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コロサイの概略

    • E. 新しい人格を身に着け,キリストの権威に従う(3:1–4:6)

      • 「天の事柄について考え続けましょう」(3:1-4)

      • 汚れた罪深い欲望をいわば殺す。悪い言動を捨て去る(3:5-11)

      • 「完全な絆」である「愛を身に着けましょう」(3:12-14)

      • 「キリストによる平和が心に満ちるようにしましょう」(3:15-17)

      • クリスチャンの家族への助言(3:18–4:1)

      • 「粘り強く祈りましょう」(4:2-4)

      • 会衆の一員ではない人と接する際に賢く行動する(4:5,6)

コロサイ 3:1

欄外参照

  • +エフ 2:6
  • +詩 110:1; ペ一 3:22

コロサイ 3:2

  • 天の事柄: パウロは,天に行くよう選ばれたコロサイのクリスチャンに,自分たちの希望に考えを集中させるよう勧めている。フィリピの手紙でも,「天に招かれるという賞」つまりキリストと共に天で治めるという見込みに注意を向けている。(フィリ 3:14。コロ 1:4,5)パウロは,考え続けましょうという指示を現在時制で述べ,進行中の行為や継続的な行為を示唆している。「天の事柄」に考えを集中し続けるなら,世の哲学や中身のない伝統などの地上の事柄によって気が散らされて信仰が弱まるということを避けられ,貴重な希望を失わずに済んだ。(コロ 2:8)

欄外参照

  • +ヨ一 2:15
  • +フィリ 3:20; 4:8; ペ一 1:13

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  • リサーチガイド

    「ものみの塔」(研究用)

    2017/11,25ページ

    「ものみの塔」

    2014/10/15,28-29ページ

  • 出版物索引

    塔研17.11 25; 塔14 10/15 28-29;

    塔73 373; 塔64 677; 目59 11/8 7-8

コロサイ 3:3

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  • 出版物索引

    塔72 711-712

コロサイ 3:4

欄外参照

  • +ヨハ 11:25
  • +コ一 15:42, 43

コロサイ 3:5

  • 性的不道徳: 聖書中の用法では,ギリシャ語ポルネイアは,神に禁じられた性的な行動を広く指す語。姦淫,結婚していない人同士の性関係,同性愛行為などの重大な性的な罪が含まれる。用語集とガラ 5:19の注釈を参照。

    汚れ: または,「不潔」,「堕落」,「みだらなこと」。比喩的な意味で「汚れ」(ギリシャ語アカタルシア)は,性的なこと,話すこと,行動,宗教面において,清くないこと全てを含む。(コ一 7:14,コ二 6:17,テサ一 2:3と比較。)それで「汚れ」はいろいろな悪い行いを指し,深刻さの程度もさまざまなものがある。この語は,そうした悪い行いや状態が道徳的に忌まわしいことを強調している。用語集の「汚れている」とガラ 5:19,エフ 4:19の注釈を参照。

    奔放な性欲: ロマ 1:26の注釈を参照。創 39:7-12,サ二 13:10-14と比較。

    貪欲つまり偶像崇拝: ここで「貪欲」と訳されているギリシャ語プレオネクシアは,より多く持ちたいという飽くなき欲望を表す。(ロマ 1:29の注釈を参照。)パウロは貪欲が事実上偶像崇拝だと述べている。貪欲な人は,自分の望むものをエホバへの崇拝より優先させて,それを自分の神とするから。その人は,自分の欲望を満たすことを生活の中で一番重要なことと見なす。エフ 5:5の注釈を参照。

    いわば殺しなさい: パウロは印象的な比喩表現を使って,間違った罪深い欲望を除き去るには強力な手段が必要であることを強調している。(ガラ 5:24)「いわば殺しなさい」と訳されているギリシャ語は字義的には,「死んだものとしなさい」,「殺しなさい」という意味。(マタ 5:29,30; 18:8,9,マル 9:43,45,47と比較。)

欄外参照

  • +コ一 6:18; エフ 5:3
  • +マル 9:43; ガラ 5:24

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  • リサーチガイド

    「聖書 Q&A」記事57,59

    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン40

    「ものみの塔」(研究用)

    2017/11,26ページ

    2017/8,18-20ページ

    「ものみの塔」(研究用)

    2016/6,20-21ページ

    「ものみの塔」

    2008/6/15,9ページ

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    2002/7/15,13ページ

    2001/10/15,26ページ

    2001/6/15,6ページ

    2001/1/15,6ページ

    1997/7/15,17ページ

    1992/7/15,12ページ

    1990/12/1,4-5ページ

    1989/11/1,14ページ

    「目ざめよ!」

    2002/7/8,21ページ

    1997/5/22,8ページ

    1991/9/8,19ページ

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    1989/9/8,13ページ

    1987/9/8,20ページ

    1986/12/22,8ページ

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    イ聖 記事57,59; 暮 レッスン40; 塔研17.08 18-20; 塔研17.11 26; 塔研16.06 20-21; 塔08 4/15 5; 塔08 6/15 9; 塔02 7/15 13; 目02 7/8 21; 塔01 1/15 6; 塔01 6/15 6; 塔01 10/15 26; 塔97 7/15 17; 目97 5/22 8; 塔92 7/15 12; 目91 9/8 19; 塔90 12/1 4-5; 目90 10/8 24; 塔89 11/1 14; 質 201-202; 目89 9/8 13; 目87 9/8 20; 目86 12/22 8;

    塔85 4/15 16-18; 塔83 9/1 27; 塔80 12/15 12; 最 163; 目79 7/22 6; 塔78 6/1 31; 塔78 7/15 21; 塔77 699; 良 162; 塔74 420; 目74 2/8 26-27; 塔73 45,303,530,760; 平73 149-150; 目73 2/22 7; 塔72 297,723; 目71 3/8 28; 塔64 369,687; 心 61; 塔61 472; 塔59 139; 塔51 153

コロサイ 3:6

欄外参照

  • +ロマ 1:18; エフ 5:6

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  • 出版物索引

    塔74 420; 塔73 303,760

コロサイ 3:7

脚注

  • *

    または,「歩み方」。

欄外参照

  • +コ一 6:9-11; エフ 2:3; テト 3:3

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  • 出版物索引

    塔78 7/15 21; 塔74 420; 塔64 684

コロサイ 3:8

  • それらを全て捨て去らなければなりません: パウロはここで,古い服など「何かを捨てる」とか「何かを脇に置く」という意味のギリシャ語動詞を使っている。そのようにして,望ましくない服を脱ぎ捨ててふさわしい服を着るという隠喩を導入し,9,10,12,14節で繰り返している。パウロはコロサイのクリスチャンに,この節で挙げた5つを,クリスチャンが脱ぎ捨てたいと思うべき汚れた不快な服のように見てほしいと思っている。(この節の他の注釈を参照。)この部分(コロ 3:8-10,12,13)はエフ 4:20-25,31,32と似ている点が多い。そうした類似点は,パウロが両方の手紙を同じ頃に書いたという見方を裏付けている。(エフ 6:21。コロ 4:7-9)

    憤り,怒り: パウロが使っている2つの言葉はとても意味が近い。1つ目のオルゲーはもともと内面の憤りに焦点を当てていて,2つ目のテュモスはその感情を爆発させることの方に重点があった,と考える学者もいる。パウロが手紙を書いた時には,そうした区別は曖昧になっていたかもしれない。パウロは両方の言葉を使うことにより,心の中で憤りを募らせてしまう傾向とそれが引き起こしかねない激怒について警告している。(エフ 4:31)エフ 4:26の注釈を参照。

    悪い行い: ここで「悪い行い」と訳されているギリシャ語カキアは,悪意,恨み,人を傷つけようとする傾向という考えを含むかもしれない。エフ 4:31でも同様の事柄が挙げられていて,パウロは「一切の有害な事柄」というフレーズで同じギリシャ語を使っている。(ロマ 1:29,コ一 14:20も参照。)ある参考文献は,この文脈で使われている悪い行いを「友好的な関係を壊す邪悪な力」と表現している。

    暴言: パウロはここで,ブラスフェーミアというギリシャ語を使っている。その語は,神に対する不敬な言葉を指す場合に「冒瀆」と訳されることが多い。(啓 13:6)しかし元々,神に向けられた侮辱だけを意味していたのではない。仲間の人間に対する悪い言葉や中傷も指すことができ,文脈からすると,パウロはその意味で使っていると思われる。(エフ 4:31も参照。)別の訳では,「ののしり」や「そしり」といった表現が使われている。ある参考文献はこの語について,「誰かを軽んじて,評判を落とさせたり悪い評判を得させたりしようとすること」と述べている。

    下品な言葉: または,「みだらな言葉」。こう訳されているギリシャ語は,ギリシャ語聖書でここでしか使われていない。この語は,汚くて低俗で,時には暴言に当たる言葉を指す。下品な言葉は不道徳な内容の喜劇などの演劇でよく使われ,そうしたやり取りを面白がる人もいた。怒った時にこうした言葉が口から出ることもあり,パウロは怒りについても警告した。(この節の憤り,怒りに関する注釈を参照。)パウロがこの警告を与えたのは,クリスチャンが周りの人から悪い影響を受けないようにするためだったに違いない。(エフ 5:3の注釈を参照。)エフ 4:29(注釈を参照)に似た表現があり,パウロはクリスチャンに,「不快な言葉を口から出してはなりません」と言っている。

欄外参照

  • +ペ一 2:1
  • +エフ 4:31
  • +エフ 5:3, 4

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    塔研17.08 18,20-21; 目03 6/8 19; 目97 5/22 8;

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コロサイ 3:9

  • 古い人格……を脱ぎ捨て: パウロは引き続き,服を脱ぎ捨てることと着ることを例えとして使っている。(コロ 3:8の注釈を参照。)ここで「人格」と訳されている語は,字義的には「人」という意味。ある参考文献が述べているように,パウロは「人」という語を比喩的に使っていて,「ここの『古い人』は,ローマ 6:6とエフェソス 4:22のように,人が罪に支配されているときの人格全体を指す」。(ロマ 6:6の注釈を参照。)パウロの言葉は,クリスチャンが神の聖なる力の助けで,根深い特性や罪深い習慣をさえ「脱ぎ捨て」られることを示している。

欄外参照

  • +詩 34:13; エフ 4:25; 啓 21:8
  • +エフ 4:22

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    洞-2 619; 塔研22.03 2-7; 塔研17.08 17-21; 塔98 5/15 25-26; 塔90 11/1 5-6;

    塔79 9/15 12; 塔78 7/15 21; 若 174; 塔74 374; 目74 11/22 5; 塔72 41; 目71 4/22 29; 目67 2/8 13; 目65 3/22 6; 塔64 684,689; 正 30; 塔63 273-274; 目63 2/8 6; 塔61 538

コロサイ 3:10

  • 新しい人格: パウロはここで,服のように身に着けるものについて述べている。それは「古い人格」に取って代わる。(エフ 4:24,コロ 3:9の注釈を参照。)この「新しい人格」は神に似た立派な性質から成る。それはエホバ神の性質に沿っている,つまり神の性格を反映している。パウロはここで,セプトゥアギンタ訳の創 1:26にある「似た者」に当たるギリシャ語を使っている。そのようにしてコロサイのクリスチャンに,人間は不完全でも神の崇高な性質を反映するよう努力できることを思い起こさせた。エフ 5:1の注釈を参照。

    新しくされていきます: パウロがここで使っているギリシャ語は,パウロの手紙よりも前の古代のギリシャ語文書には出ていない。動詞の語形からすると,新しくされるのは1度きりではなく継続的で進行中の過程。クリスチャンが新しい人格を身に着けようと精力的に努力するのをやめるなら,古い人格が再び顔を出すだろう。(創 8:21。ロマ 7:21-25)それでパウロはクリスチャンに,クリスチャンの人格に関して得た正確な知識を当てはめ続ける必要があることを強調している。クリスチャンはパウロが12-15節で挙げているような性質を磨くよう一生懸命励まなければならない。コ二 4:16の注釈を参照。

脚注

  • *

    または,「創造した」。

  • *

    または,「において」。

欄外参照

  • +ロマ 12:2; エフ 4:24
  • +創 1:26, 27; ペ一 1:16

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    1990/4/1,16-20ページ

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    「神の言葉」176-179ページ

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    洞-2 619; イ尋 記事59; 塔研17.08 22; 目95 7/8 26; 塔90 4/1 16-20; 塔90 4/15 27; 塔90 11/1 5-6; 塔89 2/1 5; 言 176-179;

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コロサイ 3:11

  • 外国人: ロマ 1:14の注釈を参照。

    スキタイ人: パウロの時代,「スキタイ人」という語は,荒々しい未開人という考えを伝えていた。スキタイ人は主に,古代の著述家が一般に黒海の北と東の地域と関連付けた遊牧民のことだった。証拠からすると,スキタイ人はモンゴルの境界に近いシベリア西部まで放浪したのかもしれない。ギリシャ・ローマ世界で,「スキタイ人」という語は,恐ろしいことと同じ意味で使われるようになった。パウロはここで,ギリシャ人とユダヤ人,割礼を受けている人といない人,外国人とスキタイ人,奴隷と自由民のように,異なるグループを2つずつ挙げている。そうした名称は重要でないことを述べて,新しい人格を身に着けるクリスチャンは,人種的,宗教的,文化的,社会的な背景によって分裂してはならないことを指摘している。

脚注

  • *

    直訳,「全ての中に」。

欄外参照

  • +コ一 12:12, 13; ガラ 3:28

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    塔83 3/15 23; 塔81 5/15 19; 塔61 370; 天 243; 塔52 72

コロサイ 3:12

  • 謙遜さ: または,「自分を低く見る考え方」。使徒 20:19の注釈を参照。

    身に着けましょう: パウロはここで,コロ 3:8(注釈を参照)で使い始めた服に関する比喩を続けている。キリストの弟子が服のように着るべき「新しい人格」を成す性質を具体的に述べている。(コロ 3:10)そうしたキリストのような性質は心の中で育まれるが,服のようにほかの人にも明らかであるべき。聖書のさまざまな参考文献が述べているように,「身に着けましょう」というパウロの指示の語形から,急いで着てずっと着ているという考えが伝わってくる。それでパウロは,コロサイの人たちがこの助言に基づいてすぐに行動し,これらの特性をクリスチャンとしてずっと持ち続け,決して手放さないことを願っていたようだ。

欄外参照

  • +ペ一 2:9
  • +フィリ 2:1, 2
  • +ロマ 12:16
  • +テモ二 2:24; テト 3:2; ペ一 3:4
  • +エフ 4:1, 2; テサ一 5:14

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    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン49

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コロサイ 3:13

  • 引き続き互いに我慢し: パウロはここで,いらいらさせられるような他の人の欠点や癖について,辛抱強く寛容であるように勧めている。同じギリシャ語動詞がコ一 4:12では「辛抱強く忍耐し」と訳されている。誰もが不完全で失敗をするので(ヤコ 3:2),クリスチャンは他の人に期待することについて分別を働かせる必要がある。(フィリ 4:5)

    たとえ誰かに不満を感じるとしても: パウロは,コロサイの人たちの中に,仲間のクリスチャンが「不満を感じ」て当然のことを時々する人がいたかもしれないことを認識していた。時に,クリスチャンらしくない振る舞いをしたり,ほかの人が傷ついたと感じるようなことをしたりしたのかもしれない。そうした状況でも,クリスチャンはエホバに倣って寛大に許すよう努める。(マタ 5:23,24; 18:21-35。エフ 4:32。ペ一 4:8)

    エホバが寛大に許してくださったのですから: 聖書はしばしば,エホバ神が人間の罪を許すことを述べている。(民 14:19,20。サ二 12:13。詩 130:4。ダニ 9:9)エホバは「快く許す」方(ネヘ 9:17。詩 86:5)や「寛大に[または,「惜しみなく」,脚注]許」す方(イザ 55:7)としても表現されている。ここでパウロが使った「寛大に許」すに当たるギリシャ語動詞は,マタ 6:12,14やロマ 4:7(注釈を参照)にある「許す」という意味でよく使われる語ではない。その動詞は,「惜しみない親切」や「恵み」とよく訳されるギリシャ語カリスと関連がある。許すという意味で使われる場合,寛大に,惜しみなく,つまり人が誰かに贈り物をする時のように,許すという考えを伝えている。パウロはコロ 2:13で同じ語を使い,「神は……私たちの過ち全てを優しく許し」と述べている。(エフ 4:32)ここで神の名前が使われていることについては,付録C3の序文とコロ 3:13を参照。

欄外参照

  • +格 19:11; エフ 4:32; ペ一 4:8
  • +マタ 18:15
  • +マタ 6:14; マル 11:25

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    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン49

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コロサイ 3:14

  • 愛を身に着けましょう: コロ 3:12の注釈を参照。

    完全な絆: 直訳,「完全さの一緒につなぐもの」。パウロはエフェソスの手紙で,平和が会衆を一致させる力であることを強調している。(エフ 4:3の注釈を参照。)ここでパウロは,愛が最高の性質であり一致をつくり出す力になることに焦点を当てている。愛が一致させる力であることを示す一番の例は,エホバと独り子の間の絆。それは愛によって築かれたまさに最も強力な結び付き。(ヨハ 3:35)イエスは亡くなる前の晩に,弟子たちの間にそのような一致をつくり出してくださるよう父にお願いした。(ヨハ 17:11,22)ヨハ 17:23の注釈を参照。

欄外参照

  • +ヨ一 3:23
  • +ヨハ 17:23; ロマ 13:10; コ一 13:4-7

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  • 出版物索引

    洞-1 1224; 目20.3 12; 塔研17.08 26; 塔07 12/1 6; 目97 9/8 9-10; 知 163-167;

    塔85 3/15 21; 鑑84 257-259; 塔83 3/15 12-27; 鑑83 260-261; 目80 5/22 4; 家 80; 目78 11/8 29; 良 109,162; 以 28; 塔73 564,650; 塔71 498; 塔65 625; 塔64 501; 塔63 228; 目63 6/22 6; 天 244; 塔55 37

コロサイ 3:15

  • キリスト: 一部の古代写本は「神」としている。ギリシャ語聖書のヘブライ語訳の幾つか(付録C4のJ7,8)は,ここで神の名前を使っている。しかし,「キリスト」という読みには他の写本による強力な裏付けがある。

    キリストによる平和: 人が神の子の弟子となることで得られる落ち着きつまり穏やかさのこと。それは,神に仕える人がエホバ神とその子から愛され良いと認められていると自覚していることから得られる。(詩 149:4。ヨハ 14:27。ロマ 5:3,4)

    心に満ちる: または,「心を制御する」。パウロはクリスチャンに,キリストによる平和を心の制御力とするよう勧めている。ここで使われているギリシャ語は,古代の運動競技で競技を取り仕切って賞を与えた審判に当たる語と関連がある。この平和が心の中で比喩的な意味で審判として行動する,つまり判定基準として働くとき,クリスチャンは仲間との一致と平和を守る上でどの行動が最善かを考えて決定する。

欄外参照

  • +ヨハ 14:27; 16:33; フィリ 4:7

索引

  • リサーチガイド

    「目ざめよ!」

    2019 No. 3 6-7ページ

    2007/10,27ページ

    2006/4,6ページ

    「ものみの塔」(研究用)

    2017/12,26ページ

    「ものみの塔」

    2001/9/1,14-18ページ

    1998/2/15,4ページ

    1988/7/1,7-12ページ

  • 出版物索引

    イ尋 記事95; 目19.3 6-7; 塔研17.12 26; 目 07/10 27; 目 06/4 6; 塔01 9/1 14-18; 塔98 2/15 4; 塔88 7/1 7-12;

    塔81 7/1 20; 塔78 7/15 22; 塔73 187,527; 目62 2/8 26; 目62 5/8 6

コロサイ 3:16

  • キリストの言葉: この表現は原語でギリシャ語聖書のほかのどこにも見られず,イエス・キリストからのメッセージとその方についてのメッセージを指す。この「言葉」には,イエスがその生涯と宣教で示した手本が含まれる。パウロはクリスチャンに,キリストによって与えられた教え全体が自分の内に満ちるように,つまり自分の一部となるようにすべきだと語った。そうするには,キリスト教の真理のメッセージをじっくり考え,それに没頭しなければならない。パウロの言葉について,ある参考文献はこう述べている。「キリスト教のメッセージは,単に表面的な行動や習慣的なものではなく,クリスチャンの中で不可欠かつ永続的な影響を及ぼす力となっていなければならない」。

    詩や,神への賛美の歌や,……崇拝の歌: エフ 5:19の注釈を参照。

    教え合い,励まし合いましょう: ここでパウロはクリスチャンに,聖書に基づく歌詞の歌を歌うことによって,互いに教え,励まし,訓戒するよう勧めている。1世紀のクリスチャンが崇拝で歌った歌の一部は,ヘブライ語聖書から取られた詩だった。多くの詩には,神を賛美し,神に感謝し,神のことで喜ぶようにという訓戒が含まれていた。(詩 32:11; 106:1; 107:1)マタ 26:30の注釈を参照。

    励まし: または,「訓戒し」。ここで使われているギリシャ語(ヌーテテオー)は,「考え」(ヌース)という語と「置く」(ティテーミ)という語を組み合わせた複合語で,字義的には「考えを入れる」と訳せる。この文脈で,励ましには,聖書から慰めとなる考えや助言を互いに思い起こさせることが含まれるかもしれない。関連する名詞がエフ 6:4(注釈を参照)で使われていて,「助言」と訳されている。

    エホバに向かって……歌い: エフ 5:19の注釈を参照。付録C3の序文とコロ 3:16も参照。

    心から: エフ 5:19の注釈を参照。

メディア

  • エホバを賛美して歌うコロサイのクリスチャン

脚注

  • *

    または,「丁寧に」。

欄外参照

  • +コ一 14:26
  • +エフ 5:19

索引

  • リサーチガイド

    「ものみの塔」(研究用)

    2023/11,32ページ

    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン10

    「洞察」

    「ものみの塔」

    1994/5/1,11-12ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1027; 塔研23.11 32; 暮 レッスン10; 塔94 5/1 11-12;

    塔78 7/15 22; 塔75 222; 塔72 597; 塔65 447; 塔61 529; 塔60 211

コロサイ 3:17

  • 主イエスの名によって: 聖書の中で「名」という語は,その名を持つ人自身,その評判,その人が表す全てのものを意味することがある。「主イエスの名」は,人類を罪から買い戻す贖いとなった方としてのイエスの権威や神の王国の王としてのイエスの立場と関係がある。(マタ 28:18。使徒 4:12。コ一 7:22,23。ヘブ 1:3,4。フィリ 2:9の注釈を参照。)生活のあらゆる面で,クリスチャンは「主イエスの名によって」つまりイエスの名を負う者として,話し,行動すべき。

欄外参照

  • +コ一 10:31; エフ 5:20

索引

  • リサーチガイド

    「ものみの塔」

    1988/3/1,26-27ページ

  • 出版物索引

    塔88 3/1 26-27;

    塔78 7/15 23; 塔75 382; 正 29-30; 塔63 273; 目62 2/8 27; 塔61 529; 塔60 88

コロサイ 3:18

  • 従ってください: パウロはここで,神が夫に与えた権威にクリスチャンの妻が自主的に従うことを述べている。一方,クリスチャンの夫はキリストの手本に倣って頭の権威を行使するべき。また,キリストの権威に進んで従う。(コ一 11:3。エフ 5:22,23)エフ 5:21の注釈を参照。

    それは主に従う人にふさわしいことです: パウロはここで,「当然な」,「適切な」とも訳せる「ふさわしい」という表現を使っている。主に従う人にという言葉を加えることにより,クリスチャンの妻が聖書的な役割を果たすことで,自分の主イエス・キリストに喜んでもらえることを思い起こさせている。イエスは父に謙遜に従う点で完全な手本を残した。(エフ 5:22)フィリ 2:6の注釈を参照。

欄外参照

  • +エフ 5:22; ペ一 3:1

索引

  • リサーチガイド

    「真の平和と安全」138-139ページ

  • 出版物索引

    平 138;

    良 163; 塔74 337; 平73 137; 自 267; 目64 2/8 10; 塔63 47,636; 塔62 458,717

コロサイ 3:19

脚注

  • *

    または,「つらく当たって」。

欄外参照

  • +エフ 5:25; ペ一 3:7
  • +エフ 4:31

索引

  • リサーチガイド

    「聖書が教えていること」145-146ページ

    「聖書の教え」136ページ

    「ものみの塔」

    2008/9/15,17ページ

    2007/5/1,21-22ページ

    2006/9/15,28ページ

  • 出版物索引

    教簡 145-146; 塔08 9/15 17; 塔07 5/1 21-22; 塔06 9/15 28; 何 136;

    良 164; 塔74 380; 塔65 746; 塔63 343; 塔62 458; 塔60 193

コロサイ 3:20

  • 従ってください: ここのギリシャ語表現は,「聞く」という基本的な意味を持つ動詞から来ている。ここでは親の言葉を聞いて守るという意味で使われている。いつもとは当然,神の意志に沿っている限りいつでも従うということで,パウロは,神への不従順が関係する場合を含めて言っていたのではない。パウロの手紙の対象読者は,そのような的外れな従順は「主にとても喜ばれ」るものには当たらないことを理解しただろう。(ルカ 2:51と注釈と比較。使徒 5:28,29。エフ 6:1,2)

欄外参照

  • +格 6:20; ルカ 2:51; エフ 6:1

索引

  • リサーチガイド

    「ものみの塔」(研究用)

    2023/10,7ページ

    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン50

    「洞察」

    「ものみの塔」

    1995/6/1,28-29ページ

    1992/10/1,28-29ページ

    1989/3/15,7ページ

    「真の平和と安全」138-139ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1128; 塔研23.10 7; 暮 レッスン50; 塔95 6/1 28-29; 塔92 10/1 28-29; 塔89 3/15 7; 平 138-139;

    塔80 8/15 7; 家 162; 塔78 12/1 6; 塔77 356; 若 75; 良 166; 塔74 94; 塔73 134; 平73 137-138; 塔70 372; 目70 12/22 27; 塔64 749; 塔62 458; 塔57 252

コロサイ 3:21

  • いらいらさせ……ないようにしてください: 「いらいらさせる」に当たるギリシャ語は,「刺激する」とか「いら立たせる」とも訳せる。パウロは,愛情深い親のしつけが与える影響について言っているのではない。(格 13:24と比較。)子供に対する親の理不尽な扱いやひどい接し方によるダメージを念頭に置いていた。そのような誤った接し方は,聖書に載せられているエホバの接し方を反映したものとはならない。エホバは,ご自分に仕える人をバランスの取れた仕方で扱い(詩 103:13。ヤコ 5:11),励みになる仕方でご自分の子に接した。(マタ 3:17; 17:5)

    気落ち: パウロが使った語はギリシャ語聖書でここだけに出ていて,「落胆」とも訳せるかもしれない。やる気を失うことや,子供の心身の健康を脅かしかねないような長く続く失意を示唆している。文脈が示しているように,親の良くない接し方によって子供がそのような失意を抱くことがある。ここでのこの語の使用について,参考文献は,パウロが述べる「いらいらさせ」る接し方によって,子供は何をしても親に喜んではもらえないと思い込んでしまうかもしれないと述べている。そうすると,子供は気落ちし,絶望もしかねない。この節のいらいらさせ……ないようにしてくださいに関する注釈を参照。

欄外参照

  • +エフ 6:4

索引

  • リサーチガイド

    「ものみの塔」

    2005/6/15,22ページ

    1997/8/1,12ページ

    1996/8/1,20ページ

    1986/11/1,22ページ

    「幸せな家庭」147-148ページ

    「目ざめよ!」

    1996/10/22,6ページ

    1990/4/22,25-26ページ

    「知識」146-148ページ

  • 出版物索引

    塔05 6/15 22; 塔97 8/1 12; 塔96 8/1 20; 庭 147-148; 目96 10/22 6; 知 148; 目90 4/22 25-26; 塔86 11/1 22;

    家 105-106,145; 良 166; 目76 11/8 9-10; 塔71 562; 目66 9/22 4; 塔63 625,688; 目63 1/8 17; 目63 9/22 6; 塔54 130

コロサイ 3:22

  • 主人: または,「主」。ここでギリシャ語キュリオス(主)は他の人に対する権威を持つ人間を指す。エフ 6:5の注釈を参照。

    単に人を喜ばせようとして,主人が見ている時にだけ従うのではありません: エフ 6:6の注釈を参照。

    エホバを畏れつつ: この表現は,神への深い敬意や畏敬の気持ち,神を悲しませたくないという気持ちを指す。そのような畏れは,神への信仰と愛から生じ,神を崇拝し神に従いたいという願いを生む。神を畏れるという考えはヘブライ語聖書にしばしば出ている。例えば,申 6:13; 10:12,20; 13:4,詩 19:9,格 1:7; 8:13; 22:4。ギリシャ語聖書で,「畏れる」に当たるギリシャ語動詞はしばしば神への畏敬という意味で使われている。(ルカ 1:50。使徒 10:2,35。啓 14:7)使徒 9:31の注釈を参照。ここで神の名前が使われていることについては,付録C3の序文とコロ 3:22を参照。

メディア

  • 奴隷の仕事

欄外参照

  • +エフ 6:5, 6; テト 2:9; ペ一 2:18

索引

  • リサーチガイド

    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-1 1128; 洞-2 362;

    目79 12/8 26; 塔78 7/15 23; 塔77 658; 塔73 50; 塔72 461; 正 53; 塔63 304; 塔62 522,687

コロサイ 3:23

  • 人のためではなくエホバのためにするように: パウロはここで,文字通りの奴隷はどんな仕事をしていても,エホバ神との関係を忘れてはならないことを強調している。これには,「主人」に従順であり,「誠実な心で」仕えることが含まれる。そうするなら,「神の名」に非難をもたらすようなことを避けられた。(コロ 3:22。テモ一 6:1)パウロはコロサイの手紙と同じ頃に書いたエフェソスの手紙でも,同じような助言を奴隷に与えている。(エフ 6:6,7)「コロサイの紹介」参照。この節で神の名前が使われていることについては,付録C3の序文とコロ 3:23を参照。

    自分の全てを尽くして: エフ 6:6の注釈を参照。

欄外参照

  • +マタ 22:37; ルカ 10:27; ロマ 12:11

索引

  • リサーチガイド

    「聖句の解説」記事34

    「エホバに近づきなさい」105-106ページ

    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン37

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2012/1/15,21-23ページ

    1997/10/15,13-18ページ

    「聖書全体」168ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1052-1053; イ解 記事34; 近 105-106; 暮 レッスン37; 塔12 1/15 21-23; 塔97 10/15 13-18; 感 168;

    塔80 11/15 30; 目79 12/8 26; 塔77 516,657; 塔74 304,561; 目73 10/22 27; 塔72 461; 塔67 739; 塔65 107; 目64 7/22 3; 目64 12/22 28; 塔63 197; 目63 9/22 8; 塔62 522,687; 目62 11/22 4; 塔60 256; 塔59 365; 塔51 152

コロサイ 3:24

  • 報いとしてエホバから財産を受ける: 聖書全体を通して,エホバ神はご自分に忠実に仕える人の良い行いに報いてくださる方として表現されている。その例として,ルツ 2:12,詩 24:1-5,エレ 31:16がある。イエスは父について同じように表現している。(マタ 6:4。ルカ 6:35)この節で神の名前が使われていることについては,付録C3の序文とコロ 3:24を参照。

    主人であるキリストに一生懸命仕えてください: または,「主人であるキリストに奴隷として仕えてください」。パウロはここで,文字通りの奴隷であるクリスチャンに,キリストが本当の主人であることを思い起こさせている。同じような助言を与えたエフ 6:5,6で,奴隷に次の点を思い起こさせた。「自分の主人[である人]に従ってください。……キリストの奴隷として,自分の全てを尽くして神の望むことを行いつつ,従いましょう」。キリストの奴隷となることを選んだ人は,重荷を背負うことになるのではなく,むしろ負っていた重い荷から解放される。(マタ 11:28-30)ロマ 1:1の注釈と比較。

欄外参照

  • +エフ 6:8; ペ一 1:3, 4

索引

  • リサーチガイド

    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン37

    「ものみの塔」

    1997/6/15,32ページ

  • 出版物索引

    暮 レッスン37; 塔97 6/15 32;

    目79 12/8 26; 塔77 516; 塔76 140; 塔74 561; 目73 10/22 27; 塔62 687; 塔60 388-389

コロサイ 3:25

  • 不公平はありません: この節は,奴隷をひどく扱う主人など,悪を行う人は有罪の裁きを免れられないことを示している。ロマ 2:11とエフ 6:9にある同じような表現から,神がそのような人をえこひいきせずに公平に裁くことが分かる。「不公平」に当たるギリシャ語に関しては,ロマ 2:11の注釈を参照。

欄外参照

  • +ロマ 2:6; ガラ 6:7
  • +申 10:17; ロマ 2:11; ペ一 1:17

索引

  • 出版物索引

    塔76 548-549; 目63 6/8 3

訳の一覧

訳の一覧を見るには,節番号をクリックしてください。

全般

コロ 3:1エフ 2:6
コロ 3:1詩 110:1; ペ一 3:22
コロ 3:2ヨ一 2:15
コロ 3:2フィリ 3:20; 4:8; ペ一 1:13
コロ 3:4ヨハ 11:25
コロ 3:4コ一 15:42, 43
コロ 3:5コ一 6:18; エフ 5:3
コロ 3:5マル 9:43; ガラ 5:24
コロ 3:6ロマ 1:18; エフ 5:6
コロ 3:7コ一 6:9-11; エフ 2:3; テト 3:3
コロ 3:8ペ一 2:1
コロ 3:8エフ 4:31
コロ 3:8エフ 5:3, 4
コロ 3:9詩 34:13; エフ 4:25; 啓 21:8
コロ 3:9エフ 4:22
コロ 3:10ロマ 12:2; エフ 4:24
コロ 3:10創 1:26, 27; ペ一 1:16
コロ 3:11コ一 12:12, 13; ガラ 3:28
コロ 3:12ペ一 2:9
コロ 3:12フィリ 2:1, 2
コロ 3:12ロマ 12:16
コロ 3:12テモ二 2:24; テト 3:2; ペ一 3:4
コロ 3:12エフ 4:1, 2; テサ一 5:14
コロ 3:13格 19:11; エフ 4:32; ペ一 4:8
コロ 3:13マタ 18:15
コロ 3:13マタ 6:14; マル 11:25
コロ 3:14ヨ一 3:23
コロ 3:14ヨハ 17:23; ロマ 13:10; コ一 13:4-7
コロ 3:15ヨハ 14:27; 16:33; フィリ 4:7
コロ 3:16コ一 14:26
コロ 3:16エフ 5:19
コロ 3:17コ一 10:31; エフ 5:20
コロ 3:18エフ 5:22; ペ一 3:1
コロ 3:19エフ 5:25; ペ一 3:7
コロ 3:19エフ 4:31
コロ 3:20格 6:20; ルカ 2:51; エフ 6:1
コロ 3:21エフ 6:4
コロ 3:22エフ 6:5, 6; テト 2:9; ペ一 2:18
コロ 3:23マタ 22:37; ルカ 10:27; ロマ 12:11
コロ 3:24エフ 6:8; ペ一 1:3, 4
コロ 3:25ロマ 2:6; ガラ 6:7
コロ 3:25申 10:17; ロマ 2:11; ペ一 1:17
  • 新世界訳聖書 (スタディー版)
  • 聖書を変更する: 新世界訳(新世)
  • 聖書を変更する: 参照資料付き聖書(聖8-参)
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  • 25
新世界訳聖書 (スタディー版)
コロサイ 3:1-25

コロサイ​の​クリスチャン​へ​の​手紙

3 皆さんはキリストと共に生き返らされたのですから+,天にあるものを得ることを願い続けてください。キリストは天で神の右に座っています+。 2 地上の事柄ではなく+,天の事柄について考え続けましょう+。 3 皆さんは死んだのであり,皆さんの命は神の意志に沿ってキリストと共に隠されています。 4 私たちの命であるキリスト+が現れる時,皆さんもキリストと共に栄光を受けて現れることになります+。

5 ですから,性的不道徳,汚れ,奔放な性欲+,有害な欲望,また貪欲つまり偶像崇拝に陥らないよう,地上の体の各部をいわば殺しなさい+。 6 そのような事柄のために神は憤りを表そうとしています+。 7 皆さんも以前は,そうした事柄が伴う生き方*をしていました+。 8 しかし今は,それらを全て捨て去らなければなりません。憤り,怒り,悪い行い+,暴言+,口から出る下品な言葉+を捨て去りなさい。 9 互いにうそをついてはなりません+。古い人格とそれに伴う習慣を脱ぎ捨て+, 10 新しい人格を身に着けましょう+。新しい人格は,それを与えてくださる*神の性質に沿って,正確な知識によって*新しくされていきます+。 11 この点で,ギリシャ人とユダヤ人に違いはなく,割礼を受けている人もいない人も,外国人もスキタイ人も,奴隷も自由民も同じです。キリストが全てであり,全ての人と結び付いて*います+。

12 それで,皆さんは神に選ばれ+,神に愛される聖なる人たちですから,温かい思いやり+,親切,謙遜さ+,温和+,辛抱強さ+を身に着けましょう。 13 引き続き互いに我慢し,寛大に許し合いましょう+。たとえ誰かに不満を感じるとしてもです+。エホバが寛大に許してくださったのですから,同じようにしなければなりません+。 14 これら全てに加えて,愛を身に着けましょう+。愛は完全な絆なのです+。

15 また,キリストによる平和が心に満ちるようにしましょう+。皆さんは1つの体となって平和を得るために招かれたからです。感謝を表しましょう。 16 キリストの言葉があらゆる知恵と共に,皆さんの内に満ちるようにしてください。詩や,神への賛美の歌や,感謝を込めて*歌う崇拝の歌によって,教え合い,励まし合いましょう+。エホバに向かって心から歌いましょう+。 17 何を話すにしても,何をするにしても,全てのことを主イエスの名によって行い,イエスを通して父である神に感謝しましょう+。

18 妻の皆さん,夫に従ってください+。それは主に従う人にふさわしいことです。 19 夫の皆さん,妻を愛し続けてください+。ひどく怒って*はなりません+。 20 子供の皆さん,いつも親に従ってください+。そうすれば,主にとても喜ばれます。 21 父親の皆さん,子供をいらいらさせて+気落ちさせることがないようにしてください。 22 奴隷である皆さん,いつも自分の主人に従ってください+。単に人を喜ばせようとして,主人が見ている時にだけ従うのではありません。誠実な心で,エホバを畏れつつ従いましょう。 23 何をしていても,人のためではなくエホバのためにするように,自分の全てを尽くして行いましょう+。 24 皆さんは,報いとしてエホバから財産を受けることを知っています+。主人であるキリストに一生懸命仕えてください。 25 悪いことをする人は,行った悪いことの報いを必ず受けます+。不公平はありません+。

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