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  • 「神の千年王国は近づいた」と題する本による早期の収穫
  • 王国奉仕 1974
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王国奉仕 1974
宣 74/10 3–6ページ

「神の千年王国は近づいた」と題する本による早期の収穫

古代のイスラエルでは,収穫期は大いなる喜びを伴う時期でした。その喜びは何か月にもわたるものでした。というのは,早期の収穫にさいしては,亜麻や大麦それに小麦の取り入れが行なわれ,続いて後期にはぶどうやなつめやし,いちじくやオリーブの収穫が行なわれたからです。今回新たに出版された,「神の千年王国は近づいた」と題する本に関して大きな喜びを味わえる二つの備えを説明するのに,そうした昔の収穫を例えとして用いることができるでしょう。

最近の大会で発表されたとおり,きたる12月から会衆の書籍研究でこの本の研究が始まります。しかし,この新しい本からそのようにして霊的な優れたものを刈り取りはじめる前でさえ,その本から多くのものを得ることができるようになりました。というのは,いわば早期の収穫とでも言うべき取決めが設けられたからです。まもなく,きたる11月と12月に行なわれる一連の七つの公開講演を通して,この本の内容全体を手早く概観することになりました。

それら七つの講演は,皆さんに大きな益をもたらすでしょう。もしかすると皆さんは,今後2,3か月の間ゆっくり腰をおろしてこの本全体を研究するということは,とてもできそうにないかもしれません。そうであれば,その大要を把握するのに,今度の一連の講演を通してこの本の内容を手早く概観する以上に良い方法があるでしょうか。そうすれば,いわば鳥観図式に大要がつかめるので,12月から書籍研究でその本を詳しく調べるための良い基礎を据えることができ,こうして書籍研究をいっそう有意義なものにすることができるでしょう。

皆さんはこの講演を行なうよう割当てを受けないかもしれませんが,こうした「早期の収穫」つまり七つの講演から最大の益を得るのに助けとなることで,事前に行なえる事柄があります。これらの講演ではそれぞれ聖書の特定の部分,場合によってはあるたとえ話,あるいはある章が取り上げられて論じられることでしょう。では,講演が行なわれる前の週中に,おそらく個人で行なう聖書通読のさいに,あるいは家族と一緒に,そのような箇所を読む計画を立ててはいかがですか。そうすれば,その部分を扱う講演は,あなたにとって非常に価値の大きいものとなるでしょう。中には,その講演で取り扱われる,この本の幾つかの章を通読できる人もいることでしょう。できる人はそうしてください。その講演で取り扱われる,聖書の一部分とこの本の章は,以下に載せられている筋書きの各の箇所に列挙されています。毎週司会者は,次の週にどの部分が取り扱われるかを発表すべきです。講演にさいしては各自自分の本を持参し,本を見ながら話についてゆけるようにしてください。

講演者

次に掲げられている筋書きを見ればおわかりのとおり,各の話は,この新しい本の2章ないし4章ほどのかなりの資料を取り扱うものとなっています。ですから,割り当てられた章の中の論点すべてを自分の話の中に含めようとしてはなりません。もち論,それらの章を通読して大要をつかむのは有益なことです。しかし,筋書きは主要な部分に注意を向けていますから,講演にさいしてはそうした部分に注意を集中すべきです。

聴衆は聖書のある部分を事前に読んでおくよう,注意を喚起されているわけですから,講演にさいしては必ずその部分を取り上げて論じてください。兄弟たちがその部分を理解し,またその箇所の主要な意味を説明できるよう助けてください。聖書のその部分の適当な箇所と思われる所を読んだり,あるいは読んでもらったりすることもできます。また,割り当てられた章の中の,特に良い箇所に注意を向けさせたり,あるいはそのような箇所をこの新しい本の中から読んだりしても差しつかえありません。

各の筋書きには,主題および話を進めてゆく方向を示す目安となる幾つかの項目が掲げられています。それらの事柄は話を際だたせるのに助けとなる点ですから,話を準備するに当たってそうした事柄を念頭に置いてください。ある話は,基本的に言って,油そそがれたクリスチャンの問題を扱った資料を取り上げるものとなります。しかし,与えられている提案に従って,地的な希望をいだいている人たちがその問題にどのように関係しているが,その原則を物事の扱い方にどのように適用できるか,あるいはそれが自分たちの物の見方にどう影響するかを理解するよう聴衆を助けてください。

長老の皆さん,もしできれば,これらの講演をきたる11月と12月の期間に行なうようお勧めします。中には,それらの月々のために他の講演を行なうよう既に予定を組んでしまった所もあるかもしれません。しかし,それら既に事前に取り決めた講演の予定を再調整して,今度の七つの講演をその2か月間に行ない,そのようにしてできるだけ最大の益を図るように取り決めることは,可能ではないでしょうか。11月あるいは12月中に巡回監督の訪問,もしくは巡回大会が行なわれる予定の会衆では,これら七つの講演をそうした行事の前後に適当に組み込むことができるでしょう。

当然のことですが,これらの講演は地元の会衆あるいは近隣の会衆の長老たちが行なうのが最善の方法です。(「組織」65,66,93ページ;「王国奉仕」73年3月,2ページ)「人類のために回復される楽園 ― それは神権政治によるもの」(英文)と題する本に基づいて行なわれた,この種の講演を取り決めるに当たって,多くの会衆は互いに講演者を交換し合うことができましたが,もう一度そうすることができます。たとえば,二つか三つの会衆の間で講演をそれぞれ分担して受け持つことができるでしょう。最初の講演を準備した兄弟は,まずA会衆で話し,次にその講演をB会衆で行ない,最後にC会衆で話します。それから,この一連の講演の二番目の話を準備した兄弟が,前述の兄弟のあとを継いで1週間後にそれぞれの会衆で順番に講演を行ないます。こうして,適当な順番で次々に講演を行なってゆきます。

会衆の長老たちは9月に会合するさい,これらの講演の取決めを作ることができるでしょう。そして,詳細がまとまり次第,招待ビラを注文できますが,早めにそうするほうが良いでしょう。

1. 近づいた千年の平和

(「王国」1-4章。啓示 19:11–20:6を読む。)

千年間統治する支配者に関する約束については,人間のそれではなく,神の約束に頼ってください。(1章; 10分)人類のための永続する平和な支配をもたらすという約束は,あまりにもありふれたものであるため,そうした約束を信ずる人はもはやほとんどいません。クリスチャンはきたるべき平和な支配に関する聖句を引用できるかもしれませんが,どうして信じられるのでしょう。信ずべきどんな根拠がありますか。今日はこの問題を考慮しましょう。人間の支配者,あるいは人間の立てた政府で,永続した,そして恒久平和をもたらし得たものはありません。ヒトラーは,自分はそうし得ると豪語しましたが,失敗しました。(1-5節)神の意志は何ものにも抑えられることなく行なわれますから,神に頼るべきです。(6,7,11節。ダニエル 4:34-37)神は千年支配について予告し,そのことを啓示 19章11節から同20章10節までに6回指摘しておられます。王国が西暦1914年に天で樹立されたこと,また人類史の第七千年紀がまもなく終わることを示す証拠からすれば,わたしたちには一千年にわたる支配が近づいたことを信ずべき理由があります。(11-14,17,18節)

神は地上から平和妨害者を除去することによって,平和な支配のための道を備えます。(2章; 10分)条約や協定また交渉によって平和を保障しようとする人間の努力は,繰り返し失敗してきました。しかし,神は地に平和をもたらすご自分の方法を予告しておられます。それは平和妨害者を地から除き去ることです。聖書は,即位したみ子を,それを成し遂げるために戦いを指揮する者として描写しています。(啓示 19:11-16。1-3節)それは神のもたらす戦いであって,諸国民の間のそれではないので,その戦いで滅ぼされる者は,栄誉を受けて葬られるということはありません。(啓示 19:17,18。5節)世界の政治支配体制さえも除き去られてしまいます。(啓示 19:19-21。14,15節)

資格を持つ14万4,000人の支配者たちは,天から人類を助けます。(3章; 15分)神は,地上にも,また天にも「生存者がいることを保証しておられます。わたしたちはそのような者の一人となって,その結果もたらされる平和を享受できます。どのようにしてでしょうか。聖書の「啓示」は,天にいる平和妨害者たちもまた取り除かれることを示しています。(啓示 20:1-3)それらの者が方々に行って人々を惑わすということはなくなります。このことは,ある人々が生き残ることを示唆しています。これよりも前に,啓示 7章9-15節は,大群衆が患難を生き残ることを示しています。(4節)では,だれが人類を支配しますか。神は支配者たちを天に供えてくださいます。(啓示 20:4-6。8,11節)徐々に進歩して完全性に達し,命を享受する人間とは対照的に,それらの人たちは,不滅な者として復活させられます。(16-19節)この復活は,時間と重要性の点で第一のものです。(33節)あなたはそのような支配者を戴きたいと思いますか。それらの支配者について知れば知るほど,わたしたちは彼らを自分たちの支配者として戴きたいと願うようになります。(42節)

神の用いる支配者たちは,真の平和の促進者であることを示してきました。(4章; 20分)神は,今も神を愛しており,また今後も神を愛し,平和を愛してゆく支配者たちを選んでこられました。(4節)彼らはとかく人類を分裂させ,平和を阻害する,人間の支配者とは異なっています。(6節)そうした支配者たちのもとで,人類は一致結合し,ただ一つの言語を用いるようにさえなるでしょう。(8節。11,12節を読む。)それが平和に寄与するであろうことは容易にわかります。では,わたしたちはクリスチャンとして,国際的一致を図るよう今すでに努力しているでしょうか。(15節)天的な支配者となる油そそがれたクリスチャンは,宣べ伝えるわざの点で平和を促進しています。(イザヤ 2:4。17節)彼らは,平和の君であるイエスの手本に従っています。(イザヤ 9:6,7。21,43節)イエスは人間の政治を退けて,天の王国を強調しました。(47,49節)イエスが命じられた平和なわざにあずかることによって,近づいた,平和の宿る千年の間生き続けたいという,あなたの真の願いを表わすことができます。(51-54節)そうすることによって,人は平和を促進する支配者たちと手を結び,その千年の平和が近づいたという確信を表明するのです。

2. 天からの支配 ― あなたはそれを受け入れますか。(「王国」5,6章。ヘブライ 5:1-10; 6:19–10:25を読む。)

イエスとその仲間の王たちは,天による支配を受け入れる人たちの益のために仕えます。(5章; 15分)たいていの人はある国民の成員として生まれたので,天による支配を受け入れるかどうかを決める必要には決して迫られませんでした。政府はあからさまな欠陥を持っているため,多くの人は政府に対して冷淡,あるいは批判的です。支配者たちは貪欲,あるいは不正直かもしれません。政府のための神の備えは,それとは大いに異なります。わたしたちはそれを当然のこととしておろそかにしますか。それとも,真の関心を示しますか。それについて熱心に学んでいるでしょうか。神のお用いになる王,イエスは,天による支配を受け入れる人たちのために無私の態度でご自分の命を与えました。わたしたちは天による支配を受け入れますか。(1-3節)ダビデでさえイエスの地位を認めねばならなくなります。わたしたちはそれを認めますか。(6節)キリストはご自分とともに支配する仲間の王たちを持ちます。(啓示 20:4。8,10節)彼らはキリストの像にしたがって自らを形造りますから,愛のある,義にかなった,そしてわたしたちが尊敬するに値する者となります。(ペテロ第一 4:1。12節)これは政治的対抗のない,一致調和した政府を保証します。(15,16節)彼らは地上にいる間,大使として奉仕し,神に和解するよう個々の人々を援助することに努めます。(コリント第二 5:18–6:1。19,21,23節)神に忠節を示す大使として地上に留まっている間,それらの人々は,人間の設けた政治上の取決めと関係を持ったり,あるいはその支持者になったりはしません。(24-27節)彼らは千年にわたる支配期間中,人類を益することになります。(29節)

天からの支配をわたしたちが受け入れるなら,それらの支配者たちはまた,わたしたちのために祭司としての奉仕をも行ないます。(6章,79-89ページ; 20分)それら仲間の支配者たちはまた,キリストとともに仕える祭司となります。(啓示 20:6)あなたは腐敗した祭司に関するいやな経験を持っているかもしれません。多くの場合,祭司たちは人々を欺き,惑わしてきました。(使徒 14:8-19の内容を説明する。2,5-7節)イエスの仲間の支配者たちは優れた特質を備えているので,そうした腐敗した祭司のようになるということは考えられません。祭司にはどんな価値がありますか。(ヘブライ 5:1-3)わたしたち人間は罪深い者ですから,完全な祭司の奉仕を必要としています。神はイエスを義にかなった永久の祭司にしました。(ヘブライ 5:4-6。15,18,19節)それはアロンの家系の祭司よりもはるかに勝っています。(ヘブライ 7:15,16,23–8:1。20,24節)わたしたちはそのことを認識し,こうして天からの支配がわたしたちにすばらしい祝福をもたらすものであることをはっきり理解していますか。

わたしたちのための祭司の奉仕は,ほかならぬ神のみ前においてさえ行なわれるようになります。(6章; 89-113ページ; 20分)アロンと仲間の祭司たちは模型的な聖所で奉仕しました。(「王国」〔英文〕の93ページにあるさし絵を用いて説明することもできる。)それは天の事柄を模型的に表わすものでした。(ヘブライ 8:4,5; 9:9,11)イエスがバプテスマを受けて大祭司となったとき,神のみ前の領域は,真の神殿の至聖所となりました。(30,39,40節)イエスは霊的なみ子として地上におられたとき,霊的な神殿の聖所の中にいて。霊的な光や霊的な食物を享受することができました。(45-48節)油そそがれた者たちは,アロンの子たちのように祭司です。(啓示 1:5,6。52,61,62節)油そそがれた者たちは,霊によって生み出された者であるゆえに聖所の中に入っており,霊的な啓発および霊的食物を享受することができます。(64節)それらの人たちは死ぬと直ちに,垂幕に似た肉の障害物を通過して,ほかならぬ神のみ前に入ります。(ヘブライ 10:19-22)キリストの場合と同様,彼らは同情心に富む,理解のある祭司として,その奉仕の益を天から及ぼします。(73-76,81節)その支配は確かに望ましいものです。あなたはその支配に服するよう強制されてはいません。その支配を受け入れるかどうかは,あなたがご自分で決めるべき事柄です。今日,あなたは,それら油そそがれた者たちの指図を受け入れ,彼らのわざにあずかることによって,そうした支配を受け入れる者であることを示せます。

3. 神は人類が永遠に生きられるようにするため,どのように準備しておられますか。(「王国」7-9章; 啓示 20:7–21:4を読む。)

千年期は,永遠の命を享受するのに必要な資格を取得できるようわたしたちを助ける愛ある備えです。(7章; 25分)仕事あるいは他の望ましい事をするのに必要な資格を取得できるよう,もしだれかが時間や労力を費やしてわたしたちを助けてくれるとすれば,感謝の念を抱いてそれに答え応ずるのは当然なことでしょう。千年期は,永遠に生きるのに必要な資格を取得するようわたしたちを助ける種々の備えを思い起こさせます。千年期はまた,裁きの日,つまり千年にわたって裁きの行なわれる期間と呼ぶこともできるでしょう。それは邪悪な体制が終わった後に来ます。(啓示 20:4。3,4節)エホバは,審判を行なう権限をみ子に委任されました。油そそがれた者たちはイエスとともに裁きのわざにあずかります。それはクリスチャンにとって恐れるべき事柄ではありません。裁きは義をもってなされるからです。(使徒 17:31)「不義」者さえその恩恵に浴せます。(10,11節)復活させられる者たちはなお不完全な状態にあるので,千年にわたる裁きの日は,神に仕えたいと願う人たちを罪から救い出す時となります。(12,13,20,21節)復活させられる「義者」は,神に対する忠誠や愛を既に表わしたという点で有利な立場に立ちます。「不義」者は,悪い習慣を捨てますか。千年期の備えは,そうすることを可能にします。(25,26節)永遠の命を得るための最初の現実の「チャンス」をすべての人に与えるものとなります。天の審判者たちは彼らを助けます。(32節)神は私たちを助ける教えを授けます。(啓示 20:11-15。34,35節)地上の「君」たちもまた,人々を援助します。(詩 45:15,16)イエスの忠実な先祖たちや誠実さを保った他の男の人々は,こうして仕えることになります。(38,43-46節)

永遠に生きることをもくろんで性格を変化させる。(8章; 15分)義をもって物事を管理する取決め以上のものが必要です。わたしたちは正しい人間にならなければなりません。新秩序のうちに永久に留まる場所を見いだすためには,わたしたちは義について学ばねばなりません。(イザヤ 26:9。1節)主要な審判者であられるイエスは,正しい判決を執行する点で指導の任に当たります。(イザヤ 11:1-5。4,5節)こうして,人々は性格を変化させるよう助けられ,獣的な特質や個性を捨てます。(イザヤ 11:6-9。9,10節)この句に対応する字義どおりの成就として,動物が動物同志また人間との間でも平和な関係に入ることが期待できます。(13,14節)あなたはねたみ,憤り,そねみ,あるいは偏見などの気持ちを持っていますか。

命を得るに必要な資格をだれが取得しているかに関して,一千年の後に行なわれる試み。(9章; 15分)わたしたちは永遠の命にあずかるためのエホバの規準にかなうだろうか,という問題が残されています。一千年の終わりにさいして,イエスは物事をみ父に引き渡します。(コリント第一 15:24-28。3,4節)エホバ神はサタンに,人類がエホバの主権を支持するかどうかをもう一度,そして最終的に試みることを許します。(啓示 20:7-10。5-7節)中には,集団別に持つ主権を支持する道を選んで反抗する者もいます。(11-14節)新しいエルサレムの代表者たちを攻撃する「諸国民」は,大患難のさいに率先してクリスチャンを攻撃したマゴグのゴグのようになります。(15-17節)サタンと悪霊たち,そして反抗者たちは第二の死に,つまり創造物の領域に入ってきた第二の種類の死に投じられます。(啓示 20:10,14,15。25-28節)生き残った人類はその時,永遠の命を享受するに値する者と正式に認められます。つまり,生き返るのです。(啓示 20:5。31-33節)その時,全人類は喜びにあふれて神を賛美します。(詩 150:1-6)エホバの証人は,自分たちと一緒に今そのようにして神を賛美するよう,個々の人々を招いています。

4. キリストの臨在に関してあなたは賢明な,それとも愚かな立場を取っていますか。(「王国」10-13章; マタイ 25:1-30を読む。)

油断なく気を配って思慮深く行動するようわたしたちを動かす,イエスの述べた「しるし」の一面。(10章; 15分)宣べ伝えるわざにさいしてわたしたちがごく頻繁に取り上げる論題の一つは,マタイ 24章の「しるし」です。そして,今が「終わりの日」であることを確証するために,しばしばそのしるしの種々の特徴を指摘します。しかし,イエスの「しるし」にはマタイ 25章の事柄も含まれています。同章のたとえ話はしるしの一部を成している上,わたしたちにとって重大な意味を持っています。(マタイ 25:1-13を読む。)これはイエスの「臨在」の時に関する質問に対する答えとして与えられました。パルーシアは,イエスが最初に来ることではなく,後代における臨在を意味していました。(マタイ 24:3。8-14節)たとえ話の成就は,イエスの臨在を示す証拠です。聖書はイエスを花婿にたとえており,油そそがれた者たちは貞節な処女になぞらえられています。(ヨハネ 3:28-30。エフェソス 5:23-27。18,21-23節)最初からクリスチャンは,天で結婚することを待ち望む処女としての立場を保つよう義務づけられていました。(26-28節)そして,「油」によって,つまり啓発を与える神のみ言葉と霊によって見分けられるのです。(マタイ 5:16。31,36-38節)まず最初に反キリストがやって来るので,花婿は『遅れる』ことになっていました。(ヨハネ第一 2:18。42-46節)キリストの臨在に関して油断なく気を配ることを怠って眠りに陥る危険があります。(マタイ 25:13)

そのたとえ話の現代における成就は,わたしたちに影響を及ぼすはずでした。(11章; 15分)眠りに陥ったある期間を経た後,花婿の臨在にともなって,ある種の覚醒が生ずることは当然予想できます。(マタイ 25:5,6)C・T・ラッセルは,1914年に異邦人の時が終わることを正確に指摘しました。(4,5節)彼はパルーシアがイエスの見えない臨在に適用されることを知りました。彼はキリストの臨在の始まる時については誤算しましたが,やがてその仲間は,イエスの臨在が西暦1914年に始まったことを知りました。(6,9,10,48,55節)1919年以来,油そそがれた者たちの間には覚醒が生じました。(11-19節)名目だけのクリスチャンは,イエスの臨在を受け入れようとはしません。「思慮深い」処女たちは,そうした「愚かな」者たちとの交わりを絶ちました。(24-26節)愚かな者たちには滅びを被る見込みしかありません。(41,42節)これは,完全に出そろった「しるし」を認めて,絶えず見張っていなければならないことを強調しています。(44-46節)

クリスチャンは働いて,その結果として増加をもたらす必要があります。―これもまた,「しるし」の一部です。(12,13章; 25分)マタイによる書に出てくる次のたとえ話もまた,「しるし」の一部です。(マタイ 25:14-30を要約する。)それは,神のために一生懸命に働く必要を理解するのに助けとなるはずです。(「王国」257ページ,3節)1914年以来王となられたキリストがしもべたちを検閲し,試みるに違いないと考えるのは理にかなったことです。(1節)たとえ話の中でイエスはタラントを弟子たちに委託しました。(4-10節)タラントは,弟子たちを刈り取る潜在力を表わしていました。(12-15節)彼らは宣べ伝え,また教えて“商売”をしました。(20,24,26,30,35節)それはしるしの一部ですから,1914年以来その成就が頂点に達するのを目撃できるはずです。(37-40節)奴隷たちがタラントを用いて増加を示したかどうかを検閲することになりました。(45節)証人たちの間に見られる証拠によれば,油そそがれた奴隷の成員たちは確かにタラントを殖やし,その結果いまや150万人以上のクリスチャンが生み出されました!(52-56節)勘定を清算することは,ある期間にわたって行なわれようとしていました。(13章,3節)パルーシアが始まった後,死の眠りに就いていた油そそがれた者たちが報いを受ける時が到来しました。(コリント第一 15:50-54。5-8節)彼らは復活させられてキリストとともに統治し,天的な喜びに入ります。(14節)無精な奴隷は主人のタラントを故意に殖やそうとしませんでした。(19,20節)その相対物となっているのは,名目だけのクリスチャンおよび神のしもべたちから離れてゆく人たちです。(21-24節)“大患難の暗やみの中で処刑されるのが彼らの見込みとなっています。(29節)油そそがれた奴隷は,熱心に働き続けることを決意し,タラントを殖やしています。(26,32,33節)そのわざに加わるのは知恵の道です。

5. あなたは神の王国を受け継ぐのに必要な資格を持っていますか。(「王国」14,15章; マタイ 25:31-46を読む。)

態度と行動によって,神の王国を受け継ぐのに必要な資格を取得し始めてください。(14章; 40分)人間はだれも永遠に生きられるものではないと考える人は少なくありません。また,すべての人が救われると感じている人々もいます。こうした見方はともに,人間の態度や行動は重要ではないという見解を人に抱かせることになります。聖書はそれとは逆の見解を示しています。1914年以来,これは特に重大な問題となっています。キリストの臨在の「しるし」の成就は,1914年に王国が天で建てられたことを証明するものであると証人たちはしばしば指摘してきました。「しるし」の一部を成している,羊とやぎのたとえ話は,今や人の態度や行動が当人が永遠の命を得るに必要な資格を得られるかどうかを左右するものとなり得ることを示しています。(たとえ話を説明しながら聖句を読む。)

人の子とは,今や天で王座に着いたイエスのことです。(ダニエル 7:13,14。5-7節)イエスはやがて諸国民を粉砕します。(詩 2:7-9)まず最初,人々は分けられます。(13-15節)人格や行ないがどんなものであるかか明らかにされるまでには時間がかかります。(16-18節)このたとえ話は千年期の期間中でも,その後でもなく,今の時代に当てはまります。千年期の期間中,あるいはその後はクリスチャンは投獄されることがないからです。今こそパルーシアの時代です。このたとえ話は,イエスが権力を執る時代に生きている人たちに関係しています。それも,千年期の期間中,生きている人と死んだ人たちを裁くために権力を執る時のことではありません。(19節。啓示 20:11,12)「羊」とは,地上で永遠の命を受ける希望を抱いているクリスチャンのことで,それらのクリスチャンは子羊によって牧される「大群衆」を表わしています。(啓示 7:9,10,17。32節)地上の臣民となって王国を受け継いでください。神は,贖い得る子供たちがアダムとエバに生まれた時以来,このことを念頭に置かれました。(35-37節)「羊」は必要な資格を得ます。なぜなら,イエスに対する信仰ゆえに,イエスの霊的な兄弟たちを助けるからです。(ヘブライ 2:16,17。43-47節)それらの人たちは霊的なユダヤ人に加わって神に献身し,神に忠実に仕えます。(ゼカリヤ 8:20-23。48-53節)そして,謙虚な態度を示し,平和を追い求め,世から離れ,聖書の規準に従って生活し,宣べ伝えるわざに加わります。(55,56,60節)次のように自問してみてください。イエスはわたしの行動や態度をどのように裁かれるだろうか。この「しるし」はわたしにとって意味深長な事柄だろうか。そうであることをわたしは示しているだろうか。

すべての人が資格を得るわけではありません。―あなたはどうですか。(15章; 15分)このたとえ話によれば,ある人々は資格を得ないで,永遠の死を被ります。それはなぜですか。キリストやその霊的な兄弟たちを迫害しなかったかもしれませんが,消極的な態度のゆえに悪魔の側に立つことになるかもしれません。(5-8節)油そそがれた者たちがだれを代表しているかに気づかなかったと主張する根拠はありません。(11-13節)わたしたちはどこに当てはまりますか。わたしたちの家族や親類についてはどうですか。このことは,そうした人たちに関してどんな道を取る必要があることを強調していますか。それはまだ遠い先のことだから心配するには及ばない事柄ですか。しかし,「やぎ」は間もなくこの体制の終わりの時に滅ぼされようとしています。(テサロニケ第二 1:7-10。14節)やぎは永遠の責め苦にではなく,永遠の切断つまり永遠の死に遭います。永遠の責め苦に遭うには,何らかの形で永遠に生きていなければならないからです。(3,4,17,18節)義にかなった「羊」は,ハルマゲドンの戦いの際に保護されます。このことから励みが得られるはずです。(19,21節)永遠の命を得るのに必要な資格を取得し始めるには,明らかに積極的な行動が必要です。

6. 神の新秩序が近いことを示す「しるし」。(「王国」16,17章; マタイ 23:34–24:51を読む。)

新秩序が近いことを示す「しるし」は,確かにわたしたちの意気を盛んにするものとなります!(16章; 30分)今日,たいていの人々は問題や心配事のために悩まされており,将来に対して不安を抱いています。そして,現代に関するイエスの「しるし」の意味を理解しているクリスチャンとは大いに異なっています。(論議を進めながら,マタイ 24章の適当な聖句を読む。)イエスの注解から考えると,使徒たちは後代の事柄に関心を持っていたことがわかります。(ルカ 19:41-44。ヘブライ 9:26。3-7節)ユダヤ教の体制はいつ終わりを告げることになっていましたか。使徒たちはどのようにしてそれを知るのでしょうか。イエスはエルサレムの崩壊をもたらすに至るまでの種々の出来事のあらましを述べました。(8-14節)滅びが差し迫ったことを示す徴候を認めるかどうかは死活問題でした。(15-17節)ローマ人がエルサレムを取り囲んだとき,クリスチャンは終わりが近いことを知りました。(21,22,26節)啓示 6章(西暦70年以後に書かれた)は後代の戦争や飢饉や疫病を指摘しているので,後代におけるより大規模な成就が期待されていました。キリスト教世界によって支配されている,邪悪な体制全体に適用されます。わたしたちは,1914年以来しるしが成就してきたことを示す数々の証拠を見てきました。(28,30-33節)これは滅びが差し迫っていることを示してはいますが,励みを与える理由ともなっています。なぜですか。何が滅ぼされるかに注目してください。英米第七世界強国に導かれる諸国家は,国連を平和をもたらす機構として頼りにしています。ヨハネへの啓示は,平和機構としてのその国連がついには偽りの宗教を滅ぼすようになることを示しています。(42-44節)クリスチャンがエルサレムから逃れたのと全く同様,神の好意を受けたいと願う人たちは,偽りの宗教から逃れ出るよう勧められています。(45節)きたるべき滅びは,まず最初に偽りの宗教に臨み,また邪悪な体制の残りの部分にも及びます。(52,53節)励みを与えることとして,ある人々は生き残ります。(55-57節)それらの人たちこそ,真のメシアを識別して,霊的な栄養物を求めてそこに集まる人たちです。(60,63節)それらの人びとは自然界の天が乱されるからといって気落ちさせられてはいません。(70,71節)彼らはイエスがこの体制を滅ぼすために来られる時,イエスの臨在を強制的に認めさせられることはありません。というのは,イエスが臨在しておられること,またご自分の油そそがれた者たちを集めてこられたことを,彼らは既に認めているからです。(74,76節)彼らは,イエスが約束されたことはすべて必ず起こるということを確信しており,生き残る時を待ち望んでいます。(81-83節)わたしたちはそのような人々と完全に行動をともにしているでしょうか。今こそ決定すべき時です。

「忠実で思慮深い奴隷」の場合のように,油断なく気を配って活動していなければならないことを,イエスは強調されました。(17章; 25分)人々が「しるし」の成就を無視するということは信じ難いことですが,彼らはやはり無視します。ノアの大洪水前の人々の場合のように,たいていの人々は信仰の欠如を表わし,パルーシアを無視します。(4-7節)イエスが刑執行者として来られる時,わたしたちが油断なく気を配って活動しておられるように,絶えず警戒していなければなりません。その時を知っている者のように日々生活すべきです。(10-13節)イエスの臨在の期間中,活発に働き,忠実を保つという点での教訓は,「忠実で思慮深い奴隷」のうちに見いだせます。イエスはその言葉を弟子たちの集合体全体に対して述べました。(14,16節)霊的なイスラエル国民が形成された西暦33年に弟子たちが油そそがれることにより,奴隷級は存在するようになりました。(20-23節)奴隷は霊的な食物を入手できるようにさせ始めました。(24-26節)現代においては,油そそがれた者たちは一つの級として霊的な食物を供給してきました。(29,30節)第一次世界大戦当時の困難な事情のもとでさえ。奴隷級は個々の召使いたちのために食物を供給し続けました。(40節)王国の支配権を受け,しもべたちに注意を向けた後,「主人」は地上におけるご自分の霊的な事柄を取り扱う責任を委ねて,彼らを是認されたことを示しました。奴隷は今では,「大群衆」を世話する責任をさえ持っています。(49-51,54節)油そそがれた者たちの中で,悪い者となる個々の人々は,イエスから退けられた「よこしまな奴隷」のようになります。(59-62,65節)たとえ「忠実で思慮深い奴隷」級の者ではなくとも,クリスチャンの活動に忠実に携わる必要のあることを理解すべきでしょう。こうした事柄に注意すれば,わなに落ち入らないようにする上で助けとなります。(ルカ 21:34-36。66-68節)このようなわけで,新秩序が近いことを示すしるしは,わたしたちにとって永遠の祝福を意味するものとなります。

7. 背教者たちが滅び去った後に訪れる,千年にわたる平和!(「王国」18,19章; テサロニケ第一 4,5章およびテサロニケ第二 1,2章また詩篇 116篇を読む。)

警告に留意してください。今こそ宗教上の果断な行動を起こすべき時です!(18章; 35分)エホバの証人は,大勢の新しい人々が定期的に交わっていることを大きな喜びとしています。それらの人々は真の崇拝に対して称賛に値するほどの関心を示しています。あなたが果断な行動を起こすのはどれほど重要なことでしょうか。エホバの証人にとっては,キリスト教の音信によってさらに他の人々(親族,職場の同僚,近所の人たち)を動かすのはどれほど肝要なことでしょうか。テサロニケ第一および第二は答えを与えています。そこでは「不法の人」のことが論じられています。今日,諸国家間で平和を期待することが一般的な見通しとなっています。聖書はそのような時が到来することを示しています。(テサロニケ第一 5:1-3。1-3節)テサロニケのある人々は,キリストの臨在と「エホバの日」は既に到来したと考えていたので,パウロは彼らの考え方を正し,その成就は後代に起こるということを説明しました。(テサロニケ第二 2:1,2。5-8節)「エホバの日」が到来する前に,背教が現われねばなりませんでした。(テサロニケ第二 2:3。12,13節)それはクリスチャンと称する者たち,特にその指導者たちがエホバに対して反抗することを意味していました。それは聖書中の他の書の中でも予告されていました。(使徒 20:28-30。ペテロ第二 2:1-3。16-25節)やがて,クリスチャンと称する者たちが指導者としての役目をまさしく自らに課して僧職者となりました。(27,31,34節)この複合の「人」は自ら神に反対して立ち,崇敬されることを要求しました。(38-40,42,43節)使徒たちは背教の抑制力としての働きをしていましたが,このことは使徒たちが地上にいた時分でさえ背教が起きていたことを証明しています。(テサロニケ第二 2:6。ヨハネ第一 2:18-22。44-46,49-51節)当時はなお後代のことであったキリストの臨在の期間中に,僧職者で成る「不法の人」は滅ぼされます。それは背教の終わりを意味します。(テサロニケ第二 2:8。52,53節)神はこの「不法の人」にその働きを行なわせ,そのようにして不義を好む人たちが欺かれるのを許します。(テサロニケ第二 2:9-12。59-63節)「不法の者」級および背教者すべての終わりは間もなく到来します。地上のエルサレムが西暦70年に滅ぼされたのと全く同様,キリスト教世界および大いなるバビロンの残りの部分は滅ぼされ,それに続いて邪悪な体制の残余の部分が滅ぼされます。(67-69節)わたしたちはどこに立っていますか。その級の者たちから離れるよう他の人々を助けるために活発に働いていますか。背教者たちが滅び去るとき,わたしたちはこの地上にいるでしょうか。では,どんな条件がありますか。

真の崇拝をいま追い求める人たちのための一千年の平和と他の数々の祝福。(19章; 20分)不安に感ずるかもしれません。自分は生き残れるだろうかと不安に思うかもしれません。全地にわたって背教者が滅ぼされるということを考えると,その後に出現するパラダイスで命を享受できるという確信を抱くべきどんな理由を見いだせますか。確かに,邪悪な体制全体は大患難によって終わりを告げますが,イエスは「肉なるもの」が救われるということを約束されました。(マタイ 24:3,21,22。2,3節)そうした保護やわたしたちが抱き得る見通しは,詩篇 116篇の中に見事に描写されています。詩篇作者が神に頼って命を求めたように,わたしたちも神に頼らなければなりません。(詩 116:1-6。6,7節)わたしたちは,詩篇作者やパウロの抱いたような信仰を必要としています。(詩 116:7-11。コリント第二 4:8-10。9-12節)大患難の最終部分,つまり全能の神の大いなる日の戦いの後,わたしたちは,神が邪悪な者たちを滅ぼしたときにわたしたちを生き長らえさせてくださったことを実感として感ずることでしょう。(13,14節)こうして救い出されて新秩序に導き入れられるわたしたちは,感謝の念を抱くよう心を動かされます。(詩 116:12-14。17節)わたしたちは,神の忠節な者たちが神にとってどんなに貴い者であるかを知ることになります。神はそれらの人たちすべてがサタンによって一掃されるようなことを許しませんでした。(詩 116:15,16。22,24節)平和に包まれる中で,感謝の犠牲をささげて,神に対するわたしたちの感謝の気持ちを言い表わすとき,何という喜びを味わえることでしょう。(詩 116:17-19。26-28節)そのようにして保護され,その後に続く千年にわたる極めて喜ばしい平和を享受する見込みを考えれば,宣べ伝えるわざに今あずかり,そうすることによってこうした見込みを他の人々の前に掲げるよう心を動かされるはずです。(30節)

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