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  • ガラテア 5
  • 新世界訳聖書 (スタディー版)

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ガラテアの概略

    • D. パウロはクリスチャンの自由が何を意味するかを説明する(4:21–6:10)

      • クリスチャンの自由を説明する象徴的な劇(4:21–5:1)

      • 割礼を受けるべきだと主張することは自由をもたらさない(5:2-12)

      • 罪深い欲望と聖なる力は絶えず対立する(5:13-26)

      • 重荷を負い合い,キリストの律法を実践する(6:1-6)

      • 人はまいているものを刈り取る(6:7-10)

ガラテア 5:1

  • キリストは,このような自由のために私たちを自由にしてくださいました: パウロは手紙の中で,「自由」や「自由な」に当たるギリシャ語を何度も使って,「キリスト・イエスと結ばれた私たちが得ている自由」を強調している。(ガラ 2:4)パウロはこの自由を,前の章で述べた奴隷状態と対比している。ここの表現は,「キリストは,彼女の自由をもって私たちを自由にしてくださいました」とも訳せる。その場合,そのような自由は,自由な女性である「上にあるエルサレム」の子供だけが経験できることが強調される。(ガラ 4:26)

    奴隷になって: イスラエル国民に与えられた律法は,正しくて聖なるものだった。(ロマ 7:12)それで,不完全な人間が律法を完全に守ることはできなかった。クリスチャンになった後に律法に戻るなら,律法によって罪人また罪への奴隷として有罪と宣告されるので,「再び奴隷になって束縛される」。キリストの贖いの犠牲は,そのような奴隷状態からの自由をもたらした。(使徒 15:10。ガラ 5:1-6)用語集の「てんびん棒」参照。

欄外参照

  • +コ一 16:13; フィリ 4:1
  • +使徒 15:10

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    「洞察」

    「洞察」

    「ものみの塔」

    1998/3/15,13ページ

    1992/3/15,15,19ページ

    1990/11/15,23ページ

    1989/2/15,19-20ページ

  • 出版物索引

    洞-1 801,1021,1119; 塔98 3/15 13; 塔92 3/15 15,19; 塔90 11/15 23; 塔89 2/15 19-20;

    塔80 10/15 25; 目79 9/8 25; 塔78 8/15 23-24; 救 96; 塔73 370; 塔64 299,421-422; 塔62 428; 目61 12/22 8

ガラテア 5:2

欄外参照

  • +ガラ 6:12

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    「ものみの塔」

    1989/2/15,19-20ページ

  • 出版物索引

    塔89 2/15 19-20;

    塔78 8/15 23-24

ガラテア 5:3

欄外参照

  • +ロマ 2:25; ガラ 3:10

ガラテア 5:4

欄外参照

  • +ロマ 3:20; ガラ 2:15, 16

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  • 出版物索引

    崇 148

ガラテア 5:6

欄外参照

  • +コ一 7:19; ガラ 6:15; コロ 3:10, 11

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    「聖書全体」219-220ページ

  • 出版物索引

    感 219-220

ガラテア 5:7

  • 皆さんはしっかり走っていました: パウロはここで競走を隠喩として使い,ガラテアのクリスチャンがクリスチャンの生き方を立派に続けていたことを表現している。同様の比喩を幾つかの手紙で何度か使っている。(ガラ 2:2と比較。コ一 9:24の注釈を参照。)聖書は,しばしば歩くとか走るという概念を使って,何らかの行動を続けることを表現している。(創 5:22; 6:9。エフ 4:17; 5:2)

脚注

  • *

    または,「妨げられて」。

欄外参照

  • +コ一 9:24; ガラ 3:3

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  • 出版物索引

    塔80 9/15 17; 塔63 183

ガラテア 5:8

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  • 出版物索引

    塔80 9/15 17

ガラテア 5:9

  • パン種: または,「酵母」。用語集とコ一 5:6の注釈を参照。

    を発酵させます: または,「に広がります」,「に影響します」。ここで使われているギリシャ語動詞ジュモオー(「発酵させる」)は,「パン種」に当たる名詞ジュメーと関連があり,その語もこの節で使われている。パウロはコ一 5:6で同じフレーズ(「少しのパン種が生地全体を発酵させ」)を使っていて,それは格言的な言葉だと思われる。パウロは,少しのパン種が生地全体を発酵させるように,偽りを教える人(この場合,割礼を強く推奨する人)やその教えが会衆全体を腐敗させかねないということを指摘している。

欄外参照

  • +コ一 5:6; 15:33; テモ二 2:16-18; ペ二 2:1, 2

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    「洞察」

    「ものみの塔」

    1992/3/15,20ページ

  • 出版物索引

    洞-2 580-581; 塔92 3/15 20;

    塔80 9/15 17; 塔73 531; 塔72 455; 塔63 598; 塔52 199

ガラテア 5:10

欄外参照

  • +ヨハ 17:20, 21
  • +ガラ 1:7

ガラテア 5:11

  • 苦しみの杭: または,「処刑用の杭」。コ一 1:17の注釈を参照。

    苦しみの杭は……障害: 苦しみの杭でのイエスの死は,律法を取り除く基盤となった。パウロと他のクリスチャンは,キリストの犠牲に対する信仰が救いを得る唯一の方法であるというメッセージを伝えた。(コロ 2:13,14。ガラ 5:1の注釈を参照。)そのメッセージは,神から良いと認められるためにはモーセの律法を固守することと割礼を受けることが不可欠だと主張するユダヤ人にとって,障害つまり過ちの原因となった。コ一 1:23の注釈を参照。

    障害: または,「過ちのもと」。マタ 13:57; 18:7の注釈を参照。

欄外参照

  • +コ一 1:23

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    「洞察」

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    洞-1 812

ガラテア 5:12

  • 自分を去勢して: 直訳,「自分を切り取って」。皮肉とも言えるパウロの強い言葉は,文字通りに受け止めるべきものではない。パウロは,割礼を強く推奨する人たちが自分たちを去勢してしまえばいいのにと言った時,誇張法を使った。(用語集の「宦官」参照。)そうすれば,自分たちが推奨している律法を守る資格を失う。(申 23:1)また,パウロは異教の崇拝者の去勢の儀式に暗に言及し,割礼を受けるべきだと主張する人たちをそうした偶像崇拝者と同列に扱っていると考える注釈者もいる。

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    「ものみの塔」

    1992/3/15,20ページ

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    塔92 3/15 20;

    塔73 445

ガラテア 5:13

  • 皆さんは招かれて自由になりました: ここでパウロは,クリスチャンが罪深い欲望に従うなら,キリストによって得た自由を悪用することになると警告している。(ガラ 2:4; 4:24-31)この自由を正しく認識している人は,愛を抱いて謙遜な態度で仲間に仕えるためにその自由を使う。ガラ 5:1,14の注釈を参照。

    罪深い欲望を満たすために: 直訳,「肉のための機会に」。「肉」に当たるギリシャ語(サルクス)はこの後の数節に何回か出ている。(ガラ 5:16-19)ここでは人間の罪深い性質を指す。ガラ 5:19の注釈を参照。

    愛を抱いて仲間に仕えましょう: パウロはクリスチャンに,自分のために生きるのではなく愛を抱いて仲間に仕えるように勧めている。ここで使われている動詞は,「奴隷として仕える」と訳すこともでき,奴隷が主人に接する時のように謙遜さと誠意と敬意をもって接するべきことを示しているのかもしれない。「仲間に仕えましょう」という表現は,「謙遜な態度で仲間に仕えましょう」とも訳せる。

欄外参照

  • +ペ一 2:16
  • +コ一 9:19

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    2010/5/15,27ページ

    2010/2/15,11-12ページ

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    1986/7/1,8ページ

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    塔10 2/15 11-12; 塔10 5/15 27; 塔92 3/15 20; 塔86 7/1 8;

    若 148; 塔74 202; 目73 2/8 8

ガラテア 5:14

  • 果たされる: ここのギリシャ語表現は2つの意味に取れる。1つは,モーセの律法がこの1つのおきてによって「果たされる」ということ。もう1つは,このおきてによって「全てが表現されている」ということ。どちらの場合も,人は愛を示すことによって律法全体を果たすことになる。愛は律法の基盤だから。パウロはこの節で,レビ 19:18にあるおきてを引用している。同じ聖句をロマ 13:9でも引用し,律法のおきて全ては隣人を自分自身のように愛する「という言葉に要約される」ことを指摘している。ここガラ 5:14のギリシャ語を「要約される」と訳すことも可能で,そういう意味に訳している聖書もある。

欄外参照

  • +レビ 19:18; マタ 7:12; 22:39; ロマ 13:8, 9; ヤコ 2:8

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    「聖書全体」219-220ページ

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    イ尋 記事27; 感 219-220;

    目73 2/8 8; 塔63 426-427

ガラテア 5:15

欄外参照

  • +ヤコ 3:14
  • +ヤコ 4:1, 2

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    「ものみの塔」

    2000/2/1,27ページ

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    塔00 2/1 27;

    塔85 7/1 13-14; ヤ 128; 塔75 531

ガラテア 5:16

  • 聖なる力に導かれて歩んでください: 聖なる力に導かれて歩む人は,神の聖なる力による導きを求め,考えや行動がその影響を受けるようにする。その人は罪深い欲望があったとしてもすぐに排除し,欲望を抱き続けないようにする。そのようにして,罪を行う者にならないよう注意する。(ロマ 8:4-6。ヤコ 1:14,15)パウロはこうした行動を,不適切な罪深い欲望に支配された行動と対比している。

欄外参照

  • +ロマ 8:5, 13
  • +ロマ 6:12; ペ一 2:11

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    「ものみの塔」(研究用)

    2023/1,11ページ

    「ものみの塔」

    2010/3/15,15-18ページ

    2007/7/15,21-25ページ

    1992/3/15,20ページ

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    イ尋 記事59; 塔研23.01 11; 塔10 3/15 15-18; 塔07 7/15 21-25; 塔92 3/15 20;

    塔85 7/1 13-14; 聖 34; 塔74 61,90,429,607; 目64 4/8 28

ガラテア 5:17

  • 罪深い欲望……聖なる力: この章でパウロは「罪深い欲望」と「聖なる力」を互いに対立するものとして何度も書いている。ここで「罪深い欲望」は罪深い人間の性質を指し,「聖なる力」と訳されているギリシャ語プネウマは神の聖なる力を指すが,聖なる力に導かれている人を駆り立てる力も指せる。(用語集の「プネウマ」参照。)聖なる力は神に仕える人の内で,正しいことを行う力となる。しかし,罪深い欲望は聖なる力の影響力と絶えず戦う。ガラ 5:19-23で,罪深い欲望から出る行いと聖なる力が生み出すものが対比されている。(ロマ 7:18-20と比較。)

欄外参照

  • +ロマ 7:15, 19, 23

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  • 出版物索引

    聖 34

ガラテア 5:18

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    「ものみの塔」

    1992/3/15,20ページ

  • 出版物索引

    塔92 3/15 20;

    聖 34; 塔72 755

ガラテア 5:19

  • 罪深い欲望から出る行い: 前の数節で,パウロは「罪深い欲望」と「聖なる力」が常に対立していることを述べている。(ガラ 5:13,17)その後(19-21節)で,「罪深い欲望」つまり罪深い人間の性質に関連した15の行いや習慣を挙げている。(マタ 26:41,ガラ 5:13,17の注釈を参照。)パウロがここで挙げている「行い」は,人が罪深い欲望の影響を受けたときに考えたりしたりすることの結果である。(ロマ 1:24,28; 7:21-25)最後にパウロは「など」という表現を付け加えて,罪深い欲望から出る行いが,ここに挙げているものだけではないことを示している。ガラ 5:21の注釈を参照。

    性的不道徳: 聖書中の用法では,ギリシャ語ポルネイアは,神に禁じられた性的な行動を広く指す語。ある辞典は,ポルネイアを「売春,不貞,淫行」と定義し,この語は「あらゆる種類の不法な性的交わり」を指して使われるとも述べている。そのような禁じられた行動には,売春,姦淫,結婚していない人同士の性関係だけでなく同性愛行為,獣姦などが含まれる。これらは全て聖書で非とされている。(レビ 18:6,22,23; 20:15,16。コ一 6:9。用語集参照。)イエスは,性的不道徳を殺人,盗み,冒瀆と同類のものとし,それが邪悪な行為であることを示した。(マタ 15:19,20。マル 7:21-23)

    汚れ: または,「不潔」,「堕落」,「みだらなこと」。「汚れ」(ギリシャ語アカタルシア)は,この節で挙げられている「罪深い欲望から出る行い」の最初の3つの中で最も意味が広い。ギリシャ語聖書に10回出てくる。字義的には,汚くて不潔なものを指す。(マタ 23:27)比喩的な意味では,性的なこと,話すこと,行動,また偽りの神々の崇拝などの宗教面において,清くないこと全てを含む。(ロマ 1:24; 6:19。コ二 6:17; 12:21。エフ 4:19; 5:3。コロ 3:5。テサ一 2:3; 4:7)それで,「汚れ」は深刻さの程度が異なるいろいろな悪い行いを指す。(エフ 4:19の注釈を参照。)この語は,そうした悪い行いや状態が道徳的に忌まわしいことを強調している。用語集の「汚れている」参照。

    恥知らずな行い: または,「奔放」。聖書中の用法では,ギリシャ語アセルゲイアは,神の律法に対する重大な違反であり,恥知らずで不敬な厚かましい態度が表れた行為を指す。ギリシャ語聖書に10回出てくる。(マル 7:22。ロマ 13:13。コ二 12:21。ガラ 5:19。エフ 4:19。ペ一 4:3。ペ二 2:2,7,18。ユダ 4)ある辞典はこの語を「放蕩,放縦,みだらなこと,つまり……道徳的な態度や振る舞いにおいて抑制されていないこと」と定義している。ユダヤ人の歴史家ヨセフスはこの語を使って,異教徒のイゼベル王妃がイスラエルにバアルの神殿を建てたことを記した。イゼベルがしたのは侮辱行為,つまり恥知らずにも世論や良識を侮る行為だった。(「ユダヤ古代誌」第8巻13章1節 [ローブ 8.318])用語集参照。

欄外参照

  • +コ一 5:9; エフ 5:3; コロ 3:5; 啓 2:20
  • +マル 7:21, 22; エフ 4:19; ペ二 2:2; ユダ 4

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    「新世界訳」2029ページ

    「ものみの塔」

    2012/3/15,31ページ

    2008/5/15,27ページ

    2006/7/15,29-31ページ

    2001/8/1,15-16ページ

    1992/3/15,20ページ

    1990/11/1,4-5ページ

  • 出版物索引

    新世 2029; 塔12 3/15 31; 塔08 5/15 27; 塔06 7/15 29-31; 塔01 8/1 15; 塔92 3/15 20; 塔90 11/1 4-5;

    塔83 6/15 31; 聖 34,137; 若 151; 塔74 48; 塔73 302,765-766; 塔72 452; 目71 8/8 4; 目65 6/8 18; 塔63 556-557; 塔62 70,147,240; 塔60 188; 塔53 244

ガラテア 5:20

  • 心霊術: または,「魔術」,「オカルティズム」,「薬物の使用」。ここで「心霊術」と訳されているギリシャ語名詞はファルマキアで,基本的に「薬物の使用」を指す。このギリシャ語が心霊術,魔術,オカルトと結び付けられるようになったのは,呪術を行うために邪悪な天使に力を願い求める際に薬物が使われたからかもしれない。セプトゥアギンタ訳では,ギリシャ語ファルマキアが,「魔術」,「秘術」,「呪術」に当たるヘブライ語の訳として使われた。(出 7:11,22; 8:7,18。イザ 47:9,12)パウロはオカルト行為を指してこの語を使っている。そのことは,偶像崇拝の直後に「心霊術」を挙げていることからもうかがえる。(用語集の「偶像,偶像崇拝」参照。)関連する名詞ファルマコスは啓 21:8で,「心霊術を行う者」と訳されている。(啓 22:15)用語集参照。

    嫉妬: ギリシャ語ゼーロスは強い感情を表し,その感情が良い場合も良くない場合もある。パウロはここで,それを「罪深い欲望から出る行い」の1つに挙げている。それでこの文脈では,ライバルと思える人や,自分より良い立場にいると思える人に対する良くない感情という考えを伝えている。1世紀のクリスチャンは,このような嫉妬を避けるよう強い助言を与えられた。(コ一 3:3。コ二 12:20。ヤコ 3:14,16)コ一 13:4の注釈を参照。

    激怒: パウロはここで,「怒り」と訳されるギリシャ語の複数形を使っている。それは怒りを抑えられずに爆発させることだけでなく,心の中でふつふつと湧き上がって,やがて表される怒りも指す。怒りは,性的不道徳,恥知らずな行い,偶像崇拝,心霊術,酩酊など,罪深い欲望から出る嫌悪すべき他の行いと共に挙げられている。

    分派: 使徒 24:5の注釈を参照。

欄外参照

  • +レビ 19:26, 31; 申 18:10, 11
  • +コ一 3:3
  • +コ一 3:3; ヤコ 3:14, 15
  • +ペ二 2:1

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  • リサーチガイド

    「洞察」

    「目ざめよ!」

    1997/6/8,20ページ

    1994/2/22,31ページ

    「論じる」389ページ

    「真の平和と安全」158ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1245; 目97 6/8 20; 目94 2/22 31; 論 389; 平 158;

    塔83 12/15 18; 塔80 9/15 3; 霊 32; 塔78 1/15 16; 聖 34; 良 137; 塔74 329; 塔73 532; 平73 158-159; 塔72 452; 塔71 502; 目71 8/8 4; 塔64 442; 塔63 72; 塔62 70,147,535; 塔53 244

ガラテア 5:21

  • ばか騒ぎ: ロマ 13:13の注釈を参照。

    など: この表現から分かる通り,パウロは「罪深い欲望」から出る行いと見なされるもの全てを漏れなく挙げたわけではない。(ガラ 5:19の注釈を参照。)パウロはテモ一 1:10の終わりで似た表現を使っている。ガラテアのクリスチャンは,こうした罪深い行いと同類の事柄を見分けるために「識別力」を働かせる必要があった。(ヘブ 5:14)例えば,悪意のある中傷は,罪深い欲望から出る行いとして特に挙げられてはいないが,ガラ 5:20で挙げられている「敵意,争い,嫉妬,激怒,不和」を伴うことが多い。「罪深い欲望から出る行い」として挙げられている事「など」を悔い改めずに続ける人が,神の王国の祝福を受けることはない。

欄外参照

  • +申 21:20, 21; イザ 5:11
  • +ペ一 4:3
  • +コ一 6:9, 10

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  • リサーチガイド

    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン43

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2000/5/1,19-20ページ

    「目ざめよ!」

    1996/6/8,14-15ページ

  • 出版物索引

    洞-1 275; 暮 レッスン43; 塔00 5/1 19-20; 目96 6/8 14-15;

    聖 34; 塔74 48,329,360; 塔73 697; 塔64 442,686; 塔62 70,147; 目62 10/22 26; 塔53 244

ガラテア 5:22

  • 聖なる力が生み出すもの: ここで「実」という意味のギリシャ語の農業用語カルポスが使われていて,その語は聖書に何度も出ている。ここでは比喩的に使われ,神の聖なる力が人の内に生み出すことができる性質を指す。(ガラ 5:16)木が適切に手入れされると実を結ぶのと同じように,人は考えや行動が聖なる力の影響を受けるようにすると,「聖なる力が生み出すもの」を表せるようになる。(詩 1:1-3と比較。)その性質は,聖なる力の源であるエホバ神の性格を反映する。(コロ 3:9,10)ここで,聖なる力がクリスチャンの内に生み出すもの全てが挙げられているわけではない。(ガラ 5:23の注釈を参照。)これらの性質が組み合わさって,新しい人格を特徴づける。(エフ 4:24)パウロはここで,「実」を意味するギリシャ語カルポスの単数形を使っている。聖書注釈者たちが指摘しているように,単数形が使われていることは,挙げられている望ましい性質が1つのものを成すことを示しているのかもしれない。つまり,全てが身に付けるべき大切な性質で,互いに切り離せないものであるということ。

    愛: パウロがコ一 13:4-8で説明しているように,クリスチャン愛(ギリシャ語アガペー)を定義するには,それがどのように働くかを説明するのが一番良い。(コ一 13:4の注釈を参照。)ヨハネはヨ一 4:8-10で同じギリシャ語を使い,「神が……愛してくださっていること」について書いている。「神は愛」とさえ言っている。これは,エホバがまさしく愛を体現しているということ。(ヨハ 3:16の注釈を参照。)イエスは,神を愛することと仲間を愛することが最も重要な2つのおきてであると言った。(マタ 22:37-39)マタ 22:37の注釈を参照。

    喜び: 良いものを期待することや得ることによって生じる明るい感情。本当に幸福な状態。「喜び」と訳されるギリシャ語は心の深いところにある性質。「幸福な神」エホバは喜びの源で,ご自分に仕える人たちに喜んでいてほしいと思っている。(テモ一 1:11)クリスチャンは苦難や悲しいことや迫害に直面していても,神の聖なる力の助けによって喜んでいられる。(コロ 1:11。ヘブ 12:2。ヤコ 1:2-4)

    平和: 「平和」に当たるギリシャ語には広い意味がある。この文脈で「平和」には,「平和の神」エホバと親しくなることから来る心の穏やかさが関係している。(フィリ 4:9。テサ一 5:23。ヘブ 13:20。コ一 14:33の注釈を参照。)「平和」は神の聖なる力と一緒に述べられていることがよくある。(使徒 9:31。ロマ 8:6; 15:13)神と平和な関係でいる人は,聖なる力の助けを得て,他の人との良い関係,調和,一致を促進する。(マタ 5:9。コ二 13:11。ヤコ 3:18)

    辛抱強さ: このギリシャ語は「気の長さ」とも訳せる。穏やかに忍耐することや寛容なこと,すぐに怒らないことを意味する。エホバ神は辛抱強さの最高の手本。(ロマ 2:4; 9:22。テモ一 1:16。ペ一 3:20。ペ二 3:9,15)パウロは,辛抱強さをクリスチャン愛の不可欠な一面としている。(コ一 13:4)

    親切: 他の人を進んで気遣い,優しく助けになる仕方で行動する性質や状態。エホバ神は,感謝しない悪人にも親切を示す。(ルカ 6:35。ロマ 2:4; 11:22。テト 3:4,5)「親切」に当たるギリシャ語の形容詞形は,弟子としてイエスと共に働くのは「心地よく」,そのくびき(てんびん棒)が「負いやす[い]」ことを表現するのに使われている。(マタ 11:30,脚注)イエスと共に働くクリスチャンは,親切を身に着けるよう強く勧められている。(エフ 4:32。コロ 3:12)

    善良: 良い性質または良い状態,道徳的卓越性,徳。ある辞典は,「善良」に当たるギリシャ語を,「特に他の人の福祉を気遣うことを特徴とする,積極的な道徳的性質」と定義している。それで,クリスチャンは善良であるだけでなく善いことを行う必要もある。不完全であっても,エホバの命令に従い,エホバに倣って善いことを行い,気前よく与えることによって,善良さを身に付けることができる。(使徒 9:36,39; 16:14,15。ロマ 7:18。エフ 5:1)エホバは絶対的な意味で善い方。(詩 25:8。ゼカ 9:17。マル 10:18と注釈)エホバは本当に思いやりのある気前の良い神。(使徒 14:17)

    信仰: 「信仰」という語は,確信,信頼,固い信念という考えをおもに伝える,ピスティスというギリシャ語を訳したもの。ヘブ 11:1で,パウロは神の聖なる力に導かれて「信仰」という語を定義している。信仰は愛と同様に,それがどのように働くかによって定義される。(ヤコ 2:18,22。ヨハ 3:16の注釈を参照。)聖書は,クリスチャンの信仰が成長して強くなるべきことを示している。イエスの弟子たちも「さらに信仰を与えてください」と言った。(ルカ 17:5)パウロはテサロニケのクリスチャンを褒め,「皆さんの信仰が大いに成長し」ていると言った。(テサ二 1:3。コ二 10:15も参照。)「信仰」はガラテアの手紙に20回以上出ていて,大抵この節のように,神かキリストへの信頼のことを言っている。(ガラ 3:6,11)テサ二 3:2でパウロは「誰もが信仰を持っているわけではない」と言っている。強い信仰を持つには,エホバの聖なる力を持っていなければならない。

欄外参照

  • +フィリ 1:11; コロ 1:10
  • +テサ一 1:6
  • +ロマ 14:17
  • +エフ 5:9

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ガラテア 5:23

  • 温和: クリスチャンが神との関係や他の人に対する行いの面で示す,内面の穏やかさや平和を求める態度。(ガラ 6:1。エフ 4:1-3。コロ 3:12)温和は神の聖なる力が生み出すものの一面なので,単なる意志力で身に付くものではない。クリスチャンは,神と親しくなり,聖なる力を祈り求め,聖なる力に導かれて行動することによって温和を身に付ける。温和な人は臆病でも弱々しくもない。「温和」に当たるギリシャ語(プラユテース)には,制御された力や強さを伴う優しさという意味がある。関連するギリシャ語(プラユス)は「温和で」とか「温和な」と訳される。(マタ 21:5。ペ一 3:4)イエスは自分のことを温和と表現したが(マタ 11:29),決して弱い人ではなかった。(マタ 5:5と注釈を参照。)

    自制: ここで「自制」と訳されているギリシャ語は,ギリシャ語聖書に4回出ている。(使徒 24:25。ペ二 1:6)この性質は「自分の感情や衝動や欲望の抑制」と定義されている。関連するギリシャ語動詞がコ一 9:25に出ていて(注釈を参照),パウロは運動競技会について,「競技に参加する人は皆,どんなことについても自制します」と述べている。このギリシャ語動詞は,セプトゥアギンタ訳の創 43:31で,ヨセフが「落ち着きを取り戻した」ことにも使われている。この創 43:31で使われているヘブライ語動詞は,イザ 42:14でも使われていて,「私は……自分を制していた」というエホバの言葉が記されている。エホバは,悪を行う人たちに対して直ちに処置を講じるのではなく,時の経過を許して,その人たちが悪い行いをやめてご自分の恵みを得る機会を持てるようにしている。(エレ 18:7-10。ペ二 3:9)

    このようなものを否定する律法はありません: クリスチャンが神の聖なる力の生み出す性質をどれほど身に付けられるかを制限する律法はない。これらの性質は全てモーセの律法(レビ 19:18。申 6:5)と「キリストの律法」(ガラ 6:2。ヨハ 13:34)に定められた愛の律法に完全に沿っている。「このようなもの」という表現は,エホバの聖なる力が生み出すものが,ここに挙げられた9つの面に限られないことを示している。クリスチャンの人格は,これらの性質や他の性質から成っていて,その全ては聖なる力の助けによって生み出される。(エフ 4:24,32; 5:9。コロ 3:12-15。ヤコ 3:17,18)

欄外参照

  • +ヤコ 3:17

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ガラテア 5:24

  • 杭にくぎ付けにしました: ここのギリシャ語動詞スタウロオーは,福音書でイエス・キリストの処刑に関して使われている。パウロはここで,その語を比喩的に使っている。(ロマ 6:6の注釈と比較。)キリストの弟子たちが罪深い人間の性質を死に至らせるために,断固とした強力な措置を講じる必要があることを表現している。クリスチャンが「罪深い欲情や欲望」に打ち勝ってそれを制御する時,そうした欲望はあたかも死んでその人に力を及ぼせないかのようになる。(ガラ 5:16)パウロがここで言っていることは,前の方の節と深く関係していて,キリストのものである人たちはガラ 5:19-21に書かれている「罪深い欲望から出る行い」を断固として退けるべきことを強調している。

欄外参照

  • +ロマ 6:6

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ガラテア 5:25

欄外参照

  • +ロマ 8:4

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    塔66 552-553; 塔55 52

ガラテア 5:26

  • 自己中心的になってはなりません: パウロは,「罪深い欲望から出る行い」と「聖なる力が生み出すもの」を対比した後(ガラ 5:19-23),この節にある訓戒を付け加えている。「自己中心的」と訳されるギリシャ語(ケノドクソス)は,字義的に「むなしい栄光」,「虚栄」という考えを伝えている。ギリシャ語聖書でここでしか使われていない。ある辞典はこの語を「過大な自己評価をしている,うぬぼれている,自慢げな」と定義している。これは,価値がなくむなしい事柄で他の人から称賛を得たいという強い願いを思わせる。関連する語がフィリ 2:3で「自己中心的」と訳されている。

    競い合ったり: または,「対決を迫ったり」。ある辞典によると,ここで使われているギリシャ語は字義的には,「前に出るよう呼ぶ,しばしば敵意を持って挑発するもしくは挑む」という意味。別の辞典はこの語を「誰かに闘いや競争を挑むこと」と定義している。

欄外参照

  • +フィリ 2:3
  • +伝 4:4; コ一 4:7; ガラ 6:4

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    「ものみの塔」(研究用)

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    「目ざめよ!」

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    1995/12/8,14-15ページ

    1991/8/22,11ページ

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    塔研21.07 15-16; 目96 11/8 30; 目95 12/8 14-15; 目91 8/22 11;

    目82 11/8 8; 家 157; 目78 9/8 15-16; 塔76 291; 目75 9/22 28; 塔73 698; 目73 2/8 10; 目73 6/22 13; 塔70 548; 目65 6/22 4; 塔64 754; 塔63 59; 目63 6/8 6; 塔62 457,484; 目62 9/22 4; 目62 10/22 26; 塔57 46,48; 塔55 49

訳の一覧

訳の一覧を見るには,節番号をクリックしてください。

引用元

ガラ 5:14レビ 19:18

全般

ガラ 5:1コ一 16:13; フィリ 4:1
ガラ 5:1使徒 15:10
ガラ 5:2ガラ 6:12
ガラ 5:3ロマ 2:25; ガラ 3:10
ガラ 5:4ロマ 3:20; ガラ 2:15, 16
ガラ 5:6コ一 7:19; ガラ 6:15; コロ 3:10, 11
ガラ 5:7コ一 9:24; ガラ 3:3
ガラ 5:9コ一 5:6; 15:33; テモ二 2:16-18; ペ二 2:1, 2
ガラ 5:10ヨハ 17:20, 21
ガラ 5:10ガラ 1:7
ガラ 5:11コ一 1:23
ガラ 5:13ペ一 2:16
ガラ 5:13コ一 9:19
ガラ 5:14マタ 7:12; 22:39; ロマ 13:8, 9; ヤコ 2:8
ガラ 5:15ヤコ 3:14
ガラ 5:15ヤコ 4:1, 2
ガラ 5:16ロマ 8:5, 13
ガラ 5:16ロマ 6:12; ペ一 2:11
ガラ 5:17ロマ 7:15, 19, 23
ガラ 5:19コ一 5:9; エフ 5:3; コロ 3:5; 啓 2:20
ガラ 5:19マル 7:21, 22; エフ 4:19; ペ二 2:2; ユダ 4
ガラ 5:20レビ 19:26, 31; 申 18:10, 11
ガラ 5:20コ一 3:3
ガラ 5:20コ一 3:3; ヤコ 3:14, 15
ガラ 5:20ペ二 2:1
ガラ 5:21申 21:20, 21; イザ 5:11
ガラ 5:21ペ一 4:3
ガラ 5:21コ一 6:9, 10
ガラ 5:22フィリ 1:11; コロ 1:10
ガラ 5:22テサ一 1:6
ガラ 5:22ロマ 14:17
ガラ 5:22エフ 5:9
ガラ 5:23ヤコ 3:17
ガラ 5:24ロマ 6:6
ガラ 5:25ロマ 8:4
ガラ 5:26フィリ 2:3
ガラ 5:26伝 4:4; コ一 4:7; ガラ 6:4
  • 新世界訳聖書 (スタディー版)
  • 聖書を変更する: 新世界訳(新世)
  • 聖書を変更する: 参照資料付き聖書(聖8-参)
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  • 26
新世界訳聖書 (スタディー版)
ガラテア 5:1-26

ガラテア​の​クリスチャン​へ​の​手紙

5 キリストは,このような自由のために私たちを自由にしてくださいました。ですから,しっかり立ってください+。再び奴隷になって束縛される,ということがないようにしましょう+。

2 私パウロが皆さんに言います。もし割礼を受けるなら,キリストが皆さんのためにしたことは台無しになってしまいます+。 3 割礼を受ける人全てにもう一度言っておきますが,そういう人には律法全体を守る義務があります+。 4 律法に基づいて正しいと認められようとしている皆さんは,キリストから離れています+。キリストの惜しみない親切から離れ落ちているのです。 5 私たちは聖なる力により,信仰のゆえに正しいと見なされることを心から待ち望んでいます。 6 キリスト・イエスと結ばれた人にとって,割礼を受けているかどうかは問題ではありません+。価値があるのは信仰であり,信仰は愛によって示されます。

7 皆さんはしっかり走っていました+。誰に唆されて*,真理に従い続けなくなったのですか。 8 皆さんを招いている方は,そのように勧めることはありません。 9 少しのパン種が生地全体を発酵させます+。 10 私は,主と結ばれている皆さんが別の考えを持つようなことはないと確信しています+。皆さんを惑わしている人+は誰であれ,当然の処罰を受けることになります。 11 兄弟たち,もし私がまだ割礼を推奨しているとすれば,どうして今も迫害されているのでしょうか。まだ割礼を推奨しているなら,苦しみの杭はもはや障害にはなっていないはずです+。 12 私は,皆さんをかき乱そうとしている人たちが自分を去勢してしまえばいいのに,と思います。

13 兄弟たち,皆さんは招かれて自由になりました。その自由を,罪深い欲望を満たすために用いてはなりません+。愛を抱いて仲間に仕えましょう+。 14 律法全体は,「隣人を自分自身のように愛さなければならない+」という1つのおきてによって果たされるからです。 15 もしもかみ合ったり食い合ったりしているなら+,互いを破滅させないように気を付けてください+。

16 次のことを勧めます。聖なる力に導かれて歩んでください+。そうすれば,罪深い欲望のままに行動することは決してありません+。 17 罪深い欲望は聖なる力に逆らい,聖なる力は罪深い欲望に逆らうからです。これらが対立しているので,皆さんはしたいと思うことを行いません+。 18 そして,聖なる力に導かれているのであれば,皆さんは律法の下にはいません。

19 さて,罪深い欲望から出る行いは明らかです。それは,性的不道徳+,汚れ,恥知らずな行い+, 20 偶像崇拝,心霊術+,敵意,争い+,嫉妬+,激怒,不和,分裂,分派+, 21 ねたみ,酩酊+,ばか騒ぎなどです。こうした事柄+について私はすでに警告しましたが,あらためて警告します。こうした事柄を習慣にする人が神の王国を授けられることはありません+。

22 一方,聖なる力が生み出すもの+は,愛,喜び+,平和+,辛抱強さ,親切,善良+,信仰, 23 温和,自制です+。このようなものを否定する律法はありません。 24 キリスト・イエスのものである人たちは,自分の罪深い欲情や欲望を杭にくぎ付けにしました+。

25 私たちは聖なる力に導かれて生きているのですから,その力に導かれてきちんと歩んでいきましょう+。 26 自己中心的になってはなりません+。競い合ったり+ねたみ合ったりしないようにしましょう。

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