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コリント第二の概略

    • D. 偽使徒の影響を打ち消す論議(10:1–12:21)

      • 1. パウロは自分の奉仕の正当性を論じる(10:1-18)

        • 使う武器は人間的なものではなく神によって強力にされたもの(10:1-6)

        • パウロは,弱々しいという非難に応える(10:7-12)

        • パウロは任務の範囲を超えて誇ったりしない(10:13-18)

      • 2. パウロと優秀な使徒たち(11:1-15)

        • パウロは,神と同じ思いで深く気に掛ける。コリントのクリスチャンを「貞潔な処女」として「キリスト」に差し出したいと思う(11:1-5)

        • 誰にも負担を掛けないというパウロの決意(11:6-15)

      • 3. パウロが使徒として経験した苦難(11:16-33)

      • 4. パウロの見た幻と,「体に」ある「1つのとげ」(12:1-21)

        • 第三の天とパラダイスの幻(12:1-7前半)

        • パウロは「体に1つのとげ」があることと神の惜しみない親切について語る(12:7後半-10)

        • パウロは優秀な使徒たちに劣っていない(12:11-13)

        • パウロはコリントのクリスチャンのことを心配する(12:14-21)

コリント第二 12:1

欄外参照

  • +使徒 2:17
  • +使徒 22:17, 18

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    「ものみの塔」(研究用)

    2018/12,8ページ

  • 出版物索引

    塔研18.12 8;

    塔84 3/15 31; 救 133-134,136; 塔59 183; 塔52 296

コリント第二 12:2

  • ある人: パウロはこの幻を与えられた人の名前を述べていないが,文脈からすると自分のことを言っていたと考えられる。「優秀な使徒たち」などの反対者による攻撃に対して使徒としての自分の資格を擁護する流れで(コ二 11:5,23),与えられた「主の幻と啓示」を証拠として挙げている。(コ二 12:1)聖書にはこのような経験をした人についてほかに述べられていないので,論理的に考えると,ここで言われているのはパウロのこと。

    第三の天: 聖書の中で「天」は,物理的な天もエホバと天使たちの住まいである天も指せる。(創 11:4。イザ 63:15)しかし,この語は人間や神の治める政府のことも指す。(イザ 14:12。ダニ 4:25,26)パウロはここで,幻を通して与えられた将来に関する啓示について述べているようだ。(コ二 12:1)聖書は強調したり強さを表したりするために,3という数字を使うことや言葉を3回繰り返すことがある。(イザ 6:3。エゼ 21:27。啓 4:8)それで,パウロが見た「第三の天」とは,神のメシア王国の至上の政府のことだと思われる。その天の政府は,イエス・キリストと14万4000人の共同統治者から成る。(イザ 65:17; 66:22。ペ二 3:13。啓 14:1-5)

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  • リサーチガイド

    「徹底的に教える」12ページ

    「ものみの塔」(研究用)

    2018/12,8ページ

    「洞察」

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2004/12/15,30ページ

    2004/10/15,8-10ページ

    2000/7/15,27ページ

  • 出版物索引

    洞-2 290,485; 徹 12; 塔研18.12 8; 塔04 10/15 8-10; 塔04 12/15 30; 塔00 7/15 27;

    塔84 3/15 31; 塔77 327; 救 133-134; 塔71 287; 塔59 183; 遠 280; 塔57 306; 天 189; 塔52 296

コリント第二 12:3

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    塔84 2/15 28; 救 134; 塔59 183; 天 189; 塔52 296

コリント第二 12:4

  • パラダイス: ギリシャ語パラデイソスはギリシャ語聖書に3回出ている。(ルカ 23:43,注釈を参照。コ二 12:4。啓 2:7)よく似た語がヘブライ語(パルデース,ネヘ 2:8,伝 2:5,ソロ 4:13に出ている)にもペルシャ語(パイリダエーザ)にもある。この3つの語全ては,美しい公園もしくは公園のような庭園という基本的な考えを伝えている。「パラダイス」という語はこの文脈でいろいろなものを指せる。(コ二 12:2の注釈を参照。)パウロは,(1)将来実現する文字通りの地上のパラダイス,(2)神に仕える人たちが新しい世界で楽しむ神との平和な状態,(3)天での状態のことを言っていたのかもしれない。パウロの時代,そうした事柄について話すのは許されないことだった。神がご自分の目的をどのように達成していくかについて詳細を明らかにする時はまだ来ていなかったから。

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    「ものみの塔」(研究用)

    2018/12,8ページ

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2015/7/15,8-9ページ

    2008/7/15,28ページ

    2004/10/15,8-10ページ

    1997/6/15,5ページ

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    洞-2 564; 塔研18.12 8; 塔15 7/15 8-9; 塔08 7/15 28; 塔04 10/15 8-10; 塔97 6/15 5;

    塔84 2/15 28; 塔84 3/15 31; 救 134,136; 良 153; 塔71 287; 塔70 520; 塔66 455; 塔63 55; 塔59 183,190; 遠 280; 天 189; 塔52 296

コリント第二 12:5

  • その人: もしかすると,「そのこと」。つまり,その経験。コ二 12:2の注釈を参照。

欄外参照

  • +コ二 11:30

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    救 134; 塔59 183

コリント第二 12:6

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    塔59 183

コリント第二 12:7

  • 特別な: パウロは,ギリシャ語ヒュペルボレーを使って,与えられた啓示が「特別な」つまり並外れたものだと述べている。(コ二 12:2の注釈を参照。)このギリシャ語はギリシャ語聖書で8回使われていて,全てパウロが書いた手紙に出てくる。この語は文脈によってさまざまな仕方で訳されている。例えば,コ二 4:7の「普通を超えた力」や,コ二 1:8のパウロたちが受けた「ひどい圧迫」という表現で使われている。

    体に1つのとげ: パウロはここで隠喩を使って,苦痛がずっと続いていることを表現している。体にとげが入り込むと,痛みがずっと続く。(「とげ」と訳されているギリシャ語は,とがった杭やとげなど「とがったもの」を意味する。)このとげが表す痛みが身体的なものだったのか感情的なものだったのか,はっきりしていない。パウロが手紙で書いたことからすると,旅行をしたり手紙を書いたり伝道を行ったりする上で不便を感じるような視力の問題に苦しんでいた可能性がある。(ガラ 4:15; 6:11。使徒 23:1-5も参照。)この文脈でパウロは,高慢な反対者たちによるしつこい攻撃について述べているので,偽りを教えるそのような人たちによって引き起こされたストレスや心配について言っていたのかもしれない。(コ二 11:5の注釈を参照。)いずれにしても,パウロはそうした痛みをサタンの使いと呼び,サタンが神に仕える人を落ち込ませるために身体的また感情的な苦痛を使おうとしていることを示している。パウロはこの試練を前向きに受け止めていて,神に喜ばれるよう思い上がらないで謙遜でいるのに「とげ」が役立っていると考えた。(マタ 23:12)

    平手打ちをして: または,「打ちたたいて」。パウロがここで使っているギリシャ語動詞は,手のひらやこぶしで文字通り打つことを指す場合もある。この語は,マタ 26:67でその意味で使われていて,そこではローマ兵がイエスを「こぶしで」殴ったと記されている。コ一 4:11で,その語はもっと広い意味で使われていて,手荒に扱うという考えを伝えている。

欄外参照

  • +ガラ 4:13

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    「聖句の解説」記事49

    「ものみの塔」(研究用)

    2019/11,9ページ

    「生活と奉仕 集会ワークブック」

    2019/5,4ページ

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2014/4/1,5ページ

    2008/6/15,3-4ページ

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    2005/8/1,21-22ページ

    2002/2/15,13-14ページ

    2000/3/1,4ページ

    1997/6/1,25ページ

    1990/9/15,27ページ

    1987/11/15,29ページ

    「王国宣教」

    1998/5,1ページ

    「目ざめよ!」

    1997/5/22,18-19ページ

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    洞-1 256; 洞-2 488; イ解 記事49; 塔研19.11 9; 集ワ19.05 4; 塔14 4/1 5; 塔08 6/15 3-4; 塔06 8/15 21; 塔06 12/15 24; 塔05 8/1 21; 塔02 2/15 13-14; 塔00 3/1 4; 宣 98/5 1; 塔97 6/1 25; 目97 5/22 18-19; 塔90 9/15 27; 塔87 11/15 29;

    塔84 12/15 14; 塔83 3/1 22; 塔70 735; 目67 5/8 6; 塔62 390; 塔59 183; 目58 11/22 14

コリント第二 12:8

  • 主: パウロがここで使っているギリシャ語表現トン キュリオン(主)は,エホバを指すこともあればイエスを指すこともある。この場合,パウロが「祈りを聞く方」主エホバに心から3度懇願したと考えるのが妥当。(詩 65:2)祈りを捧げる対象としてふさわしいのはエホバだけ。(詩 145:18。フィリ 4:6)エホバはパウロへの返答で,「惜しみない親切」と自分に仕える人に豊かに与える「力」について述べている。(コ二 12:9。イザ 40:26。ルカ 24:49)一部の人は,9節でパウロが「キリストの力」についても書いていることを指摘する。しかし,パウロがその表現を使ったからといって,パウロが3度懇願したのがキリストだとは言えない。イエスには力があるが,それは神聖な力の源であるエホバから来ている。(ルカ 5:17)

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    「ものみの塔」(研究用)

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    「ものみの塔」

    2014/4/1,5ページ

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    1987/11/15,29ページ

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    塔研19.11 9; 塔14 4/1 5; 塔09 1/1 30; 塔06 12/15 24; 塔87 11/15 29;

    目67 5/8 6

コリント第二 12:9

欄外参照

  • +イザ 40:29; コ二 4:7

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    「聖句の解説」記事49

    「ものみの塔」(研究用)

    2020/7,14-19ページ

    「ものみの塔」(研究用)

    2019/11,9ページ

    「ものみの塔」(研究用)

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    「ものみの塔」

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    2006/12/15,24ページ

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    1987/11/15,29ページ

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    「目ざめよ!」

    1997/5/22,18-19ページ

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    イ解 記事49; 塔研20.07 14-19; 塔研19.11 9; 塔研18.01 9; 塔08 6/15 6; 塔06 12/15 24; 塔05 8/1 21; 塔02 2/15 18-19; 塔00 3/1 4; 塔97 6/1 25-26; 目97 5/22 18-19; 塔87 11/15 29; 塔86 6/1 25;

    塔70 735; 目67 5/8 6; 塔62 760; 目58 11/22 15

コリント第二 12:10

欄外参照

  • +フィリ 4:13

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    「ものみの塔」(研究用)

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    「ものみの塔」(研究用)

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    「ものみの塔」

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    2008/6/15,3-4,6ページ

    2004/9/15,13-14ページ

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    塔研20.07 14-19; 塔研18.01 9; 塔10 3/15 18; 塔08 6/15 4,6; 塔04 9/15 13-14;

    塔84 7/1 13; 塔65 315

コリント第二 12:11

  • 無分別: コ二 11:1の注釈を参照。

欄外参照

  • +コ二 3:1; 5:12
  • +コ二 11:5, 23

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    「洞察」

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    洞-1 493;

    塔73 415; 目64 2/22 28

コリント第二 12:12

  • 不思議なこと: または,「前兆」。使徒 2:19の注釈を参照。

脚注

  • *

    直訳,「しるし」。

  • *

    または,「奇跡」。

欄外参照

  • +コ二 6:4
  • +使徒 14:3; 15:12; ロマ 15:18, 19

コリント第二 12:13

欄外参照

  • +コ一 9:11, 12; コ二 11:9

索引

  • 出版物索引

    目64 2/22 28

コリント第二 12:14

  • 3度目: パウロがここで述べているのは,コリントに3回実際に行ったということではなく,3度行く用意をしたということ。行きたいと思っていたが,状況が整わなければ行くことができなかった。最初にコリントを訪れた時,会衆を設立し1年半とどまった。(使徒 18:9-11)2回目は行くつもりだったが,実現しなかった。(コ二 1:15,16,23)証拠からすると,コリント第一の手紙を書いてから第二の手紙を書くまでの間に,そのような旅行をする時間はなかった。また,「使徒の活動」には1度の滞在のことしか書かれていない。(使徒 18:1)しかし,パウロがこことコ二 13:1,2で述べている3回目の計画は実現した。パウロは西暦56年ごろにコリントに行き,そこでローマの手紙を書いた。(使徒 20:2,3。ロマ 16:1,23。コ一 1:14)

欄外参照

  • +使徒 20:33
  • +コ一 4:14
  • +格 13:22

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    「洞察」

    「ものみの塔」

    1997/8/15,20ページ

    1996/10/1,29ページ

    1987/6/15,25-26ページ

    1987/2/1,5ページ

    「聖書全体」214ページ

  • 出版物索引

    洞-1 962-963; 塔97 8/15 20; 塔96 10/1 29; 感 214; 塔87 2/1 5; 塔87 6/15 25-26;

    塔77 271; 塔62 457,729

コリント第二 12:15

  • 皆さんのために: この文脈でギリシャ語プシュケーは人々を指す。用語集の「プシュケー」参照。

脚注

  • *

    または,「使い尽くされるつもりです」。

欄外参照

  • +コ二 1:6; コロ 1:24; テサ一 2:8; ヘブ 13:17
  • +コ二 6:11-13

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    「王国宣教」

    2007/6,1ページ

    「ものみの塔」

    2000/11/15,21ページ

    2000/9/15,22-23ページ

  • 出版物索引

    宣 07/6 1; 塔00 9/15 22-23; 塔00 11/15 21;

    塔73 445; 塔62 434; 塔61 498

コリント第二 12:16

欄外参照

  • +コ二 11:9

索引

  • 出版物索引

    塔80 7/1 13; 塔73 415

コリント第二 12:18

脚注

  • *

    または,「足跡をたどった」。

欄外参照

  • +コ二 8:6

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    「ものみの塔」

    1988/5/1,16-17ページ

  • 出版物索引

    塔88 5/1 16

コリント第二 12:20

  • うわさ話: このギリシャ語は,陰口つまりネガティブな情報やうわさをひそかに広めることという考えを伝えている。このギリシャ語はギリシャ語聖書の中でここだけに出てくるが,「うわさ話をし」と訳されている関連した語がロマ 1:29で悪い行いの1つとして出てくる。(注釈を参照。)また,「うわさ話をする」という意味の対応するギリシャ語動詞がセプトゥアギンタ訳のサ二 12:19と詩 41:7(40:8,LXX)で否定的な意味で使われている。

欄外参照

  • +コ二 10:2; 13:2

コリント第二 12:21

  • 汚れ: 「汚れ」(ギリシャ語アカタルシア)は,この節で挙げられている3つの語(「汚れ」,「性的不道徳」,「恥知らずな行い」)の中で最も意味が広い。字義的には,汚くて不潔なものを指す。(マタ 23:27)比喩的な意味では,性的なこと,話すこと,行動,宗教面において,清くないこと全てを含む。(コ一 7:14,コ二 6:17,テサ一 2:3と比較。)「汚れ」はいろいろな悪い行いを指し,深刻さの程度もさまざま。(エフ 4:19)この語は,そうした悪い行いや状態が道徳的に忌まわしいことを強調している。用語集の「汚れている」とガラ 5:19の注釈を参照。

    性的不道徳: 聖書中の用法では,ギリシャ語ポルネイアは,神に禁じられた性的な行動を広く指す語。姦淫,結婚していない人同士の性関係,同性愛行為などの重大な性的な罪が含まれる。用語集とガラ 5:19の注釈を参照。

    恥知らずな行い: ギリシャ語アセルゲイアは,神の律法に対する重大な違反であり,恥知らずで厚かましい態度が表れた行為を指す。用語集とガラ 5:19の注釈を参照。

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    「ものみの塔」

    2012/3/15,31ページ

  • 出版物索引

    塔12 3/15 31;

    塔73 766; 塔65 113

訳の一覧

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全般

コリ二 12:1使徒 2:17
コリ二 12:1使徒 22:17, 18
コリ二 12:5コ二 11:30
コリ二 12:7ガラ 4:13
コリ二 12:9イザ 40:29; コ二 4:7
コリ二 12:10フィリ 4:13
コリ二 12:11コ二 3:1; 5:12
コリ二 12:11コ二 11:5, 23
コリ二 12:12コ二 6:4
コリ二 12:12使徒 14:3; 15:12; ロマ 15:18, 19
コリ二 12:13コ一 9:11, 12; コ二 11:9
コリ二 12:14使徒 20:33
コリ二 12:14コ一 4:14
コリ二 12:14格 13:22
コリ二 12:15コ二 1:6; コロ 1:24; テサ一 2:8; ヘブ 13:17
コリ二 12:15コ二 6:11-13
コリ二 12:16コ二 11:9
コリ二 12:18コ二 8:6
コリ二 12:20コ二 10:2; 13:2
  • 新世界訳聖書 (スタディー版)
  • 聖書を変更する: 新世界訳(新世)
  • 聖書を変更する: 参照資料付き聖書(聖8-参)
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
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  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
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  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
新世界訳聖書 (スタディー版)
コリント第二 12:1-21

コリント​の​クリスチャン​へ​の​第​二​の​手紙

12 私は誇らなければなりません。自分のためになることではありませんが,次に主の幻+と啓示+について述べます。 2 私はキリストと結ばれたある人を知っています。その人は14年前に第三の天に連れ去られました。肉体で行ったかどうかは知りません。神が知っています。 3 私は確かにその人を知っています。肉体で行ったかどうかは知りません。神が知っています。 4 その人はパラダイスに連れ去られ,話すことができない言葉,人が語ることを許されない言葉を聞きました。 5 その人のことを私は誇ります。しかし自分のことは,弱いところ以外については誇りません+。 6 たとえ誇りたくなったとしても,無分別にはなりません。真実を語るからです。しかし,私は誇るのを控えます。誰も,私を見たり私から聞いたりする以上に私を評価しないようにするためです。 7 特別な啓示を受けたということで過大評価してほしくないのです。

私は,思い上がることがないよう,体に1つのとげを刺されました+。それはサタンの使いであり,私が思い上がらないよう,いつも平手打ちをしてきます。 8 私は,このとげがなくなるようにしていただきたいと3度主に懇願しました。 9 しかし主はこう言いました。「私はあなたに惜しみない親切をすでに十分に示している。人が弱い時にこそ,私の力は完全に発揮されるのである+」。それで私は,自分の弱いところについて喜んで誇り,キリストの力が天幕のように私を覆い続けるようにします。 10 私は,弱いところ,侮辱,窮乏,迫害,困難を,キリストのために喜びます。私が弱い時,私には力があるからです+。

11 私は無分別になりました。皆さんがそうならせました。私は皆さんから推薦されるはずだったからです+。私は,取るに足りないとしても,そちらの優秀な使徒たちと比べて何一つ劣ったところはないのです+。 12 私は非常に忍耐しつつ+,奇跡*と不思議なことと強力な行い*によって+,使徒である証拠を皆さんに示しました。 13 皆さんがほかの会衆ほど恵まれなかったということがあるでしょうか。ほかと違うのは,私が皆さんに負担を掛けなかった+ことだけです。この間違いについては,私をどうか許してください。

14 私がそちらに行く用意をしたのは,これで3度目です。このたびも私は負担を掛けないようにします。私が求めているのは皆さんの持ち物ではなく+,皆さん自身だからです。子供+が親のために物を蓄えるのではなく,親が子供のために蓄えるべきなのです+。 15 私は喜んで皆さんのために尽くし,何もかも差し出します*+。私は皆さんをこんなにも愛しているのに,それほどには愛されないのでしょうか+。 16 たとえそうだとしても,私は皆さんに負担を掛けませんでした+。それなのに皆さんは,私が「ずる賢い」とか「だました」とか言います。 17 私はそちらに遣わした人たちによって皆さんを利用したことなどありません。そうではないでしょうか。 18 私はテトスにそちらに行くよう勧め,一緒に兄弟を遣わしました。テトスが皆さんを利用することなどなかったのではありませんか+。私たちは同じ精神を示したのではないでしょうか。同じ歩み方をした*のではないでしょうか。

19 皆さんはこれまで,私たちが皆さんに弁解していると考えてきたのでしょうか。私たちは神の前で,キリストと結ばれて語っています。愛する皆さん,私たちは全てのことを,皆さんを力づけるために行います。 20 私は,そちらに着いた時,皆さんが私の期待通りではなかったり,私も皆さんの期待通りではなかったりしないだろうか,と不安に思っています+。争い,嫉妬,激怒,不和,陰口,うわさ話,思い上がり,無秩序が見られはしないだろうか,と心配しています。 21 再びそちらに行く時,私は皆さんの前で私の神に辱められるかもしれません。もしかすると,以前に罪を犯した多くの人が,習慣にしていた汚れや性的不道徳や恥知らずな行いを悔い改めておらず,私は嘆くことになるかもしれないのです。

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