんなところが恵まれていますか。

      6 1世紀の兄弟姉妹は,今の私たちが持っているような聖書全巻を宣教で使うことはできませんでした。マタイの福音書が完成したのは,41年ごろのことです。パウロの手紙の幾つかは,「使徒の活動」が完成した61年ごろより前に書かれましたが,クリスチャンたちは自分用の聖書を持ってはいませんでした。関心を持った人に渡せる出版物もありませんでした。ユダヤ人のクリスチャンは昔から会堂でヘブライ語聖書の朗読を聞いていましたが,宣教で使うために聖句を覚えなければいけなかったでしょう。相当よく勉強しなければいけなかったはずです。(コリ二 3:14-16)

      7 今の私たちはたいてい自分用の聖書を持っていて,いろいろな出版物を使えます。240の国や地域の人たちにさまざまな言語で伝道し,クリスチャンになるよう助けています。

      聖なる力のサポートがある

      8,9. (ア)イエスの弟子たちは聖なる力を受けてどんなことをしましたか。(イ)忠実な奴隷は,聖なる力に助けられてどんなことをしていますか。

      8 イエスは弟子たちに,「聖なる力があなたたちに働く時,あなたたちは力を受け,……私の証人となります」と言いました。イエスの弟子たちは,神の聖なる力のサポートを受けて伝道し,最終的には世界中に良い知らせを伝えることになっていました。ペテロとパウロは聖なる力を受けて,病気の人を治し,邪悪な天使を追い出し,死んだ人を生き返らせました。でも,聖なる力はもっと大切なことのためにも働きました。その大切なこととは,エホバとイエスについて教えることです。エホバとイエスについて正しく知ることが「永遠の命」につながります。(ヨハ 17:3)

      9 33年のペンテコステの日,イエスの弟子たちは「聖なる力に満たされ,さまざまな言語で話し始め」,「神の偉大な働き」について語りました。(使徒 2:1-4,11)現代の私たちの場合,瞬時に外国語を話せるようになるという奇跡は起きません。でも,神の聖なる力に助けられて,忠実な奴隷が聖書についての出版物を多くの言語で出版しています。「ものみの塔」と「目ざめよ!」が毎月数千万冊印刷されています。公式ウェブサイトjw.orgには,1000以上の言語の出版物やビデオが載せられています。そのおかげで,さまざまな国や民族や言語の人たちに「神の偉大な働き」について伝えることができています。(啓 7:9)

      10. 1989年以降,聖書の翻訳についてどんな進展が見られていますか。

      10 1989年以降,忠実な奴隷は,「新世界訳聖書」を多くの言語で出版することに力を入れています。「新世界訳聖書」はすでに200以上の言語に翻訳され,数億冊が印刷されています。これからも増えていく予定です。神の聖なる力がなければ,このようなことはできません。

      11. 翻訳の仕事はどのように行われていますか。

      11 翻訳の仕事は,150以上の国や地域の,数千人のクリスチャンが無給で行っています。エホバの証人は,聖なる力に導かれながら,エホバとイエスと天の王国について「徹底的に教えて」いる,世界に一つのグループです。(使徒 28:23)

      12. パウロやクリスチャンたちの伝道には,どんなサポートがありましたか。

      12 パウロがピシデアのアンティオキアでユダヤ人と異国人に伝道すると,「永遠の命を得るための正しい態度を持つ人[が]皆,信者とな」りました。(使徒 13:48)「使徒の活動」の最後の記録にも,パウロは「妨げられることなく,少しも気後れせずに,神の王国について伝え……た」とあります。パウロはこの時,ローマ帝国の首都で伝道していました。(使徒 28:31)講話であれ,ほかの方法であれ,1世紀のクリスチャンがした伝道には全て,聖なる力のサポートがありました。

      迫害に遭っても諦めない

      13. 迫害に遭うとき,祈ることが大切なのはどうしてですか。

      13 イエスの弟子たちは迫害に遭うと,エホバに勇気を祈り求めました。すると,「聖なる力に満たされて,神の言葉を大胆に語」れるようになりました。(使徒 4:18-31)私たちも,迫害の中でも伝道を続けられるよう,知恵と力を祈り求めます。(ヤコ 1:2-8)神からの後押しと聖なる力のサポートがあれば,宣教を続けられます。どんなに厳しい反対に遭い,激しい迫害を受けるとしても,伝道がストップすることは決してありません。良い知らせを伝え続けられるよう知恵と勇気を与えてください,とエホバに祈ってお願いすることは本当に大切です。(ルカ 11:13)

      14,15. (ア)「ステファノのことで起きた迫害」により,どんなことが起きましたか。(イ)聖書の教えはシベリアの人たちにどのようにして伝わりましたか。

      14 ステファノは迫害者たちに殺される前,信じていることを堂々と語りました。(使徒 6:5; 7:54-60)その後に起きた「激しい迫害」により,使徒たち以外の弟子たちみんなが散り散りになり,ユダヤとサマリアのあちこちに追いやられました。でも伝道はストップしませんでした。フィリポはサマリアに行って「キリストについて伝道し」,素晴らしい成果を上げました。(使徒 8:1-8,14,15,25)こうも書かれています。「ステファノのことで起きた迫害のために散らされた人たちは,フェニキア,キプロス,アンティオキアにまで行ったが,ユダヤ人にしか伝道しなかった。しかし,キプロスやキレネからの人たちの何人かは,アンティオキアに来て,ギリシャ語を話す人々にも語り始め,主イエスの良い知らせを広めた」。(使徒 11:19,20)このように,迫害により,かえって神の王国の良い知らせが広まりました。

      15 現代でも,旧ソ連で似たようなことがありました。1950年代,何千人ものエホバの証人がシベリアに連行されました。さまざまな拠点に送られたことにより,広大なシベリアの各地に良い知らせが広まっていきました。伝道のためにそれほど多くの人が,遠くは1万㌔もの距離を移動するとしたら,膨大な費用がかかります。でも,いわば,国がエホバの証人を各地に派遣してくれました。ある兄弟はこう言っています。「シベリアにいたたくさんの誠実な人たちは,ある意味,当局のおかげで真理を知ることができました」。

      エホバが必ず支えてくれる

      16,17. エホバが伝道をサポートし,成功させていたことは,どんな記録から分かりますか。

      16 エホバが1世紀のクリスチャンを支えていました。パウロやほかのクリスチャンたちが「植え」,「水を注ぎ」ましたが,「成長させたのは神」でした。(コリ一 3:5,6)「使徒の活動」の記録から,エホバが伝道をサポートし,成功させていたことがはっきり分かります。例えば,「神の言葉は広まっていき,弟子の数はエルサレムで大幅に増加していった」とあります。(使徒 6:7)また,良い知らせが広まるにつれて,「会衆は,ユダヤ,ガリラヤ,サマリアの全域にわたって平和な時期に入り,強化されていった。そして,エホバを畏れて聖なる力による慰めを受けながら歩み,人数が増加していった」とも書かれています。(使徒 9:31)

      17 シリアのアンティオキアのユダヤ人やギリシャ語を話す人も,勇敢なクリスチャンたちから良い知らせを聞きました。「エホバが彼らと共にいて,大勢の人が信じるようになって主に従った」とあります。(使徒 11:21)アンティオキアでは,その後も「エホバの言葉は広まっていき,さらに多くの人が信じ」ました。(使徒 12:24)そして,パウロたちが異国人に熱心に伝道を続けたことにより,「エホバの言葉は力強く広まって勢いを増して」いきました。(使徒 19:20)

      18,19. (ア)エホバが私たちと「共にいて」くれていることは,どんなことから分かりますか。(イ)エホバが支えてくれることが分かるどんな例がありますか。

      18 今もエホバは私たちと「共にいて」,支えてくれています。だからこそ,伝道により多くの人がクリスチャンになり,バプテスマを受けています。また,私たちが厳しい反対や激しい迫害に遭っても諦めず,宣教を続けられているのも,エホバからのサポートのおかげです。パウロなど1世紀のクリスチャンもそうでした。(使徒 14:19-21)エホバがいつもそばにいてくれます。どんな試練のときも,「永遠の腕」で支えてくれます。(申 33:27)仮にエホバが私たちを見捨てるとしたら,エホバの評判に大きな傷が付くことになります。そんなことをエホバがするはずはありません。エホバは私たちのことを必ず守ってくれます。(サム一 12:22。詩 94:14)

      19 第2次世界大戦中,ハラルト・アプト兄弟は伝道をやめなかったため,ナチスによってザクセンハウゼン強制収容所に送られました。1942年5月,兄弟の妻エルザ・アプト姉妹の家にゲシュタポが来て,アプト姉妹を逮捕し,幼い娘を姉妹から引き離しました。姉妹はいくつもの収容所に送られました。こう言っています。「ドイツの強制収容所に何年もいて,大切なことを学びました。エホバの聖なる力は本当に強力です。極限と思える状況でも,聖なる力のおかげで強くなれます。逮捕される前,ある姉妹の手紙を読みました。そこには,厳しい試練のときも,エホバの聖なる力があれば穏やかな気持ちになれる,と書かれていました。少し大げさに言っているんだと思っていました。でも,自分で試練を経験してみて,姉妹が言っていたことはその通りだと思いました。本当にそうなったんです。自分で経験してみないと分からないと思います。でも,本当にそうなったんです」。

      これからも伝道を続けましょう

      20. 家に軟禁されていたパウロは,どんなことをしましたか。パウロの手本について考えると,どんな気持ちになりますか。

      20 「使徒の活動」は,パウロが熱心に「神の王国について伝え」ているところで終わっています。(使徒 28:31)パウロは家に軟禁されていたので,ローマの街に出ていって伝道することはできませんでした。それでも,家にやって来る人みんなに伝道しました。私たちの兄弟姉妹の中にも,外に出られない人がいます。病気で寝たきりだったり,高齢になって施設に入ったりしているかもしれません。それでも,エホバを心から愛していて,良い知らせについて語りたいと思っています。そういう人たちのために祈りましょう。良い人に会わせてあげてください,と祈るのはどうでしょうか。

      21. 時間を無駄にできないのはどうしてですか。

      21 外に出られない事情がなければ,私たちはみんな伝道に出掛け,家を一軒一軒訪ねます。ほかのタイプの宣教も楽しみます。「地上の最も遠い所にまで」良い知らせを伝えるため,これからもできる限りのことをしていきましょう。イエスがすでに王として統治していることが,「しるし」からはっきり分かります。(マタ 24:3-14)日に日に終わりが近づいているので,伝道できる残り時間はどんどん少なくなっています。時間を無駄にはできません。「主の活動をいつも活発に行って」いきたいと思います。(コリ一 15:58)

      22. エホバの日が来るまでの間,どうしたいと思いますか。

      22 「エホバの大いなる畏るべき日が来る」までの間,諦めずに神の王国について伝え続けましょう。(ヨエ 2:31)ベレアの人たちのように,「神の言葉を非常に意欲的に受け入れ」る人がまだたくさんいます。(使徒 17:10,11)「よく頑張りました! あなたは忠実な良い奴隷です」と言ってもらえる時まで,伝道を続けましょう。(マタ 25:23)そうやって今エホバに仕え続ければ,将来,終わりの時代を振り返るたびに,きっと思うことでしょう。「あの時,『神の王国について徹底的に教え』ることができて,本当によかった」と。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする