7月
7月1日,火曜日
イエスは各地を回って,善いことを行い,……人を全て癒やしました。(使徒 10:38)
イエスの奇跡から,エホバの考え方や気持ちを知ることができます。イエスはエホバに完全に見習っていたからです。(ヨハ 14:9)では,イエスの奇跡から何を学べるでしょうか。イエスとエホバは私たちを深く愛しているということです。イエスは地上にいた時,苦しんでいる人たちを奇跡によって助け,心からの愛を示しました。ある時,目が見えない2人の人がイエスに助けを求めました。(マタ 20:30-34)イエスは「かわいそうに思い」,目が見えるようにしてあげました。ここで「かわいそうに思[う]」と訳されているギリシャ語は,心の奥深くから湧き上がってくる強い気持ちを表しています。このような深い思いやりと愛の気持ちから,イエスはおなかを空かせた人たちに食べ物を与え,重い皮膚病の人を癒やしました。(マタ 15:32。マル 1:41)ですから,イエスも「温かい思いやり」の神エホバも,私たちを深く愛していて,私たちが苦しむのを見る時つらく感じているに違いありません。(ルカ 1:78。ペテ一 5:7)そして,苦しみの原因全てをなくしたいと思っています。塔研23.04 3ページ4-5節
7月2日,水曜日
エホバを愛する人たち,悪を憎め。神はご自分に尽くす人たちの命を守っている。その人たちを悪人の手から助け出す。(詩 97:10)
私たちはサタンの世の中に広まっている間違った考えにできるだけ触れないようにすることができます。聖書を読んだり学んだりして,いつも良いことを考えるように努力することもできます。集会や伝道に参加することも助けになります。そして,エホバも行動してくださいます。聖書の中で約束している通り,私たちが耐えられないほど誘惑を受けるままにはしません。(コリ一 10:12,13)この終わりの時代にエホバに忠実に仕えていくためには,ますます祈りが大切です。エホバは私たちに「気持ちを全て」伝えてほしいと思っています。(詩 62:8)エホバを賛美し,エホバがしてくださっている全てのことに感謝しましょう。伝道で大胆に語れるようにと祈ることもできます。そして,どんな問題や誘惑にも立ち向かえるよう助けを求めましょう。エホバに祈りを捧げることを,何にも誰にも邪魔されないようにしてください。塔研23.05 7ページ17-18節
7月3日,木曜日
互いのことをよく考えて,……いつも励まし合いましょう。(ヘブ 10:24,25)
私たちが集会に出席するのはどうしてでしょうか。それは,エホバを賛美するためです。(詩 26:12; 111:1)問題が多い世の中で,兄弟姉妹と励まし合うためでもあります。(テサ一 5:11)私たちが手を挙げてコメントする時,この両方を行うことができます。でも,コメントすることに関しては,緊張すると感じる人もいれば,もっとコメントしたいのになかなか当たらないと感じる人もいるかもしれません。では,どうしたらよいでしょうか。パウロは「励まし合」うようにと勧めました。たとえ短くても確信のこもったコメントをするなら,それを聞いた兄弟姉妹は励みを受けます。そのことを考えると,コメントを頑張ろうという気持ちになるのではないでしょうか。また,思ったほど多くコメントできないとしても,その分ほかの人たちがコメントできることを喜べます。(ペテ一 3:8)塔研23.04 20ページ1-3節
7月4日,金曜日
エルサレムに上っていき,……エホバの家を建て直すがよい。(エズ 1:3)
驚くようなニュースが飛び込んできました。バビロンで70年間捕囚になっていたユダヤ人がイスラエルに戻れるというのです。(エズ 1:2-4)こんな素晴らしいことを実現できるのはエホバだけです。バビロンが捕虜を解放することはめったになかったからです。(イザ 14:4,17)でも,バビロンは征服され,新しい王がユダヤ人にイスラエルに戻ってもよいと言ったのです。全てのユダヤ人,特に家族の頭は決定を下さなければいけませんでした。イスラエルに帰るか,バビロンにとどまるかです。これを決めるのは簡単なことではありませんでした。年配の人たちは,バビロンからイスラエルまで危険な旅をするのは難しいと感じたかもしれません。また,ほとんどのユダヤ人はバビロンで生まれたので,ほかの場所で暮らしたことはありませんでした。そういう人たちにとって,イスラエルは先祖が住んでいた場所にすぎませんでした。さらに,バビロンで成功して裕福になっていた人たちもいたので,快適な家や仕事を捨てて知らない場所に行くというのは,大変だったことでしょう。塔研23.05 14ページ1-2節
7月5日,土曜日
用意ができていることを示しなさい。(マタ 24:44)
聖書は,忍耐や思いやりや愛を示す面で成長していくようにと勧めています。ルカ 21章19節には,「あなたたちは忍耐によって命を受けます」と書かれています。コロサイ 3章12節には,「思いやり……を身に着けましょう」とあります。テサロニケ第一 4章9,10節にはこう書かれています。「皆さんは神に教えられて愛し合って……います。とはいえ,兄弟たち,いっそう愛し合うように勧めます」。このようなアドバイスを受けた弟子たちは,すでに忍耐や思いやりや愛を示していました。でも,引き続き成長していく必要がありました。私たちにも同じことが言えます。では,1世紀のクリスチャンはこうした性質をどのように示したでしょうか。その手本にどのように見習えるかが分かると,大患難に備えられます。今そうしておくなら,大患難の時にも忍耐し続けることができるでしょう。塔研23.07 3ページ4節,4ページ8節
7月6日,日曜日
そこには街道ができる。「神聖な道」……である。(イザ 35:8)
天に行くよう選ばれた人か「ほかの羊」かに関わりなく,私たちはこの道を歩み続ける必要があります。(ヨハ 10:16)そうするなら,今は比喩的なパラダイスで,将来は神の王国の下で幸せを味わうことができます。1919年以降,非常に大勢の人たちが大いなるバビロン(世界を惑わしている間違った宗教全体)を出て,「神聖な道」を歩み始めました。ユダヤ人がバビロンから出た時,エホバはユダヤ人のために障害物を道から取り除きました。(イザ 57:14)現代ではどうでしょうか。エホバは1919年までの数百年の間,神を畏れる人たちによって大いなるバビロンから出るための道を整えました。(イザヤ 40:3と比較。)そのおかげで,心の正しい人たちは比喩的なパラダイスでエホバに仕えることができるようになりました。塔研23.05 15-16ページ8-9節
7月7日,月曜日
喜んでエホバに仕えよ。歓声を上げながら神の前に出よ。(詩 100:2)
エホバは私たちが喜んでご自分に仕えることを願っています。(コリ二 9:7)では,意欲が湧かない時にも,目標に向けて努力するべきなのでしょうか。パウロの例を考えてみましょう。パウロは,「自分の体を厳しく訓練し,奴隷にして従わせます」と言いました。(コリ一 9:25-27,脚注)エホバの望むことを行いたいという気持ちにならなかった時にも,大きな努力を払ってそうしたのです。エホバはパウロの行ったことを喜んだでしょうか。もちろんです。そして,大きな報いも与えました。(テモ二 4:7,8)同じようにエホバは,意欲が湧かない時にも努力する私たちの姿を見て,喜んでくださいます。目標に向けて行うこと自体を楽しめないとしても,エホバへの愛の気持ちから行うなら,エホバは喜んでくださるのです。エホバは,パウロの努力を高く評価したのと同じように,私たちの努力も高く評価してくださいます。(詩 126:5)そのことを実感すると,意欲が湧いてくることでしょう。塔研23.05 29ページ9-10節
7月8日,火曜日
エホバの日が……来る。(テサ一 5:2)
パウロは,エホバの日を生き残ることができない人を眠っている人に例えました。眠っている人は,自分の周りでどんなことが起きているのかも,どれほど時間がたったのかも分かりません。重要な出来事が起きても,それに気付くことも反応することもできません。現代の多くの人たちは眠っているような状態です。(ロマ 11:8)今が「終わりの時代」であることも,大患難が近いということも信じようとしません。(ペテ二 3:3,4)でも私たちは,目覚めていることがますます重要になっていることをよく知っています。(テサ一 5:6)それで,落ち着いていることが大切です。どうしてでしょうか。エホバの日が近づくにつれて,政治問題や社会問題に巻き込もうとする圧力がどんどん強くなるからです。それでも,心配する必要はありません。エホバが聖なる力を与え,落ち着いて良い決定ができるように助けてくださるからです。(ルカ 12:11,12)塔研23.06 10ページ6-7節
7月9日,水曜日
主権者である主エホバ,どうか私を思い出してください。……私を強くしてください。(裁 16:28)
サムソンと聞くと,どんなことが思い浮かびますか。ものすごく力の強い人というイメージがあるかもしれません。確かにその通りです。でも,サムソンは良くない決定をしたためにつらい経験をしました。とはいえ,エホバはサムソンの信仰に注目し,私たちの手本として聖書に記録させました。サムソンはエホバから力を与えられて,イスラエル人を救うために驚くようなことを行いました。サムソンが死んでから何百年もたった後,エホバはパウロを導き,立派な信仰を示した人としてサムソンの名前を記録させました。(ヘブ 11:32-34)サムソンの手本は私たちにとって励みになります。サムソンは難しい状況でもエホバに頼りました。塔研23.09 2ページ1-2節
7月10日,木曜日
願いを神に知っていただくようにしましょう。(フィリ 4:6)
忍耐力を鍛えるためにできることは,真剣に何度も祈り,心配事をエホバに打ち明けることです。(テサ一 5:17)今はそれほど大きな問題を経験していないかもしれません。そうだとしても,がっかりする時やどうしたら良いか分からない時には,いつでもエホバに導きを求めていますか。毎日の小さな問題に対処する時にも,エホバに助けを求めるようにしましょう。そうするなら,将来もっと大きな問題にぶつかった時に,ためらうことなくエホバに頼ることができます。そして,エホバはいつどのように助けるのが一番良いかを知っている,と確信することができます。(詩 27:1,3)今経験している問題を忍耐するなら,将来大患難が起きた時にも忍耐できるでしょう。(ロマ 5:3)どうしてそう言えますか。多くの兄弟姉妹が実感している通り,何かの問題を忍耐するたびに,次の試練を忍耐する力が身に付くからです。忍耐すると信仰が強まり,エホバがいつでも喜んで助けてくださると確信できます。そしてその信仰によって,次の試練も忍耐することができます。(ヤコ 1:2-4)塔研23.07 3-4ページ7-8節
7月11日,金曜日
その願いを聞き入れます。(創 19:21)
エホバは謙遜で思いやり深い方なので,分別を示します。ソドムの邪悪な人たちを滅ぼそうとしていた時,エホバは謙遜さを示しました。天使を通して,正しい人ロトに山地に逃げるようにと指示しました。ロトはそこに行くことを恐れ,ゾアルに逃げさせてほしいと頼みました。エホバはその町も滅ぼすつもりだったので,最初の指示に従うようロトに求めることもできました。でも,ロトの願いを聞き入れ,ゾアルを滅ぼさないことにしました。(創 19:18-22)何百年か後には,ニネベの人たちに思いやりを示しました。ヨナを遣わして,ニネベとニネベの邪悪な人たちを間もなく滅ぼすということを伝えさせました。でもニネベの人たちが悔い改めた時,エホバは彼らを思いやり,その都市を滅ぼさないことにしました。(ヨナ 3:1,10; 4:10,11)塔研23.07 21ページ5節
7月12日,土曜日
[家来たちは]エホアシュをベッドの上で殺した。……彼は……王たちの墓地には葬られなかった。(代二 24:25)
エホアシュの例からどんなことが分かるでしょうか。エホアシュは,根が浅く,杭に頼って立っている木のようでした。杭のような存在だったエホヤダがいなくなり,背教の嵐が吹き付けると,エホアシュは倒れてしまいました。この例から,エホバへの畏れを持ち続けるためには家族や仲間の兄弟姉妹に頼りきりではいけないということが分かります。エホバと親しい友でいるためには,聖書を学び,じっくり考え,祈ることによって,神への専心や畏れを自分で強めていく必要があります。(エレ 17:7,8。コロ 2:6,7)エホバは私たちに多くのことを求めているわけではありません。エホバが求めていることは,伝道の書 12章13節にまとめられています。そこには,「真の神を畏れ,その方のおきてを守りなさい。人の務めはそれに尽きる」とあります。エホバを畏れているなら,将来どんな問題にぶつかるとしても,エホバに仕え続けていくことができます。私たちはいつまでもエホバの親しい友でいることができるのです。塔研23.06 19ページ17-19節
7月13日,日曜日
見なさい! 私は全てのものを新しくしている。(啓 21:5)
この保証の言葉を語ったのは,「王座に座っている方」です。(啓 21:5前半)幻の中でエホバが直接話した例は「啓示」の書に3カ所しかありませんが,この言葉はそのうちの1つです。力強い天使でも復活したイエスでもなく,エホバご自身が保証しているのです。この点を考えると,続く保証の言葉には確かに説得力があります。エホバは「偽ることができ[ない]」からです。(テト 1:2)ですから,私たちは啓示 21章5,6節の言葉を確かに信じることができます。「見なさい!」という表現について考えてみましょう。ここで「見なさい!」と訳されているギリシャ語は,「啓示」の書の中で何度も使われています。どんな言葉が続いているでしょうか。エホバは,「私は全てのものを新しくしている」と言っています。これはエホバが将来に行うことですが,その約束は必ず果たされるので,すでに実現しているような言い方になっています。(イザ 46:10)塔研23.11 3-4ページ7-8節
7月14日,月曜日
[ペテロは]外に出て激しく泣いた。(マタ 26:75)
ペテロは自分の弱さと闘い続ける必要がありました。イエスが,聖書の預言通り自分が苦しみ,殺されると言った時,ペテロはイエスを叱ってしまいました。(マル 8:31-33)誰が一番偉いのかについて,ほかの使徒たちと言い争ったことが何度もあります。(マル 9:33,34)イエスが亡くなる前の晩には,ある人に襲い掛かり,耳を切り落としてしまいました。(ヨハ 18:10)さらに,人への恐れに負けて,イエスを知っていることを3回も否定しました。(マル 14:66-72)ペテロはこのことをとても後悔し,激しく泣きました。ペテロは自分にがっかりしていたことでしょう。でもイエスは諦めていませんでした。復活した後,ペテロにイエスへの愛を言い表す機会を与えます。そして,イエスの羊を世話するという大切な仕事を委ねます。(ヨハ 21:15-17)ペテロは喜んでイエスから言われた通りにしました。そして,ペンテコステの日にエルサレムで天に行く人たちが初めて選ばれた時,ペテロもそのうちの1人になりました。塔研23.09 22ページ6-7節
7月15日,火曜日
私の小さな羊を世話しなさい。(ヨハ 21:16)
ペテロは長老たちに,「神の羊の群れを世話してください」と言っています。(ペテ一 5:1-4)長老の皆さんは兄弟姉妹を愛し,支えになりたいと思っていることでしょう。でも,忙しかったり疲れていたりして,そうするのが難しいと感じることがあるかもしれません。そのような時には,自分の気持ちを全てエホバに話してください。ペテロは,「奉仕する人は,神が与えてくださる力に頼って奉仕してください」と書いています。(ペテ一 4:11)兄弟姉妹が直面している問題の中には,この体制では解決できないものもあります。でも,「牧者の長」であるイエス・キリストが兄弟姉妹を支えてくださいます。長老たちにできる以上のことを,今も新しい世界でも行ってくださいます。エホバが今長老たちに願っているのは,兄弟姉妹を愛し,支え,「群れの模範」となることです。塔研23.09 30ページ13-14節
7月16日,水曜日
エホバは,賢い者たちの考え方がむなしいことを知っている。(コリ一 3:20)
私たちは神を無視した考え方を避ける必要があります。世間一般の見方に影響されると,私たちもエホバやエホバの基準を気に留めなくなるかもしれません。(コリ一 3:19)「この世の知恵」は,間違った欲望に従って行動するよう仕向けてきます。ペルガモンやテアテラの一部のクリスチャンは,偶像崇拝や不道徳な行いをしていた人たちの影響を受け,性的不道徳を容認するまでになっていました。それでイエスは,この2つの会衆に強い助言を与えました。(啓 2:14,20)私たちも間違った考え方の影響を受ける危険があります。家族や友達が感情に訴えて,妥協させようとしてくるかもしれません。例えば,「自分のしたいようにすればいい」とか,「聖書の道徳基準は時代遅れだ」とか言われるかもしれません。エホバからの指示がはっきりしていないように感じることがあるでしょうか。そのような場合,「書かれている事柄を越え」そうになるかもしれません。(コリ一 4:6)塔研23.07 16ページ10-11節
7月17日,木曜日
真の友はどんな時にも愛を示す。苦難の時に頼れる兄弟である。(格 17:17)
イエスの母マリアがエホバの望むことを行うには力が必要でした。まだ結婚していないのに妊娠するというのです。子育ての経験はありませんでしたが,メシアになる男の子を世話しなければなりません。性関係を持っていないのに妊娠していることを,婚約者ヨセフにどう説明したらよいのでしょう。(ルカ 1:26-33)マリアは,どのようにして力を得たでしょうか。自分一人で頑張るのではなく,助けを求めました。例えば,ガブリエルにこの任務についてさらに教えてくれるようにと頼みました。(ルカ 1:34)その後すぐ,ユダの「山地」まで長旅をし,親族のエリサベツに会いに行きました。エリサベツはマリアのことを褒め,聖なる力に導かれてマリアのおなかの子に関する預言を語りました。(ルカ 1:39-45)元気をもらったマリアは,エホバが「力強い腕で物事を行[った]」と言いました。(ルカ 1:46-51)エホバはガブリエルとエリサベツを通してマリアに力を与えたのです。塔研23.10 14-15ページ10-12節
7月18日,金曜日
この方は私たちを,自分の父である神に仕える王および祭司としてくださいました。(啓 1:6)
イエスの弟子のうち14万4000人だけが,聖なる力によって選ばれ,イエスと一緒に天で祭司として働きます。これらの人たちは,神によって選ばれた神の養子です。(啓 14:1)幕屋の聖所は,天に行く人たちが地上にいる間に持つことのできるエホバとの特別な関係を表しています。(ロマ 8:15-17)至聖所は,エホバが住んでいる天を表しています。聖所と至聖所を隔てていた「幕」は,イエスの人間としての体を表しています。人間の体のままでは,偉大な大祭司として働くために天に入ることはできませんでした。イエスは人類のために人間としての体を犠牲にすることによって,選ばれたクリスチャン全てが天で生きられるようにしました。選ばれたクリスチャンたちも,天での命を受けるためには人間としての体を捨てる必要があります。(ヘブ 10:19,20。コリ一 15:50)塔研23.10 28ページ13節
7月19日,土曜日
ギデオン……について語っていくなら,時間がなくなるでしょう。(ヘブ 11:32)
ギデオンは,エフライムの人たちから文句を言われた時,怒るのではなく穏やかに接することができました。(裁 8:1-3)謙遜に耳を傾け,彼らが気分を害しているのはどうしてかを知ろうとしました。そのようにして,緊迫した状況を収めることができました。長老たちも同じようにすることができます。悪く言われるとしても,よく耳を傾け,穏やかに接するなら,会衆を平和な場所にすることができるでしょう。(ヤコ 3:13)ギデオンは戦いでミディアンに勝って称賛された時,みんなの注意をエホバに向けました。(裁 8:22,23)長老たちはどのように見習えるでしょうか。全てはエホバのおかげであることを忘れないことです。(コリ一 4:6,7)例えば,教え方が上手だと褒められる時には,聖書や組織の訓練の素晴らしさについて話すことができるかもしれません。自分に注目させてしまっていないだろうか,と時々考えてみましょう。塔研23.06 4ページ7-8節
7月20日,日曜日
私の考えはあなたたちの考えとは違[う]。(イザ 55:8)
祈りが聞かれていないように感じるなら,「自分は正しいことを祈っているだろうか」と考えてみましょう。私たちは,自分のことは自分が一番よく分かっていると考えがちです。でも,祈っている内容が長い目で見ると自分のためにならないということもあります。もしかすると,自分が願っている解決策より,もっと良い方法があるかもしれません。祈りの内容がエホバの意志に沿っていないという可能性もあります。(ヨハ一 5:14)ある親は,子供が真理のうちにとどまれるようにしてください,と祈っていました。これはふさわしい祈りに思えます。でもエホバは,ご自分に仕えることを強制したりはしません。子供たちを含め,一人一人が自分で選んでご自分に仕えることを願っています。(申 10:12,13; 30:19,20)それで親は,子供が心からエホバを愛し,エホバの友達になりたいという気持ちになれるように上手にサポートできますように,と祈ることができます。(格 22:6。エフェ 6:4)塔研23.11 21ページ5節,23ページ12節
7月21日,月曜日
慰め合っていきましょう。(テサ一 4:18)
仲間を慰めることが大切なのはどうしてでしょうか。ある参考文献によると,パウロがここで使っている「慰め[る]」という言葉には,「大変な経験をしている人のそばにいて力づける」という意味があります。慰めることによって,つらい思いをしている仲間が永遠の命に続く道を歩き続けられるように助けることができます。兄弟姉妹に寄り添って支えになるなら,その人を愛していることを伝えられます。(コリ二 7:6,7,13)思いやりと慰めには深い関わりがあります。苦しんでいる人を見てかわいそうに思うと,その人を慰め,つらい気持ちを和らげてあげたいと思うものです。それで,思いやりは他の人を慰める原動力になります。パウロは,エホバの思いやりと慰めを結び付けて,エホバのことを「温かな憐れみの父,あらゆる慰めの神」と言っています。(コリ二 1:3)塔研23.11 9-10ページ8-10節
7月22日,火曜日
苦難に遭っても喜びましょう。(ロマ 5:3)
キリストに従う人たちはみんな苦難を経験します。パウロはテサロニケのクリスチャンにこう言いました。「皆さんと一緒にいた時,私たちはいずれ苦難に遭う,と話していましたが,……その通りになりました」。(テサ一 3:4)コリントの兄弟たちにはこう書きました。「私たちが経験した苦難について知ってほしいと思います。私たちは,……命さえ危うい状況でした」。(コリ二 1:8; 11:23-27)現代のクリスチャンも何らかの苦難を経験します。(テモ二 3:12)あなたは,イエスに信仰を持ち,イエスに従っているために,友達や親族から厳しい接し方をされることがあるかもしれません。正直に行動しているために,職場で嫌がらせを受けていますか。(ヘブ 13:18)政府から伝道活動をやめるようにと圧力をかけられているかもしれません。でもパウロは,どんな苦難に遭ったとしても喜ぶようにと言っています。塔研23.12 11ページ9-10節
7月23日,水曜日
大変なことをしてくれたものだ。(創 34:30)
ヤコブは大変な経験をいろいろとしました。息子のシメオンとレビは,家族の評判やエホバの名前を傷つけるようなことを行いました。さらに,愛する妻ラケルは2人目の子供を産んだ時に亡くなってしまいました。年を取ってからも,ひどい飢饉が生じたためにエジプトに引っ越さなければならなくなりました。(創 35:16-19; 37:28; 45:9-11,28)ヤコブはこうした大変なことがあっても,エホバとエホバの約束を信じ続けました。エホバはそんなヤコブのことを喜び,たくさんの祝福を与えました。例えば,エホバからたくさんの物を与えられて豊かになりました。ずっと前に死んだと思っていたヨセフとも再会することができました。そのことをエホバに心から感謝したに違いありません。ヤコブはエホバとの強い絆があったので,いろいろな問題を乗り越えることができました。(創 30:43; 32:9,10; 46:28-30)私たちも思いも寄らない問題にぶつかるかもしれませんが,エホバとの絆をしっかり保つなら乗り越えることができます。塔研23.04 15ページ6-7節
7月24日,木曜日
エホバは私の牧者。私は何も不足しない。(詩 23:1)
ダビデはエホバが愛し,優しく気遣ってくれていることを確信していました。そのことを詩編 23編で歌っています。ダビデには,牧者であるエホバとの強い絆がありました。ダビデはエホバを心から信頼していました。エホバに導かれるようにしていたので,安心していられました。そして,エホバがずっと愛し続けてくれるということを信じていました。どうしてそう確信できたのでしょうか。ダビデはエホバが必要な物を全て与え,世話してくださっているのを感じていました。また,エホバが自分のことを良いと認め,友になってくれていることも実感していました。それで,将来どんなことが起きるとしても,エホバが必ず世話してくださると確信していました。ダビデは,エホバが優しく気遣ってくださることを心から信じていたので,心配事があっても幸せな気持ちでいることができました。(詩 16:11)塔研24.01 29ページ12-13節
7月25日,金曜日
私は体制の終結までいつの日もあなたたちと共にいるのです。(マタ 28:20)
第2次世界大戦以降,エホバの証人は平和な時期を活用して多くの国や地域で良い知らせを自由に伝えています。その結果,たくさんの人がエホバを知るようになっています。現在,統治体はキリストに導きを求め続けています。いつでもエホバとキリストの見方を反映した指示を兄弟姉妹に与えたいと思っています。そして,巡回監督や長老たちを通して会衆に指示を与えています。聖書によると,長老たちはキリストの「右手」の中にあります。(啓 2:1)もちろん,長老たちはみんな完璧ではなく失敗もします。モーセやヨシュア,そして使徒たちも失敗することがありました。(民 20:12。ヨシュ 9:14,15。ロマ 3:23)でもイエスは,忠実な奴隷や長老たちを注意深く導き,これからもそうしてくださいます。それで私たちは,教え導く責任を与えられている兄弟たちを心から信頼することができます。塔研24.02 23-24ページ13-14節
7月26日,土曜日
皆さんは子供として神に愛されているのですから,神に倣ってください。(エフェ 5:1)
現代の私たちも,エホバへの愛や感謝を熱く語ることによって,エホバに喜んでもらうことができます。宣教の一番の目的は,人々が私たちと同じようにエホバと親しくなり,愛情深い天のお父さんを知るように助けることです。(ヤコ 4:8)エホバの愛や公正さ,知恵,力といった魅力的なところについて,聖書が教えていることを人々に伝えられるとうれしくなります。さらに,エホバに倣うために一生懸命努力することによっても,エホバを賛美できます。私たちがエホバに倣うなら,人々はこの悪い世の中にあって,私たちの生き方が違うことに気付き,興味を持つかもしれません。(マタ 5:14-16)そしてそれは,私たちがほかの人と違う理由について説明するチャンスにつながるかもしれません。その結果,誠実な人たちはエホバのもとに引き寄せられます。私たちはいろいろな方法でエホバを賛美することによって,エホバに心から喜んでもらうことができます。(テモ一 2:3,4)塔研24.02 10ページ7節
7月27日,日曜日
励ますことも……戒めることもできる。(テト 1:9)
クリスチャンとして成長するためには,幾つかの実用的なスキルを身に付ける必要があります。そうしたスキルは,会衆でいろいろな責任を担い,自分や家族の生活を支えるために仕事をし,他の人と良い関係を築く助けになります。例えば,上手に読み書きできるようになりましょう。聖書によると,毎日時間を取って神の言葉を読み,じっくり思い巡らす人は,幸せになり,成功できます。(詩 1:1-3)聖書を毎日読むなら,エホバの考え方をよく知り,それを生活の中でどのように当てはめられるかが分かるようになります。(格 1:3,4)兄弟姉妹は,聖書から教えたり良いアドバイスをしたりできる兄弟たちの助けを必要としています。読み書きが上手にできるなら,兄弟姉妹にとってためになる話やコメントを準備して,仲間の信仰を強めることができます。また,役立つ点を書き留めておき,それを,自分の信仰を強め,仲間を力づけるために使うことができるでしょう。塔研23.12 26-27ページ9-11節
7月28日,月曜日
皆さんと結び付いている方は,世と結び付いている者より強い[の]です。(ヨハ一 4:4)
恐れの気持ちを感じる時には,将来サタンがいなくなった時,エホバがどんなことをしてくれるかについてじっくり考えましょう。2014年の地区大会のプログラムで,父親が家族と話し合っている様子を実演で見ることができました。父親はテモテ第二 3章1-5節について,その聖句が楽園の様子を予告しているとしたらどうなるのか,言葉を置き換えて次のように読みました。「新しい世では,最も幸福な時代が来ます。というのは,人々は他の人を愛する者,霊的な富を愛する者,慎み深い者,謙遜な者,神を賛美する者,親に従順な者,感謝する者,忠節な者,家族に深い愛情を抱く者,進んで合意する者,いつも人の良いところを語る者,自制心のある者,温和な者,善良さを愛する者,信頼できる者,進んで譲る者,思いのへりくだった者,快楽を愛するより神を愛する者,真の敬虔な専心を示す者となるからです。こうした人々にしっかり付きなさい」。家族や兄弟姉妹と,新しい世界がどんなふうになるかについて話し合ってみるのはいかがですか。塔研24.01 6ページ13-14節
7月29日,火曜日
私はあなたのことを喜んでいる。(ルカ 3:22)
「エホバはご自分の民のことを喜」んでいます。(詩 149:4)そのことを知ると本当にうれしくなります。それでも,エホバは私のことを喜んではいないのではないか,と考える人たちもいます。聖書に出てくるエホバに仕えた人たちも,同じような気持ちになったことがありました。(サム一 1:6-10。ヨブ 29:2,4。詩 51:11)聖書によると,私たちはたとえ完全ではなくてもエホバに喜んでもらうことができます。そのためには,イエス・キリストに信仰を持ち,バプテスマを受けることが必要です。(ヨハ 3:16)そのようにして,罪を悔い改め,エホバに喜ばれる生き方をすると約束したことをみんなに示します。(使徒 2:38; 3:19)エホバは,ご自分と親しくなるために私たちがこうしたことを行うのを見て,とてもうれしく感じます。エホバに心を込めて仕えるためにベストを尽くすなら,エホバは私たちのことを喜び,親しい友になってくれます。(詩 25:14)塔研24.03 26ページ1-2節
7月30日,水曜日
私たちとしては,見聞きしたことについて話すのをやめるわけにはいきません。(使徒 4:20)
私たちは,政府から伝道を禁止された時,弟子たちに見習うことができます。伝道を行う面でエホバが必ず助けてくださると確信して,知恵や大胆さ,また問題に立ち向かうための助けを祈り求めましょう。私たちはみんないろいろな問題を経験します。病気になったり,ひどく落ち込んだりすることもあれば,家族の中での問題,愛する人の死,迫害などを経験することもあります。こうした状況に感染症の流行や戦争などが加わると,ますます大変になるでしょう。そうした時には,自分の気持ちを全てエホバに打ち明けてください。親友に話す時のように,自分のことを伝えましょう。エホバは「あなたのために行動してくださ」います。(詩 37:3,5)粘り強く祈ることは,「苦難に遭っても忍耐」する助けになります。(ロマ 12:12)エホバはご自分に仕える人たちがどんな経験をしているかをよく知っていて,「助けを求める叫びを聞」いてくださいます。(詩 145:18,19)塔研23.05 5-6ページ12-15節
7月31日,木曜日
何をするにしても,主に受け入れられることかどうかを確かめましょう。(エフェ 5:10)
重要な決定をする時には,「エホバが何を望んでいるか」を見極め,その通りに行動することが大切です。(エフェ 5:17)自分の状況に当てはまる聖書の原則を探すことによって,エホバの考えを知ることができます。その原則に合わせて決定するなら,良い結果になるでしょう。「邪悪な者」であるサタンは,エホバに仕える時間が残らないほど,毎日の生活のことで忙しくさせようとしています。(ヨハ一 5:19)それで私たちも,エホバにベストを尽くして仕えることよりも,お金や教育や仕事を優先させるようになってしまうかもしれません。もしそうだとしたら,それは私たちがエホバに仕えていない人たちの影響を受けていることのサインです。もちろん,お金を稼ぐことや教育を受けること自体が間違っているわけではありませんが,それを生活の中心にするべきではありません。塔研24.03 24ページ16-17節