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目ざめよ! 1973
目73 12/22 3–5ページ

教会には何が起きているか

教会には何が起きているのだろうかと不審に思われたことがありますか。諸教会の混乱は何を意味していますか。それはキリスト教がすたれかけていることを意味していますか。

「とんでもありません!」と答える人もいるでしょう。そのような人たちの住んでいる場所では,大勢の人びとが教会に所属しており,日曜日の午前ともなれば,今でも多数の信者が礼拝に出席しているかもしれません。しかし,明らかにそのような事情は今では普通というよりはむしろ例外なのです。

事実,教会の急速な衰退ぶりは,ごく普通の話題として論議されています。全米で読まれているカトリック系のセント・アントニー・メッセンジャー誌,1973年5月号はこう述べました。

「改宗者数の減少は,現代のカトリック教制度の不安の一つに過ぎない。司祭や修道女はその職責を放棄し,神学校関係の報告は神学校生徒の入学者数の減少を伝え,教会付属学校は閉鎖され,若いカトリック信者は伝統的な宗教的・道徳的価値を退けており,日曜日のミサの出席者数は低下している」。

衰退が見られるのはカトリック教会だけではありません。他の諸教会でも礼拝に出席する人びとの数は減少しており,何百万もの人びとが教会を去っています。さる5月,アメリカの長老派教会の第185回総会にさいして,ある教会当局者は,長老派も「われわれの姉妹教会の多くの場合と同様,会員数の減少傾向を経験してきた」として慨嘆しました。

しかし,教会員の減損よりもなおいっそう重大なのは僧職者の脱退問題です。バプテスト派の牧師ワレン・カーは「偶像崇拝を犠牲にして」と題するその新刊書の中でこう書いています。「牧師は平信徒同様,教会について行くのに困難を感じている。私の同僚の牧師の多くは既に教会を去ったし,さらに多くの者がそうしようとしている。この種の脱退傾向には衰えるきざしが見られない」。

かつての司祭や牧師のための世俗の就職あっ旋を助ける一機関の理事である,米国聖公会の司祭ジョン・W・ダウニングは,アメリカでは1975年までに全僧職者の半数が僧職をやめるであろうと予言しました。果たしてそうなるでしょうか。

「アメリカの教会に関する1972年年鑑」の報告によれば,そうなる恐れのあることが示されています。同年鑑はこう述べています。「ある全国的調査によれば,新教およびローマ・カトリック教会の若手僧職者は10人中およそ4人が僧職を去ることを真剣に考えているとのことである。ユダヤ教の僧職者の場合,その割合は10人につき6人である」。

辞職する牧師を補充する見込みはといえば,まさに暗たんたるものです。僧職希望者はほとんどいません。このようなわけで,多くの神学校が閉鎖されています。アメリカ中部のある地域だけで,1967年以来,神学校33校中12校が閉鎖されました。ザ・クリスチャン・センチュリー誌はこう評しました。「新教系の神学校のぶどうの木は枯渇しつつあり,カトリック系のそれは滅びようとしている」。

他の国の事情はさらに悪化しています。パリの雑誌である1970年1月18日号,ル・ジャヌール・ド・ディマンチ誌は,「フランスでは1万8,000個所の教会,礼拝堂および小礼拝堂が廃棄されたか,あるいは廃棄されようとしている。ということは,フランス各地の礼拝場はその半数以上が遅かれ早かれ滅びる運命にあることを意味している」と報じました。1973年1月6日付,オタワ・シチズン紙は,「英国では過去数年間に[教会の]閉鎖は5,000件に達した」と伝えています。

こうした衰退のため,この世界宗教は無能化する脅威にさらされています。それにしても,このような事態の背後には何があるのでしょうか。なぜそれほど多くの人びとが教会を去るのでしょうか。あるいは,少なくとも,どうしてもはやめったに礼拝に出席しないのでしょうか。

衰退の理由

一つには,人びとは教会が金銭問題についてくどくどと繰り返して言うのにうんざりしています。ある活動的なルーテル信者はこう言ったと伝えられています。「まあお聞きください。教会の取っている態度は貪欲のそれですよ。教会はあなたのお金を欲しがっているのです。……教会はいつも,十分にもらってなどいないと言わんばかりの風をしています」。読者も教会について同様に感じておられますか。そう感じている人びとが教会をやめているのです。―1968年11月6日付,ザ・ルーセラン紙。

また,多くの人びとは,政治に介入する教会のことを憂慮しています。1971年10月号のリーダーズ・ダイジェスト誌は,「われわれの教会は革命を財政的に支援しなければならないのであろうか」と題する記事を掲げ,次のように指摘しました。「世界教会会議は,アメリカおよびアフリカにおける反逆を支持するために教会の勢力と基金を当用している」。あなたが親しく交わっている教会は,政治問題に深く関係していますか。

牧師たちは神のみことば聖書を教えるわざを固守してはいないので,多くの人びとはそのことを苦慮しています。ザ・アリゾナ・リパブリック紙が報じたとおり,一婦人は次のように認めました。「確かに私たちは聖書に関しては無知です。牧師たちはもはや福音を伝道したり,教えたりしてはいません」。してみれば,人びとが教会を放棄しているのも何ら不思議なことではありません。

多くの人びとが抱くに至った見解は,諸教会はとにかく神に仕えてはいないということです。1969年3月号のレディーズ・ホーム・ジャーナル誌は,「千人の女性の報告: もはや教会には神を見いだすことができない」という人目を引く表題を掲げました。

では,全能の神ご自身が諸教会を非としておられると言えるでしょうか。

神が非としておられる教会

神のみ子イエス・キリストは,神がすべての教会を是認しておられるのではないことを明らかになさいました。イエスの言われた次のことばは,彼のみ父の意志に添わない教会の教えを奉じている人びとによく当てはまります。

「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです。その日には,多くの者がわたしに向かって,『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。でもその時,わたしは彼らにはっきり言います,わたしはいまだあなたがたを知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」― マタイ 7:21-23,新。

不法を働く者たちなのです! あなたは,神によって不法をなすものとみなされている教会と提携している者とみなされることを望まれますか。『それにしても,神が宗教制度をそのようにみなすことは決してないのではなかろうか』と異議を唱える人がいるかもしれません。

ところが,それは実際にあり得るのです! たとえば,神の意志を行なっていると唱えながら,そうせずに,神のみことばの代わりに自分勝手な考え方を好んだユダヤ教の宗教制度のことを考えてみてください。(マタイ 15:1-9,12-14)その指導者たちに向かって,神のみ子イエス・キリストはこう言われました。「見よ,あなたがたの家はあなたがたのもとに見捨てられています」。「神の王国はあなたがたから取られ(ます)」。そして,そのとおりになりました。神はその全宗教制度を退けられました。結果として,その制度は単に徐々に滅びるどころか,西暦70年に ― その神殿と祭司たち,および崇拝者たちもろとも,神のみ子が予告したとおりに一掃されてしまいました。―マタイ 23:38; 21:43。ルカ 19:41-44。

あなたの教会についてはどうですか。それは神に対してどのような立場を取っていますか。それを知る方法があります。

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