そろばん ― 玉を使う東洋の計算器
台湾省の「目ざめよ!」通信員
日本の婦人が近所の店でいくつかの品物を買った,「おいくらですか」。彼女は尋ねる。店主はそろばんを取り上げ,斜めに傾けると,指でさっと玉をはじき,前の計算をご破算する。そしてそれぞれの値段を,口で言うのと同じ速さで加えていき,最後の値段を言うがはやいか合計を読み上げる。婦人はだまって言われた額を払う。彼女にとってその答えは,金銭登録器の計算と同じほど信頼できるのである。
東京のある銀行で,ひとりの旅行者がポケットマネーを全部円に替えることにする。彼の所持金は53㌦67㌣である。行員はそろばんを取り上げ,筆算のためにその数字を紙に書くよりも速く答えを出す。設備のゆきとどいた銀行の中を見回わしながら,その西洋人が頭をひねるのも,もっともである。最新式の事務機械やタイプライターがたくさんある。にもかかわらず行員の4分の3は,計算をそろばんにたよっている。
たしかに日本と中国では,どこに行っても,この古い計算の東洋版であるそろばんが絶えず使われているのを見る。店の主人がわずかの数字を加えるのにそろばんを使っているのを見ると,「そろばんなんかにたよらないで,どうして暗算しないんだろう」と思って,その真の価値を侮るかもしれない。少なくとも私は,はじめて日本に行って,人々がそろばんに頼りきっているらしく見えたときに,そう思った。
しかし,事務員や銀行の出納係りが,複雑な問題の計算にそろばんを使うのを見ると,人はきっとそろばんをもっと尊敬するにちがいない。もし尋ねてみるなら,その短い時間に,問題を計算しただけでなく,最初の数字を出すために逆から計算して験算もしたのだ,ということを知らされるだろう。そして「まったくすばらしい」と思うだろう。何個か玉のついた木のわくで,それだけの計算を行なうのである。
古代から現代まで
そろばんは,人間が知っている一番古い計算器のひとつである。たとえば,古代ギリシア人やローマ人はそろばんを使った。ローマ数字には位取り記法とゼロの概念がないので,計算にはなんらかの助けが必要だった。ローマ数字XCVIIIとLXXXIXとを加えることを試みてみれば,問題はよりよく理解できるだろう。この二つの数をかける努力は,問題をさらに明らかにするだろう。西洋では,位取り記法とゼロの概念を持つ“アラビア”数字の発達によって,そろばんの必要が減少した。
しかしそろばんは,中国人と日本人のあいだに暖かい新住居を見いだした。けれども西洋でも,多くの人におなじみの簡単な形のそろばんは今日も使われている。あるいはあなたも,そろばんに似た道具の助けを借りて,数を習いはじめたかもしれない。それは,色の玉をたくさん通した一組の水平の棒で,世界のどこへ行っても,ベビー・サークルにはたいていこれがついている。
中国のそろばんはスアンパンと呼ばれ,日本版はそろばんとして知られている。東洋のそろばんには,たてのけたがあって,二つの部分に分かれている。はりより上の玉は,その分割棒より下の玉の5倍の価値を持つ。中国のスアンパンには,図に見られるとおり,はり,つまり分割棒の上に2個,下に5個の玉がある。一方,最近の日本のそろばんには,分割棒の上に1個,下に4個の玉がある。
日本と中国のそろばんの基本的なちがいは,大きさと形にある。日本版の玉は一般に小さく,けたが多い。中国のそろばんは玉が大きくてけたが少ない。だから日本のそろばんは長くて細いが,中国のそろばんはそれほど長くない。日本のそろばんのように構造が小さいと,計算が速くでき,中国のそろばんのように大形だと,まちがって玉を動かすことが少なく,また読みやすい。しかしここ台湾省では,最近,日本式のそろばんに切り換える傾向が見られる。
基礎的原理
私はそろばんの基礎的原理を習うことにした。そして幅6㌢,長さ30㌢の日本の標準型のそろばんを買った。値段は2㌦相当だった。あるけたには,はりの上に小さな点がついている。計算者はそのうちのひとつを単位のけたとして選ぶ。その左のけたは十の位で,そのまた左は百の位,その左は千の位である。
単位のけたの右側のけたは十ずつ少なくなっていくので,10分の1,100分の1,1,000分の1などに等しい。したがってこれは十進法である。
説明によると,“ご破算”にするには,全部の玉がけたの底に,上の玉の場合ははりのところまで,すべり落ちるように,そろばんを自分のほうにさっと傾ける。そして上の玉の下部を,人差し指のつめでさっと横にはらって,上の玉を上げる。
さてもし,単位のけたの一つの玉を,はりもしくは分割棒につくまで押し上げるなら,ソロバンに1をいれたことになる。さらに2個押し上げて,下の玉を3個上の位置においたなら,そろばんに3をいれたことになる。
つぎに上の玉(分割棒の下の玉の5倍の値をもつ)を下げる。すると5を加えたことになる。つまり分割棒の上に5,下に3がはいっているから,合計8である。もしこれにさらに3を加えたいなら,単位のけたには十分の玉が残っていないので,左側の十の位にはみ出させねばならない。しかし8+3=11と考えないで,3=10−7と考える。まず単位のけたの5玉を上げ1玉を2個さげて7を除き,つぎに10を加える(つまり単位のけたの左のけたの玉を1個上げる)。そうすると図のように11という結果が出る。このやりかたはいろいろに説明されるが,実際の計算においては,自動的になる。
大きな数字はどうするだろうか。その場合は左端,つまり一番高い位の縦行からはじめ,左から右に計算していく。もし548に637を足したいと思えば,まず548をそろばんにおく。それから5に6を足す。6=10−4の規則または型に従って,百のけたから5を払い,同じけたに1を加え(−5+1=−4),次に左のけたに千の玉を1個加える。それから4に3を,8に7を足していくと,次頁の図のようになる。あなたはこの答えが読めるだろうか。1,185である。
左から右に計算するから,最初の数字がわかるが早いか計算をはじめることができる。暗算や筆算の場合は,問題の単位,すなわち右端から計算する。そろばんのほうが有利なわけだ。
知識を活用する
私は足し算と引き算を習った。そしてのちほど,数字をたくさん加える必要ができたとき,この知識を活用することにした。その結果は,時には悪く,時にはよかった。それで私はその理由を調べてみることにした。
珠算の技術に関する小冊子を勉強してわかったことは,私が無方式であったことと,指を正しく使っていなかったということであった。日本のそろばんを使う場合は,人差し指とおや指だけを使い,正確さと速さを望むなら,玉を動かすのに特定の順序に従わねばならないということを学んだ。中国のそろばんの場合は,形が大きいので,もう1本ほかの指を使うことがすすめられている。
少しの勉強と練習で私のそろばんもしだいに正確になった。だから最近外国から尋ねてきた友人は,西洋人の私が,東洋の小さな玉の計算器を使って,足し算や引き算だけでなく,掛け算や割り算までしているのを見ておどろいた。もちろん私は決して名人ではない。日本人や中国人の標準からすればたいへん遅い。しかし,そろばんがないとなれば,数字をたくさん積み重ねて,それを一生懸命筆算で加えねばならない者にとっては,たしかに多くの手間がはぶける。
長所と短所
そろばんの明確な利点は,維持費が最初の値段と同じく安いことである。最近,私のそろばんは玉がくっついて使いにくくなっていた。私はあきらめて新しいのを買うことにした。買いに行ったときにそのことを話したら,店の主人は,「それならだいじょうぶ。そろばんの手入れをする道具があります」と言った。私はそれを1個買った。20㌣もしなかった。それは,塩入れに似たプラスチックのケースに剛毛を植えたものだった。ケースの中にはチャコがはいっていた。剛毛の間には穴があって,玉をみがくためにブラシを使うとき,そこからチャコが出てくる。二,三回ブラシをかけたら,そろばんは新品のようになり,小さな玉がまたパチパチと前後によく動くようになった。電算器の手入れとはちょっと様子がちがう。
もちろん不利な点もいくつかある。そのひとつは,計算の過程の記録がないということである。計算が終わったときにあるのは答えだけである。また,級を取ろうと思えばだいぶん練習が必要である。私はそういう練習をしないし,複雑な計算をすることもまれなので,乗数や除数のけたが大きければ,掛け算や割り算は困難を感ずることが多い。
この電子時代に,東洋ではそろばんが盛んである。日本や中国の子どもたちはみな小学校でそろばんを習う。また日本では,定期的に行なわれる検定試験の準備を生徒にさせるそろばん塾が無数にある。検定試験はおもに3級あって,もし1級に合格するなら,事務所でよい地位を得る機会がずっと多くなる。これは会社が最新式の計算器を備えていても同じである。
そろばんの使用が頭脳に与える訓練は,そろばんに人気があるもうひとつのゆえんである。小島幸雄氏は,被除数と除数が5けたから7けたの割算の問題50問を1分18秒4で計算し,正しい答えを出した人として記録されているが,頭脳はそれほどまでに訓練される。また彼は,10けたの数10を13秒6で加えた。そろばんや紙やその他の助けを借りずにそれだけの計算をしたのである。そういう人たちは,そろばんを頭に描きながら暗算すると言われている。
中国や日本におけるそろばんは,より複雑な器械の進出でいくぶん後退しているとはいえ,東洋の商業界では,それはまだまだ固い地歩を占めている。将来はどうあろうとも,この東洋の事務用具と西洋の教育的がん具は,人間の数学の発達において,独得の場を占めている。私は,玉を使う東洋の計算器をほんとうによいものと思うひとりの西洋人である。
[10ページの図版]
中国のそろばんに11を置いたところ
[11ページの図版]
日本のそろばんに1,185という数を置いたところ