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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 1/1 19ページ

それは小さな印刷物にすぎませんでした

毎年,エホバのクリスチャン証人たちは,幾百,幾千万枚ものビラを配布し,自分たちの王国会館や他の集会場所で開かれる講演会に人々を招待しています。裏面に聖書からの短い音信を載せたこれらのビラは,人々が生活を大きく変化させるきっかけともなってきました。また,家庭聖書研究を勧めるパンフレットやちらしも同様の結果を生んできました。

● 1971年11月,米国西海岸のある王国会館に,長髪でひげを生やした青年が入って来ました。正しい宗教を探していた彼は,それぞれの教会の主だった話し手の話を聞くことに決めていました。それで,下宿の窓わくに,王国会館での講演会を案内するビラがあるのを見つけた時,それに出席することに決めました。講演者が,ものみの塔協会の代表者であることを知り,彼の興味はそそられました。なぜなら,話し手は重要な人物であるに違いないと考えたからです。

王国会館では一人のエホバの証人がこの青年に近づき,会話の中で聖書研究を勧めました。しかし彼はその申し出を拒みました。ところが,旅行する監督によってなされた講演が終わると,彼は家庭聖書研究について考えてもよいと語り,「ものみの塔」研究と,旅行する監督による最後の話にもとどまりました。その後彼は聖書研究にすすんで応じただけでなく,バプテスマを受けるために何をしたらよいのかとさえ尋ねました。

次の日の晩つまり月曜日に,証人の家で聖書について話し合う取決めが設けられました。この青年は,たくさんの質問を持ってやって来ました。その週の木曜日の晩,さらに多くの質問が取り上げられました。質問のすべてに答えが与えられると,この若者は言いました,「いいでしょう,研究しましょう」。

次の日,彼はその晩に予定されていた神権宣教学校,奉仕会の二つの集会のために王国会館にいましたが,初めはだれもそれと気づきませんでした。髪を切り,あごひげをそり落としていたからです。―コリント第一 11:14。

聖書研究の面で進歩しましたが,彼は,聖書について人々に伝えるため『家から家へ行くことなど自分にはとてもできない』と証人に告げました。ところが,間もなく彼は家から家へ宣べ伝える業に携わるようになっていました。五か月間勉強しただけで,彼は自分の生活を神の義の要求と合わせ,自らをエホバにささげてその献身を水のバプテスマで表わしました。

● 幾年か前,米国イリノイ州シカゴに住むある男の人は,ドアの下に一枚のちらしを見つけました。彼はそれまで一度もエホバの証人について聞いたことがありませんでした。そこの女家主はエホバの証人ではありませんでしたが,彼らの業に多少関心があり,ドアの下にそれを置いたのです。そのちらしには次のような質問が掲げてありました。「聖書の教えを知りたいとは思われませんか」。その内容をどちらかと言えば急いで読んだのち,この人はそのちらしをテーブルの上に置きました。その後,時々それを拾い上げては読んでいました。しかし,二週間ほどして好奇心を抑え切れなくなり,エホバの証人がいったい何を教えているのかを知るため,日曜日に王国会館へ行ってみることにしました。

王国会館で彼は暖かく歓迎されました。帰る前,証人たちは彼に読んでもらうためさらに文書を渡しました。次の日曜日に再び王国会館に来るまでに,彼はそれを読んでいました。読んだ事柄から感銘を受けた彼は,さらに幾らかの文書を求めました。そして,その日曜日,証人たちの一人は,彼と聖書を勉強するよう取り決めました。

この人は,キリスト教世界のいろいろな教会の礼拝に何年間も参加してきました。また,いわゆる“心霊科学”に関する多くの本も読みましたが満足を得ていませんでした。王国会館を訪ねた結果,彼はそこに真理があることを確信しました。聖書を研究する面で進歩を続けましたが,喫煙の習慣をなかなかあきらめられませんでした。(コリント第二 7:1)しかしついに,彼のことばを借りれば,「多大の祈りと決意をもってそれをやめ」ました。その後,彼は自分の命をエホバ神にささげ,それを水のバプテスマで表わしました。

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