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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1958
塔58 7/15 267–269ページ

共産主義者の迫害にもかかわらず増加する

1958年度ヱホバの証者の年鑑より

ハンガリー

ハンガリーにおける御国伝道者は,昨年度中たえず増加しつづけてきました。ハンガリヤ人が,暴力政権に反抗して蹶起した時,それに続いて行われた無慈悲な鎮圧のために,この国における神権的な仕事はどうなつただろうと多くの人々はいぶかりました。この疑問に対しては明確な解答がすべての兄弟に与えられ,その活動に関する報告がもたらされました。

まず第一に,彼らは中立を守りました。彼らの仕事は御国の良いたよりを宣べ伝えることでしたから,ヱホバの証者は,自由と幸福と平和を宣べ伝えるすばらしい機会を得ました。ハンガリヤ人が,共産主義に対して反抗した時,ハンガリーのすべての労働収容所や監獄を開放したので,入獄していた5600名にのぼるヱホバの証者も自由の身になりました。彼らが自分たちの家族や愛する兄弟たちと再会した時は,嬉し泣きに泣きました。支部の僕や巡回の僕,他の兄弟たちはさらに大きな証言の業を国中に行うため,組織に関する事柄やそれを強化することについて討議する自由を再び得ることができました。巡回の僕たちは,会衆に対する牧者としての責任遂行の仕事にただちに着手しました。ですから,しばらくの間ハンガリーのヱホバの証者の間には大きな喜びがありました。彼らが報告しているように,大きな喜びのために彼らは苦しい日々を気にかけませんでした。彼らは今,最後まで忍耐し,ヱホバ神に専心の献身を全うすることを決意しています。つかの間の自由の時,ある人は次のように書き送りました,『私たちは良い事だけを報告することができます。私たち全部は再び共になりました。確信をもつて新しい世界を待ち望んでいます。』この家族は非常に大きく拡大し,みな良い物を食べています。彼らに言わせると,彼らは,『髄おおき肥えたるもの久しくたくわえたる清める葡萄酒の』宴につらなつています。

時々,共に集まることができたのは彼らにとつて大きな喜びであり励ましでした。しかし,間もなく,政治的な反対派は,ある程度の自由をもたらした政府をたおしてしまい,ヱホバの証者にまで注意を向ける余裕をもつてきました。警官は巡回の僕たちを探しはじめました。彼らは支部の僕を逮捕しに来ましたが,僕は病気で床についていたのでこの問題をしばらく延期しました。7月になつてから警官たちは病院にまでやつて来て,政治犯を収容するきたない監獄の一つに僕を連れ去りました。ハンガリヤ政府は,非常に多くの罪を犯したので,より大きくより悪辣な罪を犯すことをためらいませんでした。ほんの2,3週間前まではすべて良い状態で,この状態がながつづきすると思われたのに,今またひどくなつたとある兄弟は伝えてきました。

しかしハンガリーのヱホバの証者は気を落していません。彼らは以前耐え忍んできましたから,忍耐しつづけるでしよう。彼らはかえつて以前にもまして強力に伝道しています。ロシヤ,ポーランド,チェッコスロバキヤの共産主義組織が試みたことを,ブタペストの権力者たちも試みました。すなわち兄弟たちに,一つの独立した宗教組織をつくらせることです。政府は,自分でハンガリーのヱホバの証者を統御する規則を作成することができるが,しかし証者たちは,以下の規則を具体化しなければならないと述べました。つまりハンガリヤ人民共和国のすべての目的と一致し,全力をあげてそれを支持し,また会衆のメンバーにも同様にするように教え,国内の他の宗教と同じように国家の教会としての立場を固守し,国家の支配に服従することです。従つて,政府が証明書を与えた人々だけが伝道を許されることになります。この証明書には写真がはられ,政府はおりおり伝道のプログラムを発行するというのです。兄弟たちが,政府のこの指示に従う時は,ヱホバの証者に関するかぎり事はおわつてしまいます。しかし警官は,進んで妥協してハンガリーのヱホバの証者を指導する誰か適当な人はいないか探しつづけました。しかし彼らの多くの骨折りも何の結果も生み出しませんでした。敵の攻撃にもかかわらず兄弟たちは一致を保ち,活動は発展しています。政府と妥協することを兄弟たちが拒否すれば,彼らがらくにならないのは言うまでもありません。ハンガリーの共産主義指導者たちはいつでも,責任を持つと思われる,ヱホバの民の指導者たちと彼らが呼ぶ者たちを監禁したら活動はやむであろうと考えました。悲しいことに彼らは常に失敗してきました。ヱホバの証者たちは,ナチ政権の下でも共産主義支配の下においても,暴力沙汰によつて決して沈黙させられませんでした。強制収容所内にいようが外にいようが,兄弟たちは伝道しつづけたのです。次に述べる事柄は,10年の刑を宣告された人の経験です。

背後で監獄の門が閉じられた時,この門はもうハルマゲドン前には決してあけられることはないだろうと彼は思いました。彼は釈放を全くヱホバ神によりたのみ,監獄の中でも奉仕の機会が与えられるよう毎日祈りました。ヱホバは過分のご親切により,その特権を彼に与えられましたので投獄されて以来彼は,5000人ばかりの人々に証言する機会を得ました。この機会は次のようにしてきました。彼はある職業を持つていたので炭坑で一年間働いた後,治療を施す仕事を命ぜられました。ここで彼は種をまくすばらしい機会を得たのです。彼が証言した5000人の囚人の中,関心を示した人1500人を再訪問しました。この中から80の個人聖書研究が生れしかも聖書を使うことができたのです。この80の研究の中50は活潑な興味を示し,収容所から釈放された後でさえも兄弟たちと連絡をとり,今では外部で彼ら自身が伝道しています。この人たちはすでに,新らたに興味を持つた人々を報告しました。

彼の得た最大の経験は次のようです,「一つの場所から他の場所へ転々とした後,ついにいく人かの政治犯と同じ監房にいれられました。彼は,前政権に属する有名な陸軍大将,陸軍大佐,高い位を持つエスイタ会教徒,有名な政治指導者,以前の大臣,ユダヤ教のラビ,また他のいく人かの神学者や牧師と同じ家に住みました。これらすべての人々は,前政府の支持者たちを代表する者でした。彼らと同じ監房にはいつていましたが,新入りでもあるので,彼は坐つて5,6日間彼らの議論に耳をかたむけました。さて次に,世界の諸問題はいかに解決されるかについて大議論がはじまりました。めいめいが自論を提出して論争が朝はやくから行われました。彼らの言葉は激しくなり考えも非常に過激になつてきましたが,それでも,世界の諸問題解決に関する彼らの意見は一致しませんでした。そこでこのヱホバの証者は自分の意見を聞いてもらうよう頼みました。彼はまず自分が一ヱホバの証者であることを紹介し,証者たちの信じていること,また,王キリスト・イエスの支配下における新世社会の構造を説明しました。そして,善意を持つ人々が心の底からいかに神権政治を切望しているかを詳細に示し,また世界の状態がどのように聖書の預言の成就であつたかを説明しました。彼がこれらの事柄を聖書から説明する時,以前政治家であつた人たちは,無言でしかも非常に注意を払つて聞きました。御国に関する至極詳細な証言がゆるされてから後,彼らはまる2日間それを討論し,これこそ世界の危機を逃れる唯一の方法であることに意見がついに一致しました。」これらの人々と共にいく日か獄窓ですごした後,彼はこれらの人々を真理の友としたと感じています。ですから時期が良くても悪くても,どのような機会が訪れるかわかりません。監獄内のこのような危険な状態の下で私たちの忠実なハンガリーの兄弟は,宗教界と政界の支配者たちに証言しました。彼らは音信をたずさえて王たちや支配者たちの前に来るであろうとキリストは預言されました。この度は追放された支配者たちでしたが,それでも彼らは権力と勢を持つ者たちでした。

すべての私たちは今日,ハンガリーの兄弟たちと歓喜することができます。彼らはヱホバに捧げた誓いを果しつつあります。彼らは良い音信を伝道しています。全部が監獄にいるわけではありませんが,ある人はやはり次のように書いています,『私はある炭坑に属している労働収容所に15ヵ月間いました。そして260名の他の兄弟と交わりを楽しみました。ここでは,正義の宿る神の新しい世におけるさらに大きな活動に備えて,学んだり訓練したりする良い機会にめぐまれたため,私たちは霊的に飢えることはありませんでした。』私たちはたえず彼らのために祈り続けます。

ポーランド

ポーランドにおける昨年中のヱホバの証者の活動は,一つの進歩であり,円熟性を増してきました。圧迫の激しい時に,多くの新しい人々が集められるさまを見るのは,全くすばらしいものです。ポーランドには確かに立派な奉仕者の組織があり,御国の良い音信を伝道するヱホバの証者は,この国でよく奉仕しています。急速な増加と,来るべき年の収穫の業と他の羊を集める業に備えて今年はその基礎が置かれたと言われています。支部の僕は昨年釈放されたので,他の監督たちと共にその活動を世話する機会がありました。しかし,1957年9月13日にまた5,6人の他の同労者たちと共に監獄に送りかえされました。このことによつて証言の業は阻止されることなく,むしろ兄弟たちはかつてないほどに良い音信の伝道を決意するだろうと言われています。1950年の夏,ポーランド政府が組織を禁止して以来,責任を持つ僕たちが投獄されたにも拘らず,業はたえず発展してきました。

ポーランドの政府も,鉄のカーテンの背後における他の国がなしたと全く同じことをしました。つまり,政府は,責任ある兄弟たちに,組織を合法化する目的で,必要な手段を講ずるよううながしました。兄弟たちの代表は,1957年4月29日,ペンシルバニヤ州ものみの塔聖書冊子協会の憲章に匹敵する規則を,ワルシヤワにある宗教関係中央事務所の理事に提出しました。その時になされた討論は,両方の意見に相当の相違がありました。そこで理事はついに,その規則を注意深く調べ,この問題に関するその上の考慮はおつて沙汰をすると言い渡しました。理事は,国家の利益は保護されなければならないことを強調しました。その時以後,政府の宗教関係の役人からは何の連絡もありませんでした。行われたことと言えば,責任ある僕たちの逮捕と投獄だけで,ある者たちはしばらく後釈放されました。この事が何を意味するか分りませんが,しかし組織は,以前非合法にされた時と同じように急速に拡大しつづけることを期待することができます。鉄のカーテンの背後の兄弟たちは,この共産主義的仮面をつけた他のすべての国々におけると同様に地下にもぐつて活動しなければなりません。次に面白い経験を示しましよう。

同じ日に1つの区域が3つの会衆によつて3回伝道されました。地下にもぐつて活動しているとそのようなことは起りがちです。最初の会衆の伝道者たちはその区域を朝の中に伝道し,2番目は正午頃に,3番目の会衆は晩にこの区域にやつて来ました。その晩ある男の人は,その日に自分を訪問した3度目の証者に次のように言いました,『あなたたちの一人が今朝来ました。そして別の人が正午頃に来ましたが私はみなことわりました。しかし晩に3番目の人が来たからには非常に重要な事に違いないでしよう。どうぞはいつてあなたの音信の重要さが私に理解できるように一部始終を話して下さい。』

もう一人の伝道者は,一つの村全体が相当の関心を示したと報告しました。伝道者が最初の家を訪問しはじめると,老人も若い者も彼と一緒になつて,彼の話していた証言をもつと聞こうと,家から家について来ました。その村の最後の家に着いた時には,彼のまわりにはかなりの群衆が集まつていました。帰宅する時間だつたので,彼は気の毒に思いました。しかし彼は講演することに決心し,すべての人々は終りまで注意ぶかく聞きました。1900年昔,イエスの話を聞こうとして彼に従つた群衆を思い出さずにはいられませんでした。ポーランドの人々は確かに真理に飢えているのです。

もう一つは,小さな町で働いているある証者の経験です。彼はほんとうに興味をもつた一人の学生に会いました。その学生の説明した理由というのは次のようです。『私たちの教授は,全クラスに向つて,もしヱホバの証者に会つたら尊敬を示すようにと教えました。これらの人々は正しい事を行つている人々で,真正直に行動し,政治に手を出さない人々です。』

小さな村で働いていたあるヱホバの証者は,相当の興味ある人を発見しました。その証者の活動のためあるカトリックの牧師は彼に反対運動をはじめ証者たちが来たら話を聞かないで村から追い出すようにと告げました。村の農夫たちは毎週交代で,牧師が近くの村につとめに行くのを馬や車で送りとどけなければなりませんでした。真理に関心を持つ農夫が牧師を案内する番の時でした。道を行きながら彼は『ヱホバの証者たちもクリスチャンですか』と牧師に聞きました。『そうです』と牧師は答えました。『ヱホバというのは真の神の名前ですか』『そうです』とまた牧師は答えました。『ヱホバの証者たちは利口な人たちですか』『全くその通りです』と牧師は言いました。『ではなぜ私たちは利口な人たちに話してはいけないのですか』すると牧師は,ヱホバの証者はカトリック主義を踏みにじるおそれがあるのだとこぼしはじめ,『もしわれわれが防禦しなければ,彼らは間もなくわれわれの説教壇で彼らの音信を伝道するようになるでしよう。われわれは自らを守らなければ負けてしまう』と言いました。

1957年の奉仕年度中,ポーランドの兄弟たちは霊的食物をゆたかに与えられました。そして,必要物や衣服が欠乏した時には,スイスやスエーデンの兄弟たちが約4000ポンドばかりの衣服の包みを送り助けを必要としている人々を援助しました。彼らは,ある監督たちが再び投獄されているからといつておびえていません。ダビデが言つたごとく彼らも言うでしよう。『されどわれはわが完全によりてあゆまん。』

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