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  • ガラテア 4
  • 新世界訳聖書 (スタディー版)

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ガラテアの概略

    • C. 人は,律法に従った行いではなくキリストへの信仰によってのみ正しいと認められる(2:15–4:20)

      • 律法に従った行いによって正しいと認められるなら,キリストは無駄に死んだことになる(2:15-21)

      • 律法に従った行いか,信仰か(3:1-14)

      • アブラハムへの約束は律法に基づくのではない(3:15-18)

      • モーセの律法の目的(3:19-25)

      • もう奴隷ではなく神の子である(3:26–4:7)

      • むなしくて価値のない事柄の奴隷に戻らないようにという訴え掛け(4:8-11)

      • パウロはガラテアのクリスチャンのことを心配する(4:12-20)

    • D. パウロはクリスチャンの自由が何を意味するかを説明する(4:21–6:10)

      • クリスチャンの自由を説明する象徴的な劇(4:21–5:1)

      • 割礼を受けるべきだと主張することは自由をもたらさない(5:2-12)

      • 罪深い欲望と聖なる力は絶えず対立する(5:13-26)

      • 重荷を負い合い,キリストの律法を実践する(6:1-6)

      • 人はまいているものを刈り取る(6:7-10)

ガラテア 4:1

索引

  • リサーチガイド

    「ものみの塔」

    2008/3/1,21ページ

  • 出版物索引

    塔08 3/1 21;

    塔68 333; 塔62 457

ガラテア 4:2

  • 保護者や家の管理人の監督下: パウロの時代,未成年者の養育係の取り決めがよく知られていた。保護者は法律に基づいて任命されることもあり,未成年者の養育係として行動したり,その子の財産を管理したりした。一方,家の管理人は家全体の財産を管理した。いずれの場合も,「相続人[が]幼い子供である」間はその子は名目上は相続財産の「持ち主」であっても,その財産について奴隷と同様の権利しかなかった。(ガラ 4:1)その子の生活は大人になるまで他の人の監督下にあった。パウロはこうした取り決めを例えに使って,神の子によって解放される定められた時が来るまでユダヤ人が律法下にいたことを述べている。(ガラ 4:4-7)

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  • リサーチガイド

    「ものみの塔」

    2008/3/1,21ページ

  • 出版物索引

    塔08 3/1 21;

    塔74 37; 塔68 333; 塔62 457,717

ガラテア 4:3

  • 理念: または,「基礎的な事柄」。この表現は一般的に,「物事の基本的な要素」を意味する。例えば,ギリシャ語の単語を構成するアルファベットのそれぞれの音や文字を指して使われた。パウロはこの表現を,こことコロ 2:8,20で否定的な意味で使っていて,神から遠く離れている人類という世で指針となっている基本的な考えについて述べている。それには,(1)人間の考えに基づく哲学や神話(コロ 2:8),(2)禁欲主義や「天使の崇拝」を推し進める聖書に沿わないユダヤ人の教え(コロ 2:18),(3)クリスチャンは救いを得るためにモーセの律法を守る必要があるという教えが含まれるだろう。(ガラ 4:4–5:4。コロ 2:16,17)ガラテアのクリスチャンにそのような「理念」は必要なかった。キリスト・イエスへの信仰に基づいて,より優れた方法で崇拝できたから。クリスチャンは,パウロが保護者に例えたモーセの律法の下に自ら身を置いて,世の理念の奴隷になった子供のようであってはならなかった。(ガラ 3:23-26)父である神との関係において成長した息子のようであるべきだった。クリスチャンはキリストに従わない人たちが推し進める「むなしくて価値のない理念」にも律法にも決して戻るべきではない。(ガラ 4:9)

欄外参照

  • +コロ 2:8, 20-22

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    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-2 1067-1068;

    塔71 701

ガラテア 4:4

  • 時が満ちる: 直訳,「満ちた時が来る」。この表現を「定めの時が来た」と訳している聖書もある。この節が示すように,エホバは,「子孫」を立てるというご自分の約束通りに独り子がメシアとして地上に来る時を決めていた。(創 3:15; 49:10)使徒ペテロもキリストに関連した「時」や「時期」について述べている。(ペ一 1:10-12)ヘブライ語聖書は,メシアが現れる時が定められていたことを示していた。(ダニ 9:25)イエスは紀元前2年に,ユダヤ人の処女であるマリアという女性から生まれた。

    律法の下にいました: イエスは地上での宣教期間中,生来のユダヤ人としてモーセの律法を守った。(マタ 5:17。ルカ 22:20の注釈を参照。)律法が廃止されたのはイエスが死んだ後だった。(ロマ 10:4)

欄外参照

  • +ヨハ 1:14; ヘブ 2:14
  • +マタ 5:17; ルカ 2:21-23

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    「ものみの塔」

    1998/9/15,13-14ページ

  • 出版物索引

    塔98 9/15 13-14;

    聖 79; 塔75 14; 塔74 36-37; 千 57; 塔73 109; 目73 2/8 6; 事 282; 塔65 743; 天 206

ガラテア 4:5

  • 買い取って解放し: イエスは律法の下にいる人たちつまり信仰を持つユダヤ人を買い取って解放した。パウロは続けて,「私たち[ユダヤ人と異国人の両方を含むクリスチャンになったガラテアの人全員を指していると思われる]が養子にされるようにしました」と述べている。ここで「買い取って解放し」と訳されているギリシャ語エクサゴラゾーはガラ 3:13でも使われており,パウロはこう述べている。「キリストは私たちを買い取ってくださいました。……私たちの代わりに災いを被ることによって,私たちを律法の災いから解放してくださったのです」。ガラ 3:13の注釈を参照。

    養子: パウロはギリシャ語聖書で,神に招かれて選ばれた人たちの新しい立場に関して,養子という言葉を数回使っている。そのような人は天での不滅の命という見込みを与えられている。不完全なアダムの子孫であり,罪への奴隷状態にあったので神の子として生まれたのではなかった。罪を贖うイエスの犠牲のおかげで,養子とされて「キリストとの共同相続人」となることができる。(ロマ 8:14-17)その人たちは,養子になることを自分で選ぶのではない。むしろ,神がご自分の意志に沿って選ぶ。(エフ 1:5)聖なる力によってその人たちを生み出した時から,ご自分の子供と認めている。(ヨハ 1:12,13。ヨ一 3:1)とはいえ,完全に神の子として養子にされるには,人間としての命の終わりまで忠実であり続けなければならない。(ロマ 8:17。啓 21:7)それで,「贖いによって自分の体から解放されて養子になることを一心に待っています」とパウロは述べている。(ロマ 8:23。ロマ 8:15の注釈を参照。)古代に,養子という概念は広く知られていた。ギリシャ・ローマ世界で,養子縁組はおもに,養子にされる人のためではなく,養子にする人のためだった。しかしパウロは,エホバが養子にされる人のために愛をもって行動してきたことを強調している。(ガラ 4:3,4)

欄外参照

  • +コ一 7:23; ガラ 3:13
  • +ヨハ 1:12; ロマ 8:23; エフ 1:5; ヨ一 3:1

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    「洞察」

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    洞-2 1078;

    聖 79,113; 事 282; 塔64 422; 塔63 363

ガラテア 4:6

  • ご自分の子が持つ聖なる力: 神は,天に行くクリスチャンを選ぶ時,ご自分の聖なる力をご自分の子によってその人たちの心の中に送る。(使徒 2:33と使徒 16:7の注釈と比較。)

    アバ: ヘブライ語もしくはアラム語(ギリシャ語に翻字されている)。ギリシャ語聖書に3回出ている。この語は字義的には「父」あるいは「父よ」という意味で,息子から愛する父親への愛情のこもった呼び掛けだった。(マル 14:36の注釈を参照。)パウロはここでもロマ 8:15でも,この語を聖なる力によって生み出されて神の子になるよう招かれたクリスチャンに関連して使っている。その人たちは神の養子になったので,奴隷が養子になっていなければ使えない言い方でエホバに呼び掛けることができた。それで,天に行くよう選ばれたクリスチャンは「代価によって買われ」た「神の奴隷」だが,愛情深い父の家の子でもある。この立場を聖なる力によってはっきり認識する。(コ一 7:23。ロマ 6:22)

    父よ: ギリシャ語聖書で,アバの3回の出例全ての後に,アバのギリシャ語訳で字義的に「父」あるいは「父よ」という意味のホ パテールが出ている。

欄外参照

  • +ヨハ 14:26
  • +ロマ 5:5
  • +ロマ 8:15

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    「洞察」

    「ものみの塔」

    2009/4/1,13ページ

  • 出版物索引

    洞-1 85; 塔09 4/1 13;

    崇 187; 聖 113; 塔75 298; 塔66 601; 塔53 269

ガラテア 4:7

欄外参照

  • +ロマ 8:17; ガラ 3:29; エフ 1:13, 14

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  • 出版物索引

    聖 113; 塔75 298; 塔64 422; 塔63 363; 塔53 269

ガラテア 4:8

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    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-1 1266;

    塔73 678

ガラテア 4:9

  • 神を知るようになりました: ガラテアの多くのクリスチャンは,パウロの伝道によって「神を知るようにな」った。この節で「知るようになり」と「知られるようになり」と訳されている動詞は,知っている相手との良い関係を意味しているようだ。(コ一 8:3。テモ二 2:19)それで,「神を知る」とは,神について基本的な事実を知ることだけではない。神との個人的な関係を育むことを含んでいる。ヨハ 17:3の注釈を参照。

    というより,神に知られるようになりました: パウロはこう言うことによって,人が「神を知るようにな」るには,神に知られて認識されるつまり良いと認められる必要もあることを示している。ある辞典は,「知る」と「知られる」に当たるギリシャ語を「他者の人となりや価値を認識しつつ個人的な関係を持つ」ことと定義している。人が神に好意的に見ていただくには,神の性格や考え方や物事の扱い方に沿って行動しなければならない。

    価値のない: ガラテアのクリスチャンの中には,以前実践していた「理念」に再び戻ろうとする人たちがいた。「理念」には,人間の哲学や,クリスチャンがモーセの律法あるいは少なくともその一部を以前のように守るべきであるという考えが含まれたようだ。(コロ 2:8,16-18,20。ガラ 4:3の注釈を参照。)パウロはそうした「理念」を「価値のない」と表現し,字義的に「貧しい」,「貧乏な」を意味するギリシャ語を使った。この語は比喩的な意味で,「惨めな」,「無価値な」という意味にもなる。こうした「理念」は,キリスト・イエスを通して得られる宝のような真理と比べれば本当に「価値のない」ものだった。

欄外参照

  • +ロマ 8:3; ヘブ 7:18, 19
  • +コロ 2:20-22

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    「ものみの塔」(研究用)

    2018/7,8-9ページ

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2013/3/15,13-14ページ

  • 出版物索引

    洞-1 925; 塔研18.07 8-9; 塔13 3/15 13-14;

    塔83 9/15 16-21; 目80 4/22 31; 目78 9/8 29; 救 345; 目73 2/8 7; 塔64 422

ガラテア 4:10

  • 日や月や時期や年: パウロはここで,神の民がモーセの律法の下で祝うことを求められた特別な行事のことを言っている。例えば,安息日や安息年(出 20:8-10。レビ 25:4,8,11),新月の祭り(民 10:10。代二 2:4),年ごとの贖罪の日(レビ 16:29-31),過ぎ越し(出 12:24-27),無酵母パンの祭り(レビ 23:6),七週の祭り(出 34:22),仮小屋の祭り(レビ 23:34)があった。それぞれ決まった時に行われた。ガラテアの一部のクリスチャンは,以前モーセの律法の下にあって長年それを忠実に守っていた。しかし,キリストの贖いの犠牲について知ると,その恩恵とモーセの律法への奴隷状態からの自由を喜んで受け入れた。(使徒 13:38,39)パウロは,再び律法の奴隷となってそうした特別な行事にこだわっている人たちのことを当然ながら心配した。(ガラ 4:11)クリスチャンになった異国の人たちも,もし以前にしていた異教の祝いを再び行うなら,キリストの贖いの犠牲への信仰が欠けていることを示すことになった。

欄外参照

  • +コロ 2:16

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  • リサーチガイド

    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-1 1063;

    目78 9/8 29; 目73 2/8 7; 塔64 422-423; 塔63 251

ガラテア 4:11

索引

  • 出版物索引

    目73 2/8 7; 塔64 422

ガラテア 4:12

欄外参照

  • +ガラ 1:14

ガラテア 4:13

  • 私の病気: パウロは目の問題を抱えていたのかもしれない。(ガラ 4:15; 6:11。使徒 23:1-5と比較。)これがどんな健康問題であれ,それが何らかのきっかけになって,パウロはガラテアで良い知らせを伝えた。これは西暦47-48年ごろ,パウロの1回目の宣教旅行中のことだったかもしれない。その時,パウロとバルナバはガラテアへ旅行し,ピシデアのアンティオキア,イコニオム,ルステラ,デルベといった町を訪問した。(使徒 13:14,51; 14:6,21)その後,この手紙を書く前の西暦49年ごろ,パウロはガラテアのこうした町を再び訪問した。(使徒 15:40–16:1)

索引

  • リサーチガイド

    「徹底的に教える」89ページ

    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-1 642; 徹 89

ガラテア 4:14

脚注

  • *

    または,「私は誘惑だった」。直訳,「私は試すものとなった」。

  • *

    または,「唾を掛けたり」。

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    「目ざめよ!」

    1993/6/8,13ページ

  • 出版物索引

    目93 6/8 13

ガラテア 4:15

  • 皆さんは……自分の目をえぐり出して私に与えたいとさえ思ってくれていました: パウロはよく使われる比喩法によって,ガラテアの人たちがパウロにどれほど愛情を抱いているかを強調している。ガラテアの人たちはパウロのために何でも,自分の目と同じくらい大切なものでさえ,犠牲にするつもりだった。パウロが慢性的な目の問題を抱えていたのであれば,この表現を使ったのは特に適切だった。すぐ前で述べた「病気」はその問題だったのかもしれない。(ガラ 4:13,14。使徒 23:2-5,コ二 12:7-9,ガラ 6:11も参照。)

欄外参照

  • +使徒 23:5; ガラ 6:11

索引

  • 出版物索引

    塔74 764; 塔73 447; 目58 11/22 14

ガラテア 4:16

索引

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    「ものみの塔」

    2001/6/15,32ページ

  • 出版物索引

    塔01 6/15 32

ガラテア 4:19

  • 私の子供たち: パウロはこの節で,自分を母親に,ガラテアのクリスチャンを子供たちに例えている。そして,私は再び産みの苦しみを味わっていますと述べている。パウロは,ガラテアのクリスチャンに対する深い関心や,彼らがクリスチャンとして十分に成長するのを見たいという強い願いについて述べているようだ。ここで幾つかの古代写本はギリシャ語の「子供」(テクノン)を使っているが,ほかの権威ある写本はこの語の指小辞形(テクニオン)を使っている。ここでは「子供たち」と訳されているが,「新世界訳」が基にしたのは「小さな子供たち」とも訳せるギリシャ語の指小辞形。ギリシャ語聖書で,指小辞は愛情や親近感を示すために使われることが多い。それでこの表現は「親愛なる子供たち」,「愛する子供たち」とも訳せる。用語集の「指小辞」参照。

脚注

  • *

    または,「の形ができる」。

欄外参照

  • +コ一 4:15; テサ一 2:11; フィレ 10

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    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-2 409

ガラテア 4:20

脚注

  • *

    もしかすると,「声の調子を変えられ」。直訳,「声を変えられ」。

ガラテア 4:21

欄外参照

  • +ガラ 5:1

ガラテア 4:22

  • 自由な女性: この語はアブラハムの妻サラと「上にあるエルサレム」について使われている。(ガラ 4:26)パウロは,奴隷状態にあった当時のエルサレムを召し使いの女性ハガルに例えている。(ガラ 4:25)エルサレムを首都とするイスラエル国民を自由な女性と呼ぶことはできなかった。なぜなら,その立場は律法で与えられていなかったから。それどころか,律法はイスラエル人が罪に支配されていることを示していた。つまり,彼らは奴隷状態にあった。対照的に,神の比喩的な妻である上にあるエルサレムは常に,サラのように自由な女性。「自由な女性の子供」になった人たちは,神の子によって罪とモーセの律法の束縛から自由にされている。(ガラ 4:31; 5:1と注釈。ヨハ 8:34-36)

欄外参照

  • +創 16:15
  • +創 21:2, 3

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    「洞察」

    「ものみの塔」

    1992/3/15,14ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1129; 洞-2 87; 塔92 3/15 14;

    救 96

ガラテア 4:23

  • 普通に: 直訳,「肉によって」。ロマ 1:3の注釈を参照。

欄外参照

  • +創 16:1, 2
  • +創 17:15, 16

索引

  • 出版物索引

    救 96; 塔64 203

ガラテア 4:24

  • には別の意味があります: または,「は象徴的な劇となっています」。ここでパウロは寓喩,つまり,人,物,出来事を他の物事の象徴とする表現法を使っている。創世記 16-21章に基づくこの象徴的な劇の中で,パウロは「自由な女性」(サラ)と「召し使いの女性」(ハガル)を対照させている。(ガラ 4:22–5:1)メディア・ギャラリーの「2人の女性の象徴的な劇」参照。

    この女性たちは2つの契約を表しています: この契約はモーセの律法契約とアブラハム契約のことのようだ。ハガルとサラがその契約そのものというわけではない。しかし,預言的な劇の中でこの2人は,神と神に仕える人の関係の異なる側面,つまり比喩的な奴隷状態を示す律法契約と本当の自由につながるアブラハム契約に対応している。

メディア

  • 2人の女性の象徴的な劇

  • シナイ山

欄外参照

  • +出 19:20; 24:12

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    「洞察」

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2014/10/15,10ページ

    1992/3/15,14ページ

    「聖書全体」18ページ

    「世界的な安全」75-80ページ

  • 出版物索引

    洞-2 87,125,494,1087; 塔14 10/15 10; 塔92 3/15 14; 感 18; 安 75-80;

    救 96; 自 72; 塔64 422; 塔63 398

ガラテア 4:25

欄外参照

  • +出 19:18

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    「洞察」

    「ものみの塔」

    1992/3/15,14-15ページ

    「聖書全体」18,220ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1129; 洞-2 494; 塔92 3/15 14-15; 感 18,220;

    塔85 3/15 12-14; 塔85 9/15 31; 塔83 11/1 22-23; 塔76 729; 救 96; 塔67 170; 自 72; 塔66 208,280; 塔65 73,234; 目65 8/22 27; 塔64 299,422; 塔63 398; 塔56 446-447; 天 143; 宗 226

ガラテア 4:26

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    「洞察」

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2015/3/15,17ページ

    1992/3/15,14-15ページ

    「啓示の書の最高潮」177-178ページ

    「イザヤの預言 II」216ページ

    「聖書全体」18,220ページ

    「永遠に生きる」117ページ

    「世界的な安全」76-78,90-92ページ

  • 出版物索引

    洞-1 444,510,837,1129; 洞-2 141,408-409,494; 塔15 3/15 17; 啓 178; イ-2 216; 塔92 3/15 14-15; 楽 117; 感 18,220; 安 77-78,90-92;

    塔85 3/15 11-14,18; 塔85 10/15 30-31; 残 25; 塔83 6/15 23-24; 塔83 11/1 22-23; 塔82 12/15 12-13; 塔81 10/15 18; 塔80 10/15 25; 塔76 730,736; 救 96; 今 127; 塔73 370; 自 72; 塔65 73,234; 目65 8/22 27; 塔64 203; 塔63 398; 目63 3/8 27; 塔62 303; 塔57 290; 天 171,232; 宗 221; 塔53 286; 塔52 102,298

ガラテア 4:27

欄外参照

  • +イザ 54:1

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    「洞察」

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2006/3/15,11ページ

    1995/8/1,11ページ

  • 出版物索引

    洞-1 290; 洞-2 408-409; 塔06 3/15 11; 塔95 8/1 11;

    塔85 3/15 13; 塔83 6/15 23; 塔81 8/1 22-23; 救 96; 自 72; 目65 8/22 27; 塔64 204; 塔63 310,398; 天 171; 塔53 286

ガラテア 4:28

欄外参照

  • +ロマ 9:8; ガラ 3:29

索引

  • 出版物索引

    塔85 3/15 13; 塔80 10/15 25; 自 72; 塔66 180; 塔64 204

ガラテア 4:29

  • 普通に: 直訳,「肉によって」。ロマ 1:3の注釈を参照。

    苦しめるようになりました: パウロはここで,イシュマエルが「イサクをからかっている」という創 21:9の記述について述べている。イシュマエルは普通に生まれた子だった。イサクは聖なる力によって生まれた子と呼ばれている。それは,エホバが約束を実現させるために聖なる力を使ってアブラハムとサラの生殖力を回復させたから。(創 12:3; 13:14-16; 17:7-9,19。ガラ 4:28)パウロは,イシュマエルがイサクを苦しめたことには「別の意味」があると述べ(ガラ 4:24),今も同じことが起きていますと言って当時と関連付けた。聖なる力によって選ばれたイエスの弟子たち,つまり「約束による子供」は(ガラ 4:28),自分をアブラハムの正統な相続人と見る生来のユダヤ人たちによって苦しめられていたことをパウロは説明している。

欄外参照

  • +創 21:9
  • +ガラ 5:11; テモ二 3:12

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    「洞察」

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2006/3/15,11-12ページ

    2001/8/15,26ページ

    1989/7/1,21ページ

    「聖書全体」18ページ

  • 出版物索引

    洞-1 40-41,222-223,1140; 洞-2 444,494,1207; 塔06 3/15 11-12; 塔01 8/15 26; 感 18; 塔89 7/1 21; 質 151;

    塔81 3/15 8

ガラテア 4:30

欄外参照

  • +創 21:10

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    「洞察」

    「ものみの塔」

    1989/7/1,21ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1129; 洞-2 494; 塔89 7/1 21;

    目69 3/22 28; 塔64 422

ガラテア 4:31

索引

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    「洞察」

    「ものみの塔」

    2015/3/15,17ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1129; 塔15 3/15 17;

    塔80 10/15 25; 塔67 207; 自 72; 塔64 204,299; 天 232

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引用元

ガラ 4:27イザ 54:1
ガラ 4:30創 21:10

全般

ガラ 4:3コロ 2:8, 20-22
ガラ 4:4ヨハ 1:14; ヘブ 2:14
ガラ 4:4マタ 5:17; ルカ 2:21-23
ガラ 4:5コ一 7:23; ガラ 3:13
ガラ 4:5ヨハ 1:12; ロマ 8:23; エフ 1:5; ヨ一 3:1
ガラ 4:6ヨハ 14:26
ガラ 4:6ロマ 5:5
ガラ 4:6ロマ 8:15
ガラ 4:7ロマ 8:17; ガラ 3:29; エフ 1:13, 14
ガラ 4:9ロマ 8:3; ヘブ 7:18, 19
ガラ 4:9コロ 2:20-22
ガラ 4:10コロ 2:16
ガラ 4:12ガラ 1:14
ガラ 4:15使徒 23:5; ガラ 6:11
ガラ 4:19コ一 4:15; テサ一 2:11; フィレ 10
ガラ 4:21ガラ 5:1
ガラ 4:22創 16:15
ガラ 4:22創 21:2, 3
ガラ 4:23創 16:1, 2
ガラ 4:23創 17:15, 16
ガラ 4:24出 19:20; 24:12
ガラ 4:25出 19:18
ガラ 4:28ロマ 9:8; ガラ 3:29
ガラ 4:29創 21:9
ガラ 4:29ガラ 5:11; テモ二 3:12
  • 新世界訳聖書 (スタディー版)
  • 聖書を変更する: 新世界訳(新世)
  • 聖書を変更する: 参照資料付き聖書(聖8-参)
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新世界訳聖書 (スタディー版)
ガラテア 4:1-31

ガラテア​の​クリスチャン​へ​の​手紙

4 さて,相続人は全ての物の持ち主ですが,幼い子供である間は奴隷と変わりありません。 2 父親が定めた日までは,保護者や家の管理人の監督下にいます。 3 同じように私たちも,子供だった時には,世の理念の奴隷になっていました+。 4 しかし,時が満ちると,神はご自分の子を遣わしました。その方は女性から生まれ+,律法の下にいました+。 5 こうして神は,その方が律法の下にいる人たちを買い取って解放し+,私たちが養子にされるようにしました+。

6 皆さんは子なので,神はご自分の子が持つ聖なる力+を私たちの心の中に送ってくださいました+。その聖なる力によって私たちは「アバ,父よ!」と叫びます+。 7 ですから,皆さんはもう奴隷ではなく子です。そして,子なので,神によって相続人ともされています+。

8 皆さんは神を知らなかった時,偽りの神々の奴隷になっていました。 9 しかし,今は神を知るようになりました。というより,神に知られるようになりました。それなのに,どうしてむなしくて+価値のない理念に戻り,再びその奴隷になろうとするのですか+。 10 皆さんは日や月+や時期や年にこだわっています。 11 私は皆さんのことが心配です。皆さんのために苦労したことは無駄だったのだろうか,と思います。

12 兄弟たち,お願いします。私のようになってください。私もかつては皆さんのようでした+。皆さんは私に何も悪いことをしませんでした。 13 ご存じの通り,私が皆さんに良い知らせを伝えるきっかけになったのは,私の病気でした。 14 病気の私を受け入れるのは大変だった*はずですが,皆さんは見下したり毛嫌いしたり*せず,私が神の天使かキリスト・イエスであるかのように迎えてくれました。 15 あの時の皆さんの幸福はどこに行ってしまったのですか。皆さんは,できることなら自分の目をえぐり出して私に与えたいとさえ思ってくれていました+。そのことを私は証言できます。 16 では私は,皆さんに真理を伝えるので,皆さんの敵になったのですか。 17 あの人たちは熱心に皆さんを取り込もうとしていますが,その目的は良いものではありません。皆さんを私から引き離したいと思っており,自分たちの支持者にならせようとしているのです。 18 しかし,誰かが良い目的で皆さんを熱心に誘うのはいつでも良いことであり,それは私が皆さんと一緒にいるときだけに限りません。 19 私の子供たち+,皆さんの中にキリストが形作られる*まで,私は再び産みの苦しみを味わっています。 20 今そちらにいて別の話し方ができ*たらいいのに,と思います。皆さんのことで困惑しているからです。

21 律法の下にいることを望む皆さん+,答えてください。皆さんは律法が述べている事を知らないのですか。 22 例えば,アブラハムには2人の子がいたと書いてあります。1人は召し使いの女性+から生まれ,1人は自由な女性+から生まれました。 23 召し使いの女性の子は普通に生まれ+,自由な女性の子は約束によって生まれました+。 24 この出来事には別の意味があります。この女性たちは2つの契約を表しています。1つはシナイ山+で結ばれ,奴隷となる子供たちを生み出す契約で,ハガルがこれに相当します。 25 ハガルは,アラビアにあるシナイ山+を表し,今のエルサレムに当たります。彼女は自分の子供たちと共に奴隷となっているからです。 26 一方,上にあるエルサレムは自由であって,私たちの母です。

27 こう書かれています。「子供を産めない不妊の女よ,喜べ。産みの苦しみを知らない女よ,歓声を上げよ。見捨てられた女の子供は,夫がいる女の子供よりも多いからだ+」。 28 兄弟たち,皆さんはイサクと同じく約束による子供です+。 29 当時,普通に生まれた子が,聖なる力によって生まれた子を苦しめるようになりました+。今も同じことが起きています+。 30 しかし,聖書は何と言っているでしょうか。「召し使いの女とその子を追い出してください。召し使いの女の子供が,自由な女の子供と一緒に相続人になることは決してないからです+」。 31 ですから,兄弟たち,私たちは召し使いの女性の子供ではなく,自由な女性の子供です。

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