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ローマの概略

    • C. 真のクリスチャンとして生きるための助言(12:1–15:13)

      • 1. 心を込めた神への崇拝と仲間の信者や他の人に対する正しい振る舞い(12:1-21)

        • 理性を働かせて,自分の体を生きた犠牲,聖なる犠牲として差し出す(12:1,2)

        • クリスチャンはそれぞれ違う能力を持っているが,1つの体を構成している(12:3-8)

        • 仲間の信者を愛し,敬う。熱心さと忍耐を示し,エホバに従順に仕える(12:9-16)

        • 「善によって悪を征服し続けましょう」(12:17-21)

      • 2. 真のクリスチャンと国家(13:1-7)

        • 神の奉仕者である「上位の権威」に従う(13:1-4)

        • 権威者に,差し出すべきものを差し出す(13:5-7)

      • 3. 愛の律法を実践し,目覚めている(13:8-14)

        • 誰に対しても愛以外の義務を負わない。愛があれば,律法を実践していることになる(13:8-10)

        • 昼間のようにきちんと行動し,イエスに倣う(13:11-14)

      • 4. 一致のために努力する。神の王国に入るかどうかは,正しさと平和と喜びに懸かっている(14:1–15:13)

        • 批判し合ってはならない(14:1-12)

        • 人に過ちを犯させてはならない(14:13-18)

        • 平和を追い求め,励まし合う助けになることを何でも行う(14:19-23)

        • 自分を喜ばせることをしなかったキリストの手本に倣う(15:1-6)

        • 「互いを迎え入れてください」。異国の人々が神をたたえる(15:7-13)

ローマ 12:1

  • そういう訳で: パウロはこの表現を使って,この手紙でこれまでに述べたことと,これから言うことを結び付けているようだ。いわば「私は皆さんにこれまで説明したことを踏まえて,次のことを強く勧めます」と言っている。パウロは,行いではなく信仰によって神から正しいと認められてキリストの共同統治者となる機会が,ユダヤ人にも異国人にも開かれていることを論じてきた。(ロマ 1:16; 3:20-24; 11:13-36)パウロは12章以降でクリスチャンに,感謝の気持ちを持つことと,神への従順と自己犠牲の生き方によって信仰と感謝を表すことを勧めている。

    兄弟たち: ロマ 1:13の注釈を参照。

    自分の体を……差し出してください: モーセの律法下で,イスラエル人は動物を殺して,死んだ動物を犠牲として差し出した。その犠牲は1回しか捧げられなかった。一方,クリスチャンは自分の体,自分の全てを生きた犠牲……として絶えず差し出す。この「犠牲」には人の知力,心,力など全ての能力が含まれる。この行いは自分の全てをささげたことを表し,生活のあらゆる面が関係する。パウロはさらに,自分を差し出すクリスチャンは神に受け入れられる聖なるものでなければならないと言っている。イスラエル人が,足が不自由な動物や欠陥のある動物など,受け入れられない犠牲を捧げてはならなかったことを念頭に置いていたのかもしれない。(レビ 22:19,20。申 15:21。マラ 1:8,13)同じように,クリスチャンは自分の犠牲が受け入れられるために,神に認められる事柄に従って清い生活をしなければならない。

    理性を働かせて: この言葉はギリシャ語ロギコスを訳したもの。この文脈で,「筋道の通った」,「理性的な」,「賢明な」仕方で捧げられる神聖な奉仕という考えを伝えている。ある辞典はその語を「注意深く考え抜かれている,思慮深い」と定義している。クリスチャンはしばしば,聖書の原則を注意深く考えなければならない。いろいろな聖書の原則がどう関係し合っているか,決定すべき事柄にどう関係しているかを理解している必要がある。神から与えられた理性つまり思考力を使って,神に喜ばれ祝福されるバランスの取れた決定をすることができる。このような崇拝の仕方は,クリスチャンになった多くのユダヤ人にとって新しいものだった。それまでは口頭伝承によって定められた多くの規則に従って生活していた。

    神聖な奉仕: または,「崇拝」。ここで使われているギリシャ語はラトレイアで,崇拝の行為を指す。ギリシャ語聖書で,この名詞はモーセの律法に基づくユダヤ人の崇拝方式に関して使われることがある。(ロマ 9:4。ヘブ 9:1,6)しかし,パウロはここでクリスチャンの崇拝に関して使っている。関連するギリシャ語動詞ラトレウオー(「神聖な奉仕をする」)は,モーセの律法に従った崇拝(ルカ 2:37。ヘブ 8:5; 9:9)とクリスチャンの崇拝(フィリ 3:3。テモ二 1:3。ヘブ 9:14。啓 7:15)の両方について使われている。ロマ 1:9でパウロが示しているように,パウロの神聖な奉仕の重要な面は,「神の子についての良い知らせを広め」ることだった。

欄外参照

  • +レビ 22:19, 20; 申 15:21
  • +コ二 7:1; ペ一 1:15
  • +ロマ 6:13
  • +テモ二 1:7

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    2023/2,20-21ページ

    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン14,38

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    塔84 8/15 12; 塔82 9/1 13-14; 塔80 11/15 22; 塔79 8/15 18; 塔79 11/1 15; 塔78 2/1 23; 塔78 10/15 23; 目78 4/8 29; 塔72 126; 塔69 414; 自 286-287; 塔65 629; 塔64 414; 塔63 18,362-363,463; 塔62 333; 目61 6/8 27; 神 290

ローマ 12:2

  • 今の体制: ギリシャ語アイオーンは,基本的に「時代」という意味で,特定の期間,時期,または時代を特色づける情勢や特徴を指せる。この文脈では,その時期を特徴づける基準,慣行,方法,習慣,やり方,見解,スタイルなどを指す。用語集の「体制」参照。

    形作られるのをやめてください: ここで使われているギリシャ語は,「型に合わせて形を作る」ことを意味する。パウロは天に行くよう選ばれた仲間のクリスチャンに書いていて,ここで使ったギリシャ語動詞の時制から,今していることをやめるよう勧めていることが分かる。ここから,ローマの会衆にはまだ当時の体制の影響を受けていたクリスチャンがいたと考えられる。(ロマ 1:7)西暦56年ごろ,ローマにいたクリスチャンにとって,体制とは,ローマ世界を特徴づける基準,習慣,方法,スタイルを指した。この節の今の体制に関する注釈を参照。

    考え方を新しくすることによって自分を変化させましょう: ここで使われている「考え方」に当たるギリシャ語は基本的に,考える能力を指すが,考え方や態度を指すこともある。「考え方を新しくする」という表現は,人の思考パターン,奥底にある考え,気持ちを変化させることを示している。「変化させましょう」に当たるギリシャ語動詞はメタモルフォオーで,そのことからどれほど変化すべきかが分かる。同じ動詞がマタ 17:2とマル 9:2で使われていて,「イエスの姿が変わった」とある。(マタ 17:2の注釈を参照。)それは表面的な変化ではなかった。そうではなく,将来の「神の王国」の王が「力を持ってすでに来ている」と表現されるほど,イエスの姿がすっかり変わった。(マル 9:1,2)このギリシャ語は,コ二 3:18にもあり,天に行くクリスチャンが経験する神に似た者への変化に関して使われている。それで,クリスチャンに考え方を新しくするよう勧めた時,パウロは神の考え方に沿った全く新しい考え方を身に付けられるよう内面を変化させていくことを強調していた。

    見極める: ここで使われているギリシャ語ドキマゾーは,「試して証明する」という意味を伝えていて,たいていの場合,良い結果が出る。この語は文脈によって,「認める」と訳されることがある。(ロマ 2:18)この語を,「吟味する」,「見分ける」と訳している翻訳もある。それでパウロは,よく考えずに信じることも何でも疑うことも勧めてはいない。パウロはクリスチャンに,神が求めていることを理解し,実行に移し,それが善いものだと実感できるよう,神が求めていることを良い意味で試すよう勧めていた。このようにして,クリスチャンは「神の……意志」に沿った生き方が善い完全なものであることを見極める。

欄外参照

  • +エフ 2:1, 2
  • +エフ 4:23, 24
  • +テモ一 4:15

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    2023/12,30ページ

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    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン38,47

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    塔研25.01 9; 洞-1 1085-1086; イ解 記事16; 塔研23.01 8-10; 塔研23.12 30; 塔般22.1 10-11; 暮 レッスン38,47; 塔研19.06 8-10; 塔研18.11 21-22,24; 塔研16.05 21; 塔13 9/15 17-21; エレ 46; 塔09 10/15 3; 塔07 7/1 23; 塔05 2/15 19; 塔01 8/1 10; 塔99 4/1 21-22; 目98 10/22 13-14; 塔97 4/15 13-14; 塔90 4/1 16,19-20; 感 209; 平 108-109,111,115,127;

    塔80 11/15 22; 塔79 7/15 21; 塔79 11/1 15; 塔76 149-150,753; 宣 76/9 7; 塔75 489; 塔74 330,453-454,457; 目74 12/22 11; 塔73 519; 平73 108-109,111,114,127; 目73 10/8 24; 塔72 41,645,667; 塔71 362,458; 塔68 647; 塔67 680; 自 287; 目67 3/8 6; 塔65 36; 目65 3/22 5; 塔64 268,287,364; 目64 7/22 7; 塔63 20; 塔62 315,393,451; 目62 4/22 27; 目62 5/8 15; 塔61 493; 目61 6/8 27; 塔60 187,328; 塔59 243; 塔58 204-205; 神 290; 塔57 370; 塔52 68,87

ローマ 12:3

脚注

  • *

    または,「分け与えられた」,「配分された」。

欄外参照

  • +格 16:18; ガラ 6:3; ペ一 5:5
  • +エフ 2:8; テト 2:6; ペ一 4:7

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    「エホバに近づきなさい」248-249ページ

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ローマ 12:4

欄外参照

  • +コ一 12:12; エフ 4:16

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    塔09 10/15 5;

    塔83 11/15 21; 塔73 566; 塔60 373

ローマ 12:5

欄外参照

  • +コ一 12:25

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    2009/10/15,5ページ

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    塔09 10/15 5;

    塔83 11/15 21; 塔77 262; 塔76 753; 塔73 566; 塔63 732

ローマ 12:6

脚注

  • *

    または,「贈り物」。

欄外参照

  • +エフ 3:7

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    「ものみの塔」(研究用)

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    塔研20.08 24-25; 塔09 10/15 3-4;

    塔77 457; 塔76 754; 塔73 565-566

ローマ 12:7

欄外参照

  • +テモ一 5:17; ペ一 4:10, 11

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    2009/10/15,3-4ページ

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    洞-1 773; 塔研20.08 24-25; 塔09 10/15 3-4;

    塔73 565-566; 塔62 335

ローマ 12:8

  • 励ます: または,「説き勧める」。ギリシャ語パラカレオーは,字義的には「自分のそばに呼び寄せる」という意味。この語は意味が広く,「励ます」(使徒 11:23; 14:22; 15:32。テサ一 5:11。ヘブ 10:25),「慰める」(コ二 1:4; 2:7; 7:6。テサ二 2:17),文脈によっては「強く勧める」や「説き勧める」(使徒 2:40。ロマ 15:30。コ一 1:10。フィリ 4:2。テサ一 5:14。テモ二 4:2,脚注。テト 1:9,脚注)といった考えを伝えることがある。説き勧めること,慰めること,励ますことに深いつながりがあることからすると,クリスチャンは決して厳しく不親切な仕方で説き勧めるべきではない。

    励まし: または,「説き勧め」。ギリシャ語では名詞パラクレーシスが使われていて,それは,字義的には「自分のそばに呼び寄せること」を指し,しばしば「励まし」(使徒 13:15。フィリ 2:1)や「慰め」(ロマ 15:4。コ二 1:3,4。テサ二 2:16)を意味する。別訳に示されているように,この節で使われているこの語や関連する動詞パラカレオーは「説き勧めること」という考えを伝えていて,文脈によっては本文でそのように訳されている。(テサ一 2:3。テモ一 4:13)これらのギリシャ語が,説き勧めること,慰めること,励ますことという3つの意味全てを含んでいることからすると,クリスチャンは決して厳しく不親切な仕方で説き勧めるべきではない。

    分け与える: ここで使われているギリシャ語動詞は,「与える」(ロマ 1:11。テサ一 2:8),「分け合う」(ルカ 3:11),「分ける」(エフ 4:28)とも訳されている。

    監督する人: または,「率先する人」。ギリシャ語プロイステーミは,字義的には「前に立つ」という意味で,導く,指揮する,指導する,気を配る,世話するという考えを伝えている。

脚注

  • *

    または,「真剣に」。

欄外参照

  • +テモ二 4:2
  • +申 15:11; コ二 8:2
  • +テサ一 5:12; ペ一 5:2
  • +エフ 4:32

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    洞-1 773; 塔研20.08 24-25; 塔93 5/15 19-20;

    塔77 374; 塔73 565-566; 組 65; 塔65 471; 目64 6/22 4; 塔63 644; 塔61 657

ローマ 12:9

  • 憎悪し: ギリシャ語アポステュゲオーは,ギリシャ語聖書でここにしか出ていない。この語は,「憎む」という意味のギリシャ語動詞の強意形なので,「激しく(強く)憎む」という意味。ぞっとするような強い嫌悪感を表現している。

    しっかりと付きましょう: ギリシャ語動詞は字義的には「のり付けする」という意味で,ここでは比喩的に使われている。真の愛を持つクリスチャンは,善いことといわば固くのり付けされて結合し,それが切り離せない人格の一部になっている。同じギリシャ語が,夫と妻を結び合わせる強い絆を表現するのに使われている。マタ 19:5の注釈を参照。

欄外参照

  • +コ一 13:4, 6; テモ一 1:5; ヤコ 3:17; ペ一 1:22
  • +詩 97:10; 格 8:13
  • +ロマ 12:21; ガラ 6:10

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    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン53

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    2009/10/15,5ページ

    2009/7/15,14ページ

    2007/7/1,23-24ページ

    1990/12/1,16ページ

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    洞-2 65,398; 暮 レッスン53; 塔研17.10 8-9; 塔09 7/15 14; 塔09 10/15 5; 塔07 7/1 23-24; 塔90 12/1 16;

    塔83 3/15 22-23; 塔80 11/1 29; 塔79 2/1 22; 塔78 4/1 3-4; 塔77 261; 塔74 378-379; 塔73 140; 目65 3/22 7; 目64 4/22 29; 塔63 334; 塔61 493

ローマ 12:10

  • 兄弟愛: ギリシャ語フィラデルフィアは,字義的には「兄弟への愛情」という意味。パウロはこの語をロマ 12:10,テサ一 4:9,ヘブ 13:1の3カ所で使っている。ペテロも手紙の中で,この語を3回(ペ一 1:22で1回,ペ二 1:7で2回)使っている。パウロとペテロがこの語を使っていることから分かるように,クリスチャン同士の関係は,実の家族のように親しく,強く,温かいものであるべき。

    優しい愛情を示し: ここで使われているギリシャ語フィロストルゴスは,愛と愛情を意味する2つの語を組み合わせた複合語。ステルゴーという語根は,家族の間にあるような自然な愛情を意味する。もう1つの語は,親しい友を意味するフィロスと関連がある。(ヨハ 15:13-15)この2つの語を組み合わせたものは,家族の間で示されるような強い愛情を意味している。実際,この文脈で使われている2つの言葉(「兄弟愛」と訳されるフィラデルフィアと「優しい愛情」と訳されるフィロストルゴス)は,家族の間で自然に示されるはずの愛情を指す。パウロは仲間のクリスチャンに,そのようなレベルの愛と愛情を示し合うよう勧めている。この節の兄弟愛に関する注釈を参照。

    自分の方から進んで: ギリシャ語プロエーゲオマイは,ギリシャ語聖書でここだけに出ている。字義的には「前を行く」という意味で,この文脈では,ぜひとも人を敬いたいという気持ちを意味する。1世紀のギリシャ人,ユダヤ人,ローマ人の社会で,人々は自分が栄誉を受けるためにあらゆる努力をしていた。(ルカ 20:46)ここで,パウロは対照的な考え方を示し,クリスチャンは人を敬うためにあらゆる努力をするようにと言っている。この表現は,人を敬う点で互いに一歩先を行こうとすることを意味するという見方もある。

欄外参照

  • +テサ一 4:9
  • +フィリ 2:3

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    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン49

    「洞察」

    「洞察」

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    洞-1 21,822; 洞-2 851-852; 塔研21.01 20-25; 暮 レッスン49; 塔10 10/15 16-20; 塔09 7/15 14; 塔09 10/15 5; 塔08 10/15 22; 塔04 10/1 14-19; 塔00 6/15 21-22; 塔00 8/15 24; 塔99 8/1 19; 塔91 2/1 22; 塔88 10/1 16; 塔86 11/15 17-18;

    目78 1/8 27; 目78 2/8 23; 塔77 261-262,479; 塔76 150,306; 塔73 184,370; 目72 5/8 3; 塔65 624; 塔62 336,695; 塔61 61,109; 塔55 34

ローマ 12:11

  • よく働いてください: または,「勤勉であってください」。ここで使われているギリシャ語スプーデーは字義的には,「動きや行動が速いこと」,「急ぎ」,「速さ」という意味。(ルカ 1:39)しかし多くの文脈では,「務めに真剣に取り組むこと」,「意欲」,「真剣さ」,「やる気」,「熱心さ」を意味する。このギリシャ語は,ロマ 12:8の「勤勉に監督し」という表現に出てくる。ヘブ 6:11では「勤勉さ」,ペ二 1:5では「真剣な努力」と訳されている。関連する動詞スプーダゾーは,「力を尽くしなさい」(テモ二 2:15),「努力してください」(テモ二 4:9,21。ペ二 1:10),「最善を尽くしてください」(ペ二 3:14)と訳されている。

    聖なる力によって熱意に燃えましょう: 「熱意に燃え」と訳されているギリシャ語は字義的には「沸騰する」という意味。このギリシャ語表現はプネウマという語と合わさって,比喩的に使われている。プネウマは,「聖なる力」も,心から生じて人を駆り立てる力も意味する。それで,この表現は強い意欲と熱意を指す慣用句にすぎないと考える人もいる。しかし,ここでは,神の「聖なる力」つまり神の送り出す力を受けて,熱意や熱心さがあふれていることやそれらを発揮しているという考えを伝えているようだ。聖なる力はエホバの意志に沿って物事を行うよう人を動かし,力づけることができる。(マル 1:12の注釈を参照。)神の聖なる力によって「熱意に燃え」ると,人の心から生じて人を駆り立てる力にも影響が及び,正しいことに対する熱意と熱心さで満たされる。

    エホバ: 入手できるギリシャ語写本はここで「主」(トーイ キュリオーイ)としている。しかし,付録Cで説明されているように,もともとこの節で神の名前が使われていて後代に主という称号に置き換えられた,と考える十分な理由がある。そのため,ここの本文でエホバという名前を使っている。付録C3の序文とロマ 12:11を参照。

    一生懸命仕えてください: または,「奴隷として仕えてください」。ここで使われているギリシャ語動詞(ドゥーレウオー)は,奴隷として働くことを指す。奴隷は主人に所有され,その主人から命令を受ける。同じギリシャ語動詞がマタ 6:24(注釈を参照)に出ていて,そこでイエスは,クリスチャンは神と富との両方の奴隷にはなれないと説明している。セプトゥアギンタ訳でこの動詞は,「エホバに仕え」るよう勧める同様のヘブライ語表現を訳すのに使われていて,元のヘブライ語本文にはテトラグラマトンが出ている。(サ一 12:20。詩 2:11; 100:2 [99:2,LXX]; 102:22 [101:23,LXX])

欄外参照

  • +格 13:4; テモ二 2:15
  • +使徒 18:24, 25; テサ一 5:19; テモ二 1:6
  • +ロマ 6:22

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ローマ 12:12

欄外参照

  • +ルカ 21:19; 使徒 14:22; ロマ 5:3
  • +ルカ 11:9; 使徒 12:5; フィリ 4:6; テサ一 5:17

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    塔80 7/1 23; 塔78 8/1 26; 正 28; 塔63 273,338,483,619; 塔62 148,339-340; 目62 1/22 26; 目62 10/8 8; 塔61 452; 塔54 494

ローマ 12:13

  • 人をもてなすことに努めましょう: 「に努める」に当たるギリシャ語は字義通りには,「急ぐ」,「走る」と訳せる。パウロはここでこの語を使い,頼まれたとき以外にももてなすようクリスチャンに促している。自分から進んで,いつももてなすよう努力することを勧めている。「もてなすこと」に当たるギリシャ語フィロクセニアは,字義的には「見知らぬ人に対する愛(好意)」を意味する。これは,仲の良い友以外の人ももてなすべきであることを示している。パウロは同じ語をヘブ 13:2でも使い,創世記 18章と19章に出てくるアブラハムとロトのことにそれとなく触れているようだ。アブラハムとロトが見知らぬ人をもてなした時,それとは知らずに天使たちをもてなしていた。創 18:1-8には,アブラハムが客を世話するために走ったり急いだりしたことが書かれている。関連する形容詞フィロクセノスは,もてなすことを勧めるギリシャ語聖書の他の文脈に3回出てくる。(テモ一 3:2。テト 1:8。ペ一 4:9)

欄外参照

  • +格 3:27; ヨ一 3:17
  • +ペ一 4:9; ヨ三 8

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ローマ 12:14

欄外参照

  • +マタ 5:44; ルカ 6:27, 28; コ一 4:12
  • +ヤコ 3:9, 10; ペ一 2:23

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ローマ 12:15

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    塔77 263; 目76 7/8 29; 目75 11/8 11; 目64 4/8 4; 塔63 579

ローマ 12:16

欄外参照

  • +ルカ 14:10; 22:24-26; ヨハ 13:14; フィリ 2:3
  • +ヨブ 37:24; 格 3:7

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ローマ 12:17

  • 誰の目から見ても: または,「全ての人の前で」。ここで使われているギリシャ語アントローポス(人,人間)は男性も女性も指す。

欄外参照

  • +テサ一 5:15; ペ一 2:23; 3:9

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ローマ 12:18

欄外参照

  • +テモ二 2:24; ヘブ 12:14; ヤコ 3:18

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ローマ 12:19

  • 神の憤りに任せましょう: パウロは続けて,申命記の「復讐は私がすることであり,報復もである」という神の言葉を引用している。(申 32:19-35)ギリシャ語本文ではここに「神の」に当たる語はないが,多くの翻訳者は正しい考えを伝えるため「神の」という表現を加えている。それでここでは,「神の憤りに任せ,いつ誰に復讐がされるべきかを神に決めてもらいましょう」ということを意味すると思われる。これは,怒りを爆発させないようにという聖書の警告に沿った勧め。(詩 37:8。伝 7:9。マタ 5:22。ガラ 5:19,20。エフ 4:31。ヤコ 1:19)格言の書でも,怒りをコントロールすることが繰り返し強調されている。(格 12:16; 14:17,29; 15:1; 16:32; 17:14; 19:11,19; 22:24; 25:28; 29:22)

    エホバは言う: パウロは申 32:35から引用していて,その文脈から,パウロが引用している言葉がエホバの語ったものであることははっきりしている。(申 31:16,19,22,30; 32:19-34)マタ 1:22の注釈と比較。付録C1,C3の序文とロマ 12:19を参照。

欄外参照

  • +レビ 19:18; マタ 5:39
  • +申 32:35; ヘブ 10:30

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    目79 12/8 26; 目77 11/8 29; 塔76 326; 目74 6/8 4; 目74 8/8 27; 塔73 31,84; 塔72 36,452; 目72 6/8 12; 目64 9/8 28; 目63 4/8 4; 塔62 535; 目62 11/8 3

ローマ 12:20

  • 敵が飢えているなら: パウロはここで格 25:21,22から引用して論議を続けている。

    燃える炭をその人の頭の上に積む: この表現はパウロが格 25:21,22から引用している言葉の一部。パウロが引用した元の格言も,この聖句も,古代の鉱石の精錬法に言及しているようだ。炭火の上で鉱石が熱せられ,鉱石の上にも炭火が積まれた。それにより鉱石が溶解し,純良な金属が不純物から分離した。同様に,敵対的な人に対しても親切にするなら,大抵その人の態度を和らげることができ良いところを引き出せる。敵に良いことをするようにという同様のアドバイスは聖書中によく出てくる。(出 23:4,5。マタ 5:44,45。ルカ 6:27。ロマ 12:14)さらに,パウロが引用した格言の文脈もこの理解を裏付けていて,「エホバが[このように行動する人]に報いてくださる」と述べている。(格 25:22,脚注)この比喩の意味について,学者たちの意見は分かれている。しかしローマの手紙の文脈からすると,パウロが反対者を懲らしめたり辱めたりすることの例えとして炭火を使ったのでないことは明らか。

欄外参照

  • +格 25:21, 22

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ローマ 12:21

欄外参照

  • +出 23:4; マタ 5:44; ルカ 6:27

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訳の一覧

訳の一覧を見るには,節番号をクリックしてください。

引用元

ロマ 12:19申 32:35
ロマ 12:20格 25:21, 22

全般

ロマ 12:1レビ 22:19, 20; 申 15:21
ロマ 12:1コ二 7:1; ペ一 1:15
ロマ 12:1ロマ 6:13
ロマ 12:1テモ二 1:7
ロマ 12:2エフ 2:1, 2
ロマ 12:2エフ 4:23, 24
ロマ 12:2テモ一 4:15
ロマ 12:3格 16:18; ガラ 6:3; ペ一 5:5
ロマ 12:3エフ 2:8; テト 2:6; ペ一 4:7
ロマ 12:4コ一 12:12; エフ 4:16
ロマ 12:5コ一 12:25
ロマ 12:6エフ 3:7
ロマ 12:7テモ一 5:17; ペ一 4:10, 11
ロマ 12:8テモ二 4:2
ロマ 12:8申 15:11; コ二 8:2
ロマ 12:8テサ一 5:12; ペ一 5:2
ロマ 12:8エフ 4:32
ロマ 12:9コ一 13:4, 6; テモ一 1:5; ヤコ 3:17; ペ一 1:22
ロマ 12:9詩 97:10; 格 8:13
ロマ 12:9ロマ 12:21; ガラ 6:10
ロマ 12:10テサ一 4:9
ロマ 12:10フィリ 2:3
ロマ 12:11格 13:4; テモ二 2:15
ロマ 12:11使徒 18:24, 25; テサ一 5:19; テモ二 1:6
ロマ 12:11ロマ 6:22
ロマ 12:12ルカ 21:19; 使徒 14:22; ロマ 5:3
ロマ 12:12ルカ 11:9; 使徒 12:5; フィリ 4:6; テサ一 5:17
ロマ 12:13格 3:27; ヨ一 3:17
ロマ 12:13ペ一 4:9; ヨ三 8
ロマ 12:14マタ 5:44; ルカ 6:27, 28; コ一 4:12
ロマ 12:14ヤコ 3:9, 10; ペ一 2:23
ロマ 12:16ルカ 14:10; 22:24-26; ヨハ 13:14; フィリ 2:3
ロマ 12:16ヨブ 37:24; 格 3:7
ロマ 12:17テサ一 5:15; ペ一 2:23; 3:9
ロマ 12:18テモ二 2:24; ヘブ 12:14; ヤコ 3:18
ロマ 12:19レビ 19:18; マタ 5:39
ロマ 12:19ヘブ 10:30
ロマ 12:21出 23:4; マタ 5:44; ルカ 6:27
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  • 聖書を変更する: 参照資料付き聖書(聖8-参)
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新世界訳聖書 (スタディー版)
ローマ 12:1-21

ローマ​の​クリスチャン​へ​の​手紙

12 そういう訳で,兄弟たち,神の思いやりに基づいて皆さんに強く勧めます。自分の体を,生きた犠牲,神に受け入れられる+聖なる+犠牲として差し出してください+。理性を働かせて神聖な奉仕をするのです+。 2 そして,今の体制によって形作られるのをやめてください+。かえって,考え方を新しくすることによって自分を変化させましょう+。それは,神の善い意志,喜ばしい完全な意志を見極める+ためです。

3 私は,示していただいた惜しみない親切に基づき,皆さんに言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません+。各自が神から与えられた*信仰に応じて,健全な考え方をしましょう+。 4 1つの体には多くの器官がありますが+,全ての器官が同じ機能を持つわけではありません。同じように, 5 私たちも人数は多いものの,キリストと結ばれた1つの体であり,一人一人は器官として互いを必要としています+。 6 それで私たちは,示していただいた惜しみない親切によって,それぞれ違う能力*を持っているのですから+,それが預言であれば,自分の信仰に応じて預言しましょう。 7 それが奉仕であれば,奉仕しましょう。教える人は教え+, 8 励ます人は励まし+,分け与える人は惜しまずに与え+,監督する人は勤勉に*監督し+,憐れみを示す人は快く示しましょう+。

9 皆さんの愛に偽善があってはなりません+。悪いことは憎悪し+,善いことにはしっかりと付きましょう+。 10 兄弟愛を抱いて,優しい愛情を示し合いましょう+。自分の方から進んで人を敬ってください+。 11 怠けたりせず,よく働いてください+。聖なる力によって熱意に燃えましょう+。エホバに一生懸命仕えてください+。 12 希望によって喜びましょう。苦難に遭っても忍耐しましょう+。粘り強く祈りましょう+。 13 困っている聖なる人たちと分け合ってください+。人をもてなすことに努めましょう+。 14 迫害する人のために祝福を願い続けてください+。祝福を願うのであって,不幸を願ってはなりません+。 15 喜ぶ人と一緒に喜び,泣く人と一緒に泣きましょう。 16 自分を見るのと同じ見方で他の人を見てください。高慢な考え方をせず,謙遜であってください+。自分は賢いと思い込んではなりません+。

17 悪いことをされても,決して仕返しをしてはなりません+。どうすれば誰の目から見ても良いことを行えるかを考えてください。 18 できる限りのことをして,どんな人とも平和な関係でいるようにしましょう+。 19 愛する皆さん,復讐してはなりません。神の憤りに任せましょう+。「『復讐は私がすることであり,私が報復する』とエホバは言う+」と書いてあるからです。 20 「敵が飢えているなら,食べさせましょう。喉が渇いているなら,飲む物を与えましょう。そうすれば,燃える炭をその人の頭の上に積むことになるのです+」。 21 悪に征服されてはなりません。善によって悪を征服し続けましょう+。

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