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コリント第一の概略

    • D. 結婚と独身に関する助言(7:1-40)

      • 1. 既婚者と独身者への助言(7:1-24)

        • 結婚関係で与えるべきものを与えるべきだが,思いやりが必要(7:1-7)

        • 情欲に燃える人は,独身でいるより結婚する方がよい(7:8,9)

        • クリスチャンは,クリスチャンではない人と結婚しているとしても,離れてはならない。いつか配偶者を救えるかもしれない(7:10-16)

        • 各自が招かれた時の状態のままでいる(7:17-24)

      • 2. 未婚の人とやもめ(7:25-40)

        • 今のままでいるのが一番良い。「残された時は少なくなっています」(7:25-31)

        • 独身でいると,神に十分仕える上でより自由(7:32-35)

        • 結婚してもよいが,ただし「主に従う人とだけ」(7:36-40)

コリント第一 7:1

  • さて,皆さんからの手紙に書かれていたことを取り上げます: こことコ一 8:1から分かるように,コリントの兄弟たちはパウロに手紙を書き,結婚のことや偶像に捧げられた食物を食べることについて尋ねていた。コ一 1:2; 8:1の注釈を参照。

    女性に触れない: 女性と性的な接触を持たないということ。この理解は「触れる」という表現が性的な接触や性関係を意味する他の聖句とも合っている。(創 20:6,7。格 6:29)パウロは夫と妻が互いに与えるべきものを与えるよう勧めているので,夫婦の性関係をとどめているのではない。(コ一 7:3-5。コ一 7:3の注釈を参照。)パウロが「男性は女性に触れない方がよいでしょう」と言ったのは,結婚していないクリスチャンに独身のままでいるよう勧める文脈でのこと。(コ一 7:6-9。マタ 19:10-12と比較。)

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  • リサーチガイド

    「ものみの塔」

    1996/10/15,10-11ページ

    「目ざめよ!」

    1996/5/22,7ページ

  • 出版物索引

    塔96 10/15 10-11; 目96 5/22 7;

    塔74 51; 塔73 255,302; 塔57 5

コリント第一 7:2

  • 性的不道徳が広く見られる: この表現はギリシャ語ポルネイアの複数形を訳したもの。この冒頭部分を「世間に多い不倫関係」としている翻訳もある。(「新約聖書」,柳生直行訳)これは古代コリントの状況をよく表している。コ一 5:9の注釈を参照。

欄外参照

  • +格 5:18, 19; テサ一 4:3
  • +創 2:24; ヘブ 13:4

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  • リサーチガイド

    「幸せな家庭」156-157ページ

    「目ざめよ!」

    1991/5/8,27ページ

  • 出版物索引

    庭 156-157; 目91 5/8 27;

    塔81 11/15 8; 塔74 51; 目73 2/22 5; 塔63 420; 目62 7/8 27; 塔60 350; 塔57 5; 塔52 312

コリント第一 7:3

  • 与えるべきもの: 直訳,「負債」,「義務」。これは結婚という神からの贈り物に当然伴う性関係を指す。夫婦は互いに同意した場合を除き,その祝福を受ける機会を相手から奪ってはならない。(コ一 7:5)イエスは,一方が性的不道徳を犯したときという別の例外も認めている。その場合,もう一方は離婚するかどうかを決めることができる。(マタ 5:32; 19:9)

欄外参照

  • +出 21:10; コ一 7:5

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    「ものみの塔」

    2011/10/15,17ページ

    1996/10/15,16ページ

    1989/5/15,19-20ページ

    「幸せな家庭」157ページ

    「永遠に生きる」244ページ

  • 出版物索引

    塔11 10/15 17; 塔96 10/15 16; 庭 157; 楽 244; 塔89 5/15 19;

    塔83 9/1 21; 目80 7/22 12; 家 48,61; 若 157; 目74 10/22 6; 塔73 639; 塔69 401; 自 242; 塔65 747; 塔62 463; 目60 11/22 16; 塔57 5

コリント第一 7:4

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  • リサーチガイド

    「ものみの塔」

    1996/10/15,16ページ

  • 出版物索引

    塔96 10/15 16;

    塔83 9/1 21; 塔73 383,639; 目60 11/22 16

コリント第一 7:5

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    「聖書 Q&A」記事139

    「ものみの塔」

    2015/1/15,27ページ

    2011/10/15,17ページ

    1996/10/15,16ページ

    1989/5/15,19-20ページ

    「幸せな家庭」157-158ページ

  • 出版物索引

    イ聖 記事139; 塔15 1/15 27; 塔11 10/15 17; 塔96 10/15 16; 庭 157-158; 塔89 5/15 19-20;

    塔81 11/15 8-10; 塔79 10/1 12; 家 61; 塔77 751; 若 157; 塔76 639; 塔75 95; 目74 10/22 6; 塔73 639; 塔72 427; 目71 8/8 9; 塔70 351; 目66 2/8 4; 目60 11/22 16; 塔52 7

コリント第一 7:6

  • 譲歩であって: または,「許されていることであって」。コ一 7:2のパウロのアドバイスを指すようだ。

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    塔61 208

コリント第一 7:7

  • 私のよう: 使徒パウロは宣教旅行をしていた時,結婚していなかった。聖書は,パウロが結婚したことがあったかどうかはっきり述べていない。パウロの幾つかの言葉からすると,妻を亡くした可能性もあるようだ。(コ一 7:8; 9:5)

    ある人はこれ,別の人はあれというようにです: 独身でいる人もいれば結婚する人もいる,ということ。

欄外参照

  • +マタ 19:10, 11

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    「ものみの塔」

    1996/10/15,11ページ

    「目ざめよ!」

    1995/2/8,19ページ

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    塔96 10/15 11; 目95 2/8 19;

    塔77 460

コリント第一 7:8

欄外参照

  • +コ一 7:39, 40; 9:5

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    塔68 670

コリント第一 7:9

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  • +テサ一 4:4, 5; テモ一 5:11, 14

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    「ものみの塔」

    1989/11/1,13-14ページ

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    塔89 11/1 13;

    塔75 127; 塔74 51; 塔73 761; 目64 1/22 26; 塔60 350; 塔57 17

コリント第一 7:10

欄外参照

  • +マタ 5:32; 19:6

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    「ものみの塔」(研究用)

    2018/12,13ページ

    「ものみの塔」

    2000/12/15,28ページ

    1988/11/1,21ページ

  • 出版物索引

    塔研18.12 13; 塔00 12/15 28; 塔88 11/1 21;

    塔83 6/15 28-29; 塔75 479; 塔74 703; 塔72 574; 自 242; 目64 2/22 27; 目64 12/22 28; 塔63 757

コリント第一 7:11

  • 和解しなさい: パウロはここで複合動詞カタッラッソーを使っていて,その基本的な意味は「交換する」。ギリシャ語聖書で,この動詞は「敵意を友好関係と交換する」,「調和を取り戻させる」という意味で使われている。神との敵対関係を平和な関係に置き換えられたのと同じように,緊張した結婚関係を円満な関係に置き換えられるということを示すために,結婚に関してこの動詞を使ったのかもしれない。ロマ 5:10の注釈を参照。

欄外参照

  • +マル 10:11; ルカ 16:18

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    「ものみの塔」(研究用)

    2018/12,13ページ

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2012/5/15,11ページ

    2000/12/15,28ページ

    1988/11/1,21,27ページ

    「目ざめよ!」

    2002/9/22,30ページ

  • 出版物索引

    洞-2 1251; 塔研18.12 13; 塔12 5/15 11; 目02 9/22 30; 塔00 12/15 28; 塔88 11/1 21,27;

    塔83 6/15 28-29; 塔77 755; 目76 5/8 28; 塔75 479; 塔74 703; 塔72 574; 自 242; 目64 12/22 28; 塔63 757-758; 塔61 211

コリント第一 7:12

  • 言います。主ではなく私がです: パウロはこの章で何度か,自分の考えや意見をキリストの言葉と区別して述べている。(25,40節も参照。)パウロは謙遜に,特定の質問についてはイエス・キリストの教えを直接引用できないということを読者に思い出させているようだ。しかし,パウロは自分の意見を聖なる力に満たされたキリストの使徒として書くことができた。イエスが約束したように,聖なる力は弟子たちが「真理を十分に理解できるように」導いた。(ヨハ 16:13)パウロの助言は,そのように神の聖なる力の導きによって書かれ,聖書のほかの部分と同じようにクリスチャン全てにとって権威のある役立つ指示となった。(テモ二 3:16)

    クリスチャンではない妻: 直訳,「信じていない妻」。この文脈でこの表現は,宗教上の信念を全く持っていない妻のことを言っているのではない。イエスに信仰を持っておらず,エホバに献身していない人を指している。ユダヤ教徒か異教の神々の信者だったかもしれない。

欄外参照

  • +コ一 7:25, 40

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    「洞察」

    「ものみの塔」

    1996/10/15,21-22ページ

    「論じる」152-153ページ

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    洞-2 1215; 塔96 10/15 21-22; 論 152-153;

    塔75 338; 目72 1/22 29; 塔65 747; 目64 2/22 27; 塔63 758-759; 目62 10/8 17; 塔61 208-209; 塔60 393; 塔57 10

コリント第一 7:13

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    「ものみの塔」(研究用)

    2018/12,14ページ

  • 出版物索引

    塔研18.12 14;

    目79 8/8 13; 塔75 479; 塔65 747; 塔63 758-759; 目62 10/8 17; 塔60 393; 塔57 10

コリント第一 7:14

  • クリスチャンではない: 直訳,「信じていない」。この文脈で,パウロはこの表現をイエス・キリストの贖いに信仰を抱かない人を表すのに使っている。そのような人は,汚れた世から離れておらず,罪の奴隷という状態から解放されていない。正直に生き,道徳的な生活を送っているとしても,神から見て聖なる清い人ではない。(ヨハ 8:34-36。コ二 6:17。ヤコ 4:4)この節のとの関係で神聖なものとされに関する注釈を参照。

    との関係で神聖なものとされ: ここで「神聖なものとされ」と訳されているギリシャ語動詞ハギアゾーとそれに対応する「聖なる」という意味の形容詞ハギオスは,神のために取り分けられていることを表す。神聖なものとされると,聖なる清いもの,神への奉仕のために取り分けられたものとなる。(マル 6:20。コ二 7:1。ペ一 1:15,16。用語集の「神聖さ」参照。)神の前でのこの清い立場は,神がご自分の子を通して与えてくださった贖いに信仰を抱く人に与えられる。この節のクリスチャンではないに関する注釈を参照。

    聖なる: パウロは,クリスチャンでない夫や妻が結婚の絆によって「聖なる」ものとなると言っているのではない。その人は悪い行いをしていたり,汚れた習慣を持っていたりするかもしれない。パウロが言っていたのは,クリスチャンでない人がクリスチャンである配偶者「との関係で」神聖なものとされるということ。それで,神はそうした結婚関係つまり結び付きを清く尊いものと見なす。クリスチャンである親のおかげで,幼い子供は神からの世話と保護の下,聖なるものと見なされる。両親共にクリスチャンでない子供よりも恵まれた境遇にある。

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    「洞察」

    「洞察」

    「ものみの塔」(研究用)

    2016/8,16ページ

    「ものみの塔」

    2006/7/1,26-28ページ

    1987/4/15,12-13ページ

    「真の平和と安全」174ページ

    「目ざめよ!」

    1986/10/8,27ページ

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    洞-1 577,1134,1210,1218; 洞-2 552; 塔研16.08 16; 塔06 7/1 26,28; 塔87 4/15 13; 平 174; 目86 10/8 27;

    塔82 2/15 25; 塔77 31; 良 164; 塔74 94; 塔73 766; 平73 175; 塔72 549-550; 塔71 351; 自 264; 塔65 366,399-400; 目64 5/22 27; 塔63 49,415,687; 塔62 460; 塔61 209; 目61 2/8 26; 塔57 10; 塔54 277; 塔52 184-185; 塔51 151

コリント第一 7:15

  • 離れる: ここで使われているギリシャ語コーリゾーはコ一 7:10,11でも使われている。

欄外参照

  • +ヘブ 12:14

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    「ものみの塔」(研究用)

    2016/8,16-17ページ

    「ものみの塔」

    2012/5/15,11-12ページ

    2000/12/15,28ページ

    1988/11/1,21-22,26-30ページ

  • 出版物索引

    塔研16.08 16-17; 塔12 5/15 11-12; 塔00 12/15 28; 塔88 11/1 22,26-30;

    塔77 223-224; 塔75 765-766; 塔72 553,574; 自 264-265; 塔63 758-759; 塔62 464; 塔61 211; 塔57 10

コリント第一 7:16

欄外参照

  • +ペ一 3:1, 2

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    「ものみの塔」

    1995/10/1,10-11ページ

    1990/8/15,23ページ

  • 出版物索引

    塔95 10/1 10-11; 塔90 8/15 23;

    塔75 766; 組 187; 塔71 425; 自 264-265; 塔65 366; 塔64 428; 塔62 462; 塔60 14; 遠 145; 塔57 10

コリント第一 7:17

  • 各自がエホバから与えられた分に応じて: 「分」とは,エホバがクリスチャン各自に与えている,またはそうなることを許している状況や境遇のこと。パウロはクリスチャンに自分の境遇を変えることばかりに気を取られずに歩む,つまり生きていくよう勧めた。パウロはこの節で「各自」と訳されるギリシャ語を2回使っていて,神がクリスチャン一人一人を気に掛けていることを強調しているのかもしれない。ほとんどのギリシャ語写本はここで「主」という語(ギリシャ語,ホ キュリオス)を使っているが,ここの本文で神の名前を使う十分な理由がある。付録C3の序文とコ一 7:17を参照。

    神: 初期の幾つかのギリシャ語写本は「神」としている。しかし,後代の一部の写本は「主」を使っている。ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の幾つか(付録C4のJ7,8,10)では,この節のこの部分が「エホバ」となっている。

欄外参照

  • +コ一 7:7

索引

  • 出版物索引

    聖12-85 2025; 聖8-参 1757

コリント第一 7:18

  • その人は割礼を受ける前の状態に戻そうとしてはなりません: パウロは,何も身に着けずに走るギリシャの競技会に参加しようとしてユダヤ人の一部の競技者が行ったことを念頭に置いていたのかもしれない。軽蔑やあざけりを避けようとして,包皮に似たものを復元する手術を受けて「割礼を受ける前の状態に戻そう」とする人がいた。割礼を巡る論争でコリントの会衆が分裂しそうになっていたようで,パウロはクリスチャンに,割礼を受けていてもいなくても,招かれた時の状態から変化しようとしないように勧めた。(コ一 7:17-20。ヘブ 13:17)

欄外参照

  • +使徒 21:20
  • +使徒 10:45; 15:1, 24; ガラ 5:2

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    「洞察」

    「ものみの塔」

    1989/2/15,20ページ

  • 出版物索引

    洞-1 582; 塔89 2/15 20

コリント第一 7:19

欄外参照

  • +ガラ 6:15; コロ 3:11
  • +伝 12:13; エレ 7:23; ロマ 2:25; ガラ 5:6; ヨ一 5:3

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  • 出版物索引

    目66 3/8 27

コリント第一 7:20

欄外参照

  • +コ一 7:17

索引

  • 出版物索引

    塔62 685

コリント第一 7:21

欄外参照

  • +ガラ 3:28

索引

  • 出版物索引

    目79 12/8 26-27; 目77 4/8 29; 塔62 685

コリント第一 7:22

  • 解放されて主に仕える自由民……自由民: または,「主に仕える解放奴隷……自由民」。解放奴隷(ギリシャ語アペレウテロス)とは,奴隷状態から解放されて自由民になった人。聖書で,このギリシャ語はここでしか使われていない。しかしそのような人たちは,コリントがローマによって再建された時に大勢住むようになったので,そこでよく知られていた。一部の人はクリスチャンになった。一方,奴隷になったことがないクリスチャンもいた。パウロはそうした人たちのことを指して「自由民」(ギリシャ語エレウテロス)と言った。その人たちは生まれながらに自由だった。とはいえ,どちらのグループのクリスチャンも,イエスの貴重な血という「代価によって買われ」た。それでクリスチャンは,「解放され[た]自由民」も元からの「自由民」も,神とイエス・キリストの奴隷であり,お二方の命令に従うべきだった。クリスチャン会衆で,奴隷,解放された自由民,元からの自由民に違いはなかった。(コ一 7:23。ガラ 3:28。ヘブ 2:14,15。ペ一 1:18,19; 2:16)用語集の「自由民」参照。

欄外参照

  • +ヨハ 8:36; フィレ 15, 16
  • +ペ一 2:16

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    「洞察」

    「新世界訳」2021ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1129-1130; 新世 2021;

    目79 12/8 27; 塔62 685; 塔56 93

コリント第一 7:23

欄外参照

  • +コ一 6:19, 20; ヘブ 9:12; ペ一 1:18, 19; 啓 5:9
  • +ペ二 2:19

索引

  • 出版物索引

    目79 12/8 27; 塔74 348; 塔66 213; 塔64 551; 塔62 685; 塔56 93

コリント第一 7:24

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  • 出版物索引

    目79 12/8 27; 塔78 6/15 32; 塔62 685; 塔61 203-204

コリント第一 7:25

  • 未婚の人: または,「童貞の人」,「処女の人」。しばしば「処女」と訳されるギリシャ語パルテノスは,字義通りには「性交をしたことがない人」を指し,字義的また比喩的な意味で男性にも女性にも使われる。(マタ 25:1-12。ルカ 1:27。啓 14:4。使徒 21:9の注釈を参照。)しかし,この後の節(コ一 7:32-35)は未婚の人だけでなく今は結婚していない人にも広く当てはまる。

    私の意見を述べます: ここでパウロは結婚と独身について個人的な意見を述べている。結婚を悪く言ったり禁じたりしているのではなく,主に仕える上での独身の利点を聖なる力に導かれて強調している。コ一 7:12の注釈を参照。

欄外参照

  • +コ一 7:12, 40

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    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-2 1215;

    塔75 338; 目72 1/22 29; 目64 2/22 27; 目63 10/22 28; 塔52 296

コリント第一 7:26

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  • リサーチガイド

    「ものみの塔」

    1996/10/15,11ページ

  • 出版物索引

    塔96 10/15 11

コリント第一 7:27

欄外参照

  • +マラ 2:16; マタ 19:6; エフ 5:33

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  • 出版物索引

    塔60 393

コリント第一 7:28

  • 未婚の人: コ一 7:25の注釈を参照。

    苦難を身に: しばしば「苦難」と訳されるギリシャ語は基本的に,さまざまな状況での圧力から来る苦痛,苦悩,苦しみを意味している。「困難」,「問題」とも訳せる。「身」と訳されているギリシャ語はしばしば人間を指して使われる。(ロマ 3:20の注釈を参照。)この文脈で,「身」(体)に招く「苦難」は,神から見て「一体」となった夫婦によくある問題や試練を指す。(マタ 19:6)「苦難を身に」という表現は,「生活上の困難を」や「日々の困難を」とも訳せる。結婚や家族生活に伴うそのような「苦難」は,病気,経済的な問題,クリスチャンの場合は迫害によって生じるかもしれない。コ二 1:4の注釈を参照。

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    「聖書 Q&A」記事184

    「ものみの塔」(研究用)

    2020/7,3-4ページ

    「洞察」

    「ものみの塔」(研究用)

    2017/6,4-6ページ

    「ものみの塔」

    2015/1/15,18-19ページ

    2011/10/15,15-16ページ

    2008/4/15,20ページ

    2007/5/1,19ページ

    2006/9/15,28ページ

    1999/2/15,4ページ

    1996/10/15,19ページ

    1995/6/15,30ページ

    1988/3/1,20ページ

  • 出版物索引

    洞-1 670; イ聖 記事184; 塔研20.07 3-4; 塔研17.06 4-6; 塔15 1/15 18-19; 塔11 10/15 15-16; 塔08 4/15 20; 塔07 5/1 19; 塔06 9/15 28; 塔99 2/15 4; 塔96 10/15 19; 塔95 6/15 30; 塔88 3/1 20;

    塔84 1/15 16; 塔83 9/1 12; 目83 12/22 16; 目82 11/8 4; 塔79 8/1 3; 塔75 344; 目73 2/22 5; 塔65 756; 塔61 204; 目61 4/22 3

コリント第一 7:29

欄外参照

  • +ロマ 13:11; ペ一 4:7

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    「洞察」

    「ものみの塔」(研究用)

    2016/8,17ページ

    「ものみの塔」

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    2000/7/15,30-31ページ

    1999/10/1,9ページ

    1996/10/15,19ページ

    1992/5/15,19-20ページ

    1988/3/1,20-21ページ

  • 出版物索引

    洞-1 851; 塔研16.08 17; 塔08 7/15 27; 塔00 7/15 30-31; 塔99 10/1 9; 塔96 10/15 19; 塔92 5/15 19-20; 塔88 3/1 20-21;

    塔84 1/15 16; 塔84 10/1 15-16; 塔84 11/15 17-21; 塔83 9/1 22; 最 100; 塔75 543-544; 塔65 758; 目62 7/8 27; 塔61 454; 塔57 17-18; 塔55 69; 塔53 262

コリント第一 7:30

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  • 出版物索引

    塔84 11/15 19-20; 最 100

コリント第一 7:31

  • 世を利用している: 多くの聖句で「世」と訳されるギリシャ語(コスモス)は主に,人類という世を指す。(ヨハ 1:9,10; 3:16の注釈を参照。)しかし,この文脈で「世」はより広い意味で,人間の生活に影響を与える枠組み,人間が生活し,人間社会が機能する体制を指している。衣食住など世の中の経済システムと関連があるものを含む。(ルカ 9:25の注釈を参照。)例えば,クリスチャンは自分や家族を養うためにこの世を「利用」する。しかし,世を十分に利用することは避ける,つまり生活の中で何よりも優先したりはしない。

    今の世のありさまは変わろうとしている: または,「今の世の場面は変わっていく」。ここで「ありさま」と訳されているギリシャ語は,何かの「姿」や「形」,「現在の物事の仕組み」を指す。パウロは当時の劇場を念頭に置き,この世を場面が移り変わって役者が次々と出入りするステージに例えていたのかもしれない。この表現は現状の世界,物事の仕組みや姿が「過ぎ去りつつあ」ることも意味しているのかもしれない。(ヨ一 2:17)

欄外参照

  • +ヨ一 2:15, 17

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    1996/10/15,19ページ

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    洞-2 1067; 塔研16.08 17; 塔15 10/15 20; 塔11 11/15 19; 塔10 11/15 24; 塔08 1/15 17-19; 塔07 10/1 19; 塔04 2/1 18-19; 塔03 2/1 6; 目01 2/8 11; 塔96 10/15 19; 鑑93 3-4; 塔86 7/1 15;

    塔84 1/15 16-21; 塔84 10/1 15-17; 塔84 11/15 19-20; 最 100; 家 130; 政 175; 塔76 691; 塔75 283,544; 塔74 274; 塔73 366; 塔71 505,575; 塔66 520; 塔57 17-18; 塔53 262

コリント第一 7:32

  • 主の事柄: つまり,神の子と天の父エホバのために行う全ての事柄。クリスチャンとしての生活,崇拝,奉仕が深く関係する。(マタ 4:10。ロマ 14:8。コ二 2:17; 3:5,6; 4:1)コ一 7:33の注釈を参照。

    気を使います: ギリシャ語動詞メリムナオーはここで「気を使います」と訳されているが,その語の意味は文脈によって異なる。この節でこの語は積極的な意味で使われていて,主を喜ばせるために主の事柄に熱心に励み,ふさわしい関心を向けるという考えを伝えている。続く節で,この語は夫や妻が配偶者の感情面,身体面,生活面で必要とする事柄に関心を向けることについて使われている。(コ一 7:33,34)コ一 12:25によれば,こうした気遣いや関心は会衆内でも互いに示される。他の文脈で,このギリシャ語動詞は,あれもこれもと考えて気がそらされ,喜びを失うような心配も指す。(マタ 6:25,27,28,31,34。ルカ 12:11,22,25,26)マタ 6:25,ルカ 12:22の注釈を参照。

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    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン42

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    洞-1 1233; 暮 レッスン42; 塔96 10/15 12-14;

    塔82 9/15 11; 塔74 567; 塔65 757; 塔61 406; 塔57 17-18

コリント第一 7:33

  • 世の事柄: ここで「世」と訳されているギリシャ語コスモスは,人間の生活領域とその枠組みを意味する。「世の事柄」には,衣食住など生活に関係した日常的また世俗的なことが含まれる。この文脈でパウロは,ヨ一 2:15-17に述べられているようなクリスチャンが避けようと努める正しくない世の事柄について言っているのではない。コ一 7:32の注釈を参照。

欄外参照

  • +テモ一 5:8

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    2008/7/15,27ページ

    1996/10/15,16ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1233; 暮 レッスン42; 塔08 7/15 27; 塔96 10/15 16;

    塔61 406; 塔57 6

コリント第一 7:34

脚注

  • *

    または,「気を散らされ」。

欄外参照

  • +テモ一 5:5

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  • 出版物索引

    洞-1 1233; 塔08 7/15 27; 塔96 10/15 16-17; 塔87 11/15 12-13;

    塔61 406

コリント第一 7:35

  • を抑え付け: 直訳,「に輪縄を掛け」。この表現は文字通りに使われるとき,動物を捕まえたり動きを制限したりするために首に縄を掛けることを指す場合がある。捕虜を拘束することについても使われる。この文脈では比喩的に使われて,誰かに制限を課したり行動を規制したりするという考えを伝えている。パウロは結婚と独身について助言を与えたが(コ一 7:25-34),コリントのクリスチャンの自由を制限したかったわけではない。「気を散らさずに……主に」仕えられるよう助けようとしていた。

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    塔96 10/15 12-14; 塔95 6/15 29-30; 塔92 5/15 18;

    塔77 459; 塔75 127; 塔74 567; 塔72 327-328; 塔61 406; 塔59 72

コリント第一 7:36

  • 未婚の人が: または,「人が未婚の状態で」,「人が自分の処女性(童貞性)に対して」。ここで使われているギリシャ語パルテノスは,しばしば「処女」と訳される。それで,この部分を「自分の処女」つまり自分の婚約者に対してという意味に取って訳している聖書もある。しかしこの文脈で,パルテノスは明らかに,処女(童貞)の人ではなく,自分自身の処女性(童貞性),つまり未婚である状態を言っている。パウロはこれまでの節で独身を勧めていて,ここはその論議の続き。

    若さの盛りを過ぎて: この表現はギリシャ語の複合語(ヒュペラクモス)の訳で,その語は「越えて」という意味の語ヒュペルと「盛り」や「最高点」という意味の語アクメーに由来する。2つ目の語はしばしば花の咲き具合に関して使われた。ここで「若さの盛り」は,若い人が身体的に成長して子供をもうけることができるようになっている時を指すようだ。しかし,そのような体の変化にはしばしば強い感情が伴って,良い判断をするのが難しくなる。この文脈でパウロは独身である利点を論じている。パウロが言いたかったのは,若い人は身体的に十分成長していても感情や信仰が成長の途上にある間は,急いで結婚するよりも自制を磨くことに励む方が良いだろうということ。

欄外参照

  • +テモ一 4:1, 3
  • +マタ 19:12; コ一 7:28

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    目83 12/22 18; 塔82 5/1 10; 目82 9/22 14; 目81 7/8 8; 塔80 7/15 30-31; 目77 4/22 10; 塔75 127; 目73 2/22 4,7; 塔65 757; 塔57 18

コリント第一 7:37

  • 結婚しない: または,「自分の処女性(童貞性)を守る」。コ一 7:36の注釈で説明されているように,ギリシャ語パルテノスはこの文脈で,処女(童貞)の人ではなく,処女性(童貞性),つまり結婚していない状態を言っている。この理解は文脈に沿うもので,パウロは独身でいる利点を論じている。(コ一 7:32-35)

脚注

  • *

    または,「欲求を抑える」。

欄外参照

  • +マタ 19:10, 11

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    塔11 10/15 17; 塔87 11/15 13-14;

    塔82 9/15 12-13; 塔80 7/15 30-31; 塔77 457; 塔75 127; 塔69 403; 塔65 757; 目64 12/8 17; 塔57 18

コリント第一 7:38

  • 結婚する: または,「結婚して処女性(童貞性)を失う」。コ一 7:36,37の注釈を参照。

欄外参照

  • +コ一 7:32

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    塔80 7/15 30-31; 塔75 127; 塔74 567; 目73 2/22 6; 目64 12/8 17; 目62 9/8 11; 塔61 406; 塔57 18; 塔51 217

コリント第一 7:39

  • 主: この文脈で,「主」という称号はイエス・キリストもエホバ神も指せる。

    主に従う人とだけ: または,「主の信者とだけ」,「その人が主と結び付いている場合だけ」。仲間のクリスチャンと,ということ。聖なる力の導きによって書かれたこの指示は,全てのクリスチャンに当てはまる。パウロはロマ 16:8-11で,仲間の信者に関して「主に従う」という表現を使っているので,ここでも仲間の信者について言っているのは明らか。コロ 4:7で,この表現を「愛する兄弟」,「忠実な奉仕者」,「共に……仕える奴隷」という言葉と一緒に使っている。ユダヤ人という背景を持つクリスチャンは,周囲の異教の国々の人と「結婚による同盟を結んで」はならないという神がイスラエルに与えた律法をすでに知っていただろう。エホバは,「彼ら[イスラエル人ではない人たち]はあなたの息子に,神に従うことをやめさせて,ほかの神々に仕えさせる」とイスラエルに警告した。(申 7:3,4)それで,クリスチャンの時代,「主に従う人とだけ」結婚するようにという訓戒は,エホバの崇拝者でキリストの弟子である人とだけ結婚するようにということを意味するだろう。

欄外参照

  • +ロマ 7:2
  • +創 24:2, 3; 申 7:3, 4; ネヘ 13:25, 26; コ二 6:14

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コリント第一 7:40

  • 私の意見では: コ一 7:25の注釈を参照。

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    塔75 338; 目72 1/22 29; 目64 2/22 27

訳の一覧

訳の一覧を見るには,節番号をクリックしてください。

全般

コリ一 7:2格 5:18, 19; テサ一 4:3
コリ一 7:2創 2:24; ヘブ 13:4
コリ一 7:3出 21:10; コ一 7:5
コリ一 7:7マタ 19:10, 11
コリ一 7:8コ一 7:39, 40; 9:5
コリ一 7:9テサ一 4:4, 5; テモ一 5:11, 14
コリ一 7:10マタ 5:32; 19:6
コリ一 7:11マル 10:11; ルカ 16:18
コリ一 7:12コ一 7:25, 40
コリ一 7:15ヘブ 12:14
コリ一 7:16ペ一 3:1, 2
コリ一 7:17コ一 7:7
コリ一 7:18使徒 21:20
コリ一 7:18使徒 10:45; 15:1, 24; ガラ 5:2
コリ一 7:19ガラ 6:15; コロ 3:11
コリ一 7:19伝 12:13; エレ 7:23; ロマ 2:25; ガラ 5:6; ヨ一 5:3
コリ一 7:20コ一 7:17
コリ一 7:21ガラ 3:28
コリ一 7:22ヨハ 8:36; フィレ 15, 16
コリ一 7:22ペ一 2:16
コリ一 7:23コ一 6:19, 20; ヘブ 9:12; ペ一 1:18, 19; 啓 5:9
コリ一 7:23ペ二 2:19
コリ一 7:25コ一 7:12, 40
コリ一 7:27マラ 2:16; マタ 19:6; エフ 5:33
コリ一 7:29ロマ 13:11; ペ一 4:7
コリ一 7:31ヨ一 2:15, 17
コリ一 7:33テモ一 5:8
コリ一 7:34テモ一 5:5
コリ一 7:36テモ一 4:1, 3
コリ一 7:36マタ 19:12; コ一 7:28
コリ一 7:37マタ 19:10, 11
コリ一 7:38コ一 7:32
コリ一 7:39ロマ 7:2
コリ一 7:39創 24:2, 3; 申 7:3, 4; ネヘ 13:25, 26; コ二 6:14
  • 新世界訳聖書 (スタディー版)
  • 聖書を変更する: 新世界訳(新世)
  • 聖書を変更する: 参照資料付き聖書(聖8-参)
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新世界訳聖書 (スタディー版)
コリント第一 7:1-40

コリント​の​クリスチャン​へ​の​第​一​の​手紙

7 さて,皆さんからの手紙に書かれていたことを取り上げます。男性は女性に触れない方がよいでしょう。 2 しかし,性的不道徳が広く見られるので,男性はそれぞれ自分の妻を持ち+,女性はそれぞれ自分の夫を持ちなさい+。 3 夫は,妻に与えるべきものを与えなさい。妻も,夫に与えるべきものを与えなさい+。 4 妻は自分の体について権限を持っておらず,夫が持っています。夫も自分の体について権限を持っておらず,妻が持っています。 5 夫も妻も,与えることを拒んではなりません。ただし,同意の上で一定の期間を置く場合は別です。そのようにして祈りに専念した後に再び共になるのであれば,自制心が欠けているせいでサタンから誘惑され続けるということはないでしょう。 6 私が言っていることはあくまでも譲歩であって,命令ではありません。 7 私は,皆が私のようであればと思います。それでもやはり,人はそれぞれ神から贈り物を頂いています+。ある人はこれ,別の人はあれというようにです。

8 結婚していない人たちとやもめたちに言います。私と同じように,そのままでいる方がよいでしょう+。 9 しかし,自制できないなら,結婚しなさい。情欲に燃えるよりは結婚する方がよいからです+。

10 結婚している人たちに指示を与えます。私ではなく主からの指示です。妻は夫から離れるべきではありません+。 11 しかし,もしも離れたなら,結婚しないでいるか,さもなければ夫と和解しなさい。夫も妻のもとを去るべきではありません+。

12 他の人たちに言います。主ではなく私がです+。ある兄弟にクリスチャンではない妻がいて,その妻が夫と一緒にいることを望んでいるなら,その兄弟は妻のもとを去ってはなりません。 13 また,ある女性にクリスチャンではない夫がいて,その夫が妻と一緒にいることを望んでいるなら,その女性は夫のもとを去ってはなりません。 14 クリスチャンではない夫は妻との関係で神聖なものとされ,クリスチャンではない妻は夫との関係で神聖なものとされているからです。そうでなければ,皆さんの子供は清くないことになります。でも実際には聖なるものです。 15 しかし,クリスチャンではない人が離れることにするなら,離れさせなさい。そういう場合には,兄弟であれ姉妹であれ,相手につながれてはいません。神は皆さんを平和へと招いたのです+。 16 妻であるあなたは,夫を救えないとどうして分かるのですか+。夫であるあなたは,妻を救えないとどうして分かるのですか。

17 いずれにしても,各自がエホバから与えられた分に応じて歩み,神に招かれた時のままでいてください+。私は全ての会衆でこの指示を与えます。 18 招かれた時にすでに割礼を受けていた人がいますか+。その人は割礼を受ける前の状態に戻そうとしてはなりません。招かれた時に割礼を受けていなかった人がいますか。その人は割礼を受けてはなりません+。 19 割礼を受けていることにも受けていないことにも,特に意味はありません+。意味があるのは,神のおきてを守ることです+。 20 招かれた時にどんな状態だったとしても,各自そのままでいてください+。 21 あなたは招かれた時,奴隷でしたか。そのことで悩む必要はありません+。ですが,自由になれるなら,その機会を捉えるとよいでしょう。 22 奴隷の時に招かれて主に従う人は,解放されて主に仕える自由民です+。同様に,自由民の時に招かれた人は,キリストに仕える奴隷です+。 23 皆さんは代価によって買われました+。もう人間の奴隷となってはなりません+。 24 兄弟たち,招かれた時にどんな状態だったとしても,各自が神の前でそのままでいてください。

25 さて,未婚の人について,私は主から何の命令も受けていませんが,主の憐れみのおかげで忠実でいられる者として,私の意見を述べます+。 26 現在の難しい状況からして,人は今のままでいるのが一番良いと思います。 27 あなたは妻につながれていますか。解放を求めてはなりません+。あなたは妻から解かれていますか。妻を求めてはなりません。 28 とはいえ,結婚するとしても,罪を犯すことにはなりません。また,未婚の人が結婚するとしても,罪を犯すことにはなりません。しかし,結婚するなら,苦難を身に招きます。私は皆さんにそういう経験をさせたくないと思っています。

29 兄弟たち,私は次のことを言います。残された時は少なくなっています+。今後,妻がいる人は妻がいない人のようになってください。 30 泣いている人は泣いていない人のように,喜んでいる人は喜んでいない人のように,買っている人は持っていない人のように, 31 世を利用している人は世を十分には利用していない人のようになってください+。今の世のありさまは変わろうとしているからです。 32 私は,皆さんに心配事がないことを願っています。結婚していない男性は,どうすれば主に喜ばれるかと,主の事柄に気を使います。 33 一方,結婚している男性は,どうすれば妻に喜ばれるかと,世の事柄に気を使い+, 34 2つに分断され*ます。また,結婚していない女性や処女は,体と精神の両面で聖なるものであろうとして,主の事柄に気を使います+。一方,結婚している女性は,どうすれば夫に喜ばれるかと,世の事柄に気を使います。 35 私がこうしたことを言うのは,皆さんのためであって,皆さんを抑え付けたいからではありません。適切な行動へと促し,気を散らさずに絶えず主に仕えるよう励ましたいのです。

36 ですが,未婚の人が欲求を抑えられないと感じていて,若さの盛りを過ぎているなら,自分の望む通りにしなさい。罪を犯すことにはなりません+。結婚しなさい+。 37 しかし,決心がついていて,必要もなく,自分の意志を制する*ことができ,結婚しないと心の中で決めているのであれば,それは立派なことです+。 38 それで,結婚する人も立派ですが,結婚しない人はいっそう立派です+。

39 妻は夫が生きている間はつながれています+。しかし,もし夫が死の眠りに就くことがあれば,望みの人と自由に結婚できます。ただし,主に従う人とだけです+。 40 とはいえ,私の意見では,その女性はそのままでいる方が幸せです。私は自分も神の聖なる力を持っていると確信しています。

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