ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 付録の目次
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 付録の目次

      エホバの独特のみ名,およびその主権と神性

      1イ ヘブライ語聖書中の神のみ名

      1ロ 書写の際に神のみ名に加えられた変更

      1ハ 古代ギリシャ語訳における神のみ名

      1ニ クリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名

      1ホ 「主権者なる主」― ヘ語,アドーナーイ

      1ヘ 「[まことの]神」― ヘ語,ハーエローヒーム

      1ト 「[まことの]神」― ヘ語,ハーエール

      1チ 「[まことの]主」― ヘ語,ハーアードーン

      1リ エホバに適用される称号および描写的表現

      書士による,ヘブライ語聖書への注記

      2イ 特殊符号 ― プンクタ エクストラオルディナーリア

      2ロ ソフェリムによる修正(訂正)―「ティクネ ソフェリム」

      2ハ 書写の際に神のみ名に加えられた変更

      聖書の言語に関する情報

      3イ ヘブライ語とギリシャ語の翻字

      3ロ ヘブライ語の接頭辞と接尾辞

      3ハ 継続的行為もしくは進行的行為を表わすヘブライ語動詞

      生きている者と死んだ者の状態

      4イ 「魂」― 生物,人間,もしくは動物; 知性を有する人間としての命; 他の用法

      4ロ 「シェオル」,「ハデス」― 人類共通の墓; 墓の領域

      4ハ 「ゲヘナ」― 完全な滅びの象徴

      4ニ 「タルタロス」

      聖句の解説

      5イ 「淫行」― あらゆる種類の不法な性的交わり

      5ロ キリストの臨在(パルーシア)

      5ハ 「苦しみの杭」

      5ニ 解き放たれて,キリストと共になる

      エホバとイエス ― 別個の人格的存在

      6イ イエス ― 神のような者; 神性を備えた者

      6ロ 「証しをするものは三つ」

      6ハ ご自身のみ子の血をもって

      6ニ 「すべてのものの上におられる神」

      6ホ 「偉大な神およびわたしたちの救い主キリスト・イエスの」

      6ヘ イエス ― アブラハムが存在する前からいる

      その他の資料

      7イ コブラは音に反応する

      7ロ 異議を示す反発的な質問

      7ハ イエスは「安息日ののち」の日に復活させられた

      7ニ 古代ヘブライ語の意味で用いられている「契約」

      7ホ 「旧約聖書」(Old Testament)と「新約聖書」(New Testament)という表現

      換算表

      8イ 貨幣,度量衡

      8ロ 聖書の暦月

      地図と図表

      9イ イスラエル諸部族の領地

      9ロ 創世記の地図 ― カナンの地域

      9ハ 幕屋とその平面図

      9ニ ソロモン時代の神殿とその平面図

      9ホ ソロモン時代のエルサレムとその平面図

      9ヘ ヘロデの再建した神殿とその平面図

      9ト エルサレムとその城壁,バビロン流刑の後

  • 1イ ヘブライ語聖書中の神のみ名
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 1イ ヘブライ語聖書中の神のみ名

      ヘ語,יהוה(YHWH)

      「エホバ」(ヘ語,יהוה,YHWH),創世 2:4に最初に出て来る神の固有の名。神のお名前は動詞の一形態,すなわちヘブライ語動詞 הוה(ハーワー,「なる」)の使役形,未完了態と同じ形をしています。ですから,神のみ名には,「彼はならせる」という意味があります。このことは,エホバが,進行的行為をもってご自身を,約束を成就する者,またその目的をいつも実現させる者とならせる方であることを明らかにしています。創世 2:4,「エホバ」の脚注; 付録3ハ参照。出エジプト 3:14の脚注と比較。

      現代の翻訳者たちが聖書の著者であられる神に加えている最大の侮辱は,その方に特有の固有のみ名を削除している,もしくは覆い隠していることです。実際には,その方のお名前はヘブライ語本文中にיהוה(YHWHもしくはJHVH)というつづりで6,828回出て来ます。これは一般に四文字語<テトラグラマトン>と呼ばれます。わたしたちは,「エホバ」という名を用いることによって,原語で書かれた本文に固く付き従い,神のみ名である四文字語<テトラグラマトン>を「主」,「アドナイ」,「神」といった称号に置き換える一般の慣行には倣いませんでした。

      今日,聖なるみ名をヘブライ語でとどめている初期のギリシャ語セプトゥアギンタ訳の若干の断片を別にすれば,この極めて重要な名を元のיהוה(YHWH)という四文字の形で保っているのはヘブライ語本文だけです。もっとも,その正確な発音は伝えられていません。現在用いられている,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳(七十訳),シリア語ペシタ訳(シリ訳),ラテン語ウルガタ訳(ウル訳)の本文では,神の独特のみ名が「主」という単なる称号に置き換えられています。―付録1ハ参照。

      ソ連にあって,ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア(BHS)に用いられた本文,つまりレニングラード写本B19Aには,四文字語<テトラグラマトン>をエフワーあるいはエフウィと読むように,また創世 3:14など数か所ではエホーワーと読むように母音符号が打たれています。ヘブライ語本文のギンスブルクによる版(ギンス)では,YHWHをエホーワーと読むように母音符号が打たれています。“Yahweh”(「ヤハウェ」)という発音の方を好む翻訳者も少なくありませんが,“Jehovah”(「エホバ」)という形が幾世紀にもわたって人々に親しまれてきたことから,新世界訳聖書は引き続き後者の形を用いています。またこれには,他の形の場合と同じく,神のみ名,YHWHもしくはJHVHの四つの文字が保存されています。―「助け」(英文),「エホバ」の項参照。

      ユダヤ人の間で始まった,神のみ名を称号に置き換える慣行は,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の後代の写本やラテン語ウルガタ訳,および古代と現代の他の数多くの翻訳にも受け継がれました。そのため,リデルとスコットの希英辞典(LS)は1013ページでこう述べています。「 ὁ Κύριος,=ヘブライ語,ヤハウェ,七十人訳 創世 11:5,他の箇所も同様」。また,E・A・ソフォクレスの「ローマ・ビザンティン期のギリシャ語辞典」(Greek Lexicon of the Roman and Byzantine Periods,ケンブリッジ[米国]およびライプチヒ,1914年,699ページ)も,κύριος(キュリオス)の項で,「主,יהוהの代表語。セプトゥアギンタの各所において」と述べています。さらに,F・ビグルの聖書辞典(Dictionnaire de la Bible,パリ,1926年,223欄)には,「セプトゥアギンタ訳とウルガタ訳は,原文にエホバが含まれている箇所で,ΚύριοςおよびDominus,『主』を用いている」と記されています。J・ペイン・スミス編,簡明シリア語辞典(A Compendious Syriac Dictionary,オックスフォード,1979年再版,298ページ)は,神のみ名に関してこう述べています。「マールヤー」は,シリア語「ペシタ訳の旧約部分において四文字語<テトラグラマトン>を表わしている」。

      1530年に,ウィリアム・ティンダルは聖書の最初の五書の英訳を刊行しましたが,それによって英訳聖書に初めてみ名が載りました。ティンダルは,“Iehouah”(創世 15:2; 出エジプト 6:3; 15:3; 17:16; 23:17; 33:19; 34:23)および“Iehoua”(申命 3:24)というつづりを用いました。この訳の注に,ティンダルは次のように書きました。「Iehovahは神のみ名である。……さらに,大文字のLORDという語のあるところでは(誤植でないかぎり)常に,ヘブライ語ではIehovahである」。これがもとになって,エホバのみ名をごく限られた箇所にだけ用い,ヘブライ語で四文字語<テトラグラマトン>の出て来るほとんどの箇所には「主」や「神」を用いることが,翻訳者たちの間の慣行となりました。この慣行は1611年にジェームズ王欽定訳聖書の翻訳者たちによって踏襲され,同訳ではエホバの名がわずか4か所,すなわち出エジプト 6:3; 詩編 83:18; イザヤ 12:2; 26:4で用いられているにすぎません。

      さらに,「旧約聖書神学語彙集」(Theological Wordbook of the Old Testament,第1巻,シカゴ[1980年],13ページ)はこう述べています。「信心深いユダヤ教徒は,神の名(YHWH)をいたずらに取り上げる危険を冒さないよう,固有のみ名そのものに代えてアドーナー(イ)という語を用い始めた。マソラ学者は,本文に元の四つの子音字をとどめはしたものの,子音字とは無関係にそれをアドーナー(イ)と読むべきことを読者に思い起こさせるために,(幾つかの理由から『ア』ではなく)『エー』という母音と,『アー』という母音を加えた。このような特徴ある箇所はヘブライ語聖書中に6,000回以上も出て来る。たいていの翻訳は大文字を組み合わせた“LORD”[主]という称号を用いている。例外としては,“Jehovah”[エホバ]を用いているアメリカ標準訳と新世界訳,“Lord”[主]を用いている詳訳[聖書]<アンプリファイド・バイブル>,および“Yahweh”[ヤハウェ]を用いているエルサレム聖書がある。……アドーナー(イ)yhwhとつながるところでは,二番目の語にエーローヒームから取られた母音が付され,“Lord GOD”[主なる神]といった英語の訳が生じた。(例えば,アモス 7:1)」。

      ヘブライ語聖書中の神のみ名(新世界訳)

      み名が極めてひんぱんに出て来るという事実は,その名を有する聖書の著者にとって,み名がいかに重要であるかを証ししています。四文字語<テトラグラマトン>はヘブライ語本文(BHKおよびBHS)中に6,828回出て来ます。この点は,E・エニとC・ウェステルマン共編,「旧約聖書神学ハンドブック」(Theologisches Handwörterbuch zum Alten Testament,第3版,第1巻,ミュンヘンおよびチューリヒ,1978年,703,704欄)によって確認されています。新世界訳聖書は,裁き人 19:18を除くすべての箇所で四文字語<テトラグラマトン>を「エホバ」と訳出しています。裁き人 19:18については,その脚注を参照。

      七十人訳の読みに基づいて,わたしたちは申命 30:16; サムエル第二 15:20; 歴代第二 3:1の3か所で四文字語<テトラグラマトン>を復元し,それを「エホバ」と訳出しました。BHKはこれら3か所の脚注でいずれもיהוהを挙げています。

      BHKおよびBHSの脚注によると,イザヤ 34:16とゼカリヤ 6:8の「わたしの」を意味する一人称単数代名詞は,代名詞にではなく,神のみ名に取るべきです。わたしたちはこれら2か所で神のみ名を復元し,それを「エホバ」と訳出しました。

      神のみ名の他の141の復元箇所の説明については,付録1ロをご覧ください。

      新世界訳のヘブライ語聖書の本文には,「エホバ」の名が6,973回出て来ます。それには,結合固有名の一部として出て来る3回(創世 22:14; 出エジプト 17:15; 裁き人 6:24)および詩編の表題(7; 18[3回]; 36; 102編)に出て来る6回が含まれています。これら9か所は,BHKおよびBHSにみ名の出て来る6,828か所の中に含まれています。

      新世界訳のヘブライ語聖書中の「エホバ」

      6,827 YHWHが「エホバ」と訳されている箇所

      146 復元されて加えられた箇所

      合計 6,973 創世からマラキまでに出て来る「エホバ」

      神のみ名の短縮形

      神のみ名の短縮形はマソラ本文中にヤーハという形で50回出ており,これは「ヤハ」と訳されています。み名の短縮形の出て来る箇所を次に挙げます: 出 15:2; 17:16; 詩 68:4,18; 77:11; 89:8; 94:7,12; 102:18; 104:35; 105:45; 106:1,48; 111:1; 112:1; 113:1,9; 115:17,18,18; 116:19; 117:2; 118:5,5,14,17,18,19; 122:4; 130:3; 135:1,3,4,21; 146:1,10; 147:1,20; 148:1,14; 149:1,9; 150:1,6,6; 歌 8:6; イザ 12:2; 26:4; 38:11,11。

      「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」の中に「エホバ」の名が出て来る237か所については,付録1ニで論じられていますので,そこを参照してください。

  • 1ロ 書写の際に神のみ名に加えられた変更
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 1ロ 書写の際に神のみ名に加えられた変更

      134か所の変更

      ユダヤ人のソフェリム(書士)は元のヘブライ語本文に手を加え,134か所でYHWHをアドーナーイに変えました。ギンスマソ,第4巻,28ページ,§115はこう述べています。「今日の公認本文がこのマソラと一致してアドナイと読んでいるこれら134か所で,幾つかの最も優れた写本や初期の印刷版が四文字語<テトラグラマトン>を挙げているのを我々は目にしてきた。こうした相違が生じたのはなぜかという疑問が生じる。これを説明するのはそれほど難しくない。遠い昔から,ユダヤ教の戒律には,口にすべからざるみ名は,יהוה[YHWH]とではなく,あたかもאדני[アドーナーイ]と記されているかのように,アドナイと発音すべきであると定められている。それゆえ,口にできない四文字語<テトラグラマトン>に換えて,発音通りの語を写字生たちが記したのは,ごく自然のことである」。

      ギンスマソ,第1巻,25,26ページ,§115による,これら134か所を次に挙げます:

      創 18:3,27,30,31,32; 19:18; 20:4; 出 4:10,13; 5:22; 15:17; 34:9,9; 民 14:17; ヨシ 7:8; 裁 6:15; 13:8; 王一 3:10,15; 22:6; 王二 7:6; 19:23; エズ 10:3; ネヘ 1:11; 4:14; ヨブ 28:28; 詩 2:4; 16:2; 22:30; 30:8; 35:17,22,23; 37:13; 38:9,15,22; 39:7; 40:17; 44:23; 51:15; 54:4; 55:9; 57:9; 59:11; 62:12; 66:18; 68:11,17,19,22,26,32; 73:20; 77:2,7; 78:65; 79:12; 86:3,4,5,8,9,12,15; 89:49,50; 90:1,17; 110:5; 130:2,3,6; イザ 3:17,18; 4:4; 6:1,8,11; 7:14,20; 8:7; 9:8,17; 10:12; 11:11; 21:6,8,16; 28:2; 29:13; 30:20; 37:24; 38:14,16; 49:14; 哀 1:14,15,15; 2:1,2,5,7,18,19,20; 3:31,36,37,58; エゼ 18:25,29; 21:9; 33:17,20; ダニ 1:2; 9:3,4,7,9,15,16,17,19,19,19; アモ 5:16; 7:7,8; 9:1; ミカ 1:2; ゼカ 9:4; マラ 1:12,14。

      わたしたちは133か所で元の読み方を復元し,そこを「エホバ」と訳出しました。唯一の例外は詩編 68:26ですが,BHKおよびBHSはすでにそこに四文字語<テトラグラマトン>を挙げています。―詩編 68:26,「エホバ」の脚注参照。

      他の8か所の変更

      ギンスInt,368,369ページによると,ユダヤ人のソフェリムは幾つかの箇所で四文字語<テトラグラマトン>をエローヒームという語に置き換えました。わたしたちは8か所,すなわち詩編 14:1,2,5; 53:1,2,4,5,6で元の読み方を復元し,それを「エホバ」と訳出しました。

      このように,わたしたちは上記141か所に四文字語<テトラグラマトン>を復元し,それを「エホバ」と訳出しました。

  • 1ハ 古代ギリシャ語訳における神のみ名
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 1ハ 古代ギリシャ語訳における神のみ名

      過去数十年の間に,ヘブライ語聖書の古代ギリシャ語訳の断片が数多く発見され,その中に神のみ名が,一般にはヘブライ文字で記されていることが明らかになりました。これは,神のみ名がギリシャ語訳において,実に西暦9世紀に至るまで用いられていたことを示しています。神のみ名を含む10の写本を関連した情報と共に次に挙げます。

      (1)七十訳パピ写,ファド266号は,次の箇所で,神のみ名をヘブライ語の方形文字で記された四文字語<テトラグラマトン>によって表わしています: 申 18:5,5,7,15,16; 19:8,14; 20:4,13,18; 21:1,8; 23:5; 24:4,9; 25:15,16; 26:2,7,8,14; 27:2,3,7,10,15; 28:1,1,7,8,9,13,61,62,64,65; 29:4,10,20,29; 30:9,20; 31:3,26,27,29; 32:3,6,19。このように,このコレクションでは,申命記中の章節の確認されている箇所に四文字語<テトラグラマトン>が49回出て来ます。さらに,このコレクションには,聖書のどの部分か確認されていない断片,すなわち断片116,117,および123番に四文字語<テトラグラマトン>が計3回出ています。エジプトで発見されたこのパピルスは西暦前1世紀のものとされています。

      このパピルスの一断片が,1944年に,W・G・ワデルにより,JTS(第45巻,158-161ページ)に出版されました。ものみの塔聖書冊子協会のギレアデで教育を受けた二人の宣教者が,1948年にエジプトのカイロで,このパピルスの18の断片を写真に撮り,それを出版する許可を得ました。その後,このうちの12の断片が「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」(英文),1950年,13,14ページに出版され,これに載った写真を基に次の三つの研究が行なわれました。(1)A・バッカリ,「パピルス・ファド266号。『クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳』,ブルックリン(ニューヨーク),1950年,13ページに出版された断片写本の批評的分析」(Papiro Fuad,Inv. 266. Analisi critica dei Frammenti pubblicati in: ‘New World Translation of the Christian Greek Scriptures.’Brooklyn[N.Y.]1950p. 13s.),「教父研究」(Studia Patristica,第1巻,第1部,クルト・アーラントおよびF・L・クロス編,ベルリン,1957年,339-342ページ)に掲載。(2)W・バース,「パピルス・ファド266号」(Papyrus Fouad Inv. No. 266),「オランダ神学」誌(Nederlands Theologisch Tijdschrift,第13巻,ワーゲニンゲン,1959年,442-446ページ)に掲載。(3)ジョージ・ハワード,「申命記の最古のギリシャ語本文」(The Oldest Greek Text of Deuteronomy),「ヘブライ・ユニオン大学年報」(Hebrew Union College Annual,第42巻,シンシナティ,1971年,125-131ページ)。

      パウル・カーレは,「福音研究」(Studia Evangelica,クルト・アーラント,F・L・クロス,ジャン・ダニエルー,ハラルト・リーセンフェルト,W・C・ファン・ウニク編,ベルリン,1959年,614ページ)で,このパピルスについて注解し,次のように書きました。「同じパピルスの他の断片も,ものみの塔聖書冊子協会によるこのパピルスの写真から複写された。その写真は新約聖書の英訳,ニューヨーク,ブルックリン,1950年の序文に載っている。このパピルスの一つの特徴は,神のみ名がヘブライ語の方形文字による四文字語<テトラグラマトン>で表わされていることにある。このパピルスの出版されている断片写本の研究が,私の求めによりバッカリ神父の手で行なわれ,次の結論が得られた。すなわち,バチカン写本より400年ほど前に書かれたに違いないこのパピルスには,我々のもとに残っている申命記のセプトゥアギンタの本文の中でも,恐らく最も完全な本文が含まれているものと思われる」。

      七十訳パピ写,ファド266号に属する合計117の断片が,「パピルス古写本研究」(Études de Papyrologie,第9巻,カイロ,1971年,81-150,227,228ページ)に出版されています。このパピルスの全断片の写真版は,ザキ・エイリとルードウィヒ・ケネンにより,「パピルス写本の本文と研究論文」集(Papyrologische Texte und Abhandlungen,第27巻,ボン,1980年)の中で,「初期セプトゥアギンタの三つの巻き物: 創世記と申命記」(Three Rolls of the Early Septuagint: Genesis and Deuteronomy)という題のもとに出版されています。

      (2)七十訳VTS 10aは,神のみ名を次の箇所で,古代ヘブライ文字で記された四文字語<テトラグラマトン>によって表わしています: ヨナ 4:2; ミカ 1:1,3; 4:4,5,7; 5:4,4; ハバ 2:14,16,20; 3:9; ゼパ 1:3,14; 2:10; ゼカ 1:3,3,4; 3:5,6,7。ユダヤ砂漠のナハル・ヘベルにある一洞くつで発見されたこの皮の巻き物は西暦1世紀末のものとされています。この巻き物の断片写本は別巻「旧約聖書」誌(Supplements to Vetus Testamentum,第10巻,ライデン,1963年,170-178ページ)に出版されました。

      (3)七十訳IEJ 12は,神のみ名をヨナ 3:3で,古代ヘブライ文字で記された四文字語<テトラグラマトン>によって表わしています。ユダヤ砂漠のナハル・ヘベルにある一洞くつで発見されたこの皮紙片は西暦1世紀末のものとされています。これは「イスラエル踏査ジャーナル」(Israel Exploration Journal,第12巻,1962年,203ページ)に出版されました。

      (4)七十訳VTS 10bは,神のみ名を次の箇所で,古代ヘブライ文字で記された四文字語<テトラグラマトン>によって表わしています: ゼカ 8:20; 9:1,1,4。ユダヤ砂漠のナハル・ヘベルにある一洞くつで発見された皮紙のこの巻き物は西暦1世紀半ばのものとされています。これは別巻「旧約聖書」誌(Supplements to Vetus Testamentum,第10巻,1963年,178ページ)に出版されました。

      (5)クム4七十訳レビbは,神のみ名をレビ 3:12; 4:27で,ギリシャ文字(IAO)によって表わしています。クムラン第4洞くつで発見されたこのパピルス写本は西暦前1世紀のものとされています。この写本の予備的なレポートが別巻「旧約聖書」誌(Supplements to Vetus Testamentum,第4巻,1957年,157ページ)に載せられています。

      (6)七十訳パピ写,オクシ,VII,1007は,神のみ名を創世 2:8,18で,二つ並べたヨードによって表わしています。西暦3世紀のものとされるこの上皮紙片は,「オクシリンコス・パピリ」(The Oxyrhynchus Papyri,第7部,アーサ・S・ハント編,翻訳および注付き,ロンドン,1910年,1,2ページ)に出版されました。

      (7)アキュ訳バーキットは,神のみ名を次の箇所で,古代ヘブライ文字で記された四文字語<テトラグラマトン>によって表わしています: 王一 20:13,13,14; 王二 23:12,16,21,23,25,26,27。アキュラ訳のギリシャ語本文が記されたこれらの断片写本は,F・クローフォード・バーキットにより,その著書,「アキュラの翻訳による列王記の断片写本」(Fragments of the Books of Kings According to the Translation of Aquila,ケンブリッジ,1898年,3-8ページ)に出版されました。列王記のこれら重ね書き写本の断片は,エジプトのカイロにある会堂のゲニザで発見されました。これらの断片は西暦5世紀の末もしくは西暦6世紀初めごろのものとされています。

      (8)アキュ訳テイラーは,神のみ名を次の箇所で,古代ヘブライ文字で記された四文字語<テトラグラマトン>によって表わしています: 詩 91:2,9; 92:1,4,5,8,9; 96:7,7,8,9,10,13[12,日本語訳]; 97:1,5,9,10,12; 102:15,16,19,21; 103:1,2,6,8。アキュラ訳のギリシャ語本文のこれらの断片は,C・テイラーにより,その著書,「ヘブライ-ギリシャ語カイロ・ゲニザ重ね書き写本」(Hebrew-Greek Cairo Genizah Palimpsests,ケンブリッジ,1900年,54-65ページ)に出版されました。これらの断片は西暦5世紀の半ばより後のものとされていますが,西暦6世紀になる前に記されたものと見られています。

      (9)シュン訳P. ビンド,G 39777号は,神のみ名を次の箇所で,古代のヘブライ文字で記された四文字語<テトラグラマトン>によって表わしています: 詩 69:13,30,31。シュンマコス訳の詩編 69編(七十訳では68編)の一部を含む,皮紙でできたこの巻き物の断片は,西暦3世紀ないし4世紀のものとされており,ウィーンのオーストリア国立図書館にあります。この断片は,カール・ベセリ博士により,「古文書学・パピルス学研究」(Studien zur Palaeographie und Papyruskunde,第11巻,ライプチヒ,1911年,171ページ)に出版されました。

      前のページにあるのは,神のみ名を含んでいるこのパピルス断片を複写したものです。

      (10)アンブロシウスO 39 sup. は,神のみ名を次の箇所の五つの欄すべてで,ヘブライ語の方形文字で記された四文字語<テトラグラマトン>によって表わしています: 詩 18:30,31,41,46; 28:6,7,8; 29:1,1,2,2,3,3; 30:1,2,4,7,8,10,10,12; 31:1,5,6,9,21,23,23,24; 32:10,11; 35:1,22,24,27; 36:表題,5; 46:7,8,11; 89:49(1,2,および4欄),51,52。西暦9世紀末のものとされているこの写本は五つの欄から成っています。第1欄にはヘブライ語本文のギリシャ語への翻字が記されており,第2欄にはアキュラのギリシャ語訳,第3欄にはシュンマコスのギリシャ語訳,第4欄には七十人訳,そして第5欄にはクインタのギリシャ語訳が載せられています。この重ね書き写本の複写版は,転写した本文と共に,ジョバンニ・メルカティにより,「詩編ヘクサプラ古代写本……第1巻。アンブロシウスO 39 sup. バビロニア系書き直し写本」(Psalterii Hexapli reliquiae . . . Pars prima. Codex rescriptus Bybliothecae Ambrosianae O 39 sup. phototypice expressus et transcriptus.)という題のもとに,1958年にローマで出版されました。

      これら10の写本の断片は,ヘブライ語本文をギリシャ語に訳した翻訳者たちが,ヘブライ語本文に神のみ名の出て来る箇所でそのみ名を用いたことを示しています。さらに,ゼカリヤ 9:4に四文字語<テトラグラマトン>が記されていることは,ヘブライ語本文中の134か所でユダヤ人のソフェリムが四文字語<テトラグラマトン>をアドーナーイ(主権者なる主)に置き換えたとする主張を確証しています。―付録1ロ参照。

      [1754ページの図版]

      七十訳パピ写,ファド266号,西暦前1世紀。申命 32:3,6のギリシャ語の翻訳の中に神のみ名(יהוה)が保存されている。

      アレクサンドリア写本(アレ写),西暦5世紀。申命 32:3,6のギリシャ語の翻訳の中で神のみ名(יהוה)がキュリオスの省略形に置き替えられている。

      アレッポ写本(アレポ写),西暦10世紀,ヘブライ語。申命 32:3,6の初期のヘブライ語本文に出ている神のみ名(יהוה)がここには保存されている。a

      a 「アレッポ写本」,モシェ・H・ゴーシェン・ゴットシュタイン編(エルサレム: マグネス出版,1976年)より。版権 © 所有,ヘブライ大学聖書研究プロジェクト。同研究プロジェクトの許可のもとに転載。

  • 1ニ クリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 1ニ クリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名

      「エホバ」。ヘ語,יהוה(YHWHまたはJHVH)

      ヘブライ文字の四文字語<テトラグラマトン>(יהוה)がヘブライ語本文とギリシャ語セプトゥアギンタ訳の双方に用いられていたことは付録1イおよび1ハから明らかです。ですから,イエスとその弟子たちは,ヘブライ語あるいはギリシャ語のいずれで聖書を読んだ場合でも,神のみ名を目にしたことでしょう。ナザレの会堂で,イエスが立ち上がってイザヤの書を受け取り,四文字語<テトラグラマトン>の出て来る61章1,2節を読んだ時,イエスは神のお名前を発音されました。そのことは,み父に対する次の祈りに見られるイエスの願い,エホバのみ名を人々に知らせるというその決意と一致していました。イエスはこう祈りました。「わたしは,あなたが世から与えてくださった人々にみ名を明らかにしました。……わたしはみ名を彼らに知らせました。またこれからも知らせます」― ヨハネ 17:6,26。

      イエスの弟子たちの書き記した書物の中で弟子たちが四文字語<テトラグラマトン>を用いたことを示す証拠があります。4世紀の人物であるヒエロニムスは,自著「著名人について」(De viris inlustribus)の3章で次のように書きました。「収税吏から使徒になり,レビとも呼ばれたマタイはそもそもキリストの福音書をユダヤにおいて,ヘブライ文字を用い,ヘブライ語で編さんした。それは割礼を受けた者たちのうちの信者となった人々のためであった。その後だれがそれをギリシャ語に訳したかは十分定かではない。また,そのヘブライ語の書物そのものは今日に至るまでカエサレアの図書館に保存されている。殉教者パンフィロスが多くの努力を重ねてこれを収集したのである。シリアのベレア市でこの書を用いているナザレ派の人々から,わたしはこれを書き写す許可も得た」。(E・C・リチャードソンが編集し,「古代キリスト教文献のテキストと文献史研究」集[Texte und Untersuchungen zur Geschichte der altchristlichen Literatur,第14巻,ライプチヒ,1896年,8,9ページ]に出版されたラテン語テキストからの翻訳。)

      マタイは霊感によるヘブライ語聖書から100回以上も引用しています。マタイとしては,神の名の含まれている箇所を引用する際,忠実さを示して,ヘブライ語によるその福音書の記述に四文字語<テトラグラマトン>をそのまま含めざるを得なかったでしょう。マタイの福音書がギリシャ語に翻訳されたとき,当時の慣行に従い,四文字語<テトラグラマトン>は訳されずにそのままギリシャ語本文にとどめられました。

      マタイだけでなく,クリスチャン・ギリシャ語聖書のすべての筆者が,ヘブライ語本文もしくはセプトゥアギンタ訳から,神の名の出て来る聖句を引用しています。例えば,使徒 3:22にあるペテロの話の中で申命 18:15が引用されていますが,西暦前1世紀のものとされるセプトゥアギンタ訳のパピルス断片のその箇所には四文字語<テトラグラマトン>が記されています。(付録1ハ§1を参照。)キリストの追随者であるペテロは,神の名,エホバを用いました。ペテロの話が記録にとどめられた際,西暦前1世紀および西暦1世紀当時の慣行に従い,そこには四文字語<テトラグラマトン>が用いられました。

      西暦2世紀もしくは3世紀のある時期に,書士たちがセプトゥアギンタ訳とクリスチャン・ギリシャ語聖書の双方から四文字語<テトラグラマトン>を取り除き,それを「主」を意味するキュリオスや「神」を意味するテオスという語に置き換えました。

      クリスチャン・ギリシャ語聖書における四文字語<テトラグラマトン>の使用について,ジョージア大学のジョージ・ハワードは,「聖書文献ジャーナル」(Journal of Biblical Literature,第96巻,1977年,63ページ)にこう書きました。「エジプトおよびユダヤ砂漠における最近の発見によって,キリスト教時代以前における神の名の使用を直接に見ることが可能となった。これらの発見は,新約研究において,とりわけそれらが初期キリスト教文書と文学的類似点を示しており,新約[聖書]の著者たちが神の名をどのように用いたかを説明するものとなり得るという点で重要である。我々は,つづくページで一つの理論を展開しようとしている。その理論とはすなわち,新約における旧約[聖書]の直接および間接引用箇所には当初,神の名יהוה(および恐らくはその省略形)が記されており,時を経るうちに,それがおもに代用語 κς[「主」を意味するキュリオスの省略形]に置き換えられたというものである。我々の見解からすると,四文字[語]がこうして除かれたことにより,初期の異邦人のクリスチャンの思いの中に『主なる神』と『主なるキリスト』の関係について混乱が生じた。このことは,新約本文そのものの写本伝承に反映されている」。

      わたしたちは,次の一つの点を除き,上記の考えに全く同意します。ただ一つ異なっているのは,わたしたちはこの見解を「理論」とみなさず,聖書写本の伝わってきた過程における歴史の事実として受け入れていることです。

      神のみ名を復元する

      過去幾世紀もの間に,クリスチャン・ギリシャ語聖書の一部もしくは全巻のヘブライ語への翻訳が数多くなされてきました。この「参照資料付き聖書」の中で肩付きの数字を伴う「エ」という略号で表わされているそれらの種々の翻訳は,クリスチャン・ギリシャ語聖書中の様々な箇所で神のみ名を復元しています。それらの翻訳は,ヘブライ語聖書からの引用箇所にとどまらず,本文中の他の箇所においても,必要とされる場合にみ名を復元しています。

      神の名がギリシャ語 ΚύριοςやΘεόςによって置き換えられた箇所を知るために,霊感を受けたクリスチャンの筆者がどこでヘブライ語聖書の節や句,表現を引用しているかを確定し,次いでヘブライ語本文そのものを調べて,そこに神の名が出ているかどうかを確かめました。このようにしてわたしたちは,キュリオスやテオスという語がだれを表わしているか,それらにどんな人格的特性を付与すべきかを確定しました。

      翻訳者の立場を越えて聖書釈義の分野に立ち入ることがないよう,わたしたちはクリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名の翻訳に際しては,背景となるヘブライ語聖書をいつの場合も注意深く考慮しつつ,極めて慎重に作業を行ないました。ヘブライ語訳の聖書を調べ,それらがわたしたちの訳し方と一致しているかどうかについても確認しました。例えば,わたしたちのこの翻訳の本文中に神のみ名の訳出されている237回のうち,どのヘブライ語訳とも一致していないのはわずか1例にすぎません。しかし,この1回,すなわちコリント第一 7:17の場合も,文脈や関連した聖句は,この箇所で神のみ名を訳出することを強力に支持しています。―コリント第一 7:17,「エホバ」の脚注参照。

      「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」の本文中に「エホバ」の名の出て来る237か所を次に挙げます。これらの訳し方を支持する様々な資料が略号によって示されています。略号(「エ」で表わされている資料)の説明については,序文の「本文に関する略号」の項を参照してください。

      以下の表には,ウェストコットとホートのギリシャ語本文のそれぞれの箇所に見いだされるギリシャ語も示されています。「主」を意味するキュリオスとその変化形は「キュ」によって表わされています。同様に,「神」を意味するテオスとその変化形は「テ」によって表わされています。これらの略号の前に付いている星じるし(*)は,ギリシャ語本文中でそのギリシャ語が定冠詞を伴っていることを示しています。聖句のあとに付されている十字じるし(+)は,その聖句の脚注にさらに情報が載せられていることを示しています。

      マタイ

      1:20+ キュ; エ3,4,7-14,16-18,22-24

      1:22 キュ; エ1-4,7-14,16-18,22-24,26

      1:24 キュ; エ1-4,7-14,16-18,22-24

      2:13 キュ; エ1-4,6-14,16-18,22-24

      2:15 キュ; エ1,3,4,6-14,16-18,22-24

      2:19 キュ; エ1-4,6-14,16-18,22-24

      3:3 キュ; エ1-4,7-14,16-18,20,22-24,26

      4:4 テ; エ1-14,17,18,20,22,23

      4:7 キュ; エ1-14,16-18,20,22-24

      4:10 キュ; エ1-14,16-18,20,22-24

      5:33 *キュ; エ1-4,7-14,16-18,22,23

      21:9 キュ; エ1-14,16-18,20-24

      21:42 キュ; エ1-4,7-14,16-18,20-24

      22:37 キュ; エ1-14,16-18,20-24

      22:44 キュ; エ1-14,16-18,20-24

      23:39 キュ; エ1-14,16-18,21-24

      27:10 キュ; エ1-4,7-14,16,17,22-24

      28:2 キュ; エ1-4,7-13,16-18,22-24

      マルコ

      1:3 キュ; エ7-14,16-18,22-24

      5:19 *キュ; エ7-10,17,18,22

      11:9 キュ; エ7,8,10-14,16-18,21-24

      12:11 キュ; エ7-14,16-18,21-24

      12:29 キュ; エ7-14,16-18,20-24,27

      12:29 キュ; エ7-14,16-18,20-24

      12:30 キュ; エ7-14,16-18,21-24

      12:36 キュ; エ7-14,16-18,21-24

      13:20 キュ; エ7,8,10,13,16-18,22-24

      ルカ

      1:6 *キュ; エ7-17,23

      1:9 *キュ; エ7-18,22,23

      1:11 キュ; エ7-13,16-18,22-24

      1:15 キュ; エ7,8,10-18,22,23

      1:16 キュ; エ7-18,22-24

      1:17 キュ; エ7-18,22-24

      1:25 キュ; エ7-18,22,23

      1:28 *キュ; エ5,7-18,22,23

      1:32 キュ; エ5-18,22-24

      1:38 キュ; エ5,7-18,22-24

      1:45 キュ; エ5-18,22-24

      1:46 *キュ; エ5-18,22,23

      1:58 キュ; エ5-18,22-24

      1:66 キュ; エ5-18,22-24

      1:68 キュ; エ5-18,22-24

      1:76 キュ; エ5-18,22-24

      2:9 キュ; エ5,7-13,16,17,22-24

      2:9 キュ; エ5,7,8,10-18,22-24

      2:15 *キュ; エ5,7,8,10-18,22,23

      2:22 *キュ; エ5-18,22,23

      2:23 キュ; エ5-18,22-24

      2:23 *キュ; エ5-18,22,23

      2:24 キュ; エ5-18,22-24

      2:26 キュ; エ5-18,22-24

      2:39 キュ; エ5-18,22-24

      3:4 キュ; エ7-15,17,18,22-24

      4:8 キュ; エ7-18,22-24

      4:12 キュ; エ7-18,22-24

      4:18 キュ; エ7-15,20,23,24

      4:19 キュ; エ7-18,20,22-24

      5:17 キュ; エ7-18,22-24

      10:27 キュ; エ5-18,21-24

      13:35 キュ; エ7-18,21-24

      19:38 キュ; エ7-18,21-24

      20:37 キュ; エ9,11-18,21-24,27

      20:42 キュ; エ7-18,21-24

      ヨハネ

      1:23 キュ; エ5-14,16-19,22-24

      6:45 テ; エ7,8,10,14,17,19,20,22,23

      12:13 キュ; エ7-14,16-19,21-24

      12:38 キュ; エ12-14,16-18,22,23

      12:38 キュ; エ7-14,16-20,22-24

      使徒

      1:24 キュ; エ7,8,10,22,23

      2:20 キュ; エ7,8,10-18,20,22-24

      2:21 キュ; エ7,8,10-18,20,22-24

      2:25 *キュ; エ7,8,10-18,20,22,23

      2:34 キュ; エ7,8,10-18,21-24

      2:39 キュ; エ7,8,10,17,18,22-24

      2:47 *キュ; エ7,8,10

      3:19 *キュ; エ13-18,22,23

      3:22+ キュ; エ7,8,10-18,20,22-24

      4:26 *キュ; エ7,8,10-18,20,22,23

      4:29 キュ; エ7,8,10

      5:9 キュ; エ7,8,10,13,15-18,22-24

      5:19 キュ; エ7,8,10,13,15-18,22-24

      7:31 キュ; エ11-18,22-24

      7:33 *キュ; エ11-18,22,23

      7:49 キュ; エ11-18,20,22-24

      7:60 キュ; エ17,18,22,23

      8:22+ *キュ; エ18,22,23

      8:24+ *キュ; エ7,8,10,13,15-18,22,23

      8:25+ *キュ; エ7,8,10,17,18

      8:26 キュ; エ7,8,10,13,15-18,22-24

      8:39 キュ; エ13,15-18,22-24

      9:31 *キュ; エ7,8,10,13,15,16,18,22

      10:33+ *キュ; エ17,18,23

      11:21 キュ; エ7,8,10,13,15-18,22,23

      12:7 キュ; エ7,8,10,13,15-18,22-24

      12:11 *キュ; エ7,8,10,13,15,16,18,23

      12:17 *キュ; エ7,8,10

      12:23 キュ; エ7,8,10,13,15-18,22-24

      12:24+ *キュ; エ7,8,10,23

      13:2 *キュ; エ7,8,10,13,15-18,22,23

      13:10 *キュ; エ7,8,10,13,15-18,22,23

      13:11 キュ; エ7,8,10,15-18,22-24

      13:12 *キュ; エ7,8,10

      13:44+ *テ; エ17,22

      13:47 *キュ; エ7,8,10,22,23

      13:48+ *テ; エ7,8,10,13,15-17,22,23

      13:49 *キュ; エ7,8,10,13,15-18,22,23

      14:3 *キュ; エ7,8,10,15-18,23

      14:23 *キュ; エ7,8,10,13,15,16

      15:17 *キュ; エ11-18,22,23

      15:17 キュ; エ7,8,10-18,20,22-24

      15:35+ *キュ; エ17,18,22,23

      15:36+ *キュ; エ7,8,10,17,18,22,23

      15:40+ *キュ; エ17,18,22

      16:14 *キュ; エ7,8,10,17,18,23

      16:15+ *キュ; エ7,8,10

      16:32+ *テ; エ7,8,10,17,18,22,23

      18:21 *テ; エ17

      18:25 *キュ; エ7,8,10,13,15,16,24

      19:20+ *キュ; エ7,8,10,13,15-18,23

      21:14 *キュ; エ7,8,10,17,18,23

      ローマ

      4:3 *テ; エ7,8,10,17,20,22

      4:8 キュ; エ7,8,10-18,20,22-25

      9:28 キュ; エ7,8,10,13,16,20,25

      9:29 キュ; エ7,8,10-18,20,22-24

      10:13 キュ; エ7,8,10,13-18,22-24

      10:16 キュ; エ7,8,10,13-18,23

      11:3 キュ; エ7,8,10-18,23,25

      11:34 キュ; エ7,8,10,13-18,20,22-25

      12:11 *キュ; エ7,8,10,13,16,18

      12:19 キュ; エ7,8,10-18,22-24

      14:4+ *キュ; エ18,23

      14:6 キュ; エ7,8,10,13,16,18,22,24

      14:6 キュ; エ7,8,10,13,16,18,22,24

      14:6 キュ; エ7,8,10,13,16,22,24

      14:8 *キュ; エ7,8,10,13-16,18

      14:8 *キュ; エ7,8,10,13-16,18

      14:8 *キュ; エ7,8,10,13-16,18

      14:11 キュ; エ7,8,10-18,22-25

      15:11 *キュ; エ7,8,10-18,20,22,23,25

      コリント第一

      1:31 キュ; エ7,8,10-14,16-18,22-24

      2:16 キュ; エ13,14,16-18,22-24

      3:20 キュ; エ7,8,10-14,16-18,20,22-24

      4:4 キュ; エ7,8,10,17,18,23,24

      4:19 *キュ; エ7,8,10,22,23

      7:17+ *キュ;

      10:9+ *キュ; エ18,22,23

      10:21 キュ; エ7,8,10,24

      10:21 キュ; エ7,8,10,24

      10:22 *キュ; エ7,8,10,14

      10:26 *キュ; エ7,8,10,11,13,14,16-18,20,22,23

      11:32 *キュ; エ13,16,18

      14:21 キュ; エ7,8,10-14,16-18,22-24

      16:7 *キュ; エ7,8,10,13,14,16-18,22,23

      16:10 キュ; エ7,8,10,13,14,16-18,24

      コリント第二

      3:16 キュ; エ7,8,13,14,16,22,24

      3:17 *キュ; エ7,8,13,14,16

      3:17 キュ; エ7,8,13,14,16,22,24

      3:18 キュ; エ7,8,13,14,16,22,24

      3:18 キュ; エ7,8,13,14,16,22,24

      6:17 キュ; エ7,8,11-14,16-18,22-24

      6:18 キュ; エ7,8,11-14,16-18,22-24

      8:21+ キュ; エ7,8,24

      10:17 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      10:18 *キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,23

      ガラテア

      3:6 *テ; エ7,8

      エフェソス

      2:21 キュ; エ7,8,13,16-18,22-24

      5:17+ *キュ; エ7,8

      5:19 *キュ; エ7,8,13,16,23

      6:4 キュ; エ7,8,22,24

      6:7 *キュ; エ7,8

      6:8 キュ; エ22,24

      コロサイ

      1:10+ *キュ; エ7,8

      3:13+ *キュ; エ23

      3:16+ *テ; エ7,8,13,14,16,17

      3:22+ *キュ; エ18,22

      3:23 *キュ; エ7,8,17,18,22,23

      3:24 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      テサロニケ第一

      1:8+ *キュ; エ7,8,17,18,22,23

      4:6 キュ; エ7,8,17,18,22-24

      4:15 キュ; エ7,8,17,18,24

      5:2 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      テサロニケ第二

      2:2 *キュ; エ18,22,23

      2:13+ キュ; エ13,16,24

      3:1 *キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,23

      テモテ第二

      1:18 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      2:19 キュ; エ7,8,13,14,16-18,20,22-24

      2:19 キュ; エ18,22-24

      4:14 *キュ; エ7,8,13,16-18,22,23

      ヘブライ

      2:13 *テ; エ3,7,8,17,20,22

      7:21 キュ; エ3,7,8,11-18,20,22-24

      8:2 *キュ; エ7,8,13-16,18,22,23

      8:8 キュ; エ3,7,8,11-18,20,22-24

      8:9 キュ; エ3,7,8,11-18,20,22-24

      8:10 キュ; エ3,7,8,11-18,20,22,24

      8:11 *キュ; エ3,7,8,11-18,20,22,23

      10:16 キュ; エ3,7,8,11-18,22-24

      10:30 キュ; エ3,7,8,11-18,20,22-24

      12:5 キュ; エ7,8,11-18,20,22-24

      12:6 キュ; エ3,7,8,11-18,20,22-24

      13:6 キュ; エ3,7,8,11-18,20,22-24

      ヤコブ

      1:7 *キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,23

      1:12+ エ7,8,13,16,17

      2:23 *テ; エ14,17,20,22

      2:23 テ; エ17

      3:9+ *キュ; エ18,23

      4:10 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,23

      4:15 *キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,23

      5:4 キュ; エ7,8,11-14,16-18,22-24

      5:10 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      5:11 キュ; エ7,8,13,14,16,18,22-24

      5:11 *キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      5:14 *キュ; エ7,8,13,14,16-18,22

      5:15 *キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,23

      ペテロ第一

      1:25+ キュ; エ7,8,13,14,16-18,20,22,23

      3:12 キュ; エ7,8,11-14,16-18,20,22-24

      3:12 キュ; エ7,8,11-14,16-18,20,22,24

      ペテロ第二

      2:9 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      2:11+ キュ; エ7,8,13,16-18,22-24

      3:8 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      3:9 キュ; エ7,8,13,16-18,22-24

      3:10 キュ; エ7,8,13,16-18,22-24

      3:12+ *テ; エ7,8,17

      ユダ

      5+ キュ; エ7,8,11-14,16-18,22,23

      9+ キュ; エ7,8,11-14,16-18,22-24

      14 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      啓示

      1:8 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      4:8 キュ; エ7,8,11-14,16-18,22,24

      4:11 *キュ; エ7,8,13,14,16,18

      11:17 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,23

      15:3 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,23

      15:4 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,23

      16:7 キュ; エ13,14,16-18,22,23

      18:8+ キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      19:6 キュ; エ7,8,13,14,16-18,22-24

      21:22 *キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,23

      22:5 キュ; エ7,8,11-14,16-18,22-24

      22:6 *キュ; エ7,8,13,14,16-18,22,24

      「エホバ」の名が,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」の本文には出ておらず,脚注にだけ出ている箇所が72ありますが,それらを次に挙げます。

      マタ 22:32; マル 11:10; ルカ 1:2; 2:11,29,38; 4:4,18; ヨハ 5:4; 使徒 2:30; 7:30,37; 10:22; 13:43,50; 14:25; 19:23; 20:25; 22:17; 26:7; ロマ 7:6; 10:17; 11:8; コ一 7:17; 10:28; 11:23; ガラ 2:6; 3:20; 5:10,12; フィリ 4:1,4,5,10,18; コロ 3:15; テサ一 4:9,16,17,17; 5:27; テモ一 2:2,10; 3:16; 4:7,8; 5:4,8; 6:2,3,6,11; テモ二 1:16,18; 2:14,22,24; テト 2:12; ヘブ 4:3; 9:20; 10:30; ペテ一 2:13; 3:1,15; 5:3; ペテ二 1:3; ヨハ二 11; 啓 11:1,19; 16:5; 19:1,2。

      神の名の短縮形である「ヤハ」は,「あなた方はヤハを賛美せよ」という意味のヘブライ語,ハレルー・ヤーハをギリシャ語に翻字したハッレールーイアという表現に含まれて出て来ます。啓示(4回)19:1,3,4,6。―詩編 104:35の脚注参照。

  • 1ホ 「主権者なる主」― ヘ語,アドーナーイ
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 1ホ 「主権者なる主」― ヘ語,アドーナーイ

      接尾辞をいっさい伴わないヘブライ語のアドーナーイはいつでもエホバ神を指しており,その主権者としての権能を表わしています。ですから,それを「主権者なる主」と訳出するのは適切なことです。アドーナーイはBHKおよびBHSに439回出て来ます。元の読みである「エホバ」がソフェリムによってアドーナーイと変えられた箇所が133あり,わたしたちはそれらの箇所で元の読み方を復元しました。(付録1ロ参照)したがってこれにより,アドーナーイの出て来る箇所の数は439から306に減ります。これら306か所で,新世界訳聖書はアドーナーイを「主権者なる主」と訳出しています。

      アドーナーイ エフウィ,「主権者なる主エホバ」という表現はBHKおよびBHSに285回出て来ます。それらの箇所を次に挙げます: 創 15:2,8; 申 3:24; 9:26; ヨシ 7:7; 裁 6:22; 16:28; サ二 7:18,19,19,20,22,28,29; 王一 2:26; 8:53; 詩 71:5,16; 73:28; イザ 7:7; 25:8; 28:16; 30:15; 40:10; 48:16; 49:22; 50:4,5,7,9; 52:4; 56:8; 61:1,11; 65:13,15; エレ 1:6; 2:22; 4:10; 7:20; 14:13; 32:17,25; 44:26; エゼ 2:4; 3:11,27; 4:14; 5:5,7,8,11; 6:3,3,11; 7:2,5; 8:1; 9:8; 11:7,8,13,16,17,21; 12:10,19,23,25,28,28; 13:3,8,8,9,13,16,18,20; 14:4,6,11,14,16,18,20,21,23; 15:6,8; 16:3,8,14,19,23,30,36,43,48,59,63; 17:3,9,16,19,22; 18:3,9,23,30,32; 20:3,3,5,27,30,31,33,36,39,40,44,47,49; 21:7,13,24,26,28; 22:3,12,19,28,31; 23:22,28,32,34,35,46,49; 24:3,6,9,14,21,24; 25:3,3,6,8,12,13,14,15,16; 26:3,5,7,14,15,19,21; 27:3; 28:2,6,10,12,22,24,25; 29:3,8,13,16,19,20; 30:2,6,10,13,22; 31:10,15,18; 32:3,8,11,14,16,31,32; 33:11,25,27; 34:2,8,10,11,15,17,20,30,31; 35:3,6,11,14; 36:2,3,4,4,5,6,7,13,14,15,22,23,32,33,37; 37:3,5,9,12,19,21; 38:3,10,14,17,18,21; 39:1,5,8,10,13,17,20,25,29; 43:18,19,27; 44:6,9,12,15,27; 45:9,9,15,18; 46:1,16; 47:13,23; 48:29; アモ 1:8; 3:7,8,11,13; 4:2,5; 5:3; 6:8; 7:1,2,4,4,5,6; 8:1,3,9,11; 9:8; オバ 1; ミカ 1:2; ゼパ 1:7; ゼカ 9:14。

      エフウィ アドーナーイ,「主権者なる主,エホバ」という表現はBHKおよびBHSに5回出て来ます。それらの箇所を次に挙げます: 詩 68:20; 109:21; 140:7; 141:8; ハバ 3:19。

      アドーナーイ エフウィ ツェヴァーオート,「主権者なる主,万軍のエホバ」という表現はBHKおよびBHSに16回出て来ます。それらの箇所を次に挙げます: 詩 69:6; イザ 3:15; 10:23,24; 22:5,12,14,15; 28:22; エレ 2:19; 46:10,10; 49:5; 50:25,31; アモ 9:5。

  • 1ヘ 「[まことの]神」― ヘ語,ハーエローヒーム
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 1ヘ 「[まことの]神」― ヘ語,ハーエローヒーム

      称号エローヒームの前に定冠詞「ハー」が付されると,ハーエローヒームという表現になります。この表現はマソラ本文に376回出ており,そのうちの368か所ではまことの神エホバを,残りの8か所では他の神々を指して用いられています。

      ゾレルヘ語,54ページはこう述べています。「特に聖書では,唯一まことの神,ヤハベがこの語によって示されている; a)האלהים ὁ θεός創世 5:22; 6:9,11; 17:18; 20:6; 出エジプト 3:12; 19:17および散文体の幾つかの書; יהוה הוא האלהים『ヤハベは[唯一まことの]神』申命 4:35; 4:39; ヨシュア 22:34; サムエル第二 7:28; 列王第一 8:60等」。―角かっこと下線は辞典編集者。

      新世界訳聖書は,この表現がエホバを指して用いられている368か所すべてで,ハーエローヒームを「[まことの]神」と訳出しています。それら368か所を以下に挙げます: 創 5:22,24; 6:2,4,9,11; 17:18; 20:6,17; 22:1,3,9; 27:28; 31:11; 35:7; 41:25,28,32,32; 42:18; 44:16; 45:8; 48:15,15; 出 1:17,21; 2:23; 3:1,6,11,12,13; 4:20,27; 14:19; 17:9; 18:5,12,16,19,19; 19:3,17,19; 20:20,21; 21:6,13; 22:8,9; 24:11,13; 民 22:10; 23:27; 申 4:35,39; 7:9; 33:1; ヨシ 14:6; 22:34; 24:1; 裁 6:20,36,39; 7:14; 13:6,6,8,9,9; 16:28; 18:31; 20:2,27; 21:2; サ一 4:4,8,8,13,17,18,19,21,22; 5:1,2,10,10,11; 6:20; 9:7,8,10; 10:3,5,7; 14:18,18,36; サ二 2:27; 6:2,3,4,6,7,7,12,12; 7:2,28; 12:16; 14:17,20; 15:24,24,25,29; 16:23; 19:27; 王一 8:60; 12:22,22; 13:4,5,6,6,7,8,11,12,14,14,21,26,29,31; 17:18; 18:21,24,24,37,39,39; 19:8; 20:28; 王二 1:9,11,12,13; 4:7,16,21,22,25,25,27,27,40,42; 5:8,14,15,20; 6:6,9,10,15; 7:2,17,18,19; 8:2,4,7,8,11; 13:19; 19:15; 23:16,17; 代一 5:22; 6:48,49; 9:11,13,26,27; 13:5,6,7,8,12,12,14; 14:11,14,15,16; 15:1,2,15,24,26; 16:1,1,6,42; 17:2,21,26; 21:7,8,15,17; 22:1,2,19,19; 23:14,28; 24:5; 25:5,5,6; 26:20,32; 28:3,12,21; 29:7; 代二 1:3,4; 3:3; 4:11,19; 5:1,14; 7:5; 8:14; 9:23; 10:15; 11:2; 13:12,15; 15:18; 18:5; 19:3; 22:12; 23:3,9; 24:7,9,13,16,20,27; 25:7,8,9,9,20,24; 26:5,5,7; 28:24,24; 29:36; 30:12,16,19; 31:13,14,21; 32:16,31; 33:7,13; 35:8; 36:16,18,19; エズ 1:3,4,5; 2:68; 3:2,8,9; 6:22; 8:36; 10:1,6,9; ネヘ 4:15; 5:13; 6:10; 7:2; 8:6,8,16,18; 9:7; 10:28,29,29; 11:11,16,22; 12:24,36,40,43; 13:1,7,9,11; ヨブ 1:6; 2:1,10; 詩 87:3; 90:表題; 伝 2:24,26; 3:11,14,14,15,17,18; 5:1,2,2,6,7,18,19,20; 6:2,2; 7:13,14,26,29; 8:12,15,17; 9:1,7; 11:5,9; 12:7,13,14; イザ 37:16; 45:18; エレ 35:4; エゼ 31:9; ダニ 1:2,9,17; 9:3,11; ヨナ 1:6; 3:9,10,10; 4:7。

      次の8か所では,ハーエローヒームが他の神々を指して用いられています: 出 18:11; 22:20; 申 10:17; 裁 10:14; 代二 2:5; 詩 86:8; 136:2; エレ 11:12。

  • 1ト 「[まことの]神」― ヘ語,ハーエール
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 1ト 「[まことの]神」― ヘ語,ハーエール

      称号エールの前に定冠詞「ハー」が付されると,ハーエールという表現になります。この表現の単数形はマソラ本文に32回出ており,いつでもまことの神エホバを指して用いられています。「ゲゼニウスのヘブライ語文法」(GK),単元 126eはハーエローヒームとハーエールを「唯一まことの神」と訳出しています。

      新世界訳聖書は,この表現がマソラ本文中に単数形で出て来る32か所すべてで,ハーエールを聖書本文または脚注において「[まことの]神」と訳出しています。それらの箇所を次に挙げます: 創 31:13; 35:1,3; 46:3; 申 7:9; 10:17; 33:26; サ二 22:31,33,48; ネヘ 1:5; 9:32; ヨブ 13:8; 21:14; 22:17; 31:28; 33:6; 34:10,37; 40:9; 詩 18:30,32,47; 57:2; 68:19,20; 77:14; 85:8; イザ 5:16; 42:5; エレ 32:18; ダニ 9:4。

      エールの複数形はエーリームです。マソラ本文には,語頭に定冠詞の付されたエーリームが1回だけ,すなわち出エジプト 15:11に出ており,そこではこの表現が他の神々を指して用いられています。

  • 1チ 「[まことの]主」― ヘ語,ハーアードーン
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 1チ 「[まことの]主」― ヘ語,ハーアードーン

      「主; 主人」を意味する称号アードーンの前に定冠詞「ハー」が付くと,ハーアードーン,「[まことの]主」という表現になります。マソラ本文では,アードーンという称号の前に定冠詞「ハー」を付すことにより,その称号をエホバ神だけに適用しています。

      マソラ本文には,ハーアードーンという表現が9回出て来ます。それらの箇所を次に挙げます: 出 23:17; 34:23; イザ 1:24; 3:1; 10:16,33; 19:4; ミカ 4:13; マラ 3:1。

      アードーンの複数形はアドーニームです。マソラ本文には,「主」(複)を意味するハーアドーニームという表現が2回,すなわち申命 10:17; 詩編 136:3に出て来ます。

  • 1リ エホバに適用される称号および描写的表現
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 1リ エホバに適用される称号および描写的表現

      あなた方の魂の監督。―ペテロ第一 2:25。

      生ける神。ヘ語,エローヒームに複数形の形容詞ハイイーム(申命 5:26),もしくは単数形の形容詞ハイ(ハーイ)(イザヤ 37:4,17)を伴う; ギ語,テオス ゾーン。―ヘブライ 3:12と比較。

      威光。ギ語,メガローシュネー。この語は神の上位の高大な地位を指し示しています。(ヘブライ 1:3; 8:1と比較。)威光ある方。ヘ語,アッディール。―イザヤ 33:21。

      岩なる方。ヘ語,ハッツール。(申命 32:4)完全,公正,忠実,義,廉直といったエホバの特質を描写する上で比喩的に用いられています; 父としての(申命 32:18); とりでとしての(サムエル第二 22:32; イザヤ 17:10); 堅固な高台また避難所としての(詩編 62:7; 94:22); 救いの源としての。―申命 32:15; 詩編 95:1。

      エホバ神。―創世 2:4。付録1イ参照。

      大いなる神。ア語,エラーハ ラヴ。―ダニエル 2:45。

      神。ヘ語,エール。定冠詞を伴わない。恐らく,「力ある方; 強い方」という意味。―創世 14:18。

      神。ヘ語,エローアハ。エローヒームの単数形。定冠詞を伴わない: ヨブ記に41回,他の書に16回出て来ます。―ヨブ 3:4。

      神。ヘ語,エローヒーム。定冠詞を伴わない: 「セム系諸言語・セム語文献アメリカン・ジャーナル」(The American Journal of Semitic Languages and Literatures,第21巻,シカゴおよびニューヨーク,1905年,208ページ)に,アロン・エンバーはこう書いています。「旧約[聖書]の言語がאלהים[エローヒーム](イスラエルの神に用いられている場合)に複数概念をいっさい付与していないことは,とりわけ次の事実に示されている。すなわち,この語は,ほとんどいつの場合も単数形の述語動詞と共に用いられており,これに伴う限定形容詞も単数形である。……אלהים[エローヒーム]はむしろ強意の複数形であり,偉大さや威光を示し,その方がまさしく大いなる神であることを表わすものと理解すべきである。これは,人間に関して用いられている複数形の語,אדנים[アドーニーム,「主人」]やבעלים[ベアーリーム,「所有者; 主」]と同種のものである」。エローヒームは創造者としてのエホバの力に注意を喚起しており,創造の記述の中に35回出て来ます。―創世 1:1-2:4。

      神の神(主の主)。―申命 10:17; ダニエル 2:47。

      教訓者。ヘ語,モーレ。(ヨブ 36:22)偉大な教訓者。―イザヤ 30:20。

      幸福な神。ギ語,マカリオス テオス。―テモテ第一 1:11と比較。

      定めなく存在される神。ヘ語,エール オーラーム。―創世 21:33。

      至高者。ヘ語,エルヨーン。―申命 32:8; 詩編 9:2; 83:18。

      至上者。ア語,エルヨーニーン。―ダニエル 7:18,22,27。

      主権者なる主。―創世 15:2; ルカ 2:29。付録1ホ参照。

      諸国民の王。ヘ語,メレク ハッゴーイム。―エレミヤ 10:7。

      真理の神。ヘ語,エール エメト。この語は,エホバが物事を扱う際にいつも真実かつ忠実であられることを示しています。―詩編 31:5。

      救い主。ヘ語,モーシーア(イザヤ 43:11; 45:21); ギ語,ソーテール。―ルカ 1:47と比較。

      聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな。カードーシュ,カードーシュ,カードーシュ。エホバに用いられるこの表現には,最高度の神聖さや清さが包含されています。―イザヤ 6:3; 啓示 4:8。

      聖なる神。ヘ語,エローヒーム ケドーシーム。―ヨシュア 24:19。

      全能者。ヘ語,シャッダイ。卓越を表わす複数形: この語は41回出ており,「全能者」と訳されています。(創世 49:25; 詩編 68:14)クリスチャン・ギリシャ語聖書においてこれに対応する語はパントクラトールで,これには「全能者」つまり「あらゆるものの支配者; あらゆる力を持たれる方」という意味があります。(コリント第二 6:18; 啓示 15:3)エール シャッダイ,「全能の神」という表現はマソラ本文に7回出ており,エホバが何ものも抗し難い力を有しておられることを示唆しています。―創世 17:1; 出エジプト 6:3。

      創造者。ヘ語,ボーレー。(イザヤ 40:28; 42:5)偉大な創造者。―伝道 12:1。

      父。ヘ語,アーヴ; ギ語,パテール; ラ語,パテル; 創造者としての(イザヤ 64:8); 信仰を働かせる人すべてに永遠の命を与える方としての(ヨハネ 5:21)。「聖なる父」という表現はエホバに関してのみ用いられています。―ヨハネ 17:11。マタイ 23:9と比較。

      造り主。ヘ語,オーセー。(詩編 115:15; エレミヤ 10:12)偉大な造り主。―イザヤ 54:5。

      とこしえの王。ギ語,バシレウス トーン アイオーノーン。―テモテ第一 1:17と比較。

      ねたむ。ヘ語,カンナー。「全き専心を求める」という意味。―出エジプト 34:14; エゼキエル 5:13も参照。

      万軍のエホバ。この表現は,一部がわずかに変化した形を含めて,マソラ本文に283回出て来ます。この表現はクリスチャン・ギリシャ語聖書にも2回,すなわちパウロとヤコブがヘブライ語聖書の預言を引用もしくはそれに言及している箇所に出て来ます。(ローマ 9:29; ヤコブ 5:4)「万軍のエホバ」という表現は,霊の被造物の大軍を従える,宇宙の支配者であられる方の有する力を指し示しています。―詩編 103:20,21; 148:2; イザヤ 1:24; エレミヤ 32:17,18。付録1ホ参照。

      日を経た方。ア語,アッティーク ヨーミーン。「日々において進んだ(年を経た)方」という意味。―ダニエル 7:9,13,22。

      牧者。―詩編 23:1; ペテロ第一 2:25。

      [まことの]神。ヘ語,ハーエローヒーム。付録1ヘ参照。

      [まことの]神。ヘ語,ハーエール。付録1ト参照。

      [まことの]主。ヘ語,ハーアードーン。付録1チ参照。

      最も聖なる方。ヘ語,ケドーシーム。卓越と威光を表わす複数形。―箴言 30:3。

      わたしは自分がなるところのものとなる。―出エジプト 3:14の脚注参照。

  • 2イ 特殊符号 ― プンクタ エクストラオルディナーリア
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 2イ 特殊符号 ― プンクタ エクストラオルディナーリア

      マソラ本文の15の箇所で,ある語に小点が付されています。幾つかのヘブライ語写本では,小点つまりプンクタの代わりに,垂直または水平の線が付されています。特殊符号の出て来る15か所を次に挙げます: 創 16:5; 18:9; 19:33; 33:4; 37:12; 民 3:39; 9:10; 21:30; 29:15; 申 29:29; サ二 19:19; 詩 27:13; イザ 44:9; エゼ 41:20; 46:22。これらの箇所を論じているそれぞれの脚注を参照してください。

      小点の持つ厳密な意味については論議が交わされています。削除箇所のしるしであると考えている人もいます。一方,これらの小点は,校合に用いられた幾つかの写本にそれら小点の付された語が省かれていたことを示しており,それゆえその読み方は疑わしい,とする人もいます。さらに他の人々は,これらの小点のことを,古代ヘブライ人がこれらの語と関連付けて行なっていたある説明を読者が思い起こすのを助けるための手段にすぎないとみなしています。また,これらの小点は,ヘブライ語本文の一部が写字生にとり,一見して,または聖書の他の並行句と比べて余分に思えそうなとき,写字生がそれらの箇所を省くのを防ぐことを目的にしている,と考える人もいます。

      ギンスInt,320,321ページは,特殊符号についてこう述べています。「それゆえ,次のことが分かるであろう。すなわち,これらの符号は,偽筆の文字や語として疑わしいことを示すしるしであると古代の権威者たちからみなされていたのであり,すべての疑問と難問を解くとされている預言者エリアス[エリヤ]が出現するときにその手に決定をゆだねられることになっている。偽筆と思える語に小点を付すことは当時に限られたものではない。ヘブライ語写本の研究者が目にするように,後代の書士たちも古代のソフェリムの例に倣っている」。

  • 2ロ ソフェリムによる修正(訂正)―「ティクネ ソフェリム」
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 2ロ ソフェリムによる修正(訂正)―「ティクネ ソフェリム」

      ソフェリムによる18の修正箇所

      マソラ本文の幾つかのヘブライ語写本の欄外に,「これはソフェリムによる18の修正箇所の一つである」と読む注記や同様の表現の注があります。これらの修正(訂正)は良い意図のもとに,つまり,元の句が神に対して不敬を示したり,神の地上における代表者たちに敬意を欠いたりしているように思えたためになされました。ギンスInt,347-363ページに基づくソフェリムによる18の修正箇所を次に挙げます: 創 18:22; 民 11:15; 12:12; サ一 3:13; サ二 16:12; 20:1; 王一 12:16; 代二 10:16; ヨブ 7:20; 32:3; 詩 106:20; エレ 2:11; 哀 3:20; エゼ 8:17; ホセ 4:7; ハバ 1:12; ゼカ 2:8; マラ 1:13。

      ソフェリムによる他の修正箇所

      ギンスInt,362,363ページによると,916年のペテルスブルク写本は,ソフェリムによって変更が加えられたさらに二つの箇所,すなわちマラキ 1:12; 3:9を記しています。わたしたちはこれら2か所で,本文の元の読みを復元しました。この聖書のそれぞれの箇所の脚注には,元の読みとマソラ本文の実際の読みが示されています。

      マソラの注には記されていないが,本文に加えられた修正

      ギンスInt,363ページによると,「権威ある本文校訂者たちの手により変更の加えられた句が幾つか」あります。「これらの変更については公式のリストに明確に言及されてはいない。そのうちの代表的なものとして,元の読み方に冒とく的な言葉や神をのろう言葉が含まれているような箇所がある。このような神を汚す言葉遣いの句は,聖書が会衆の前で公に朗読される際,敬虔な崇拝者たちの耳に不快なものとして聞こえたのであろう」。わたしたちは本文の次の7か所で元の読み方を復元しました: サ二 12:14; 王一 21:10,13; ヨブ 1:5,11; 2:5,9。この聖書のそれぞれの箇所の脚注には,元の読みとマソラ本文の実際の読みが示されています。

  • 2ハ 書写の際に神のみ名に加えられた変更
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 2ハ 書写の際に神のみ名に加えられた変更

      付録1ロ参照。

  • 3イ ヘブライ語とギリシャ語の翻字
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 3イ ヘブライ語とギリシャ語の翻字

      翻字とは,ある言語の言葉を一字一字別の言語の文字に置き換え,それを発音できるようにすることを指しています。―「聖書理解の助け」(英文),「ヘブライ語」(“Hebrew,II”)および「ギリシャ語」の項を参照。

      ヘブライ語 ― 翻字の表

      ヘブライ語は右から左に書きますが,片仮名で表記された日本語の翻字では左から右に読みます。ヘブライ語の文字とこの「参照資料付き聖書」の中で採用されている一般的規則の一部を以下に記します。

      文字

      子音字の名称

      対応する日本語

      א

      アーレフ

      ア行

      בּ

      ベート

      バ行

      ב

       

      ヴァ行

      גּ

      ギメル

      ガ行

      ג

       

      ガ行

      דּ

      ダーレト

      ダ行

      ד

       

      ダ行

      ה

      ヘー

      ハ行

      ו

      ワーウ

      ワ行

      ז

      ザイン

      ザ行

      ח

      ヘート

      ハ行

      ט

      テート

      タ行

      י

      ヨード

      ヤ行

      כּ

      カフ

      カ行

      כ 終止形: ך

       

      カ行

      ל

      ラーメド

      ラ行

      מ 終止形: ם

      メーム

      マ行

      נ 終止形: ן

      ヌーン

      ナ行

      ס

      サーメク

      サ行

      ע

      アイン

      ア行

      פּ

      ペー

      パ行

      פ 終止形: ף

       

      ファ行

      צ 終止形: ץ

      ツァーデー

      ツァ行

      ק

      コーフ

      カ行

      ר

      レーシュ

      ラ行

      שׂ

      スィーン

      サ行

      שׁ

      シーン

      シャ行

      תּ

      ターウ

      タ行

      ת

       

      タ行

      全母音

      ָ (長音)

      カーメーツ

      アー(段)

      ַ

      パターハ

      ア(段)

      ֵ (長音)

      ツェーレー

      エー(段)

      ֶ

      セゴール

      エ(段)

      ִ

      ヒーレーク

      イ(段)

      ֹ (長音)

      ホーレーム

      オー(段)

      ָ

      カーメーツ・ハートゥーフ

      オ(段)

      ֻ

      キーッブーツ

      ウ(段)

      ִ

      シューレーク

      ウー(段)

      半母音

      ְ

      シェワー

      エ(段); 短い,あいまいな発音; または無音

      ֲ

      ハーテーフ・パターハ

      ア(段)

      ֱ

      ハーテーフ・セゴール

      エ(段)

      ֳ

      ハーテーフ・カーメーツ

      オ(段)

      特殊な組み合わせ

      י ָ = アーイ

      י ִ = イー

      י ַ = アイ

      וֹ = オー

      י ֵ = エー

      וּ = ウー

      י ֶ = エイ

      יו ָ = アーウ

      母音に関して: この表に出ている母音は,ホーレーム( ֹ)とシューレーク( ִ)を除いて,いずれも文字の下に記されます。ホーレームは文字の上,シューレークはワーウの左脇(וּ,ウー)に記されます。母音符号( ָ)はカーメーツ(「アー」)とカーメーツ・ハートゥーフ(「オ」)の両方を表わすのに用いられています。アクセントのない閉じた音節に出て来る母音符号( ָ)は常に短母音を表わし,「オ」と発音されます。母音符号( ָ)は次の場合に「オ」と発音されます: 無音シェワーが続くとき(例,חָכְמָה,ホクマー); ダゲシュ・フォルテ(子音字の真ん中に打たれる点で,その文字を二度読む[日本語では促音となる場合が多い]ことを示す)が続き,なおかつアクセントのないとき(例,חָנֵּנִי,ホンネーニー); 先行するアクセントを取り去る働きのあるマッケフ(ハイフンに似た短い横線で上方に記される)が続くとき(例,כָּל־אֲשֶׁר,コル・アシェル)。ハーテーフ・カーメーツがあとに続く場合も短母音であり,「オ」と発音されます。

      しかし,母音符号( ָ)が開いた音節(例,יָקוּם,ヤークーム)や,閉じてはいてもアクセントの置かれている音節(例,לָֽמָּה,ラーンマー)にある場合,それは「アー」と発音されます。カーメーツの左側にメテグ(一種の半アクセントの働きをする短い縦の線)があるなら,その音節は開いた音節で,シェワーは有音シェワーであることにも注目できます。(例,אָֽכְלָה,アーケラー)

      半母音に関して: 上の対応する日本語はおおよそのものにすぎません。これら半母音のヘブライ語の発音は,いずれの場合も極めて軽い音です。

      シェワーは次の場合に有音シェワーとなり,「エ」段で翻字されます: 音節の最初の子音の下に付くとき(例,קְטֹל,ケトール); メテグによって開いていることが示されている音節のあとに続く子音の下に付くとき(例,קָֽטְלָה,カーテラー); 長母音が先行するとき(例,שׁוֹמְרִים,ショーメリーム); 語中でシェワーが二つ続くとき,最初のシェワーは無音,二番目のシェワーは有音となります(例,יִקְטְלוּ,イクテルー); 二度発音する子音の下に付くとき(例,קִטְּלוּ,キッテルー)。しかし,短母音が先行する場合や音節を閉じる子音の下に付く場合には,それは無音シェワーとなり,音節分割符号とみなされます。(例,יִקְטֹל,イクトール)

      ギリシャ語 ― 翻字の表

      文字

      名称

      翻字および発音a

      Α α

      アルファ

      アまたはア段(およびその長音)

      Β β

      ベータ

      バ行

      Γ γ

      ガンマ

      ガ行b

      Δ δ

      デルタ

      ダ行

      Ε ε

      エプシロン

      エまたはエ段

      Ζ ζ

      ゼータ

      ザ行

      Η η

      エータ

      エーまたはエー段

      Θ θ

      テータ

      タ行

      Ι ι

      イオータ

      イまたはイ段(およびその長音)

      Κ κ

      カッパ

      カ行

      Λ λ

      ラムダ

      ラ行

      Μ μ

      ミュー

      マ行

      Ν ν

      ニュー

      ナ行

      Ξ ξ

      クシー

      ク+サ行

      Ο ο

      オミクロン

      オまたはオ段

      Π π

      ピー

      パ行

      Ρ ρ

      ロー

      ラ行

      Σ σ, ςc

      シーグマ

      サ行

      Τ τ

      ターウ

      タ行

      Υ υ

      ユープシロン

      ュ段(およびその長音),またはウd

      Φ φ

      フィー

      ファ行

      Χ χ

      キー

      カ行

      Ψ ψ

      プシー

      プ+サ行

      Ω ω

      オーメガ

      オーまたはオー段

      a この発音は現代ギリシャ語の発音とは異なります。

      b κ,ξ,χ,およびγの前では鼻音となり,「ン」と発音されます。

      c シーグマが語末にあるときにだけ用いられます。

      d ユープシロンは,二重母音の第二字である場合,「ウ」となります。

  • 3ロ ヘブライ語の接頭辞と接尾辞
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 3ロ ヘブライ語の接頭辞と接尾辞

      ヘブライ語の特徴の一つに,接頭辞や接尾辞を付けて複合語を構成する方法があります。例えば,創世 1:26にベツァルメーヌー,「わたしたちの像に」という語が出て来ます。「像」を意味するヘブライ語の語頭に,「に」という意味の接頭辞「ベ」が,そして語尾に,「わたしたちの」という意味の接尾辞「(エ)ーヌー」が付いて,「わたしたちの像に」という一つの複合的な表現ができ上がっています。

      この脚注資料の中で,ヘブライ語の基本語に付けられた様々な接頭辞(接続詞と冠詞を含む)や接尾辞を目にすることでしょう。この「参照資料付き聖書」の脚注資料によく出て来る接頭辞と接尾辞を次に挙げます。

      ヘブライ語の接頭辞(ヘブライ語の基本語の語頭に付く短い語)

      ハー,ハ,ヘ,ホ

      = 定冠詞,あるいは疑問小詞

      ウェ,ウー

      = そして,しかし,また(接続語,連結語)

      ベ,ヴェ

      = ……に,で,によって,とともに,の中に

      ケ

      = ……のような,のとおりに,として,にしたがって

      レ

      = ……に,へ,の,に関して,に対して

      メー

      = ……から,の

      ヘブライ語の接尾辞(ヘブライ語の基本語の語末に付く短い語)

      単数形の語に付く場合

      ―(イ)aー

      = わたしの

      ―(エ)カー

      = あなた(男性)の

      ―(エ)ーク

      = あなた(女性)の

      ―(オ)ー

      = 彼の

      ―(ア)ーハ

      = 彼女の

      ―(エ)ーヌー

      = わたしたちの

      ―(エ)ケム

      = あなた方(男性)の

      ―(エ)ケン

      = あなた方(女性)の

      ―(ア)ーム

      = 彼らの

      ―(ア)ーン

      = 彼女らの

      複数形の語に付く場合

      ―(ア)イ

      = わたしの

      ―(エ)イカー

      = あなた(男性)の

      ―(ア)イク

      = あなた(女性)の

      ―(ア)ーウ

      = 彼の

      ―(エ)イハー

      = 彼女の

      ―(エ)ーヌー

      = わたしたちの

      ―(エ)ーケム

      = あなた方(男性)の

      ―(エ)ーケン

      = あなた方(女性)の

      ―(エ)ーヘム

      = 彼らの

      ―(エ)ーヘン

      = 彼女らの

      複数語尾

      ―(イ)ーム

      = 男性の語の複数形(例,スースィーム,「[複数の]馬」)

      ―(オ)ート

      = 女性の語の複数形

      ―(エ)ー,(ア)イ

      = 男性の語の複数形で,ヘブライ語の連語形

      両数語尾,一般に,対になっているものを表わす

      ―(ア)イム

      例,スーサイム(su·sa'yim),「一対の馬」

      方向を示す小詞

      ―(ア)ー

      例,ネグバー,「南の方」(列王第一 7:25の脚注参照)

      a 子音と一緒になって,それぞれ,ア,イ,エ,オ段を構成します。

  • 3ハ 継続的行為もしくは進行的行為を表わすヘブライ語動詞
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 3ハ 継続的行為もしくは進行的行為を表わすヘブライ語動詞

      ヘブライ語の動詞には二つの態,つまり完了態と未完了態があります。完了態は完結した行為を表わします。未完了態は完結していない行為や継続的行為,もしくは進行中の行為を表わします。創世 1:1の「創造された」と訳されているヘブライ語は完了態の動詞で,天と地の創造という行為が完結したことを示しています。創世 2:2の「次いで……休まれた」と訳されているヘブライ語は未完了態の動詞で,完結していない行為,つまり継続的行為,もしくは進行中の行為を示唆しています。(ヘブライ 4:4-7と比較)ですからヘブライ語では,過去に起きた行為でも,その行為が完結していないとみなされるなら,未完了態の動詞で表わすことがあります。一方,将来の行為でもそれが完結しているとみなされるなら,完了態の動詞で表わすことができます。日本語では,ヘブライ語動詞の未完了態を「次いで……した」,「……していった」,「……し続けた」などの補助語を用いて訳出することもできます。

      ヘブライ語の未完了態の基本的特徴について,ジェームズ・ワシントン・ワッツaは,自分の著作,「創世記の明示的翻訳」(A Distinctive Translation of Genesis,米国,ミシガン州,グランドラピッズ,1963年,129,130ページ)にこう書きました。「すべての未完了態の基本的特徴は[行為が]完結していないことにある。……直接法の場合,これら未完了態の行為が完結していないことは進行形もしくは反復形のいずれかに表われる。そのどちらであるかは文脈に依存する。というのは,動詞句の構造はいずれの場合も同じだからである。

      「文脈が単一の行動もしくは状態を示しているなら,それに伴う力は進行段階にある。その行為は進展途上のものとして描かれている。このような場合,英語の動詞の主要概念だけでは,その意味を完全に伝えるには不十分である。翻訳者がその箇所でその持つ力を十分に表わす必要があると感じるなら,‘proceed’(『次いで……していった』)などの補助動詞的に用いられる語や‘gradually’(『しだいに』)などの副詞を加える必要がある。話が急速に展開していて,単にある特定の出来事の進行状態を生き生きと描写することよりも,幾つかの出来事の推移が重要である時には,翻訳者は,‘afterward’(『そののち』)など,進行と推移の両方を示す接続副詞に専ら頼ることになるであろう。この場合における進行状態は十分には表わされない。ごくわずかな間に一つの行為もしくは状態から別の行為もしくは状態へ移行する動きがあるにすぎず,進行状態の明確な描写はなされない。この限定された翻訳が用いられることは,翻訳者が,その時点における進行的概念をより十分に表わす特別の理由はないと見ていることを意味している。そのような場合,英語の文章は冗長なものになるであろう。一方,動詞の持つ力を十分に表現して,記述を表現豊かなものにしたいと考えるなら,翻訳者は自由にそうすることができる。

      「文脈が幾度かの行為や二つ以上の状態を表わしているなら,反復状態に力が置かれている。ここでも,英語の動詞の持つ主要概念だけでは,その意味を完全に伝えるには不十分である。繰り返しや習慣的出来事の意味を十分に表わすには,‘continued’(『……し続けた』)などの補助動詞的に用いられる語や‘frequently’(『しきりに』)などの副詞を加えることが必要である」。

      幾世紀にもわたって,学者たちは,過去の出来事を未完了態の動詞を用いて表わし,将来の出来事を完了態の動詞を用いて表わすヘブライ語の表現力に当惑させられ,この特異性を説明しようとして,ワウ継続法という説を打ち立てました。この説について,O・L・バーネスは,自著,「ヘブライ語の時制の問題に対する新たな研究,およびワウ継続法によらないその解決策」(A New Approach to the Problem of the Hebrew Tenses and Its Solution Without Recourse to Waw-Consecutive,オックスフォード,1965年,4,5ページ)の中でこう書きました。「ワウ継続法,またはその祖先とも言えるより古いワウ転換法(これに代わる名として提唱されている最新の名称はワウ保存法)の理論を導入し,これに隷従することにより,問題は不必要に複雑にされてきた。この説にはさまざまな修正が加えられてきたが,これを要約すれば次の通りである。すなわち,一連の未完了時制のヘブライ語動詞の最初の動詞の前にある『ワウו ― そして』は,これに完了時制のヘブライ語動詞が先行している場合,これら一連の動詞すべてを(実際のもの,つまり未完了態にではなく)完了態に読む,もしくは取るべきであることを示しており,その逆も言える,というものである。ただしこの場合,当然のこととして,未完了態のワウと結合した特定の母音がなければならないことになっている」。

      この理論の有効性について,O・L・バーネスはその著書の第1ページに次のように書きました。「『ワウו ― そして』にこうした奇妙な転換力が備わっているのはなぜかと問うのは正当なことであろう。この不合理性を回避すべく,近年,一部の文法学者の間から,『ワウו ― そして』には実際にはこうした転換力が備わっているのではなく,むしろ転換すべきかどうかを示すかぎもしくは手掛かりとしてこれに注目すべきであるという意見が聞かれる。これによれば,最終結果は全く同じである。事実を明かせば,ここで論じられている事柄から,次のことが明白になろう。『ワウו ― そして』には実のところこうした力はなく,ヘブライ語の時制の呼応に見られる急激な,時には唐突なまでの変化を説明するのにその仮説は必要とされていない。言葉を換えて言うなら,我々は,文法家によって考案された神話的ワウ継続法説を完全に捨て去ってよいであろう」。

      100年ほど前,ベンジャミン・ウィルズ・ニュートンはその著作,「創世記の改訂訳」(The Altered Translation of Genesis ii.5,ロンドン,1888年,49-51ページ)でワウ継続法説に強く反対する態度を表明しました。創世 1:3-8の試訳を挙げた後,ニュートンは話の結びに,50,51ページで次のように書きました。「この章全体を通じて,未来形は進行を表わすのに用いられている。この翻訳において,我々が過去形を用いているのは十分正当な理由による。そこにおいて我々は,同様に未来時制によって進行を表わすことができないのである。ヘブライ語の未来形には,我々の言語の未来形にはない拡大された用法があり,それによって陳述がより正確なものになっている。ひとこと加えておけば,この章にはヴァウ転換説の入り込む余地など全くない。(我々の言語の未来形はヘブライ語の未来形の持つ弾力性に対応できないので)ヘブライ語の未来形の優越性は失われ,それが単なる過去形に変えられねばならないなどと主張する根拠はない。これほどばかげたものをだれかがあえて提唱したというのは実に驚くべきことである」。

      以下に,ベンジャミン・ウィルズ・ニュートンの訳,新世界訳,ジェームズ・ワシントン・ワッツの訳の三つの翻訳の創世 1:3-8を記します。

      ベンジャミン・ウィルズ・ニュートンの訳(1888年)(角かっこは訳者自身による)

      それから神は言われた[未来],“光”が生じるように。すると“光”があるようになった[未来]。

      新世界訳(1953年)

      3 それから神は言われた,「光が生じるように」。すると光があるようになった。

      ジェームズ・ワシントン・ワッツの訳(1963年)(角かっこは訳者自身による)

      3 その後神は言われた,「光があるように」。すると光が徐々に存在するようになった。

      ベンジャミン・ウィルズ・ニュートンの訳(1888年)(角かっこは訳者自身による)

      それから神は“光”をご覧になった[未来]が,それは良[かった]。それから神は“光”と闇を分けていかれた[未来]。

      新世界訳(1953年)

      4 そののち神は光を良いとご覧になった。そして神は光と闇との区分を設けられた。

      ジェームズ・ワシントン・ワッツの訳(1963年)(角かっこは訳者自身による)

      4 それから神は光を見て,それが良いのを[ご覧になった]。そこで光と闇を分けていかれた。

      ベンジャミン・ウィルズ・ニュートンの訳(1888年)(角かっこは訳者自身による)

      それから神は光を“昼”と呼び[未来],闇のほうは“夜”と呼んだ[「呼ぶことにした」ではない: 過去時制が用いられている]。こうして夕となり[未来],そして朝となった[未来]。一日目である。

      新世界訳(1953年)

      5 そして神は光を“昼”と呼ぶことにし,闇のほうを“夜”と呼ばれた。こうして夕となり,朝となった。一日目である。

      ジェームズ・ワシントン・ワッツの訳(1963年)(角かっこは訳者自身による)

      5 そうして神は光を“昼”と呼ぶことにし,闇のほうを“夜”と呼ばれた。こうして夕となり,朝となった。一日目である。

      ベンジャミン・ウィルズ・ニュートンの訳(1888年)(角かっこは訳者自身による)

      それから神は言われた[未来],水のただ中に天空が生じ,水と水との間を区別するものとなるように。

      新世界訳(1953年)

      6 次いで神は言われた,「水の間に大空が生じ,水と水との間に区分ができるように」。

      ジェームズ・ワシントン・ワッツの訳(1963年)(角かっこは訳者自身による)

      6 さらに神は続けてこう言われた,「水のただ中に大空が生じ,水と水との間に別れが生じるように」。

      ベンジャミン・ウィルズ・ニュートンの訳(1888年)(角かっこは訳者自身による)

      それから神は天空を造り[未来],天空より下に[ある]水と天空より上に[ある]水とを分けてゆかれた[未来]。

      新世界訳(1953年)

      7 そうして神は大空を造り,大空の下に来る水と大空の上方に来る水とを区分してゆかれた。そしてそのようになった。

      ジェームズ・ワシントン・ワッツの訳(1963年)(角かっこは訳者自身による)

      7 そこで神は大空の下の水と大空の上の水とを分けてゆかれた。するとしだいにそのようになった。

      ベンジャミン・ウィルズ・ニュートンの訳(1888年)(角かっこは訳者自身による)

      それから神は天空を“天”と呼ばれ[未来],こうして夕また朝があり,二日目となった[未来]。

      新世界訳(1953年)

      8 そして神は大空を“天”と呼ぶことにされた。こうして夕となり,朝となった。二日目である。

      ジェームズ・ワシントン・ワッツの訳(1963年)(角かっこは訳者自身による)

      8 その後神は大空を“天”と呼ぶことにされた。こうして夕となり,朝となった。二日目である。

      新世界訳聖書は,ヘブライ語の動詞を翻訳する際,確かな根拠に基づかないワウ継続法に従いませんでした。この旧来の説に従えば,ヘブライ語動詞が元々の態において有する力や強さは伝えられません。ですから,新世界訳聖書は,ヘブライ語動詞の完了態と未完了態の区別を保つことにより,そのヘブライ語動詞に正確な意味合いとそれに伴う力強さを添えています。

      a 「明示的翻訳: 創世記(1963年),出エジプト記(1977年),イザヤ書(1979年)」の著者。

  • 4イ 「魂」― 生物,人間,もしくは動物; 知性を有する人間としての命; 他の用法
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 4イ 「魂」― 生物,人間,もしくは動物; 知性を有する人間としての命; 他の用法

      ヘ語,נפש(ネフェシュ); ギ語,ψυχή(プシュケー); ラ語,a'ni·ma(アニマ)

      ヘブライ語聖書中に,ネフェシュというヘブライ語は754回出ており,この語が最初に出て来るのは創世 1:20です。新世界訳聖書はこの語を一貫して「魂」と訳出しており,いずれの場合も,文脈に照らしてその意味を理解することが可能です。多くの異なる文脈にこの同一のヘブライ語が用いられていることは,聖書筆者たちがこの語を用いたときにそれが持っていた基本的な考えを確かめるのに役立ちます。このヘブライ語の持つ基本的な概念は,人格を有する者,個人,もしくは下等生物; 人格を有する者あるいは動物がそのようなものとして享受している生命,というものです。これは古代エジプト人,バビロニア人,ギリシャ人,ローマ人が宗教的また哲学的意味で魂と呼んだものとは全く異なります。

      クリスチャン・ギリシャ語聖書中に,プシュケーというギリシャ語は単独の形で102回出ており,この語が最初に出て来るのはマタイ 2:20です。これには,「魂をこめて」という表現が用いられているエフェソス 6:6およびコロサイ 3:23も含まれています。さらにこの語は,フィリピ 2:2,19; テサロニケ第一 5:14などにおけるように,他のさまざまなギリシャ語と結合した形でも用いられています。新世界訳聖書はプシュケーを一貫して「魂」と訳出しています。一貫して日本語の同一の訳語を用いるこの方法は,霊感を受けた筆者たちがプシュケーをどのように用いたか,どんな特性をこれに付していたかを明らかにする点で大変啓発的です。

      「魂」という語の用法を理解する助けとして,「魂」という語が出て来る聖句を種々の見出しのもとに区分けして以下に挙げます。

      動物は魂

      創 1:20,21,24,30; 2:19; 9:10,12,15,16; レビ 11:10,46,46; 24:18; 民 31:28; ヨブ 41:21; エゼ 47:9。

      生きている人もしくは個人は魂

      創 2:7; 12:5; 14:21; 36:6; 46:15,18,22,25,26,26,27,27; 出 1:5,5; 12:4,16; 16:16; レビ 2:1; 4:2,27; 5:1,2,4,15,17; 6:2; 7:18,20,21,25,27; 17:10,12,15; 18:29; 20:6,6; 22:6,11; 23:29,30; 27:2; 民 5:6; 15:27,28,30; 19:18,22; 31:35,35,40,40,46; 35:30; 申 10:22; 24:6,7; サ一 22:22; サ二 14:14; 王二 12:4; 代一 5:21; 詩 19:7; 箴 11:25,30; 16:24; 19:2,15; 25:25; 27:7,7,9; エレ 43:6; 52:29; 哀 3:25; エゼ 27:13; 使徒 2:41,43; 7:14; 27:37; ロマ 13:1; コ一 15:45; ペテ一 3:20; ペテ二 2:14。

      生物である魂は死すべきものであり,滅び得る

      創 12:13; 17:14; 19:19,20; 37:21; 出 12:15,19; 31:14; レビ 7:20,21,27; 19:8; 22:3; 23:30; 24:17; 民 9:13; 15:30,31; 19:13,20; 23:10; 31:19; 35:11,15,30; 申 19:6,11; 22:26; 27:25; ヨシ 2:13,14; 10:28,30,32,35,37,37,39; 11:11; 20:3,9; 裁 5:18; 16:16,30; 王一 19:4; 20:31; ヨブ 7:15; 11:20; 18:4; 33:22; 36:14; 詩 7:2; 22:29; 66:9; 69:1; 78:50; 94:17; 106:15; 124:4; 箴 28:17; イザ 55:3; エレ 2:34; 4:10; 18:20; 38:17; 40:14; エゼ 13:19; 17:17; 18:4; 22:25,27; 33:6; マタ 2:20; 10:28,28; 26:38; マル 3:4; 14:34; ルカ 6:9; 17:33; ヨハ 12:25; 使徒 3:23; ロマ 11:3; ヘブ 10:39; ヤコ 5:20; 啓 8:9; 12:11; 16:3。

      知性を有する人間としての命

      創 35:18; 出 4:19; 21:23; 30:12; ヨシ 9:24; 裁 9:17; 12:3; 18:25; 王二 7:7; 代二 1:11; ヨブ 2:4; 6:11; 箴 1:18; 7:23; 22:23; 25:13; マタ 6:25; 10:39; 16:25; ルカ 12:20; ヨハ 10:15; 13:38; 15:13; 使徒 20:10; ロマ 16:4; フィリ 2:30; テサ一 2:8; ヤコ 1:21; ペテ一 1:22; 2:11,25; ヨハ一 3:16。

      魂はシェオルもしくはハデス(「地獄」)から救い出される

      詩 16:10; 30:3; 49:15; 86:13; 89:48; 箴 23:14; 使徒 2:27。

      死んだ魂,つまり死体

      レビ 19:28; 21:1,11; 22:4; 民 5:2; 6:6,11; 9:6,7,10; 19:11,13; ハガ 2:13。

      霊と区別されている魂

      フィリ 1:27; テサ一 5:23; ヘブ 4:12。

      神は魂を有しておられる

      サ一 2:35; 詩 11:5; 24:4; 箴 6:16; イザ 1:14; 42:1; エレ 5:9; 6:8; 12:7; 14:19; 15:1; 32:41; 51:14; 哀 3:20; エゼ 23:18; アモ 6:8; マタ 12:18; ヘブ 10:38。

  • 4ロ 「シェオル」,「ハデス」― 人類共通の墓; 墓の領域
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 4ロ 「シェオル」,「ハデス」― 人類共通の墓; 墓の領域

      ヘ語,שאול(シェオール); ギ語,ᾅδης(ハーイデース); ラ語,in·fer'nus(インフェルヌス); シ語,シウール

      シェオルという語の出て来る66か所

      新世界訳聖書のヘブライ語聖書中には,「シェオル」という語が次の66か所に出て来ます: 創 37:35; 42:38; 44:29,31; 民 16:30,33; 申 32:22; サ一 2:6; サ二 22:6; 王一 2:6,9; ヨブ 7:9; 11:8; 14:13; 17:13,16; 21:13; 24:19; 26:6; 詩 6:5; 9:17; 16:10; 18:5; 30:3; 31:17; 49:14,14,15; 55:15; 86:13; 88:3; 89:48; 116:3; 139:8; 141:7; 箴 1:12; 5:5; 7:27; 9:18; 15:11,24; 23:14; 27:20; 30:16; 伝 9:10; 歌 8:6; イザ 5:14; [7:11]; 14:9,11,15; 28:15,18; 38:10,18; 57:9; エゼ 31:15,16,17; 32:21,27; ホセ 13:14,14; アモ 9:2; ヨナ 2:2; ハバ 2:5。

      ヘブライ語聖書中に「シェオル」という語が出て来る箇所は,マソラ本文中にこの語の出て来る65か所すべてと,他の1か所,すなわちイザヤ 7:11を含んでいます。イザヤ 7:11についてはその脚注を参照してください。新世界訳聖書はいずれの場合も,ヘブライ語シェオールに対して「シェオル」という語を用いています。ギリシャ語セプトゥアギンタ訳は一般に,シェオールをハーイデースと訳出しています。

      ヘブライ語シェオールの派生した元の語として幾つかの語が提唱されていますが,これは明らかに,「求める」あるいは「要求する」という意味のヘブライ語動詞שׁאל(シャーアル)から派生しているものと思われます。このことは,シェオルが,死者をその中に受けとめることにより,すべての人を区別なく求める,もしくは要求する所(状態ではない)であることを示しているようです。(創世 37:35とイザヤ 7:11の脚注参照。)これは地にあり,常に死者と結び付けられていて,明らかに,人類共通の墓,墓の領域,もしくは死者の地的(海ではない)領域を意味しています。これに対し,ヘブライ語ケヴェルは個々の墓もしくは埋葬所を意味します。―創世 23:4,6,9,20。

      ハデスという語の出て来る10か所

      「ハデス」は恐らく「見えない場所」を意味すると思われ,この語は新世界訳聖書のクリスチャン・ギリシャ語聖書に10回出て来ます。それらの箇所を次に挙げます: マタ 11:23; 16:18; ルカ 10:15; 16:23; 使徒 2:27,31; 啓 1:18; 6:8; 20:13,14。

      使徒 2:27でペテロが詩編 16:10を引用しているその用法から,ハデスがシェオルの同義語であり,人類共通の墓を指していることが分かります。(これに対して,ギリシャ語タフォスは個々の墓を指します。)ハデスに対応するラテン語はインフェルヌス(インフェルスのこともある)です。この語は「下に横たわるもの; 低域」を意味し,墓の領域を指して用いるのに適切な言葉です。このように,このラテン語はこれらのギリシャ語やヘブライ語によく対応する類義語となっています。

      霊感による聖書の中では,「シェオル」や「ハデス」という語は死や死者と結び付けられており,生命や生きているものと結び付けられてはいません。(啓示 20:13)これらの語そのものには,喜びと苦しみといった考えやそれを暗示するものは何もありません。

  • 4ハ 「ゲヘナ」― 完全な滅びの象徴
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 4ハ 「ゲヘナ」― 完全な滅びの象徴

      ヘ語,גי הנם(ゲー ヒンノーム,「ヒンノムの谷」);

      ギ語,γέεννα(ゲエンナ); ラ語,ge·hen'na(ゲヘンナ)

      「ゲヘナ」は「ヒンノムの谷」を意味します。その語はヘブライ語ゲー ヒンノームのギリシャ語化したものだからです。ヨシュア 18:16に「ヒンノムの谷」という語が出て来ますが,七十人訳はそれを「ゲヘナ」と読んでいます。この語はクリスチャン・ギリシャ語聖書中に12回出ており,最初に出て来るのはマタイ 5:22です。新世界訳聖書はそのすべての箇所でこれを「ゲヘナ」と訳出しています。それらの箇所を次に挙げます: マタ 5:22,29,30; 10:28; 18:9; 23:15,33; マル 9:43,45,47; ルカ 12:5; ヤコ 3:6。

      ヒンノムの谷は古代エルサレムの西方と南方に位置していました。(ヨシュア 15:8; 18:16; エレミヤ 19:2,6)ユダの後期の王たちの時代に,そこは異教の神モレクに対する偶像崇拝のための場所として用いられ,犠牲にされる人間が火の中に投げ込まれてその神にささげられました。(歴代第二 28:3; 33:6; エレミヤ 7:31,32; 32:35)忠実な王ヨシヤは,そこが再びそのような宗教的目的で用いられることがないよう,その谷,特にトフェトと呼ばれる区域を汚れた所としました。―列王第二 23:10。

      ユダヤ人の注釈者ダビデ・キムヒ(1160?-1235年?)は,詩編 27:13に関するその注釈の中に,「ゲーヒンノム」に関連した次のような歴史的情報を記しています。「また,そこはエルサレムの隣接地にある場所で,忌むべき所である。そして,人々はそこに汚れた物や死がいを投げ込む。またそこでは,汚れた物や死がいの骨を焼くために絶えず火が燃やされていた。それゆえ,邪悪な者たちの裁きは比喩的にゲーヒンノムと呼ばれている」。

      ヒンノムの谷はごみ捨て場,またエルサレムの汚物の焼却場となりました。動物の死がいは火で焼き尽くすためにそこに投げ込まれ,火勢を強めるために硫黄,つまり土硫黄が加えられました。記念の墓に普通に葬るには値しないとみなされた,処刑された犯罪者の死体もそこに投げ込まれました。そうした死体が火の中に落ちた場合は焼き尽くされましたが,死がいが深い谷の途中の出っ張った部分に落ちたような場合はその腐肉に虫,つまりうじが群がるようになりました。これらのうじは肉を食べ尽くして,死体が骨だけになるまで死にませんでした。

      生きた動物や人間がゲヘナに投げ込まれ,生きたまま焼かれるとか責め苦に遭わされるということはありませんでした。ですから,人間の魂が文字通りの火の中でとこしえの責め苦に遭わされたり,死ぬことのない虫によって永久にさいなまれたりする見えない領域をこの場所が象徴しているとは全く考えられません。そこに投げ込まれた死んだ犯罪者は復活の希望の象徴である記念の墓に正しく葬るに値しない者とされていたので,イエスとその弟子たちはゲヘナを,神の宇宙領域から全く断たれることを意味する永遠の滅び,すなわちとこしえの処罰である「第二の死」の象徴として用いました。

      このように,人の死体をゲヘナに投げ込むことは最も重い処罰とみなされました。文字通りのゲヘナとそれの持つ意義を考慮して,象徴としての『火と硫黄で燃える湖』という表現が用いられています。―啓示 19:20; 20:10,14,15; 21:8。

  • 4ニ 「タルタロス」
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 4ニ 「タルタロス」

      ペテロ第二 2:4 ―「彼らをタルタロスに投げ込んで」

      ギ語,タルタローサス; ラ語,デートラクトース イン タルタルム;

      シ語,アゲン エヌーン ベタハターヤーター

      「タルタロス」という語はペテロ第二 2:4に一度だけ出て来ます。この語はギリシャ語の動詞タルタロオーに含まれており,この動詞を訳すに際し,「彼らをタルタロスに投げ込んで」という句が用いられました。

      古代の詩人ホメロスの作品「イリアス」の中で,タルタロスという語は地下の獄を指して用いられており,地が天の下にあるように,それはハデスのはるか下方にあるとされています。そこに閉じ込められたのは人間の魂ではなく,下位の神々である霊者たち,すなわち,ゼウス(ジュピター)に反逆したクロノスをはじめとするティタンたちでした。そこは,神話に出て来る神々が設けた獄で,それらの神々が天界から放逐した霊者たちのためのものでした。また,それは,死の際に人間の魂が閉じ込められると考えられていたハデスより下方にありました。神話におけるタルタロスは,下方の領域の最も低い所,また暗闇の場所でした。ちょうど,天が地の上にあるすべてのものを覆っているのと同様,それは下界のすべてを覆っていました。このように,異教のギリシャ神話において,タルタロスは,人間の魂ではなく,霊者であるティタンを閉じ込める場所,また暗闇と辱めの場所とされていました。

      七十人訳のヨブ 40:20には,ベヘモトについてこう記されています。「そして険しい山にのぼったとき,これは深みにいる[ἐν τῷ ταρτάρῳ(「タルタロスにいる」)]四つ足の生き物に喜びをもたらした」。ヨブ 41:31,32(41:23,24,七十訳)には,レビヤタンについてこう記されています。「これは深みを真ちゅうの大がまのように沸き立たせ,海を塗り油のなべのように,深みの最も低い所[τὸν δὲ τάρταρον τῆς ἀβύσσου(「底知れぬ深みのタルタロス」)]をとりことみなす。これは深みをその激怒とする」。七十人訳のこれらの節におけるタルタロスという語の用法は,それが低い場所,すなわち,底知れぬ深みの「最も低い所」を表わすのに用いられたことを明らかにしています。―ペテロ第二 2:4の脚注と比較。

      霊感による聖書は,いかなる人間の魂もタルタロスにいるとはしておらず,霊の被造物,つまり,「罪をおかしたみ使いたち」だけがそこにいることを示しています。それらがタルタロスに投げ込まれることは,彼らが依然として生きてはいるものの,最も低い卑しめられた状態にあることを示しています。これは,至高の神に対して反逆の罪をおかしたそれらの者に対する処罰となります。使徒ペテロは,神が彼らを「裁きのために留め置かれた者として濃密な闇の坑に引き渡された」と述べて,闇をそれらの者たちの低められた状態と結び付けています。―ペテロ第二 2:4。

      クロノスと反逆したティタン族の神々に関する神話伝説の中で,異教徒は,反逆した霊者たちの置かれた卑しめられた状態に関する見方をゆがめました。それに対して,「タルタロスに投げ込む」という意味の動詞タルタロオーのペテロの用法は,「罪をおかしたみ使いたち」が異教の神話に出て来るタルタロスに投げ込まれたことを示すのではなく,彼らが全能の神によって卑しめられて,それまでいた天の場所と享受していた特権を奪い去られ,神の輝かしい目的に関して深い精神的暗闇の状態に引き渡されたことを明らかにしています。同時に,それらの者たちの終局については暗い見込みしかありません。聖書は,それらの者たちがその支配者であるサタン悪魔と共に永遠の滅びを迎えることを示しています。このように,タルタロスは,反逆したこれらみ使いたちの置かれた卑しめられた最も低い状態を指しています。

      霊感による聖書において,タルタロスは,死んだ人間の共通の墓であるハデスとは何の関係もありません。被造物が意識ある状態でとこしえの責め苦を味わわされる場所としてのタルタロスで,罪をおかしたみ使いたちと死んだ人間の魂とが共になるということはありません。現在そのような卑しめられた状態にある反逆したみ使いたちを至高の裁き主が滅ぼす時,タルタロスはなくなるのです。

  • 5イ 「淫行」― あらゆる種類の不法な性的交わり
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 5イ 「淫行」― あらゆる種類の不法な性的交わり

      マタイ 5:32 ― ギ語,πορνεία(ポルネイア); ラ語,for·ni·ca'ti·o(フォルニカーティオ)

      ギリシャ語ポルネイアには,広い意味があります。バウアー,693ページは,ポルネイアの項で,この語は「売春,不貞,淫行といった,あらゆる種類の不法な性的交わり」を意味する,と述べています。

      TDNT,第6巻,592ページは,マタイ 5:32および19:9のイエスの言葉について,「πορνεία[ポルネイア]は結婚関係外の性交渉を指す」と注解しています。ですから,聖書はポルネイアという語を既婚者に関連して用いています。前掲の辞典は594ページで,エフェソス 5:3,5に関連してこう述べています。パウロは「すべての人が禁欲の賜物を得ているのではないことを理解していた。コリント第一 7:7。淫行という悪から身を守るための保護として,[この賜物]を持たない[独身の]人は神によって備えられた合法的な結婚の道を選ぶべきである。コリント第一 7:2」。このように,聖書はポルネイアという語を,不法な性関係や性習慣にふける未婚の人々にも用いています。―コリント第一 6:9参照。

      ウェストコットとホートのギリシャ語本文の共同編集者の一人,B・F・ウェストコットは,自著,「エペソ人への聖パウロの書簡」(Saint Paul's Epistle to the Ephesians,ロンドンおよびニューヨーク,1906年,76ページ)の中で,聖書に用いられているポルネイアという語のさまざまな意味について注解し,エフェソス 5:3に関する注釈の中で次のように述べました。「これは不法な性交渉すべてを表わす一般的な語である。(1)姦淫: ホセア 2:2,4(七十訳); マタイ 5:32; 19:9; (2)不法な結婚,コリント第一 5:1; (3)淫行,ここ[エフェソス 5:3]で用いられているような一般的意味における」。「一般的意味」という表現は,明らかに,未婚者だけにあてはまる,近代の限定された意味における用法を指しています。

      こうした文字通りの意味に加えて,クリスチャン・ギリシャ語聖書中の幾つかの箇所で,ポルネイアには象徴的意味が付されています。ゾレルギ語,第1106欄は,ポルネイアの項のもとで,この種の意味について説明し,こう述べています。「全面的または部分的に,唯一まことの神ヤハベに対する背信行為を働いて他の神々に転じること,真の信仰からの背教[列王第四 9:22; エレミヤ 3:2,9; ホセア 6:10等; 神とその民との結び付きは一種の霊的婚姻関係のようにみなされていたのである]: 啓示 14:8; 17:2,4; 18:3; 19:2」。(角かっこと下線は辞書編集者; 七十人訳の列王第四はマソラ本文の列王第二に対応する。)

      ギリシャ語本文において,ポルネイアは次の25か所に出て来ます: マタ 5:32; 15:19; 19:9; マル 7:21; ヨハ 8:41; 使徒 15:20,29; 21:25; コ一 5:1,1; 6:13,18; 7:2; コ二 12:21; ガラ 5:19; エフェ 5:3; コロ 3:5; テサ一 4:3; 啓 2:21; 9:21; 14:8; 17:2,4; 18:3; 19:2。

      これと関連した動詞ポルネウオーは次の8か所に出ており,新世界訳では「淫行を習わしにする」,『淫行を犯す』,「淫行を行なう」と訳出されています: コ一 6:18; 10:8,8; 啓 2:14,20; 17:2; 18:3,9。

      関連した動詞エクポルネウオーはユダ 7に一度だけ出ており,新世界訳では『甚だしい淫行を犯す』と訳出されています。―裁き人 2:17の脚注と比較。

      関連した名詞ポルネーは次の12か所に出ており,新世界訳では「娼婦」と訳出されています: マタ 21:31,32; ルカ 15:30; コ一 6:15,16; ヘブ 11:31; ヤコ 2:25; 啓 17:1,5,15,16; 19:2。

      関連した名詞ポルノスは次の10か所に出ており,新世界訳では「淫行の者」と訳出されています: コ一 5:9,10,11; 6:9; エフェ 5:5; テモ一 1:10; ヘブ 12:16; 13:4; 啓 21:8; 22:15。LS,1450ページは,この語の意味として,「稚児,男色者,淫行の者,偶像を礼拝する者」を挙げています。

  • 5ロ キリストの臨在(パルーシア)
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 5ロ キリストの臨在(パルーシア)

      マタイ 24:3 ― ギ語,τὸ σημεῖον τῆς σῆς παρουσίας(ト セーメイオン テース セース パルーシアス)

      1864年

      『汝の臨在のしるし』

      エンファティック・ダイアグロット訳(エ21),ベンジャミン・ウィルソン訳,ニューヨークおよびロンドン。

      1897年

      『汝の臨在のしるし』

      エンファサイズド・バイブル,J・B・ロザハム訳,米国,オハイオ州,シンシナチ。

      1903年

      『あなたの臨在の合図』

      現代英語聖書,F・フェントン訳,ロンドン。

      1950年

      『あなたの臨在のしるし』

      クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳,ブルックリン。

      ギリシャ語のパルーシアという名詞は,字義通りには「傍らにいること」を意味し,前置詞パラ(「傍らに」)とウーシア(「いること」)から来ています。ギリシャ語パルーシアはクリスチャン・ギリシャ語聖書中の次の24か所に出て来ます: マタ 24:3,27,37,39; コ一 15:23; 16:17; コ二 7:6,7; 10:10; フィリ 1:26; 2:12; テサ一 2:19; 3:13; 4:15; 5:23; テサ二 2:1,8,9; ヤコ 5:7,8; ペテ二 1:16; 3:4,12; ヨハ一 2:28。新世界訳聖書はこれら24か所でパルーシアを「臨在」,『(共に)いること』,『存在すること』と訳出しています。

      これと関連のある動詞パレイミは字義通りには「傍らにいる」を意味します。この動詞はクリスチャン・ギリシャ語聖書中の次の24か所に出て来ます: マタ 26:50; ルカ 13:1; ヨハ 7:6; 11:28; 使徒 10:21,33; 12:20(脚注); 17:6; 24:19; コ一 5:3,3; コ二 10:2,11; 11:9; 13:2,10; ガラ 4:18,20; コロ 1:6; ヘブ 12:11; 13:5; ペテ二 1:9,12; 啓 17:8。新世界訳聖書はこれらの箇所でパレイミを「居合わせる」,「来ている」,「現われる」,『いる』,その他の語を用いて訳出しています。

      コリント第二 10:10,11とフィリピ 2:12でそれぞれ言及されている,パウロがその場にいるときといないとき(離れているとき)の対比から,パルーシアという語の持つ意味は明白です。マタイ 24:37-39の,人の子のパルーシアと「ノアの日」との比較からも,この語が「臨在」を意味することは明らかです。

      リデルとスコットの「希英辞典」(LS),1343ページは,パルーシアの最初の定義として英語の“presence”(「臨在」,「いること」)を挙げています。同様に,TDNT,第5巻,859ページは,「一般的意味」という副見出しのもとに,「παρουσία[パルーシア]は特に能動的臨在を指す」と述べています。

      「臨在」を意味するパルーシアという語は,「到来」を意味するギリシャ語エレウシスとは違います。後者はギリシャ語本文中に一度だけ,使徒 7:52にエレウセオース(ラ語,アドウェントゥー)という形で出て来ます。パルーシアとエレウシスは互いに入れ替えて用いることのできる語ではありません。TDNT,第5巻,865ページにはこう記されています。「これらの語[パレイミおよびパルーシア]は肉体を着けたキリストの到来には決して用いられない。またπαρουσίαには戻って来るという意味合いは全くない。二度以上のパルーシアという概念は後代の教会[西暦2世紀のユスティヌスより以前ではない]において初めて認められる。……原始キリスト教の思想の世界を理解するのに必要な基本条件は,[二度以上のパルーシアという]この観念から完全に離れることである」。

      この語の意味について,神学博士,イスラエル・P・ウォーレンは自著,「パルーシア」(The Parousia,米国,メーン州,ポートランド,1879年,12-15ページ)の中で次のように書きました。「『再臨』,『第二の来臨』などの言葉をしばしば口にするが,聖書は『第二のパルーシア』について一切述べていない。それがどのような性質のものであったにせよ,それは特異なものであり,それ以前に起きたことも,その後再び起きることもないものであった。それは,人間に対するご自分の他のいかなる顕現とも異なり,それより優れた臨在であるはずであった。それゆえ,その名称は,冠詞以外のいかなる限定形容語句をも伴わないThe Presence(臨在)のままの形でよいはずであった。

      「この言葉を以上のように考えてくると,英語の“coming”(到来)も,ラテン語の“advent”も原語を最もよく表わす語でないことは明白であるように思われる。これらの訳語は,その語源とも調和せず,この語の由来する動詞の概念とも一致しない。さらに,翻訳者が,より正確な『臨在』という語を用いる場合,これらの語をもってそれに置き換えるのは適切さを欠くものと言わねばならない。また,これらの語の基本概念[原義]も同じではない。“Coming”や“advent”が最も強く示唆する概念は近づく行為,向かって来る動作であり,“パルーシア”の示唆する概念は共にいるというもので,それがどのように始まったかは問題にしていない。前者の語の持つ力は到着をもって終了するが,後者の語の場合,その力は到着によって始まる。前者は動きを表わす語であり,後者は静止を表わす語である。前者の語の動きに伴う時間の長さは限りがあり,時にはほんの一瞬であるかもしれないのに対し,後者の語の場合,限りがない。……

      「我々の翻訳が,この“パルーシア”という専門用語を,“バプティスマ”という語と同じように扱っていたなら,つまりこれを変えずにそのまま用いるか,あるいは原語と厳密に同義の『臨在』という語を用いて翻訳していたなら,『再臨』なるものはないということが十分に理解されたであろうし,その場合,この教理全体が現在のものとは全く異なった形を取っていたであろうと思われる。『再臨』や『第二の来臨』という表現が聞かれることは決してなかったはずである。教会はむしろ,“主の臨在”について話すよう教えられたであろう。近い将来のことであれ,ずっと遠い先のことであれ,それによって,教会の希望が実現されること,またそのもとで世界が新たにされ,霊的また肉体的復活が達成され,公正と永遠の審判が施行されるということを語っていたはずである」。

      また,バウアー,630ページには,パルーシアは,「高位の人物の訪問,特に王や皇帝の属州への訪問を表わす公用語となった」と記されています。マタイ 24:3では,テサロニケ第一 3:13; テサロニケ第二 2:1などの他の聖句におけると同様,パルーシアという語が,現在の事物の体制の終わりの日に王として即位された後のイエス・キリストの王としての臨在を指して用いられています。

  • 5ハ 「苦しみの杭」
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 5ハ 「苦しみの杭」

      ギ語, σταυρός(スタウロス); ラ語,crux(クルクス)

      マタイ 27:40の「苦しみの杭」は,カルバリすなわち“どくろの場所”におけるイエスの処刑に関連して用いられています。異教徒はキリスト以前の幾世紀もの間,十字架を宗教的象徴として用いていましたが,ここでギリシャ語スタウロスがそうした十字架を意味することを示す証拠は何もありません。

      古典ギリシャ語において,スタウロスという語は単に,まっすぐな杭,土台に用いるような棒柱を意味していました。スタウロオーという動詞は,杭で柵を巡らすこと,砦柵を作ることを意味していました。クリスチャン・ギリシャ語聖書の霊感を受けた筆者たちは共通(コイネー)ギリシャ語で文章を書き,スタウロスという語を,古典ギリシャ語の意味と同じく,どんな角度のものにせよいかなる横木も付いていない単純な杭という意味で用いました。これを否定する証拠を挙げることはできません。使徒ペテロとパウロも,イエスがくぎづけにされた苦しみの刑具を指すのにクシュロンという語を用いていますが,このことはそれが横木の取り付けられていないまっすぐな杭であったことを表わしています。と言うのは,まさにそれがこの場合のクシュロンの意味するところだからです。(使徒 5:30; 10:39; 13:29; ガラテア 3:13; ペテロ第一 2:24)七十人訳のエズラ 6:11(エスドラス書第一 6:31)にクシュロンという語が出ており,そこでは律法違反者が掛けられる1本の梁として述べられています。使徒 5:30; 10:39の場合も同様です。

      スタウロスの意味について,W・E・バインは自著,「新約聖書用語解説辞典」(An Expository Dictionary of New Testament Words,1966年再版,第1巻,256ページ)の中で次のように述べています。「スタウロス(σταυρός)は主としてまっすぐな杭を指す。それに犯罪人は処刑のためくぎづけにされた。この名詞も,杭に留めるという意味の動詞スタウロオーも,元々は,教会の用いている2本の梁材を十字に組み合わせた形とは区別されていた。後者の形は古代カルデアにその起源を有し,同国およびエジプトを含む隣接した国々において,タンムズ神の象徴(その名の最初の文字で,神秘的意味の付されたタウの形)として用いられた。西暦3世紀の半ばまでに,諸教会はキリスト教の幾つかの教理から逸脱するか,それをこっけいなものにしてしまった。背教した教会制度の威信を高めるため,異教徒が,信仰による再生なしに教会に受け入れられた。それらの者には異教の印や象徴を引き続き用いることが大幅に認められた。こうして,タウつまりTがキリストの十字架を表わすのに用いられるようになり,多くの場合に横棒を下にずらした形が使われた」。

      ルイスとショートのラテン語辞典は,クルクスの基本的意味として,「犯罪者がつけられたり掛けられたりする,木,枠木,または木製の他の処刑具」を挙げています。西暦前1世紀のローマの歴史家リビウスの著作の中では,クルクスは普通の杭を意味しています。「十字架」はクルクスの後代における意味でしかありません。犯罪者をつけるための1本の杭はラテン語でクルクス・シンプレクス(crux sim'plex)と呼ばれました。そうした拷問用の刑具の一つがユストゥス・リプシウス(1547-1606年)によってその著書,「デー・クルケ・リブリー・トレース」(De cruce libri tres,アントワープ,1629年,19ページ)の中に描かれています。1770ページのクルクス・シンプレクスの写真はその本からの実際の複写です。

      ヘルマン・フルダ著,「十字架と磔刑」と題する本(Das Kreuz und die Kreuzigung,ブレスラウ,1878年,109ページ)は次のように述べています。「公開処刑場として選ばれた所でいつでも立ち木が利用できるわけではなかった。それで,普通の梁材が地面に立てられた。犯罪常習者はその上に,上方に伸ばした両手を,そして多くの場合は両足をも縛りつけられるかくぎで打ちつけられた」。フルダは数多くの証拠を提出した後,219,220ページでこう結論しています。「イエスは普通の死刑用杭の上で死なれた。これを支持するものとして次の点が挙げられる。(イ)東洋においてこの種の処刑法が当時習慣的に行なわれていたこと,(ロ)間接的ではあるが,イエスが味わわれた苦しみに関する歴史的記述そのもの,および(ハ)初期教会教父たちの書き残した多くの文書」。

      バーゼル大学の教授であったパウル・ビルヘルム・シュミットは自著,「イエスの歴史」(Die Geschichte Jesu,第2巻,チュービンゲンおよびライプチヒ,1904年,386-394ページ)の中で,ギリシャ語スタウロスについて詳細な研究を行ないました。同書の386ページには,「σταυρός[スタウロス]はまっすぐに立っているすべての杭または樹幹を意味する」と記されています。イエスがつけられた処刑具に関して,P・W・シュミットは387-389ページで次のように書きました。「福音書の記述によると,イエスに加えられた処罰として考えられるのは,むち打ちのほかには,衣をはいで体を杭に掛ける,ローマの最も単純な形式の磔刑だけである。その処罰を一層忌まわしいものにするため,イエスは処刑場までその杭を運ぶか引きずって行かなければならなかった。……こうした単純な仕方で杭に掛ける方法がしばしば大量処刑で採用されていたことから,これ以外の方法は考えられない。この種の大量処刑の例は,バルスによる一度に2,000人の処刑(ヨセフス著,『古代誌』,第17巻,10章10節),クワドラトゥス(『ユダヤ戦記』,第2巻,12章6節),行政長官フェリクス(『ユダヤ戦記』,第2巻,15章2節),ティツス(『ユダヤ戦記』,第7巻,1節)による処刑に見られる」。

      ですから,イエス・キリストが,2本の木を直角に組み合わせた十字架の上につけられたことを示す証拠は全くありません。わたしたちは,霊感による聖書に異教の十字架という概念を挿入することにより,書き記された神のみ言葉に何かを付け加えるようなことはしたくありません。むしろ,スタウロスとクシュロンをそれぞれの最も単純な意味にしたがって訳出したいと考えています。イエスはスタウロスを,ご自分の追随者たちが味わう苦しみや恥辱を表わすのに用いられましたから(マタイ 16:24),わたしたちはスタウロスを,クシュロンとは区別して,「苦しみの杭」と翻訳しました。クシュロンは「杭」と翻訳し,脚注では,使徒 5:30におけるように,「木」と訳しました。

      [1770ページの図版]

      クルクス・シンプレクスのさし絵

  • 5ニ 解き放たれて,キリストと共になる
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 5ニ 解き放たれて,キリストと共になる

      フィリピ 1:23 ―「解き放たれること」。ギ語,アナリューサイ; ラ語,ディッソルウィー

      動詞アナリューサイはここでは動詞的名詞として用いられています。この動詞はクリスチャン・ギリシャ語聖書の中でもう一度だけ,ルカ 12:36に出て来ます。そこでは,キリストが戻って来られることについてこれが用いられています。これと関連のある名詞アナリュシスはテモテ第二 4:6に一度だけ出て来ます。その箇所で使徒は,『わたしの解き放たれる定めの時は目前に迫っています』と述べています。ルカ 12:36で,わたしたちはその動詞を「帰って来る」と訳出しましたが,それは,僕たちの主人が婚宴から離れて来る,婚宴から出発して来る,つまり祝宴を終えて来ることをその語が表わしているからです。しかし,フィリピ 1:23では,その動詞を「帰って来ること」あるいは「出発して来ること」とではなく,「解き放たれること」と訳出しました。その理由は,この言葉が次の二つの考えを伝えているように思えるからです。すなわち,キリストが戻られる際,使徒自身が解き放たれてキリストと共になること,および主がご自分の約束どおり,天における拘束からご自身を解き放って戻って来られることの二つです。

      使徒はここで,自分が死の際に直ちに霊者に変えられ,永久にキリストと共になると語っているのではありません。テサロニケ第一 4:15-17で同使徒が霊感のもとに述べているところによれば,そのように主キリストと共になることはキリストが戻られるとき初めて可能になるのであり,キリストのうちにあって死んでいる者がまずよみがえらされます。パウロがフィリピ 1:23で言及していたのは,キリストがこのように戻って来られること,および使徒自身が解き放たれていつも共になることにほかなりません。パウロはそこで,自分にとってすぐに行なえる二つの事柄,すなわち(1)肉の様で生き続けること,および(2)死ぬことがあると述べています。考慮すべき状況から,パウロは自分がこれら二つのものに迫られていると語り,自分がどちらを選ぶかについては明らかにしていません。次いで,パウロは,自分が本当に望んでいる三つ目のものを挙げています。パウロがこのこと,すなわち「解き放たれること」にあずかりたいという願いを抱いていたことに疑問の余地はありません。と言うのは,それはパウロがキリストと共になることを意味しているからです。

      ですから,ト アナリューサイ,「解き放たれること」という表現を,同使徒の人間としての死,また現在の命から去ることに当てはめることはできません。それは,キリストが戻られる臨在の時(付録5ロ参照)に生じる出来事とキリストにあって死んでいるすべての人々がよみがえらされて永久にキリストと共になることに言及しているに違いありません。

  • 6イ イエス ― 神のような者; 神聖を備えた者
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 6イ イエス ― 神のような者; 神聖を備えた者

      ヨハネ 1:1 ―「言葉は神(a god)であった(神のようであった; 神性を備えていた)」

      ギ語,καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος(カイ テオス エーン ホ ロゴス)

      1808年

      「言葉は神(a god)であった」

      「新約聖書」(ニューカム大主教の新しい翻訳に基づく改訂訳: 修正本文付き),ロンドン。

      1864年

      「神(a god)は言葉であった」

      エンファティック・ダイアグロット訳(エ21,行間の読み),ベンジャミン・ウィルソン訳,ニューヨークおよびロンドン。

      1935年

      「言葉は神性を備えていた」

      聖書 ― アメリカ訳,J・M・P・スミスおよびE・J・グッドスピード訳,シカゴ。

      1950年

      「言葉は神(a god)であった」

      クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳,ブルックリン。

      1975年

      「神(すなわち神性を備えた者; 不定冠詞を伴い,(小文字)は言葉であった」a

      「ヨハネ福音書」,ジークフリート・シュルツ訳,ドイツ,ゲッティンゲン。

      1978年

      「神のような者はロゴスであった」b

      「ヨハネ福音書」,ヨハネス・シュナイダー訳,ベルリン。

      1979年

      「神(不定冠詞を伴い,小文字)はロゴスであった」c

      「ヨハネ福音書」,ユルゲン・ベカー訳,ドイツ,ウュルツブルク。

      ギリシャ語θεός(テオス)は単数形の叙述名詞で,動詞の前に置かれており,しかも定冠詞を伴っていないため,上記の翻訳では,「神」(a god),『神性を備えている』,「神のような者」といった表現が用いられています。これは無冠詞のテオスです。「言葉」であるロゴスが共にいる神(the God)は,原文において ὁ θεόςというギリシャ語の表現を取っており,テオスの前に定冠詞「ホ」の付いた形で示されています。これは冠詞の付いたテオスです。冠詞を伴う名詞の構造は実体や人物を指し示すのに対し,動詞に先行する単数形の無冠詞の叙述名詞はあるものの特質を示します。ですから,「言葉」もしくはロゴスが「神」(a god)であった,または「神性を備えていた」,または「神のような者」であったというヨハネの表現は,「言葉」もしくは「ロゴス」が,これと共にいた神(the God)と同じであったことを意味するものではありません。それは単に,「言葉」つまりロゴスのある特質を表わしているに過ぎず,その方が神と全く同一であることを示すものではありません。

      ギリシャ語本文中には,マルコ 6:49; 11:32; ヨハネ 4:19; 6:70; 8:44; 9:17; 10:1,13,33; 12:6など,動詞に先行する単数形の無冠詞叙述名詞の例が数多く見られます。対象となっているものの特質や特性を明らかにするため,英訳聖書の場合,翻訳者たちはこれらの箇所で,叙述名詞の前に不定冠詞“a”を挿入しています。これらの句において叙述名詞の前に不定冠詞が挿入されているのですから,ヨハネ 1:1の無冠詞の叙述名詞θεόςの前に不定冠詞“a”を挿入し,これを“a god”(神)と読むようにするのはそれと同様に正当なことです。聖書はこうした訳し方が正確であることを確証しています。

      フィリップ・B・ハーナーは,「聖書文献ジャーナル」(Journal of Biblical Literature,第92巻,フィラデルフィア,1973年,85ページ)に掲載された,「限定詞としての無冠詞叙述名詞: マルコ 15章39節およびヨハネ 1章1節」と題する自分の論文の中で次のように述べています。ヨハネ 1:1にあるような,「無冠詞の述語が動詞に先行している[文節]は主として限定詞的意味を持つ。これは,ロゴスがテオスの特質を有していることを示しているのである。述語であるテオスについて,これを特定されたものと取る根拠はどこにもない」。ハーナーは結論として,その論文の87ページでこう述べています。「ヨハネ 1:1の場合,述語の持つ限定詞的働きは極めて顕著であるゆえに,その名詞を特定されたものとみなすことはできない」。

      マルコとヨハネの福音書のうち,さまざまな英訳聖書が,動詞の前にある単数形の無冠詞叙述名詞に不定冠詞を付けて訳出し,対象となる名詞が不特定のものであって限定詞的役割を果たしていることを示そうとしている箇所を下に掲げます。

      聖句

      新世界訳

      ジェームズ王欽定訳

      アメリカ訳

      新国際訳

      改訂標準訳

      今日の英語聖書

      マルコ 6:49

      an apparition(幻影)

      a spirit(霊)

      a ghost(幽霊)

      a ghost(幽霊)

      a ghost(幽霊)

      a ghost(幽霊)

      マルコ 11:32

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a real prophet(真の預言者)

      a prophet(預言者)

      ヨハネ 4:19

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      ヨハネ 6:70

      a slanderer(中傷する者)

      a devil(悪魔)

      an informer(密告者)

      a devil(悪魔)

      a devil(悪魔)

      a devil(悪魔)

      ヨハネ 8:44

      a manslayer(人殺し)

      a murderer(殺人者)

      a murderer(殺人者)

      a murderer(殺人者)

      a murderer(殺人者)

      a murderer(殺人者)

      ヨハネ 8:44

      a liar(偽り者)

      a liar(偽り者)

      a liar(偽り者)

      a liar(偽り者)

      a liar(偽り者)

      a liar(偽り者)

      ヨハネ 9:17

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      a prophet(預言者)

      ヨハネ 10:1

      a thief(盗人)

      a thief(盗人)

      a thief(盗人)

      a thief(盗人)

      a thief(盗人)

      a thief(盗人)

      ヨハネ 10:13

      a hired man(雇われ人)

      an hireling(雇い人)

      a hired man(雇われ人)

      a hired hand(雇われ手)

      a hireling(雇い人)

      a hired man(雇われ人)

      ヨハネ 10:33

      a man(人間)

      a man(人間)

      a mere man(ただの人)

      a mere man(ただの人)

      a man(人間)

      a man(人間)

      ヨハネ 12:6

      a thief(盗人)

      a thief(盗人)

      a thief(盗人)

      a thief(盗人)

      a thief(盗人)

      a thief(盗人)

      a ドイツ語からの翻訳。他は英語からの翻訳。

      b ドイツ語からの翻訳。他は英語からの翻訳。

      c ドイツ語からの翻訳。他は英語からの翻訳。

  • 6ロ 「証しをするものは三つ」
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 6ロ 「証しをするものは三つ」

      「証しをするものは三つあるのです。霊と水と血であり,その三つは一致しています」― ヨハネ第一 5:7,8。

      この翻訳は,C・ティッシェンドルフ(第8版,1872年); ウェストコットとホート(1881年),アウグスチヌス・メルク(第9版,1964年); ホセ・マリア・ボーベル(第5版,1968年); UBS; ネストレ-アーラントによるギリシャ語本文と一致しています。

      小文字写本,No.61(16世紀)およびNo.629(ラテン語およびギリシャ語,14-15世紀)とウル訳クは,「三つあるのです」の後に,次の言葉を加えています。「天には,父,言葉,そして聖霊; そして,これら三つは一つである。(8)また,証しをするものが地に三つある」。しかし,シナ写,アレ写,バチ写,ウル訳,シリ訳ヘ,ペはこれらの言葉を省いています。

  • 6ハ ご自身のみ子の血をもって
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 6ハ ご自身のみ子の血をもって

      使徒 20:28 ― ギ語,διὰ τοῦ αἵματος τοῦ ἰδίου

      (ディア トゥー ハイマトス トゥー イディウー)

      1903年

      「ご自身のみ子の血をもって」

      現代英語聖書,F・フェントン訳,ロンドン。

      1950年

      「ご自身の[み子]の血をもって」

      クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳,ブルックリン。

      1966年

      「ご自身のみ子の死によって」

      今日の英語聖書,アメリカ聖書協会,ニューヨーク。

      文法的に言えば,この句は,ジェームズ王欽定訳やドウェー訳がしているように,「ご自身の血をもって」と訳すことができるでしょう。これは多くの人にとって難解な句とされてきました。アレ写,エフ写,ベザ写,シリ訳ヘ(欄外)(モファットの訳はこれらに基づいている)が,「神の会衆」とではなく,「主の会衆」と読んでいるのは恐らくそのためです。本文をそのように読むなら,「ご自身の血をもって」という読み方には少しの困難も伴いません。しかし,シナ写,バチ写,ウル訳は「神」(定冠詞を伴う)と読んでおり,ここを普通に訳せば,『神の血』となります。

      「血をもって」という句のあとに,τοῦ ἰδίου(トゥー イディウー)というギリシャ語が続いており,この句全体は「ご自身の血をもって」とも訳せます。この「ご自身」という語のあとに単数形の名詞が省かれているものと考えられます。それは,恐らく,神と最も近い関係にある,独り子イエス・キリストであると思われます。J・H・モールトンは「新約ギリシャ語文法」(A Grammar of New Testament Greek,第1巻[序文],1930年版,90ページ)の中でこの点にふれ,次のように述べています。「ἴδιος(イディオス)について話を終える前に,明確に示された名詞を伴わないὁ ἴδιος[ホ イディオス]の用法について述べておかねばならない。これはヨハネ 111 ; 131,使徒 423; 2423に見られる。我々はパピルスに,近い関係にある者に対する愛称語としてこうした単数形の用いられている例を見いだす。……Expos.VI.iii.277ページで,わたしはあえてこのことを取り上げ,使徒 2028を『ご自身のものである方』と訳したいと思う人々(B・ワイスを含む)への励ましとした」。

      ホートも,「ギリシャ語原語による新約聖書」(The New Testament in the Original Greek,ウェストコットおよびホート編,第2巻,ロンドン,1881年,付録,99,100ページ)でこう述べました。「現在あるすべての文献に影響を及ぼすようなごく初期の写しを作るさい,ΤΟΥΙΔΙΟΥ[トゥー イディウー,『ご自身の』]のあとのΥΙΟΥ[ヒュイウー,『み子の』]が脱落したと考えられなくはない。これを挿入すればこの句は少しも難解でなくなる」。

      新世界訳聖書はこの句を字義通りに訳出し,ἰδίουのあとに角かっこに入れた「み子」を加えて,「ご自身の[み子]の血をもって」と読んでいます。

  • 6ニ 「すべてのものの上におられる神」
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 6ニ 「すべてのものの上におられる神」

      ローマ 9:5 ― ギ語,καὶ ἐξ ὧν ὁ χριστὸς τὸ κατὰ σάρκα, ὁ ὢν ἐπὶ πάντων, θεὸς εὐλογητὸς εἰς τοὺς αἰῶνας· ἀμήν

      (カイ エクス ホーン ホ クリストス ト カタ サルカ,ホ オーン エピ パントーン,テオス エウロゲートス エイス トゥース アイオーナス; アメーン)

      1934年

      「肉の系譜によれば,キリストは彼らから出たのです。すべてのものの上におられる神が代々にわたってたたえられますように。アーメン」。

      リバーサイド新約聖書,ボストンおよびニューヨーク。

      1935年

      「キリストも(生来の系譜に関する限り)彼らの出です。(すべてのものの上におられる神がいつまでもたたえられますように。アーメン。)」

      新訳聖書,ジェームズ・モファット訳,ニューヨークおよびロンドン。

      1950年

      「キリストも,肉によれば彼らから出たのです。すべてのものの上におられる神が永久にほめたたえられますように。アーメン」。

      クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳,ブルックリン。

      1952年

      「肉によれば,キリストは彼らの種族の出です。すべてのものの上におられる神がいつまでもたたえられますように。アーメン」。

      改訂標準訳,ニューヨーク。

      1961年

      「生来の系譜によれば,メシアは彼らから出たのです。すべてのものをしのぐ至上の位におられる神がいつまでもたたえられますように。アーメン」。

      新英訳聖書,オックスフォードおよびケンブリッジ。

      1966年

      「人間としてのキリストは彼らの種族に属しています。すべてのものを支配しておられる神がいつまでも賛美されますように。アーメン」。

      今日の英語聖書,アメリカ聖書協会,ニューヨーク。

      1970年

      「メシアは彼らから出ました。(わたしは人としてのその出身について語っています。)すべてのものの上におられる神がとこしえにたたえられますように。アーメン」。

      新アメリカ訳,ニューヨークおよびロンドン。

      これらの翻訳は,神に言及し,かつその備えのゆえに神がたたえられるようにと述べる独立した文あるいは節の文頭にあるものとしてὁ ὤν(ホ オーン)を扱っています。ここと詩編 67:19,七十人訳ではθεός(テオス,『神』)という主語のあとにεὐλογητός(エウロゲートス,『たたえられる』)という述語があります。―詩編 68:19の脚注参照。

      G・B・ウイナーは自著,「新約聖書の慣用句に関する文法」(A Grammar of the Idiom of the New Testament,第7版,アンドーバー,1897年,551ページ)の中でこう語っています。「主語が主要な概念を成している場合,とりわけそれが他の主語と対照を成している場合,述語は主語のあとに置かれることがあり,時にはその位置になければならない。詩編 67:20,セプトゥアギンタ[詩編 67:19,七十訳]と比較。そしてローマ 9:5の場合も,もしὁ ὢν ἐπὶ πάντων θεὸς εὐλογητός[ホ オーン エピ パントーン テオス エウロゲートス]などの言葉が神に言及しているなら,これと同じであり,これらの語の位置はきわめて適切であり,むしろこの位置になければならない」。

      ローマ 9:5の構文に関する詳細な研究が「第四福音書の原作者と批評論文」(The Authorship of the Fourth Gospel and Other Critical Essays,エズラ・アボット著,ボストン,1888年,332-438ページ)の中で行なわれています。345,346,および432ページで,アボットはこう述べています。「しかし,ここで,ὁ ὤν[ホ オーン]はτὸ κατὰ σάρκα[ト カタ サルカ]によって,ὁ χριστός[ホ クリストス]から分離されている。読む際には,この間に休止が入るべきである。τό[ト]が付されることによってκατὰ σάρκα[カタ サルカ]が特別に強調されているため,その休止は長くなる。また,これに先行する文は文法的に完結しており,論理的にも他の何をも必要とはしない。キリストがユダヤ人から出たというのは肉に関する事柄だからである。一方,すでに(334ページで)見たように,この節のすぐ前に記されている,キリストの到来がもたらす計り知れない祝福によって最高潮となる数々の祝福は,当然のことながら,すべてのものを支配しておられる方である神に対する賛美と感謝の念を示唆している。同時に,頌栄は文末の᾿Αμήν[アメーン]という語によっても示されている。それゆえ,いかなる観点からしても,これを頌栄の構文と取るのが平易で自然である。……σάρκα[サルカ]のあとに休止を入れるのが自然であることは,我々のもとにある最も古い写本類のこの語のあとに点の打たれている事実にも示されている。これを立証している写本としてはアレ写,バチ写,エフ写,L……がある。大文字体の写本,アレ写,バチ写,エフ写,L……の他に,σάρκαのあとに終止符を打っている小文字写本を少なくとも26は挙げることができる。その終止符は一般に,それらの小文字写本が αἰῶνας[アイオーナス]や᾿Αμήν[アメーン]のあとに打っているのと同じである」。

      ですから,ローマ 9:5は神に賛美と感謝を帰しているのです。この聖句はエホバ神とイエス・キリストとを同一視するものではありません。

  • 6ホ 「偉大な神およびわたしたちの救い主キリスト・イエスの」
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 6ホ 「偉大な神およびわたしたちの救い主キリスト・イエスの」

      テトス 2:13 ― ギ語,τοῦ μεγάλου θεοῦ καὶ σωτῆρος ἡμῶν Χριστοῦ Ἰησοῦ

      (トゥー メガルー テウー カイ ソーテーロス ヘーモーン クリストゥー イエースー)

      1934年

      「偉大な神およびわたしたちの救い主であるキリスト・イエスの」

      リバーサイド新約聖書,ボストンおよびニューヨーク。

      1935年

      「偉大な神およびわたしたちの救い主であるキリスト・イエスの」

      新訳聖書,ジェームズ・モファット訳,ニューヨークおよびロンドン。

      1950年

      「偉大な神およびわたしたちの救い主であるキリスト・イエスの」

      クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳,ブルックリン。

      1957年

      「偉大な神およびわたしたちの救い主であるイエス・キリストの」a

      「聖書」(La Sainte Bible),ルイ・スゴン訳,パリ。

      1970年

      「偉大な神およびわたしたちの救い主であるキリスト・イエスの」

      新アメリカ聖書,ニューヨークおよびロンドン。

      1972年

      「偉大な神およびわたしたちの救い主キリスト・イエスの」

      「現代英語の新約聖書」,J・B・フィリップス訳,ニューヨーク。

      ここでは二つの名詞がκαί(カイ,「および」)で結ばれており,最初の名詞の前には定冠詞τοῦ(トゥー)が付いているのに対して,二番目の名詞の前には定冠詞がありません。同様の構文がペテロ第二 1:1,2にも見られますが,2節では神とキリストのあいだの違いが明確にされています。このことは異なった二者がκαίで結ばれている時,前者に定冠詞が付いているなら,後者に定冠詞を繰り返し付ける必要のないことを示しています。ギリシャ語本文中のこうした構文の例は使徒 13:50; 15:22; エフェソス 5:5; テサロニケ第二 1:12; テモテ第一 5:21; 6:13; テモテ第二 4:1に見られます。この構文は七十人訳にも見られます。(箴言 24:21の脚注参照)「新約ギリシャ語イディオム・ブック」(An Idiom Book of New Testament Greek,C・F・D・ムール著,英国,ケンブリッジ,1971年,109ページ)によると,『偉大な神,およびわたしたちの救い主であるイエス・キリストという考えは……[定冠詞が]繰り返されていなくても,κοινή[コイネー]ギリシャ語において可能』です。

      テトス 2:13に関する詳細な研究が「第四福音書の原作者と批評論文」(The Authorship of the Fourth Gospel and Other Critical Essays,エズラ・アボット著,ボストン,1888年,439-457ページ)の中で行なわれています。その452ページで次のような注解がなされています。「新約聖書から例を取ってみることにしよう。マタイ 21:12に,イエスが,『神殿で売り買いしている者たちすべてを追い出した』,τοὺς πωλοῦντας καὶ ἀγοράζοντας[トゥース ポールーンタス カイ アゴラゾンタス]ことが記されている。ここで,売っている者と買っている者が同一の人物として示されているなどとは道理の上から考えられない。マルコでは,ἀγοράζονταςの前にτούςが挿入されていて,両者が区別されている。ここでは,両者の区別が読者の知力で間違いなく判別できるようにされている。我々が取り上げている例の場合[テトス 2:13],σωτῆρος[ソーテーロス]の前の冠詞が省かれていることは,わたしにとって少しも問題ではない。その理由はἡμῶν[ヘーモーン]を加えることによってσωτῆρος[ソーテーロス]が十分に特定されている(ウイナーの説)からではない。というのは,神もキリストもしばしば『わたしたちの救い主』と呼ばれており,ἡ δόξα τοῦ μεγάλου θεοῦ καὶ σωτῆρος ἡμῶν[ヘー ドクサ トゥー メガルー テウー カイ ソーテーロス ヘーモーン]だけであれば,ごく当然のこととして,単一の主体,すなわちみ父である神に適用されると理解されよう。しかしながら,σωτῆρος ἡμῶν[ソーテーロス ヘーモーン]にἸησοῦ Χριστοῦ[イエースー クリストゥー]が加えられていることにより事情は全く異なってくる。それによって,σωτῆρος ἡμῶνは,パウロの通常の言葉遣いに従って,彼がὁ θεός[ホ テオス]と呼ぶ方とは区別される人物もしくは存在者に限定されることになる。そのため,あいまいさを避けるための定冠詞を繰り返して付ける必要はなかったのである。同様に,テサロニケ第二 1:12の場合も,κατὰ τὴν χάριν τοῦ θεοῦ ἡμῶν καὶ κυρίου[カタ テーン カリン トゥー テウー ヘーモーン カイ キュリウー]という表現は単一の主体に適用されると考えるのが自然であり,二人の別個の主体が意図されているのであれば,κυρίουの前に冠詞が必要とされるであろう。しかし,κυρίου[キュリウー]にἸησοῦ Χριστοῦ[イエースー クリストゥー]が付け加えられるだけで,冠詞を挿入することなしに,二人の別個の主体に適用されることになる」。

      ですから,テトス 2:13では,エホバ神とイエス・キリストという二人の方のことが言及されています。聖書全巻を通じて,エホバとイエスを同一の存在とみなすことはできません。

      a フランス語からの翻訳。他は英語からの翻訳。

  • 6ヘ イエス ― アブラハムが存在する前からいる
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 6ヘ イエス ― アブラハムが存在する前からいる

      ヨハネ 8:58 ―「アブラハムが存在する前からわたしはいる」

      ギ語,πρὶν ᾿Αβραὰμ γενέσθαι ἐγὼ εἰμί

      (プリン アブラアム ゲネスタイ エゴー エイミ)

      4/5世紀

      「アブラハムがいた前からわたしはいる」

      シリア語訳 ― 印刷版: 「シリア語重ね書き写本からの四福音書の翻訳」(A Translation of the Four Gospels from the Syriac of the Sinaitic Palimpsest),アグネス・スミス・ルイス訳,ロンドン,1894年。

      5世紀

      「アブラハムがいるようになる前からわたしはいた」

      シリア語クレトニア写本 ― 印刷版: 「四福音書のクレトニア訳」(The Curetonian Version of the Four Gospels),F・クローフォード・バーキット訳,第1巻,英国,ケンブリッジ,1904年。

      5世紀

      「アブラハムが存在する前からわたしはいた」

      シリア語ペシタ訳 ― 印刷版: 「ペシタ訳からの英訳シリア語新約聖書」(The Syriac New Testament Translated into English from the Peshitto Version),ジェームズ・マードック訳,第7版,ボストンおよびロンドン,1896年。

      5世紀

      「アブラハムがいるようになる前からわたしはいた」

      グルジア語訳 ― 印刷版: 「古代グルジア語訳ヨハネ福音書」(The Old Georgian Version of the Gospel of John),ロバート・P・ブレーク,モーリス・ブリエール共編,「東方教会教父研究」(Patrologia Orientalis),第26巻,第4分冊,パリ,1950年。

      6世紀

      「アブラハムが生まれる前からわたしはいた」

      エチオピア語訳 ― 印刷版: 「エチオピア語……新約聖書」(Novum Testamentum……Ethiopice),トーマス・ペル・プラット編,F・プラエトリウス改訂,ライプチヒ,1899年。

      ヨハネ 8:58で言い表わされている行為は,「アブラハムが存在する前」に始まり,今でも依然として進行状態にあります。このような状況のもとでは,一人称単数,直接法現在形のεἰμί(エイミ)は直接法完了形に訳すのが適切です。これと同じ構文は,ルカ 2:48; 13:7; 15:29; ヨハネ 5:6; 14:9; 15:27; 使徒 15:21; コリント第二 12:19; ヨハネ第一 3:8にも見られます。

      この構文について,「新約聖書の慣用句に関する文法」(A Grammar of the Idiom of the New Testament,G・B・ウイナー著,第7版,アンドーバー,1897年,267ページ)はこう述べています。「時として,現在形が過去時制をも含むことがある。(Mdv.108)例えば,その時点より前から始まり,依然として続いている状態をその動詞が表わしている場合 ― 次の例に示される継続状態:ヨハネ 15:27 ἀπʼ ἀρχῆς μετʼ ἐμοῦ ἐστέ[アプ アルケース メト エムー エステ],8:58 πρὶν ᾿Αβραὰμ γενέσθαι ἐγὼ εἰμι[プリン アブラアム ゲネスタイ エゴー エイミ]」。

      同様に,「新約聖書ギリシャ語文法」(A Grammar of New Testament Greek,J・H・モールトン著,第3巻,ニゲル・ターナー,英国,エディンバラ,1963年,62ページ)は次のように述べています。「ある行為が過去に生じ,論じられているその時点に至るまで継続していることを表わす現在形は,実質的に完了相と同じである。ただ一つ違っているのは,その行為が依然として継続状態にあるとみなされていることである。……新約においてこのような例は多く見られる: ルカ 248; 137……1529……ヨハネ 56; 858……」。

      イエスとエホバを同一視しようとして,ἐγὼ εἰμί(エゴー エイミ)は,神によって用いられるヘブライ語の表現アニー フー,「わたしは彼である」と同じものであると主張する人がいます。しかし,このヘブライ語の表現は人によっても用いられることを覚えておかなければなりません。―歴代第一 21:17の脚注参照。

      イエスとエホバを同一視しようとして,出エジプト 3:14(七十訳)を引き合いに出す人もいます。そこには᾿Εγώ εἰμι ὁ ὤν(エゴー エイミ ホ オーン)という句があり,これには,「わたしは存在者である」もしくは「わたしは存在している者である」という意味があります。出エジプト 3:14の表現はヨハネ 8:58の表現とは異なっていますから,その主張を正当なものとして認めることはできません。(出エジプト 3:14の脚注参照)クリスチャン・ギリシャ語聖書全体を通じて,イエスとエホバを同一の存在者とみなす根拠はありません。―ペテロ第一 2:3の脚注; 付録6イ,6ホ参照。

  • 7イ コブラは音に反応する
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 7イ コブラは音に反応する

      詩編 58:4,5 ―「耳をふさぐコブラのように耳が聞こえない。……それは蛇使いの声を聴くことがない」。

      1954年1月10日付,ニューヨーク・タイムズ紙,第4欄,9ページに,「蛇を音楽によって『操る』ことができるか」という見出しのもとで詩編 58:4,5に関する次の報告が載せられています。「ボルチモア[米国]にあるマウント・サイナイ病院の薬理学研究員,デービッド・I・マクト博士は,コブラの毒に関する世界的権威の一人である。(コブラの毒は血液障害などの薬物治療に一般に用いられている。)同博士は,コブラとコブラの毒について研究するうちに,インド各地から来た,高い教育を受けた多くのインド人の医者と親しくなったことを述べている。それらの医者は皆,コブラが笛などから出るある種の音楽的な音に反応を示すという点で意見の一致を見ている。彼らの報告によると,反応を強く引き起こす音楽と,そうでない音楽とがあるらしい。マクト博士は,田舎の地方で遊ぶ子供たちが,暗くなってからは歌を歌ってはいけない,コブラが子供の声に引き付けられるかもしれない,と注意されることを指摘し,何度も耳の聞こえないものとして蛇に言及しているシェークスピアは……一般の誤解をそのまま述べていたに過ぎない,と語っている。一方,マクト博士が言うには,蛇に聴力のあることを示唆している詩編 58編5節の作者は正しかった。……蛇はある生物学者たちの主張に反して,蛇使いの動作によってではなく,音によって『操られる』のだ,と同博士は述べた」。

      ドイツの動物学誌,「グルジメクの動物,ジールマンの動物の世界」(Grzimeks Tier, Sielmanns Tierwelt),1981年7月号,34,35ページに発表された記事の中で,その筆者はスリランカの自分の私有地のシロアリの巣に住んでいた一匹のコブラについて同様のことを述べています。彼は蛇使いにその野生の蛇をつかまえて,踊らせてくれるよう頼みました。その筆者は次のように報告しています。「私は自分の招いたその蛇使いにコブラが確かにそこに住んでいたことを得心させた,すると彼はそのシロアリの巣の前に座り,自分の笛を吹き始めた。長い時間がたってから ― もう何も起こらないだろうと思っていた時に,コブラが穴から数センチ首を出した。蛇が口を開ける前に,その蛇使いは急いで近寄り,蛇の首を親指と二本の指の間にはさんで押さえた」。それからそのインド人は実際に蛇を踊らせました。

      したがって,コブラが実際に「蛇使いの声を聴く」という証拠は存在しています。

  • 7ロ 異議を示す反発的な質問
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 7ロ 異議を示す反発的な質問

      マタイ 8:29 ―「神の子よ,わたしたちはあなたと何のかかわりがあるのですか」。

      イエスに対する悪霊たちのこの質問は,ヘブライ語聖書の中の次の8か所に出て来る,古代の慣用句の形を取った質問です: ヨシ 22:24; 裁 11:12; サ二 16:10; 19:22; 王一 17:18; 王二 3:13; 代二 35:21; ホセ 14:8。クリスチャン・ギリシャ語聖書でもシリア語訳でも,このヘブライ語の古代の表現が字義通りに訳されており,次の6か所に出て来ます: マタ 8:29; マル 1:24; 5:7; ルカ 4:34; 8:28; ヨハ 2:4。マタイ 8:29の質問は字義通りに訳すと,「わたしたちとあなたにとって何がありますか」となり,「わたしたちとあなたの間にどんな共通のことがありますか」,「わたしたちとあなたはどんな共通の事柄を有していますか」,または上記の訳のように,「わたしたちはあなたと何のかかわりがあるのですか」という意味になります。

      ヘブライ語聖書の場合でも,ギリシャ語聖書の場合でも,いずれもそれは反発的な質問で,示唆されたり,提案されたり,疑われたりした事柄に対する異議を表明するものです。この点は,エズラ 4:3(エスドラス書第一 5:67,七十訳)に見られるその肯定形式の表現によって裏付けられます。その箇所は,「あなた方はわたしたちの神のために家を建てる点でわたしたちとは何のかかわりもありません」と訳されており,字義通りには,「わたしたちの神に家を建てることはあなた方とわたしたちに属しません」となります。同じ表現で命令法の形式を取ったものが,ピラトに対する彼の妻の願いを表わす文です。それは,自分の夫ピラトの前で裁判にかけられているイエスに関する願いですが,マタイ 27:19に,「その義人にかかわらないでください」と訳されています。字義通りに訳すと,「あなたとその義人の間に何もありませんように」となります。

      イエスがこのごく一般的な形式に託して述べた母に対するヨハネ 2:4の質問も,これと同様の表現とみなさなければなりません。そのすべての特徴は,イエスの取るべき行動を提案する母に対する反発または抵抗にあるからです。それゆえ,この場合にもわたしたちは他の同様な質問すべてと同じ訳し方をしました。「婦人よ,わたしはあなたとどんなかかわりがあるのでしょうか。わたしの時はまだ来ていません」。他の翻訳者たちはもっと強い調子で訳しています。「わたしに指図をしようとしてはいけません。まだわたしの行動する時ではありません」。(アメリカ訳)「婦人よ,わたしを煩わしてはなりません。わたしの時はまだ来ていないからです」―「四福音書」(The Four Gospels),C・C・トリー訳,アラム語訳に基づく。

  • 7ハ イエスは「安息日ののち」の日に復活させられた
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 7ハ イエスは「安息日ののち」の日に復活させられた

      マタイ 28:1 ―「安息日ののち」

      ギ語,Ὀψὲ……σαββάτων(オプセ……サッバトーン)

      「新約聖書希英辞典」(A Greek-English Lexicon of the New Testament,第4版,英国,エディンバラ,1901年)の471ページで,J・H・セヤーは次のように述べています。「ὀψὲ σαββάτων,安息日が過ぎたばかりで,安息日ののち,すなわち,週の最初の日の夜明け方早くに ―(τῇ ἐπιφωσκ. κτλ. [テーイ エピフォースク(ーセーイ),『明るくなりかけたころ』……]という特定表現が付け加えられているため,どうしても必要とされる解釈),マタイ 28:1」。また,ゾレルギ語,969欄には次のように記されています。「post[のち]: ὀψὲ σαββάτων マタイ 28:1‘post sabbatum’[『安息日ののち』]」。さらに,バウアー,601ページ,ὀψέの項には,「のち ὀψὲ σαββάτων 安息日ののち マタイ 28:1」と述べられています。

  • 7ニ 古代ヘブライ語の意味で用いられている「契約」
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 7ニ 古代ヘブライ語の意味で用いられている「契約」

      ヘブライ 9:16 ― ギ語,διαθήκη(ディアテーケー)

      1887年

      「契約のあるところには,来たるべき契約犠牲者の死が必要です」

      「聖書」,ロバート・ヤング訳,英国,エディンバラ。

      1897年

      「契約のあるところには,契約した者に関して死のもたらされることが必要である」

      エンファサイズド・バイブル,J・B・ロザハム訳,米国,オハイオ州,シンシナティ。

      1950年

      「契約のなされるところには,契約締結人の死が備えられねばならないのです」。

      クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳,ブルックリン。

      ディアテーケーという語はギリシャ語本文に33回出て来ます。以下にその箇所を記します: マタ 26:28; マル 14:24; ルカ 1:72; 22:20; 使徒 3:25; 7:8; ロマ 9:4; 11:27; コ一 11:25; コ二 3:6,14; ガラ 3:15,17; 4:24; エフェ 2:12; ヘブ 7:22; 8:6,8,9,9,10; 9:4,4,15,15,16,17,20; 10:16,29; 12:24; 13:20; 啓 11:19。新世界訳はこれら33か所でギリシャ語ディアテーケーを「契約」と訳しています。

      ディアテーケーという語はヘブライ語聖書からの引用文の中に7回出て来ます。それは次のとおりです。ローマ 11:27(イザヤ 59:21からの引用); ヘブライ 8:8(エレミヤ 31:31からの引用); 9(エレミヤ 31:32からの引用,2回); 10(エレミヤ 31:33からの引用); 9:20(出エジプト 24:8からの引用); 10:16(エレミヤ 31:33からの引用)。これら七つの引用聖句のマソラ本文におけるヘブライ語はברית(ベリート,「契約」)で,七十人訳におけるそのギリシャ語はδιαθήκη(ディアテーケー)です。

      クリスチャン・ギリシャ語聖書におけるディアテーケーの明白な意味は,古代ヘブライ語の意味での「契約」(英語,covenant)です。しかし,多くの現代の翻訳者たちはヘブライ 9:16,17のディアテーケーを「遺言」(英語,will)または「[遺言としての]誓約」(英語,testament)と訳しています。これにより,ヘブライ人への書の筆者がこのギリシャ語の意味を変えたことを示す結果になっています。

      しかし,「聖書・神学・教会文献事典」(Cyclopedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature,ジョン・マクリントクおよびジェームズ・ストロング共編,米国,ミシガン州,グランドラピッズ,1981年再版,第2巻,544ページ)には次のように記されています。「七十人訳はבְּרִית(この語の意味は決して遺言や[遺言としての]誓約ではなく,常に契約または合意[英文,agreement]である)を旧約聖書の中で一貫してδιαθήκηと訳したのであるから,新約聖書の筆者たちがその語を採用するに当たり,そのほとんどがギリシャ語の旧約聖書に親しんでいた読者たちに,それと同じ考えを伝えようとしたと推測するのが自然であろう。……明らかに難解な箇所であるヘブライ 9:16,17で,διαθήκηという語を,多くの注解者たちは遺言もしくは[遺言としての]誓約という意味に取らざるを得ないと考えてきた。しかし,新約聖書におけるこの語の普通の意味に関する上記の説明に加えて,この語の意味が,בְּרִיתの訳語と同じものでなければならない文脈に二度出て来ること,したがってそれは疑いなく契約の意味であることをも認める必要があるであろう。(ヘブライ 9:15,διαθήκη καινή[ディアテーケー カイネー,「新しい契約」]を8:8の同じ表現と,また9:16,17のδιαθήκηを20節および出エジプト 24:8と比較)」。

      ウェストコットとホートのギリシャ語本文の共同編集者B・F・ウェストコットも同様に,自著「ヘブライ人への書簡」(The Epistle to the Hebrews,ロンドン,1892年,300ページ)の中で次のように記しています。

      「したがって聖書の証拠の示すところによると,我々に理解できるかぎり,神の契約に関してという限定が必要ではあるが,『契約』という意味のほうがはるかに適切である。9章15節以降のδιαθήκηの意味を考慮する段階になると,まず言えることは次の点である。15 ― 18節はきわめて密接に関連している。16節ὅπου γάρ[ホプー ガル,「ところには」]……: 18節ὅθεν οὐδέ[ホテン ウーデ,「それゆえ……ありません」]……。

      「この関連から,かぎとなる語(διαθήκη)が数節の枠内で違った意味で用いられているとはとても考えにくい。しかも,15,18節のπρώτη διαθήκη[プローテー ディアテーケー,「以前の契約」]とは本質的に異なる特殊なδιαθήκηの特徴が16節に提示されていることを考えると,なおさらそう言える。古い契約が制定された時の犠牲が,それは『遺言』であったとの説明に成り立つと考えるのは不可能だからである。また,それはどんな意味においても『遺言』とは言い難い。

      「そうであれば,διαθήκηは終始同じものを意味していると考えるのが妥当であり,それは決定的な反論がない限りだれにも受け入れることのできる,『契約』の意味を持つ」。

      したがって,ヘブライ 9:16,17のギリシャ語ディアテーケーは,その前後の節におけるその語と同じ意味,すなわち「契約」であり,ヘブライ語のベリートに対応します。これらの節は,モーセの律法契約とその対型である新しい契約との比較に関する使徒の論議の一部を成しています。パウロは,契約が有効となるために必要な仲介者(「契約締結人」)の死について述べています。律法契約の場合には,動物の犠牲が律法契約の仲介者モーセの代わりとなり,契約を効力あるものとするため動物の血がモーセの血の代わりとなりました。それに対応して,新しい契約の場合,その契約の仲介者であるイエス・キリストはご自分の完全な人間としての命を実際に犠牲としてお与えになりました。その血が死の際に流されたとき,新しい契約は法的に有効と認められました。

  • 7ホ 「旧約聖書」(Old Testament)と「新約聖書」(New Testament)という表現
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 7ホ 「旧約聖書」(Old Testament)と「新約聖書」(New Testament)という表現

      コリント第二 3:14 ― ギ語,ἐπὶ τῇ ἀναγνώσει τῆς παλαιᾶς διαθήκης(エピ テーイ アナグノーセイ テース パライアース ディアテーケース)

      ラ語,in lectione veteris testamenti(イン レクティオーネ ウェテリス テスターメンティー)

      1611年

      「旧約(old testament)を読む時」

      ジェームズ王欽定訳

      1950年

      「古い契約(old covenant)の朗読の際」

      クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳

      今日,ヘブライ語とアラム語で書かれた聖書を「旧約聖書」(Old Testament)と呼ぶのが一般的な習わしとなっています。これはラテン語のウルガタ訳と英語のジェームズ王欽定訳のコリント第二 3:14の読み方に基づいています。クリスチャン・ギリシャ語聖書は一般に「新約聖書」(New Testament)と呼ばれています。コリント第二 3:14のディアテーケースという語は,その語が出て来るギリシャ語本文の他の32か所の場合と同じく「契約」(covenant)を意味している点に注目できます。―付録7ニ参照。

      ラテン語テスターメントゥム(属格,テスターメンティー)の意味について,エドウィン・ハッチは自著,「聖書ギリシャ語論文集」(Essays in Biblical Greek,オックスフォード,1889年,48ページ)で次のように述べています。「後期通俗ラテン語に関する言語学に無知であったため,初期ラテン語の訳やウルガタ訳でこの語[ディアテーケー]の訳語となった“testamentum”[テスターメントゥム]は,『[遺言としての]誓約』(testament)または『遺言』(will)を意味するとかつては考えられていた。しかし,この語には実際には『契約』(covenant)という意味もあった。もっとも,その意味だけしかなかったわけではない」。同様に,「英語の読者のためのさまざまな著者による聖書註解」(A Bible Commentary for English Readers by Various Writers,チャールズ・エリコット編,ニューヨーク,第8巻,309ページ)の中で,W・F・モールトンは次のように記しています。「古期ラテン語による聖書翻訳において,testamentum[テスターメントゥム]はこの語[ディアテーケー]の一般的な訳語となった。しかし,この語は遺言(will)というような意味を考えることの不可能な箇所でしばしば用いられているので(例えば,詩編 83:5で,神の敵たちが『神に対してテスタメントを取り決めた』などと詩編筆者が言うとはだれも思わないであろう),ラテン語のtestamentum[テスターメントゥム]がギリシャ語の広い使用法にこたえるため,意味をふえんして用いられたことは明らかである」。―詩編 25:10と詩編 83:5の脚注参照。

      上記のことと照らし合わせると,ジェームズ王欽定訳によるコリント第二 3:14の「旧約(old testament)」という訳は正しくありません。現代の多くの翻訳者はこの箇所を「古い契約(old covenant)」と正しく訳しています。使徒パウロはここでヘブライ語・アラム語聖書全体のことを言っているのではありません。また,霊感によって記されたクリスチャンの書が「新約」(new testament)を成すと述べているのでもありません。使徒は,モーセによってモーセ五書の中に記録され,キリスト教時代以前の聖書の一部を成したにすぎない古い律法契約について語っているのです。その理由により,彼は次の節で,「モーセが読まれるときにはいつも」と述べています。

      したがって,ヘブライ語・アラム語聖書を「旧約聖書」,クリスチャン・ギリシャ語聖書を「新約聖書」と呼ぶべき正当な根拠はありません。イエス・キリストご自身,聖なる書物の集合体を「聖書」と呼ばれました。(マタイ 21:42; マルコ 14:49; ヨハネ 5:39)使徒パウロはそれを「聖なる書」,「聖書」,「聖なる書物」と呼んでいます。(ローマ 1:2; 15:4; テモテ第二 3:15)ローマ 1:2の霊感の表現と調和して,英文新世界訳の表題には“the Holy Scriptures”(「聖なる書物」の意)という表現が用いられています。

  • 8イ 貨幣,度量衡
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 8イ 貨幣,度量衡

      次の値は聖書中の証拠と考古学上の発見に基づく平均の数値です。この資料の中で用いられている現代の換算量はおおよそのものです。液量と乾量のパイントその他の単位は米国系のものです。

      金や銀の今日の価格を算出するには,1グラム(もしくは1トロイオンス)当たりの最新の価格にグラム数(もしくはトロイオンス数)を掛けます。

      ヘブライ語聖書中の貨幣と重量の換算表

      1ゲラ

      = 1/20シェケル

      = 0.57㌘

      = 0.01835 トロイオンス

      1ベカ(半シェケル)

      = 10ゲラ

      = 5.7㌘

      = 0.1835 トロイオンス

      1シェケル

      = 2ベカ

      = 11.4㌘

      = 0.367 トロイオンス

      1ミナ

      = 50シェケル

      = 570㌘

      = 18.35 トロイオンス

      1タラント

      = 60ミナ

      = 34.2㌔㌘

      = 1101 トロイオンス

      1ダリク(ペルシャの金貨)

       

      = 8.4㌘

      = 0.27 トロイオンス

      1ダリク(ペルシャの銀貨)(シェケルとも呼ばれた)

       

      = 5.60㌘

      = 0.18 トロイオンス

      ギリシャ語聖書中のギリシャおよびローマの貨幣と重量の換算表

      1レプタ(ユダヤ人の銅貨もしくは青銅貨)

      = 1/2クワドランス

         

      1クワドランス(ローマの銅貨もしくは青銅貨)

      = 2レプタ

         

      1アスまたはアサリオン(ローマおよび属州の銅貨もしくは青銅貨)

      = 4クワドランス

         

      1デナリ(ローマの銀貨)

      = 16アス

      = 3.85㌘

      = 0.124 トロイオンス

      1ドラクマ(ギリシャの銀貨)

       

      = 3.40㌘

      = 0.109 トロイオンス

      1ディドラクマ(ギリシャの銀貨)

      = 2ドラクマ

      = 6.80㌘

      = 0.218 トロイオンス

      1テトラドラクマ(スタテル銀貨)

      = 4ドラクマ

      = 13.6㌘

      = 0.436 トロイオンス

      1ミナ

      = 100ドラクマ

      = 340㌘

      = 10.9 トロイオンス

      1タラント(金貨もしくは銀貨)

      = 60ミナ

      = 20.4㌔㌘

      = 654 トロイオンス

      液量

      1ログ

      = 1/4カブ

      = 0.31㍑

      = 0.66 パイント(米)

      1カブ

      = 4 ログ

      = 1.22㍑

      = 2.58 パイント(米)

      1ヒン

      = 3 カブ

      = 3.67㍑

      = 7.75 パイント(米)

      1バト

      = 6 ヒン

      = 22㍑

      = 5.81 ガロン(米)

      1コルa

      = 10バト

      = 220㍑

      = 58.1 ガロン(米)

      乾量

      1カブ

      = 4 ログ

      = 1.22㍑

      = 2.2 乾量パイント(米)

      1オメル

      = 1 4/5カブ

      = 2.2㍑

      = 2 乾量クォート(米)

      1セア

      = 3 1/3オメル

      = 7.33㍑

      = 6.66 乾量クォート(米)

      1エファ

      = 3 セア

      = 22㍑

      = 20 乾量クォート(米)

      1ホメル(コル)

      = 10エファ

      = 220㍑

      = 200 乾量クォート(米)

      長さの単位

      1指幅

      = 1/4手幅

      = 1.85㌢

      = 0.72 インチ

      1手幅

      = 4指幅

      = 7.4㌢

      = 2.9 インチ

      1指当たり

      = 3手幅

      = 22.2㌢

      = 8.75 インチ

      1キュビト

      = 2指当たり

      = 44.5㌢

      = 17.5 インチ

      1長キュビトb

      = 7手幅

      = 51.8㌢

      = 20.4 インチ

      1さお

      = 6キュビト

      = 2.67㍍

      = 8.75 フィート

      長い1さお

      = 6長キュビト

      = 3.11㍍

      = 10.2 フィート

      1ひろ

       

      = 1.8㍍

      = 6 フィート

      「マイル」。ギ語,ミリオン。(マタイ 5:41)ローマ・マイルのことと思われます。(1ローマ・マイル=5,000ローマ・フィート,つまり1,479.5㍍)ギリシャ語本文のルカ 24:13; ヨハネ 6:19; 11:18にある距離の値はスタディオンで表わされています。(1ローマ・スタディオン=1/8ローマ・マイル,つまり625ローマ・フィート; 185㍍)新世界訳聖書では,ルカ 24:13; ヨハネ 6:19; 11:18のスタディオンを法定マイル,すなわち5,280フィートを1マイルとするマイルに換算してあります。例えば,ルカ 24:13の「60スタディオン」は「7マイルほど」(約11㌔,つまり7.5ローマ・マイル)としています。

      a ホメルと等量の乾量としても用いられた。

      b 恐らく歴代第二 3:3の「以前の」キュビトと同じ。

  • 8ロ 聖書の暦月
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 8ロ 聖書の暦月

      ユダヤ暦の各月は新月から新月までの期間です。(イザ 66:23)「月」を表わすヘブライ語の言葉の一つであるホーデシュ(創 7:11)は,「新しい」という意味の語根に由来しています。一方,月を表わす別の言葉であるエラハは 「朔望月」を意味します。

      月 教暦

      月 政暦

      天候

      作物

      第1月

      第7月

      雨と雪解け水でヨルダン川が増水する

      亜麻の収穫。大麦の収穫が始まる

      第2月

      第8月

      乾季が始まる。ほとんど晴天の日々

      大麦の収穫。低地では小麦の収穫

      第3月

      第9月

      夏の暑気。澄み切った大気

      小麦の収穫。早なりのいちじく。ある種のりんご

      第4月

      第10月

      暑さが増す。各地で多量の露が降りる

      ぶどうの初物。植物は枯れ,泉は干上がる

      第5月

      第11月

      暑さが最も厳しくなる

      ぶどうの収穫が始まる

      第6月

      第12月

      暑さが続く

      なつめやしと夏のいちじくの収穫

      第7月

      第1月

      夏が終わる。早い雨が降り始める

      収穫期は終わる。耕作が始まる

      第8月

      第2月

      小雨が降るようになる

      小麦と大麦の種まき。オリーブの収穫

      第9月

      第3月

      雨の日が多くなる。霜。山には雪が降る

      草が生え出る

      第10月

      第4月

      寒さが最も厳しくなる。雨。山には雪が降る

      低地一帯に草が生える。穀物や花が生育する

      第11月

      第5月

      寒さは和らぐ。雨が続く

      アーモンドの木が花をつける。いちじくの木が芽ぐむ

      第12月

      第6月

      しばしば雷が鳴り,雹が降る

      イナゴマメの木が花をつける。かんきつ類の収穫

      第13月

       

      一般に第二アダル(ベアダル)と呼ばれた,うるう月が19年に7回加えられた

      [1779ページの図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      第1月 ニサン(アビブ) 3月-4月

      14日 過ぎ越し

      15-21日 無酵母パン

      16日 初穂の捧げ物

      大麦

      第2月 イヤル(ジウ) 4月-5月

      14日 月遅れの過ぎ越し(民 9:10-13)

      小麦

      第3月 シワン 5月-6月

      6日 七週の祭り(ペンテコステ)

      早なりのいちじく

      第4月 タンムズ 6月-7月

      ぶどうの初物

      第5月 アブ 7月-8月

      夏の果物

      第6月 エルル 8月-9月

      なつめやし,ぶどう,いちじく

      第7月 ティシュリ(エタニム) 9月-10月

      1日 ラッパの吹奏

      10日 贖罪の日

      15-21日 仮小屋または取り入れの祭り

      22日 聖会

      すき返す

      第8月 ヘシュワン(ブル) 10月-11月

      オリーブ

      第9月 キスレウ 11月-12月

      25日 献納の祭り

      羊の群れが冬ごもりをする

      第10月 テベト 12月-1月

      草木が生育する

      第11月 シェバト 1月-2月

      アーモンドの花が咲く

      第12月 アダル 2月-3月

      14,15日 プリム

      かんきつ類

      第13月 ベアダル 3月

  • 9イ イスラエル諸部族の領地
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 9イ イスラエル諸部族の領地

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      ダン

      ヨッパ

      ユダ

      アシュケロン

      ガザ

      アシュドド

      エクロン

      ガト

      アドラム

      キルヤト・エアリム

      エルサレム

      ベツレヘム

      ヘブロン

      エン・ゲディ

      (シメオン)

      チクラグ

      ベエル・シェバ

      アシェル

      シドン

      ザレパテ

      ティルス

      マナセ

      ドタン

      ティルツァ

      サマリア

      シェケム

      エフライム

      ラマ

      ベテル

      アイ

      シロ

      ナフタリ

      ケデシュ

      ゼブルン

      イッサカル

      メギド

      エン・ドル

      シュネム

      エズレル

      ベニヤミン

      ギベオン

      ギベア

      ギルガル

      エリコ

      (ダン)

      ダン

      マナセ

      ゴラン

      ガド

      ラモト

      ラバ

      ルベン

      ベツェル

      [他の地点]

      ダマスカス

      エドム

      モアブ

      アンモン

      [山]

      カルメル山

      エバル山

      ゲリジム山

      タボル山

      ギルボア山

      ヘルモン山

      レバノン山

      ネボ山

      [海]

      大海

      塩の海

      キネレトの海

      [河川]

      エジプトの奔流の谷

      ヨルダン川

      ヤボクの奔流の谷

      アルノンの奔流の谷

  • 9ロ 創世記の地図 ― カナンの地域
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 9ロ 創世記の地図 ― カナンの地域

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      シドン

      ダマスカス

      ダン

      ギルガシ人

      レファイム

      アシュテロト・カルナイム

      ズジム

      ハム

      ドタン

      物見の塔,ガルエド

      マハナイム

      カナン人

      ヒビ人

      シェケム

      モレの大木林

      スコト

      ペヌエル

      ギレアデ

      ペリジ人

      シロ

      ヨルダン地域

      ベテル,ルズ

      アイ

      アタド,アベル・ミツライム

      シャベの低地平原

      モリヤ エホバ・イルエ

      サレム

      エブス人

      ベツレヘム,エフラト

      ティムナ

      エナイム

      アドラム

      アクジブ

      エデルの塔

      ツェレト・シャハル

      アンモン

      シャベ・キルヤタイム

      ガザ

      ヒッタイト人

      マムレ

      ヘブロン,キルヤト・アルバ

      マクペラの洞くつ

      ゲラル

      ケニ人

      ベエル・シェバ

      シブア

      アモリ人

      エミム

      シディムの低地平原

      ゴモラ?

      ツェボイイム?

      アドマ?

      ソドム?

      ゾアル,ベラ?

      ネゲブ

      レホボト

      ケニズ人

      モアブ

      ホリ人

      アマレク人

      ハザゾン・タマル?

      ベレド

      ベエル・ラハイ・ロイ

      カデシュ,エン・ミシュパト

      アラバ

      セイル

      エドム

      テマン人

      シュル

      [海]

      大海

      塩の海

      [河川]

      ヨルダン川

      ヤボクの奔流の谷

      ゲラルの奔流の谷

      エジプトの奔流の谷

  • 9ハ 幕屋とその平面図
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 9ハ 幕屋とその平面図

      [1782ページの図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      北

      メラリ人

      ナフタリ

      ダン

      アシェル

      東

      アロン

      ゼブルン

      ユダ

      イッサカル

      南

      コハト人

      ガド

      ルベン

      シメオン

      西

      ゲルション人

      ベニヤミン

      エフライム

      マナセ

      中庭

      門

      焼燔の捧げ物の祭壇

      水盤

      聖所

      仕切り幕

      食卓

      燭台

      香の祭壇

      至聖所

      垂れ幕

      箱

      [1782ページの図版]

      (幕屋内部の想像図)

  • 9ニ ソロモン時代の神殿とその平面図
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 9ニ ソロモン時代の神殿とその平面図

      1 至聖所 ― 列王第一 6:16,20

      2 屋上の間 ― 歴代第一 28:11

      3 聖所 ― 歴代第二 5:9

      4 玄関 ― 列王第一 6:3; 歴代第二 3:4

      5 ヤキン ― 列王第一 7:21

      6 ボアズ ― 歴代第二 3:17

      7 食堂 ― 歴代第一 28:12

      8 銅の祭壇 ― 歴代第二 4:1

      9 銅の演壇 ― 歴代第二 6:13

      10 奥の中庭 ― 列王第一 6:36

      11 鋳物の海 ― 列王第一 7:23

      12 運び台 ― 列王第一 7:27

      13 脇の入口 ― 列王第一 6:8

      14 脇間 ― 列王第一 6:5,6,10

  • 9ホ ソロモン時代のエルサレムとその平面図
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 9ホ ソロモン時代のエルサレムとその平面図

      1 神殿 ― 列王第一 6:37,38。歴代第二 3:1-4

      2 大いなる中庭 ― 列王第一 7:12

      3 王座の玄関 ― 列王第一 7:7

      4 柱の玄関 ― 列王第一 7:6

      5 レバノンの森の家 ― 列王第一 7:2

      6 ソロモンの宮殿 ― 列王第一 7:1,8

      7 ファラオの娘の家 ― 歴代第二 8:11

      8 壮大な階段

      9 オフェル ― 歴代第二 27:3; 33:14

      10 ダビデの塔 ― ソロモンの歌 4:4

      11 ダビデの宮殿 ― サムエル第二 5:11; 7:2

      12 箱のための天幕 ― サムエル第二 6:17

      13 シオンの山 ― サムエル第二 5:7

      14 王たちの埋葬所 ― 列王第一 2:10。歴代第二 21:20

      15 泉の門 ― ネヘミヤ 3:15

      16 テュロペオンの谷

      17 ヒンノムの谷 ― 列王第二 23:10

      18 塁壁 ― 詩編 48:13

      19 住まいの塔 ― 詩編 48:3,12

      20 キデロンの谷 ― サムエル第二 15:23。列王第一 2:37

      21 水の門 ― ネヘミヤ 3:26

      22 ギホン(の泉)― 列王第一 1:33

      23 馬の門 ― ネヘミヤ 3:28

      24 検分の門 ― ネヘミヤ 3:31

      25 羊の門 ― ネヘミヤ 3:32

      26 モリヤ山 ― 歴代第二 3:1

      [1785ページの図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      テュロペオンの谷

      シオンの山

      オフェル

      モリヤ山

      キデロンの谷

  • 9ヘ ヘロデの再建した神殿とその平面図
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 9ヘ ヘロデの再建した神殿とその平面図

      [1786ページの図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      テュロペオンの谷

      門

      橋

      門

      アントニアの塔(要塞)

      門

      門

      門

      キデロンの谷

      オリーブ山

      門

      門

      ソロモンの柱廊

      王の柱廊

      石の障壁(ソーレグ)

      異邦人の中庭

      婦人の中庭

      イスラエルの中庭

      祭司の中庭

      焼燔の捧げ物の祭壇

      鋳物の海

      神殿

      至聖所

      聖所

      [1786ページの図版]

      南東から眺めたところ

  • 9ト エルサレムとその城壁 バビロン流刑の後(ネヘミヤ 13:19の脚注参照)
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 9ト エルサレムとその城壁 バビロン流刑の後(ネヘミヤ 13:19の脚注参照)

      1 谷の門 ― ネヘミヤ 2:13

      2 灰の山の門 ― ネヘミヤ 3:13

      3 ヒンノムの谷 ― ネヘミヤ 11:30。エレミヤ 19:2,6

      4 エン・ロゲル ― ヨシュア 18:16

      5 王の園 ― ネヘミヤ 3:15

      6 泉の門 ― ネヘミヤ 2:14; 12:37

      7 ダビデの埋葬所 ― ネヘミヤ 3:16

      8 ダビデの都市 ― サムエル第二 5:7。ネヘミヤ 3:15

      9 キデロンの奔流の谷 ― エレミヤ 31:40

      10 水の門 ― ネヘミヤ 3:26; 12:37

      11 公共の広場 ― ネヘミヤ 8:16

      12 ギホンの泉 ― 歴代第二 32:30

      13 オフェル ― 歴代第二 33:14。ネヘミヤ 11:21

      14 馬の門 ― ネヘミヤ 3:28

      15 マナセの城壁 ― 歴代第二 33:13,14

      16 検分の門 ― ネヘミヤ 3:31

      17 監視の門 ― ネヘミヤ 12:39

      18 羊の門 ― ネヘミヤ 3:1,32

      19 メアの塔 ― ネヘミヤ 12:39

      20 城 ― ネヘミヤ 2:8; 7:2

      21 ハナヌエルの塔 ― エレミヤ 31:38。ゼカリヤ 14:10

      22 魚の門 ― ネヘミヤ 3:3

      23 ヒゼキヤの城壁 ― 歴代第二 32:2,5

      24 第二地区 ― ゼパニヤ 1:10

      25 旧市の門 ― ネヘミヤ 3:6; 12:39

      26 エフライムの門 ― 列王第二 14:13。ネヘミヤ 12:39

      27 公共の広場 ― ネヘミヤ 8:16

      28 広い城壁 ― ネヘミヤ 3:8; 12:38

      29 焼きかまどの塔 ― ネヘミヤ 3:11

      30 隅の門 ― 歴代第二 25:23; 26:9。ゼカリヤ 14:10

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする