現代生活に対する聖書の答
この悩みの多い古い世の道は,ゆりかごから墓に行く道です。しかし聖書はより良い道を明るく示します。それはゆりかごから永続する幸福と生命に至る道です。あなたはどちらの道を取りますか? この記事を読んで下さい。あなたはいま,実際的な道,より良い道を生活し始めることが可能であると分ります。
今日,聖書は現代のものですか? 多くの人にとつて,聖書が現代に実際的である事は,文学的価値,政治演説,誕生日の贈物,それに文字組み合わせの遊びに限定されています。生活の諸問題に対する聖書の答は何ですか? その答は今日実際的なものですか? どうして知ることができますか?
聖書を実際的でないと考える人は,聖書を知らない人たちではないでしようか? 古臭い時代遅れの言語を用いている聖書翻訳を気まぐれに嚼ると,聖書の原則も古臭い時代遅れのものと人は誤りの悪い結論を得てしまうかもしれません。聖書の標準を正しく評価し得るのは,現代の言語の翻訳が用いられていても,用いられなくても,ただ聖書の知識を得ることによるのです。偽らない実状はこうです。聖書は流行遅れであると一番大声でさけぶ人々は,聖書の知識を知らない人か,または聖書の原則を適用しない人々です。
聖書は実際的でないと見るならば,それではこの世に何が存在しているかをちよつとのあいだ見てみましよう。この世を見るとき,この世はどれ程実際的なものであるかと,尋ねることができます。―金を愛すること,強盗,殺人,増加する年少者犯罪,充満する刑務所,淫行と最も汚い不道徳,幼児の闇市場,結婚の失敗,賭博狂,唖然とする程の英雄崇拝,増える一方の自殺,麻薬耽溺,酒の耽溺と自暴自棄の無希望,猛烈な国家主義,革命,暴動,そしてマルス軍神に捧げられる大量の血の犠牲などです。
しかし,聖書は全く現代的であり,そのような悩みの多い問題に答えているとどうして私たちは知りますか? 聖書はヱホバ神の霊感をうけた人により書かれたものだからです。その一人の人はこう言いました『ヱホバの霊わが中にありて言い給う。その諭言わが舌にあり。』(サムエル後 23:2)発明者よりも機械の働きを良く知つている人がいるでしようか? それと同じく,ヱホバは生ける機械,すなわち人間の体の円滑な働きに何が最善であるかを知つておられます。
聖書と真の科学
聖書は現代的についてのすべての試験になぜ及第するか,いま理解することができます。聖書は非科学的であると批評家は繰り返し言います。しかしその批評家は知識を示すのではなく,反つて無智を表わしています。聖書はいつも真の科学と調和して来ました。地球は空間にある塊で,太陽の囲りを廻るという理論は,ニコラス・コペルニクス(1473-1543年)によつて言われました。しかし,コペルニクスの時より3000年も以前に,地球は空間にある塊であると聖書は示しました。『彼は北の天を虚空に張り,地を物なき所に懸けたもう。』マヂェラン(1480-1521年)は,世界の1週航海をしたとき,地球は円いということを証明しました。しかし,マヂェランの時より約2200年前に,地球は円いということを聖書は示しました。こう述べられています。『ヱホバは地球の円の上に坐り給う。』― ヨブ 26:7。イザヤ 40:22,ア標。
聖書と考古学? 完全な一致です。聖書によると,人間は完全に創造されたが,アダムの罪の故に堕落し,進歩発達はなかつたと言われています。聖書は現代的であつて,進化論は古臭い時代遅れであると,考古学は発見しました。ある権威はこう言いました『エジプト文化は,非常に高い標準で始まつているが,後には絶えざる堕落の記録により,大変な程度に落ちてしまつた。』エジプト12代王朝の宝石と金細工について,現代の百科辞典はこう述べています。『欧州の金細工師で,この作品以上のものを造つた者は先ずいない。』
聖書と化学? 再び一致しております。聖書は金とガラスについて語つており,また酸塩基反応について語つています。『心の傷める人の前に歌をうたうは,寒き日に衣をぬぐが如く,曹達<ソーダ>のうえに酢を注ぐが如し。』聖書は鉄と銅の源について語つています。『鉄は土より取り,銅は石より鎔して獲るなり。』― シンゲン 25:20。ヨブ 28:2。
聖書と動物学? 聖書には,動物の習性の正確な知識が示されています。まつたく,19世紀になつても,食肉鳥は臭によつて獲物を求めたと人は考えていました。アウドボンは実験を行い,見ることにより獲物を求めると証明しました。しかし,聖書を読む人には,アウドボンの実験を必要とせずに真理を知ることができます。なぜならば,ヨブ記 39章29節は,食肉鳥についてこう述べています『そこよりしてつかむべきものをうかがう。その目のおよぶところ遠し。』
聖書と健康? この点で,聖書は多くの現代人よりもずつと現代的なものです。聖書は早い引退,安易で怠惰な生活をすすめていません。聖書はよく働くことをすすめています。ここ最近の2年間のうちに,医者は働くことの必要さと,安易な生活および休息の危険に目覚めています。1954年11月号の科学ダイジェストは,英国バーミンガム大学の医薬教授ダブリュ・メルビル・アーノット博士の言葉を伝えていました『働くこと,たとえはげしく働くことも,人間には益となり,休息は害を与えるものである。……アーノット博士の述べるのに,働いた結果で健康組織を傷つけるものは一つもないということである。むしろ,働いた結果は皆良いものである。……これとは別に,休息は深い害をなす変化を生ぜしめる。』それで,霊的にも肉体的にも,聖書の助言は真実であります。『懶惰は人を酣寝せしむ。』― シンゲン 19:15。
聖書と病気? 病気の原因についての現代人の知識より約3000年程前に聖書は豚,兎,そして魚を食べることについて禁じておりました。それらは夫々旋毛虫病,野兎病,さなだ虫に罹るものです。同じように,ある特定の病気の人を隔離する原則は,聖書に認められています。
聖書と医薬? 全く現代的なものです! しかし20世紀の迷信的な癒しや,籔医者の癒しはどれ程に現代的なものでしようか? 一人の医者はこう述べました『医科学の見地から見て,聖書がかくも正確であることは全く驚くべきことがらである。……腫物,傷,その他についての治療が述べられているところは,現代の標準から見ても正確である。それに,現在7億5000万ドルが毎年価値のない医薬品や治療方法に浪費されている。非常に多くの人は,いまでも多くの迷信を信じている。例えば,ポケットに七葉樹を入れれば,リゥマチが防げるとか,ひきがえるに触れると疣ができるとか,赤いフランネルを首に巻けば,咽喉の痛みが直るとか,阿魏の袋は病気を防ぐとか,あるいは子供が病気の時はいつも虫が子供にいるとか,その他の事柄である。しかし,聖書の中にそのような言葉は全然見出されないのである。』― シー・レイマー・スミス著『医者は聖書を調べる』(英文)
道徳・精神そして教育
悲しむべき道徳,病気の精神,そして無意味な教育は,すべてこの時代の産物です。しかし,聖書の原則はそのような種類のものを何一つ生じません。ある批評家たちは,イエスを誇大妄想狂者,つまり自分をナポレオンのように考える豪者の幻想に憑かれている人と呼んでいるのは真実です。しかし,そのような批評家に尋ねますが,狂人で山上の垂訓に少しでも似ている言葉を話した人はいるでしようか? 山上の垂訓は『あらゆる法律と公正の精髄を含む』と,アブラハム・リンカーンは言いました。それだけに止まらず,指導的な精神病医師の一人,ジェームス,タッカー,フイッシャーは自著『少しのボタンは失われている』(英文)の中の『精神病医師の臨床手記』でこう言いました。『仮に次のことを仮定してみよう。精神病に関して最も資格ある心理学者と精神学者の書いた権威ある記事を全部集めることにしよう。そしてその記事を接ぎ合わせ,改良し,余分の言葉を取つて仕舞う。そのことは丁度肉だけ全部取つてしまつて,野菜を全然取らないのと同じ具合である。それから最も巧みな現代の詩人たちがこの混り物のない純粋な科学の知識を簡明に書き表わすならば,大体山上の教えのあらましみたいなものができるであろう。山上の教えと較べて,もちろんそれには変なところもあり,不完全であるのは己むを得ない。』
最高の地位にいる為政者たちは,聖書を実際的なものと敬つています。『後の為政者で精神面および道徳面で匹敵し得る者は殆どいない』ジョン・クインシイ・アダムス,アメリカ大統領は次のように言つたと歴史は述べています。『私はこの世の人のごとく,この世の人々にむかつて話をする。あなた方に言う,聖書を調べ求めよ! 聖書はあらゆる他の書物の中で最善の本であり,いかなる時代でも,またあらゆる環境にいる人も読むべきものである。』著名なアメリカ人の教育家ウイリアム・リオンズ・フエルブスはこう言いました『大学の課程なしで聖書の知識を持つことは,聖書のない大学の課程よりもはるかに価値あるものと私は信ずる。』
聖書は実際的なものと証明さる
偽りの宗教の大浪は,人類を淵に陥れました。間違いの海からどのように離れるかは,問題となつています。聖書はどの宗教をも判断する基準であるために,この問題を解決しております。聖書だけが偽りの宗教を曝露し,人を助けて,真の宗教を認めさせる唯一つの書物です。キリストの使徒はこう言いました。『聖書はすべて神の霊感をうけたものであつて,教えや戒しめや,物事を正しくする事,義しく躾けることに有益なものである。それは神の人があらゆる良い業に対して十分の備えができて,全く整えられた者になるためである。』― テモテ後 3:16,17,新世。
主の次の命令をのぞいて,世界戦争という問題を含めて今日の多くの問題を解決する原則はあるでしようか?『それで,何事でも人々からして貰いたいと欲するすべての事を人々にもその通りせよ。』自称クリスチャンたちがその命令に注意を払うならば,警察力,刑務所,あるいは電気椅子の必要はないでしよう。真のクリスチャンは,その高い標準に従つて生活します。―マタイ 7:12,新世。
姦淫,淫行,盗み,暴飲は,聖書の固く禁ずるものです。これらの問題に対する聖書の答は明白です。使徒はこう警告しました『淫行の者,偶像崇拝者,姦淫を行う者,男娼となる者,男色の者,盗む者,貪欲な者,酒に酔う者,強奪者は一人として神の御国を相続しないであろう。』(コリント前 6:9,10,新世)これらの悪行に対する人間の罰は,多くの場合軽いものです。しかし,神の罰は重いものです。この世の道は,なんと愚かなのでしよう! その悪行は,永遠の死に導きます。生命は実際的なものであり,死は実際的でありません。
聖書は年少者犯罪にどう答えていますか? 両親の怠慢がその原因であると聖書は示しています。聖書は両親に命じ,『その正しい道に従つて子を躾けよ』と述べ,日曜学校に追いやつて,それで子供が正しい道を行くと期待してはならないと述べています。聖書は,子供を育てることについての現代人のある見方と一致いたしません。例えば,自分の思う通りの勝手気儘に子供を成長させることは間違いであり,罪に導くと聖書は示します。『愚かなること子の心の中に繋がる。』子供を罰するときに,鞭を実際に使うことは時に必要となるでしよう。聖書はこのことを認めています『子を懲らすことをせざるなかれ。鞭をもて彼を打つとも死ぬることあらじ。』― シンゲン 26:6; 22:15; 23:13。
感情の煩悶や精神病は,今日充ち溢れていますが,それは当然であります。憎しみ,怒り,心配,恐れ,そしてしつとの恐ろしい仮面は,大部分の人の顔につけられています。この重大な問題に対する聖書の答は,キリスト・イエスの述べられた生命についての二つの大きないましめです。『「心をつくし,魂をつくし,力をつくし,精神をつくして,あなた方の神であるヱホバを愛さねばならない。」また「自分のごとくあなたの隣人を愛さねばならない。」』これは実際的な助言です。それは成果を得ます。なぜならば,愛は恐れを追い除き,癒しをするからです。『愛は耐え忍び,感謝の心である。愛はしつとせず,誇らず,高ぶらない。不作法をせず,自分の利益を求めない。いからず,うらみを抱かない。』― ルカ 10:27。コリント前 13:4,5,新世。
聖書の答は実際的なもの,つまり実践し得るものでしようか? 全く実際的なものです。ここにその生ける証拠があります。すなわち,生活のすべての問題に対する聖書の答を適用している人々の制度があります。これはヱホバの証者,つまり聖書の原則を毎日毎日実践し,適用しているクリスチャンたちの新しい世の社会です。人種や国籍がどんなものであろうと,彼らは互に愛し,互に一致し,何処にいようとも幸福であります。新しい世に『正義は住む』と聖書は述べています。新しい世の生命を得るために,人はいま正義を実践しなければならぬと新世社会の人々は知つています。―ペテロ後 3:13,新世。
ヱホバ神と彼の御目的を知つて,人は初めて真の幸福を知ります。そのようなよろこびをもたらす知識は,ただ聖書から得られるものです。つまりこういうことです。生活についての大いなる教訓の書の知識を得て,次に生活の毎日の諸問題に適用するとき,人は真実に生活し始めます。
この世の組織制度の全部の標語は,ゆりかごから墓へ,であります。それは実際的ですか? しかし,聖書は人間の大きな問題である永遠の生活の仕方を教えているために,現代のものであり,実際的なものです。『あなたは幼い時から聖書を知つている。聖書はあなたを賢明にし,……救に至らせるものである。』ゆりかごから決して終ることのない幸福と生命 ― それこそ真実の生活です。いま生活し始め聖書を読んで下さい。多く読み,また新世社会とともに交つて聖書を研究して下さい。そうするならば,生命が始まるとあなたは知るでしよう。―テモテ後 3:15,新世。伝道之書 12:13。