要求される有効な経済体制
西の世界の経済は,一昨夏以来同じものではなくなった。事実,二度と同じになることはないだろう。
昨年8月15日,それまで用いてきた制度が,ニクソン米大統領から致命的な一撃をこうむって以来,長い不安定な時代が始まったのである。
同大統領の措置は非共産主義世界に経済的悪夢を生みだした。以来,諸国家は新しい有効な経済体制を模索してきた。
それにしても,なぜ古い体制は廃されたのだろうか。新しい体制のほうが,失敗に帰した古い体制よりもすぐれたものになるという希望でもあるのだろうか。
古い経済体制
従前の経済体制は,1944年,米ニューハンプシャーのブレトン・ウッズで開催された西側諸国の会議で確立されたものである。同会議は国際通貨基金と呼ばれるものを設け,最後には100以上の非共産圏諸国がこれに加盟した。
この制度の基礎を成したのは何か。この制度はアメリカのドルを基礎にしていた。当時アメリカは世界最強国で,その通貨も最強であった。そこで国々は,ドルとの関係で自国の通貨の価値を固定させることに合意した。
諸国家は自国の通貨の協定平価の変動幅を上下1%以内にとどめることに合意した。こうした通貨の安定策は世界貿易をずっと容易にした。政府も事業家も,他国の通貨に換算した場合の自国の通貨の価値をいつも知っていたからである。その結果,一国の製品の価格の決定は比較的容易になった。為替相場の大幅な変動を考慮する必要がなかったからだ。
また,アメリカのドルを,国際通貨基金の基礎的準備通貨とすることも協定された。そして加盟国は,アメリカとの貿易で得た剰余金でドルを蓄積しすぎたなら,ドル紙幣をもどして,1オンス35㌦で金と交換することができた。こうして,1944年に発足した経済体制はアメリカのドルをその基礎にし,そのドルはまた,ぼう大な金準備によって保証されていた。
なぜそうなったか
では,なぜこの制度が廃止されたのか。なぜアメリカは,非共産圏全体の財政を混乱させるような措置を自ら講じたのだろうか。
ある米人実業家は基本的な理由を指摘して,アメリカの指導者たちは「酔っぱらった水夫のように納税者の金を世界中で使っている」と語った。
これは複雑な問題の説明としては簡単すぎるかもしれないが,基本的な真理をついたことばである。第二次世界大戦以来アメリカは確かに,他国で莫大な額の資金を主として軍事費,対外援助計画,企業投資に費やしてきた。商取引による剰余金もあるにはあった。つまり輸入より輸出のほうが多かった。しかしそうした剰余金も,他の分野での莫大な支出を相殺するには不十分であった。
したがってアメリカは,第二次世界大戦以後ずっと,そして近年はことに,もうける以上に多くのお金を外国で費やした。その結果,『国際収支』と呼ばれるものは赤字のくりかえしであった。こうしてアメリカは,年ごとに海外でお金を失った。個人にせよ会社にせよ,そんなことをいつまで続けられるだろうか。もし続ければ,倒産は必至である。おそかれ早かれ決算日はやってくる。
その日は1971年にきた。それまでにアメリカの国際収支の赤字はぼう大な額にふえていて,アメリカの金準備の5倍ものドルが外国人の手中にあった。
なお悪いことに,今世紀になって初めて,実に1893年以来はじめて,米国の貿易収支は悪化し,輸出の利益よりも輸入の支出のほうがふえはじめた。長期にわたる軍事費の支出,対外援助,その他の海外における支出,それに今は貿易収支の悪化が加わって,アメリカは他国との金融取り引きにおいて倒産に向かいはじめていた。他の国々の莫大な額の勘定書を払うだけの利益をあげていなかったのである。
1971年の半ば,ジョン・コナリー財務長官は,アメリカの財政状態が急速に悪化していくのを認めた。また,1971年前半期の国際収支の赤字はこれまでの赤字の3倍近くに達するほどにぼう大なものであることも明らかにされた。
加えて,同年の国内予算の230億にのぼる莫大な赤字があった。きたるべき年の赤字はさらに大きいことが予想された。そして賃金と物価は上昇していた。インフレは抑制不可能に近い状態にあった。そのためにアメリカ製品は高くなって,世界市場からしだいに後退し,貿易は不振に陥った。
昨年7月末までに悪化の度合はスピードを増し,なんらか手を打たねばならなかった。1971年8月30日号,ニューズウィーク誌は次のように伝えた。
「先週のはじめ,ニクソン氏は,ホワイトハウスでの議会の指導者たちとの話し合いで,なんら措置を禁じない場合の危険について背すじの寒くなるような話をし,もう2週間もほっておいたら,ドルは『破局』を迎えていたであろう,と語った。居合わせた人たちの1人は,大統領の話から,国内状況もそれに劣らずきびしく,また同様に重大な事態にあると考えた。『種々の兆候は,12月までにおそらく9%以上のひどい失業状態が生ずることを示唆している』と彼は述べた」。
アメリカの経済政策が失敗したことは悲惨なまでに明白であった。「破局」を回避するためには直ちに思いきった措置,以前大統領自身が取らないと言っていた措置を取らねばならなかった。そしてアメリカ経済の破局は非共産圏全体を1930年代の不況と同じほどの,あるいはそれ以上の悲惨な状態に落とし入れるおそれがあった。
大勢をくい止めようとする試み
こうして8月15日,ニクソン大統領は,テレビ放送を通じて,破局への移行を阻止するための計画を国民に発表した。
大統領の方策のおもなものには,90日間の物価および貸金の「凍結」,他国との金・ドル交換を停止することによって金の流出を阻止する,政府の支出を削減する,国民と企業の税金を減らす,外国からの輸入品の多くにさらに10%の関税をかける,などが含まれていた。
しかしアメリカは,1944年の協定に反して,ドルと金の交換を停止することにより,ブレトン・ウッド協定を骨抜きにしてしまった。アメリカの選択の余地はないと考えた。なぜかというと,1948年にはアメリカは240億㌦相当の金を保有していたが,1971年の半ばにはそれが100億㌦少々しか残っていなかったからだ。しかし外国人は,その金を要求しうるドル紙幣を約550億㌦持っていた。
他の国々は概して,ドルを金に交換しないことに同意するだけの礼儀をわきまえていたとはいえ,自国の経済を危険にさらすことなくそうした事態を長く持続させることはできなかった。かといって金に“走る”ならば,アメリカは倒産し,その影響で基金加盟国はすべて危機にさらされるだろう。そこで金交換の窓口は,追って沙汰のあるまで閉鎖ということになった。
アメリカは,ドルを金から切り離すことにより,世界金融市場でドルを“変動相場制”に移行させた。今やドルは,需要と供給の法則にしたがって,それ自身の価格を見いださねばならなかった。ドルの勢いは振わなかったので,ドルの需要は他の通貨,とりわけドイツのマルクおよび日本の円と比べて小さかった。そのためにドルの価値は他の通貨との関係において低下した。これは要するにドルの切り下げである。
ドルはもはや他の国々で以前ほどの価値をもたないということである。だからたとえば,あるドイツ製品に以前100㌦支払ったなら,今は105㌦かそれ以上支払わねばならない。確かに,米国にはいってくる外国製品はほとんどすべてもっと高くなるだろう。
その値上がりは,外国製品に対するアメリカ人の購買意欲を押え,輸入を減らして貿易収支の赤字の是正に資するであろう,というのが希望であった。それに,外国通貨は以前より多くのドルを買うであろうから,そのためにアメリカ製品は他国にとって安くなり,売れ行きが伸び,貿易収支の是正はさらに進むというわけである。
輸出超過の回復は重視されている。なぜだろうか。USニュース・アンド・ワールド・リポート誌は,軍事費,経済援助,米国人の海外投資に必要な対外支出をまかなうには,米国の貿易収支を黒字にもどさねばならぬ,というのがニクソンの考えであると述べている。
大統領はまた,他国に通貨の切り上げを促すため,10%の課徴金を実施した。この税金は外国製品の値段を上げて,アメリカ人の購買欲を押える。外国通貨の切り上げがアメリカの満足するまで行なわれたなら,課徴金は撤廃されるということであった。アメリカの目標は,日本の円が12%ないし15%,ドイツのマルクが約8%,そして他の通貨も若干切り上げられることである。
これと関係していたのが90日間の賃金と物価の凍結で,その後他の抑制策が予定された。これはインフレの阻止に役だつだろう。アメリカ製品の価格の上昇速度は落ちて,世界市場における競争力が増すだろう。また,自国のお金が年々購買力を弱めていくのを見てきたアメリカ人の高まる怒りも静めることができる。
海外の反応
他の国々はこうした事態に対してどう反応しただろうか。共同市場貿易委員会の西独のメンバー,ラルフ・ダーレンドルフは言った。「アメリカの相手国は『ショックを受け』『ぼう然自失した』という表現ほど,ニクソン大統領の新経済政策の影響の説明に広く用いられた表現は少ないであろう。これにはいくつかの理由がある。措置が急激であったこと,事前の話し合いがなかったこと,決定項目のいくつかが直ちに発効したことなどである」。
とくに大きなショックを与えたのは,10%の課徴金の実施,および金をドルと交換するという27年来の約束を破ったことであった。対米輸出の減少という見込みは,他の国々の経済にとっては脅威であって,失業率の上昇という,よう怪さえ呼び出すおそれのあるものであった。ダーレンドルフが述べたとおりである。「欧州共同体の対米輸出はだいたい70億ドルにのぼるが,その90%近くが影響を受けるものと見られている。……将来,貿易にかなりの混乱が見られることには疑問の余地がない」。
他の国々はこれにおとなしく従うだろうか。長期間そうするのはおそらく不可能なことであろう。ニューズウィーク誌は次のように論評している。「ソ連共産党機関紙プラウダは,アメリカはその同盟国に対して経済戦争を宣言した,と言ったが,それは真実に近い」。また,ある銀行家は,「米大統領は爆弾を人々のひざに投げ込んだ。彼らも同じように投げかえすかもしれない」と言った。
国外の一般の人々にも,おもしろい反応が現われはじめている。ヨーロッパのある保養地で,英国の観光客は「ところで,貧乏人になった気分はどうですか」と聞いてはアメリカ人をからかっている。また別の国で,ある米人観光客が買物をして,ドルで支払おうとしたところ,店員は辛らつな口調で,「そんなくず紙じゃだめですよ」と言った。
だから,ニューヨーク・タイムス紙が,客員記者の寄稿した社説で,「世界金融センターにおけるドルの不人気は酔いをもさますほどのものがある」と述べたのはもっともである。
はたして有効か
アメリカのとった措置は効を奏するであろうか。下り坂にある米国経済を建て直すものとなるであろうか。ドルはかつての力と威信を取りもどせるであろうか。有効な新経済体制が古い灰の中から生まれ出るだろうか。
なんらかの新しい国際経済体制が台頭するということは,初めからわかりきっている論である。それがはたして古いものより有効かどうかは,時がこなければわからない。世界の政治家にせよ経済学者にせよ,何が起こるかほんとうに知っている者はひとりもいないのが実状である。コナリー米財務長官が,「われわれは,だれもが全く知らない力を呼び起こしてしまった」と言ったとおりである。
カナダ,トロントのグローブ・アンドメール紙の社説は,リチャード・ニードハムの重々しい論評を載せたが,それは昨年夏の危機の頂点直前に書かれたものである。彼は英国経済とその通貨の長期にわたる衰微に触れながら次のように述べた。「世界がドルから逃避していることは,私の生涯中ほとんどずっと続いているポンドからの逃避と比較できる。理由は同じようなもので,ドルがもはや尊敬されなくなったのは,その背後の産業努力がもはや尊敬されなくなったからである」。
この二つの国の類似点はそこにある。両者とも長期間,収入以上の生活をし,競争力の最も強い価格の良い品物を作ることをやめてしまった。そこで,ニードハムは次のように結論している。「米ドルの衰退はくい止めうるであろうか。もっとはっきり言って,アメリカの衰退をくい止めうるであろうか。わたしは,くい止めえないと思う。ここでもわれわれは英国のポンドのことを考えねばならない。一国がいったん衰微しはじめたなら,それを阻止する方法はないようである」。
しかしながら,聖書の研究生はこの世界経済の将来がどうなるかを知るのに,世界の指導者や経済学者の推測に頼る必要はない。神の預言のみことばは問題を明確に述べているゆえに,世界経済の将来を知っている。つまり世界経済は諸政府もろとも姿を消すことになっている。そうした体制はすべて,神の指導による政府と経済体制により取って代わられるのである。―ダニエル 2:44。